振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

沼津市戸田の映画館

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(写真)沼津市戸田。パブリックドメイン

2020年(令和2年)3月21日(土)と3月22日(日)、沼津市立戸田図書館で開催された「Wikipedia town 沼津 #16」に参加するために静岡県沼津市戸田(へだ)を訪れました。

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1. 沼津市戸田を訪れる

田方郡戸田村(へだむら)は2005年(平成17年)に沼津市編入された自治体。沼津市中心市街地からの直線距離は約16kmであり、地図上では駿河湾岸に沿って車を走らせれば着きそうですが、基本的には峠越えが必要です。北側、西側、東側のどこからアクセスするにしてもカーブの多い山道を走る必要があり、沼津市民が「陸の孤島」と呼ぶのも納得でした。

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(写真静岡県における沼津市戸田地区の位置。©OpenStreetMap contribitors

 

戸田地区を流れる戸田大川は下流部で三角形の平地を形成し、この平地に戸田市街地が形成されています。戸田漁港の正面には砂州の御浜岬が延びているため湾口が狭く、戸田湾は波もなく穏やかに見えました。戸田地区は観光業の町であり、戸田漁港周辺は釣り客でにぎわい、食堂は水槽から逃げようとするタカアシガニでにぎわっていました。

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(写真)戸田地区の施設。国土地理院 地理院地図

 

1.1 戸田漁港周辺

沼津市戸田で最も人が集まっているのは「戸田三差路」交差点の正面の戸田漁港周辺でした。漁港には釣り客が多く、商店や食堂もあるので釣り客以外の観光客もいます。戸田湾は波が穏やかであり、「戸田三差路」近くの護岸には5トン以下の小規模漁船が、護岸から離れた湾内にはやや大きな漁船が停泊していました。戸田大川より北側には長さ40-60mある大規模漁船も停泊しており、これらがタカアシガニ漁に用いられるようです。

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(写真)戸田漁港。

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 (写真)戸田漁港と戸田湾。「戸田三差路」近く。正面は御浜岬。

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(写真)戸田漁港。戸田大川の北側。カニ漁船。(右)大型探索運搬船の第16大師丸。電気推進式の珍しい巻き網船とのこと。

 

1.2 御浜岬周辺

戸田漁港の正面にある御浜岬は砂浜が長く伸びた砂嘴です。京都府北部の天橋立には松並木が広がっていますが、御浜岬は静岡県指定天然記念物に指定されているイヌマキの群生が特徴です。庭木としてよく見かけるイヌマキが松のように高く伸びている景色には目を見張ります。御浜岬には部田神社と対をなす諸口神社があり、社殿は2.3km先の部田神社と向き合っているようです。

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(左)御浜岬のイヌマキ群生地。静岡県指定天然記念物。(右)御浜岬にある諸口神社。

 

沼津市戸田造船郷土資料博物館 - Wikipediaは1969年(昭和44年)に戸田村立造船郷土資料博物館として開館した博物館。昭和40年代に村立の博物館を建てることは異例だったと思われますが、開館時にソビエト連邦政府からの500万円の寄付を受けているところも異例です。

1987年(昭和62年)には隣接地に駿河湾深海生物館(ミュゼ ヘダビス)が併設され、2017年(平成29年)には深海生物好きとして知られる(らしい)ココリコの田中直樹らが監修してリニューアルオープンしています。

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(写真)沼津市戸田造船郷土資料博物館。

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 (写真)駿河湾深海生物館。(右)タカアシガニの標本。

 

1.3 旧銭湯屋通り周辺

戸田観光の起点になるのは静岡県道17号と静岡県道18号が交わる「戸田三差路」交差点です。戸田三差路のすぐ南側には廃業したホテル魚梅があり、県道をまたいでいる渡り廊下は嫌でも目につきます。ホテル魚梅は廃業してから長いようであり、この町の一等地が活用されずにいるのは気になります。

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(写真)「戸田三差路」周辺。(右)ホテル魚梅の廃墟。

 

戸田三差路の北東側にはカーブした路地があり、カラー舗装された路地にはカラーマンホールもありました。「旧銭湯屋通り」と書かれた看板には、「昭和30年代、茶碗屋・写真屋・雑貨屋・洋館アパートもあり賑わっていった」と書かれており、戦後には商店街だったようです。

旧銭湯屋通りの北端から入江を渡った場所には緒明児童遊園地がありました。この場所は緒明家(おあきけ)の発祥の地だそうです。緒明菊三郎(1845年-1909年)は海運業で知られる実業家、菊三郎の娘婿である緒明圭造(1867年-1938年)は東京横浜電鉄の取締役で三島駅前の楽寿園を所有していた人物だそうですが、いずれもWikipediaには記事がありません。

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(写真)マンホール。戸田湾、ヘダ号、スカシユリタカアシガニ、御浜岬、諸口神社、富士山。

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(写真)旧銭湯屋通り。

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(写真)戸田市街地の北側。国土地理院 地理院地図

 

1.4 プチャーチンロード周辺

旧銭湯屋通りにあった商店街から南下して静岡県道18号を越えると、沼津市役所戸田支所(旧戸田村役場)・沼津市立戸田小学校・沼津市立戸田中学校・沼津市立戸田図書館・戸田漁業協同組合・三島信用金庫戸田支店などの公共施設が集まっているエリアがあります。

さらに南下して道龍川を越えると、旧銭湯屋通りと同じように戦後に商店街として栄えていたと思われる通りがありました。漁港側から海竹山竹ストア、ギフトショップ中島屋、佐藤商店、高田精肉店、化粧品店 よこすかや、和洋菓子舗 兎月と商店が続いており、この並びの一角に映画館「菊栄劇場」もありました。

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(写真)商店街周辺。(左)左は化粧品店 よこすかや、右は和洋菓子舗 兎月。左前の3階建てビルの手前に菊栄劇場があった。(右)左は高田精肉店、右は廃業したさかや。

 

この通りから分岐する路地を南下すると、突き当たりにはなまこ壁が目立つ勝呂家住宅(勝呂弥三兵衛屋敷)があります。勝呂家(すぐろけ)は戸田村の名主を務めていた家であり、文庫蔵は1810年(文化7年)、主屋は1884年明治17年)、隠居は1910年(明治44年)の建築だそうです。2014年(平成26年)には主屋・文庫蔵・隠居が戸田認定地域文化遺産の第1号に選定されており、文化庁のプレートが輝いていました。

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(写真)勝呂家住宅(勝呂弥三兵衛屋敷)。

 

商店街を東に向かうと、突き当たりには宝泉寺があります。安政元年(1854年)から安政2年(1855年)にはロシア使節プチャーチン提督が宝泉寺を宿舎とし、「プチャーチン宿所」として静岡県指定史跡に指定されています。境内には戸田で病死した2人の水兵を弔った「露国水兵の墓」もありました。

なお、沼津市はこの付近の道路をプチャーチンロードと名付けて観光振興を行っていますが、どの道路のどこまでの範囲がプチャーチンロードなのかはぐぐってもわかりません。毎年夏には「プチャーチンロードパレード」という催しもあり、モスクワのアトリエに依頼した衣装を在日ロシア人が着て行進するという本格的なもの。

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(写真)宝泉寺。静岡県指定史跡「プチャーチン宿所」。(右)「露国水平の墓」。

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(写真)戸田市街地の南側。国土地理院 地理院地図

 

1.5 部田神社周辺

戸田三差路から静岡県道18号を900m山側に進むと、2015年(平成27年)に開業した道の駅くるら戸田がありました。駐車場には昼も夜もキャンピングカーが多数駐車していましたが、数日間泊まって楽しむ釣り客でしょうか。

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(写真)道の駅くるら戸田。

 

道の駅くるら戸田から県道18号をさらに500m進むと、戸田村全体の氏神である部田神社 - Wikipedia(へだじんじゃ)がありました。部田神社は式内社かつ旧郷社であり、境内はそれほど広くないものの、社殿の背後には沼津市指定天然記念物の「部田神社のコブ付大クス」などがあります。

今でこそ境内周辺にも住宅や民宿が建ち並んでいますが、かつては戸田市街地から1.5km近く離れていました。戸田に7軒ほどある寺院はいずれも山裾にありますが、部田神社は平地の中央部にあるのも奇妙な感じです。戸田の平地は東から西に傾斜して駿河湾に落ちるため、社殿は南向きではなく西向きに建てられています。

自由に立ち入ることのできる社殿には、1819年(文政2年)奉納の「花鳥之図」、1889年(明治13年)に描かれた「戸田消防団い組出初式」と、2枚の絵馬がありました。この2枚は戸田村指定有形文化財でしたが、戸田村沼津市に合併する際には指定を受けなかったようであり、沼津市指定文化財一覧には掲載されていません。

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(写真)部田神社。(右)「部田神社のコブ付大クス」。沼津市指定天然記念物。

 

2. 沼津市戸田の映画館

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(写真)現在の戸田市街地における映画館跡地の場所。国土地理院 地理院地図

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(写真)1960年代の戸田市街地における映画館の場所。国土地理院 地理院地図


2.1 菊栄劇場(-1960年代中頃)

所在地 : 静岡県田方郡戸田村547(1960年)、静岡県田方郡戸田村戸田(1963年)
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年の映画館名簿では「菊栄劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

戸田で泊まった民宿のおかみ(70代?)に映画館「菊栄劇場」について聞いたところ、「海竹山竹ストアから東に入った通り沿い、正面にさかやと書かれた建物の前あたりにあったのでは」とのことでした。下の写真では水色の建物の場所ですが、当時の映画館にしては敷地が小さいのが気になりました。

水色の建物の南側の民家に住んでいる女性(80代?)に聞いたところ、やはりこの水色の建物の場所で間違いないようです。しかし、「西側と南側に隣接する建物にも敷地がかかっており、広い映画館の敷地が分割されて現在の建物が建った」とのことでした。この話には納得です。

水色の建物の壁面には「すずき」という文字が確認でき、Yahoo! 地図では「民宿すずき」と表示されますが、民宿として営業しているようには見えませんでした。

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(写真)中央左の水色の建物が菊栄劇場跡地。中央の3階建てビルは高田精肉店など。右はさかや。

 

2.2 戸田文化劇場(1947年-1980年代前半)

所在地 : 静岡県田方郡戸田村279(1976年)、静岡県田方郡戸田村879(1980年)
開館年 : 1947年12月
閉館年 : 1980年以後1982年以前
『全国映画館総覧1955』によると1947年12月開館。1953年の映画館名簿では「文化劇場」。1955年・1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「戸田文化劇場」。1969年の映画館名簿では「戸田文化」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。1976年・1980年の映画館名簿では「戸田劇場」。1973年・1981年のゼンリン住宅地図では879ではなく897の位置に「文化会館」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「沼津市立戸田中学校」の北東すぐの民家。

戸田村100年』(戸田村村制施行100周年記念行事実行委員、1989年)によると戸田文化劇場の開館は1947年1月、『全国映画館総覧1955』によると戸田文化劇場の開館は1947年12月。開館月が食い違っている理由はわかりません。

戸田文化劇場は1980年代初頭まで営業しており、静岡県立中央図書館に所蔵されている1970年のゼンリン住宅地図で場所を確認することができました。沼津市立戸田中学校の敷地から静岡県道18を挟んで北東すぐの場所です。

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(写真)戸田文化会館の開館に言及している『戸田村100年』戸田村村制施行100周年記念行事実行委員、1989年。

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(地図)1970年のゼンリン住宅地図。右端に文化会館。

 

民宿のおかみに確認したところ、「戸田中学校の北東、現在は駐車場になっている場所」にあったとのことで、下の写真に見える駐車場の場所にあったようです。1960年代の航空写真を見ると、戸田市街地の東端にあったことがわかります。

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(写真)戸田文化劇場の跡地。(左)左の駐車場が映画館跡地。(右)静岡県道18号。右の駐車場が映画館跡地。左端は沼津市立戸田中学校。

 

沼津市戸田の映画館について調べたことは「沼津市の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(静岡県版)」にマッピングしています。

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