振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

長岡市立互尊文庫を訪れる

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(写真)新潟市立互尊文庫。

2020年(令和2年)2月、新潟県長岡市を訪れました。図書館の分館である長岡市立互尊文庫、映画館「長岡観光会館」跡地などをめぐりました。

 

1. 長岡市を訪れる

長岡市新潟県中越地方にある人口約27万人の自治体。中越地方の中心都市であり、人口37万人の長岡都市圏を形成しています。都市雇用圏の範囲は長岡市小千谷市見附市出雲崎町の3市1町のみで、中越地方の他都市(十日町市魚沼市南魚沼市柏崎市)は含まれません。新潟市を中心都市とする下越地方や、上越市を中心都市とする上越地方と比べると、中越地方における長岡市の拠点性は低いのでしょうか。

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(地図)新潟県における長岡市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

中越地方ということで積雪を期待していましたが、今冬の降雪量は記録的な少なさであり、日陰に溶け残った雪がみられる程度でした。このため雪や寒さなどを気にすることなく、朝早くから中心市街地を歩くことができました。

1945年(昭和20年)の長岡空襲で市街地の大半が焼失した長岡市は、10年後の1955年(昭和30年)にはもう区画整理事業の完工式を迎えたようです。市街地に公園は少ないものの、この時に道路がよく整備されました。長岡駅の正面には幅員36mの大手通りが伸びており、大手通りや幅員30mのスズラン通り/セントラル通りも含めてアーケードが長く伸びています。これらのアーケード通りは歩道部分が広いし、片持ち式にしては天井が高く、「(雪国)新潟県の主要都市に来た」という高揚感がありました。

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(写真)長岡市街地中心部のアーケード。

 

大手通り

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(写真)長岡駅前の「大手通り」交差点。正面が長岡駅

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(写真)長岡駅前の「大手通り」交差点。正面が長岡駅

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(写真)大手通り

 

スズラン通り・セントラル通り

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(写真)スズラン通り。 

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(写真)セントラル通り。

 

2. 長岡市立互尊文庫

長岡市中心市街地から徒歩5分ほどの場所には、長岡市立図書館の分館である長岡市立互尊文庫があります。今回の旅行では長岡市立中央図書館は訪れておらず、互尊文庫で長岡市の映画館についての調査を行いました。

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(写真)1967年竣工の3代目長岡市立互尊文庫。

 

2.1 互尊文庫の歴史

1918年(大正7年)、長岡市初の公共図書館として初代互尊文庫が開館しました。図書館の創設者である野本恭八郎(野本互尊)の名前が冠されており、建物前には野本恭八郎の銅像も建てられています。1945年(昭和20年)の長岡空襲で蔵書の大半を焼失し、戦後には2代目互尊文庫が建てられました。

1967年(昭和42年)には現行館となる3代目互尊文庫が竣工し、長らく長岡市立図書館の本館として使用されました。1987年(昭和62年)には郊外に長岡市立中央図書館が開館し、互尊文庫は分館という位置づけに替わりました。合併で周辺自治体を吸収した長岡市には8図書館1分室がありますが、延床面積では中央図書館に次いで2番目、利用者数では中央図書館・西地域図書館・北地域図書館・南地域図書館に次いで5番目です。

築50年を越える互尊文庫は耐震性に問題があることから、250m南の「大手通坂之上町地区市街地再開発事業」(仮称)で整備される「米百俵プレイス」(仮称)にその機能を継承することが計画されています。2021年度までは現行館で開館し、2022年度に現行館が閉館、2023年度に「米百俵プレイス」の西館が開館する予定です。「米百俵プレイス」は交流機能を重視した "まちなか図書館" であり、現在の互尊文庫とはまったく印象が異なりますが、なぜだか名称が引き継がれるようです。

参考 : 「長岡市まちなか図書館施設更新計画長岡市、2018年3月

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(写真)1918年の初代長岡市立互尊文庫。

 

2.2 新潟県有数の古さの図書館施設

3代目互尊文庫は1967年(昭和42年)竣工であり、現役の図書館施設としては新潟県でも有数の古さだと思われます。

愛知県内の現役の図書館施設としては、豊橋市向山図書館(1967年、開館当時は中央館)、名古屋市千種図書館(1968年)、蒲郡市立図書館(1969年)、常滑市立図書館(1970年)、刈谷市城町図書館(1970年、開館当時は中央館)、瀬戸市立図書館(1970年)などが古い図書館に挙げられます。1967年竣工の3代目互尊文庫より確実に古い施設は存在しません。竣工当初は中央館だったものの、やがて分館に役割を変えた点は、豊橋市向山図書館や刈谷市城町図書館と同じです。

互尊文庫の外観や1階部分の構造には古さを感じますが、2階や3階に上がるとその印象が覆されます。書架がぎっちり並んだ空間は1階のみであり、2階はゆったりとしたブラウジングスペースが死守されています。3階には1967年(昭和42年)当時としては珍しかった学習室がありますが、ほぼ3面がガラス窓であり、明るく開放的な空間で学習ができます。とても新鮮で鮮烈な印象を受け、閉館後も何らかの形で建物が保存されることを期待しています。

互尊文庫のフロア案内

1階 一般貸出開架室、児童コーナー
2階 軽読書室、新聞雑誌コーナー、文書資料室
3階 学習室、郷土史交流室

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(左)階段。(右)2階の軽読書室。

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(写真)3階の学習室。なお、図書館に館内の撮影可否は尋ねていません。ごめんなさい。

 

2.3 個人名を冠した図書館施設

長岡市立互尊文庫には野本恭八郎(野本互尊)の名前が冠されています。新潟県の図書館としては類例がないと思われます。

愛知県内で個人名が冠された図書館施設としては、建設費を寄付した杉野繁一の名を冠した佐屋町立杉野図書館(1966年-1994年)、敷地を寄付した豊島半七の名を冠した一宮市立豊島図書館(1966年-2013年)があります。静岡県には鈴木忠治郎の名を冠した裾野市立鈴木図書館(初代1968年-1994年、2代目1994年-現在)があります。これらの3館や互尊文庫は、いずれも1960年代後半に竣工した図書館です。1960年代以前は単独施設の公共図書館は珍しく、寄付者の名を冠するのが流行のひとつだったのかもしれません。

2023年度(令和5年度)に開館予定の「米百俵プレイス」には、互尊文庫という名前の "まちなか図書館" が設置される予定です。4代続けて個人名が冠される図書館は全国的に見ても稀なのではないかと思います。

 

Wikipedia記事「佐屋町立杉野図書館」「豊島半七」は私が作成した記事であり、「一宮市立豊島図書館」は私が加筆した記事です。「鈴木忠治郎」と「裾野市立鈴木図書館」は裾野市で開催されたウィキペディアタウンで作成された記事です。歴史ある図書館やその貢献者については関心のある方が少なからずいると思われますが、Wikipediaにはまだ「野本恭八郎(野本互尊)」や「長岡市立互尊文庫」の記事はありません。今後の作成が期待されます。

参考:杉野繁一 - Wikipedia佐屋町立杉野図書館 - Wikipedia

参考:豊島半七 (四代目) - Wikipedia一宮市立豊島図書館 - Wikipedia

参考:鈴木忠治郎 - Wikipedia裾野市立鈴木図書館 - Wikipedia

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(左)長岡市立互尊文庫の入口。(右)野本互尊(野本恭八郎)の銅像。雪対策なのかコロナウイルス対策(!?)なのか、銅像部分がビニール袋でぐるぐる巻き。

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(写真)郷土資料は軒並み内容細目が入力されてて素晴らしい長岡市立図書館のOPAC