振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

豊田市の映画館

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(写真)イオンシネマ豊田KiTARAが入るKiTARA

2020年(令和2年)1月、愛知県豊田市中心市街地を訪れました。現在の中心市街地唯一の映画館「イオンシネマ豊田KiTARA」や、かつて中心市街地に存在した映画館「挙母劇場」「アート座」「昭和劇場」の跡地などをめぐっています。「 豊田市を訪れる」の続きです。

ayc.hatenablog.com

 

1. 豊田市の映画館

現在の豊田市にはシネコンイオンシネマ豊田KiTARA」(2017年-)があります。かつての豊田市中心市街地には、「挙母劇場」「アート座」「昭和劇場」と3館の映画館がありました。

郊外にも目を向けると「トヨタグランド」(1977年-2019年)、「ジャスコファミリーシアター高橋」(1988年-2000年)、「豊田コロナシネマ」(1992年-1999年頃)、「猿投劇場」(-1960年代中頃)、「上伊保劇場」(-1960年代中頃)、「上野劇場」(-1964年)、「弁天座」(1913年-1963年)、「若林座」(1933年-1959年)があり、2005年(平成17年)に編入した地域にも多数の映画館がありましたが、別ページで紹介することとします。

 

1.1 昭和劇場(1913年-1960年代中頃)

所在地 : 愛知県豊田市久保町4-1(1963年)
開館年 : 1913年(大正座開館)、1921年10月(昭和劇場開館)、1938年(昭和劇場建て替え)
閉館年 : 1963年以後1966年以前
Wikipedia昭和劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1921年10月設立。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「昭和劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年のアイゼン住宅地図では跡地に空き地。跡地は「竹生町山車蔵」など。

1913年(大正2年)に劇場の大正座として開館し、1938年(昭和13年)の新築時に昭和劇場に改称しました。1951年(昭和26年)の挙母市制施行当時にあった映画館は挙母劇場と昭和劇場の2館のみ。当時の市街地の北側にあり、北部郊外の町村からも観客を集めていたというのは納得です。

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(写真)1950年の昭和劇場。『株式会社アート座のあゆみ』アート座、1996年。パブリック・ドメイン(PD)。

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(写真)アート座と挙母劇場と昭和劇場が描かれている地図。『挙母市全図』挙母市、刊行年不明。

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(写真)市街地に3館があった時代の挙母市勢要覧。『ころも 市勢要覧1958』挙母市、1958年。

 

跡地は竹生町山車蔵・東区区民会館・民家・駐車場の用地になっており、映画館の建物の大きさに驚きます。竹生町(たきょうちょう)の山車蔵は挙母神社の祭礼である挙母祭りで用いられる山車の保管庫です。

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(写真)昭和劇場跡地にある竹生町山車蔵。

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(写真)1950年の写真と同じ向きから見た昭和劇場跡地。

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(左)新旧の竹生町山車蔵。左手前が旧蔵。(右)児ノ口公園の一角にある児ノ口社。

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(写真)竹生通りの「竹生町4丁目」交差点。

 

2.2 アート座(1951年-1991年)

所在地 : 愛知県豊田市喜多町2-36(1990年)
開館年 : 1951年10月
閉館年 : 1991年
Wikipediaアート座
『全国映画館総覧 1955』によると1951年10月設立。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「アート座」。1968年のアイゼン住宅地図では「アート座劇場」。1966年・1969年・1976年・1980年・1985年・1990年・1992年の映画館名簿では「豊田アート座」。1993年・1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「KiTARAグリーン棟」。

昭和劇場と挙母劇場は戦前からの劇場であり、建物や設備の古さが難点だったようです。1951年(昭和26年)には豊田市初の本格的な映画専門館として、名鉄豊田市駅前の駅前通りにアート座が開館しました。当初は洋画を上映し、やがて洋画と日活作品を上映しています。

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(写真)1951年の開館当時のアート座。『株式会社アート座のあゆみ』アート座、1996年より。パブリック・ドメイン(PD)。

 

昭和劇場とアート座の経営者は川島五郎(本名は羽田俊、通称は川島親分)。川島五郎は瀬戸一家六代目総裁、瀬戸一家は山口組系二次団体の暴力団であり、要するにヤクザです。

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(写真)川島興行社が経営する2館が掲載された1960年の商工名鑑。『豊田市商工名鑑 1960』豊田市、1960年。

 

1971年(昭和46年)にはアート座とその隣接地に7階建ての長崎屋ビルが竣工し、1階から6階には百貨店の長崎屋豊田店が、7階にはアート座が入居しました。1991年(平成3年)には長崎屋豊田店が閉店し、1992年(平成4年)にはアート座も閉館しています。

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(写真)アート座が入っていた長崎屋ビル。『株式会社アート座のあゆみ』アート座、1996年。著作権は切れていません。

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(写真)アート座の館内。『株式会社アート座のあゆみ』アート座、1996年。著作権は切れていません。

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(地図)1990年のアート座周辺。右に長崎屋ビル(豊田中央ビル)。『ゼンリン住宅地図』ゼンリン、1990年。著作権は切れていません。

 

長崎屋ビルが取り壊されたのは2015年(平成27年)以後のことであり、跡地にはKiTARAのグリーン棟が建ちました。2017年(平成29年)にはKiTARAのブルー棟にイオンシネマ豊田KiTARAが開館しています。

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(写真)アート座があった長崎屋豊田店跡地にある豊田KiTARAグリーン棟。

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(左)豊田KiTARAのグリーン棟とイエロー棟の1階部分。右奥に喜多神社が見える。(右)豊田KiTARAの敷地の一角にある喜多神社。背後は挙母まつりの際に使用される喜多町の山車蔵。 


2.3 挙母劇場(1882年-1991年)

所在地 : 愛知県豊田市神明町2-9(1990年)
開館年 : 1882年(祝栄座)、1934年(挙母劇場)、1975年(ビル化)
閉館年 : 1991年10月21日
Wikipedia挙母劇場
『全国映画館総覧 1955』によると1904年5月設立。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1976年・1980年の映画館名簿では「挙母劇場」。1968年・1971年のアイゼン住宅地図では「挙母劇場」。1982年・1985年の映画館名簿では「コロモ劇場・コロモシネマ」(2館)。1990年・1992年の映画館名簿では「コロモ劇場1・2・3」(3館)。1993年・1995年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズシティ豊田東棟」。

1882年(明治15年)には豊田最古の劇場である祝栄座が開館し、1934年(昭和9年)に挙母劇場に改称しています。豊田市郷土資料館の敷地内には、和風建築時代の建物に使用されていた鬼瓦が展示されています。

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(写真)1951年の挙母劇場。「明治・大正・昭和・平成 まちなかの変遷豊田市近代の産業とくらし発見館より。パブリック・ドメイン(PD)。

 

妻入りの和風建築で100年近く営業した後、1975年(昭和50年)に鉄筋コンクリート造3階建手のビルに建て替えています。1980年代にはまず2スクリーン体制に、次いで3スクリーン体制になり、1991年(平成3年)10月21日に閉館しています。

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(地図)1990年の挙母劇場周辺。中央。『ゼンリン住宅地図』ゼンリン、1990年。

 

1996年(平成8年)には挙母劇場の跡地にマンションのライオンズシティ豊田東棟が竣工しました。神明通りに往時の賑わいは感じられませんが、マンションの前には挙母劇場時代からあったと思われる常夜灯が建っています。

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(写真)挙母劇場跡地のマンション「ライオンズシティ豊田東棟」。

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(左)ライオンズシティ豊田東棟の手前にある常夜灯。(右)ライオンズシティ豊田東棟が面する神明通り。

 

豊田市中心市街地では最後まで営業していたとされる映画館ですが、閉館時期が1994年(平成6年)とされることもあり、1991年(平成3年)10月21日の閉館後に再び営業していた可能性もあります。

新聞以外の文献では1975年(昭和50年)のビル化後の画像を確認できません。豊田市中央図書館に対して挙母劇場に関するレファレンスを行ったところ、豊田市郷土資料館や豊田市近代の産業とくらし発見館でさえもビル化後の写真は持っていないとのことでした。閉館を報じる『新三河タイムス』の写真は貴重なのかもしれません。

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(写真)1988年のコロモ劇場・コロモシネマ。「駅東商店街 迫る危機感 サウナ、映画館、飲食店、駐車場を併設 都心夜の活性化を」『新三河タイムス』1988年7月24日より。著作権は切れていません。

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(写真)1991年のコロモ劇場・コロモシネマ。「挙母劇場消える娯楽の殿堂 73年の歴史閉じる」『新三河タイムス』1991年10月31日。著作権は切れていません。

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(写真)挙母劇場の閉館を報じる新聞記事。「挙母劇場消える娯楽の殿堂 73年の歴史閉じる」『新三河タイムス』1991年10月31日。著作権は切れていません。

 

三河山鍬次郎

挙母劇場の経営者は三河山鍬次郎(倉知鍬次郎)であり、相撲取りだった三河山鍬次郎自身が木戸に座っていたとのこと。1932年(昭和7年)9月の第8回挙母町議会議員選挙と1936年(昭和11年)9月の第9回選挙で町議会議員に当選しています。死去を報じる1953年(昭和28年)7月26日の『加茂時報』記事によると "総理大臣からも弔花があった" とのことですが本当でしょうか。毘森公園には1954年(昭和29年)に建立された「三河山鍬次郎翁之像」があります。三河山鍬次郎の死去後には倉知功が引き継いでいます。

 

三河山鍬次郎翁之像」碑文の概要

1868年(明治元年)6月、挙母町の大澤鍬次郎として生まれ、19歳の時に倉知家の養嗣子となった。挙母町議会議員、日本相撲協会目代(地方における貢献者)などを務めた挙母町の名士であり、1953年(昭和28年)7月18日に死去した。

 

三河山鍬次郎翁之像」碑文

建立之辞

日本相撲協会目代三河山鍬次郎翁は明治元年六月挙母の里小坂大澤栄吉氏の三男に生れ天資壮快剛毅果断温情に富む十九才の時倉知家の養嗣子となり挙母藩無外一刀流海老名三平氏の門に入り武芸を磨き技能衆に英づ長ずるに及び社会正義観強く公私の別を明かにし行を慎しみ後進の戒めとし悪には善を以て導き弱は之を扶け質実剛健な気風馴致と国民体位向上の為に相撲道を奨励する傍ら社会文化の向上を志し堅実な興行を家業とし推されて町会議員となり永年間地方自治の発展教育の改善民生安定朝に夕に敬神崇祖の念を昂揚し思想善導に勉むる等其の功績偉大であつた昭和二十八年七月十八日齢八十八才にして病に斃る闔郷皆感恩し其の徳を慕い像を建て翁の遺徳を讃仰顕彰し微文を叙し謝意を表す

昭和二十九年八月 発起人代表 倉知桂太郎


2.4 イオンシネマ豊田KiTARA(2017年-)

所在地 : 愛知県豊田市喜多町2丁目170番地(2018年)
開館年 : 2017年11月25日
閉館年 : 営業中
2015年・2017年の映画館名簿には掲載されていない。2018年の映画館名簿では「イオンシネマ豊田KiTARA 1-9」(9館)。

2017年(平成29年)にはKiTARAのブルー棟にイオンシネマ豊田KiTARAが開館し、挙母劇場の閉館から25年を経て中心市街地に映画館が復活しました。名鉄豊田市駅から徒歩3分の好立地であり、豊田市中央図書館がある参合館のはす向かいにあります。イオンシネマ豊田KiTARAに観客を奪われたためか、2019年(平成31年)には郊外のトヨタグランドがひっそりと閉館しました。

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(写真)イオンシネマ豊田KiTARAのロビー。

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(左・右)イオンシネマ豊田KiTARAの座席。
 

豊田市の映画館について調べたことは「豊田市の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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