振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

小千谷市の映画館

f:id:AyC:20200218202411j:plain
(写真)小千谷市役所。

2020年(令和2年)2月、新潟県小千谷市を訪れました。かつて小千谷市には映画館「明治座」「中央映画劇場」「小千谷東劇」がありました。

 

1. 小千谷市を訪れる

小千谷市(おぢやし)は新潟県中越地方にある人口約4万人の町。中越地方の中心都市である長岡市の南側にあり、豪雪地帯として知られる魚沼地方に含まれます。

前日に車で本町通りを通った際、アーケードの長さや統一感が印象に残り、朝の時間帯に歩くことにしました。例年であれば市街地にも積雪があるそうですが、暖冬の今年は日陰にわずかに雪がみられる程度でした。

f:id:AyC:20200218224511p:plain

(地図)新潟県における小千谷市の位置。©OpenStreetMap contributors

f:id:AyC:20200218224151p:plain

(地図)小千谷市街地の色別標高図。地理院地図

 

1.1 本町通り・錦鯉の里 

小千谷市街地の中央を国道291号が通っており、市街地中心部では本町通りと呼ばれます。本町 (小千谷市) - Wikipediaによると町名としての本町は「ほんちょう」と読むそうですが、通りの読み方も「ほんちょうどおり」なのだろうか。

1960年代の航空写真を見ると、すでに現在と同じ場所に国道が整備されているようです。アーケードが雁木(がんぎ)から鉄骨に替えられたのは1972年(昭和47年)から1973年(昭和48年)のことで、1999年(平成11年)には再び建て替えられたようです。

道沿いの建物がそれほど高くないこと、道幅が広いこと、交通量が多くないことなどが理由で、小千谷市街地の街並みには安心感・安定感を感じます。なお、今回の中越旅行では長岡市街地、小千谷市街地、魚沼市小出市街地のアーケードを見ています。

f:id:AyC:20200218203014j:plain

(写真)小千谷市街地の中心点と言える、国道291号「本町2丁目」交差点。

 

本町通りの北側には茶郷川が流れています。Google mapで見た限りでは用水路程度の河川に見えましたが、実際には豊かな水量を持つ河川であり、流域面積は32km2もあるようです。Google mapではわかりづらいものの、本町通りと茶郷川の間には10mの高低差があり、小千谷市が "坂の町" であることを実感しました。

f:id:AyC:20200218191059j:plainf:id:AyC:20200218191105j:plain

(左)本町通りのアーケード。(右)本町通りと並行して流れる茶郷川

 

郷川のすぐ北側には、小千谷市地場産業である錦鯉に関する展示を行う「錦鯉の里」があります。9時の開館直後に入館しましたが、興奮しながら英語でしゃべっている外国人グループがおり、外国における錦鯉の人気の高さをうかがい知れました。

f:id:AyC:20200218191147j:plainf:id:AyC:20200218191134j:plain

(左)錦鯉の里の入口。(右)錦鯉の里の館内。

f:id:AyC:20200218191203j:plainf:id:AyC:20200218191216j:plain

(写真)錦鯉の里の屋内鑑賞池。

 

1.2 小千谷市立図書館

小千谷市街地の南西には寺町通りがあり、その名の通り寺院が集まっています。寺町通りの先には小千谷市小千谷小学校・小千谷市民会館・小千谷市立図書館がありました。

小千谷市立図書館は1978年(昭和53年)の開館から42年が経過しており、施設面の古さは否めません。「本町2丁目」交差点のすぐ南東では2017年(平成29年)閉院の旧小千谷総合病院を取り壊し中であり、跡地には図書館を核とする複合施設を建設する方針が示されています。

参考:「旧小千谷総合病院跡地整備事業要求水準書(案)小千谷市、2019年3月

f:id:AyC:20200218203043j:plain

(写真)寺町通り。左端は遠藤書店。

f:id:AyC:20200218191359j:plainf:id:AyC:20200218191411j:plain

(左)慈眼寺山門。登録有形文化財。(右)明石堂。小千谷市指定有形文化財

f:id:AyC:20200218192252j:plain

(写真)小千谷市立図書館。

 

1.3 船岡公園東側

前日に魚沼地方を案内してもらった友人には、「魚沼地方は積雪が多すぎるために古い街並みが残りにくい」という話を聞きました。魚沼市には目黒邸と佐藤家という複数の重要文化財建造物があるものの、魚沼市南魚沼市登録有形文化財の建物は少ないです。ただし、小千谷市は魚沼地方の中ではもっとも北に位置するせいか、市街地にいくつもの登録有形文化財があるほか、比較的古い町並みが残されているように思えました。

f:id:AyC:20200218191521j:plainf:id:AyC:20200218191529j:plain

(写真)船岡公園東側の通り。

f:id:AyC:20200218191538j:plainf:id:AyC:20200218191543j:plain

(写真)割烹東忠。(左)中央に本館、左奥に上の蔵。いずれも登録有形文化財。(右)左に本館、右に別館。いずれも登録有形文化財。本館は江戸末期の2階建建築に3階部分を増築したもの。

 

2. 小千谷市の映画館

かつて小千谷市には3館の映画館がありました。「明治座」と「中央映画劇場」は信濃川より西の西小千谷地区に、「小千谷東劇」は信濃川より東の東小千谷地区にありました。なお、図書館で調査する前にGoogle検索しただけでは、館数も名称も所在地も判然としませんでした。

1985年(昭和60年)に「明治座」が閉館したことで、小千谷市から映画館が消滅しています。長岡市の「長岡観光会館」(-1990年)、十日町市の「十日町松竹」(-2004年)、北魚沼郡小出町の「柳生館」(-2003年頃)など、周辺市町に最後まで残った従来型映画館と比べると早い時期の閉館に思えます。

f:id:AyC:20200217150419p:plain

(写真)1960年代の航空写真における映画館跡地。国土地理院 地理院地図

f:id:AyC:20200217150423p:plain

(地図)現在の地形図における映画館跡地。国土地理院 地理院地図

 

2.1 小千谷東劇(1926年-1964年頃)

所在地 : 新潟県小千谷市東大通り(1964年)
開館年 : 1926年
閉館年 : 1964年頃
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「銀世界館」。1960年の映画館名簿では「小千谷東劇」。1963年・1964年の映画館名簿では「小千谷東映」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。

小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)と『写真アルバム 魚沼の昭和』 (いき出版、2013年)に写真あり。「銀世界」という別名があったようで、1950年代の映画館名簿では「銀世界館」として掲載されています。映画監督の湯浅浪男 - Wikipediaが若い頃に支配人を務めていた映画館です。

小千谷市にあった3館の中では唯一、東小地谷地区にあった映画館です。「国道291号の東栄2丁目交差点左手の空き地」にあったようで、『小千谷・北魚沼今昔写真帖』には跡地の写真も掲載されていますが、現在のどの場所なのか判然としません。

 

2.2 中央映画劇場(1952年-1965年)

所在地 : 新潟県小千谷市住吉町(1966年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1966年の映画館名簿では「小千谷中央映画劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「コーポたかの」。

『目で見る十日町小千谷・魚沼の100年』(郷土出版社、1992年)、『小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)、『写真アルバム 魚沼の昭和』 (いき出版、2013年)に写真あり。

小千谷市街地の中心といえる国道291号本町2丁目交差点から南に80m、現在の「コーポたかの」の場所にあったのが「中央映画劇場」です。名前からすると「コーポたかの」はアパートに思えますが、外観を見る限りではアパートには見えず、オフィスビルとも違うような奇妙なビルでした。周辺には住吉地区飲食店街が形成されており、へぎそば屋「わたや本店」、寿司屋「美乃和寿司」、ラーメン屋「マサル」、バー「ZUNZUN」、スナック「繁美」「ニューみれん」「琥珀」などが軒を連ねています。

f:id:AyC:20200218191615j:plain

(写真)中央映画劇場跡地のコーポたかの。

f:id:AyC:20200218191624j:plainf:id:AyC:20200218191630j:plain

(左)北から見たコーポたかの。(右)南から見たコーポたかの。奥は「本町2丁目」交差点。


2.3 明治座(1922年-1985年)

所在地 : 新潟県小千谷市孫八町127(1985年)
開館年 : 1922年
閉館年 : 1985年8月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が記載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1934年・1936年・1941年の映画館名簿では「明治座」。1943年・1947年・1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「明治座」。1960年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「小千谷明治座」。1990年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「いろは寿司」北側の駐車場。

『目で見る十日町小千谷・魚沼の100年』(郷土出版社、1992年)と『小千谷・北魚沼今昔写真帖』(郷土出版社、2001年)に掲載されています。

この地点は1874年(明治7年)に小千谷町初の法人が設立された場所でもあるようです。明治時代にあった劇場「茂松座」が前身であり、1922年(大正11年)には同一地点に新築されたのが明治座です。戦後には椅子席になりましたが、1985年(昭和60年)の閉館までずっと同じ建物だったようです。

小千谷市街地の中心といえる国道291号「本町2丁目」交差点から北に120mの場所にあり、現在は駐車場になっています。北側には茶郷川が流れており、跡地の駐車場からは茶郷川越しに錦鯉の里や小千谷市総合産業会館サンプラザを見下ろすことができます。

周辺には小料理屋「馬木」、寿司屋「いろは寿司」、スナック「えいこ」がありますが、映画館が営業していた頃はもっと多くの飲食店があったことを想像できます。

f:id:AyC:20200218191711j:plainf:id:AyC:20200218191721j:plain

(左)明治座跡地の駐車場。中央右奥に錦鯉の里がある。崖の下には茶郷川が流れている。(右)明治座跡地前の路地。左はいろは寿司。右奥のスナックえいこの手前が明治座跡地。

 

f:id:AyC:20200218193519j:plain

(写真)よく倒れるロバ。2匹いる。

 

小千谷市の映画館について調べたことは「新潟県の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(新潟県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com