振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

東加茂郡稲武町の映画館

 

2019年9月、愛知県豊田市の旧東加茂郡域(旧足助町・旧稲武町・旧旭町)を訪れました。3町とも2005年(平成17年)に豊田市編入された自治体であり、3町それぞれにかつて映画館がありました。なお、稲武町は2003年(平成15年)まで東加茂郡ではなく北設楽郡に属していました。

稲武町の映画館について調べたことは「西三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の所在地については「消えた映画館の記憶地図(愛知県版) - Google My Maps」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

 

www.google.com

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 (地図)愛知県における旧足助町・旧稲武町・旧旭町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

 

1. 稲武町を訪れる

稲武町(稲武地区)は豊田市の北東端にある地区で、2003年(平成15年)に東加茂郡に転籍するまでは設楽町などと同じ北設楽郡に属していました。名鉄豊田市駅から稲武地区中心部までの距離は43km、車では国道153号を使って約1時間かかります。豊田市駅の標高は約35m、豊田市役所稲武支所の標高は約500m。稲武地区中心部は開けた盆地にあり、道の駅どんぐりの里には観光客がたくさんいるので、奥三河の寒村のイメージはありません。

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(写真)愛知県立田口高校稲武校舎付近から見た稲武市街地。

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(写真)稲武市街地を通る国道153号。長野県の根羽まで16km、飯田まで60km、塩尻まで143km。

 

1.1 稲橋地区を歩く

稲武町は1940年(昭和15年)に"稲"橋村と"武"節村が合併して発足した自治体。名倉川の東側が稲橋村、西側が武節村です。稲武町役場、稲武郵便局、稲武町立稲武小学校、愛知県立田口高校稲武校舎、稲橋神明神社瑞龍寺など、公共施設や寺社が集まっているのが稲橋地区、商家や劇場などを含めてにぎわう稲武商店街があるのが武節地区です。

おいでんバスの終着点であり、稲武町のまちあるきの起点となるのが豊田市役所稲武支所や豊田市稲武交流館。靴を脱いで上がる稲武交流館の館内には開放的な図書室があります。かつてこの場所には稲武町立稲橋小学校がありましたが、1982年(昭和57年)に稲橋小学校など3校1分校が統合され、250m北西に稲武町立稲武小学校が開校しています。

稲武支所や稲武交流館の南側にあるのは、本堂の前のシダレザクラが有名な瑞龍寺。今回は見かけませんでしたが、前回訪れた際には本堂の屋根にサルがいました。

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(左)豊田市役所稲武支所。(右)図書室がある豊田市稲武交流館。

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(写真)シダレザクラが愛知県指定天然記念物である瑞龍寺

 

稲武支所の北東側にある高台には、かつて愛知県立田口高等学校稲武校舎 - Wikipediaがありました。2007年度(平成19年度)末をもって閉校しましたが、現在も校舎・体育館・武道場の建物は残されており、雑草の奥には閉校記念碑が建っていました。

稲武町には大正時代に架けられたアーチ橋が5本も残っているそうで、稲橋地区と武節地区を隔てる旧稲武大橋は1926年(大正15年)竣工です。他の4本が鉄筋コンクリート造であるのに対して、旧稲武大橋は鉄骨造であり、赤い鉄骨を見るために河岸に下りたくなります。

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(写真)愛知県立田口高校稲武校舎跡地。

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(写真)旧稲武大橋。1926年竣工のアーチ橋。

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(写真)資料館の古橋懐古館。

 

1.2 武節地区を歩く

国道が交わる町だけあって、稲武商店街は現在でもそれなりの規模です。市指定文化財登録有形文化財の建物はありませんが、商店街が緩やかにカーブする部分にある「大和屋」という商家には目を見張ります。

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(写真)稲武商店街にある旧家「大和屋」。

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(左)稲武商店街。右の路地の先が稲武劇場跡地。(中)稲武商店街にある尾形誠意堂。(右)稲武商店街。右はつたや。

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(写真)道の駅にある稲武温泉どんぐりの湯。

2. 稲武町の映画館

2.1 大門座/稲武劇場(-1960年代初頭)

所在地 : 愛知県東加茂郡稲武町(1960年)
開館年 : 1959年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
「大門座」から「稲武劇場」に改称。1959年・1960年の映画館名簿では「稲武劇場」。1961年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1983年・1986年のゼンリン住宅地図では跡地に「駐車場」。現在の跡地は駐車場。稲武商店街にある「三江美容室」東側の路地を北に160m歩いた突き当り。

 

『映画年鑑 別冊 映画便覧 1960』には「稲武劇場」が掲載されていますが、愛知県図書館や豊田市中央図書館の郷土資料ではこの劇場の名前をいっさい確認できませんでした。『目で見る 稲武の歴史と文化』には「大門座」という劇場が登場します。稲武交流館図書室や稲武観光案内所を訪れ、大門座はどこにあったのか、稲武劇場と大門座が同一施設であるのかどうかを調べました。

 

まずは稲武交流館図書室で40代くらいの女性職員に聞いてみると、この方は稲武町にあった劇場/映画館のことを知りませんでしたが、『目で見る 稲武の歴史と文化』の著者である安藤泰さんに電話してくれました。在野の郷土史家である安藤泰さんは交流館で歴史講座を担当しているそうです。「稲武商店街にある『寿司と和食の店 つたや』の西側から北に延びる路地に入り、突き当たった場所にある駐車場」が大門座の跡地だそうです。安藤泰さんの話で大門座の場所はわかりましたが、大門座と稲武劇場の関係については判明しませんでした。

次に「 道の駅 どんぐりの里いなぶ」にあるいなぶ観光協会観光案内所を訪れ、30代-40代くらいの男性職員に聞いてみると、この方は「稲武町に映画館があったことは聞いたことがある」とのことでした。そこで大門座という名前を出してみると、"大モン" という小字の範囲を教えてくれました。

最後に稲武商店街を訪れ、大門座に近かったと思われるよろずや「尾形誠意堂」で70代くらいの主人に話を聞いてみました。「(尾形誠意堂の)すぐ東側から路地を北に入った突き当たり」が大門座の跡地だそうで、安藤泰さんの話とも一致します。さらに、「大門座はいつしか稲武劇場に改称した」とも話してくれ、稲武劇場と大門座が同一施設であることがわかりました。稲武劇場は1960年代初頭に閉館していますが、1970年代の航空写真にもまだ建物が写っていました。

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(写真)1970年代の稲武町中心部の航空写真。まだ稲武劇場の建物があったことがわかる。地理院地図に加筆

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(地図)現在の豊田市稲武地区中心部の地図。地理院地図に加筆


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(写真)稲武劇場跡地にある駐車場。

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(写真)大門地区の説明看板。