下呂市立下呂図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる からの続き。
(地図)岐阜県における下呂市3地区の位置。©OpenStreetMap contributor。
1. 飛騨萩原を訪れる
JR高山本線で下呂駅から2駅、約9km北に向かうと飛騨萩原駅です。駅舎はごく普通の無人駅に見えますが、地元商工会による簡易委託駅になっているそうで、図書館流通センターのスタッフのような青いシャツを着た女性2人が乗客に対応していました。物産品販売所ではセルフドリップコーヒーなども販売されています。
飛騨萩原は飛騨街道の宿場町であり、本町通りは下呂市の街並み景観保存地区となっています。1911年(明治44年)竣工の「十六館」は飛騨銀行(現・十六銀行)益田支店として建設された建物。鉄筋コンクリート造、平屋建てで瓦葺きという外観からは、銀行ではない何かのように見えます。検索する限りではイベント等に使用されているようではありますが、登録有形文化財等に登録されているわけでもなく、いつであれば館内に入れるのかもわからない、もやもやする建物です。
本町通りには歩道が整備されていますが、歩道に乗り上げて停められた車が多い。また道幅が狭いにもかかわらず一方通行ではなく、走行する車も歩道部分に侵入してきます。歩いていて危なっかしいし、そもそも歩いている人をほとんど見かけませんでした。観光客を歩かせたい行政、そんなこと知ったこっちゃない住民の意識のずれを感じます。
(左)1911年竣工の「十六館」。旧・飛騨銀行益田支店。(中)飛騨街道。ゆっくり写真なんか撮ってると轢かれそうになる。(右)天領酒造。
(左)今日の十六銀行益田支店。(右)飛騨街道の裏にある路地。
飛騨萩原駅と本町通りの間には萩原諏訪城址があり、堀で囲まれた中央部には諏訪神社が鎮座しています。地図ではわかりづらいのですが萩原諏訪城址は台地の縁にあたり、飛騨川側と高山本線側で10m近い高低差があります。
飛騨萩原駅とはぎわら図書館の間には、下呂市唯一の高校である岐阜県立益田清風高校があります。下呂地区と萩原地区には街のにぎわいに大きな差があるだけに高校の存在は大きい。なお飛騨地方には大学がありません。
下呂市立はぎわら図書館は下呂市萩原中央公民館(星雲会館)の3階。施設全体における図書館の立ち位置は低い。同一フロアには教育長室があります。図書館には興味を引かれるものもなかったため、写真撮影の可否も尋ねずに早々に退散しました。
(写真)萩原諏訪城址にある諏訪神社。(中)石垣と堀の遺構。(右)舞台。
(左)図書館が入っている星雲会館。(右)下呂市立はぎわら図書館入口。
2. 飛騨金山を訪れる
下呂市立下呂図書館、下呂市立はぎわら図書館と訪れた後は、飛騨萩原駅から南下して飛騨金山駅に向かいます。高山本線の車内は益田清風高校の生徒で混雑していました。
飛騨金山も飛騨萩原と同じく飛騨街道の宿場町です。飛騨川と馬瀬川の合流地点にあり、飛騨金山駅を降りると金山橋を通って市街地に向かいます。
(地図)飛騨金山の地図。黒枠が旧市街地。国土地理院 地理院地図。
(左)飛騨川に架かる金山橋。(右)金山橋から北を望む。左の馬瀬川と右の飛騨川の分岐点。
(写真)飛騨金山の橋本町商店街。
金山橋から昭和な雰囲気の橋本町商店街を抜け、木造建築の並ぶ表通りの飛騨街道へ。3階建て城造り建築の清水楼、現役の旅館である清水屋旅館、1988年廃業の銭湯など、目を引く建物がたくさん。飛騨街道からは筋骨(きんこつ)と呼ばれる路地群があちこちに分岐しており、せりだした建物が小川に覆いかぶさる長洞谷などもあります。2017年には観光ガイドの団体が設立され、筋骨をめぐるミニツアーが盛況だそうです。
今回は時間の関係で長洞谷などは歩けなかった。今度は飛騨金山を主目的地として、歩きやすい気候の時期にまた来ます。筋骨については下記のサイトなどに面白いことが書かれています。
日本で一番、狭い国道のあった町・飛騨金山│観光・旅行ガイド - ぐるたび
飛騨金山に行ってきました Part-2 ( 旅行 ) - 寄る辺ない旅のブログ - Yahoo!ブログ
(写真)飛騨街道沿い。(左)現役の清水屋旅館。
(左)飛騨街道沿いにある廃業した銭湯。(右)筋骨の例。
3. 下呂市立金山図書館を訪れる
下呂市立金山図書館は下呂市金山市民会館の1階にあります。1974年に建設された建物であり、2008年に改修して現在の姿になったそう。それまでは2階にあった狭い図書館を、改修時に広い1階に移したそうです。スリッパに履き替えて入館します。
(左)図書館が入っている下呂市金山市民会館。(中)図書館入口。(右)図書館内。スリッパに履き替える。
(左)新着図書。(右)展示コーナー。
(左)窓際の閲覧席。(右)おはなしコーナー。
(左)AVコーナー。(中)郷土資料。(右)下呂図書館とはぎわら図書館の本。
金山図書館では映画館「金山劇場」についての言及を探します。1963年の映画館名簿に掲載されているけれど1966年のそれには掲載されていない映画館です。
1975年刊行の『金山町誌』には「現存」(建物が現存? 映画館として現存?)とあり、『続金山町誌』には「跡地には1985年11月に金山郵便局が移転」とあることから、建物は1975年以後1985年以前に取り壊されたことがわかりました。
1960年代半ばに閉館したと思っていたこの映画館ですが、40代(?)の司書さんは映画やサーカスなどの興行を行っていた金山劇場を記憶していました。1966年以降の映画館名簿には掲載されていないとはいえ、1975年以後1985年以前(?)の閉館時まで何かしらの興行を行っていたようです。ここまで来て聞いた甲斐があった。金山劇場の写真についてはこの司書さんも「文献に掲載されているのを見たことがない」そうです。金山劇場についてのレファレンスは継続ということにしたので、新たな情報が見つかったら知らせてくれるそうです。
(写真)金山劇場跡地にある金山郵便局。
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