振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

下呂市立下呂図書館を訪れる

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(写真)下呂温泉街の入口に設置されているチャップリン像。

 

1. 下呂市を訪れる

2018年12月、下呂温泉で知られる岐阜県下呂市を訪れました。「下呂市下呂図書館を訪れる」と「下呂市立はぎわら図書館・下呂市立金山図書館を訪れる」の二部構成です。

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(地図)岐阜県における下呂市の3地域の位置。©OpenStreetMap contributor。

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(左)JR高山本線下呂駅。中央奥は「下呂富士」。(右)下呂温泉観光協会のレンタサイクル。

 

下呂地区の中央部には木曽川支流の飛騨川(益田川)が流れ、また飛騨川から阿多野谷が分岐しています。この飛騨川と阿多野谷を境に、下呂駅がある西岸、下呂温泉街がある東岸北部、市役所や図書館など下呂市街地がある東岸南部の3地域に分けられます。

現在は飛騨川西岸と東岸を結ぶ橋として下呂大橋がありますが、1923年から1964年までは南600mの六ツ見橋が唯一の橋だったようです。それ以前は渡し船しかなかったようですが、下呂駅の開業は1930年のことなので橋は必要なかったのかもしれません。

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(地図)下呂市下呂地区の地形図。国土地理院 地理院地図

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(左)六ツ見橋。(中)六ツ見橋から見た下呂市街地や「下呂富士」。(右)下呂市街地の奥田又右衛門膏本舗。

 

2. 下呂市下呂図書館を訪れる

2004年に益田郡(ましたぐん)下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村が合併して下呂市が発足。3町の図書館は下呂市下呂図書館、下呂市立はぎわら図書館、下呂市立金山図書館となりました。3館の規模には大差ないのですが、司書さんは「(下呂図書館ではなく)はぎわら図書館が中央館である」と言われました。中央館とその他の館には、下呂市以外の地域資料の量などに差があるそうです。

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(写真)下呂市下呂図書館の入口。

 

はじめて訪れる図書館では郷土資料コーナーに立ち寄って、その町の歴史や産業についてざっくり理解しようと務めています。下呂地区の産業といえばなんといっても下呂温泉 - Wikipedia(観光業)であり、3段のカラーボックスが「温泉資料」の棚になっているのですが、それだけ。それも、温泉に関する一般書、『草津温泉誌』、雑誌『温泉批評』、ムック本『 Discover Japan TRAVEL ニッポンの温泉』などであり、肝心の下呂温泉について短時間で要点を把握できそうな文献がありませんでした。これはなぜだろう、と思ったのですが、後に解決します。

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 (写真)児童書エリア。

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(左)温泉資料。(右)郷土資料。

 

「図書館について個人的な調べものをしている」と言って写真を撮らせてもらいました。テーマ展示について撮っていると「そんなところも撮るんですか(笑)」と笑われました。司書さんは何度も「見てもらえるものなどない」と口にされたのですが、謙遜するよりも館内のお勧めポイントを教えてくれる方がうれしいです。

新聞コーナーには『岐阜新聞』が置かれていましたが、「この地域では『中日新聞』の購読者がいちばん多い。予算がないので3館で購読紙を分けている。夕方になると、同一建物の公民館で購読している新聞数紙が “寄贈” という形で図書館に回ってくる」とのことでした。このため、下呂図書館には『日経新聞』や『読売新聞』の “前日分” が置かれています

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(写真)一般書の書架。

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 (写真)展示など。

 

さて下呂図書館では、下呂市域に最後まで存在した映画館「下呂劇場」についての文献を探しました。映画館名簿などで「1966年の映画館名簿には掲載されており、1969年の映画館名簿には掲載されていない。開館年や所在地は不明」ということを確認しています。自力では郷土資料コーナーから何も見つけられず。レファレンスという形で司書さんにも探してもらいましたが、やはり有益な情報はありませんでした。

下呂劇場についての情報は得られなかったのですが、『益田新聞』1960年4月10日号にストリップ劇場の記事を見つけました。読者と記者の対話という形を取っています。記事には “名古屋や京都では観られない” とあるので、この時代には温泉街など観光地の歓楽街にしかなかったのでしょうか。記事を以下に引用しました。

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「魅力はヌードショウ」『益田新聞』1960年4月10日付、第85号、p.4
読者
 モシモシ益田新聞に緊急おたづねするんですが、下呂温泉にはトテモすばらしいヌードショウがあるそうですね。名古屋や京都では絶対見られぬスバラシイ、ストリップを見せるって本当かね、実は僕の古い悪友どもが五、六人伴れで、下呂温泉に遊びに行くから、ヌード見学の案内を頼むと、くだらぬ手紙を寄こしたんです。バカバカシイけれ共折角の依頼を断りもならず、一つあなたにその方面の教を乞う訳ですが、本当にそんなところがあるのですか。

記者 その方面のことは私には判らんね、しかし私も新聞屋として後学のため、娯楽センターの見学をした範囲のことなら肉体芸術の説明もしますよ。

読者 頼みますよ。本当にエイところを見せるんですか、つまりそのスレスレまで。

記者 そりゃスレスレまで拝見できますよ、そこが肉体芸術の魅力ですからね。しかしワイセツと云う感じはしないね。第一あんなところで昂奮したってそれこそショウがないでしょうハハハ……女のキレイな肉体の曲線美の律動を見て、芸術と鑑賞するか、欲情を挑発するか、観る人間の精神レベルの程度によりけりですよ。

読者 エロ映画とか、アレの実演とか云ったものはないのですか。

記者 飛んでもない。そんなお下劣なものは、とっくの昔に下呂温泉から追放されてしまいましたよ。娯楽センターと云うのは、観光風景の映画と、肉体美の芸術以上には出ませんよ。場所は日の出旅館のチョッと南側に、オリオンと云う喫茶店があったでしょ、あそこを改造して、第一会場、第二会場と二つのステージを作り、ミラーボールが回転して、チラチラとボタン雪のような照明がまばゆくちらつき、天井は花もようの照明窓であり、一糸ぐらいは纏った美女が、七色の照明を浴びて伴奏でお出ましになる、面して肢態を柔軟にくねらして「ヌードショウ十四景」のポーズを御披露に及ぶ。お臍の横丁のホクロまではっきり拝見って訳ですがね。

(中略)

読者 それでその何ですか、踊子ははじめから素っ裸ですか、何か着て出てきて脱いで見せるんですか。

記者 第一会場の方は、はじめから全裸だが、第二会場の方は、肉体透明のウスものを纏って、ひらひらと靡かせながら出て来るのやキシンと帯をしめたキモノ姿もあるね、しかしみんな踊りながら脱げてしまう。お客さんに帯を解いてちよだい!てしぐさをするものもあるね。両足を左右一ぺんに水平にひらき、一直線にして両腕を伸ばし、頭をハイヒールまで倒してくっつける、あの弾力性というか、やわらかい曲線には驚くね。

読者 結局女の肉体にはまいりますか、時間はどの位みせるんですか。

記者 一時間二十分たっぷり満喫できる。どうぞ御遠慮なくお客さんの御案内をしてやって下さい。値段も思ったより安いにおいておやです。

※公表後50年を経過した団体名義の著作物であるためパブリックドメイン(PD)と判断した。

 

3. 下呂温泉街を歩く

12月ということで観光客は多かったです。この日は泊りではなく日帰りだったので、公衆浴場の白鷺の湯に入りました。

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 (写真)下呂温泉街。

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 (左)「山形屋の手湯」。温泉街の至る所に足湯がある。(中)公衆浴場の白鷺の湯。(右)温泉寺。

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(左)下呂温泉街と飛騨川。(右) 飛騨川河岸、下呂温泉噴泉池(露天風呂)。パンツ一丁のおじいさんが注目を集めてた。※12月です。寒いです。

 

下呂市街地には廃業したボウリング場の建物がある。1971年開館の下呂ボウリングセンターは2015年に閉館してしまったみたい。下呂ボウリングセンターについて検索すると、2013年度時点で全国最高齢ボウラーの吉野幸作さん(明治45年生まれ、当時101歳)が通ったボウリング場という。「85歳からボウリングを始め、90歳のときには最高スコア190、アベレージ150」だって。すごい。

もうひとつ気になったのはNude Theatre「オリオン会館」。下呂温泉街の中でも飛騨川沿いの目立つ場所にあります。こちらは2007年に閉館したようです。『益田新聞』記事に登場する「喫茶オリオンにあったストリップ劇場」と同一(後継施設?)だと思われますが、詳細は分かりません。

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 (左)下呂ボウリングセンター。(右)Nude Theatre「オリオン会館」

 

下呂温泉街の中心部には資料館の下呂発温泉博物館がありました。展示も興味深かったのですが、気になったのは「温泉博士の部屋」。下呂図書館にあまりなかった温泉関係資料はこちらの書架にありました。ただし多くの書架には鍵がかけられており、自由に閲覧することができません。司書のいる図書館に置くほうがいいのか、多くの入館者がある資料館に置くほうがいいのか、悩ましい。

下呂図書館では下呂劇場に言及した文献を一つも見つけられなかったのに、下呂発温泉博物館ではあっさりと一つ見つけました。1932年発行の絵図「下呂温泉旅館組合案内」には、 “下呂劇場” の文字が確認できます。現在の湯之島高札場付近にあったようです。下呂劇場周辺の温泉旅館はいずれも現存していない。おおまかな場所しか特定できませんでしたが大きな成果です。なお、この絵図で “下呂劇場” とは別にある “劇場” が何を指すのかは不明です。

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(写真)下呂発温泉博物館。

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(写真)下呂発温泉博物館にある「温泉博士の部屋」。

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 (図)1932年頃の下呂温泉街の絵図。中央部に「下呂劇場」が、右に「劇場」の文字が見える。まだ下呂駅と下呂温泉街を結ぶ下呂大橋はなく、右端の六ツ見橋のみ。この地域の象徴として御嶽山が描かれている。パブリックドメイン(PD)と判断した。

 

下呂市立はぎわら図書館・下呂市立金山図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる に続きます。

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