振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

会津若松市を訪れる

(写真)鳥観図『会津若松市案内』若松市役所、1929年。

2022年(令和4年)7月、福島県会津若松市を訪れました。「会津若松市の映画館」に続きます。

 

1. 会津若松市会津図書館

1899年(明治32年)4月1日には北会津若松町が市制施行して若松市が発足し、1902年(明治37年)2月11日には若松市会津図書館が開館しました。当時の図書館といえば私立や財団立だったようで、日本に約50あった市のどこにも市立図書館が存在しなかったことで、会津若松市会津図書館は文部省認可の「日本第1号の市立図書館」とされています。

(写真)1902年の開館時から会津図書館玄関に掲げられていた南摩綱紀作の扁額の複製。

 

2011年(平成23年)から会津図書館は会津若松市生涯学習総合センター 会津稽古堂にあります。会津図書館の書庫には昭和初期に描かれた何枚かの鳥観図がありました。このうちの数枚は会津で活躍した図案家の青木志満六によるものです。

(写真)会津若松市会津図書館が入る会津稽古堂。

 

2. 会津若松市の鳥観図

2.1 『会津若松市案内』1929年

青木志満六(画)『会津若松市案内』若松市役所、1929年。会津若松市会津図書館所蔵。

若松市街地全体

若松市街地中心部

会津若松城付近

東山温泉付近

飯盛山付近

磐梯山猪苗代湖付近

 

2.2 『会津若松市及附近案内図』1933年

若松市役所(編)、青木志満六(画)『会津若松市及附近案内図』若松市役所、1933年。会津若松市会津図書館所蔵。

若松市街地全体

会津若松城付近

飯盛山付近

諏方神社付近

会津若松駅付近

若松市街地中心部

猪苗代湖付近

東山温泉付近

 

2.3 『若松市と近傍図』1935年

若松市と近傍図』若松市役所、1935年。会津若松市会津図書館所蔵。

若松市街地全体

若松市街地中心部

 

3. 労映ニュース

会津図書館には「会津勤労者よい映画を観る会」による『労映ニュース』を部分的に所蔵しています。前売鑑賞券や特別割引券などもありました。

(写真)『労映ニュース』会津勤労者よい映画を観る会、1966年1月号・2月号。

(写真)『労映ニュース』会津勤労者よい映画を観る会、1972年6月号・7月号。

(写真)洋画日活の『小さな巨人』『Z』前売鑑賞券、『奇跡の人』『愛はひとり』前売鑑賞券、『男はつらいよ 寅次郎恋歌』『嫉妬』前売鑑賞券など。

(写真)若松松竹の『リスボン特急』前売鑑賞券、栄楽プラザの『ジュニア・ボナー』特別割引券。

(写真)若松日活ボウリングセンターの案内、ニューパレスの『怒りの葡萄』特別優待券。

(写真)会津勤労者よい映画を観る会の特別例会『戦艦ポチョムキン』。

 

石川県立図書館を訪れる

(写真)円形に配置された書架。

2022年7月16日(土)、石川県金沢市小立野の新・石川県立図書館を訪れました。

 

1. 石川県立図書館

1.1 旧館と新館

1966年(昭和41年)竣工の旧館は金沢21世紀美術館の近くにありました。階段が多い建物にはそれなりに古さを感じるものの、閲覧室には新しい書架が並んでいました。

(写真)本多町にあった旧館。2018年5月。(左)外観。(右)閲覧室。

(写真)本多町にあった旧館。2018年5月。(左)1階ロビー。(右)新聞コーナー。

(写真)本多町にあった旧館。2018年5月。(左)新着図書や蔵書検索機。(右)郷土資料。

 

旧館の老朽化や狭隘化が著しいことから移転が検討され、金沢大学工学部跡地の郊外に新館を建設。新館はこの7月16日に開館しました。

開館日の7月16日、開館翌日の7月17日のいずれも、北國新聞の1面トップは県立図書館の新館について。北國新聞には4ページに及ぶ全面広告が掲載されたほか、記事でもまず資料総合検索システム「SHOSHO」について言及しており、県立図書館への期待の高さがうかがえます。北陸中日新聞や全国紙も閲覧しましたが、北國新聞と比べると県立図書館への言及が控え目。北國新聞は毎日の1面トップに地域ネタを持ってくる新聞のようです。

(左)開館翌日の7月17日の北國新聞1面。(右)新館の開館を伝えるチラシ。

 

1.2 特色

旧館時代の県立図書館には3度訪れて郷土資料の調査を行いましたが、いずれの日も館内は閑散としており、金沢21世紀美術館兼六園がすぐ近くにあるのが嘘のようでした。

新館の円形の部分はあらゆるメディアに取り上げられており、これまで県立図書館を利用しなかった層に対して強い印象を与えています。開館日の新館を訪れていたのは親子連れや若者が多く、旧館とは利用者層ががらっと変わっているのではないかと思います。

(写真)石川県立図書館の外観。

(左)円形の吹き抜けが見えるフロアマップ。(右)利用案内。

 

建物の設計は仙田満代表の環境デザイン研究所。円形劇場をモチーフとした中心部が最大の特徴であり、吹き抜けの周囲に円形に配置された書架が並んでいます。30万冊という開架冊数も売りのようで、福井県立図書館や金沢市立泉野図書館と同等だそう。水戸市立西部図書館などとは違って箱形の建物なので、多くの書架は吹き抜け部分から見えない空間に並んでいます。

(写真)円形に並べられた書架。

 

「世界に飛び出す」「文学に触れる」「子どもを育てる」などといった独自分類が売りらしく、書架が円形に配置された部分には独自分類による12のテーマが並んでいます。ただし、独自分類が活きるのは小規模館であると感じているし、また、都道府県立図書館が独自分類を採用することには疑問もあります。

(写真)独自分類「好奇心を抱く」で並べられた部分の書架。

(写真)複雑なラベルとなった独自分類部分の図書。

 

1.3 書架・閲覧席

書架が円形に配置されている点で雰囲気が似ているのは国際教養大学中嶋記念図書館ですが、あちらは円形ではなく半円形。完全な円形の図書館としては水戸市立西部図書館がありますが、石川県立図書館水戸市立西部図書館と同様に、自分のいる場所がわかりにくいと感じます。天井からは東西南北を示す幕が吊り下げられており、東西南北でテーマカラーを変えているとのことですが、それでもわかりにくい。

(写真)3階の書架。

(写真)吹き抜けの周囲にある閲覧席。

 

(写真)236 スペインの書架。市町村立図書館とはどう違うだろう。

(写真)館内に多数並べられている伝統工芸品。左は石川コレクション。

(写真)蔵書検索機や座席予約機があるセルフステーション。

(写真)閲覧席。

(写真)閲覧席。

(左・右)閲覧席。

(写真)吹き抜け部分の天井。東西南北を示す幕がある。

 

1.4 郷土資料

開館当初の都道府県立図書館を訪れたのは初めてです。開架冊数を考えると開架の郷土資料が少なく見えたし、その他の書架を見ても県立図書館の新館なのか金沢市立図書館の新館なのかわからないように思えました。

蔵書検索機で表示される蔵書の位置表示は改善の余地があります。START(現在地)とGOAL(目的の書架の位置)で蔵書の位置が示されていますが、そもそも表示が小さい上に、立体感のないマップなのが分かりづらさに拍車をかけています。

住宅地図は旧館時代から変わらず開架にありますが、中部地方都道府県立図書館としては石川県立図書館だけではないでしょうか。中部地方都道府県立図書館では住宅地図はすべて閉架近畿地方都道府県立図書館では開架というのが多い。

(写真)蔵書検索機における書架の位置表示。

(左)開架にある住宅地図。(右)データベースコーナー。

(写真)面展示が並ぶ「ここも石川」。

 

都道府県立図書館は書架を眺めただけでは評価できません。石川県立図書館の売りのひとつである「SHOSHO」は、県内の様々な機関が作成したデータベースを一括検索できるシステムだそう。北國新聞によると、「文字資料にとどまらず、写真や絵図など画像も一括で探せる、全国に比類ないデジタルアーカイブ」だそうです。試しに”映画館”というキーワードを入れてみると322件がヒットし、かほく市立中央図書館がデータを入力した新聞記事見出しなどがヒットしました。

(写真)SHOSHO。

 

1.5 施設

(左)食文化体験スペース。(右)だんだん広場。

(左)モノづくり体験スペース。(右)サイレントルーム。

(左)対面朗読室。(右)資料調査室。

 

(写真)大型遊具があるこどもエリア。

(左・右)こどもエリア。

(写真)カフェ「ハムアンドゴー」。

 

珠洲市の映画館

(写真)飯田スメル館の建物。

2022年(令和4年)7月、石川県珠洲市を訪れました。かつて珠洲市には映画館「飯田スメル館」「飯田東映」「蛸島劇場」がありました。

 

1. 珠洲市の映画館

『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年

 

『映画便覧 1960』時事通信社、1960年

 

『映画館名簿 1976』時事映画通信社、1976年


1.1 蛸島劇場(1959年頃-1962年頃)

所在地 : 石川県珠洲市蛸島町(1963年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1962年頃
1958年・1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「蛸島劇場」。1963年の映画館名簿では「蛸島劇場(休館中)」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

 

1.2 飯田東映(1934年1月8日-1964年頃)

所在地 : 石川県珠洲市飯田町11部53(1964年)
開館年 : 1934年1月8日、1949年4月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1949年4月開館。1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「飯田劇場」。1960年の映画館名簿では「飯田東映」。1963年の映画館名簿では「飯田東映劇場」。1964年の映画館名簿では「飯田東映」。1965年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

1934年(昭和9年)1月8日には芝居小屋として飯田劇場が開館し、歌舞伎の沢村時子一座を招いてこけら落としを行っています。奥能登では石川県から認可を受けた初の劇場とのこと。『全国映画館総覧 1955』によると開館年月は1949年(昭和24年)4月となっており、この時に常設映画館化されたのかもしれません。

1964年(昭和39年)版の映画館名簿が言及を確認できる最終年度であり、飯田町11部53という所在地が掲載されています。国道249号の北側、和菓子屋の多間栄開堂などがある栄町には飯田町11-53という番地が現存しますが、正確な跡地は不明です。

 

1.3 飯田スメル館(1952年2月-1976年)

所在地 : 石川県珠洲市飯田町15-50(1977年)
開館年 : 1952年2月
閉館年 : 1976年
『全国映画館総覧 1955』によると1952年2月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「飯田スメル館」。1963年の映画館名簿では「飯田スメル」。1964年・1966年・1969年・1973年・1976年・1977年の映画館名簿では「飯田スメル館」。1978年の映画館名簿には掲載されていない。「珠洲市役所」南東150mに建物が現存。

映画館名簿によると飯田スメル館の経営者兼支配人は次郎間重一。路地の左側には次郎間という表札が掲げられた民家兼理容店があり、飯田スメル館の建物は次郎間氏の倉庫になっているようです。同じブロックには理容店/美容院が4軒もあるようですが偶然かな。

(写真)珠洲市街地における飯田スメル館。Googleマップ

 

2018年(平成30年)には飯田スメル館の建物が奥能登国際芸術祭の会場のひとつとなり、建物内にアート作品が展示されました。

2024年(令和6年)夏には珠洲市でさいはて奥能登珠洲映画祭が開催される予定。実行委員長でもある演出家の今井和久が製作するご当地映画『すずシネマパラダイス』には、飯田スメル館をモデルとする映画館が登場する予定です。脚本家の中川千英子による原作はnoteで無料公開されています。

(写真)飯田スメル館。

(写真)飯田スメル館の入口。

 

飯田スメル館は南町商店街から1軒分(約30m)奥まった場所にあるので、通りからはファサードの一部しか見えません。そのためウェブ上では言及に乏しいのですが、隣接する空き地に回ってみると写真映えする下見板張りの側面が見えました。

(写真)飯田スメル館の側面。

(写真)飯田スメル館の側面。

 

(写真)飯田スメル館と銀座美容室。

(写真)銀座美容室が面する南町商店街。

 

珠洲市にあった映画館について調べたことは「石川県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(石川県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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生駒市の映画館

(写真)宝山寺への参詣道。

2022年(令和4年)6月、奈良県生駒市で映画館跡地を探しました。「生駒市を訪れる」からの続きです。戦前から戦後の生駒には「生駒劇場」「生駒会館」「天命館」などといった劇場・映画館があったようですが、その詳細はよくわかりませんでした。

ayc.hatenablog.com

 

1. 生駒市の劇場・映画館

1.1 生駒劇場

生駒市誌 資料編Ⅱ』や『生駒むかしばなし 人々のくらし』には、生駒座から生駒劇場に名を変えた劇場について言及されています。1921年(大正10年)に大阪・新町遊廓の新町演舞場を移築して落成した演舞場であり、後に演舞場としての役割がなくなったことで劇場となりました。文献によると1935年頃に閉鎖されたとも、戦後には映画を上映していたとも、曖昧な書き方がなされています。生駒劇場があったのは現在の宝徳寺の場所とされます。

(写真)宝徳寺。

 

宝徳寺は宝山寺への参詣道から路地を西に入った先にありますが、狭隘な谷の底といった場所であり、路地の入口もわかりにくい。お世辞にも良い立地とは言えません。

(写真)宝徳寺。

 

1.2 生駒会館

所在地 : 奈良県生駒郡生駒町山崎(1962年)
開館年 : 1936年以後1943年以前
閉館年 : 1962年頃
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年の映画館名簿では「生駒映画劇場」。1947年・1949年の映画館名簿には掲載されていない。1950年の映画館名簿では「生駒劇場」。1953年・1955年・1958年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「生駒会館」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズヒルズ生駒」。

各年版の映画館名簿には生駒映画劇場→生駒劇場→生駒会館という名称の映画館が掲載されています。1943年版・1955年版・1962年版で電話番号が同一(生駒205)であるため、館名が異なっていても同一施設であると推測できます。

 

『映画年鑑 昭和18年』日本映画協会、1943年

 

『全国映画館総覧 1955』時事通信社、1955年

 

『映画便覧 1962』時事通信社、1962年

2021年(令和3年)11月に橋口畳店の男性主人(60代?)に話を聞くと、「(橋口畳店の西方向を指差して)生駒駅南自動車駐車場の奥にあるマンションの場所に映画館があったと聞いたことがある。この場所にやってきて50年になるが、詳しいことは知らない」とのこと。この映画館とは生駒会館のことだと思われます。
2021年(令和3年)11月にシューズショップつじのの男性(70代?)に話を聞くと、「(断定的に)生駒に映画館などなかった。父親からはぴっくり通りから南に歩いた場所の茶色のマンションの場所に劇場があったと聞いたことがある」とのこと。この劇場とは生駒会館のことだと思われます。
2022年(令和4年)6月にシューズショップつじのの女性に話を聞き、公設市場の男性から聞いた天命館の名前を出すと、「(天命館があった東ではなく南西を指さして)映画館があったのは向こうじゃないのか」とのこと。生駒劇場のことか生駒会館のことか判断できませんでした。
 
2019年度(令和元年度)に生駒ふるさとミュージアムが開催した特別展『生駒市誕生前夜 むかしの暮らし、むかしの生駒』には「生駒町商店街図」が展示され、特別展のパンフレットにもこの地図が掲載されています。作成された年代が判然とせず、また信頼性にやや疑問がある地図ですが、映画館名簿に登場する生駒会館の場所がわかりました。生駒会館の跡地にはライオンズヒルズ生駒というマンションが建っています。

(写真)生駒会館が描かれている「生駒町商店街図」。

(写真)生駒会館の跡地にあるマンション。

 

1.3 天命館

2021年(令和3年)11月に旧公設市場に住んでいる男性(1933年生まれ)に話を聞くと、「公設市場の東側、道路に突き当たる前の北側に『テンメイカン』という映画館があった。小学校に通っていた1941年(昭和16年)頃にはあったが、すぐに潰れてしまったようだ。琴を教える人の家やその隣の駐車場の場所である」とのこと。

この時には「テンメイカン」という映画館について全く情報がなかったのですが、『生駒市誌 資料編Ⅱ』に掲載されている時代不明の「生駒門前町の職業別分布図」には天命館が描かれていました。戦後も営業していたのかどうかは定かでありません。

2021年(令和3年)11月に生駒ふるさとミュージアムの男性職員(50代?)に映画館について話を聞くと、「倉病院の駐車場付近に映画館があったようだ」とのこと。この方が言及した映画館は天命館のことだと思われます。

(写真)「生駒門前町の職業別分布図」『生駒市誌 資料編Ⅱ』(生駒市、1974年)

(写真)天命館の跡地。

(写真)天命館の跡地。

 

生駒市にあった映画館について調べたことは「奈良県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(奈良県版)」にマッピングしています。

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