振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

多治見市図書館笠原分館を訪れる

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(写真)多治見市笠原中央公民館「アザレアホール」。

2019年(令和元年)12月、岐阜県多治見市笠原町にある多治見市図書館笠原分館を訪れました。笠原分館は多治見市笠原中央公民館の2階にあり、西側には多治見市モザイクタイルミュージアムがあります。「笠原町の映画館」に続きます。

 

ayc.hatenablog.com

 

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(地図)愛知県名古屋市から見た岐阜県多治見市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)多治見市街地から見た笠原市街地の位置。地理院地図 色別標高図

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(地図)笠原市街地。地理院地図 色別標高図

 

1. 多治見市図書館笠原分館を訪れる

1.1 笠原分館の歴史

司書が足で稼ぐ収集活動は、ほかの図書館に極めて示唆的。地域の産業に根差し、ビジネス、産業支援として図書館が取り組むべき課題に明確に向き合っている。— Library of the Year 2015における短評

多治見市街地の本館と笠原市街地の笠原分館からなる多治見市図書館 - Wikipediaは、2015年(平成27年)にLibrary of the Yearの対象を受賞した図書館です。長年に渡って収集を続けている陶磁器資料コレクションが高く評価されており、陶磁器資料コレクションは4階の郷土資料室ではなく3階の開架に置かれていることも特徴です。2017年(平成29年)には多治見市図書館のWikipedia記事を加筆したので、歴史についてはWikipedia記事をご覧ください。

 

土岐郡笠原町は2006年(平成18年)に多治見市に編入された自治体です。笠原町の図書施設は1982年(昭和57年)に笠原町中央公民館図書室として開館し、2006年の合併を機に多治見市図書館笠原分館に改称。この際に公民館図書室から図書館に格上げされました。2008年(平成20年)には指定管理者制度が導入され、本館と同じく財団法人多治見文化振興事業団が管理を受託。2009年(平成21年)にはOPACが導入されています。

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(写真)笠原分館の入口。

 

1.2 地域の産業に根差した図書館

笠原分館の床面積はわずか288m2であり、蔵書数は約4万冊という、こじんまりとした図書館です。しかし重点収集資料であるタイル関連資料の量はすごい。下の写真に写っていない部分まで、書架がまるまるタイル関連資料で埋め尽くされています。公立図書館の本館ならまだしも、サービス人口がわずか1万人の分館でこの量は圧巻です。笠原町中央公民館図書室時代からタイル関連資料の収集を行っていたとは思いますが、多治見市編入後にいっそう収集に力を入れたことは明らかで、本館から分館に移管されたタイル関連資料もあるとのことです。 

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(写真)タイル関連資料コーナー。

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(写真)文芸書の書架。

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(写真)文芸書の書架。笠原町出身・在住の作家にマークがついている。

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(左)一般書の書架と閲覧席。(右)映画・ドラマ原作本コーナー、大活字本コーナー。

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(写真)撮影許可証。

 

2. 笠原町を歩く

2.1 多治見市モザイクタイルミュージアム

2.1.1 笠原町のタイルの歴史

笠原町はモザイクタイルの生産で知られる町であり、生産量は単独自治体時代も多治見市編入後も日本一です。1955年(昭和30年)には土岐郡の5町3村が合併して土岐市が発足していますが、笠原町のみは単独で町制を維持しており、タイル産業による好景気が理由ではないかと思います。戦後にはかなりの量をヨーロッパなどに輸出しており、自治体別1人当たり所得が岐阜県一だった時期もあるようです。

しかし、高度経済成長期にはユニットバスの普及とともにモザイクタイルの需要は落ち込み、タイル産業の衰退とともに街の活気も失われていた時期に、多治見市に編入されて自治体としては消滅してしまいました。

 

2.1.2 ミュージアムの開館

街の活気が失われていた時期にも、笠原町には20年かけてモザイクタイル作品を集めていた市民がいました。笠原町は地場産業の伝承を理由に、博物館の建設を多治見市との合併の条件とします。風変りな家ばかり作っている藤森照信が建物の設計を手がけ、合併10年後の2016年(平成28年)6月に開館したのが多治見市モザイクタイルミュージアムです。

著名建築家による博物館の建設を契機に、笠原町では地場産業を見直す機運が高まりました。中央公民館はモザイクタイルによる案内板を、和菓子店はモザイクタイルが貼られた椅子を新たに設置しました。女性市民有志 "モザイクプリンセス" は左官屋に技術指導を受け、10か所のゴミ置き場をモザイクタイルで彩りました。熱い市民の存在が行政や建築家を動かし、そして建築家の優れた作品が市民全体に影響を与えたと言えるのではないかと思います。 

 

2.1.3 ミュージアムの館内

ミュージアムの外観は陶土の山をイメージしているそうで、壁面にはタイルが埋め込まれています。館内に入るとまずは4階に上がり、3階、2階、1階と見学していくことになります。

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(写真)多治見市モザイクタイルミュージアム。 

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(左)入館シール。(右)側面から見たミュージアム

 

4階はモザイクタイルを芸術的に見せているフロアであり、いわゆるインスタ映えするフロアでもあります。3階は笠原町におけるモザイクタイルの歴史を紹介するフロア。私が訪れた際にはたまたま他の入館者がいなかったため、学芸員の村山閑さんにじっくり話を聞くことができました。

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(写真)4階。モザイクタイルの芸術的作品を展示。

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(写真)3階。笠原町のタイル産業の歴史を紹介。

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(写真)3階。笠原町のタイル産業の歴史を紹介。

 

2階はモザイクタイルのショールームになっており、一般家庭における使用例を見ることができます。4階、3階ときて2階にショールームを設けてあることで、笠原町におけるタイル産業は(すでに過去となった)"伝統産業" なのではなく(現在も生き残りをかけている)"地場産業" なのだと感じさせられました。1階にはミュージアムショップがあり、またインスタ映えする車などが展示されています。

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(写真)2階。モザイクタイルのショールーム

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(写真)1階。ミュージアムショップや工房。(左)タイル詰め放題500円。(右)タイルが貼られた車。

 

2.2 笠原市街地にあるモザイクタイル

笠原市街地には様々なモザイクタイル作品がありました。ある程度は事前に調べてから訪れましたが、それでも偶然発見した作品がいくつもありました。多治見市モザイクタイルミュージアムを訪れた観光客が街に繰り出すようになればいいですね。

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(写真)笠原神明宮南側のタイル工房「しあわせなお家」。

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(左)菓子舗「陶勝軒」にあるモザイクタイルの看板と椅子。(中・右)多治見市笠原中央公民館の敷地内にあるモザイクタイルの水飲み場と椅子。

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(左)多治見市笠原中央公民館にあるカフェ。机や床面にモザイクタイル。(右)多治見市笠原中央公民館にあるモザイクタイルの看板。

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(左)多治見市モザイクタイルミュージアム南にあるスーパー「マルナカストアー」店内。『えんとつ町のプペル』のモザイクアート展。(右)喫茶店「ミドリヤ珈琲倶楽部」。壁面がモザイクタイル。

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(写真)ゴミ置き場。女性有志 "モザイクプリンセス" が左官屋の技術指導を受けてモザイクタイルを製作。

 

3. 多治見市図書館本館を訪れる

この日は多治見市図書館本館も訪れました。笠原分館ほどではないにせよ、本館にもタイルに関連する資料は多数あり、中でも月刊誌『Tiles タイルの本』が目につきます。複数の号で2016年(平成28年)6月に開館した多治見市モザイクタイルミュージアムを伝えていますが、この雑誌は2016年9月号をもって休刊したようです。タイル業界にとって多治見市モザイクタイルミュージアムの開館は一大イベントだったと思われ、ミュージアムの開館まで休刊を遅らせたのでしょうか。

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(写真)多治見市図書館本館が入っているヤマカまなびパークたじみ。

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(左)笠原町のモザイクタイルに関する文献。(右)月刊誌『Tiles タイルの本』。

 

「おにどこデータソン」に参加する

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(写真)安久美神戸神明社の拝殿。登録有形文化財

 2019年12月14日(土)、愛知県豊橋市で開催された「おにどこデータソン」に参加しました。主催は東三河地方で活動するシビックテック団体のCode for MIKAWAであり、豊橋市が後援を行っています。会場は毎年2月10日・11日に豊橋鬼祭(とよはしおにまつり)を開催する安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)です。

 

 

0. まとめ

0.1 アプリ「おにどこ」

豊橋鬼祭は1000年以上の歴史を有する祭礼。そのクライマックスは「赤鬼と天狗のからかい」であり、赤鬼と天狗が何時間にもわたって市街地を歩き回ります。2018年には豊橋技術科学大学大村研究室&水谷研究室、株式会社ウェブインパクトが共同で、GPSを用いて赤鬼と天狗の位置がわかるアプリ「おにどこ」を開発しました。このアプリは毎年1日のみ稼働し、2020年2月11日には3回目の稼働が予定されています。

このアプリをより使いやすくするために、アプリの背景地図となるOpenStreetMapや、アプリにリンクが掲載されるWikipediaを編集しようというのが今回のイベントです。Wikipediaの編集を行うウィキペディアタウン、OpenStreetMapの編集を行うマッピングパーティを同時に行うオープンデータソンという形態です。私は一般参加者という立場でした。

 

0.2 開催趣旨が明快なイベント

私がウィキペディアタウンでWikipediaの説明役やテーブルファシリテーターを務める際は、"参加者がWikipediaの編集を通じて何かをつかんで帰ってもらうこと" を意識し、"充実したWikipedia記事を作成すること" は脇に置きがちでした。とはいえ、参加者が実際に何かをつかんで帰ってもらえたのかはわかりづらく、ウィキペディアタウンは成果が見えにくいイベントだと感じていました。

今回のイベントには "アプリ「おにどこ」をより使いやすくする" という明確な目的があり、編集記事は必然的に「安久美神戸神明社」と「豊橋鬼祭」に絞られます。Wikipediaチームには完全なWikipedia初心者の方がおらず、また私は一般参加者だったこともあり、充実した記事を作成することに集中することができました。今回編集した記事が2020年2月11日のアプリ稼働時に必ず役に立つはずで、開催趣旨が明快な今回のイベントにはとても好印象を持ちました。

 

 

1. 安久美神戸神明社を訪れる

豊橋市東三河地方の中心都市です。2019年1月にはやはりCode for MIKAWAがのんほいパークで開催したOpenStreetMapマッピングパーティ「地図ものフレンズ」に参加し、7月には豊橋祇園祭の打上花火大会の際にも訪れています。

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(地図)愛知県における豊橋市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)豊橋市街地における安久美神戸神明社の位置。©OpenStreetMap contributors

 

豊橋市中心市街地から東にすぐ、吉田城がある豊橋公園の南側に安久美神戸神明社があります。国道1号から見える松林が目につくものの、境内に入ったのは今回が初めてです。かつては結婚式場としても使用された儀式殿の一室が講義や編集の会場となります。
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(左)国道一号と安久美神戸神明社の境内。(右)一の鳥居。

 

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(写真)編集会場の儀式殿。

 

1.1 スケジュール

10:00~10:10 あいさつ・主旨説明
10:10~11:00 講義
  ・豊橋鬼祭のお話(20分)
  ・百科事典(Wikipedia)の話(10分)
  ・地図(OpenStreetMap)の話(10分)
  ・「おにどこ」(アプリ)によるデータ活用のお話(10分)
11:00~12:00 チームビルディング・ランチ(※会場にて昼食)
12:00~14:00 フィールドワーク
14:00~16:30 取材写真収集・データ編集
16:30~17:00 まとめ(成果発表)
17:00~17:30 片付け
18:00~20:30 懇親会

 

今回のイベントで神社などに関する解説を担当してくださるのは、安久美神戸神明社の平石雅康宮司と、豊橋市美術博物館の増山真一郎学芸員です。Wikipediaの講師は田原市中央図書館の是住久美子館長、OpenStreetMapの講師は京都府代表の坂ノ下勝幸さん、静岡県代表の下り専門さん、埼玉県代表の古田武士さんの3人です。Wikipediaの講義は是住さんが、OpenStreetMapの講義は坂ノ下さんが担当します。

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(左)編集会場。(右)安久美神戸神明社についての説明を行う平石雅康宮司

 

 

 

2. まちあるきする

2.1 神社境内

講義のあとはまちあるき。まずは安久美神戸神明社の境内で歴史や建造物についての解説を聞き、その後には市街地にある神社関連スポットを訪れました。かつて安久美神戸神明社の旧社地は吉田城の東側にありましたが、軍用地に指定された関係で1888年明治21年)に現在地に移転しています。神社の歴史において大きな出来事ですが、Wikipediaではまったく触れられていません。

境内には登録有形文化財に登録された建物が5棟あり、うち拝殿を含む4棟は1930年(昭和5年)の建築です。1888年以前の建物は基本的にないはずですが、神楽殿のみは1885年(明治18年)に移築されたものだそうです。

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(左)境内を説明する平石宮司。(右)明治期以前の旧社地が掲載された古地図。

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(左)神楽殿。(中)神庫。(右)手水舎。いずれも登録有形文化財

 

額殿には2月10日・11日の豊橋鬼祭で用いられる赤鬼が展示されていました。顔に比べて身体が大きい。儀式殿では赤鬼役の方の練習の動画を見せてもらいましたが、人間とも動物とも思えない動きをしています。

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 (左)額殿に展示された赤鬼。(右)社務所で販売されている赤鬼と天狗のお面。

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(写真)まちあるき中の参加者。

 

2.2 豊橋公園

境内を出ると豊橋公園内にある3つの神社の跡地に向かいました。吉田城に近いほうから秋葉神社神明社(安久美神戸神明社)、八幡宮の跡地であり、いずれも近代に軍用地になった際に移転しています。神明社跡地の石碑は豊橋市出身の実業家である司忠が建立したもの。司忠は丸善社長を務めた人物であり、豊橋市中央図書館には洋書を中心とする司文庫が開設されています。現在まで豊橋鬼祭で約80年ほど使用されている赤鬼と天狗のお面を寄進したのも司忠だそうです。

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(写真)豊橋公園内にある神社の旧址。(右)秋葉神社旧址。(右)安久美神戸神明社旧址。(右)八幡宮旧址。

 

2.3 豊橋市街地

豊橋公園を出て飽海町(あくみちょう)の素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)へ。豊橋中心市街地から見ると町はずれにあり、地図上では新しい町のようにも見えますが、豊橋鬼祭では重要な役を務めている古い町だそうです。豊川はかつて飽海川と呼ばれていたことから、豊川河岸にあるこの地が飽海町(飽海村)と呼ばれるようになったとのこと。

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(写真)素戔嗚神社(飽海神社)。

国道1号の東八町交差点には、2001年(平成13年)にこの地点に戻された常夜灯がありました。旧東海道はこの地点で折れ曲がっており、この地点が吉田宿の入口だったようです。

豊橋市立八町小学校の南側にあるタキカワ整形外科クリニックは、近代に旧社地を追われた秋葉神社八幡宮が所在した場所。この縁もあって、豊橋公園にある両社の跡地の石碑は院長の滝川一美氏によって建立されたそうです。

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(写真)吉田宿の入口にある常夜灯。

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(写真)タキカワ整形外科クリニック。

 

国道1号から南下し、談合町には談合神社がありました。庶民の生活を案じた神々が談合った(かたらった)場所に室町時代に建立された神社だそうで、何者かが悪事を企んでいた場所というわけではないそうです。現在は安久美神戸神明社の御旅所となっています。

参考文献

豊橋百科事典編集委員会豊橋百科事典』豊橋市、2006年

豊橋市の談合町 神々の心中、いかばかり?」『毎日新聞』1996年7月25日

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(写真)談合町にある談合神社。

 

3. Wikipedia & OpenStreetMapを編集する

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(写真)準備された文献。

 

3.1 編集記事

安久美神戸神明社 - Wikipedia(加筆)

豊橋鬼祭 - Wikipedia(新規作成)

 

3.2 「安久美神戸神明社」の加筆

午後の編集時間はWikipediaチームとOSMチームにはっきり分かれ、それぞれWikipediaOpenStreetMapを編集しました。

6人のWikipediaチームは2グループに分かれ、2-3人が「安久美神戸神明社」の加筆を、3-4人が「豊橋鬼祭」の新規作成を担当しました。私は「安久美神戸神明社」の加筆を担当します。編集時間開始後すぐに「Template:工事中 - Wikipedia」を記事冒頭部に貼付し、境内節などいくつか節を追加しました。

Template:工事中を貼付することで、外部から編集が加わって編集競合が起こるのを最小限にすることができます。また、節を多数設けることで節編集がしやすくなります。複数人が同時に全体編集を行うと編集競合が起こる可能性がありますが、節編集なら編集競合を回避することができるからです。また、節を細かく設けたほうが記事が成長しやすくなるとも感じています。

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(写真)イベント開始後最初の編集。Template:工事中の貼付と節の追加。

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(左)イベント前の目次。(右)イベント後の目次。節をいくつか追加している。

 

イベント開始前の時点で「安久美神戸神明社」の記事は10,000バイトの分量があり、一見すると充実した記事であるように見えました。しかし、実際には"1888年の社地の移転" など重要な歴史が書かれていないし、"境内の建造物や文化財について詳しく書かれていない" "この地域における神社の格や規模がわかりにくい"など、いろいろな課題があるように感じられました。

 

イベント開始前にはなかった境内節を追加し、境内にある建造物や史跡などをひとつずつ説明するようにしました。建物はひとつひとつ写真も掲載しています。

この神社の境内には登録有形文化財に登録された建物が5棟あります。登録有形文化財に登録された寺院の建造物は珍しくないですが、神社の建造物は比較的珍しく、愛知県内では安久美神戸神明社を含めて約9社しかありません。建築から80年を迎える際に登録を申請したようですが、どのような意図をもって登録したのか聞いてみたいところです。約9社のうち6社が東三河にあるのは偶然かな。

建造物や史跡などの位置を示した境内図も作成しました。この境内図は「Template:OSM Location map - Wikipedia」を使用しており、背景図にはOpenStreetMapが使用されています。したがって、OSMチームが境内にある建物や施設名を詳しく書けば書くほど、Wikipedia記事に使う背景図の質が増すことになります。OSMチームの方にOpenStreetMapが実際に使われている場面を見せることで、OpenStreetMapを編集する意欲を高める効果も狙っています。

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(写真)境内節。建造物を一つずつ文章と写真で紹介。右は境内図。

 

Template:OSM Location mapでは境内図のほかに、旧社地と現在地の位置関係を示す図や、神社の氏子14町の所在地を示す図も作成しました。氏子区域図はノード(点)ではなくエリア(面)で示したいところですが、平石宮司によると「町によっては半分のみが当社の氏子である町もある」とのことで、また氏子区域を明確に示している文献も見つからなかったため、エリアで描くことはやめました。

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(左)旧社地の現在地の位置関係図。(右)神社の氏子14町の所在地図。

 

「安久美神戸神明社」グループの別の方は社地の移転の経緯などを書いてくださり、また別の方は拝殿の前にあった興味深い史跡2つに関する説明を書いてくださりました。イベント前に10,000バイトだった分量はイベント終了時に23,000バイトとなったし、バイト数以上に大きく質が向上したと感じています。
Wikipediaはその事物の歴史を書くのが基本ですが、神社記事には歴史以外のことが書かれにくいような気がしています。どれだけの範囲に氏子がいて、氏子は神社のために何をしているのか。宮司はどのように変わってきて、宮司はどんな活動をしているのか。安久美神戸神明社はアプリ「おにどこ」に協力していることからわかるように、伝統的なことだけではなく新しいことにも積極的に取り組んでいる神社です。現代の取り組みについてもっと書かれてもいいと思う。

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(写真)編集中の参加者。(左)Wikipediaチーム。(右)OpenStreetMapチーム。 

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(写真)安久美神戸神明社の境内が数多く編集されたOpenstreetMapの画面。

 

岐阜県の図書館の統計

 

市立図書館

岐阜市

人口:402,491人

1人あたり貸出冊数:6.11冊

 

岐阜市立中央図書館

現行館竣工年:2015年2月

延床面積:9,210m2

 

岐阜市立図書館分館

現行館竣工年:2002年1月26日

延床面積:1,131m2

 

大垣市

人口:159,045人

1人あたり貸出冊数:4.10冊

 

大垣市立図書館

現行館竣工年:1979年11月16日

延床面積:4,358m2

 

大垣市立上石津図書館

現行館竣工年:1974年4月1日

延床面積:651m2

 

大垣市立墨俣図書館

現行館竣工年:1994年11月

延床面積:378m2

 

高山市

人口:87,019人

1人あたり貸出冊数:5.52冊

 

高山市図書館煥章館

現行館竣工年:2004年1月31日

延床面積:3,358m2

 

多治見市

人口:108,306人

1人あたり貸出冊数:7.38冊

 

多治見市図書館

現行館竣工年:1997年4月

延床面積:3,307m2

 

関市

人口:87,249人

1人あたり貸出冊数:6.27冊

 

関市立図書館 

現行館竣工年:1999年4月

延床面積:2,232m2

 

中津川市

人口:77,093人

1人あたり貸出冊数:3.97冊

 

中津川市立図書館

現行館竣工年:1979年8月

延床面積:1,405m2

 

美濃市

人口:19,954人

1人あたり貸出冊数:0.72冊

 

美濃市図書館

現行館竣工年:1986年4月

延床面積:1,248m2

 

瑞浪市

人口:37,446人

1人あたり貸出冊数:5.43冊

 

瑞浪市民図書館

現行館竣工年:1983年3月

延床面積:1,239m2

 

羽島市

人口:66,754人

1人あたり貸出冊数:4.45冊

 

羽島市立図書館

現行館竣工年:1990年3月30日

延床面積:2,089m2

 

恵那市

人口:49,345人

1人あたり貸出冊数:6.43冊

 

恵那市中央図書館

現行館竣工年:2007年5月10日

延床面積:2,651m2

 

美濃加茂市

人口:56,371人

1人あたり貸出冊数:4.28冊

 

美濃加茂市中央図書館

現行館竣工年:1987年4月

延床面積:1,231m2

 

美濃加茂市東図書館

現行館竣工年:1996年7月

延床面積:1,554m2

 

土岐市

人口:56,597人

1人あたり貸出冊数:4.41冊

 

土岐市図書館

現行館竣工年:1978年3月25日

延床面積:1,569m2

 

各務原市

人口:144,295人

1人あたり貸出冊数:6.45冊

 

各務原市立中央図書館

現行館竣工年:1991年7月

延床面積:4,015m2

 

各務原市中央図書館分館川島ほんの家

現行館竣工年:1982年4月22日

延床面積:673m2

 

可児市

人口:99,102人

1人あたり貸出冊数:5.02冊

 

可児市立図書館

現行館竣工年:1984年11月

延床面積:1,527m2

 

山県市

人口:26,239人

1人あたり貸出冊数:4.24冊

 

山県市図書館

現行館竣工年:2002年11月

延床面積:669m2

蔵書冊数:96,005冊

来館者数:-

貸出冊数:111,360冊

 

瑞穂市

人口:55,096人

1人あたり貸出冊数:6.37冊

 

瑞穂市図書館

現行館竣工年:1998年4月1日

延床面積:2,685m2

蔵書冊数:201,087冊

来館者数:148,684人

貸出冊数:230,007冊

 

瑞穂市図書館分館

現行館竣工年:2004年4月1日

延床面積:958m2

蔵書冊数:64,973冊

来館者数:67,924人

貸出冊数:120,981冊

 

郡上市

人口:40,417人

1人あたり貸出冊数:6.52冊

 

郡上市図書館

現行館竣工年:1994年6月

延床面積:953m2

蔵書冊数:202,686冊

来館者数:102,086人

貸出冊数:263,567冊

 

郡上市図書館はちまん分館

現行館竣工年:1988年7月

延床面積:637m2

蔵書冊数:64,262冊

来館者数:中央館に一括記入

貸出冊数:中央館に一括記入

 

本巣市

人口:33,330人

1人あたり貸出冊数:4.75冊

 

しんせいほんの森

現行館竣工年:1996年4月

延床面積:1,028m2

蔵書冊数:138,034冊

来館者数:72,406人

貸出冊数:158,242冊

 

下呂市

人口:32,062人

1人あたり貸出冊数:2.84冊

 

下呂市立はぎわら図書館

現行館竣工年:1974年8月

延床面積:265m2

蔵書冊数:56,065冊

来館者数:14,478人

貸出冊数:42,039冊

 

下呂市下呂図書館

現行館竣工年:2008年4月1日

延床面積:322m2

蔵書冊数:30,927冊

来館者数:14,423人

貸出冊数:28,298冊

 

下呂市立金山図書館

現行館竣工年:2008年4月1日

延床面積:218m2

蔵書冊数:23,157冊

来館者数:10,513人

貸出冊数:20,822冊

 

飛騨市

人口:23,576人

1人あたり貸出冊数:5.93冊

 

飛騨市図書館

現行館竣工年:2009年7月5日

延床面積:2,313m2

蔵書冊数:75,616冊

来館者数:128,691人

貸出冊数:102,150冊

 

飛騨市神岡図書館

現行館竣工年:2016年6月4日

延床面積:1,471m2

蔵書冊数:32,996冊

来館者数:-

貸出冊数:37,671冊

 

海津市

人口:33,722人

1人あたり貸出冊数:6.90冊

 

海津市海津図書館

現行館竣工年:1996年7月31日

延床面積:1,656m2

蔵書冊数:107,530冊

来館者数:24,170人

貸出冊数:112,806冊

 

海津市平田図書館

現行館竣工年:1997年11月

延床面積:1,693m2

蔵書冊数:88,309冊

来館者数:19,757人

貸出冊数:108,854冊

 

海津市南濃図書館

現行館竣工年:1980年4月1日

延床面積:130m2

蔵書冊数:21,917冊

来館者数:3,019人

貸出冊数:10,948冊

 

 

町村立図書館

羽島郡岐南町

人口:25,207人

1人あたり貸出冊数:3.84冊

 

岐南町図書館

現行館竣工年:1982年11月3日

延床面積:866m2

蔵書冊数:72,077冊

来館者数:45,157人

貸出冊数:96,704冊

 

養老郡養老町

人口:27,696人

1人あたり貸出冊数:2.49冊

 

養老町図書館

現行館竣工年:1991年3月

延床面積:974m2

蔵書冊数:97,917冊

来館者数:61,034人

貸出冊数:68,927冊

 

不破郡垂井町

人口:27,158人

1人あたり貸出冊数:7.52冊

 

タルイピアセンター図書館

現行館竣工年:1993年9月20日

延床面積:877m2

蔵書冊数:104,677冊

来館者数:125,613人

貸出冊数:204,242冊

 

不破郡関ケ原町

人口:6,997人

1人あたり貸出冊数:7.03冊

 

関ケ原ふれあいセンターふれあい図書館

現行館竣工年:1995年3月10日

延床面積:608m2

蔵書冊数:84,431冊

来館者数:20,677人

貸出冊数:49,218

 

安八郡神戸町

人口:19,017人

1人あたり貸出冊数:5.75冊

 

神戸町立図書館

現行館竣工年:1995年3月10日

延床面積:1,719m2

蔵書冊数:76,596冊

来館者数:49,488人

貸出冊数:109,441冊

 

安八郡輪之内町

人口:9,782人

1人あたり貸出冊数:3.67冊

 

輪之内町立図書館

現行館竣工年:1993年3月15日

延床面積:689m2

蔵書冊数:86,277冊

来館者数:31,876人

貸出冊数:35,852冊

 

安八郡安八町

人口:14,594人

1人あたり貸出冊数:12.49冊

 

ハートピア安八図書館

現行館竣工年:2002年12月25日

延床面積:1260m2

蔵書冊数:132,155冊

来館者数:-

貸出冊数:182,338冊

 

揖斐郡揖斐川町

人口:20,480人

1人あたり貸出冊数:4.66冊

 

揖斐川町揖斐川図書館

現行館竣工年:1980年3月22日

延床面積:820m2

蔵書冊数:114,679冊

来館者数:27,637人

貸出冊数:75,226

 

揖斐川町立谷汲図書館

現行館竣工年:1997年3月

延床面積:797m2

蔵書冊数:43,229冊

来館者数:6,195人

貸出冊数:18,650冊

 

揖斐川町立坂内図書館

現行館竣工年:2003年5月1日

延床面積:80m2

蔵書冊数:8,053冊

来館者数:725人

貸出冊数:1,653冊

 

揖斐郡大野町

人口:22,858人

1人あたり貸出冊数:4.91冊

 

大野町立図書館

現行館竣工年:1994年7月1日

延床面積:1,077m2

蔵書冊数:122,616冊

来館者数:174,731人

貸出冊数:112,217冊

 

揖斐郡池田町

人口:23,814人

1人あたり貸出冊数:10.04冊

 

池田町立図書館

現行館竣工年:1996年2月23日

延床面積:2,059m2

蔵書冊数:210,199冊

来館者数:127,181人

貸出冊数:239,112冊

 

本巣郡北方町

人口:18,354人

1人あたり貸出冊数:4.55冊

 

北方町立図書館

現行館竣工年:1988年3月10日

延床面積:1,018m2

蔵書冊数:80,920冊

来館者数:77,814人

貸出冊数:83,419冊

 

可児郡御嵩町

人口:17,780人

1人あたり貸出冊数:4.37冊

 

中山道みたけ館

現行館竣工年:1996年3月

延床面積:1,450m2

蔵書冊数:100,892冊

来館者数:64,211人

貸出冊数:77,743冊

 

加茂郡白川町

人口:7,867人

1人あたり貸出冊数:4.00冊

 

美濃白川楽集館

現行館竣工年:1974年12月12日

延床面積:1,015m2

蔵書冊数:53,055冊

来館者数:24,349人

貸出冊数:31,485冊

 

八百津町の映画館

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(写真)八百津橋から見た木曽川

2019年(令和元年)12月、岐阜県加茂郡八百津町を訪れました。

 

1. 八百津町を訪れる

名古屋市から公共交通機関八百津町を訪れる場合、まず名鉄犬山線広見線可児市新可児駅に向かいます。さらに広見線末端区間に乗って明智駅で降りると、明智駅から八百津町ファミリーセンターに向かうコミュニティバスが1時間に1本運行されています。

可児市経由以外では美濃加茂市のJR美濃太田駅からもコミュニティバスが運行されているようですが、本数が少ない。平成の大合併時、八百津町美濃加茂市を中心とする合併協議会に加わりましたが、結局は単独での町制を継続しています。

八百津市街地に入る前には、美しいアーチ橋の八百津橋で木曽川を渡ります。冒頭の写真は八百津橋から見える木曽川の写真。4km上流に丸山ダムが築かれていることで、湖と勘違いしそうな水量を湛えています。木曽川八百津町域で何度も湾曲しており、その名の通り "津" が多そうです。木曽川を川船が遡れるのは八百津までであり、川湊で物資の積み替えを行う必要があったため、この地に大きな町が形成されたのもうなづけます。

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(地図)愛知県名古屋市から見た岐阜県八百津町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1.1 八百津町中央公民館図書室

八百津町は図書館未設置自治体であり、図書館等施設は100m2ほどの八百津町中央公民館図書室のみです。図書室の入口すぐの場所には、八百津町名誉町民の吉田茂から寄贈された「吉田茂文庫」がありました。

株式会社イビサの取締役会長である吉田は社会貢献活動に熱心で、八百津町は寄付をもとに吉田茂国際交流基金を設立。八百津町からは毎年数十人の中学生がこの基金で海外研修に赴くようです。

 

室内の中央部の柱の周りには、外交官の「杉原千畝」コーナーと、小説家の「池井戸潤」コーナーがありました。八百津町役場は杉原千畝の出身地を八百津町だとしており、八百津町には杉原千畝記念館や「杉原千畝実家跡」などがありますが、近年には杉原が武儀郡上有知町(現・美濃市)出身だとする説が浮上して論争となっています。

池井戸潤は1963年(昭和38年)に八百津町に生まれ、美濃加茂市岐阜県立加茂高校卒業後に慶應義塾大学に進学しています。

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(左)八百津町中央公民館の入口。(右)八百津町中央公民館図書室の入口。正式名称は八百津町中央図書室でも八百津町図書室でもなく八百津町中央公民館図書室です。

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(写真)杉原千畝コーナーと池井戸潤コーナー。

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(写真)「読書カウンター」席。

 

八百津町中央公民館の西側には八百津町立八百津小学校があり、小学校の目の前には「杉原千畝実家跡」の看板が立っています。ただし、杉原邸は1989年(平成元年)頃に取り壊されて別の民家が建っているし、そもそも杉原千畝の出生地が八百津町ではないとする説が有力になっていることもあって、悩ましい看板だと思いました。

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(左)八百津町立八百津小学校。(右)「杉原千畝実家跡」の看板。背後の民家は杉原邸ではない。

 

1.2 八百津の街並み

八百津市街地には2軒の酒蔵があります。八百津町役場の西側にあるのが蔵元やまだ(合資会社山田商店)、本町通りにあるのが花盛酒造です。蔵元やまだは公式サイトだけでなく、ウェブ新聞やブログなどでも情報発信をしているようです。

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(写真)蔵元やまだ。

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(写真)花盛酒造。

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(写真)花盛酒造の南隣にあるかつみや。うだつを有する町屋。

 

1.3 和菓子屋と栗きんとん

八百津町のメインストリートは南北に延びる本町通りです。通り沿いには花盛酒造があり、まつや旅館も健在。しかしそれらよりも、わずか300mの距離に3軒ある和菓子屋が目につきます。北から順に「亀喜総本家」、「緑屋老舗」、「梅屋」。緑屋老舗の方の話によると、以前はもう1軒あったそうです。「八百津町は栗の産地であり、栗きんとんで知られる。そのせいで和菓子屋が多いのではないか」とのことでした。いずれの和菓子屋も栗きんとんが看板商品であり、3軒とも栗きんとんの "元祖" を主張しています。

緑屋老舗には八百津名物の「八百津煎餅」もありました。「八百津煎餅」は八百津町で製造される煎餅のブランド名のようです。『八百津町史』では八百津煎餅について10ページも記述され、工業節をほぼ独占してしています。大正時代に八百津町で煎餅の製造が始まると、高度成長期にどこでも煎餅を製造できるようになるまでは、全国的に知名度のある煎餅産地だったようです。

 

緑屋老舗の栗きんとん

1872年(明治5年)、白木甚四郎(初代翠翁)が緑屋老舗を創業した。3代目翠翁である鍵次郎は、名古屋から和菓子職人を呼び寄せて研鑽を積んだ。大仙寺の住職の助言を受けて、3代目翠翁は美濃地方で初めて栗きんとんを製造。緑屋老舗の栗きんとんは中津川を経由して、全国に広く知られるようになった。---店内に掲示された文章を要約

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(写真)和菓子屋「緑屋老舗」。

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(左)緑屋老舗の店内。(右)八百津煎餅。

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(左)和菓子屋「亀喜総本家」。(右)和菓子屋「梅屋」。

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(写真)昭和初期の1933年に刊行された『汎八百津』。梅屋製菓舗(右下)と緑屋商店(左下)の広告。

 

2. 八百津町の映画館

2.1 八百津栄座(1930年以前-1971年頃)

所在地 : 岐阜県加茂郡八百津町3961(1971年)
開館年 : 1930年以前
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「栄座」。1966年・1969年・1971年の映画館名簿では「八百津栄座」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は和菓子屋「梅屋」の南東40mの空き地。

八百津町には「八百津栄座」という映画館がありました。1971年(昭和46年)の映画館名簿によると住所は八百津町3961であり、この住所をGoogle Mapに打ち込んでみると、和菓子屋「梅屋」に近い空地の場所が表示されます。この場所が映画館跡地で正しいのか確かめる必要があります。

 

八百津町中央公民館図書室の40-50代の女性職員に聞いてみると、「自分は栄座の場所を知らないものの、夫から栄座の話を聞いたことがある」とのことでした。女性職員と一緒に1990年代の住宅地図を見ていると、ちょうど70代の女性が本の返却に訪れました。この女性は場所をはっきり覚えており、住宅地図にあった駐車場を指し示してくれました。

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(写真)商店街と八百津栄座跡地の空地。

 

現在はただの空き地に見えましたが、1990年代には駐車場として使用されていたようです。この空き地は本町通りと旭町通りの交差地点にあります。現在ではほとんど商店のない旭町通りですが、かつてはもっと栄えていたそうです。

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(写真)八百津栄座跡地の空地。

 

本町通りは旭町通り以南で急坂となって八百津橋に接続しています。八百津橋の対岸には名鉄八百津線八百津駅があり、八百津駅で降りた客は栄座周辺を通って八百津町中心部に向かう必要がありました。往時の栄座周辺はどれだけ賑わっていたのでしょう。

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(写真)木曽川に架かる八百津橋。左側が旧橋、右側が新橋。

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(地図)1970年代の航空写真における八百津栄座の位置。八百津橋は1954年に架けられた旧橋。国土地理院 地理院地図

 

『大日本職業別明細図 第200号』(東京交通社、1930年)には八百津栄座の場所に「劇場」が描かれていました。

(地図)八百津栄座の場所に「劇場」が描かれている『大日本職業別明細図 第200号』東京交通社、1930年。

 

八百津町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com