振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「おにどこデータソン」に参加する

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(写真)安久美神戸神明社の拝殿。登録有形文化財

 2019年12月14日(土)、愛知県豊橋市で開催された「おにどこデータソン」に参加しました。主催は東三河地方で活動するシビックテック団体のCode for MIKAWAであり、豊橋市が後援を行っています。会場は毎年2月10日・11日に豊橋鬼祭(とよはしおにまつり)を開催する安久美神戸神明社(あくみかんべしんめいしゃ)です。

 

 

0. まとめ

0.1 アプリ「おにどこ」

豊橋鬼祭は1000年以上の歴史を有する祭礼。そのクライマックスは「赤鬼と天狗のからかい」であり、赤鬼と天狗が何時間にもわたって市街地を歩き回ります。2018年には豊橋技術科学大学大村研究室&水谷研究室、株式会社ウェブインパクトが共同で、GPSを用いて赤鬼と天狗の位置がわかるアプリ「おにどこ」を開発しました。このアプリは毎年1日のみ稼働し、2020年2月11日には3回目の稼働が予定されています。

このアプリをより使いやすくするために、アプリの背景地図となるOpenStreetMapや、アプリにリンクが掲載されるWikipediaを編集しようというのが今回のイベントです。Wikipediaの編集を行うウィキペディアタウン、OpenStreetMapの編集を行うマッピングパーティを同時に行うオープンデータソンという形態です。私は一般参加者という立場でした。

 

0.2 開催趣旨が明快なイベント

私がウィキペディアタウンでWikipediaの説明役やテーブルファシリテーターを務める際は、"参加者がWikipediaの編集を通じて何かをつかんで帰ってもらうこと" を意識し、"充実したWikipedia記事を作成すること" は脇に置きがちでした。とはいえ、参加者が実際に何かをつかんで帰ってもらえたのかはわかりづらく、ウィキペディアタウンは成果が見えにくいイベントだと感じていました。

今回のイベントには "アプリ「おにどこ」をより使いやすくする" という明確な目的があり、編集記事は必然的に「安久美神戸神明社」と「豊橋鬼祭」に絞られます。Wikipediaチームには完全なWikipedia初心者の方がおらず、また私は一般参加者だったこともあり、充実した記事を作成することに集中することができました。今回編集した記事が2020年2月11日のアプリ稼働時に必ず役に立つはずで、開催趣旨が明快な今回のイベントにはとても好印象を持ちました。

 

 

1. 安久美神戸神明社を訪れる

豊橋市東三河地方の中心都市です。2019年1月にはやはりCode for MIKAWAがのんほいパークで開催したOpenStreetMapマッピングパーティ「地図ものフレンズ」に参加し、7月には豊橋祇園祭の打上花火大会の際にも訪れています。

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(地図)愛知県における豊橋市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)豊橋市街地における安久美神戸神明社の位置。©OpenStreetMap contributors

 

豊橋市中心市街地から東にすぐ、吉田城がある豊橋公園の南側に安久美神戸神明社があります。国道1号から見える松林が目につくものの、境内に入ったのは今回が初めてです。かつては結婚式場としても使用された儀式殿の一室が講義や編集の会場となります。
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(左)国道一号と安久美神戸神明社の境内。(右)一の鳥居。

 

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(写真)編集会場の儀式殿。

 

1.1 スケジュール

10:00~10:10 あいさつ・主旨説明
10:10~11:00 講義
  ・豊橋鬼祭のお話(20分)
  ・百科事典(Wikipedia)の話(10分)
  ・地図(OpenStreetMap)の話(10分)
  ・「おにどこ」(アプリ)によるデータ活用のお話(10分)
11:00~12:00 チームビルディング・ランチ(※会場にて昼食)
12:00~14:00 フィールドワーク
14:00~16:30 取材写真収集・データ編集
16:30~17:00 まとめ(成果発表)
17:00~17:30 片付け
18:00~20:30 懇親会

 

今回のイベントで神社などに関する解説を担当してくださるのは、安久美神戸神明社の平石雅康宮司と、豊橋市美術博物館の増山真一郎学芸員です。Wikipediaの講師は田原市中央図書館の是住久美子館長、OpenStreetMapの講師は京都府代表の坂ノ下勝幸さん、静岡県代表の下り専門さん、埼玉県代表の古田武士さんの3人です。Wikipediaの講義は是住さんが、OpenStreetMapの講義は坂ノ下さんが担当します。

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(左)編集会場。(右)安久美神戸神明社についての説明を行う平石雅康宮司

 

 

 

2. まちあるきする

2.1 神社境内

講義のあとはまちあるき。まずは安久美神戸神明社の境内で歴史や建造物についての解説を聞き、その後には市街地にある神社関連スポットを訪れました。かつて安久美神戸神明社の旧社地は吉田城の東側にありましたが、軍用地に指定された関係で1888年明治21年)に現在地に移転しています。神社の歴史において大きな出来事ですが、Wikipediaではまったく触れられていません。

境内には登録有形文化財に登録された建物が5棟あり、うち拝殿を含む4棟は1930年(昭和5年)の建築です。1888年以前の建物は基本的にないはずですが、神楽殿のみは1885年(明治18年)に移築されたものだそうです。

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(左)境内を説明する平石宮司。(右)明治期以前の旧社地が掲載された古地図。

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(左)神楽殿。(中)神庫。(右)手水舎。いずれも登録有形文化財

 

額殿には2月10日・11日の豊橋鬼祭で用いられる赤鬼が展示されていました。顔に比べて身体が大きい。儀式殿では赤鬼役の方の練習の動画を見せてもらいましたが、人間とも動物とも思えない動きをしています。

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 (左)額殿に展示された赤鬼。(右)社務所で販売されている赤鬼と天狗のお面。

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(写真)まちあるき中の参加者。

 

2.2 豊橋公園

境内を出ると豊橋公園内にある3つの神社の跡地に向かいました。吉田城に近いほうから秋葉神社神明社(安久美神戸神明社)、八幡宮の跡地であり、いずれも近代に軍用地になった際に移転しています。神明社跡地の石碑は豊橋市出身の実業家である司忠が建立したもの。司忠は丸善社長を務めた人物であり、豊橋市中央図書館には洋書を中心とする司文庫が開設されています。現在まで豊橋鬼祭で約80年ほど使用されている赤鬼と天狗のお面を寄進したのも司忠だそうです。

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(写真)豊橋公園内にある神社の旧址。(右)秋葉神社旧址。(右)安久美神戸神明社旧址。(右)八幡宮旧址。

 

2.3 豊橋市街地

豊橋公園を出て飽海町(あくみちょう)の素戔嗚神社(すさのおじんじゃ)へ。豊橋中心市街地から見ると町はずれにあり、地図上では新しい町のようにも見えますが、豊橋鬼祭では重要な役を務めている古い町だそうです。豊川はかつて飽海川と呼ばれていたことから、豊川河岸にあるこの地が飽海町(飽海村)と呼ばれるようになったとのこと。

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(写真)素戔嗚神社(飽海神社)。

国道1号の東八町交差点には、2001年(平成13年)にこの地点に戻された常夜灯がありました。旧東海道はこの地点で折れ曲がっており、この地点が吉田宿の入口だったようです。

豊橋市立八町小学校の南側にあるタキカワ整形外科クリニックは、近代に旧社地を追われた秋葉神社八幡宮が所在した場所。この縁もあって、豊橋公園にある両社の跡地の石碑は院長の滝川一美氏によって建立されたそうです。

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(写真)吉田宿の入口にある常夜灯。

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(写真)タキカワ整形外科クリニック。

 

国道1号から南下し、談合町には談合神社がありました。庶民の生活を案じた神々が談合った(かたらった)場所に室町時代に建立された神社だそうで、何者かが悪事を企んでいた場所というわけではないそうです。現在は安久美神戸神明社の御旅所となっています。

参考文献

豊橋百科事典編集委員会豊橋百科事典』豊橋市、2006年

豊橋市の談合町 神々の心中、いかばかり?」『毎日新聞』1996年7月25日

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(写真)談合町にある談合神社。

 

3. Wikipedia & OpenStreetMapを編集する

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(写真)準備された文献。

 

3.1 編集記事

安久美神戸神明社 - Wikipedia(加筆)

豊橋鬼祭 - Wikipedia(新規作成)

 

3.2 「安久美神戸神明社」の加筆

午後の編集時間はWikipediaチームとOSMチームにはっきり分かれ、それぞれWikipediaOpenStreetMapを編集しました。

6人のWikipediaチームは2グループに分かれ、2-3人が「安久美神戸神明社」の加筆を、3-4人が「豊橋鬼祭」の新規作成を担当しました。私は「安久美神戸神明社」の加筆を担当します。編集時間開始後すぐに「Template:工事中 - Wikipedia」を記事冒頭部に貼付し、境内節などいくつか節を追加しました。

Template:工事中を貼付することで、外部から編集が加わって編集競合が起こるのを最小限にすることができます。また、節を多数設けることで節編集がしやすくなります。複数人が同時に全体編集を行うと編集競合が起こる可能性がありますが、節編集なら編集競合を回避することができるからです。また、節を細かく設けたほうが記事が成長しやすくなるとも感じています。

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(写真)イベント開始後最初の編集。Template:工事中の貼付と節の追加。

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(左)イベント前の目次。(右)イベント後の目次。節をいくつか追加している。

 

イベント開始前の時点で「安久美神戸神明社」の記事は10,000バイトの分量があり、一見すると充実した記事であるように見えました。しかし、実際には"1888年の社地の移転" など重要な歴史が書かれていないし、"境内の建造物や文化財について詳しく書かれていない" "この地域における神社の格や規模がわかりにくい"など、いろいろな課題があるように感じられました。

 

イベント開始前にはなかった境内節を追加し、境内にある建造物や史跡などをひとつずつ説明するようにしました。建物はひとつひとつ写真も掲載しています。

この神社の境内には登録有形文化財に登録された建物が5棟あります。登録有形文化財に登録された寺院の建造物は珍しくないですが、神社の建造物は比較的珍しく、愛知県内では安久美神戸神明社を含めて約9社しかありません。建築から80年を迎える際に登録を申請したようですが、どのような意図をもって登録したのか聞いてみたいところです。約9社のうち6社が東三河にあるのは偶然かな。

建造物や史跡などの位置を示した境内図も作成しました。この境内図は「Template:OSM Location map - Wikipedia」を使用しており、背景図にはOpenStreetMapが使用されています。したがって、OSMチームが境内にある建物や施設名を詳しく書けば書くほど、Wikipedia記事に使う背景図の質が増すことになります。OSMチームの方にOpenStreetMapが実際に使われている場面を見せることで、OpenStreetMapを編集する意欲を高める効果も狙っています。

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(写真)境内節。建造物を一つずつ文章と写真で紹介。右は境内図。

 

Template:OSM Location mapでは境内図のほかに、旧社地と現在地の位置関係を示す図や、神社の氏子14町の所在地を示す図も作成しました。氏子区域図はノード(点)ではなくエリア(面)で示したいところですが、平石宮司によると「町によっては半分のみが当社の氏子である町もある」とのことで、また氏子区域を明確に示している文献も見つからなかったため、エリアで描くことはやめました。

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(左)旧社地の現在地の位置関係図。(右)神社の氏子14町の所在地図。

 

「安久美神戸神明社」グループの別の方は社地の移転の経緯などを書いてくださり、また別の方は拝殿の前にあった興味深い史跡2つに関する説明を書いてくださりました。イベント前に10,000バイトだった分量はイベント終了時に23,000バイトとなったし、バイト数以上に大きく質が向上したと感じています。
Wikipediaはその事物の歴史を書くのが基本ですが、神社記事には歴史以外のことが書かれにくいような気がしています。どれだけの範囲に氏子がいて、氏子は神社のために何をしているのか。宮司はどのように変わってきて、宮司はどんな活動をしているのか。安久美神戸神明社はアプリ「おにどこ」に協力していることからわかるように、伝統的なことだけではなく新しいことにも積極的に取り組んでいる神社です。現代の取り組みについてもっと書かれてもいいと思う。

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(写真)編集中の参加者。(左)Wikipediaチーム。(右)OpenStreetMapチーム。 

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(写真)安久美神戸神明社の境内が数多く編集されたOpenstreetMapの画面。