振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

北方町の映画館

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 (写真)北方町立図書館。冠木門と呼ばれる門。

2019年(令和元年)6月、岐阜県本巣郡北方町を訪れました。かつて北方町には映画館「北方映画劇場」がありました。

※2024年2月には本記事から「北方町を訪れる」を分割しています。

 

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1. 北方町立図書館

1.1 図書館の建物

北方町立図書館は1988年(昭和63年)7月に開館した図書館であり、本巣郡で初の公共図書館であると思われます。鉄筋コンクリート造ではありますが、白壁・格子・うだつなど和風デザインが取り入れられており、冒頭の写真にある「冠木門」(かぶきもん)をくぐって敷地内に入ります。「冠木門」は北方町における伝統的な門であり、各町の入口に設置されていたようです。

 

1.2 図書館の館内

建物入口を入ると右手が図書館であり、左手が歴史資料展示室と企画展示室となっています。延床面積は1,143.61m2であり、図書館の開架室は400m2程度でしょうか。2階には和室やテラス席がありますが、1階の開架室を見下ろせるテラス席はあまり有効に活用されていないようです。写真のように開架室の南側は庭園となっており、開架室から見ると障子や格子の向こう側に緑が見えます。

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(写真)和風の外観をした北方町立図書館。

 

2. 映画館調査

2.1 文献調査

『映画館名簿』には北方町の映画館として「北方映画劇場」が掲載されています。北方町立図書館の郷土資料で北方映画劇場について調査してみました。

まずは『北方町史 通史編』(北方町、1982年)を確認。「戦後には増屋町の三枡屋の跡地に映画館が開館したが、現在はパチンコ屋となっている」という記述がありました。「北方映画劇場」が閉館したのは1960年代中頃ですが、「1980年代前半の増屋町にあったパチンコ屋」をで探せばよいわけであり、住宅地図さえ閲覧できれば簡単に判明しそうな気がしました。そもそも "増屋町" という町名は現存しないのですが、北方町商店街の西側半分を含む一帯を指します。

ただしこの映画館は曲者でした。北方町立図書館が所蔵するもっとも古い住宅地図は1986年(昭和61年)のゼンリン住宅地図ですが、この住宅地図にはもうパチンコ店が掲載されていません。大正末期から戦間期にあった「北方劇場」という劇場については複数の文献に言及が見られますが、戦後にあった映画館は存在感が薄かったようです。

 

岐阜県北方町 町制施行100年記念要覧』(北方町、1989年)には「終戦後から1957年頃まで、増屋町には北方映画館があった」という記述がありましたが、映画館名簿にある「北方映画劇場」という6文字が掲載された文献はひとつも見つけられませんでした。図書館のカウンターで映画館の所在地についてレファレンスしたところ、図書館の男性職員も熱心に探してくれましたが、この男性職員が1時間かけても正確な場所は判明しませんでした。

小規模自治体の場合、郷土資料からその町にあった映画館の所在地が判明しないのはざらです。地方都市であれば映画館の建物が閉館後もずっと残っている場合もあり、図書館職員が映画館の建物を記憶している場合もありますが、北方町立図書館ではそのようなこともありませんでした。

 

2.2 聞き取り調査

映画館名簿では北方映画劇場の所在地は本巣郡北方町としかわかりませんでしたが、図書館を訪れて「本巣郡北方町にある北方町商店街の西部」にまで絞り込むことができました。

図書館から150mの距離にある北方町商店街を訪れ、伝統ありそうな和菓子舗に入って尋ねてみると、80代と思われる主人が映画館の所在地を教えてくれました。

右手に見える辻を北に向かってすぐの喫茶店の場所に映画館があった」とのことです。この和菓子舗からは40mほどしか離れていませんでした。

家に帰ってから調べてみると、この「恵比須屋」は1917年(大正6年)創業の歴史ある和菓子舗。「恵比須屋」では美濃地方の夏の風物詩だというみょうがぼち - Wikipediaを購入しました。そら豆の餡を小麦粉の生地でくるみ、ミョウガの葉で包んだ饅頭です。

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 (写真)北方町商店街にある和菓子舗「恵比須屋」。

 

1時間に1本しか走っていない樽見鉄道の時間調整もかねて、北方映画劇場の跡地に建つ純喫茶「喫茶麻雀サンパール」に入って休憩しました。

店内にいるときは何の変哲もない喫茶店だと思ったのですが、帰ってから外観の写真や航空写真を確認してみると、建物の形状や大きさが映画館の建物に見えてきて、映画館時代の建物を改修して喫茶店に転用しているのではないかという考えが頭をよぎりました。喫茶店の主人に聞いてみればよかった。

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(写真)喫茶麻雀「サンパール」。

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(左)喫茶麻雀「サンパール」。(右)美濃地方の初夏の風物詩「みょうがぼち」。

 

3. 北方町の映画館

3.1 北方映画劇場(1953年10月-1964年頃)

所在地 : 岐阜県本巣郡北方町北方(1964年)
開館年 : 1953年10月
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧1955』によると1953年10月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「北方映画劇場」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は喫茶店/麻雀店「サンパール」。

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(地図)北方町商店街西部の地図。地理院地図に加筆

 

北方町の映画館について調べた結果は「消えた映画館の記憶 - 岐阜県の映画館」に掲載しており、また「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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稲取を訪れる

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(写真)伊豆急行線の8000系電車。

2019年(令和元年)6月、静岡県賀茂郡東伊豆町稲取を訪れました。

 

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(地図)静岡県における東伊豆町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

この日は「第4回伊豆稲取キンメマラソン」があったそうで、私と同じ電車に乗っていた方はほとんど伊豆稲取駅で降りました。伊豆半島東部には江戸城の築城に用いられた石丁場が多数あったそうで、伊豆稲取駅前には切り出された石が置かれた築城石広場があります。

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(左)伊豆稲取駅で降りるキンメマラソンの参加者。(右)伊豆稲取駅前の築城石広場。

 

1. 稲取を訪れる

稲取地区は賀茂郡東伊豆町の町役場がある町。東伊豆町の総人口は約12,000人であり、稲取地区と熱川地区がそれぞれ約6,000人を有しているようです。民家が広範囲に広がる熱川地区とは異なり、稲取地区は東伊豆町稲取小学校を中心とする南北1km・東西1.5kmの範囲にはっきりとした市街地が形成されています。

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(写真)伊豆稲取駅東伊豆町役場を結ぶ商店街。

 

1.1 稲取市街地

いったん伊豆稲取駅で降りたとはいえ、45分後の電車に乗って伊豆急下田駅に向かいます。稲取港の朝市などはスルーして、目的地である映画館跡地2軒を目指しました。

オリオン座があった東西通りは1車線道路ではあるものの、静岡銀行静岡中央銀行の支店があり、呉服店・酒屋・米屋・食堂などが生き残っており、かつてメインストリートだった雰囲気を漂わせていました。

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(写真)東西通りの西側。静岡銀行稲取支店。

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(写真)東西通りの東側。左がオリオン座跡地?

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(写真)稲取漁港。中央の茶色い建物が東伊豆町役場。

 

1.2 ミニミニ図書館

1992年開館の東伊豆町立図書館は稲取地区ではなく熱川地区にあり、稲取地区には2009年10月開館の図書室「ミニミニ図書館」があります。1986年開館の東伊豆町立体育センターは稲取地区に置かれており、人口規模の等しい両地区に社会教育施設を分散させたのだと思われます。

東伊豆町の人口は約12,000人。愛知県では豊山町(約15,000人)や南知多町(約18,000人)と同規模ですが、豊山町南知多町には公共図書館がありません。東伊豆町の規模の自治体で1990年代初頭に単独施設の図書館を開館させたことには興味があります。東伊豆町における図書館運動については『ならいの風吹く町に 東伊豆町住民の図書館づくり』という書籍がありますが未確認。

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(左)東伊豆町稲取小学校。(右)「ミニミニ図書館」がある稲取小学校体育館。

 

「ミニミニ図書館」は稲取地区の中心部にある東伊豆町稲取小学校の体育館の一室を用いています。開館時間は「10時-17時(12時-13時は閉館)」、休館日は「土曜日・日曜日・祝祭日」ですが、東伊豆町立図書館公式サイトにこれらの利用案内は書かれておらず、土日が休館日であることはわかりません。稲取地区唯一の図書施設ということで、年間4,000人程度の利用者はいるようなので、利用案内くらいは公式サイトに書いてほしい。学校の敷地内ではありますが、「ミニミニ図書館」の入口は公道から5mの距離にあるため、敷居の高さは感じませんでした。なお、私が訪れたのは日曜日の朝8時過ぎでした。

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(写真)「ミニミニ図書館」。

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 (写真)「ミニミニ図書館」。

 

 

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(写真)稲取温泉街の入口。

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(写真)稲取温泉街。

 


1. 東伊豆町の映画館

各年版の映画館名簿や『東伊豆町誌』(東伊豆町、1989年)などによると、東伊豆町稲取地区には、オリオン座と稲取中央劇場という2館の映画館がありました。東伊豆町の城東地区には白田劇場と熱川劇場があり、東伊豆町には計4館の映画館がありました。4館の中で最後まで残ったのは稲取中央劇場であり、跡地を確定させられたのも稲取中央劇場のみです。

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(地図2枚)稲取地区における映画館跡地。国土地理院 地理院地図


 

2.1 オリオン劇場/オリオン座(1970年代初頭)

所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

オリオン劇場/オリオン座については文献での言及を確認できていない。Google mapsで「東伊豆町稲取801」を検索すると「宿」という用途不明の建物の場所に飛び、またGoogleで「東伊豆町稲取801」を検索すると不動産売買の鈴木商会という企業が出てくるが、詳細は不明。

事前にGoogle ストリートビューを見た限りでは、映画館時代の建物を魔改造したものに見えました。現地を訪れて建物を観察すると、奥のガレージとなっている部分が映画館のホールだったとしてもおかしくないものの、映画館の建物ではないだろうと思いました。

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(写真)オリオン座跡地?にある「宿」。

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(写真)オリオン座跡地?にある「宿」。

 

1.2 稲取中央劇場(-1978年)

所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1969年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1978年

大正時代には喜遊座という芝居小屋であり、のちに映画館に転換して稲取中央劇場に改称。『目で見る 三島・伊豆の100年』(郷土出版社、1991年)には1951年(昭和26年)頃の写真あり。1978年(昭和53年)に閉館した後、中央プラザとしてヤオハンの衣料部がテナントに入っていたが、2006年(平成18年)現在は福祉関係の事務所が一部を利用していた。

中央プラザの正面口が面している県道の標高は16m、裏口が面している道路の標高は10m。約2階分の高低差があり、映画館時代にどのような建物が建っていたのか気になります。

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(写真)稲取中央劇場跡地にある中央プラザ。

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(写真)稲取中央劇場跡地にある中央プラザ。

下田市立図書館を訪れる

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(写真)下田市立図書館。

 

2019年6月、静岡県下田市下田市立図書館を訪れました。

 

下田市伊豆半島の南部にある自治体。熱海市からJR伊東線伊豆急行線で訪れました。伊豆半島に足を踏み入れるのは初めてです。

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(地図)静岡県における下田市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

首都圏における伊豆の立ち位置をよく知らないのですが、京阪神における丹後地方のようなイメージでしょうか。距離は約150km、所要時間は3-4時間。下田市の観光交流客数は現在でも250万-300万人いるとのことですが、下田市がこれほどはっきりした観光都市だとは知りませんでした。

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 (写真)伊豆急下田駅

 

1. 下田市立図書館を訪れる

1-1. 下田市立図書館の規模

下田市立図書館の現行館は1976年(昭和51年)開館。延床面積は762.88m2とのことですが、書架が置かれているのは1階部分だけであり、1階の床面積は300m2以下だと思われます。下田市立図書館 - Wikipediaによると、伊豆急下田駅の北東にある下田総合庁舎に移転する計画があるらしい。なお、このWikipedia記事は2017年11月3日に開催された「WikipediaTown in 下田小学校 & 白浜小学校」で作成されたものです。

2019年6月1日時点の下田市の人口は2万1459人であり、静岡県でもっとも人口が少ない市らしい。ちなみに愛知県では豊山町(1万6000人)、南知多町(1万800人)、美浜町(2万2000人)、大口町(2万4000人)などと同規模であり、この4自治体のうち2自治体(豊山町南知多町)には公共図書館がありません。

 

1-2. 雑誌『黒船』

蔵書数は約10万冊であり、伊東市立伊東図書館の60%、熱海市立図書館の50%程度ですが、『静岡県の図書館 平成30年度』を見ると他館と比べて郷土資料の比率が高いようです。郷土資料は「幕末開港関係」「下田関係」「賀茂郡関係」「静岡県関係」に分かれており、特に1924年大正13年)から1944年(昭和19年)まで発行されていた雑誌『黒船』に興味を持ちました。

利用者カードに描かれているイラストは『黒船』の表紙だそうで、この雑誌については公式サイト内でも詳しく紹介されています。「静岡県関係」コーナーには『黒船』が置かれており、また「『黒船』執筆陣人物帖」と題したファイルも置かれていました。図書館の一般利用者は気づかない目立たない場所にありますが、置き場所を変えてもっとアピールしてもいいのでは。利用者カードにゆるキャラ漫☆画太郎などが描かれている自治体も多いですが、その町の文化創造を象徴するイラストを用いていることには好感を持ちました。

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 (左)下田市立図書館の外観。(右)図書返却ポスト

 

2. 下田市を歩く

2-1. なまこ壁の街並み

なまこ壁は下田を象徴する景観だそうで、土蔵などではなく民家にも当たり前のように取り入れられているのが新鮮でした。幕末に国際港として開港した際に、明確な意図をもってなまこ壁の街並みを作り上げたとのことです。現在では景観創出の手段としてなまこ壁の意匠が用いられるようになっていて、なまこ壁の意匠が氾濫気味だとも感じるのですが。

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 (写真)ペリーロード。

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(左)下田開国博物館。(右)黒船ミュージアム

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(左)銭湯「昭和湯」。(右)カラオケボックス「メモリー」。

 

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 (左)下田市旧澤村邸。(右)安直楼。

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 (左)鈴木邸。(右)雑忠。

 

3. 下田市の映画館

下田市立図書館にある蔵書検索機によると、下田市立図書館が所蔵している『ゼンリン住宅地図』は1990年代が最新なので映画館は掲載されていない……と思い込んでいたのですが、帰宅してからOPACで検索すると1975年版を所蔵していたらしい。なんで気づかなかったんだろう。

静岡県立中央図書館は1971年版や1973年版や1976年版や1980年版の『ゼンリン住宅地図』を所蔵しているので、1970年代後半まであった黒船センターと三幸館は住宅地図に掲載されていそうです。下田湊座と白浜座については掲載されていない可能性が高いです。5月にはいちど静岡県立中央図書館を訪れて、住宅地図から映画館の一斉捜索を行いましたが、次に訪れる際は伊豆半島自治体の映画館について調べます。

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3-1. 下田湊座(-1969年)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町黒船通(1969年)
開館年 : 1884年4月19日
閉館年 : 1969年8月26日

開館年と閉館年はいずれも、土橋一徳『下田年表 平成16年版』土橋一徳、2004年。この『下田年表 平成16年版』では白浜座や黒船センターや三幸館の言及はない。「黒船通」がどの通りのことなのかは不明だが「銀座通」のことかも。

 

3-2. 白浜座(-1970年代初頭)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜1778(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

下田市街地ではなく白浜海岸にあったと思われる。現在の「下田市白浜1778」には民家らしき建物が建っている。

 

3-3. 下田黒船センター(-1970年代後半)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜黒船通(1969年)、静岡県下田市3-1-4(1976年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前

下田黒船センターの正確な跡地は不明。ただし「マックスバリュエクスプレス下田銀座店」があるブロックが「下田市3丁目1番」であり、マックスバリュの所在地は「下田市3丁目1番4号」であることから、黒船センターはマックスバリュの敷地にあった可能性が高い。

 

3-4. 三幸館(-1970年代後半)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町銀座通(1969年)、静岡県下田市2-11-20(1976年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前

三幸館の正確な跡地は不明。ただし「下田市中央商店街駐車場」があるブロックが「下田市2丁目11番」である。このブロックの中で映画館跡地である可能性がいちばん高い施設は下田市商店街駐車場。

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(写真)映画館跡地の可能性がある下田市中央商店街駐車場。

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(左)往路で使った8000系電車。(中・右)復路で使った特急スーパービュー踊り子号。

 

各務原市川島ほんの家を訪れる

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 (写真)川島ほんの家が入っている川島会館。

 2019年6月、岐阜県各務原市にある各務原市川島ほんの家を訪れました。

 

 

1. 旧川島町を訪れる

岐阜県各務原市(かかみがはらし)は岐阜市の東側に位置する自治体。2004年に羽島郡川島町を編入合併しています。

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(地図)愛知県から見た各務原市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1-1. 全域が川に囲まれている町

羽島郡川島町は木曽川に囲まれた自治体でした。この地域で木曽川は本流、北派川(ほっぱがわ)、南派川(なんぱがわ)の3派に分かれており、北派川で岐阜県各務原市岐阜県羽島郡笠松町と、南派川で愛知県一宮市や愛知県江南市と接していました。町域は木曽川本流で分断されており、町役場などがある南側と北側の笠田地区の間には、川島大橋と平成川島大橋が架けられていました。

川島町が各務原市編入された2006年時点で愛知県の自治体との間に架かっていた橋梁は河田橋、渡橋、思いやり橋の3本。岐阜県自治体との間に架かっていた橋梁はもぐり橋の1本でした。合併時点で各務原市と川島町を直接結ぶ橋梁はなく、各務原大橋が架けられたのは2013年になってからです。

近世以後のこの地域はずっと美濃国/岐阜県に含まれているものの、地理的には愛知県の一部のようなものであり、愛知県一宮市名鉄一宮駅からは1時間に2本のバスが運行されています。2018年に名鉄バスで旧川島町を訪れたこともありますが、今回は名鉄一宮駅から約9kmを自転車で走りました。

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 (地図)旧川島町に架かっている橋梁。©OpenStreetMap contributors

 

1-2. 旧川島町の渡船 

旧川島町の中央部には「V」字型に県道が通っており、各務原市役所川島支所、各務原市立川島小学校、各務原市立川島中学校などの公共施設の多くは「V」字の内側にあります。東側の県道を北端まで進むと木曽川松倉渡船場跡(松倉の渡し)がありました。木曽川本流を渡船で渡ってからまっすぐ北に進むと、1963年(昭和38年)に各務原市となった那加町の市街地があります。

1962年(昭和37年)には木曽川本流に川島大橋が架けられ、松倉の渡しは下流側の笠田の渡しとともに廃止されたとのこと。川島大橋の架橋からまだ57年。わずか2世代前まで渡船が唯一の交通手段だったなんて信じられません。 

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(左)木曽川本流。松倉の渡しがあった地点。(右)松倉の渡しの説明看板。

 

「V」字の北東端には木曽川松倉渡船場跡がありますが、北西端にあるのが川島会館です。堤防道路のすぐ南側に4階建ての建物が建っており、木曽川の河川敷は川島会館の駐車場としても使用されています。建物近くには「三斗山島の跡」碑がありますが、三斗山とは木曽川本流の中州にあった地区のことで、大正時代の河道改修で全戸移転となったようです。1891年(明治24年)の地形図には「松原嶋三斗山」という集落が掲載されていますが、木曽川の河道は現在とは異なりすぎていて当時の姿が想像できず、郷愁を感じることはできませんでした。

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(左)河川敷にある川島会館駐車場。右は川島会館。(右)「三斗山島の跡」と川島会館。

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(地図)明治24年のこの地域の地図に現在の木曽川の河道・県道・高速道路を追加。今昔マップ on the webを加工。

 

 

2. 川島会館を訪れる

2-1. 川島ほんの家

川島会館の3階に公共図書館各務原市川島ほんの家」があります。川島ほんの家は羽島郡川島町時代の1983年(昭和58年)4月21日開館。ワンフロア型で床面積は670m2です。岐阜県の町立図書館としては比較的早かったのではないかと思われ、開館を報じる中日新聞の記事には「県下でも指折りの立派な図書館」と書かれていますが、この言葉に誇張はないでしょう。当時の川島町の人口は約7900人。1983年時点ですでに書店がない自治体だったそうで、図書館の開館当初は大盛況だったとのことです。

開館当時は一般書1万冊、児童書7000冊、計1万7000冊。現在は一般書5万2000冊、児童書3万1000冊、その他も含めて計9万6000冊。書架の数は開館時のままのように思われ、現在も1983年の写真と変わらずゆったり並んでいます。3階にある図書室の北西方向は大きな窓になっており、本を読みながら木曽川の景色を眺めることができますが、本の退色は気になりました。

雑誌書架は図書室に入る前のロビー部分にありますが、開館当初からこのような配置だったそうです。1983年以前の「文芸書の貸し借りを行うだけの場所」とは異なる、「くつろいで雑誌や新聞を読める場所」であることをアピールするために工夫したのでしょう。

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(写真)図書室の入口外にあるロビー。左は雑誌書架。

 

2-2. 木曽川文化史料館・各務原市空襲資料室・民俗資料室

川島会館の4階には、旧川島町の歴史や経済について学べる木曽川文化史料館があります。気になったのは岡田式渡船の展示。両岸の堤防にワイヤロープを張り、船に結び付けた針金とワイヤロープを滑車で結ぶことで、水流を利用して動力なしに渡河できるという方式です。この地域でも明治末期からは岡田式が用いられていたとのこと。理屈はなんとなくわかりますが、本当に櫂なしに渡河できるのだろうかと思いました。

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(写真)木曽川文化史料館。右は渡船ではなく川漁に用いられていた帆掛船。

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(写真)岡田式渡船の模型。

 

木曽川文化史料館と同一階には各務原空襲資料室と民俗資料室があります。いずれも2018年7月21日に開館したばかりとのこと。各務原市は陸軍各務原飛行場があった関係で、何度も大規模な空襲を受けています。旧川島町も空襲を受けたそうですが、なぜ各務原市本土の各務原市歴史民俗資料館ではなく旧川島町に資料室を作ったのでしょう。

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(左)各務原空襲資料室。(右)民俗資料室。

 

 

3. 旧川島町の映画館

3-1. 川島劇場(-1970年代初頭)

所在地 : 岐阜県羽島郡川島町阿田島(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

羽島郡川島町には川島劇場という映画館があったようですが、映画館名簿以外の文献では言及を確認できていません。1969年の映画館名簿では所在地が川島町阿田島となっています。現在の川島市街地南部は河田町という地名であり、「阿田島」は「河田島」の誤りかもしれません。

 

 

4. 旧川島町を歩く

4-1. ごんぼ積み地区

旧川島町の西部では家屋の基礎としてごんぼ積みと呼ばれる石積みが多用されており、各務原市は旧川島町の「ごんぼ積み地区」を重要な景観資源としています。各務原市によるサイトをみてもごんぼ積みの定義はよくわからないのですが、水害に備えて丸石を高く積んだ石垣のことをごんぼ積みと称しているようです。

民家のそれとはだいぶ異なりますが、旧川島町でいちばん印象的だったのは八幡神社 (各務原市川島渡町) - Wikipediaのごんぼ積み。木曽川南派川の堤防のすぐ内側ということもあって、約3mの高さで大きな丸石の石垣が築かれていました。

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(写真)八幡神社

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 (写真)八幡神社のごんぼ積みの石垣。

 

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(写真4枚)川島渡町にあるごんぼ積みの街並み。

 

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(写真)木曽川南派川に架かる渡橋。旧川島町と愛知県一宮市を結ぶ。左は一宮市にあるツインアーチ138