振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「井手町ウィキペディア・タウン」に参加する

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(写真)井手町図書館が入っている井手町立山吹ふれあいセンター。塔屋は天文台

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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井手町を訪れる

 2018年2月4日(日)、京都府綴喜郡(つづきぐん)井手町(いでちょう)で開催された「井手町ウィキペディア・タウン」に参加した。

 井手町京都市奈良市を結ぶJR奈良線の沿線にある自治体。京都市よりもやや奈良市に近い。木津川の対岸には京田辺市がある。JR奈良線に“井手駅”はなく、今回の編集対象にもなった玉川に因む玉水駅で降りる。

 玉水駅の標高は27mであるが、井手町図書館の標高は90mであり、徒歩15分の間に63mもの高低差を上る。航空写真を見ると市街地は玉水駅周辺と上井手地区の2段からなっているのがよくわかる。玉水市街地から自転車や徒歩で図書館訪れるのは難しく、中高生の利用者は少ないかもしれない。2010年代だったらこんな場所に図書館を作らない。1994年らしい立地だと思う。

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(写真)井手町立山吹ふれあいセンターの入口。上の写真の裏側。

 

 

まちあるきする

09:30-12:30 趣旨説明、まちあるき
12:30-13:30 昼食
13:30-14:00 Wikipediaの概要説明
14:00-16:00 Wikipediaの編集
16:00-16:30 成果発表
16:30-16:45 閉会挨拶、写真撮影

 

 今回のイベントのスケジュールは上の通り。井手町立図書館の開館は10時であるため、9時30分の集合場所は図書館前の屋外。寒かったので晴れてよかった。なお、今回の参加者に隣接する城陽市在住者はいたものの井手町在住者はいなかった。

 まちあるきには3時間というゆったりした時間が取られている。地図上で計測した歩行距離はちょうど3kmだった。ただし、井手町図書館(標高90m)から、玉津岡神社(131m)、井手町町づくりセンター椿坂(67m)、玉川の桜並木(47m)、井堤寺の柱跡(66m)、井手町図書館(90m)というコースにはちょっとした高低差がある。特に図書館から玉津岡神社までの区間は急な坂もあるため、その旨をあらかじめ告知しておいたほうがよいと思った。

 OpenStreetMapにおいて井手町は、まだ道路すらも完全に書かれていない。あとからルートを確認するために、初めてイベントでOSM Trackerを使った。玉津岡神社に向かう際にはGoogle Mapにも書かれていない道を通ったため、OSM Trackerを起動させておいてよかった。

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(写真)Google Mapにも掲載されていない「山背古道」を歩く参加者。

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(左)玉津岡神社。(右)地蔵禅院のシダレザクラと眼下の市街地。

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(左)小町塚。(右)井手町まちづくりセンター椿坂。

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(写真)開花時期には桜並木がもっともきれいに見えるという橋の上。

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(地図)今回のまちあるきコース。

 

 橘諸兄によって橘一族の氏神として創建された玉津岡神社 - Wikipedia(郷社)は、井手町の玉水地区全体を見下ろしている。すぐ下には地蔵院 (京都府井手町) - Wikipediaがあり、参道の入口には小野小町塚 - Wikipediaがある。現在は玉水駅周辺が井手町の中心地であるものの、かつて(中世?)は玉津岡神社に近い「上井手」が中心地だったという。

 木津川支流には天井川が多い。「京都山背の天井川形成史と環境評価」によると、山城地域の木津川支流のうち、長谷川・青谷川・南谷川・玉川・渋川・天神川(ここまで右岸)・天津神川・防賀川・馬坂川・手原川(ここまで左岸)の10河川が天井川であり、その中でもっとも流域面積の大きな河川が玉川 (井手町) - Wikipediaだという。関西地方ではそれほど珍しくないイメージがある天井川だが、これだけ集まっている地域は珍しい。地形図ではこのように示される

 玉川がある木津川右岸は平地に出てから木津川に合流するまでの距離が短い。そのうえ天井川とあれば、頻繁に洪水が起こったことだろう。その極めつけが1953年の南山城水害 - Wikipediaだそうで、井手町だけで109人の死者が出たという。強固な堤防を作れない時代に「上井手」が中心地だったというのもうなづける。なお、南山城水害という記事は京都府南陽高校の授業外学習で作成された記事であり、今回も加筆された。

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(図)この地域の天井川の模式図。才田川以外はJR奈良線がトンネルで河川をくぐっている。

 

玉川 (井手町)を作成する

 今回のイベントはそれほど参加者が多くなかったため、午後の編集ワークショップではひとりまたはふたりでひとつの記事を新規作成し、主催者であるCode for 山城の青木さん、オープンデータ京都実践会のMiya.mさんとMiyaさんの3人が編集初心者のサポートにまわった。主催者が用意した編集対象には玉津岡神社、小町塚、地蔵院などがあったが、私は井手町の歴史に深くかかわる地理記事「玉川」をひとりで新規作成することにした。まちあるきの時間が長かったので、編集ワークショップ(2時間)の時間はそれほど長くない。

 

 まず『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』『京都大事典』という3つの事典を使い、水源や延長距離や流域面積などの基本的な情報を洗い出していく。できるだけ頭を使わないように淡々と作業し、この題材にとって重要な部分を漏らさないように骨格を作る。名称や灌漑用水の歴史なども事典から得られた。歴史的に重要な河川であることを示すために、この地で詠まれた歌を4首掲載した。

 次にまちあるき時にガイドから聞いた情報を思い出し、『井手町の自然と遺跡』『平成の名水百選』などで肉付けしていく。「桜祭りの期間中には約5万人の花見客が訪れる」こと、「日本でも代表的な天井川地帯」であることなどを追加した。そして新聞記事から“おもしろみ”のある記述を追加する。今回の場合は「馬の絵が彫られた重さ数百トンの駒岩」があり「南山城水害では駒岩でさえも流された」ことを書き加えた。

 最後にこまごまとした作業を行った。自身が撮った桜並木の写真を加え、すでにWikimedia Commonsに上げられていた大正池の写真を加えた。葛飾北斎の掛軸、歌川広重の浮世絵、『拾遺都名所図会』の絵図をウェブから探してきて掲載し、歴史的な重要性を視覚的に説明している。イベント終了時には約10,000バイトになった。

 

 参加者が協力してひとつの記事を作り上げることが魅力のイベントなのに、今回はひとりで作業した。そこで成果発表時には、この記事の課題として「桜が満開の時の写真が欲しい」「駒岩の写真も欲しい」という2点を挙げた。特に桜並木の写真については井手町在住者でないとなかなか撮影できないので、地元の方が写真を掲載してくれると嬉しい。

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(左)今回準備された文献。(右)成果発表。

「京女まち歩きオープンデータソンvol.2」に参加する

connpass.com

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 2018年2月3日(土)、「京女まち歩きオープンデータソンvol.2」に参加しました。京都女子大学の「学まち推進型連携活動補助事業」だそうで、桂まに子先生の主催、オープンデータ京都実践会の協力です。なお2017年8月6日(日)には「京女まち歩きオープンデータソンvol.1」が開催されており、当初は参加する予定でしたが参加しませんでした。桂まに子先生とは2017年11月の図書館総合展における大懇親会で初めてお会いしています。

 

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(写真)今回の会場となった金剛寺

 

10:00-11:00 オープンデータ・WikipediaOpenStreetMapの説明(1時間)

11:00-11:30 昼食(30分)

11:30-12:00 金剛寺の見学(30分)

12:00-14:00 東山三条のまちあるき(2時間)

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業(2時間)

16:00-16:30 成果発表(30分)

16:30-17:00 写真撮影、お勤め(30分)

 

金剛寺を訪れる

 前回は京都女子大学の教室で開催したようですが、今回は地下鉄東山駅に近い金剛寺が会場です。今回のスケジュールは上のような感じ。名古屋でのウィキペディアタウンでは説明もそこそこにまちあるきに出かけますが、オープンデータ京都実践会では講師3人で1時間というのが標準。その代わり昼食の時間が短いですね。近くに数軒あるコンビニで済ませた方が多かったようです。「お勤め」がスケジュールに組み込まれているのも今回の特徴。

 

 さて、私は今回OpenStreetMapのグループに入りました。オープンデータ京都実践会のイベントには10回以上参加していますが、OSMのグループに入ったのは2回目です。11時30分からは会場である金剛寺の建物内を回って編集用のメモを取った後、約2時間のまちあるきを行いました。Google Mapで計測してみると歩いた距離は約2km。2時間で2kmというのはゆったりしたスケジュールであり、古川町商店街の店舗を1軒ずつ記録する時間が取れました。

 今回のまちあるき範囲は2016年7月に行った京都オープンデータソン2016 vol.1(青蓮院、円山公園粟田神社)と少し被っています。この時は暑い時期だったこともあってまちあるきがスケジュール通りに進まず、是住さんがイライラしていたのを覚えています。なお、旅行中ということで今回のイベントには不参加でしたが、金剛寺に持ち込まれた文献は是住さんによるものです。

 

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(左)畳の上に机を並べた会場。(右)坂ノ下さんによるOSMの説明。

 

東山三条をまちあるきする

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(地図)今回のまちあるきコース。

 

 まちあるきの主な目的地は合槌稲荷神社と古川町商店街。三条神宮道交差点から200mほど東にある合槌稲荷神社は、大通りから路地を入った先にある社。2017年11月の「ウィキペディアタウンin岐阜」で新規作成した弥八地蔵 - Wikipediaを思い起こさせます。最近では刀剣乱舞の聖地となっているようで、我々が路地を出てくるときにも何人かの女性が鳥居の写真を撮っていました。この地に祀られた経緯や、現代の聖地化についてはまだ書き加えられていないようです。

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(右)合槌稲荷神社で説明する桂まに子先生。

 

 京都市街地の中でも東山には寺社仏閣などの観光地が多く、道路や建物についてはOSMに書き加えられることが少ないです。樹木や小規模な林についてもすでに書き込まれているものが多いのですが、旧・京都市立白川小学校の南側歩道上にある木を書き加えました。また、白川小学校についてはOSMWikipediaに相互リンクを張りました。白川小学校の跡地には、民間事業者によってホテルを中心とする文化複合施設とやらが建つようです。どの記事を見ても何年頃に完成するのかがわからないのですが、この地域の景色が一変するくらい大きな敷地です。

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(右)まちあるきの様子。

 

古川町商店街サーベイする

www.furukawacho.com

 神宮道の東側には観光客の多い青蓮院や知恩院がありますが、西側はこじんまりとした民家がひしめき合う京都らしい路地の町です。白川を超えると200mのアーケードがある古川町商店街がありました。この商店街は若狭街道の終着点であり、かつては「東の錦」(中京区の錦市場)と呼ばれるほど繁栄していたそうです。

 たかだか200mほどの商店街であり、公式サイトの店舗紹介を見ると28店舗しかないのに、コンテンツが充実した公式サイトを持っています。クリスマス祭りや春祭りのイベントチラシを見ると、主催/後援/協力には京都府/京都市/京都商工会議所/京都華頂大学などが名を連ねています。2017年には白川まちづくり会社という組織が設立され、企業支援、店舗誘致、イベント開催などを行っているようです。古川町商店街や白川まちづくり会社の中心にはいったいどんな方がいるのか気になります。

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(写真)古川町商店街のアーケード南端。

 

 OSMグループはすでにマッピングされていた商店街の建物に対して、一軒一軒店名を与えていきました。古川町商店街の公式サイトにはこのような店舗マップがありますが、一棟に一軒とは限らない商店街のこと、建物との関係性を考えてマッピングするのは難しいものでした。

 WikipediaグループはWikipedia記事を作成してくれましたが、まだまだ加筆の余地があります。近世に栄華を極め、いちどは衰退したものの、近年になって再び盛り返している、という歴史がわかるとよいです。近世の文献には絵図などが掲載されていないでしょうか。現在は紙媒体の文献しか使用していないようですが、ウェブ検索するとこの商店街について書いた記事がいくつも見つかるので、うまく組み込みたいところです。まちあるき対象としてもWikipedia/OSMの編集対象としても魅力的な商店街でした。

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 さて、今回のイベントは京都女子大学の桂まに子先生が主催したものです。京女の学生さんがOSMグループとWikipediaグループに2人ずつ参加しており、うち3人は懇親会にも来てくださいました。少人数のゼミではなく大人数の授業でイベントについて告知されたとのこと。知らない大人しかいない授業外のイベントに自主的に参加できるのはすごい(私には無理)。

 2017年3月に大垣市大垣祭りをデータで残そう feat International Opendata Day)、6月に宇治市オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1)、9月に静岡市静岡!街歩かない!マッピングパーティ1)、この2018年2月に今回のイベントと、OpenStreetMap関連ではこの1年間で4回のイベントに参加しました。イベント外では個人的に人口8万人分くらいの建物の輪郭を書いてきましたが、がっつりと書き始めたのは大垣市でのCode for GIFUのイベントがきっかけです。WikipediaでもOSMでも、イベントは積極的な編集活動のきっかけになります。

 

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(写真)OSMグループとWikipediaグループに分かれて編集中の会場。

 

Wikipediaグループの成果物(私はノータッチ)

金剛寺 (京都市東山区五軒町) - Wikipedia - 新規作成

合槌稲荷神社 - Wikipedia - 新規作成

古川町商店街 - Wikipedia - 新規作成

 

春日井市の映画館

名古屋市に隣接している愛知県春日井市は県内第6位の人口30万人を有する自治体。図書館は春日井市図書館の1館だけですが、10の分室があり、ひときわ規模の大きな分室として東部市民センター図書室があります。高蔵寺ニュータウンにあるこの図書室はこの2018年3月19日をもって閉室となり、4月1日には500mほど離れた多世代交流拠点施設「グルッポふじとう」に「図書館」が開室します(名称は「図書館」だが条例上の位置づけは図書室のままと思われる)。

1か月後の閉室を前にして、初めて東部市民センター図書室を訪れました。また、春日井市図書館は何度も訪れたことがあります。図書館/図書室のことを書く前に、まずは春日井市の映画館を取り上げます。

 

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春日井市の映画館

映画黄金期の春日井市には5館の映画館があったが、成人映画館のユニオン劇場を除けば1970年代までに閉館した。1980年代前半に開館した春日井コロナシネマは初期にできたシネコンのひとつだったが、2017年2月26日をもって閉館した。2008年には直線距離で1kmしか離れていない西春日井郡豊山町にミッドランドシネマ名古屋空港が開館しており、コロナグループはよく10年近くも閉館を遅らせたと感心する。

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映画館の場所を特定する

映画館の情報はウェブに残したい。現役のユニオン劇場と閉館したばかりの春日井コロナシネマを除く4館はいずれも、ウェブ検索だけでは場所すら特定できないので、春日井市図書館にある住宅地図で探した。春日井市図書館が所蔵している春日井市域の住宅地図のうち、もっとも古いのが1965年版、次いで1983年版である。春日井市域であっても愛知県図書館のほうが年代の網羅性が高いと思われる。

 

鳥居松劇場と五月座と2館は1965年の住宅地図で所在地が判明した。

鳥居松東映は鳥居松商店街と愛知県道25号の交差地部に近い場所にあった(消えた映画館の記憶地図での座標)。13階建のマンション「マストスクエア春日井鳥居松」から道路を挟んで南東側、現在は林永興行株式会社(外観は住宅)がある位置にあった。

鳥居松商店街は名古屋城下と中山道を結ぶ下街道(したかいどう)の一部だった。下街道を約7km下ると旧東春日井郡坂下町の坂下市街地がある。坂下市街地中心部にある坂下町2丁目交差点でから北東に折れると、現在は坂下区公会堂の南側にある農地に五月座があった(消えた映画館の記憶地図での座標)。勝川キネマがあった勝川も下街道沿いに発展した町である。

 

春日井市の映画館に関する文献

春日井市にあった映画館のうち、坂下の五月座は『写真集春日井 明治・大正・昭和』(創文出版社・1989年)や『坂下小創立百周年記念誌』(春日井市立坂下小学校・1973年)といった文献に登場する。なお、ユニオン劇場は港町キネマ通りに詳細な記事が掲載されている。

しかし、春日井の二大商業中心地にあったはずの鳥居松劇場と勝川キネマや、繁栄していた頃の高蔵寺商店街にあったはずの高蔵劇場については、各年版の『映画館名簿』にしか登場しない。勝川キネマと高蔵劇場は1965年の住宅地図にも掲載されておらず、場所の特定ができなかった。

春日井市史』などに掲載されていないのは仕方ないとしても、『勝川商店街史』『勝川今昔ものがたり』などの“それらしい”文献にも登場しない。現在の春日井市は愛知県第6位の人口30万人を擁するが、1940年時点では勝川町が人口11,000人、鳥居松“村”が人口6,000人でしかなく、一宮や瀬戸はもちろん小牧よりも小さな町だったらしい。現在の自治体規模を考えると、中心市街地にあった映画館の情報が驚くほど少なく見えるが、これは仕方ないのかもしれない。

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(地図)春日井市にある/あった映画館の地図。上が春日井市役所周辺。下が春日井市全域。この2枚の出典はOpenStreetMap。作者はOpenStreetMap contributor。

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 (写真)春日井市にただひとつ残る映画館「ユニオン劇場」。 

 

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春日井市図書館を訪れる」に続く予定。

知多市立中央図書館を訪れる

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(写真)知多市立中央図書館。

訪問後には「知多市立中央図書館 - Wikipedia」を作成しました。こちらも併せてごらんください。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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知多市立中央図書館を訪れる

名古屋市中心部から南に20km、愛知県知多市にある知多市立中央図書館は1980年竣工。愛知県に約90館ある図書館の中では、建築年が古いほうから1/4に入る。

図書館公式サイトのアクセスマップには「名鉄常滑線古見駅または長浦駅下車徒歩約20分」とあったため、最寄駅と思われる長浦駅から歩いたが、曲がりくねる道と激しい高低差のおかげで時間以上の距離を感じた。Google Mapで経路案内を行ってみると、長浦駅からは「1.9km・24分」、古見駅からは「2.0km・26分」と表示された。高低差のせいでGoogle Mapの表示以上の時間がかかるはず。公式サイトの表示はいいかげんだ。

 

Google Mapを航空写真にしてみると、図書館を中心として北東から南西方向に緑色の帯が見える。図書館があるのは知多丘陵の西端、標高30-40mの尾根の中。裏手には里山が広がっている。駅から住宅街の中を歩いていたはずなのに、図書館に着く前の数百メートルは昭和の多摩丘陵を歩いているみたいだった。(※昭和の多摩丘陵など歩いたことないです。)

知多市立中央図書館は昭和50年代の公共施設らしさにあふれている。入口前には階段があり、国旗と自治体旗を掲揚するポールがあり、建物はレンガ調で茶色く、角ばった曲線のない箱型。この外観を見ると昔ながらの図書館に来たという気持ちになる。建物は傾斜地にあるため、南側は3階建、北側は2階建となっている。

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 (左)3階建となっている南側。(右)図書館裏手の里山。この辺りは知多市新知虎馬という地名らしいです。とらうま?

 

館内を見学する

図書館に入ると目立つのが、自動貸出機前のデジタルサイネージ。最近は設置している図書館が多くなった。入口で立ち止まらせるための小道具としては効果的な気がするものの、使いこなせているといえる図書館は少ないのでは。

この日の知多市立中央図書館では上階で教養講座「知多半島の命の水『愛知用水』」を開催していたが、この図書館では各種講座やセミナーが頻繁に開催されているうえに、文学講演会が年1回の恒例行事になっているらしい。2007年には前年の芥川賞作家・中村文則(隣接する東海市出身)の、2008年にも前年の芥川賞作家・諏訪哲史名古屋市出身)の講演会を行っているが、文学講演会を恒例行事としたのは2009年の指定管理者制度導入後だろう。

指定管理者は図書館流通センター。2010年には絵本作家のあきやまただしが、2011年にはエッセイストの内藤洋子と歴史小説家の桐野作人が、2012年には童話作家角野栄子が、2013年には教育者の宮本延春が、2014年には歴史小説家の井沢元彦推理小説家の有栖川有栖が、2015年には小説家の瀬尾まいこが、2016年には絵本作家の宮西達也が、2017年には小説家の谷村志穂知多市立中央図書館を訪れている。2018年2月17日には児童文学作家の富安陽子が講演を行う

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(左)入口のデジタルサイネージではイベントの紹介。(右)タブレット型の自動貸出機。珍しい。「自動貸出機」の文字のインパクトが強い。

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(左)閉架書庫にある図書の紹介を行う「蔵出し文庫」。(右)「スタッフおすすめ本」。全スタッフが自身の趣味に関する本を選んでいるみたい。

 

なお、訪問日の約1か月後の2017年12月2日には「公共施設再配置ワークショップ」なるものが開催されるというチラシが貼ってあった。知多市は2016年に名鉄常滑線朝倉駅(市の中心駅)周辺の整備のあり方を考える有識者会議を設置。この有識者会議は知多市に対して、図書館などが入る複合商業施設の建設を2017年に提案したらしい。知多市は2017年度内の基本構想策定・2020年度以降の事業着手を目指しているそうで、約5年後には今の図書館の役割が大きく変わるのかもしれない。

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(左)一般書の書架。236は開架に28冊も。(写真)一般書とティーンズを分ける中央通路。

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 (写真)郷土・参考資料室の竹内理三コーナー。竹内に授与された文化勲章の現物が、かつてここに展示されてたとか。自治体規模の割に、郷土・参考資料室には県外の自治体史が多いし、行政資料やパンフレットなどの薄い資料も多い。

 

知多市立中央図書館での写真撮影

メインカウンターで写真撮影の可否をたずねると“サブチーフ”の方が対応してくださり、「人が写らなければいいですよ」と即答された。建築年の古い図書館としては珍しく、写真撮影に対する対応のガイドラインがあるのだろうか。それならば好感が持てる・・・と思って一般書の書架を撮影していたら、別の“スタッフ”が足早に近づいてきて、「写真撮影はおやめください」と厳しくたしなめられてしまった。「シャッター音やフラッシュが他の利用者の迷惑になります。図書館は『そういうところ』です」。

メインカウンターに助けを求めようと思ったけれど、先ほど対応してくださった方は席を外していた。「『そういうところ』とはどういう意味か」質問してみたい気もしたが、目をつけられたまま館内にいるのは嫌なので、そのまま外に出た。このためこの日は児童書の書架などは見ておらず、また文献のコピーも行っていない。

「図書館を出るまで気を抜かない」「さっと撮ってさっと出る」ことを改めて意識した。このスタッフの方の対応が間違っているとは思わない。カメラを持ってうろついている人間がいた場合、本の中身や人物を盗撮しているのでないと見極めるのは難しいし、年に数回あるかどうかの対応について全スタッフに周知しておくのも難しい。なお、私は写真撮影者であることを職員や他の利用者にはっきり示すために、“カメラであることが明確”かつ“シャッター音の出る”デジタル一眼レフで撮っている。

 

 

岡田地区の劇場「喜楽座」

さて、この日は愛知県庁が実施する国登録有形文化財の特別公開の日だった。知多市では岡田地区にある「手織りの里 木綿蔵ちた」「知多岡田簡易郵便局」「旧岡田医院」「旧中七木綿本店」の4棟が公開された。知多市立中央図書館の住所も知多市岡田であり、図書館から岡田地区までは徒歩10分ほどと近い。この日に知多市立中央図書館を訪れたのはこのためだった。

岡田地区については岡田街並保存会のウェブサイトが詳しい。岡田地区は近世から近代に知多木綿の生産地として繁栄したが、需要の変化、他地域の産地に押されたこと、鉄道や主要道の経路から外されたことで衰退した。その代わりに江戸・明治・大正・昭和戦前の建物が数えきれないほど残っているし、迷路のような狭い路地の端には祠が建っている。地区内にある建物を建築年代ごとに色分けした地図などもあり、建物や地区の歴史を後世に伝えようという意思が見える。

 

『全国映画館録 1960』には知多郡岡田町に喜楽座という映画館があったことが記されており、岡田街並保存会のウェブサイトには往時の喜楽座の写真が掲載されている。映画館好きとしては喜楽座の場所を突き止めたい。ウェブ検索だけでも場所が特定できそうではあったが、せっかくなので岡田街並保存会にメールしたところ、現地に看板があることを教えてくれた。

現地を訪れると喜楽座の跡地はすぐにわかった。地区の入口といえる愛知県道252号大府常滑線の「海渡」交差点から南に100m、県道に並行する旧道がクランク状になっている地点に、しゃれた外観のアパート「ローズパーク」がある。敷地の前には「芝居小屋 喜楽座跡」という説明看板が立っていた。Google Mapでの座標

 

1925年に株式会社として設立された劇場「喜楽座」の建物は、当地の棟梁である竹内角三によって建てられた。桝席の両側に花道があり、さらには回り舞台も備えた本格的な芝居小屋だった。当時の岡田は木綿工場の従業員だけで約3000人を数え、岡田だけでなく近隣集落からも客が集まった。昭和20年代からは映画を上映するようになり、大江美智子舟木一夫を招いたこともあった。建物は1995年に解体された。

看板「芝居小屋 喜楽座跡」の内容を要約

 

1960年の愛知県に存在した321館の映画館のうち、2018年までに317館が姿を消した。なくなってしまった映画館のうち、図書館でさっと調べて場所が特定できる映画館はそれほど多くないし、 ウェブ検索して場所が特定できる映画館は一握りなのに、喜楽座の場合は現地に説明看板が立っている。こんな映画館がいくつあるだろう。図書館の再訪も兼ねて、気候のよい時期にまた訪れたい。

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(写真)喜楽座跡。説明看板には喜楽座の写真も掲示。

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(左)展示・体験施設「木綿蔵・ちた」。国の登録有形文化財。(右)知多岡田簡易郵便局。国の登録有形文化財。「現役の郵便局としては日本でもっとも古い登録有形文化財」だそう。