振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン亀山」に参加する

(写真)亀山市立図書館。

2024年(令和6年)2月24日(土)、三重県亀山市で開催された「ウィキペディアタウン亀山」に参加しました。

 

1. イベント概要

2023年(令和5年)2月には亀山市立図書館の新館が開館し、この2024年(令和6年)2月には開館1周年を迎えました。今回のイベントは亀山市では初となるウィキペディアタウンであり、2025年(令和7年)以降にも開催される可能性があるとのことです。

(写真)チラシ。

 

1.1 スケジュール

午前 まちあるき

10:00-10:30 ウィキペディアタウンの説明

10:30-12:00 まちあるき

12:00-13:00 お昼休み

午後 ウィキペディア編集

13:00-13:15 Wikipedia編集方法の説明

13:15-15:45 Wikipedia編集

16:00-16:30 成果発表・まとめ

 

2. まちあるき

主催者である青木和人さんからウィキペディアタウンの説明を聞いた後、Wikipedia記事編集の候補である「亀山神社」「野村一里塚」「忍山神社」の3か所をまわる約90分のまちあるきを行いました。各スポットでは亀山市役所市民文化部文化課の山口さんが説明を担当してくださいました。

(写真)亀山神社。

(写真)野村一里塚。国指定史跡。

 

忍山神社は紀元前91年(崇神天皇7年)に鎮座し、延喜式神明帳にも記されている式内社です。これまでWikipediaに記事がなかったのが不思議なほど歴史の長い神社ですが、神社が作成したレジュメの由緒書きは読み解くのが難しい。ウィキペディアタウンの題材としては厄介だと感じました。

神社という題材は理解しておかなければいけない専門用語も多く、文章の要約練習会になってしまいがちです。実際に、忍山神社を編集したグループは3グループの中では最も苦戦していたように見えました。

(写真)忍山神社。

 

亀山神社と野村一里塚はいずれも江戸時代の歴史を主軸とする題材であり、伊勢亀山城や亀山宿に強く関係しています。私が今回のイベントの編集記事を選定するならば、忍山神社を外して伊勢亀山城または亀山宿を加え、3記事が相互に絡み合うようにします。こうすれば広報開始段階で「伊勢亀山城/亀山宿に関する記事を編集しましょう」という告知もできるし、参加者がまちあるき時に意識すべきポイントも明確になると考えています。

 

3. 文献調査・Wikipedia編集

3.1 編集記事

亀山神社 (亀山市) - Wikipedia」(新規作成)

野村一里塚 - Wikipedia」(新規作成)

忍山神社 - Wikipedia」(新規作成)

 

3.2 グループワーク

参加者の希望によって3グループに分かれ、それぞれのグループでWikipediaの編集経験者を中心としてグループワークを行いました。私は亀山神社のグループに入っています。Wikipediaの編集スキルの高さとファシリテーション能力の高さは別物だし、ウィキペディアンが議論進行のかじ取りをしてしまうのは好きではないのですが。

 

今回のウィキペディアタウンでは、事前に亀山市立図書館の司書が亀山神社に言及している文献をピックアップしてくれています。まずは亀山神社に関する文献を読んでもらい、文化課の山口さんの説明や参加者自身が見聞きしたことなどを元に、Wikipedia記事にどんなことを書いていけばよいか考えてもらいました。

(写真)事前に集められた文献。

 

2023年(令和5年)5月の「ウィキペディアタウン@北杜Inたかね」では「熱那神社 - Wikipedia」を新規作成しています。この記事を神社記事の見本にできそうだったため、熱那神社の記事から文章を除去して節構成だけを抽出した状態の記事をベースに、亀山神社の記事の骨格を作成して早い段階で投稿しました。

(写真)Wikipedia記事「亀山神社」の初版。ほとんど文章がなく、最低限の体裁を整えた状態。

 

ざっと文献を読んでもらった後、「歴史」節、「宝物」節、「文化財」節など、グループ内で緩やかな役割分担を行いました。その後は各自で紙のノートなどに文章をまとめてもらい、編集時間の終盤に私のノートPCともう一台のPCで打ち込んでいく作業を行いました。私は主に「境内」節を編集し、また他の方の編集の修正などを行っています。

(写真)文献調査・Wikipedia編集中の会場。

 

4. 自身の編集

4.1 記事「亀山神社」の加筆

延亭元年(1744年)に亀山城内に祀られたのが真澂神社(ますみじんじゃ)であり、1906年明治39年)の神社合祀令後に様々な神社を合祀して亀山神社に改称しました。忍山神社と比べるとかなり新しい神社であり、社殿そのものの建築にも大きな特徴がないように思われます。

しかし、亀山神社の境内には様々ないわれを持つ建物や石碑があったため、これらについて記事に反映させています。「境内」節を設けて建物や石碑を列挙したうえで、書くべきことの多い亀山演武場と明治天皇行在所については境内節の下位に独立した節を設けました。

亀山演武場と明治天皇行在所はそれぞれ他所から亀山神社の境内に移築された建物であり、神社の歴史と直接的に関係しているわけではないため、将来的には単独記事化を検討する必要があるかもしれません。

(写真)亀山演武場や明治天皇行在所などについて執筆した部分。Wikipedia「亀山神社 (亀山市)」。

 

神社記事に何を書くべきか考えた時に、まず目に見える建物や史跡を「境内」節に列挙することは初心者でもできるし、列挙した事物についての文章を膨らませていくのも取り組みやすい作業です。

一方で「歴史」節は目に見えない流れを書き連ねていく必要があります。参加者の関心が薄い題材だと、何を書けばよいかわからず困ってしまう。ウィキペディアタウンで神社や寺院に関する記事を題材とする場合、目に見える見どころの多い神社や寺院を選ぶのがお勧めです。

 

4.2 記事「野村一里塚」への古写真の追加

今回のように神社・寺院・史跡などを題材とする場合、現在の写真では表現できないものが写っている古写真、または内容の理解を深める絵図などを記事に追加できないかどうか考えます。

亀山神社、忍山神社、野村一里塚それぞれの記事に使えそうな古写真がないかと考えて郷土資料を閲覧していたところ、1964年(昭和39年)の野村一里塚の写真が『市勢要覧 かめやま 昭和39年度版』に掲載されているのを見つけました。樹木そのものは現在と変わらない姿ですが、現在は存在しない石製の玉垣が写っています。

(写真)1964年の野村一里塚の写真を挿入した記事。Wikipedia「野村一里塚」。

 

一般的に、Wikipediaの記事に写真を貼る際には姉妹サイトのWikimedia Commonsにアップロードした上でWikipediaに引用するという形を取ります。

この場合は日本の著作権法アメリカ合衆国著作権法の双方の保護期間が満了している必要があり、団体名義の著作物(写真)の場合は1956年(昭和31年)12月31日までに公表されている必要があります。1964年(昭和39年)の市勢要覧に掲載された野村一里塚の写真はWikimedia Commonsにアップロードできる基準を満たしていません。

日本の著作権法における保護期間は著作権者の死後70年です。団体名義の著作物(写真)の場合、保護期間が満了するのは公表後70年であり、1967年(昭和42年)12月31日までに公表されている必要があります。

1964年(昭和39年)の市勢要覧に掲載された野村一里塚の写真は保護期間が満了しており、Wikipedia日本語版にアップロードできる基準を満たしていることから、Wikimedia CommonsではなくWikipedia日本語版にアップロード(ローカルアップロード)しています。Wikipedia日本語版へのアップロードは、写真のアップロード方法としては比較的珍しい方法です。

(写真)Wikipedia日本語版にアップロードした1964年の野村一里塚の写真。

 

他にも使える写真や絵図などがないか探していたところ、元禄3年(1690年)に菱川師宣が描いた『東海道分間絵図』に野村一里塚が描かれているのを発見しました。

菱川師宣は元禄7年(1694年)に死去した絵師であり、著作権者の死後70年が経過していることから日本の著作権法における保護期間は満了していますし、1956年(昭和31年)12月31日までに公表されていることからアメリカ合衆国著作権法における保護期間も満了しています。

Wikimedia Commonsにアップロードできる基準を満たしているため、市勢要覧の写真とは違ってWikimedia Commonsにアップロードしています。

(写真)菱川師宣東海道分間絵図』1690年における野村一里塚を描いた部分。