振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「ウィキペディアタウン in 日野 vol.2」に参加する

(写真)日野商人が商った日野椀。

2022年(令和4年)10月30日(日)、滋賀県蒲生郡日野町で開催された「ウィキペディアタウン in 日野 vol.2」に参加しました。

 

1. イベント概要

2022年(令和4年)2月27日に続いて、日野町では2度目となるウィキペディアタウン。今回も主催は日野町立図書館であり、図書館内の会議室を会場として開催されました。日野町民、行政職員、日野町立図書館職員など、6人+スタッフが参加しました。私は利用者:漱石の猫 - Wikipediaさんとともに講師として参加し、参加者のWikipedia編集のサポートなどを行っています。

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(写真)会場となった日野町立図書館の会議室。

 

2. まちあるき

2.1 近江日野商人館

まちあるきの主要な目的地は近江日野商人館であり、図書館から2台の公用車プラスαに分乗して向かいました。2020年(令和2年)夏に個人的に訪れており、展示品の密度や展示の熱量に圧倒されたことを覚えています。

(写真)近江日野商人館。

 

近江日野商人館では満田良順館長に話を聞きました。とにかく情報量の多い資料館なので、ひとりで展示を見るだけでは混乱してしまう。館長の話で日野商人の歴史の要点を理解でき、午後のWikipedia編集にも役立ちました。

日野商人の商いの歴史には諸説ありますが、江戸時代前期から中期には日野椀と呼ばれる漆器の行商が主体となり、元禄年間(1688年~1704年)以後にはより高価な日野合薬の行商に切り替わり、享保年間(1716年~1736年)から寛政年間(1789年~1801年)頃には北関東などに定着するようになります。現在の日野祭には江戸時代に作られた16基の曳山が繰り出しますが、いずれも日野合薬の商いが盛んだった時代に作られたそうです。

(写真)日野商人の主要な販売品だった日野合薬。

(写真)日野商人が創業した酒蔵の数々。

 

「八幡表に、日野裏」という言葉がありますが、近江商人の中でも日野商人は(八幡商人とは違って)表側で富を誇示することがなく、奥座敷など邸宅の奥を飾り付けるのだそう。近江日野商人館の敷地は板塀で囲まれていますが、裏側だけが杮葺となっていることからもよくわかります。

(写真)杮葺である板塀の裏側。

 

2.2 大窪町曳山「龍虎車」

日野祭に繰り出される16基の曳山のうち、大窪町の曳山「龍虎車」と飾り幕を見学させてもらいました。滋賀報知新聞の記事によると、文政12年(1829年)に作られた幕を長らく使用していたものの、1994年(平成6年)に見送幕を、1995年(平成7年)に前幕を、2007年(平成19年)に横幕を新調したとのこと。記事中には(大窪町は)"38戸で曳山を守る" とありますが、一戸当たりどれだけの負担があるのだろう。

(写真)大窪町曳山「龍虎車」に用いる飾り幕。

 

なお、イベント開始前には1時間ほど日野町を散策しました。日野町を訪れるのは4度目であり、だいぶ町の構造が分かってきた。この際には記事に用いるための写真(日野商人の製薬業に源流を持つ日野薬品工業、日野祭の御旅所であるひばり野など)も撮影しています。

(写真)日野祭の曳山蔵。岡本町、南大窪町、今井町。朝の散歩時に撮影。

(写真)日野祭の御旅所となるひばり野。朝の散歩時に撮影。

 

2.3 旧島崎善兵衛邸

昼食会場は旧島崎善兵衛邸。初代島崎善兵衛は下野国烏山における帷子の行商で財を成した日野商人。3代目島崎善兵衛は書画で名を成し、1907年(明治40年)から1909年(明治42年)には5代目島崎善兵衛が日野町長を務めています。越屋根がある主屋は江戸時代末期の建築と推測され、主屋の北側には庭園を見渡せる離れ座敷が、さらに北側には3棟の土蔵があります。

日野町役場が管理する古民家としては既に近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」があり、旧島崎善兵衛邸は手に負えないのこと。日野まちなみ保全会が活用を模索している古民家であり、この2022年(令和4年)秋に公開の目途が立ったばかりだそうです。日野まちなみ保存会の事務局長はアメリカ合衆国・ボストン出身のモーア・オースティンさん。なお、旧島崎善兵衛邸の隣の古民家にはイギリス・ロンドン出身のトム・ヴィンセントさんが住んでいます。

(写真)旧島崎善兵衛邸。主屋。

(写真)旧島崎善兵衛邸。奥座敷

(写真)旧島崎善兵衛邸。(左)"第三番" の電話室。(右)オールドノリタケのランプシェード。

(写真)日野町の街並み。旧家や蔵が見えるエリア。朝の散歩時に撮影。

(写真)日野町の街並み。日野祭の曳山蔵が見えるエリア。朝の散歩時に撮影。

(写真)日野町の街並み。ベンガラの塀が特徴的なエリア。朝の散歩時に撮影。

 

3. Wikipedia編集

3.1 編集記事

前回の編集記事は「馬見岡綿向神社 - Wikipedia」(加筆)、「近江日野商人ふるさと館「旧山中正吉邸」 - Wikipedia」(新規)、「近江日野商人館 - Wikipedia」(新規)の3記事。今回は「近江日野商人 - Wikipedia」(新規)、「日野祭 - Wikipedia」(新規)の2記事を編集しています。それぞれ前回のイベントに関連する記事であり、日野町民にはなじみ深い題材ですが、意外にもWikipedia上には記事がありませんでした。

ウィキペディアタウンin美浜」でも感じましたが、その自治体にとって重要な題材かつ住民が思い入れのある題材はウィキペディアタウンに適していると思います。参加者に事前知識があればガイドさんの詳しい説明が頭に入るし、文献を読みこむ際も理解が早い。

(写真)準備された文献。近江日野商人と日野祭の2記事分。

 

3.2 編集作業

あらかじめ近江日野商人を編集記事とすることが決められていたため、漱石の猫さんがこの状態の記事の骨格を作成してくださっていました。核となる文献を参考にして節構成を決め、冒頭にTemplate:工事中を貼った状態です。

節構成が決められていれば役割分担がしやすくなるし、記事の完成形を想像できることで編集の意気込みも変わってくるかもしれません。Template:工事中を貼っておけば、外部のウィキペディアンとの同時編集による編集競合を回避できます。丹後のイベントでは私が担当することも多い作業ですが、事前に滋賀県立図書館で文献を集めていた漱石の猫さんに任せました。

(写真)Template:工事中を貼った記事「近江日野商人」。

 

近江日野商人館の満田良順館長が書かれた『近江日野商人の歴史と商法』(サンライズ出版、2021年)が文章の骨格になると思っていましたが、パラパラめくってみると内容が難しかったことから、『ふるさと 日野の歴史』(日野町、2016年)を文章の骨格に定めました。この文献は自治体史(『近江日野の歴史』)のダイジェスト版であり、写真が多用されているため親しみやすい。

『ふるさと 日野の歴史』の日野商人に関する部分を自分の言葉でまとめ直したうえで、他の文献から内容を補う形で文章作成に取り組みました。3人+トム・ヴィンセントさんというグループ構成だったため、トムさんには日野商人に関する説明解説に回ってもらい、他の3人が「歴史」節の中身を分担しています。3人とも歴史節をスムーズに書き終わったため、その後は「特徴」節や「先覚者」節を書き進めました。

(写真)編集中の参加者。

 

イベント中に作成した記事についてはイベント後も修正や加筆を行っています。また、当日朝に散歩した際の写真も含めて、約60枚の写真をWikimedia Commonsにアップロードしました。日野町に関する写真はCategory:Hino, Shiga - Wikimedia Commonsに集められています。