振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

第2回ブラトヨハシに参加しました

写真はすべてAsturio Cantabrioが撮影。運営側ではない参加者の顔が大きく写っている写真は掲載していません。

 

 第2回ブラトヨハシに参加する

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会場の豊橋市大清水まなび交流館「ミナクル」。2015年4月に開館したばかりの新しい施設で、豊橋市3館目の図書館となる大清水図書館、市民館、窓口センターの3施設が核となっています。外観や庭は第1回ブラトヨハシの会場となった「ここにこ」に通じるものがある。

 

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9時3分に大清水駅に着く電車に乗りました。今回のガイド役である愛知大学図書館の中村直美さんと同じ電車だったようです。雲が見当たらない青空で気持ちがよいため、私は会場周辺をうろうろして写真を撮ります。「ミナクル」のすぐ脇にはキャベツ畑と高架道路が。豊橋は日本有数の冬キャベツ生産地であり、キャベツ畑を見ると豊橋の郊外に来た感じがします。

 

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10時にイベント開始。主催者のCode for MIKAWA・木村さんがあいさつした後、今回のガイド役である中村さんから説明を聞きます。その後無所属のAsturio Cantabrioからウィキペディアの説明を聞き、豊橋出身でCode for SAITAMAの古田武士さんからOSMの説明を聞きます。その後「ミナクル」から大清水駅まで歩き、豊橋鉄道渥美線で今回の対象地である愛知大学周辺を目指しました。

 

愛知大学-南栄町-高師を街歩きする

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12時30分頃に愛知大学 - Wikipedia豊橋校舎に到着。豊橋ユネスコ協会が学内でイベントを開催していたらしく、土曜日なのに数多くの車が留まっており、学生も多くいました。

1908年にこの地にやってきた大日本帝国陸軍第15師団は1925年に廃止されます。戦後の1946年、第15師団跡地に建設されたのが愛知大学です。かつての師団司令部だった建物は愛知大学記念館 - Wikipedia(国指定登録有形文化財)となっています。第15師団時代の建物がいくつも現存している上に、都市にあるキャンパスとしては緑が豊か、それも人工的な緑ではなく70年以上前に植えられた木々の緑です。

左の写真は愛知大学記念館。豊橋の街歩きイベントでは定番スポットだそうです。右は附属図書館(入っていません)。後で『愛知大学五十年史』をめくったら、図書館の記述だけで20ページ以上も割かれていました。

みよし市からの撤退、名古屋駅すぐの笹島への新キャンパス完成、それにともなう豊橋校舎の学生数の減少など、近年の愛知大学は大きな話題を提供しています。

 

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附属図書館の横にあった「自由受難の鐘」を鳴らす岡本さん。1951年からある歴史ある鐘で、昔は授業のチャイムとして使われていたとか。

 

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愛知大学に隣接する食堂「カチカチ山」で昼食をとる。主催者が来店時間に合わせて弁当を手配してくれていました。運営側の手際の良さを感じます。

昼食後には国道259号線を南下して高師緑地に向かいます。豊橋市の中心部と南部を結ぶ片側2車線のこの道路、第15師団が存在している頃から幅員が変わっていないらしい。明治時代にはとびぬけて広い道路だったのだろうな。

途中には赤白の看板が印象的な「コンドーパン」で休憩。少なくとも昭和一桁から続いているパン屋だとか。ミナクルもカチカチ山もコンドーパンも、目立つところに第3回ブラタハラのポスターを貼ってくださっています。

 

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高師緑地 - Wikipediaを歩いて中村さんのガイドを聞く参加者。この公園には豊橋鉄道の引き込み線跡があります。愛大出身の方、鉄道に詳しい方、歴史に詳しい方、豊橋の市街地に詳しい方などがおり、ガイドが一方的に説明するだけのイベントにならないのが本イベントの面白いところ。

左は大正期の女流作家・田村俊子の像をしげしげと眺める参加者。田村俊子の像は横顔がSMAPの某メンバーに似ていることから「豊橋の中居くん像」と呼ばれている。

 

 

ミナクルで編集する

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今回のスケジュールはタイトでした。「ミナクル」で説明→豊橋鉄道で6駅の愛大へ→街歩き→鉄道で「ミナクル」に戻って編集作業という流れだったからです。ウィキペディアタウンは基本的にPCを持参するイベントであるため、ふつうの街歩きイベントのように街歩き開始地点を集合場所にすればいいとは限りません。悩ましいところです。

ただし今回は街歩きの対象地のひとつが大学施設であり、ガイド役の中村さんがその職員でした。街歩き対象地を集合場所にして、荷物を置かせてもらって街歩き、というのもいいかもしれません(ただし主催者が部屋を取る手間が増える)。

 

30分ほど押しつつも、15時前には「ミナクル」に戻ってきました。主催者の辻さんが集めてくださった今日の文献は27冊。豊橋市中央図書館で特別貸出(団体貸出)を頼み、大清水図書館に届けてもらったそうです。事前に今回の対象記事の候補を提案しておいたのですが、関係しそうな書籍を辻さんみずから調べてくださったそうです。司書みたいだな。

豊橋百科事典』もあったらいいなと思い、同一施設内の図書館で探して会議室に持ってきました。その際には『みてわかる高師風土記』という文献も確保。図書館を併設した複合施設で開催したことが役に立ちました。

 

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左はWikipediaチーム(計8人)、右はOSMチーム(十数人)。大きな机を囲んで座るWikipediaと、机を「コ」の字型に並べるOSM、それぞれの「型」ができています。

Wikipediaチームは8人を3班に分けます。今回は私を含めて5人のウィキペディアンがおり、ウィキペディアン2人が「高師原 - Wikipedia」の新規作成を、ウィキペディアン1人と非ウィキペディアン3人が「鈴木悦 - Wikipedia」の新規作成を、非ウィキペディアンの辻さんが母校の「愛知大学」への加筆を行っています。記事の内容や書き方はウィキペディアンのハロワンドさん、Eさん、Lさんにほぼ丸投げし、私はキーボードを打たずに部屋の中をさまよっていました。

 

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左は編集中に部屋全体を撮った写真。今回は編集時間が2時間弱とやや短く、作成/加筆した3記事に写真を入れたり、他記事へのリンクを貼ったり、OSMと連携したりするところまではできなかったのですが、密度の濃い共同作業だったのではないかと思います。

右は成果発表。辻さんによって「自由受難の鐘」の記述が加筆されました。『愛知大学五十年史』やその他愛大関係資料も調べた上で公式サイトの記述を出典としましたが、最初からネットに頼るのではなく紙媒体の文献も調べたことが肝心。この日が2X歳の誕生日だった辻さん、愛大在学中には「自由受難の鐘」のことを知らなかったそうですが、そういう方がイベントで母校の歴史を調べて加筆したというのがなんだか嬉しい。

 

会場まで来るときは豊橋鉄道渥美線を使いましたが、帰りは主催者が豊橋駅近くの懇親会会場までバスを手配してくださいました。イベント慣れしているのでしょうが、Code for MIKAWAの木村さんと辻さんはあれこれすごいぞ。

 

 

各記事について

 「鈴木悦」(1886-1933)は作家・記者・労働運動家。イベント終了後には高師緑地にある記念碑の写真が追加されました。私は鈴木悦さんの顔写真を探してみよう。

 「高師原」は第15師団の演習地が存在した台地。ウィキペディアタウンin伊丹で作成された「伊丹台地」もそうですが、地形記事には写真や図を付けるのが難しい。しかし1枚の図で劇的に印象が変わるため、いつか図を作ってみます。

愛知大学」は豊橋市名古屋市にキャンパスを置く私立大学。歴史節は箇条書きで、キャンパス移転など近年の話題を伝えきれていないようです。学生がいなくなったみよし市、学生数が減った豊橋市では大きな話題になったことですし、新聞記事を出典にうまく説明できたらと思います。

 

 

第2回ブラトヨハシを終えて

ブラトヨハシの主催は市民団体のCode for MIKAWAで、豊橋市田原市教育委員会が共催。第1回にも第2回にも豊橋市役所の方が多数参加してくださり、今回参加した5人のウィキペディアンのうち2人の方も勤め先が近隣自治体でした。図書館が関わっているウィキペディアタウンは多いですが、形式的な協力以上に行政を引き込んでいる、味方につけている、というのはブラトヨハシの大きな特徴・強みではないかと思います。

今回のイベントも30代-40代前半を核としながら、20代から50代までの参加者がいました。第1回からの継続参加者、初参加者のどちらか一方に偏ることもなく、参加者が参加者を呼ぶいい流れにあります。

私Asturio CantabrioはWikipediaの説明とWikipediaチームのフォローを行いました。やはり私が人前で何かしゃべるとグダグダになります。編集作業ではウィキペディアンのハロワンドさん、Lさん、Eさん、木村さんの存在がとても心強く、声をかけてよかったと思いました。今回で懲りなかったら次回も参加していただきたい。

 

愛大図書館の中村さんとは初対面だったわけですが、8月のまちなか図書館(仮称)シンポジウムや先日の図書館総合展では同じ時間に会場にいたようです。今までどこかで挨拶したことがなかったのが不思議なくらいの方でした。愛大名古屋キャンパスでのウィキペディアタウン開催に期待しています。

CODE for GIFUの石井哲治さんと話すのも初めてでしたが、シビックテックフォーラム東海でライトニングトークを聞いていた。小宮山さんとはオープンデータ京都実践会のイベントで何度もお会いしていましたが、名古屋の方だとは知らなかった。関西の方だと思ってた。

岡本さん・長久さんをはじめとする豊橋市役所の方はフットワークが軽く、こんなイベントではとてもありがたい存在です。

 

第3回ブラタハラ

2017年1月21日(土)の「第3回ブラタハラ」では、豊橋鉄道渥美線の終着駅、三河田原駅近辺を歩きます(たぶん)。図書館/ウィキペディアタウン界隈では有名な方が遠路はるばる田原に来てくださいます。田原といえば渡辺崋山ですが、田原に詳しい木村さんや田原市図書館の豊田館長がどのような場所をチョイスするのか楽しみです。

 

 

次は図書館総合展に行ってきたブログ。