振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「カワテク東三河」に参加する

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2019年3月3日(日)、愛知県豊橋市で開催された「豊川用水通水51周年記念 川×テクノロジの祭典 カワテク東三河」に参加しました。

uzura.doorkeeper.jp

 

3月3日(日)のイベント

開催意図

この企画のメインイベントは、翌日3月4日(月)に行うIoT樽の放流。1968年5月の豊川用水通水記念式典で行われた樽流しを模して、小型コンピュータを搭載した耐水樽を流してYou Tubetwitterでのリアルタイム配信を行います。「普段意識することのない豊川用水の存在を再認識する機会を創出」することが目的だそうです。

豊川用水(とよがわようすい)通水50周年の節目の年だった2018年には、「エロティック東三河」という謝水祭が行われています。その不思議な名称に反して、愛知県や豊橋市水資源機構などが協賛している大規模なイベント。カワテク東三河(告知開始時のイベント名はカワティック東三河)は “豊川用水への感謝” というエロティック東三河の意思を受け継いでおり、名前までもパクってインスパイアされています。さらには、エロティック東三河の主会場は東京の六本木ヒルズアリーナだったそうですが、カワテク東三河の会場は豊橋市・松葉通りのラウンジ「Roppongi Pills」跡でした。オマージュですね。

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 (左)豊橋一の歓楽街である松葉通り。(中・右)イベント会場のRoppongi Pills。

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 (写真)進行役を務めるCode for MIKAWAの木村さん。

 

豊川用水について

まずは独立行政法人水資源機構の方から豊川用水の歴史についての説明を聞きました。「豊川用水の取水量の1/4は(豊川ではなく)天竜川から」「2000年代に完成した大島ダムと万場調整池のおかげで有効貯水量が30,000千m3から50,000千m3に」「受益地の農地18,000haのうち11,000haは畑地」などの説明が興味深かったです。

豊川の水を東三河地方南部に引くという構想は、大正時代に政治家の近藤寿市郎 - Wikipediaが発案したものでした。建設工事が始まったのは戦後の1949年になってから。発案から約半世紀後の1968年、国営事業の豊川用水はようやく全通します。近藤の死去から8年後のことでした。

豊川用水・明治用水愛知用水を愛知県下の三大用水と呼ぶそうです。私が住む西三河地方を流れる明治用水は、その名の通り明治時代に完成した用水ですが、明治用水の通水時には発案者である都築弥厚の死後57年が経過していました。都築も近藤と同じように、その用水における最大の功労者として扱われ、教育委員会が小学生向けの学習漫画を製作しています。Wikipediaにはまだ都築の記事がなく、いつかウィキペディアタウンで作成されることを期待しています。

全通から51年が経過した現在の東三河地域は全国有数の農業地域となりました。近藤も現在の状況は予想していなかったのでは。「規模では豊川用水を上回る用水はあるが、日本でもっとも農業に大きな影響を与えた用水ではないか」という話がありました。計画としては豊川用水よりも後発の愛知用水は1961年に全通していますが、豊川用水の全通が遅れたのは、木曽川と豊川の規模の違い、政治力の違いなどでしょうか。

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 (写真)水資源機構の方による豊川用水の歴史の説明。

 

Wikipediaの編集

今回の編集記事

豊川用水 - Wikipedia - 加筆

宇連ダム - Wikipedia - 加筆

豊川 - Wikipedia - 加筆

大島ダム (愛知県) - Wikipedia - 新規作成

万場調整池 - Wikipedia - 新規作成

 

Wikipediaについて説明した田原市役所の木村さんからは、全員がWikipediaまたはWikimedia Commonsに何かしらの足跡を残すというお題が出されました。豊橋市役所の行政職員、国立豊橋技術科学大学豊橋市内の高校の教員、豊橋技術科学大学の院生などが参加者だったこともあって、参加者は自分の取り組むべきテーマを見つけて熱心に編集作業をしていたように見えます。

Wikipediaの編集サポート役としては木村さん、円周率3パーセントさん、是住さんがいたこともあり、私は編集サポートからは離れて独自に豊川用水 - Wikipediaの加筆を行いました。今回のようなイベントを開催するにあたっては豊橋市役所や水資源機構の協力が欠かせず、参加者の内面に与える効果と同じくらい、Wikipedia記事の質の向上(外向きの効果)も必要だと思ったからです。

豊川用水の加筆にあたっては、水資源機構の方の説明が大いに参考になりました。この記事のキモは “水不足に悩まされた東三河地方が豊川用水のおかげで農業の先進地に変貌した” という点だと判断し、既存の文章の精度を高めたり、通水以前の状況を加えたりしています。東三河地方以外の方にとってはその規模がわかりにくいと思われ、今後は「幹線水路図」と「受益地図」を記事に入れたいと思っています。

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(左)豊川用水の幹線水路図。(右)豊川用水の受益地図。

 

ウィキペディアタウンに参加しだした頃は、せっかく大人数が集まって行うイベントなのだから、自分で記事を編集するよりも周りをサポートすることのほうが大事だと思っていました。Wikipedia LIBを契機に考えも変わりはじめ、必要に応じて自分が編集したほうが主催者の役に立てるのかもと思っています。
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 (写真)Wikipediaの編集作業中の会場。

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 (左)Wikipediaの成果発表。(右)翌日のスケジュールを案内するCode for MIKAWAの辻さん。

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(左)豊橋技科大学・村井さんの IoT樽紹介。(中・右)漫画家の見ル野栄司さんwithラズパイ団 森岡さんの愛機紹介。

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(写真)「ええじゃないかとよはし映画祭」の垂れ幕が目立つ豊橋駅 

 

3月4日(月)のイベント

私は参加していませんが、翌3月4日には新城市でIoT樽の放流が行われ、YouTubeのストリーミング配信やtwitterの自動実況ツイートが行われました。想定通りには動かずに苦戦している様子がわかります。

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見ル野栄司さんは『シブすぎ技術に男泣き!』などの取材漫画を描いている漫画家。とてもおもしろい方でした。「見ル野栄司 - Wikipedia」によると「見ル野」という特徴的な姓は本名だそうです※出典なし。

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