振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「第1回ウィキペディアタウンin浜松」に参加する

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(写真)9時の開館直後の浜松市立中央図書館。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。ただし浜松市公会堂の写真のみはパブリックドメインの写真を使用しています。

 

イベントの開催経緯

 2017年9月30日(土)、浜松市立中央図書館で開催された「第1回ウィキペディアタウンin浜松」に参加しました。静岡県で開催されたウィキペディアタウンは掛川市(2017年2月)、沼津市(2017年4月から4回開催)に次いで3例目。浜松市は全国12都市で構成されるオープンガバメント推進協議会に加盟しており、そのうちいくつかの自治体が取組みとしてOpenStreetMapまたはウィキペディアタウンを選択したことが今回のイベントにつながったようです。

 講師はウィキペディア街道プロジェクトの小池隆さんと小俣博司さん。おふたりは8月末に岡山県で「ウィキペディアタウン@備中路」を手掛けており、定期的な開催によるウィキペディアタウンの可能性の掘り起こし(街道)、ウィキペディアタウンの全国展開(備中路や浜松)に多大な貢献をされています。

 

浜松市立中央図書館を訪れる

 JRの在来線で約1時間半かけて浜松市に向かい、8時30分に浜松駅に到着。木下惠介記念館と鴨江アートセンターに立ち寄ってから会場の浜松市立中央図書館に向かいました。部屋は2階の会議室です。今回の開始時間は9時15分。時間に余裕があったら「遠州銀行本店」とシネマハウス銀映にも立ち寄りたかったのですが、次に浜松市を訪れるときに回しました。

 今回の参加者は学生と女性が多い。約15人の参加者のうち、5人が学生、9人が女性だったか。聞くと浜松市街地にある静岡文化芸術大学林左和子先生がおり司書課程がある)で今回のイベントが告知され、学生が自主的に参加しているのだそうです。静岡文化芸術大学の社会人学生の方もおり、また愛知県田原市から参加している高校生の方もいました。

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(写真)イベント開始前の会場の様子。

 

まちあるきする

小俣さん&小池さんによる説明を受けてから、「木下惠介記念館」グループと「元城町東照宮」グループに分かれて1時間強のまちあるき。といっても目的地までは単なる「徒歩移動」と呼べるもので「まちあるき」要素は少なめでした。私は当初の予定通り「木下惠介記念館」グループに入りました。 記念館では職員の方に1階と2階を案内してもらいました。「元城町東照宮」グループでは宮司さんに説明を聞いたようです。

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(図)今回のまちあるきコース。OpenStreetMapより。作者 : OpenStreetMap contributor。

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(写真)今回の執筆対象となった木下惠介記念館。1930年竣工。旧浜松銀行協会。

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(上左)現在はイベント会場にもなる講堂。(上中)これぞサロンといった雰囲気の貴賓室。(上右)階段。

(下左)丸井凹凸のついたガラス。(下中)読み方がわからない謎の壁掛時計。(下右)入口のステンドグラス。

 

鴨江町近辺の中村與資平作品

 軍都だった浜松市は大規模な空襲を数回にわたって受けた町であり、市街地で焼失を免れた建物は数少なかったそうですが、この鴨江町近辺では3つの建物が残りました。今回の執筆対象である木下惠介記念館(旧浜松銀行協会、1930年竣工)に加えて、浜松市公会堂(1927年竣工)、鴨江アートセンター(旧浜松警察署、1928年竣工)であり、いずれも建築家の中村與資平 - Wikipedia(なかむらよしへい)の作品です。
 下の写真を見ると浜松市公会堂も鴨江アートセンターと同じくらい立派な建物ですが、1986年に解体されてしまって現存しません。両施設は公会堂や警察署として建設されただけあって、重厚なファサードや角ばった外観が目立ったことでしょう。木下惠介記念館も同時期の作品ですが、「スペイン風」とされるこの建物だけはだいぶ印象が異なり、「サロン」にふさわしい軽やかな外観です。 

 まちあるきから戻ったらお昼ごはん。参加申込を行うとサンドイッチとコーヒーを注文するかどうかメールで尋ねられたので、クラブハウスサンドと水出しコーヒーを頼んでいました。コンビニなどに買いに行った方もいたようです。

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(左)浜松市公会堂。1927年竣工1986年解体。(右)鴨江アートセンター。1928年竣工。2001年望楼解体。旧浜松警察署。

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(写真)注文していたサンドイッチとコーヒー。名前入りで用意されていた名札。

 

Wikipediaを編集する

 午後の編集ワークショップでは、「木下惠介記念館」グループの8人が4班に分かれ、「記事の骨格」の作成、「沿革」の執筆、「収蔵品の展示」の執筆、「旧浜松銀行協会」の執筆を行いました。
 私は静岡文化芸術大学の方2人と一緒に記事の骨格を作成しています。他の5人が用意された文献を読んで文章を考えているなか、我々は利用者:Takashi.koike/ウィキペディア街道/資料館テンプレート - Wikipediaをベースにパンフレットや公式サイトなどから木下惠介記念館の基礎情報を追加していきます。Wikipediaの記事を構成する要素は理解しやすい作業とはいえ、あまり頭を使わないおもしろみのない作業と感じる方もいるかもしれません。この骨格に「どんな内容を加えたら質が向上するか」ということを考えてもらうためのファシリテートを心掛けたのですが、どうだったでしょう。

 自分自身ではCategory:Keisuke Kinoshita Memorial Museum - Wikimedia Commonsへの建物・館内の写真の追加、著作権切れの文献から中村與資平 - Wikipediaへの顔写真の追加などのちょっとした編集を行っています。

 公式な懇親会などはなかったのですが、この日初めてお会いした「朝飯前」の方などと一緒に平田町にあるロシア料理店に行きました。ソフトドリンクとして注文したクワス - WikipediaWikipediaによるとアルコール度数は1%-2.5%だそうです。

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(写真)今回用意された文献。下段にはなにやら是住さんのスライドのコピーが。

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(左)「木下惠介記念館」グループ。(右)「元城町東照宮」グループ。

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(写真)編集作業中の会場全体。

 

 

磐田市立中央図書館を訪れる

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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磐田市浜松市

 遠州を流れる大河・天竜川は、左岸に磐田原、右岸に三方原という広大な洪積台地を作った。磐田市の市街地は磐田原の上に、浜松市の市街地は三方原の上にできており、両市は天竜川を挟んで対になっている。

 浜松市立中央図書館は三方原の縁、浜松城の出丸跡に位置しており、JR浜松駅や繁華街から見ると「丘の上」にある。一方の磐田市立中央図書館は磐田原の縁の下、つまり「丘の下」(谷の底)にあり、両市の中央図書館の立地はかなり異なる。とはいえ、磐田市立図書館の前身といえる磐田文庫は見付学校の脇、つまり磐田原の縁の「丘の上」にあった。

 ただし、磐田文庫が現役だった明治時代、浜松市の私立浜松図書館は「丘の下」にあった。やはり両市の図書館の立地は相容れないようだ。図書館は谷の底よりも丘の上が似合う。

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(地図)OpenStreetMapより。作者: OpenStreetMap contributor。

 

下は地理院地図の色別標高図へのリンク。

maps.gsi.go.jp

磐田市を訪れる

 磐田市は人口約17万人の自治体。政令指定都市となった浜松市とは差がついたものの、東海道の宿場町である見付宿から発展した歴史のある町であり、明治時代に開校した見付学校の建物(日本最古の木造擬洋風校舎)は現存しているし、見付学校の脇には磐田文庫の建物が現存。両者はセットで国指定史跡「旧見付学校附磐田文庫」となっている。

 幕末から明治時代には磐田文庫があったが、磐田市立図書館の開館は意外と遅く、戦後の1949年になってから。1993年には現行館が開館した。2005年には磐田市が周辺4自治体と合併し、磐田市立図書館は磐田市立中央図書館を中心とする5館体制となった。

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(左)旧見付学校。休館日でした。(右)磐田文庫。

 

磐田市立中央図書館を訪れる

 8月に磐田市立図書館を訪れた際、行きはJR磐田駅前から旧見付学校までバスに乗ったが、帰りは図書館から磐田駅まで歩いた。磐田駅からは駅前通りを北に2.2km。まっすぐ北に歩けば図書館に着くため、2.2kmという距離から受ける印象ほど遠くない。

 

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(左)入口脇には緑のカーテン。(右)鮮やかな色遣いの入口。

 

 この図書館の延床面積は3,559m2。1階には広大な開架室や展示室、2階には視聴覚ホールなどがあるが、図書館としてはワンフロア型。1993年開館ということで四半世紀が経過しているものの、ゆったりした設計や、学習者を地域資料コーナー付近の席に追いやっているおかげで、一般書/児童書や雑誌を閲覧する際に窮屈さは感じない。 磐田市と同じく「スポーツの町」である藤枝市藤枝市立駅南図書館とは異なり、磐田市立中央図書館ではサッカーとラグビーに関する文献を別置している。

 磐田市と人口が同規模の焼津市藤枝市の図書館と比べて、地域資料は充実している印象を受けた。ここのコピー機は10円玉専用であり、1000円札の両替を頼んだら10円玉が100枚入ったコインケースごと渡してくれる。見開き70枚分のコピーで35枚使ったが、コピー後には65枚もの10円玉が余った。

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(写真)一般書。高い天井を持つ大空間。

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(写真)児童書。

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(左)AVコーナー。(右)雑誌コーナー。

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(左)常設のサッカー・ラグビーコーナー。(右)テーマ展示「芥川賞直木賞」。

 

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(写真)地域資料コーナー。1枚目は赤松文庫。

各務原市立中央図書館を訪れる

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ayc.hatenablog.com

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 可児市立図書館や美濃加茂市中央図書館を訪れたのと同じ日、各務原市立図書館を訪れた。美濃加茂市中央図書館にいる時には突発的な豪雨があったが、300m台の山を挟んだ各務原市では雨は降っていないという。JR高山本線那加駅で降り、7分ほど歩くと各務原市民公園に着く。

 各務原市民公園は岐阜大学のキャンパス跡地にできた公園。公園の完成は1988年であり、北端部に図書館が開館したのは1991年らしい。広々とした芝生の中に突然現れる巨大な建物は公園の雰囲気に合っていない印象。特に南面は高さのある「壁」がそびえていて威圧感を受ける。

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(左)入口正面から見た図書館。(右)側面から見た図書館。

 

 写真を撮りたいというと撮影許可証を渡された。「荷物の管理」「パソコンの仕様」「飲食禁止」「香料自粛」と、壁にはいろんな「ご案内」が貼られている。「香料自粛のお願い」は初めて見たかも。とても静かな図書館であり、デジタル一眼レフのシャッター音を響かせるのはためらわれたため、ほとんどの場所はコンデジで撮影した。

 この時期(1991年開館)らしい、重厚感のある什器を用いた図書館。岐阜県では岐阜県立図書館の蔵書数が約100万冊と飛びぬけている。各務原市立中央図書館の蔵書冊数は約40万冊で、これは大垣市立図書館や多治見市図書館と並んで岐阜県2番手クラスなんだとか。この図書館はワンフロアが広く、大垣や多治見よりも開架冊数は多いと思われる。

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 (左)写真撮影許可証。(右)館内の案内掲示。

 

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(写真)書架。

 

 316、317など、細かく区切られている箇所もある。236(スペイン史)の棚は16冊。1986年の『図説スペイン内戦』や1989年の『スペイン戦争』など1980年代の書籍も開架に出ている。スペイン史の概説書は見当たらず、素人目にバランスは良くないように見える。

 各務原市は航空宇宙産業の集積地であり、航空宇宙関連図書が集められた一角があった。地域資料コーナーは他の場所より書架が低くて照明が明るいが、地域資料は学習者の隣で閲覧することになる。

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 (左)316、317の書架。(右)定点観測。236付近。

 

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 (左)ビジネス関連図書。(右)航空宇宙関連図書。

 

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 (写真)地域資料。

 

 カウンターのそばには「中央図書館にきた作家」の色紙が飾られていた。この図書館では閲覧席の多くが学習者向けになっており、持ち込んだパソコンを使用する席はカウンター脇の狭まった一角に追いやられていた。

 気になったのは雑誌コーナー。新着雑誌は1冊も雑誌書架になく、貸出カードと引き換えにカウンターで受け取って読むことができる。「利用者の声」をパラパラめくると、どうやら2016年度に新着雑誌の紛失が相次いだことが原因らしいが・・・。

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(左)「中央図書館にきた作家」のサイン。(右)「岐阜が生んだ作家たち」。

 

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(左)雑誌。新着雑誌は1冊もない。(中)パソコン専用席。(右)OPAC

可児市立図書館を訪れる

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(写真)可児市立図書館。

 

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岐阜県可児市を訪れる

 名古屋からだと名鉄犬山線名鉄広見線経由で、岐阜県多治見市や美濃加茂市からだとJR太多線で訪れることができる岐阜県可児市。1970年に3万人だった人口は、1980年に6万人、1990年に8万人と急激に増えている。可児市立図書館が完成したのは人口が約7万人だった1985年のこと。

 人口は10万人を目前に、2005年頃から横ばいとなっている。5年ごとの国勢調査では10万人を超えたことがないものの、2005年の兼山町との合併で10万人を超えたと公称している。今年1月の新聞記事によると「次回は国勢調査で初の10万人超えも期待できる」(可児市長)とのこと。

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(表)可児市の人口推移。Wikipedia可児市」より。

 

  駅前は土地区画整理事業が終わったばかりでがらんとしている。土地区画整理事業では「商業地」となっているこの地区に商店は少なく、コンビニ的な役割も持つパン屋の「たつや」、蟹のイラストが描かれた「かに書房」くらいしか目に付く店がない。

 駅前には大きな工事現場があり、建物の形が見えてきていた。2016年10月に着工したこの「可児駅前 子育て・健康・にぎわい空間」(仮称)は2018年度春に開館するらしい。市役所に子育て世代課があるように、可児市は子育て世代に重点を置いているらしい。駅から東にまっすぐ5分、可児川を越えると可児市立図書館に着く。

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(地図)名古屋圏における可児市OpenStreetMapより。作者 : OpenStreetMap contributor。

 

可児市立図書館

 可児市立図書館は写真撮影者用のネックストラップを用意してくれている。1階にはブラウジングコーナー(新聞・雑誌)、2階には一般閲覧室(一般書)・親子閲覧室(児童書)、3階には学習室がある。公式サイトから得られる情報は多くないが、図書館要覧のPDFを公開しているのはうれしい。

 1階のブラウジングコーナーは10万都市にしては苦しいスペース。「雑誌オーナー募集中」という掲示はあったが、雑誌スポンサー制度で購入された雑誌は見つけられなかった。2階はカウンターから向かって右側が一般書、左側が児童書。図書購入費は本館単独で1400万円、分館も合わせれば2000万円の図書館だけあって、新刊本はそれなりに多く見える。

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 (左)建物入口。(右)写真許可証。

 

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(左)雑誌コーナー。(右)新刊本。

 

 一般書側の書架では、分類番号を表す数字のプレートが目立つ。床面積の小ささの割に開架率(55%)が高いのは、新刊本以外の書架には本が隙間なく詰めてあるから。236番(スペイン史)は4冊だけとはいえ、2015年刊行の『スペイン文化入門』があった。

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 (左)大きな札で分類番号を示している。手前が6類、奥が9類。(右)9類の書架。

 

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(左)2階の最奥部。(右)236の定点観測。

 

 可児市の人口の4.2%は外国人だそうで、岐阜県では美濃加茂市(7.7%)、坂祝町(6.4%)に次いで高い。2014年の新聞記事によると可児市今渡北小学校は岐阜県でもっとも外国人児童数が多い小学校だそうで、858人中116人が外国籍(47人がブラジル国籍、68人がフィリピン国籍 、1人がペルー国籍)だそうだ。ポルトガル語を中心とする外国語書籍/日本語学習書籍は充実しており、古い本が多い小説類が読まれているかどうかはわからなかったものの、日本語学習書籍は新しい本も多かった。

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(左)外国語書籍/日本語学習書籍。(右)非日本語話者用のコミュニケーションボード。

 

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 (写真)郷土・参考図書室。入室時にはカウンターに声をかける必要あり。

 

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 (写真)親子閲覧室(児童書)。