振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

第10回 Wikipedia Town × 高遠ぶらりに参加する

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この1月28日、約11か月ぶりにWikipedia Town INA Vallery × 高遠ぶらりに参加しました。2016年3月5日にも参加しています。

高遠を訪れたのは前回が初めて。木曽谷と同程度だと勘違いしていた伊那谷の広大さ、伊那市駅から高遠駅までのバスの車窓から見える落差の大きな河岸段丘、地図上ではわからない西高遠と東高遠の隔たりなど、伊那/高遠の地形には興味が尽きませんでした。前回はイベント開始前(朝)に高遠城址公園をぶらりぶらりし、イベント終了後と翌日に伊那市図書館で郷土資料を確認。その時撮った写真やコピーした文献を基に、イベントから3か月が経った6月に「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成しました。約1年が経って高遠の記憶がかなり薄れてきたので、今回のイベントに合わせて事前学習として「信州高遠美術館 - Wikipedia」と「伊那旭座 - Wikipedia」を作成しています。

 

 

高遠を訪れる

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私は愛知県内に住んでいます。JR中央線の特急しなの&JR飯田線&路線バス、または名古屋=伊那便の高速バス&路線バスを使うと、高遠に着くのが11時を過ぎてしまう。これでは日帰りでのイベント参加はできません。そこで今回は 名古屋=飯田便の高速バスで飯田まで行き、飯田から高遠まで(約60km!)宮澤優子さんの車に乗せてもらいました。宮澤さんとは初対面です。伊那ICでは東京から高速バスで来た首都圏組6人を拾い、車にイベント参加者8人を満載して高遠町図書館に到着しました。

参加者は約26人。飯田市立図書館から4人、県立長野図書館から3人、それ以外にも図書館司書が子安さん、砂生さん、新堀さん、宮澤さん。下仁田の片山さん、駒ヶ根から来たこはらさん、長野県のこやまさん、小諸市の土屋さん、高遠高校の宮澤くんなどがいる。Code for GIFUの石井さんとは第1回ブラトヨハシでお会いしています。ウィキペディアンは海獺さん、さかおりさん、Syohei Araiさん、Nさん、Sさんで、甲府から来たさかおりさん以外は首都圏から参加。30-40代が中心ですが高校生もいて年齢層は幅広い。約10人、4割くらいは女性です。

 遠方からの参加者が多かったことで、開始時間は10時30分に変更されています。11時から12時30までまちぶらり。図書館に戻ってお弁当を食べ、13時45分から16時まで編集作業という流れです。

 

 

高遠ぶらりする

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この日の高遠は素晴らしい天気で、雲も風も雪もありませんでした。1週間前のブラタハラは風が強くて街歩きが足早になってしまったので、風がないのは幸運でした。高遠は市街地内も起伏が多いので、もし路肩に雪があったり路面の凍結があると、街歩きのコース変更が必須になってしまいます。まちぶらりの写真は他の参加者がたくさんFacebookに上げているので少しだけ。
前回参加時には、図書館から西高遠の市街地をぐるっと時計回りに歩きました。今回は西高遠の市街地を反時計回りに歩きます。図書館の裏手からやや坂を登り、用水路「井筋」に沿って西に向かい、中央アルプスが美しく見える場所を通ります(写真左上)。2月にだるま市が開催される鉾持神社を歩いた後、建福寺で高遠石工の石仏群ほかを見て(写真右上)、秋葉街道沿いの酒蔵仙醸に寄って図書館に戻りました(写真下2枚)。

 

 

Wikipediaを編集する

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お昼ごはんはざんざ亭の鹿ジビエ弁当。ただの昼食でも地域文化のPRをするあたりが流石です。午後はウィキペディアの編集時間。「高遠石工」(加筆)、「鉾持神社(だるま市)」(加筆)、「高遠高校」(加筆)、「高遠電灯」(新規作成)の4班に分かれて作業を行いました。海獺さん、さかおりさん、この日が誕生日かつパートナー募集中のナイスガイSyohei Araiさん、Nさん、Sさんと5人もウィキペディアンがいたので、私は視聴覚室内を徘徊して写真を撮ります。

 

「インターネット百科事典」を自称しているのがウィキペディアであり、その中身はまとめサイトと大差ないとも言えますが、まとめサイトとは違って法律は守ります。著作権侵害やプライバシー侵害などの法的問題がある場合は、コミュニティ内部で議論して「記事の削除」や「記述の除去」という対応をとることがあり、特に著作権侵害に対しては毎日盛んに議論が行われています。
くさかさん・さかおりさん・海獺さんのような管理者/管理者経験者であれば、法的問題のあるなしに自分なりの基準を持っているし、一般利用者でもぼんやりとした判断基準があります。この基準があるために、著作権侵害を回避しながら短時間で文章をまとめることができる不思議な技能が身についてきます。

ウィキペディアの編集に不慣れな方は少し違うようです。ブラタハラでも今回のWikipedia Town INA Valleryでも、文献の記述をまとめて文章を作成するために要する時間は参加者によってさまざまでした。たとえ著作権に日々接している図書館司書であっても、著作権侵害に気を付けながらウィキペディアの文章を書くのは容易ではないのだろうと思います。

 

 

作成された記事を読む

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高遠石工 - Wikipedia(加筆)

 以前の高遠ぶらりの参加者が作成した記事のようです。諸田さんなら誰のアカウントなのかわかるかな。今回の加筆では、石工がどういう集団だったのかわかるように修正され、守屋貞治以外の主要人物の名前が追加されています。複数の出典をうまく組み合わせてひとまとまりの文章にしているという印象です。建福寺からのリンクはあるので、建福寺へのリンクもほしいところ。

鉾持神社 - Wikipedia(加筆)

今回の加筆ではTemplate内に祭神と社格を追加し、「十四日市」という節を設けてだるま市を説明しています。文献を読んでも判然としない部分があって文章作成が難しかったとのこと。イベント後から翌日にかけて、何人もの方が神社の写真をアップロードしており、それらの写真を基に海獺さんが画像ギャラリーを作っています。「だるま」の記事には鉾持神社へのリンクが追加されました。

長野県高遠高等学校 - Wikipedia(加筆)

 校舎の写真が掲載されました。撮影時間が28日の14時10分ということは、さかおりさんは執筆作業中に高校まで撮りに行ったようです。以前から校章の画像が掲載されていましたが、校章は学校が著作者となる著作物ではないか(=ウィキペディアでは使用できないのではないか)という話もありました。文章では沿革節が加筆されています。執筆作業序盤にはイベントの参加者以外(円周率3パーセントさん)の編集があったようですが、ちょっとこれは・・・。

高遠電灯 - Wikipedia(新規作成)

 郷土資料コーナーになかなか文献がなく、高遠電灯の作成には苦戦しました。イベント中の執筆作業で使ったのは伊那谷電気の夜明け』中の4ページと『高遠町誌人物編』中の人物紹介計5ページ。「沿革」を記述する2人と「歴代社長」を記述する2人に分かれて作業しました。イベント翌日には宮澤さんが「沿革」と「電気事業の概要」を加筆。高遠町図書館にはない文献に加えてNDLデジタルコレクションも使っている。さすが司書。

 

イベント後には諸田さんと平賀さんの引率で2階の閉架と書庫(別棟)の見学。馬嶋文庫、星座を記した巻物、浅間山噴火の際の絵図、善光寺平の洪水の際の絵図などを閲覧させてもらいました。昔も地元の古老(今回なら諸田さんと平賀さん)が若い衆(イベントの参加者)に絵図を見せながら郷土の歴史を伝えていたのでしょう。

高遠はこじんまりとした町なので、何度か歩けば地域にとって重要な寺社や施設が何なのか見えてきます。図書館自体も魅力的で町歩きの拠点にふさわしい。

 

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イベント後には宮澤さんの車で伊那市駅近くに移動し、伊那谷名物のソースカツどんを食べる。おいしいが重い。次に伊那に来るときはローメンにしよう。高速バスで東京に帰る5人を見送り、閉店後のこちらのお店にお邪魔してコーヒーをいただいてから電車に乗りました。営業時間中に何かお土産を買っておけばよかった。

www.wildtree.info

 

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イベント翌日の日曜日には松本市街地と塩尻市街地をぶらぶらしてから帰りました。松本市中央図書館は南側の大きなガラス壁が美しいですがウィキペディアの記事(松本市図書館 - Wikipedia)は残念な内容。塩尻市立図書館 - Wikipediaが入るえんぱーくは図書館以外の部分に見ごたえがあります。まるで大学。この記事は2016年中にIMZANIROHさんが手を加えてくださいました。

第3回ブラタハラに参加する

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2017年1月21日(土)、愛知県田原市で開催された「第3回 ブラタハラ 街歩きで、街の魅力発見発信!」に参加しました。Code for MIKAWAが主催するウィキペディアタウン×マッピングパーティの最終回。過去2回は2016年9月と11月に豊橋市で開催されています。

 

豊橋駅から豊橋鉄道渥美線田原市に向かいます。渥美半島と言えば電照菊に代表される花卉栽培。豊鉄新豊橋駅では菜の花とシクラメンが出迎えてくれました。渥美線沿線にはキャベツ畑に加えて菜の花畑も多くみられました。18km・35分かけて終点の三河田原駅に到着。安藤忠雄設計の三河田原駅舎は2013年に完成したばかりで、広くて明るい。駅から歩いて15分の距離に田原市図書館があり、図書館のすぐ上の階にイベント会場の会議室があります。

 

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今回のイベントには約36人が参加しました。田原市図書館の豊田館長、京都府図書館司書の是住さん、関西から駆け付けたオープンデータ京都実践会の方、東京や名古屋から来た司書さんたち、前回までに知り合った豊橋市役所の方々、前回までにも来てくれたウィキペディアンなど、知り合いばかりだった気がします。豊橋技術科学大学の学生さんも何人か参加されていました。

 

10時にイベント開始。Code for MIKAWAの辻さんがイベント全体の説明をした後、京都府図書館の是住さんによるWikipediaの説明を聞き、Code for SAITAMAの古田さんによるOpenStreetMapの説明を聞きます。最後には街歩きガイドを務める田原市の木村さんと増山さんによる歴史の説明を聞きました。


是住さんによるWikipdiaの説明は初めて聞いたような気がします。スライドの前半は画像メインでイベントの流れを説明。スライドの後半は文字を多くて、Wikipediaの運営・長所・基本的なルールに触れています。「地元記事を書くときには図書館・博物館・資料館が役に立つ」。

木村さんは現在の地図と昔の地図を効果的に使って町の変化を説明します。築城当初の田原城は海に囲まれていたのだそうです。ただし増山さんは「陸と海の境界をスパーンと分ける考え方を近代的な考え方」だとして疑問を呈されました。近代以前は干潟やヨシ原など、陸地か海中か曖昧な部分が多かったのでしょう。現在の図書館がある場所は、17世紀後半に干拓されて田園となったそうです。

かつて存在した船倉湊の話、伊藤製飴という製糖工場の話、田原市最大の商家の話などには興味が尽きません。1923年には町の南端に田原街道が通り、1925年には豊橋市に至る鉄道が開通します。料亭や赤線が栄えていたとか。この頃の写真は『渥美郡勢総覧』(1935年)に数多く掲載されており、NDLデジタルコレクションではインターネット公開(自宅で閲覧可能)となっています。1970年代には市街地がさらに南側と東側に拡大、その後トヨタ自動車が臨海部に進出し、今日でも町が変化し続けているようです。

 

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11時30分頃から街歩き開始。渥美半島は年間を通じて風が強いことで知られており、前日には東三河地方に暴風警報が発令されるほどだったのですが、街歩き前半は予想より穏やかな天気でした。まずは図書館近くの汐川沿いを歩き、船倉湊があった場所を見に行きます(1枚目)。この道は2016年5月にもひとりで歩きました。汐川を越える橋の脇には常夜灯がありました(3枚目)。

少しばかりの街歩きのあとには「グリル華」で昼食(4枚目)。来店時間に合わせて30数人分の弁当が手配されています。

 

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12時30分頃に昼食を終え、しばらくは30数人が一緒に歩きます。複雑な意匠の玄関があるのは置屋だった建物(2枚目)。ピンク色の建物は田原証券所有の洋館(3枚目)。角地にある古びた建物1958年までの田原町役場です(4枚目)。平成になってから開通した大通り沿いはともかく、さすが城下町だけあって古い町の面影がありました。

 

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途中からは寺院コースと田原城コースの2グループに分かれて街歩きします。私は寺院コースを選びました。田原城よりやや低い場所には等高線に沿って寺下通りがとおっており、かつての海に対する防波堤のように寺町が形成されています。龍門寺、龍泉寺慶雲寺、城宝寺の四寺が並んでおり、今回は特に、田原藩藩医・鈴木春山(しゅんさん)の墓がある龍泉寺(2枚目)、蘭学者・渡邊崋山の菩提寺である城宝寺を回りました(1枚目・3枚目)。三河田原駅は目と鼻の先ですが寺町はとても静か。そしてどの寺も本堂が立派です。

 

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 会場に戻ったら編集作業です。今回も田原市図書館の司書さんが事前に参考文献を用意してくださっています。Wikipediaチームが選んだ記事は、田原城、龍泉寺&鈴木春山、城宝寺&城宝寺古墳と歴史がメイン。事前に用意してくださった文献には記述量の少ない寺院もあったのですが、イベント中にも司書さんが下階の図書館で文献を集めてくださったり、参加者が書庫資料の請求を行ったりしています。17時まで編集作業を行い、その後成果発表を行いました。

田原城 (三河国) - Wikipedia

既存の記事への出典の追加、藩主一覧の追加、画像の追加など。ウィキペディアタウンは町おこしの視点で興味深いという意見がありました。

城宝寺 (田原市) - Wikipedia城宝寺古墳 - Wikipedia

新規作成。行政に携わる方が執筆に参加しています。参考になりそうな文献を下階の図書館で探してくれた司書さんの存在がありがたかったとのこと。

龍泉寺 (田原市) - Wikipedia

新規作成。参加者自ら下階の図書館で書庫資料の請求を行って文献を集めています。今回のイベントでは田原市図書館の司書さんが文献探索役となってくれたほかに、300冊(?)まで貸出可能な団体貸出カードが用意されており、図書館との連携がスムースでした。

鈴木春山 - Wikipedia

 新規作成。晩年以外の生涯について手を加える余地があるとのことでした。イベント参加者による投稿後、すぐに(イベントに参加していない)K-icznさんによって典拠管理のTemplateが加えられました。

 

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三河田原駅近くの焼肉屋「夕やけ横丁三丁目」で行われた懇親会には20人以上が参加。首都圏や関西圏から来られた方も全員参加しています。

 

3回連続イベントだったブラトヨハシ/ブラタハラ。イベントの企画や仕切りを担当したのはCode for MIKAWAの木村さんと辻さんです。場所や資料を提供する図書館(豊橋市図書館/田原市図書館)、街歩きのガイド(豊橋市役所まちなか活性課/田原市教育委員会/図書館司書)、編集作業のガイド(ウィキペディアン/マッパー)など複数の団体を巻き込んだ企画を立案。各回20人-40人もの参加者を集め、地域文化やオープンデータへの関心を深めてもらうことに成功したと思います。特に第1回や第3回は他自治体の図書館や行政に関わっている方の参加も多かった。豊橋/田原からブラトヨハシ/ブラタハラのようなイベントが愛知県や静岡県に広がっていくことを期待しています。

離島の映画館

北木島の映画館

何年か前に、岡山県西部の笠岡諸島にある北木島を訪れたことがある。Wikimedia Commonsには北木島に期間限定で復活したという映画館「光劇場」の写真が投稿されている。石材業で栄えた1950年代には北木島に4館の映画館が存在したらしいが、最後の「光劇場」も1967年に閉館となり、2014年には47年ぶりに映像が上映されたという。

 

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光劇場。撮影者:Muscla3pin。

 

 

離島の映画館(1953年)

たまたま手元には『全国映画館総覧 1953年版』の全ページ分(約190ページ)のコピーがある。映画最盛期には岡山県の離島にどれだけ映画館が存在していたのか確認してみたが、1館もなかったことになっている。「光劇場」などという映画館は見当たらない。これだから映画館総覧はあてにならない。

 

気を取り直して、全国の離島にある映画館を調べてみる。確認できただけで57館もあった。もっとも映画館が多い島は淡路島(11館)。映画館のある島数がもっとも多い県は広島県長崎県(7島)。愛知県の篠島 - Wikipediaにも2つの映画館があったらしい。この時期の篠島は現在の2倍、約4,000人の人口を有していた。なお、1953年の文献なので沖縄の映画館は掲載されていない。

 

・11館 - 淡路島(兵庫県

・7館 - 佐渡島新潟県)、壱岐島長崎県

・6館 - 因島広島県

・4館 - 天草下島熊本県

・3館 - 小豆島(香川県)、福江島長崎県

・2館 - 篠島(愛知県)、大崎下島広島県)、能美島広島県

・1館 - 大崎上島広島県)、生口島広島県)、倉橋島広島県)、厳島広島県)、対馬島長崎県)、平戸島長崎県)、生月島長崎県)、小値賀島長崎県)、中通島長崎県)、種子島鹿児島県

 

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 1977年の篠島。国土画像情報(カラー空中写真)。

 

 

離島の映画館(2016年)

たまたま手元には『2016年版 映画年鑑 別冊 映画館名簿』もある。現在の離島にはどれだけの映画館があるのか探した。

 

・1館 - 天草下島熊本県)、宮古島沖縄県

 

現在も営業しているのは2館だけだった。宮古島の映画館は吉本興業が運営する特殊な映画館であるため、現在も営業中の従来館は天草下島の「本渡第一映劇 - Wikipedia」のみと言える。なお、沖縄本島には5つのシネコンと1館のミニシアターがある。

日本の離島を人口順に並べると、淡路島、天草下島佐渡島奄美大島宮古島福江島福江島対馬島石垣島種子島、小豆島 となる。淡路島の人口は16万人。天草下島は10万人を切っている。淡路島の「洲本オリオン - Wikipedia」は2013年に閉館となり、天草下島より一足早く淡路島から映画館が消滅した。

 

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(左)天草市街地。撮影:690 Noda。(右)洲本オリオン。撮影:At by At。

 

 

 

 

 

 

『39席の映画館』

各地のミニシアター

旅行したときにはその土地のミニシアターを訪れる。

函館ではシネマアイリスで、札幌ではシアターキノで、福岡ではKBCシネマで、大分ではシネマ5で映画を観た。札幌ではシアターキノ狸小路)と蠍座(札幌駅北)のどちらに行こうかと迷ったが、結局シアターキノで『屋根裏部屋のマリアたち』を観た。

「次に札幌に来る時には蠍座」と決めていたが、蠍座は2014年12月で閉館となった。この2016年夏には『札幌の映画館<蠍座>全仕事』(寿郎社、952ページ、4860円)が刊行された。大きな書店に行くと映画コーナーで存在感を放っている。

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函館・五稜郭そば。繁華街から一歩引いた住宅街のアパート1階にあるシネマアイリス。『かぞくのくに』を観た。撮影者:DecKeYE。CC BY-SA 4.0。

 

 

鹿児島市の映画館

鹿児島市にはミニシアターが1館、シネコンが3施設ある。ミニシアターのガーデンズシネマに加えて、ティ・ジョイ系列のミッテ10、TOHOシネマズ与次郎、天文館シネマパラダイス。天文館シネマパラダイスはシネコンといえども、事業費の4割が国や鹿児島市からの補助金富山市フォルツァ総曲輪に近い。

日本最小、座席数39席のミニシアターがガーデンズシネマ。天文館シネマパラダイスとガーデンズシネマはそれぞれ、天文館と呼ばれる繁華街にある。

何年か前に鹿児島を訪れた。天文館シネマパラダイスとガーデンズシネマの番組編成を見比べて、天文館シネマパラダイスにノルウェー映画を観に行った。大西洋ではなく大平洋を航海(実質的には漂流)する話だった。シネマパラダイスは繁華街にあるが、驚くほど客が少なかった。公費の投入が問題視されるのも当然だと思った。

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天文館シネマパラダイス。撮影者:At by At。CC BY-SA 3.0。

 

『39席の映画館』

藤井さんのFacebookで、2016年4月に刊行された『39席の映画館』(燦燦舎)という本のことを知った。2010年に開館したガーデンズシネマについての書籍で、著者は「ガーデンズシネマ部」。上映した作品のコラムが3/4を占めており、残りの1/4は支配人の黒岩美智子さんが映画館の歩みを書かれている。

 

黒岩さんは1958年生まれ。鹿児島大学を卒業後に鹿児島でOLをしていたが、1989年に上京して東京テアトルの子会社に勤めた。1995年に鹿児島に戻ると天文館の映画館は衰退しており、2006年には2館が閉館したことで映画館がなくなった。

黒岩さんは2007年に自主上映団体「鹿児島コミュニティシネマ」を立ち上げる。2010年に三越鹿児島店がマルヤガーデンズに生まれ変わる際、マルヤガーデンズに常設映画館の設置を決意する。映画館設立の経緯はシネマ尾道の河本清順さん(女性)に似ている。

 

巻末には開館後に行ったイベントの一覧が掲載されている。2014年度までの5年間でざっと200近いイベントを開催している。監督や俳優の舞台挨拶/トークイベント/ティーチインはもちろん、映画評論家や鹿児島大学の教授を招いた講演会や、上映作品に関連するイベントが多数ある。ただの展示会は少なく、ゲストを招いて話をさせるイベントが多い。

開館時の手持ち資金は10万円、初回上映作品の観客数は1人、開館時のスタッフは専任1人(黒岩さん)とパート2人、座席数はデジタル対応している映画館では日本最小の39席。この規模のミニシアターがこれだけのイベントを開催していることに驚いた。

 

『39席の映画館』を刊行しているのは、鹿児島県の燦燦舎という出版社。著者の「ガーデンズシネマ部」は、映画館の常連が集まってワイワイ楽しむ緩やかな団体らしい。刈谷日劇の「語る会」の発展版をイメージしている。

 

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 2010年開館当初のマルヤガーデンズと2016年のマルヤガーデンズ。この中に映画館がある。蔦が伸びたがタクシーは変わっていないらしい。撮影者:Sanjo。CC BY-SA 3.0。