振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

第3回ブラタハラに参加する

f:id:AyC:20170122115859j:plain

f:id:AyC:20170122115734j:plain

f:id:AyC:20170122102911j:plainf:id:AyC:20170122103039j:plain

f:id:AyC:20170122102915j:plainf:id:AyC:20170122102913j:plain

2017年1月21日(土)、愛知県田原市で開催された「第3回 ブラタハラ 街歩きで、街の魅力発見発信!」に参加しました。Code for MIKAWAが主催するウィキペディアタウン×マッピングパーティの最終回。過去2回は2016年9月と11月に豊橋市で開催されています。

 

豊橋駅から豊橋鉄道渥美線田原市に向かいます。渥美半島と言えば電照菊に代表される花卉栽培。豊鉄新豊橋駅では菜の花とシクラメンが出迎えてくれました。渥美線沿線にはキャベツ畑に加えて菜の花畑も多くみられました。18km・35分かけて終点の三河田原駅に到着。安藤忠雄設計の三河田原駅舎は2013年に完成したばかりで、広くて明るい。駅から歩いて15分の距離に田原市図書館があり、図書館のすぐ上の階にイベント会場の会議室があります。

 

f:id:AyC:20170122115756j:plain

f:id:AyC:20170122102924j:plainf:id:AyC:20170122102917j:plain

今回のイベントには約36人が参加しました。田原市図書館の豊田館長、京都府図書館司書の是住さん、関西から駆け付けたオープンデータ京都実践会の方、東京や名古屋から来た司書さんたち、前回までに知り合った豊橋市役所の方々、前回までにも来てくれたウィキペディアンなど、知り合いばかりだった気がします。豊橋技術科学大学の学生さんも何人か参加されていました。

 

10時にイベント開始。Code for MIKAWAの辻さんがイベント全体の説明をした後、京都府図書館の是住さんによるWikipediaの説明を聞き、Code for SAITAMAの古田さんによるOpenStreetMapの説明を聞きます。最後には街歩きガイドを務める田原市の木村さんと増山さんによる歴史の説明を聞きました。


是住さんによるWikipdiaの説明は初めて聞いたような気がします。スライドの前半は画像メインでイベントの流れを説明。スライドの後半は文字を多くて、Wikipediaの運営・長所・基本的なルールに触れています。「地元記事を書くときには図書館・博物館・資料館が役に立つ」。

木村さんは現在の地図と昔の地図を効果的に使って町の変化を説明します。築城当初の田原城は海に囲まれていたのだそうです。ただし増山さんは「陸と海の境界をスパーンと分ける考え方を近代的な考え方」だとして疑問を呈されました。近代以前は干潟やヨシ原など、陸地か海中か曖昧な部分が多かったのでしょう。現在の図書館がある場所は、17世紀後半に干拓されて田園となったそうです。

かつて存在した船倉湊の話、伊藤製飴という製糖工場の話、田原市最大の商家の話などには興味が尽きません。1923年には町の南端に田原街道が通り、1925年には豊橋市に至る鉄道が開通します。料亭や赤線が栄えていたとか。この頃の写真は『渥美郡勢総覧』(1935年)に数多く掲載されており、NDLデジタルコレクションではインターネット公開(自宅で閲覧可能)となっています。1970年代には市街地がさらに南側と東側に拡大、その後トヨタ自動車が臨海部に進出し、今日でも町が変化し続けているようです。

 

f:id:AyC:20170122102943j:plainf:id:AyC:20170122102947j:plain

f:id:AyC:20170122102928j:plainf:id:AyC:20170122102951j:plain

11時30分頃から街歩き開始。渥美半島は年間を通じて風が強いことで知られており、前日には東三河地方に暴風警報が発令されるほどだったのですが、街歩き前半は予想より穏やかな天気でした。まずは図書館近くの汐川沿いを歩き、船倉湊があった場所を見に行きます(1枚目)。この道は2016年5月にもひとりで歩きました。汐川を越える橋の脇には常夜灯がありました(3枚目)。

少しばかりの街歩きのあとには「グリル華」で昼食(4枚目)。来店時間に合わせて30数人分の弁当が手配されています。

 

f:id:AyC:20170122103017j:plainf:id:AyC:20170122103020j:plain

f:id:AyC:20170122103022j:plainf:id:AyC:20170122103025j:plain

12時30分頃に昼食を終え、しばらくは30数人が一緒に歩きます。複雑な意匠の玄関があるのは置屋だった建物(2枚目)。ピンク色の建物は田原証券所有の洋館(3枚目)。角地にある古びた建物1958年までの田原町役場です(4枚目)。平成になってから開通した大通り沿いはともかく、さすが城下町だけあって古い町の面影がありました。

 

f:id:AyC:20170122103007j:plainf:id:AyC:20170122103004j:plainf:id:AyC:20170122103001j:plain

途中からは寺院コースと田原城コースの2グループに分かれて街歩きします。私は寺院コースを選びました。田原城よりやや低い場所には等高線に沿って寺下通りがとおっており、かつての海に対する防波堤のように寺町が形成されています。龍門寺、龍泉寺慶雲寺、城宝寺の四寺が並んでおり、今回は特に、田原藩藩医・鈴木春山(しゅんさん)の墓がある龍泉寺(2枚目)、蘭学者・渡邊崋山の菩提寺である城宝寺を回りました(1枚目・3枚目)。三河田原駅は目と鼻の先ですが寺町はとても静か。そしてどの寺も本堂が立派です。

 

f:id:AyC:20170122120050j:plain

f:id:AyC:20170122103028j:plainf:id:AyC:20170122103037j:plain

f:id:AyC:20170122120838j:plain

 会場に戻ったら編集作業です。今回も田原市図書館の司書さんが事前に参考文献を用意してくださっています。Wikipediaチームが選んだ記事は、田原城、龍泉寺&鈴木春山、城宝寺&城宝寺古墳と歴史がメイン。事前に用意してくださった文献には記述量の少ない寺院もあったのですが、イベント中にも司書さんが下階の図書館で文献を集めてくださったり、参加者が書庫資料の請求を行ったりしています。17時まで編集作業を行い、その後成果発表を行いました。

田原城 (三河国) - Wikipedia

既存の記事への出典の追加、藩主一覧の追加、画像の追加など。ウィキペディアタウンは町おこしの視点で興味深いという意見がありました。

城宝寺 (田原市) - Wikipedia城宝寺古墳 - Wikipedia

新規作成。行政に携わる方が執筆に参加しています。参考になりそうな文献を下階の図書館で探してくれた司書さんの存在がありがたかったとのこと。

龍泉寺 (田原市) - Wikipedia

新規作成。参加者自ら下階の図書館で書庫資料の請求を行って文献を集めています。今回のイベントでは田原市図書館の司書さんが文献探索役となってくれたほかに、300冊(?)まで貸出可能な団体貸出カードが用意されており、図書館との連携がスムースでした。

鈴木春山 - Wikipedia

 新規作成。晩年以外の生涯について手を加える余地があるとのことでした。イベント参加者による投稿後、すぐに(イベントに参加していない)K-icznさんによって典拠管理のTemplateが加えられました。

 

f:id:AyC:20170122102954j:plain

三河田原駅近くの焼肉屋「夕やけ横丁三丁目」で行われた懇親会には20人以上が参加。首都圏や関西圏から来られた方も全員参加しています。

 

3回連続イベントだったブラトヨハシ/ブラタハラ。イベントの企画や仕切りを担当したのはCode for MIKAWAの木村さんと辻さんです。場所や資料を提供する図書館(豊橋市図書館/田原市図書館)、街歩きのガイド(豊橋市役所まちなか活性課/田原市教育委員会/図書館司書)、編集作業のガイド(ウィキペディアン/マッパー)など複数の団体を巻き込んだ企画を立案。各回20人-40人もの参加者を集め、地域文化やオープンデータへの関心を深めてもらうことに成功したと思います。特に第1回や第3回は他自治体の図書館や行政に関わっている方の参加も多かった。豊橋/田原からブラトヨハシ/ブラタハラのようなイベントが愛知県や静岡県に広がっていくことを期待しています。