振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

小牧市立図書館を訪れる

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(写真)小牧市立図書館。Wikimedia Commonsより。撮影 : Junichi。

 

2019年2月、愛知県小牧市小牧市立図書館を訪れました。小牧市名古屋市の北12kmにある人口15万人の自治体。小牧市街地のすぐ西側には標高86mの小牧山があり、山頂には模擬天守が市街地を見下ろしています。

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 (地図)小牧市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

小牧市立図書館を訪れる

小牧市立図書館の施設

小牧市立図書館には何度か訪れていますが、今回訪れた時は図書館の外観に違和感を覚えました。以前と比べてさっぱりしたような。それもそのはず、大階段の右手にあった樹齢60年のサクラの大木が2018年9月の台風21号で被害を受け、やむなく伐採されていたのでした。

このサクラは図書館のシンボル的存在であり、アンチ山下市長派からは「市の財産であるサクラを伐採したことについて事実関係を調査しろ」との声もあるようです。過去数年の小牧市は図書館の移転などをめぐって揺れています。小牧市立図書館 - Wikipediaラピオ - Wikipediaなど、一部のWikipedia記事は山下市長に対する批判が延々と書き連ねてある酷い記事になっています。2018年12月には前者を加筆して多少はマシになりましたが、それでもまだまだ酷い。

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(左)2019年1月の小牧市立図書館。(右)2016年7月の小牧市立図書館。階段右側にサクラの大木。

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(写真)2018年夏に伐採されたサクラの切株。

 

小牧市立図書館の現行館は1978年1月に開館しました。設計は象設計集団。ギザギザした外観が特徴的であり、利用者はその正面にある大階段から入館することになります。1階からの入館も可能ではありますが、基本的には大階段を上って2階から入館することに。大階段の上り下りを強いるのは子どもや高齢者を図書館から遠ざけているような気がします。

館内で印象的なのは絵本コーナー。2階フロアより階段8段分低い小部屋になっています。ただし小牧駅前には蔵書4万1000冊のうち3万6000冊が絵本というえほん図書館 - Wikipediaがあるため、小牧市立図書館内の絵本コーナーを利用する方は少ないかもしれません。屋外から見えるギザギザした部分の一部はテラス席になっていますが、はっきりいって使いにくそう。

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 (左)ギザギザ部分。一部はテラス席。(右)1階の入口。

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(左)2階の閲覧室。(右)2階のテラス席。

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(左)多読コーナー。(中)さいころ。(右)絵本コーナー。ここに掲載した写真の多くはCategory:Komaki City Library - Wikimedia Commonsに投稿済。



地域資料の収集・展示

2階の カウンター前には「小牧市の郷土特集」という常設(?)の展示コーナーがありました。展示されている文献には情報カードが添えられており、「小牧市内のまちあるきイベントに参加したスタッフが製作している」とのこと。郷土資料に関するパスファインダーのような役割を果たしているようです。まだまだ試行錯誤中という感じですが、今後の発展に期待です。

右側の写真は郷土史家の津田応助 - Wikipediaの蔵書を収蔵していた「象山書庫」(しょうざんしょこ)の情報カード。象山書庫は小牧市立図書館の200m南東にありましたが、2017年7月以降に取り壊されてしまったらしく、私が訪れた際には建物はありませんでした。跡地には2017年11月竣工のアパート「セイクリッド」が建っています。

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 (写真)展示「小牧市の郷土特集」。小牧市の題材に関する情報カード

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(左)2015年12月の象山書庫。Wikimedia Commonsより。撮影 : Mobnoboka。(右)2017年7月に撮影されたGoogleストリートビューによる象山書庫。©2019 Google

 

3階の郷土資料室には「小牧市記事索引」「小牧の写真」という索引目録がありました。前者については2011年に第1版が、2013年に第2版が、2015年に第3版が発行されており、後者は2017年に発行されています。小牧市にあった2つの映画館についても掲載されていました。いまどきこの手の索引目録を発行するのは珍しい気がしますが、私のように郷土資料室にこもって調べものをしたい者にとってはとてもありがたい資料です。

なお、小牧市立図書館の運営は図書館流通センター(TRC)に業務委託されています。2階のカウンターでTRCのスタッフに写真撮影の可否について尋ねると、3階の事務室に行くように促されます。事務室で写真撮影申請書に記入するのですが、最終的に申請について判断を下すのは小牧市職員のようでした。

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 (写真)小牧市の題材に関する索引目録。(中)「小牧市記事索引」。小牧劇場も掲載されている。(右)「小牧の写真」。

 

小牧市の新図書館建設計画

小牧市立図書館の現行館内には、「新図書館の開館まであと2年半」という掲示がありました。小牧市の新図書館は基本構想、基本計画、基本設計までが完了した状態であり、2018年10月時点で開館まで2年半だそうです。2019年度・2020年度に建設工事を行い、2020年度末に開館するそうです。場所はラピオの東側。名鉄小牧駅からはペデストリアンデッキで直結することで、愛知県内では豊田市中央図書館と同じくらい自治体中心駅に近い図書館になります。

www.city.komaki.aichi.jp

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(地図)小牧市立図書館の現行館所在地と新図書館予定地。©OpenStreetMap contributors

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(左)新図書館の開館を伝える掲示。(右)撮影許可証。

 

小牧市の映画館

小牧市には2館の映画館がありました。それぞれ明治時代開館の芝居小屋が前身で、戦中または戦後に映画館化したようです。

カムカム劇場/アサヒ映画劇場・ひかり映画劇場(1946年-1972年)

上之町にあった映画館。前身は芝居小屋の甲子座。跡地は駐車場。

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小牧劇場(1941年-1972年)

下之町にあった映画館。前身は芝居小屋の小桜座。跡地はマンション「クレストステージ小牧」。なぜだかGoogle mapやYahoo地図に名前が出てこない三十番神宮の脇にある。劇場は上街道に面しており、三十番神宮の門前には味のある居酒屋が健在です。

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(左)上街道の下之町。左のマンションが小牧劇場の跡地。(右)上街道沿いにある岸田家。小牧市指定有形民俗文化財

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新潟島北部の映画館

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(写真)旧新潟税関庁舎と満開の桜。新潟市歴史博物館に隣接。

2019年(平成31年)4月13日(土)、新潟県新潟市を訪れました。「沼垂の映画館」に続きます。

 

ayc.hatenablog.com

2019年4月13日(土)には「Wikipedia新潟ローカルタウンプロジェクト」が開催されました。この日の朝、新潟島北部にある映画館「映劇大要」やその周辺の地区を歩きました。新潟市中心市街地から北東に1km程度。新潟島北部からは新潟市歴史博物館周辺を通って沼垂地区に向かいましたが、歴史博物館周辺の桜は満開でした。

ayc.hatenablog.com

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(地図)新潟市街地における新潟島北部。©OpenStreetMap contributors

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(地図)新潟島北部の映画館の位置。地理院地図。

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(左)旧新潟税関庁舎付近の満開の桜。(中)新潟市歴史博物館。(右)信濃川河口に停泊する佐渡汽船のフェリーと満開の桜。

 

1. 新潟島北部の映画館

1.1 映劇大要(1949年11月-2019年8月22日)

所在地 : 新潟県新潟市中央区古町通12番町2869(2012年)
開館年 : 1949年11月(サン劇場)、1962年5月2日(映劇大要
閉館年 : 2019年8月22日
『全国映画館総覧 1955』によると1949年11月開館。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「サン劇場」。1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年・2000年・2005年・2010年・2012年・2013年の映画館名簿では「映劇大要」。2014年の映画館名簿には掲載されていない。

新潟市中心市街地にある国道7号の古町交差点から北に向かうと、飲食店が密集しているのは古町通9番町までであり、広小路通を過ぎると下町感が強くなります。国道7号から約800m歩くと、やや広い通りの向こう側に映劇大要 - Wikipediaがありました。映画館らしい箱型の大きな建物ではありますが、外壁に館名が大きく書かれているわけでもなく、上映作品のポスターが目立つように貼られているわけでもないので、周囲の街並みに溶け込んでいます。地域との付き合い方を心得ているのでしょう。

映劇大要はやや特徴のある成人映画館なので、詳しくはWikipediaの記事を参照してください。建物は1962年(昭和37年)に映劇大要に改称した際に建設されたものでしょうか。1964年(昭和39年)からはずっと成人映画の専門館だそうで、他地域の成人映画館と比較しても専門館としての歴史が長いように思われます。

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(写真)映劇大要

 

Wikimedia Commonsにアップされている2006年の映劇大要の写真と比較すると、「24HRオールナイト」だったのが「毎日朝9:30分~翌朝6:50分まで」に変わったようです。また、2006年にはピンク映画の新作(?)を上映していたのに対して、現在はアダルトビデオをブルーレイ上映しているように見えます。2006年には存在していたらしい公式サイトはもう存在しません。閉館が徐々に近づいているのかもしれません。

上映案内掲示板には4月8日-4月14日の週の上映案内が掲載されているし、建物入口に近づくと内部には人の気配がしました。現時点で映劇大要は確実に営業しています。しかし、『映画年鑑 2018年版別冊 映画館名簿』に掲載されている新潟市の映画館は、新潟シネ・ウインド、ユナイテッド・シネマ新潟(10スクリーン)、T・ジョイ新潟万代(8スクリーン)、イオンシネマ新潟西(9スクリーン)、イオンシネマ新潟南(9スクリーン)の5施設だけであり、映劇大要は掲載されていません。ピンク映画雑誌『PG』のサイト内にある「全国成人映画館リスト」を見ても、映劇大要は掲載されていません。なぜだろう。

(※映劇大要には入館していないので詳しいことはわからないのですが、上映形態が業界内で映画館扱いされていないのかもしれません。なお、一般的に『映画館名簿』にはビデオシアターであっても掲載されます。)

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(左・右)映劇大要の上映作品ポスター。(中)映劇大要の上映案内。

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(写真)2006年の映劇大要。CC BY-SA 2.0。作者 : Matt Watts 

 

映劇大要は成人映画館としては珍しく広い通りに面しているため、2枚のついたてで入口を巧妙に隠していますが、それでも人通りが多そうな交差点脇に入口があります。この広い通りは御祭堀(ごさいぼり、五菜堀とも)という名称で、戦前までは新潟市街地を縦横に流れる堀のひとつ、戦後になって埋め立てられたことで広い通りになったようです。新潟市の堀が埋め立てられたのは昭和30年代頃とのことですが、すべての堀が道路用地になっています。堀があったころを想像しながら歩くのはとても楽しい。

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(左・中・右)映劇大要の入口付近。

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(写真)映劇大要と御祭堀。

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(地図)かつて新潟島北部にあった堀の位置。地理院地図。

 

1.2 おおとり映画劇場(1956年7月-1966年3月頃)

所在地 : 新潟県新潟市本町14番町(1966年)
開館年 : 1956年7月1日
閉館年 : 1966年3月頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「鳳映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「おおとり劇場」。1966年の映画館名簿では「新潟おおとり劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「セブンイレブン新潟横七番町通店」。

映劇大要から古町通を北に向かうと、東堀通との交差点を過ぎた場所にセブンイレブン新潟横七番町通店があります。この場所には2011年(平成23年)まで第四銀行本町北支店があり、さらにさかのぼると1956年(昭和31年)から1966年(昭和41年)まで映画館「おおとり映画劇場」がありました。開館当初のおおとり映画劇場は新東宝の封切館でしたが、やがて大映・日活・新東宝などの二番館になったようです。

1945年頃の周辺地図を見ると、道路沿いに第四銀行があり、その奥に「おおとり映画館」とあるので、開館は1956年より古いのかもしれません。セブンイレブンの建物左側には妙な路地があり、その先には旅館本田や質福田という、いかにも遊郭跡といえる施設も。旅館本田は現役のようです。

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 (左)セブンイレブン新潟横七番町通店。(右)セブンイレブン奥にある路地。旅館本田と質福田。

 

路地を抜けると大岩ビルの裏に出ます。大岩ビルの場所にはかつてストリップ場のセントラル劇場がありました。大岩ビルが面する本町通に出ると、大岩ビルの南側には妓楼からの転業旅館であり "貸座敷の名残を留める" とされる福田旅館があります。

本町通14番町付近には、1889年(明治21年)の大火後に十四番町遊郭(新潟遊郭)が建設されたそうです。本町通の突き当りには、航海の安全祈願を行う入船地蔵尊浄信院がありますが、緩やかな坂の上にあって、十四番町遊郭を見下ろすような位置にあります。

十四番町遊郭には常盤町遊郭が隣接していたそうで、常盤町遊郭の大門付近には銭湯「門の湯」があったそうです。「門の湯」は2014年7月に廃業したとのことで、跡地は駐車場になっていました。

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(左)福田旅館。(中)大岩ビル。(右)た入船地蔵尊浄信院。

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(写真)常盤町遊郭の大門。

 

1.3 東光映画劇場(1956年7月-1974年1月29日)

所在地 : 新潟県新潟市横七番町通12-4626(1969年)
開館年 : 1956年7月15日
閉館年 : 1974年1月29日
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「東光映画劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「新潟東光映画劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はドラッグストア「ウエルシア新潟横七番町店」駐車場。

「おおとり映画劇場」からバス通りを東に向かうと、「横七番町二丁目」バス停を過ぎたあたりにドラッグストアのウエルシア新潟横七番町店があり、ウエルシアの駐車場付近には1956年から1974年まで映画館「東光映画劇場」がありました。東光映画劇場は東宝・松竹・日活の二番館だったということで、おおとり映画劇場と合わせると、新潟島北部の映画館では配給6社中5社(東映以外)の映画を観れたようです。

ウエルシアの西側には曹洞宗の智泉院があり、歌手の小林幸子 - Wikipediaの実家は現在の智泉院の敷地にあったらしい。小林幸子の実家は精肉店を営んでおり、「3軒隣が映画館」だったと語っています。

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(写真)ウエルシア新潟横七番町店と智泉院。

 

新潟島北部の映画館について調べたことは新潟市の映画館 - 消えた映画館の記憶にまとめており、跡地については消えた映画館の記憶地図(新潟県版)マッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

沼垂の映画館

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(写真)JR貨物沼垂駅跡地。

2019年(平成31年)4月13日(土)、新潟県新潟市を訪れました。「新潟島北部の映画館」からの続きです。

 

ayc.hatenablog.com

2019年(平成31年)4月13日には「Wikipedia新潟ローカルタウンプロジェクト」が開催されました。この日の朝、新潟市が発行している地図「沼垂の町 小路めぐり」を見ながら沼垂(ぬったり)地区を歩きました。新幹線や高速バスの起点となるJR新潟駅から北東に1km程度。政令市の中心駅から徒歩圏内にありながら昭和の情緒溢れる地域です。

ayc.hatenablog.com

 

1. 沼垂を訪れる

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(地図)新潟市街地における沼垂の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)沼垂の地図。地理院地図

 

1.1 沼垂東

夜行バスで朝6時前にJR新潟駅に到着し、新潟島の北部を2時間近く歩いてから沼垂に向かいました。沼垂地区は沼垂西と沼垂東に分かれており、その境界は県道464号/国道7号ですが、かつてはこの場所に栗ノ木川という川が流れていたそうです。地図には「大橋跡」と記されていますが、碑などがあるのかどうかは確認し忘れました。

沼垂東の北部には現役の銭湯「千代乃湯」が。江戸時代から続いていて、現在の主人が8代目らしい。すごい。建物の西側には薪が積み上げられていました。千代乃湯はまだ薪で湯を沸かしているのだそうです。沼垂東の南部には「さか井湯」もあります。

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(写真)JR新潟駅

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(左)高木酒店。千代乃湯の西側。(右)銭湯「千代乃湯」。

 

1.2 沼垂日劇跡地のアパート群

沼垂を訪れたいちばんの目的は、映画館「沼垂日劇」の跡地を確認することでした。1943年(昭和18年)に映画館に改修された沼垂日劇は、昭和40年代後半にはもう成人映画を上映するようになったとのこと。閉館日は1995年(平成7年)3月10日なので、成人映画館としての歴史のほうが長いようです。

ぐぐっても沼垂日劇の場所は判明しなかったので、住所から所在地の見当をつけて歩いたうえで、翌日に新潟県立図書館にある住宅地図で場所を特定しています。沼垂には1970年(昭和45年)まで「港座」が、1965年(昭和40年)まで「中央映画劇場」もあったようですが、住宅地図では場所を特定できませんでした。

 

沼垂日劇跡地には1997年(平成9年)竣工のアパート「ステラハウス2A」が建っています。周辺にはアパートが多く、赤さびに覆われたアパートの密集具合が異様な雰囲気を出している「礎アパート」群もあります。Google mapsやYahoo地図では第2・第3・第5・第6・第7・第8・第9・第10の8棟が確認でき、ステラハウスの場所にはかつて第1と第4が建っていたものと思われます。

ホームズの建物情報を見ると、新潟市内には第35礎アパート(中央区白山浦1丁目)や第40礎アパート(中央区関屋恵町)などが確認できます。中央区礎町通にある礎不動産が取り扱っているようですが、この会社は沼垂が発祥なのでしょうか。

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(左)建て替えられたアパート群。中央左のアパートの場所が沼垂日劇跡。(右)赤さびが目立つ古いアパート群「礎アパート」。

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(地図)沼垂日劇跡地周辺の地図。地理院地図。

 

沼垂日劇周辺のすぐ東側は貨物線の線路であり、さらに東側は臨海工業地帯です。かつてこの付近にはJR貨物沼垂駅 - Wikipediaがありました。Wikipedia記事を読む限りでは、1990年(平成2年)以降はほとんど使われず、2008年(平成20年)には完全に貨物列車の運行がなくなったのかな。

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(左)沼垂の工業地帯にあるJXTGエネルギー。(右)JR貨物沼垂駅跡地。

 

1.3 沼垂寺町の長屋群

南に向かうと7寺院が密集する沼垂寺町があり、その中央部には異質な雰囲気を醸し出している長屋群があります。堀を埋め立てて建設した市場だったとのこと。今昔マップで明治時代の地形図を見ると、確かに栗ノ木川と新川(新栗ノ木川)を結ぶ堀が描かれていました。

2010年(平成22年)以降にはこの長屋に出店する店舗が相次ぎ、2015年(平成27年)には沼垂テラス商店街と命名沼垂テラス - Wikipedia)。Wikipediaには地域再生大賞準大賞やグッドデザイン賞を受賞したと書かれています。現在は飲食店・カフェ・居酒屋に加えて、装飾品、生花、総菜、パン、陶芸品、雑貨、古本など30近くの店舗が出店しているようです。

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(写真)沼垂寺町の長屋群。

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(写真)沼垂テラス商店街。

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(地図)明治時代の沼垂町。今昔マップより。河川と堀を着色。

 

沼垂地区から新潟市立中央図書館「ほんぽーと」までは徒歩5分程度。沼垂日劇以外の映画館の場所を調べたうえで、もう一度足を延ばしてみたいと思います。

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(左)沼垂白山神社CC BY-SA 漱石の猫。(中)新潟市立中央図書館「ほんぽーと」。(右)新潟市立万代長嶺小学校。

 

2. 沼垂の映画館

2.1 沼垂日劇(1943年3月4日-1995年3月10日)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂東6-2-18(1995年)
開館年 : 1943年3月4日
閉館年 : 1995年3月10日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1929年8月。1955年の映画館名簿では「日本映画劇場」。1958年の映画館名簿では「沼垂日本劇場」。1960年・1963年・1966年・1969年・1973年・1976年・1980年・1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「沼垂日劇」。跡地はアパート「ステラハウス2A」。

1943年(昭和18年)3月4日には演芸場の明治座が映画館化して沼垂日劇となり、邦画の二番館として営業していました。戦後の1961年(昭和36年)に改装しますが、1963年(昭和38年)5月9日に宿直室付近から出火して全焼しています。再建して営業を続け、昭和40年代後半からは成人映画館となると、1995年(平成7年)3月10日まで営業を続けました。跡地は1997年(平成9年)竣工のアパートです。

(写真)1963年に沼垂日劇が焼失した際の短報。『キネマ旬報』1963年6月15日、342号。

 

2.2 沼垂港座(1914年5月1日-1970年6月頃)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂東4-4-16(1969年)
開館年 : 1914年5月1日
閉館年 : 1970年6月頃
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1919年8月。1955年の映画館名簿では「港座」。1958年の映画館名簿では「港座映画劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「港座」。1966年・1969年の映画館名簿では「沼垂港座」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「エトワール沼垂」南の駐車場。

1914年(大正3年)には寄席の大漁座が映画館化して港座に改称。戦前は洋画の上映館であり、戦後は大映・松竹・新東宝の二番館だったようです。

 

2.3 中央映画劇場(1952年-1965年12月12日)

所在地 : 新潟県新潟市沼垂西横町(1966年)
開館年 : 1925年9月、1952年
閉館年 : 1965年12月12日
『全国映画館総覧 1955』によると開館は1925年9月。1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「中央映画劇場」。1963年・1966年の映画館名簿では「沼垂中央劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「ローソン新潟沼垂西店」。

1952年(昭和27年)には第二富士館が中央映画劇場に改称し、東映を中心とする二番館として営業していました。沼垂の映画館の中では最も早く、1965年(昭和40年)12月12日に閉館しています。

 

沼垂の映画館について調べたことは新潟市の映画館 - 消えた映画館の記憶にまとめており、跡地については消えた映画館の記憶地図(新潟県版)マッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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「まちデータ道場@名古屋」に参加する

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(写真)尾頭橋公園から見た八幡園跡。

 

2019年4月20日(土)、愛知県名古屋市で開催された「まちデータ道場@名古屋」に参加しました。3月21日(木・祝)に開催された「図書で調べて編集するオープンデータワークショップ~金山ウィキペディアタウン&まちマップ~」のフォローアップイベントであり、主催は3月21日のイベント同じく「にんげん図書館」です。

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(地図)まちあるきコース。©OpenStreetMap contributors

 

名古屋都市センター11階の喫茶コーナーに集合。どのようなルートを回るか簡単に打ち合わせてから、金山南ビルから西へ。堀川に架かる尾頭橋を渡り、和菓子舗「不朽園」やうなぎ屋「魚勇」がある尾頭橋商店街へ。八熊交番角から北上して八幡園跡へ。遊郭建築やスナックのねこを見て、ナゴヤ球場前まで行ってから金山に戻ります。

JR貨物名古屋港線ナゴヤ球場正門前駅の遺構がないか確認し、JR東海道線尾頭橋駅の前を通ってウインズ名古屋へ。ウインズ名古屋内の食事コーナーでおひるごはんを食べ、編集会場のマリカフェに向かいました。マリカフェは金山駅南口の正面にあるカフェで、奥は電源などが使える多目的ルームになっています。

www.marishobo.com

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 (左)橋梁としての尾頭橋。(右)尾頭橋商店街のアーチ。

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 (左)和菓子舗「不朽園」。(右)うなぎ屋「魚勇」。

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 (左)八幡園跡の遊郭建築。(右)銭湯「八幡温泉」。

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 (写真)スナックつたやのねこ。

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(左)JR貨物名古屋港線東海道新幹線。(右)ウインズ名古屋。


今回はもくもく会に近い形の編集スタイルで、それぞれがそれぞれの方法で尾頭橋 - Wikipediaの充実を目指しました。私は「文章の追加」・「写真の追加」・「地図の掲載」の3点を行っています。なお、前回のイベント以後の4月9日には、個人的に9000バイトの加筆を行っています。

3月21日のイベント時に参加者が作成した情報カードのうち、前回のイベント中にはWikipediaに取り込めなかったものを取り込みました。前回のイベント時には掲載できなかった八幡園跡の写真を掲載し、旧館の写真が掲載されていたウインズ名古屋の写真を新館の写真に貼り換えました。公共施設や大規模施設の位置を示した地図を作成し、尾頭橋地区の範囲についてイメージしやすくしました。

3月20日時点Wikipedia尾頭橋」は5,500バイトでしたが、3月21日のイベント終了時点では16,000バイトとなっています。それが4月19日時点では31,000バイトとなり、今回のイベント終了後には33,000バイトとなりました。

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(写真)Wikipedia尾頭橋」に追加した地図。