振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

高梁市図書館に行く

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2017年2月4日、岡山県高梁市高梁市図書館が開館しました。いわゆる4館目の「ツタヤ図書館」ということで話題になっています。

高梁市図書館オープン 【2月4日(土曜日)】 - 高梁市公式ホームページ

 

www.sankei.com

www.asahi.com

 

岡山市立中央図書館に行く

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瀬戸内市で行われた「ウィキペディアタウンin瀬戸内市 第2弾」に参加し、ついでに岡山市立中央図書館・岡山県立図書館・高梁市図書館も訪れました。

岡山市立中央図書館では平積みされたベストセラーの展示がありました。図書館と作家との関係が注目されてる中で不安になる展示方法だなあと思いつつ、10年前(適当)の職員が買ってしまった複本を活かす展示形態として肯定する見方もありなのだろうか、という複雑な気持ちを抱いたのでした。この画像をFacebookに投稿したところ何人かの図書館の方に意見をいただき、「この展示方法はあり得ない」という意見が複数ありました。複本問題についてもう少し勉強せねばと思います。

 

高梁市図書館に行く

 高梁市岡山市から見て北西にあり、倉敷経由の伯備線で行くことができます。普通列車では50分-60分。私が乗ったのは平日の8時16分に備中高梁駅に着く列車。大都会岡山から離れてゆくこの列車が混むはずはないと思っていたのですが、4両編成の列車は高梁市に着くまで立ち客が途絶えませんでした。

備中高梁駅までの列車は1時間に2本。8時16分着の列車には高校生&通勤客が、8時49分着の列車には大学生が多い印象でした。高梁市内には1990年に市が誘致した吉備国際大学があり、公立高校が2校、私立高校が1校あります。岡本真さんに「高梁市内に下宿せずに、岡山市に下宿して大学まで通う学生も多い」と聞きました。これは良くないです。

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(左)9時前の改札からはそこそこ人が出てくる。(右)駅に隣接している図書館。

 

高梁市図書館は備中高梁駅に隣接した建物にあります。図書館の入口は改札を出てすぐ。開館まで時間があったので40分ほど駅前を散策しました。高校生&通勤客が去った駅前は驚くほど人通りがありません。「人を写さない」という配慮をするまでもなく、駅前やアーケード商店街は以下のような感じです。現在の高梁市の人口は約31,000人、平成の大合併前の高梁市の人口は約17,000人でしょうか。こんな街にツタヤ図書館&スタバを作ったことに驚きます。

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9時の開館が近づくとお年寄りが集まってきました。どうやら図書館内のミーティングルームで何かの会合があるようです。返却ポストがあったので覗いてみたら、夜間に入れられた本を誰でも手に取ることができるポストでした。これはまずいだろうと思うのですが、ツタヤ図書館ってどこもこんなポストなのかな。

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スペイン史関連の蔵書を確認する

1.井上幸治『南欧史』山川出版社、1977年

2.飯塚一郎『大航海時代のイベリア』中央公論社中公新書〉、1981年

3.ミシェル・ルケーヌ『コロンブス創元社〈「知の再発見」双書〉、1992年

4.青木康征『コロンブス中央公論社中公新書〉、1979年

5.増田義郎コロンブス岩波書店岩波新書〉、1979年

6.斉藤隆『スペイン戦争』中央公論社中公新書〉、1978年

7.斉藤隆『スペイン戦争』中央公論社中公新書〉、1978年(複本)

8.堀田善衛『スペイン断章』岩波書店岩波新書〉、1980年

9.若松隆『スペイン現代史』岩波書店岩波新書〉、1992年

10.渡辺昌美『巡礼の道』中央公論社中公新書〉、1980年

11.渡辺昌美『巡礼の道』中央公論社中公新書〉、1980年(複本)

12.W・M・ワット『イスラーム・スペイン史』岩波書店、1976年

 

選書を確認するために「スペイン史」に関する本を書き出してみました。「スペイン・南欧史」(030)と区切られた一段です。計12冊10タイトルの本があり、10冊8タイトルが新書でした。6冊が1970年代刊行、4冊が1980年代刊行、2冊が1990年代刊行であり、2000年代刊行の本はありませんでした。

山川出版社は『南欧史』の後継として2000年に『スペイン・ポルトガル史』(世界各国史)を出しており、『スペイン・ポルトガル史』の後継として2008年には『スペイン史』(世界歴史大系)を出しています。『南欧史』は1957年に初版が出た本であり、図書館の開架で目にする機会はなかなかない。この他にも聞いたことのない著者の本・開いたことのないタイトルの本がいくつかありました。皮肉半分ですが、旅先で思いがけない本との出会いに嬉しくなります。上に書きだしたのは地元の図書館で再読するためでもあり、この日もこれらの本を片手についつい長居してしまったのでした。ツタヤ図書館の選書を批判するのは容易いですし、客観的にみればクソみたいな選書なのだと思いますが、3か月に1回くらい来たくなるような不思議な選書です。

 

写真撮影について

ツタヤ図書館は原則撮影禁止であり、以下のように書かれたウェブサイトの文章を武雄・海老名・多賀城でも使いまわしています。高梁市図書館では4階の屋外部分(展望テラス)のみ撮影可能なのですが、公式サイトでは撮影可能場所を明確にしていないのが残念です。

利用者の方のプライバシー保護のため、館内での写真撮影は基本的にお断りしています。一部の場所でのみ、写真撮影が可能です。詳しくはスタッフまでお問い合わせください。取材、視察等で撮影をご希望される場合は事前に図書館への申請が必要です。

 展望テラスで撮影していたところ、にこやかに撮影可能場所のことについて話しかけてきたスーツ姿の年配男性職員がいました。あの方はどのような役職の方だったのか気になります。館長は高梁市の元教育委員だそうです。

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(右上)スタバと観光案内所部分。(下)撮影可能な展望テラス。

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高梁市立高梁中央図書館に行く

備中高梁駅高梁市図書館から徒歩10分の場所には、昨年8月に閉館した高梁市立高梁中央図書館があります。建物は1970年竣工、延床面積は720m2、年間入館者数は3万人。大通りから見える場所にはありますが、気づかずに通り過ぎてしまうところでした。

2月4日に開館した高梁市図書館、開館から8日目で旧館の年間入館者数を越えたそうです。この数字はカフェを含めた入館者数であり、物珍しさも影響してるのでしょう。ガラガラの駅前や商店街、地元に下宿しない大学生、影が薄かった図書館。地域活性化のために何か手を打つ必要があったのは間違いありません。数年後にもう一度訪れて街を歩き、それから図書館を評価してみたいと思いました。

www.sanyonews.jp

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(右)高梁市図書館から見た備中松山城

 

ウィキペディアタウンin瀬戸内市 第2弾に参加する

瀬戸内市民図書館「もみわ広場」に行く

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瀬戸内市民図書館「もみわ広場」。右は旧館が入っていた中央公民館。

 

2月25日(土)には瀬戸内市民図書館「もみわ広場」に行きました。瀬戸内市を訪れたのは2016年2月以来で1年ぶりであり、6月の「もみわ広場」開館後には初めてです。「もみわ広場」の延床面積は2,400m2、開館時の蔵書数は約8万冊であり、総事業費は約10億円です。これだけ小規模の新館かつ中央館は訪れた記憶がなく、どんな図書館であるのか興味を持っていました。

雨が降っていた前回訪問時とは異なり、今回は雲が多いながらも穏やかな晴天でした。芝生の中庭には牛窓の特産品であるオリーブが植えられ、レンガや木材など茶色系の建物外観とよく調和しています。

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(左)市民によるタイルが飾られた外壁(右)前回訪れた“日本のエーゲ海牛窓

 

南向きの入口から入るとロビーがあり、ちょっとした飲食スペースや子どもの遊び場があります。この建物は複合施設ではなく単独館という位置づけだと思いますが、いい意味で図書館らしさを感じないロビーです。ロビーにはカフェの設置を見据えた場所があり、現在は自動販売機が置かれています。

建物はざっくりと言えば「L」字型であり、ロビーがある「L」字の内側は吹き抜けになっています。このロビーからは図書館の全体を見渡せるような印象を受けます。ロビーでおしゃべりする子どもの声が図書館の隅々まで聞こえてしまうということでもあります。「L」字の内側部分にはロビーのほかに、郷土資料館に近い「せとうち発見の道」というエリアがあります。

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(左)自販機コーナー。将来的なカフェスペース?(中・右)「せとうち発見の道」。床にも何か埋まってる。

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 (左・右)1階の書架やソファー。

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 (左)「全国津々浦々 図書館員の本棚 数珠繋ぎ」。知っている方も何人か。(右)酒の展示。酒樽や徳利まで置いてある。

 

ウィキペディアタウンin瀬戸内市 第2

今回のイベントも前回同様に、13時30分に始まって15時30分に終わります。まちあるきを行わない簡易版のウィキペディアタウンで、短時間なので参加しやすいというメリットがあります。イベント開始前には何度か、イベントを告知する館内放送が流れました。

講師はアカデミック・リソース・ガイドの岡本真さん。図書館の嶋田さんと村上さんも含めて10人が参加しました。聞いた限りでは瀬戸内市の教育委員、瀬戸内市の市民団体、他市の図書館司書、みんなの経済新聞ネットワークの記者などが参加していました。

前半の1時間は岡本さんによるウィキペディアの説明など。後半の1時間が文献探し・編集作業・成果発表です。岡本さんの説明の中では、「情報のアップデートが困難な紙の百科事典は内容が不正確なこともある」(現首相の名前、惑星の数など)、「ウィキペディアは批判されることもあるが、自分で改善することもできる」、「今日書いた文章が明日には変わっているかもしれない」などが記憶に残りました。

 

1年前のイベントでは運営側が「佐竹徳 - Wikipedia」(牛窓で活動した洋画家)を編集対象に選んだうえでイベントを行いました。今回は「瀬戸内市 - Wikipedia」「牛窓オリーブ園 - Wikipedia」「門田貝塚 - Wikipedia」「竹田喜之助 - Wikipedia」などを候補に挙げた上で、参加者が編集項目を決める形を取りました。2グループに分かれて「瀬戸内市」と「竹田喜之助」を編集しています。

ウィキペディアタウンイベントで自治体記事をメインの編集対象にすることはなかなかありません。新規作成の達成感はありませんが、自分が住んでいる自治体ということで誰もが主体的に編集に臨めるというメリットがあります。

瀬戸内市は図書館内で公衆無線LANサービスを提供しています。約10台のiPadが編集作業用に用意されましたが、数台のiPadからはウィキペディアへのアクセスができない(何らかのフィルタリング?)という謎のアクセス障害もありました。

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他のウィキペディアタウンイベントと比べると編集時間が短く、細かな修正が中心だったものの、地元の方でないと気づかない部分の修正(教育長の名前の更新、祭礼の名称の修正、幼稚園の休園の反映、瀬戸内市立図書館へのリンク追加など)、外部の者だから気づく部分の修正(出身有名人/ゆかりの有名人の追加、新市名候補への出典の追加、マスコットの記述の追加など)、両者が合わさって質が向上しました。

地域資料コーナーの書架には竹田喜之助に関連する資料がまとめられた段があり、また図書館内には竹田喜之助が操った人形のギャラリーがあります。「竹田喜之助」にはギャラリーに展示されている人形の画像が追加されました。図書館内には門田貝塚の地層をはぎとって展示している壁があり、この壁の写真を「門田貝塚」に掲載する編集も行われました。

現在上映中の映画『君と100回目の恋』は牛窓でロケが行われたそうですが、「瀬戸内市」にはフィルムコミッション関連の記述がないという指摘があり、今後の編集が期待されます。

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 (上左・上右)喜之助ギャラリー&シアター

 

旧館を振り返る

「もみわ広場」が開館したことで初めて図書館を訪れた瀬戸内市民は多いのではないかと思います。開館から8か月が経ち、図書館の存在が瀬戸内市に定着しているように感じました。ただ私としては、旧館の記録をきちんと残しておくことも重要だと考えます。

 

2010年度における瀬戸内市の1人あたり貸出数・1人あたり蔵書数・1人あたり資料費は、いずれも岡山県の24自治体中24位。旧館は図書館法における「図書館」という位置づけではありましたが、実質的には中央公民館図書室を改称しただけであり、118m2という延床面積は図書館を名乗るにはつらいものがありました。ただし、誰もがカウンターにひと声掛けてから入室するような雰囲気のいい図書館でもありました。

ウェブ上には「もみわ広場」についての文章や写真がいくつも見つかり、総じていい印象を持たれています。その一方で旧館時代の文章や写真はほとんどないようです。旧館の記憶を文章で記録しておくために作成したのが瀬戸内市立図書館 - Wikipediaであり、初版を作成したのは「もみわ広場」開館の3日前です。

この記事には旧館の館内の画像が掲載されていません。昨年2月に訪れた時には司書さんに撮影の許可をいただいたのですが、カメラの電池切れで撮影できませんでした。閉館した旧館の館内の写真を撮っておけなかったのが心残りです。

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(追記)前回の「ウィキペディアタウンin瀬戸内市」は完全に瀬戸内市民向けのイベントだと思っていました。岡山市上道(2016年11月)と尾道市(2017年3月)のイベントにつながったということを最近になって聞いて驚きました。今回のイベントも他自治体のイベントにつながりそうで楽しみ。

和歌山県立図書館・和歌山市民図書館を訪れる

和歌山県立図書館を訪れる

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和歌山県立図書館を訪れる。1908年開館で2008年に100周年記念式典を行っている。現行館は1993年開館。延床面積12,361m2。市街地の中にあるがバスを使わないと行きづらい。県立図書館2館の来館者数の合計49万人は、47都道府県の平均を越えているらしい。

 

地方紙の書架には和歌山新報(和歌山市)、有田タイムス(有田市)、紀州新聞と日高新報(御坊市)、紀伊民報田辺市)、紀南新聞と熊野新聞(新宮市)があり、紀伊民報和歌山県全域で配布されているらしい。閉館前に訪れたせいもあってガラガラで、19時の閉館時にはおそらく利用者より職員のほうが多かった。

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(右上)県立らしいと感じる、木を多用したやや重厚感のある什器。(左下)「木の文化資料」の書架4台。(右下)地方紙の書棚。

 

和歌山市民図書館を訪れる

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和歌山市民図書館は南海和歌山市駅から徒歩5分の場所にあり、市民会館、市民図書館、市立博物館の3施設が並んでいる。1981年開館。岡田新一設計事務所。延床面積は7,288m2(実質4,677m2)。1階が一般書と児童書のフロア、2階が参考図書と郷土資料のフロア、3階に移民資料室がある。2016年5月には図書館総合展フォーラムがここで開催された。2019年には南海和歌山市駅に直結する建物に移転する。

 

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1階奥には不自然な区画があり、2階も不思議な空間の使い方をしていた。オープンデータソンin和歌山市は3階の会議室で行われたが、3階やバックヤードは迷路のようだった。外観の印象に比べて図書館部分の床面積は狭い。閲覧席は少ない。

 

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 (中・右)一般書エリアの上部は大きな吹き抜けになっているので開放感がある。

オープンデータソンin和歌山市に参加する

和歌山城周辺を散策する

2月18日(土)にはオープンデータソンin和歌山市に参加しました。この日は朝から和歌山城周辺を散策し、天守の直下まで登ったり和歌山公園を歩きました。和歌山城が建っている虎伏山の標高は49mだそうで、和歌山平野を見渡せます。この場所に城が築かれたのも納得。

 

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 (左下)緑泥片岩の野面積み。鶴の渓付近。(右下)斜度11度の御橋廊下。2006年再建。

 

オープンデータソンin和歌山市

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 今回のイベントは和歌山市民図書館3階の会議室で開催されました。和歌山県情報化推進協議会(WIDA)が主催し、オープンデータ京都実践会と図書館が協力しています。

wida.jp

 

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 ICT利活用普及部会の満田成紀先生(和歌山大学)先生と主催者によるイベントの説明のあと、京都実践会がオープンデータ・ウィキペディアOSMの説明を行います。

 

まちあるきする

今回のイベントもウィキペディアタウンとマッピングパーティの複合イベント。ルートは「和歌山城コース」と「市堀川コース」の2ルートです。私は「市堀川コース」を選び、かつての外堀である市堀川を歩きました。

 

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 OpenStreetMapより

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舟大工町には「勝海舟寓居地」が、寄合町には「南方熊楠生誕地碑文」があります。参加者が寓居地碑の写真を撮っていたら、碑の奥にある店舗の方が関連する新聞記事のコピーを提供してくださいました。今年は熊楠の生誕150周年らしく、市民図書館には常設の展示コーナーが設置されていました。

南方熊楠生誕150周年記念事業|和歌山市

 

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市堀川のほとりを歩きます。現在は遊歩道が整備されているこの場所、かつては納屋河岸(なやがし)と呼ばれた河岸であり、紀の川から運ばれて来た産物を荷揚げしていたそう。南岸はかつての三の丸、北岸は商家が集まっていたエリアであり、南岸には石垣が残っています。

 

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 お昼ごはんは湯浅醤油を使ったラーメン「麺屋 ひしお」。2グループに分かれたのですが、もう一方のグループは「京橋 幸太郎」で和歌山ラーメンと鯖寿司を食べたそうです。ラーメンと鯖寿司。鯖寿司。

帰り道では3月8日から本格営業を開始するというブックカフェ「PLUG」に立ち寄りました。こういう店は文化発信の鍵になる気がする。

PLUG: a Shared Kitchen and Table Talks | みんなが使える、和歌山のキッチン&カフェ。和歌山市万町4 。

 

執筆作業

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 今回はWikipediaチームよりもOSMチームのほうが人数が多かった。Wikipediaチームは「市堀川コース」が約8人、「和歌山城コース」が是住さんひとりと偏りました。是住さんは和歌山城 - Wikipediaへの加筆、その他約8人は市堀川 - Wikipediaと寄合橋の新規作成を試みました。

寄合橋は市堀川に架かる橋のひとつです。江戸時代には三の丸から藩校の学習館に向かう藩士が渡ったという歴史ある橋ですが、期待したほど文献が多くなかったこともあり、新規作成とせずに市堀川の一節とすることにしました(現時点では寄合橋の執筆部分は反映されていない)。私はイベント中にはこれといった編集作業を行っていないのですが、さきほど市堀川など和歌山市中心部の河川の図を作成して記事に挿入しています。

是住さんは和歌山城の石垣について加筆しています。和歌山城を歩いてみると3種類の石垣の違いがはっきりわかるのですが、イベント前には記述されていなかったようです。是住さんは国立国会図書館デジタルコレクションから『紀伊国名所図会』(1812年)の図を挿入する編集も行っています。『紀伊国名所図会』には市堀川を描いた図もあるはず。城や寺社など歴史的な主題を扱う際にはデジタルコレクションが役に立つということがわかりました。

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イベント開始前には主催者の中でも「しほりがわ」と読む方と「いちほりがわ」と読む方がいたこの河川ですが、今回のイベント中には以下のような文章も追加されています。

名前の読み方は「しほりかわ」「しほりがわ」が正式とされるが、市場があった「堀川」という意味で「いちほりかわ」「いちぼりがわ」という名称も使われている。(『城下町和歌山夜ばなし』p. 459)

 

成果物

和歌山城 - Wikipedia(加筆)

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市堀川 - Wikipedia(新規作成)

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OpenStreetMapより