振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

犬山市立図書館を訪れる

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(写真)犬山市立図書館。

 

 2019年1月、愛知県犬山市犬山市立図書館を訪れました。

犬山市を訪れる

犬山市は愛知県有数の観光地。国宝の犬山城博物館明治村、リトルワールド、日本モンキーパーク/日本モンキーセンターなど多数の観光スポットを抱えています。名鉄犬山駅から犬山城までは徒歩15分程度であり、城下町の雰囲気が残る本町通りは観光客でにぎわっています。

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(地図)犬山市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(写真)犬山市役所。2009年完成。

 

犬山城と城下町の間には、2012年にリニューアルした犬山市文化史料館があります。犬山城下町の模型や、破損した犬山城の鯱瓦が展示されていました。犬山城天守にある鯱瓦の片方は2017年夏に落雷で破損しため、新たに焼き直したうえで2018年に2月に取り付けたのだそうです。

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 (写真)犬山市文化史料館。(中)犬山城下町の模型。(右)犬山城の鯱瓦。

 

犬山市文化史料館の南にある犬山市福祉会館は2020年3月閉館予定。5階建てのビルが城下町の景観を損ねているとして批判の対象になっているようです。1970年竣工の歴史ある建物であり、1990年に犬山市立図書館が開館するまではこの建物に図書室があったとのこと。20年間もこの町の主要な図書施設だったということで、取り壊される前に入ってみました。犬山市社会福祉協議会が運営する「おもちゃ図書館」なる部屋や、犬山城に関する史料を保管する「犬山城白帝文庫」なる部屋があります。

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 (写真)2020年3月閉鎖予定の犬山市社会福祉会館。(中)おもちゃ図書館。(右)犬山城白帝文庫。

 

本町通りの南側部分には下本町防災ビル(防災共同ビル)という古めかしいビルがあり、建物の1階部分は商店街になっています。愛知県では蒲郡駅前などに残っているアレのことを防災建築街区というのだそうで、下本町防災ビルは1961年施行の防災建築街区造成法に基づいて1965年に建設されたみたい。下本町防災ビルがある周辺は、かつては犬山銀座と呼ばれるほどにぎわったそうですが、今は写真のとおり歩行者もいません。「本町」交差点を挟んだ北側は歩きづらいほど観光客が多いのが嘘のようです。

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 (写真)下本町防災ビル。

 

犬山市立図書館を訪れる

犬山市立図書館には3度訪れています。2016年7月に訪れた時は曇り空でしたが、2017年12月には青空の下で写真を撮ることができました。これを機に「犬山市立図書館 - Wikipedia」を作成しましたが、この2019年1月にはよりきれいな写真を撮ることができ、Wikipedia記事のトップ写真を変更しています。

犬山市立図書館は1990年開館の現行館が初代です。当時の愛知県には30市があり、図書館を持たない唯一の市が犬山市だったそうです。設計は和(やまと)設計事務所。2016年には館内での写真撮影の可否を尋ねましたが、副館長(?)さんに「館内での撮影はできない」と言われました。

1階中央部は2階層分の吹き抜けになっています。2階は吹き抜けを挟んで片方には書架が置かれており、もう片方には学習室などがあります。1階の天井が低いため、1階から見上げた2階の開架書架部分に不思議な印象を抱きました。この写真などがわかりやすい。

日本モンキーセンター京都大学霊長類研究所があることで、1993年には郷土資料コーナーの一角に「サル文庫」が設置されました。戌年の2018年正月にはその隣に「犬文庫」も設置され、公式サイトでは犬文庫へのアクセス方法を写真付きで紹介するほどの力の入れようです。1年間限定の特設コーナーかと思ったのですが、2019年になっても犬文庫は撤去されていません。犬山市は名称に「犬」が付く全国唯一の自治体だそうです。

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(左)2016年7月撮影。曇天で建物がきれいに見えない。(中)2017年12月撮影。晴れてるけど夕方だった。(右)2019年1月撮影。完璧な天気。

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(写真)Wikipedia犬山市立図書館」。

 

犬山市の映画館

映画黄金期の犬山市には3館の映画館があったようです。犬山駅前の桃劇は1980年代後半まで残っていたようですが、『犬山・江南の今昔』(郷土出版社)と『昭和30年代 犬山昔ばなし』(自費出版)しか言及している文献を見つけられませんでした。犬山市立図書館でレファレンスしたところ、司書さんも何も見つけらなかったのですが、一人の司書さんは子どものころに桃劇に入館した記憶がありました。

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桃劇(1950年代前半-1980年代後半)

桃劇の読みは「とうげき」だが、桃劇場や桃太郎劇場とも呼ばれる。犬山市最後の映画館。犬山市で初めてエスカレーターを導入した建物という話も。跡地は2004年竣工の住宅型有料老人ホーム「リッチライフOASIS犬山」。10階建てなので犬山駅前で目立つ。

 

山東映/犬山映画劇場(1947年-1970年代中頃)

本町通りの南端からすぐ。跡地は「名古屋教育学院」という日本語学校の北側にある駐車場。

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(写真)犬山映画劇場の跡地。左の駐車場。

 

ライン映画劇場(1943年-1970年頃)

観光客でにぎわう本町通りから東にそれた場所、人通りも少ない住宅街にあった。跡地は民家。

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 (写真)ライン映画劇場の跡地。中央の民家の場所。

「お花見!オープンデータソン in 京都」に参加する

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(写真)満開のしだれ桜が美しい毘沙門堂

 

 

2019年4月7日(日)、京都市で開催された「お花見!オープンデータソン in 京都」に参加しました。WikipediaウィキペディアタウンとOpenStreetMapマッピングパーティを同時開催するのがオープンデータソン。主催は「諸国・浪漫」、協力は「Code for 山城」です。

集合場所は京都府立図書館2階のナレッジベース。オープンデータソン、WikipediaOpenStreetMapについての説明を聞いた後、京都市営地下鉄山科区北部まで移動。お花見&まちあるきを行った後に、再び京都府立図書館に戻ってWikipedia / OpenStreetMapの編集を行いました。

countries-romantic.connpass.com

 

京都府立図書館を訪れる

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(写真)会場の京都府立図書館。

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 (左)図書館が準備してくれた文献。(中)会場のナレッジベース。(右)坂ノ下さんによるイベントの説明。

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 (写真)Code for 山城の青木さんによるオープンデータの説明。

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 (写真)ArisenさんによるWikipediaの説明。

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(写真)坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明。


山科をあるく

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(地図)京都市における山科区の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)イベントのまちあるきコース。©OpenStreetMap contributors

 

京都府立図書館から京都市営地下鉄東山駅まで徒歩。東山駅から山科駅まで地下鉄で移動し、山科駅地下のラクト山科で弁当や菓子などを購入。山科駅から山科疎水公園脇の花見スポットまで歩き、参加者30人で満開の桜を見ながらおひるごはんを取りました。事前の場所取りなどはしていませんでしたが、12時頃に着くと30人の参加者が座れる場所をさっと確保できました。この4月6日・7日の週末に桜がちょうど満開だったことも含めて、主催者の花見スポットハンティングが絶妙でした。

山科疎水公園は琵琶湖疎水の旧河道にあり、かつては諸羽ダムと呼ばれる貯水池だったようです。1970年に諸羽トンネルが開通したことで公園として整備されたそうです。国鉄湖西線の整備がきっかけで諸羽トンネルを掘ったらしいのですが、わざわざ新トンネルを掘るだけの価値が1970年当時の琵琶湖疎水にあったのだろうか。

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 (左)京都国立近代美術館と琵琶湖疎水。(中・右)白川沿いを歩く参加者。

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(左)1960年代の琵琶湖疎水諸羽ダム。(右)現在の山科疎水公園。いずれも地理院地図 空中写真・衛星画像
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(写真)お花見をする参加者。 

 

12時40分頃にはお花見を終えてまちあるき開始。山科疎水公園の階段下には諸羽神社(もろはじんじゃ)がありました。今回のまちあるきには各スポットで説明してくれるガイド役はおらず、参加者は境内を自由に見学します。

私は午後の編集時間にWikipedia「諸羽神社」を編集しました。京阪京津線四宮駅は地名の山科区四ノ宮に由来していますが、地名の四ノ宮は諸羽神社の別名である「四の宮」が由来である可能性があるようです。四ノ宮、安朱、竹鼻の3地区の産土神であるという記述を見つけたので、どの程度の範囲を勢力としているのか理解するために簡単な氏子区域図を示します。10月第3日曜日の神幸祭では神輿2基が氏子区域を巡幸するそうなので、氏子区域図に神輿の巡回ルートを重ね合わせるとおもしろいです、きっと。だれか全国の神社の氏子区域図を作ってくれないかな。

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(写真)諸羽神社。(右)拝殿。

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(写真)諸羽神社。(左・中)本殿。(右)琵琶石と磐座。

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(地図)諸羽神社を産土神とする四ノ宮、安朱、竹鼻の範囲。それほど正確な図ではないです。

諸羽神社からは琵琶湖疎水の道を通って北上します。前述の諸羽トンネルの出口付近からは開渠になっており、満開の桜と菜の花が観光客を集めていました。琵琶湖疎水を通る河川水運は1951年から途絶えていたそうですが、2018年10月には67年ぶりに復活し、2019年春には本格的な運航を開始したのだそうです。我々が通りがかった時には運よく疎水船がやってきました。毘沙門堂までの途中にある瑞光院も今回の編集対象ですが、残念ながら境内に入ることはできず。

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 (写真)山科疏水の道を歩く参加者。(中)琵琶湖疎水の諸羽トンネル出口。

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(写真)琵琶湖疎水を航行するびわ湖疎水船

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(写真)瑞光院。境内に入ることはできず。

 

この日の毘沙門堂では花まつり・観桜会が開催されていました。毘沙門堂の枝垂れ桜はJR東海の観光キャンペーン「そうだ 京都、行こう。」のポスターにも使われたことがあるそう。樹齢150年とのことですが若々しく見えます。毘沙門堂でも自由見学です。OpenStreetMapチームは観光客でにぎわう境内でマッピングしたのでしょうか。

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(写真)毘沙門堂の枝垂れ桜。

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 (左)毘沙門堂本殿。(中)毘沙門堂宸殿。(右)毘沙門堂境内。花祭り開催中。

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 (写真)毘沙門堂の桜。

 

諸羽神社、瑞光院、毘沙門堂に次いで4番目の目的地は双林院。双林院からは来た道を下り、再び琵琶湖疎水に沿って歩きます。琵琶湖疎水と安祥寺川が立体交差する場所には、明治初期に完成した煉瓦造の無名橋がありました。名前がついてないのがもったいない。

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 (左)毘沙門堂から双林院まで歩く参加者。(右)双林院。

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(写真)無名橋。琵琶湖疎水と安祥寺川の立体交差。(右)上が琵琶湖疎水で下が安祥寺川。

 

Wikipedia & OpenStreetMapを編集する

桜見物の観光客が多くてきびきび歩けなかったことや、毘沙門堂から山科駅までの区間で参加者が二手に分断されてしまったこともあり、予定から約1時間遅れて15時頃に編集作業を開始しています。Wikipediaチームは15人が3グループに分かれ、毘沙門堂 - Wikipediaの加筆、諸羽神社 - Wikipediaの新規作成、瑞光院 - Wikipediaの新規作成に取り組みました。

3グループそれぞれには、オープンデータ京都実践会の主要メンバーやウィキペディアの編集経験者がファシリテーターとして配置されていました。諸羽神社を担当するグループにはCode for 山城の青木さんと私が入っています。他の3人の参加者はWikipedia編集未経験か数度編集したことがあるだけでした。まず私が記事の骨格を作った上で投稿し(この状態)、3人には歴史節、境内節、祭事節をゼロから書き上げてもらいました。

 

3月21日に名古屋市で開催された「図書で調べて編集するオープンデータワークショップ」では情報カード方式を使い、"どんな節を作成すればよいか" まで参加者に考えてもらいましたが、諸国・浪漫のイベントにはエンジニアや行政職員が多いため、ファシリテーター側であらかじめ節構成を決めたうえで、それぞれの節の執筆を参加者に任せることが多いです。PCの操作やHTMLに慣れていたり、文章を作成するのに長けている方が多いので、Wikipediaの編集が初めてでも自分の役割に専念できていいかもしれません。

諸羽神社グループは3人それぞれが出典のついた文章を投稿できました(16時42分時点でこの状態)。アカウントの作成やアカウント名忘れなどで時間を取られてしまったグループもあったようです。Wikipediaで編集された各寺社記事にはOpenStreetMapのそれへのリンクを貼り、OpenStreetMapで編集された各寺社の地物にはWikipediaのそれへのリンクを貼っています。

編集開始から1時間30分後、16時30分にはもう成果発表。各グループのファシリテーターが編集成果を発表し、Wikipedia講師のArisenさんが講評を行います。例えば、瑞光院の記事は編集終了時点でこの状態でしたが、人物の後ろ姿が数多く映っている写真はWikipediaには好ましくないという指摘がありました。「諸国・浪漫」は毎月開催されるイベントなので、このイベント1度限りの編集で終わらないように講評をしているのだと思います。ただし、地元の方が多数いる場合などは言い方に気を付ける必要があるし、1回限りのイベントで終わらせるつもりなら講評などしないほうがいいのかも知れないですね。

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(写真)Wikipedia & OpenStreetMapの編集中。

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(写真)成果発表。

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(写真)Wikipedia「瑞光院」2019年4月7日16:44の版。

 

山科区の映画館

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(写真)琵琶湖疎水を航行するびわ湖疎水船

 

 2019年4月7日(日)の「お花見!オープンデータソン in 京都 - connpass」では京都市山科区北部の毘沙門堂 - Wikipedia諸羽神社 - Wikipediaを訪れました。かつて山科区域には山科映画劇場(山科映劇、山科館とも)という映画館があったようです。山科映画劇場について調べたことは「京都府の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しています。

 

山科区の映画館

山科映画劇場(1927年-1975年頃)

町村制施行時の1889年(明治22年)に成立した宇治郡山科村は、1926年(大正15年)に町制を施行して宇治郡山科町となりました。1931年(昭和6年)には京都市編入されて東山区の一部となり、1976年(昭和51年)に京都市山科区となっています。

山科映画劇場は1927年(昭和2年)に開館し、1933年(昭和8年)に三条通が開通すると現在地に移転。山科最大の工場である鐘紡山科工場の女工も多く訪れたそうです。山科映画劇場は「外環三条」交差点の西40mの地点にありました。三条通京都外環状線が交差する「外環三条」交差点は、山科でもっとも交通量の多い交差点です。

1956年(昭和31年)には国鉄東海道本線の全線電化が完了。この際に山科映画劇場前で義士行列が撮った記念写真が残されています。日本の映画館客数のピークは昭和30年代前半であり、記念写真の撮影地になるほど町の中心にあったわけですね。この義士行列は後に山科義士まつりに発展したそうです。

山科映画劇場は1975年(昭和50年)頃に閉館。映画館の看板を外したのが1975年ということらしいのですが、営業を終了したのがいつなのかは記録にも残っていないようです。山科区の発足は翌年のことなので、山科映画劇場は閉館まで東山区にあったことになります。山科区発足後に映画館が存在したことはないみたい。なお、1960年(昭和35年)時点の京都府には110館の映画館がありましたが、1980年(昭和55年)時点の京都府には33館にまで減っていました。1975年頃まで営業した山科映画劇場はかなり粘ったほうだといえます。

跡地には2012年(平成24年)竣工の賃貸マンション「EASTGATE京都」が建っています。1975年から2012年までは何があったのかな。

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(写真)1956年に山科映画劇場前で撮影された義士行列の記念写真。1956年以前に発行された写真の著作物であるためパブリック・ドメイン(PD)。

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(地図)山科区中心部における山科映画劇場の位置。地理院地図。

 

京都府の住宅地図

京都府立図書館には古い住宅地図がありません。京都市域はもっとも古い住宅地図が1974年から1979年。京都市に近い山城地域は1979年から1983年がもっとも古く、京都市から遠い丹後地域は1983年から1985年がもっとも古い。山科地域が掲載されている最古の地図は1977年の『京都市精密住宅地図 東山区』のようですが、山科映画劇場はすでに閉館しており掲載されていないでしょう。

下に示したのは1969年の『山科東部住宅案内図』。中央には「山科映劇」が記されています。山科の歴史を知る会が2016年に出した『山科・地図集成 地図で見る山科の歴史』に掲載されていたものですが、京都府立図書館も京都市図書館も『山科東部住宅案内図』は所蔵していないようです。

愛知県図書館は1960年代から1970年代前半の各自治体の住宅地図を揃えているし、紙に印刷された住宅地図一覧も置いてあります。この時期に閉館した京都府内の映画館の所在地を住宅地図から調べられないのには困惑しました。

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(地図)中央に「山科映劇」。1969年の『山科東部住宅案内図』。

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(写真)1960年代の航空写真。地理院地図 空中写真・衛星画像

 

稲沢市中央図書館を訪れる

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(写真)稲沢市中央図書館。2016年。

 

 

稲沢市を訪れる

 稲沢市は愛知県の尾張地方にある人口13万人の自治体。かつては尾張国国府が置かれ、尾張大国霊神社国府宮)は尾張国の総社とされています。名鉄名古屋本線国府宮駅は特急停車駅ですが、駅前が大いに発展しているわけでもなく、どこに町の中心があるのかわからない印象を抱く都市でもあります。

 

植木・苗木の町

 稲沢市中央図書館の中央部には、植木をはじめとする「緑」に関する図書が集められています。稲沢市植木・苗木の産地として知られ、埼玉県川口市(安行植木)、大阪府池田市、福岡県久留米市とともに日本の4大産地として知られているらしい。稲沢市ゆるキャラである「いなッピー」も植木をモチーフとしています。

 特に、尾張国分寺跡がある矢合町(やわせちょう)周辺が植木の産地のようです。矢合町のすぐ南には愛知県植木センターがあるほか、尾張国分寺跡を囲むように造園業者が集積しています。しかし、なぜ稲沢が4大産地と言われるまで成長したのかはよくわかりません。

 日本植木協会が4大産地を紹介している文章を読むと、4大産地の中でもっとも歴史が古いのは稲沢のようです。近世には名古屋という大きな市場があったのも大きいのでしょう。しかし、稲沢があるのは濃尾平野の中央。氾濫原と自然堤防しかないという地理的条件は、植木の生産には適していないのではないでしょうか。世界的な植木産地である川口市は、荒川と綾瀬川からほどよい距離がある、赤土の関東ローム層に覆われた大宮台地の上。素人目に見ても、川口市稲沢市には地理的条件に大きな差があるように思えます。

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(地図)愛知県における稲沢市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(左)濃尾平野における稲沢市の位置。「尾」の字も「平」の字も稲沢市域。まさに濃尾平野の中心。地理院地図。(右)三宅川流域。稲沢市の旧市街地である稲沢町、尾張国分寺があった矢合。1893年発行の1/20000地形図「稲沢町」。今昔マップより。


稲沢市中央図書館

好みではない図書館

 稲沢市中央図書館は2006年に開館した新しい図書館です。この時期は愛知県の図書館施設に大きな変化があった時期だと考えており、2000年頃の施設(豊川市中央、春日井市津島市立など)と2000年代後半の施設(稲沢市中央、岡崎市立中央、日進市立など)の間にははっきりとした差があるように感じます。単独館から複合施設への移行であったり、ICT設備の導入であったり。稲沢市中央図書館も明るく開放的な施設であり、ゆっくり本を読むためのソファ席、広いブラウジングコーナーや持ち込みパソコン利用席などがあります。1人あたり貸出冊数などの数字は愛知県でも上位に位置しています。

しかし、2016年に初めて稲沢市中央図書館を訪れた時の印象はよくありませんでした。館内には注意書きがベタベタ貼られているし、個人用キャレル席に多数あるコンセントは使用禁止になっているし、長机のグループ学習室だったはずの部屋は単なる個人席の学習室になっているし、レファレンスを頼んだら軽い調査しかしてもらえずに打ち切られるし、写真撮影の可否を尋ねたら副館長に「なぜ私はあなたに写真撮影をしてほしくないのか」だらだら説明されるし。新しい考え方の図書館施設を作っても、運用する側の意識が古い。こんなこともあって、稲沢市中央図書館は「自分の好みではない図書館」というイメージを持ったのでした。

 好みではなくても興味深い図書館ではあるため、2016年12月には「稲沢市図書館 - Wikipedia」を作成しています。「稲沢市中央図書館 - あの図書館、こんな図書館」というブログには館内の写真が掲載されているので参考にしてください。(※このブログの管理者はどの図書館でも無許可で館内を撮影しているものと思われます)

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(写真)画像募集中。館内の写真は撮影できなかった。

 

映画館のレファレンス

 この2018年から2019年、「消えた映画館の記憶」という個人サイトの作成に熱心に取り組んでいます。かつて愛知県に存在した/現在も存在する約400の映画館すべての場所を特定し、また文献から得られる情報を蓄積していくサイトです。各年版の『映画館名簿』を見ると、1960年代の稲沢市には3館の映画館があったことがわかります。そのうち「稲沢東映館」と「稲沢大劇」については、1960年代や1970年代の住宅地図から場所を特定できましたが、「稲沢映画劇場」だけは掲載されているはずなのに見つけられませんでした。そこで、稲沢市中央図書館を訪れてレファレンスを行いました。結局は図書館司書でも特定に至らなかったのですが、レファレンスの申込/回答方法には好印象を持ちました。

 

レファレンス内容:

稲沢市にあった3館の映画館について知りたい。①「稲沢東映館」、②「稲沢大劇」、③「稲沢映画劇場」。①と②の場所は住宅地図で特定できたが、③の場所は特定できなかった。③の場所について知りたい。また、①②③それぞれについて文章や写真での言及がないか知りたい。

レファレンス回答:

稲沢市の映画館2館の写真が掲載されている『新修 稲沢市史 本文編 下』をご案内。「稲沢映画劇場」の場所は判明せず。

 

 私が行ったのは上のようなレファレンス。稲沢市中央図書館のレファレンスカウンターでレファレンスを頼むと、まずはレファレンス依頼書への記入を促されました。私にとっては口頭での説明よりも文章での説明のほうが得意なのでありがたい。レファレンス依頼書を司書に渡すと、司書はパソコンや書架に向かうことをせず、「1週間後に電話でレファレンス結果を報告する」とのことでした。時間と手間がかかるレファレンスであることを即座に判断して、その場での調査を行わないことにしたのでしょうか。

 1週間後に電話で報告してくださった司書は、カウンターでレファレンスを依頼した司書とは異なる方でした。電話後に図書館に赴いてレファレンス結果を尋ねると、また別の司書から口頭でレファレンス結果を説明され、さらにレファレンス結果報告書(「レファレンス内容と回答」と「調査した資料一覧」)を紙媒体でもらうことができました。もっとも知りたかった「稲沢映画劇場」の場所については「調査の結果わからず」ということでしたが、レファレンス前の調査で見落としていた文献を提示してくださり、有意義なレファレンスとなりました。

 このレファレンスには司書3人が関わっていますが、情報の伝達に齟齬は発生しておらず、こちらの求めている情報について正確に調査して報告してくださっています。それはレファレンス依頼書のおかげでもあるし、レファレンス結果報告書のおかげでもあります。他の図書館でもレファレンス依頼書を記入したことはありますが、紙媒体でのレファレンス結果報告書をもらったのははじめてでした。

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(左)「レファレンス内容と回答」。(右)「調査した資料一覧」。


自力での調査

 図書館でのレファレンス後も、自力で稲沢市の映画館についての調査を続けました。レファレンスのメインテーマだった「稲沢映画劇場」についてわかっていたことと言えば、"下津町南六反田にあった" ことだけでした。JR東海道線稲沢駅の東側にある下津は、明治時代から一定の規模を持っていた集落です。このため「稲沢映画劇場は稲沢駅の東側にある」という先入観をもってしまい、掲載されているはずの住宅地図から探し出すことができなかったのでした。しかし、視野を広げたうえで再び住宅地図を開くと、稲沢駅の西側にある「稲沢劇場」をあっさりと見つけることができました。レファレンスを担当した司書もこの住宅地図を確認したはずですが、私と同じように見落としたようです。

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(地図)稲沢市の映画館。©OpenStreetMap contributors

 

稲沢市の映画館

稲沢大劇(-1960年代中頃)

旧市街地の稲沢町。営業中の稲沢大劇が掲載されている住宅地図は存在せず、1960年代の住宅地図でも稲沢大劇の痕跡は見つけられないが、「1972年の全航空住宅地図帳」に「大劇あと」とあることで場所が判明。『新修 稲沢市史 本文編 下』に写真あり。跡地はマンション「セルリアンクォーレ」。以下の地図は地理院地図

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稲沢映画劇場(-1970年代前半)

JR東海道線稲沢駅前。営業していたころの所在地は「下津南六反田」。現在の下津町/下津〇〇町は稲沢駅東側の地名であるが、ある時期までは下津町の一部が稲沢駅西側にも存在していた。跡地はうなぎ屋「魚熊」と「稲沢駅前郵便局」の間の民家。1970年代は「魚熊」の場所に郵便局があった。『新修 稲沢市史 本文編 下』に写真あり。以下の地図は地理院地図

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稲沢東映館(-1968年)

旧市街地の稲沢町。映画館名簿や住宅地図以外の文献では「1968年閉館」(一宮・尾西木曽川地域情報誌『City-1』第12号、1990年)という言及しか確認できていない。地図中に見える細い黄色線は美濃路。稲沢東映館や稲沢大劇がある稲沢町にはかつて稲葉宿が置かれており、現在も渋い町並みが残っている。跡地は民家。以下の地図は地理院地図

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ユナイテッド・シネマ稲沢(1999年-)

アピタ稲沢店に併設。比較的早い時期の、西尾張地方初のシネコンだった。1999年当時はまだTOHOシネマズ津島もTOHOシネマズ木曽川も存在せず、名古屋市の一部から一宮市までの広い範囲を商圏として開館した。以下の地図は地理院地図

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