振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加する

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(写真)#2月24日のスカイツリー

 2018年2月25日(日)、横浜市神奈川近代文学館で開催された「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加しました。

 

首都圏を訪れる

 この週は木曜日から日曜日までずっと首都圏におり、日曜日のイベントに参加してから帰りました。

 木曜日は横浜の某オフィスで作業。金曜日と土曜日は首都圏を観光し、日野市立図書館、逗子市立図書館(外観だけ)、鎌倉市中央図書館、墨田区立ひきふね図書館、墨田区立立花図書館を訪問。その合間に立川シネマシティと藤沢市鵠沼海岸のシネコヤで映画を観ています。金曜日の夜には「神奈川の県立図書館を考える会」の定例会にも参加。この日の議題は「県立川崎図書館リニューアルオープンを勝手にお祝いする会」についてでしたが、「-考える会」のスケールの大きさに驚きました。

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 (左)日野市立図書館。(中)鎌倉市川喜多映画記念館。(右)鎌倉市図書館旧館。

 

神奈川近代文学館を訪れる

 神奈川近代文学館港の見える丘公園の最奥部にあります。JR桜木町駅で降り、横浜公園山下公園をふらふらしながら目的地を目指しました。文学館という施設になじみがないのですが、愛知県では半田市新美南吉記念館が近いのでしょうか。近代文学に限らなければ名古屋市蓬左文庫西尾市岩瀬文庫があるし、館内に文学者の展示コーナーが設置されている図書館は豊田市中央・田原市渥美・東浦町中央などいくつかありますが、単独施設の近代文学館はどこも集客に苦戦しているという話を聞きます。

 参加者は約15人。県内の公共図書館の方、県内の学校図書館の方、図書館業界の方などがおり、ウィキペディアンとしてはTさん、Sさん、Aさん、AraiSyoheiさんと私の5人。この日は基本的に文学館内の図書室(閲覧室)の資料を用いて編集を行いましたが、『神奈川近代文学館30年史』、『新訂 作家・小説家人名辞典』、『文豪ストレイドッグス』各巻など持ち込みの資料もありました。神奈川近代文学館では文豪ストレイドッグスとのコラボ企画を行っており、1階ロビーには絶えず若い女性がいました。

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(地図)横浜市中心市街地における神奈川近代文学館の位置。港の見える丘公園の中。

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(写真)神奈川近代文学館の展示館。

 

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(写真)イベント開始前の会場。持ち込まれた文献。

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(写真)講師のくさかきゅうはち氏。

 

日本初開催のWikipedia“ブンガク”

スケジュール

10:15-10:20 開会あいさつ

10:20-11:00 講師による説明「ウィキペディアとは」

11:00-12:15 「山川方夫と『三田文学』展」鑑賞

12:15-13:15 おひるごはん

13:15-16:00 文献調査・執筆作業

16:00-16:30 成果発表・ふりかえり

 

 この日のスケジュールは上の通り。午前中には講師による講義と文学展の鑑賞、午後に文献調査と執筆作業です。展示を観る前には文学館の方による解説を聞くことができました。

 今回はウィキペディア“タウン”ではなくWikipeida“ブンガク”という名前であり、“まち”ではなく“文学”をテーマとしているため、まちあるきではなく文学展の鑑賞を行います。“まち”ではない何かをテーマとしたウィキペディアタウン系イベントには、これまでにWikipedia ARTS(芸術がテーマ)、酒ペディア(日本酒がテーマ)、WikipediaLIB(図書館がテーマ)などがありましたが、文学をテーマとするウィキペディアタウン系イベントは日本初とのことです。

 私はARTSにも酒ペディアにもLIBにも参加したことがありますが、芸術や日本酒など文献に残りにくいテーマはWikipediaに記事を作成するのが難しいです。難しいことで取り組む人自体が少なく、イベントなどでやる価値があるとも言えますが。文学というテーマはWikipediaとの親和性が高く、梶井基次郎 - Wikipedia青空 (雑誌) - Wikipedia宮沢賢治 - Wikipedia、など充実した記事も多数あります。今回は「山川方夫と『三田文学』展」という明確なテーマがあり、Wikipediaの編集対象を展覧会の内容に絞ったことで、参加者はすんなりと文献調査・編集作業に取り組めたのではないかと思います。

 

 文献は別棟である本館の図書室(閲覧室)で閲覧します。ふつうのウィキペディアタウンでは主催者や図書館員が事前に文献を集めるか、イベントの参加者がその場で文献を探す必要がありますが、今回は「山川方夫と『三田文学』展」に関する記事が編集対象ということで、展覧会の期間開始前に文学館が展示用の書架に集めた文献を使うことができました。主催者側は負担が減り、参加者側は効率よく調査ができ、文学館側は展示した文献の有効活用の機会になる、うまい方法だと思いました。

 

記事「山川方夫」に写真を掲載する

 私は「山川方夫 - Wikipedia」や「三田文学」を加筆するグループに入りました。編集方法や役割分担などについてはAraiSyoheiさんが仕切ってくれたので、他の方がやらない編集をしようと思い、特に山川の写真の追加を試みました。

 山川は1950年から文筆活動を行い、1965年に亡くなった人物です。まずは図書室で1956年までに撮影された山川の写真を探しました。1956年末までに発行された写真の著作物の著作権は、旧著作権法の規定により消滅しているためです。しかし1956年までに撮影された山川の写真が見つからなかったため、次に1967年までに撮影された写真を探しました。1967年末(50年前)までに公表された団体名義の著作物は著作権が消滅していることから、これらの写真はサイズの制約を受けながらも、ウィキペディア日本語版にアップロードすることが可能であると考えられます。Wikimedia Commonsにはアップロードできません。

 『朝日ジャーナル』1964年10月4日号には以下の写真が掲載されていたため、この写真をウィキペディア日本語版にアップロードしました。ライセンス欄には「米国著作権の保護期間にある著作物」である旨を記載し、420 × 600 ピクセルで90キロバイトという小さなサイズに修正してからアップロードしています。サイズは小さくとも、顔写真は記事の質をぐっと高めます。

「米国著作権の保護期間にある著作物」

このメディア上の著作物は、日本国著作権法に基づく著作権の保護期間は満了していますが、アメリカ合衆国著作権法では著作権の保護期間にあるため、日米両国の著作権法に抵触しない方針をとっているウィキペディア日本語版では、米国法フェアユースの法理に基づき利用しなければなりません。

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(写真)山川方夫。1964年。

 

記事「二宮町」で山川に言及する

 山川は戦時中の一時期に神奈川県二宮町疎開し、また1964年の結婚後には二宮町に住みましたが、国鉄二宮駅前で交通事故に遭って亡くなりました。このように二宮町とは縁が深いにもかかわらず記事「二宮町 - Wikipedia」には山川に関する言及がなかったため、追記することにしました。

 「出身者・在住者」節に山川を加え、「二宮町を舞台にした作品」節に『夏の葬列』と『最初の秋』の2作品を加えました。死後50年が経過しており山川の作品の著作権が消滅していることから、二宮町の風景が目に浮かんでくるような両作品の冒頭部分を掲載しました(この分量なら引用の範囲内でもあります)。

秋の朝だ。私はいま二宮の町を歩いている。私は、まず郵便物を局に持って行き、それから妻の好きな無花果をいくつか八百屋で買い、ついでに薬屋で、ほとんど中毒しかけているアンプル入りの風邪薬を買い、その帰りに、じつはこれはまだ妻の許可を得てはいないが、本屋で『鉄腕アトム』の最新号を買ってくるつもりでいる。…

— 『最初の秋』冒頭部分

 

ふりかえり

 今回の参加者は図書館関係者が多く、調査・編集のスキルが高い方ばかりでした。ウィキペディアタウンに類似したイベントの開催を検討している方も参加しており、彼らがこのイベントにどんな印象を持つのか興味がありました。講師、主催者、一般参加者、ウィキペディアン。イベント中に机からちょっと離れた場所からこの4者の動きを見ていると、いつも大きな発見があります。運営側と一般参加者の間でふわふわしていることの多い私にとっては、特に講師のくさかさんのイベント中の動きから学ぶものは多いです。

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(写真)「山川方夫」「三田文学」を加筆するグループ。私も含めて7人。「愛のごとく」も新規作成されました。

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(写真)「桂芳久」を新規作成中の参加者。

岡崎市立額田図書館の新館を訪れる

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。写真についてはCategory:Okazaki City Nukata Center - Wikimedia Commonsにアップロード済です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

岡崎市額田地区を訪れる

 岡崎市立額田図書館の旧館は2017年12月19日(火)をもって閉館。移転準備期間を経て、2018年2月13日(火)に岡崎市額田センターの中に新館が開館しました。さっそく額田センターを訪れました。

 岡崎市額田地区の鉄道最寄駅は名鉄名古屋本線本宿駅本宿駅から額田地区に向けて10便/日のバスが運行されています。朝と夕方を除けば1本/1時間以下であり、予定を立てるのが難しい。今回は本宿駅から額田地区までの5.8kmを徒歩で往復しました。片道約1時間とはいえ、本宿駅と額田地区中心部の標高差はほとんどない(起伏はある)ため、暖かい日であれば気持ちよく歩けます。

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(地図)愛知県における岡崎市の位置。岡崎市中心部と額田地区の位置関係。

 

2017年10月の訪問時

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(左)額田図書館の旧館。(右)工事中の額田センター行政棟。

 

今回の訪問時

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(左)岡崎市役所額田支所などが入る行政棟。(右)額田図書館などが入る市民交流棟。

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(左)建物入口。(右)市民交流棟の通路。図書館入口前。地元産木材が強調されている。

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(左)市民交流棟の集会室。(右)市民交流棟の研修室。

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 (左)市民交流棟の和室。(右)市民交流棟の「森の駅情報コーナー」。

 

岡崎市立額田図書館に入る

 額田町は2006年に岡崎市に編入された自治体です。合併前の岡崎市の人口は約37万人、額田町の人口は約1万人でした。合併後には額田町立図書館が岡崎市立額田図書館に改称し、岡崎市の図書館は中央図書館と額田図書館の2館体制となりました。岡崎市には図書館2館のほかに、7の地域図書室があります。

 2館体制になったとはいえ、中央図書館が693,402冊(2014年度)の蔵書を持つのに対して、額田図書館の蔵書数は48,791冊にすぎませんでした。地域図書室の中で最も規模の大きな南部市民センター図書室の蔵書数は49,568冊であり、図書館と図書室の間で蔵書数の逆転現象が起こっていました。

 さらに、単独館だった額田図書館旧館の床面積は562m2でしたが、複合施設の一角にある新館の床面積は203.35m2。新館の蔵書冊数は「約20,000冊」であり、床面積も蔵書冊数も旧館の半分以下となりました。南部市民センター図書室との差は大きく広がっています。

 

 額田図書館新館の館内は13m×16mくらいでしょうか。ざっくり言えばフロアの半分が一般書、もう半分がそれ以外(児童書・新聞雑誌)です。最奥部の閲覧席に座っていても、館内にいる他の利用者の気配が伝わってきます。カウンターからの視線も感じ取れると思われます。一方で旧館は閲覧席とカウンターにかなり距離があり、自分の居場所を作ることができました。

 2017年10月には初めて額田地区を訪れ、旧館を見学した後に地区の中心部を歩きました。中心部には商店や飲食店がほとんどなく、地図を見ても郊外にぽつぽつとある程度。中心部を歩きながらお昼ご飯を食べるところを探しましたが、結局見つからなかったのでコンビニで済ませました。わずか11年前までは単独自治体だったことが信じられず、若者がここから離れずにいるのは難しい地区だと感じました。

 新館にはティーンズ向けのコーナーはないようでした。また学習用の席は少なく、最近の新館には設置されていることの多い電源もありません。対象とする利用者層を明確にしたうえで、中高生向けの設備はあきらめたのだろうと思います。財政的には比較的恵まれた西三河地方に住んでいるので、公共施設の統廃合・ダウンサイジングはまだ感覚的に理解できず、図書館が減るなどということは他人事のように思えてしまうのですが、これからは額田図書館のような例も増えるのでしょうね。

 

 さて、肝心の額田図書館の写真は掲載できません。岡崎市立中央図書館や旧館時代の額田図書館でもそうでしたが、岡崎市立図書館は「職員の同伴のもと撮影を認めるが、SNS等へのアップロードは禁止」という対応を撮っているからです。なお、図書館以外の部分を撮影した上記の写真については、額田センターの事務室などで許可を得ていません

 新館にはいつでも行くことができますが、旧館の中にはもう入ることができません。岡崎市はきちんと写真に記録して残しているかな。残してないでしょうね。

「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加する

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(写真)島田市博物館。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

静岡県島田市を訪れる

 2018年2月10日(土)、静岡県島田市で開催された「ウィキペディアタウンinしまだ」に参加した。このイベントは島田市教育委員会が主催したもので、情報ビジネス科を持つ地元の静岡県島田商業高校の生徒6人に加えて、行政関係者、図書館関係者など、計20人弱が参加している。一般からの参加者募集は行っていない。

 ちょうど1年前の2017年2月4日には掛川市で「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」に参加した。この時にも島田商業高校の生徒が参加しており、また個人的に島田市立島田図書館を見学して館内の写真を撮った。

 8時30分頃にJR島田駅に着き、駅から徒歩5分の場所にある大井神社を散策。県社だけあって広い。今回の編集対象である島田大祭で披露される大奴の銅像があった。

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(写真)大井神社にある「島田大祭 大奴」の銅像

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(写真)講師による説明と成果発表の会場であるしまだ楽習センター。建物4階。(右)編集ワークショップの会場である島田市立島田図書館。建物3階。

 

ウィキペディアタウンinしまだのスケジュール

09:30-10:15 しまだ楽習センターで講師による説明(その後マイクロバスで移動)

10:30-12:15 島田市博物館・川越遺跡で現地調査(その後マイクロバスで移動)

12:15-13:00 悪口稲荷で現地調査(その後徒歩移動)

13:00-13:30 図書館で昼食

13:30-16:10 島田市立島田図書館で編集ワークショップ(その後徒歩移動)

16:20-17:00 しまだ楽習センターで成果発表

 

 今回のスケジュールは上の通り。集合場所は島田駅から徒歩1分のしまだ楽習センター。講師の説明を受けた後、2km離れた島田市博物館までマイクロバスで移動し、博物館と島田宿大井川川越遺跡を見学。再びマイクロバスで悪口稲荷まで移動し、悪口稲荷を見学して徒歩で島田市立島田図書館に移動。編集ワークショップを終えると、徒歩で楽習センターに移動して成果発表を行っている。

 この日の講師は海獺(らっこ)さん。 Wikipediaを“ユーザ自身が情報発信を行うサイト”と位置付けて、Facebooktwitter2chクックパッドなどと同列に置いた。主要な参加者が高校生ということで、強調したポイントは「ネットリテラシー」。ウィキペディアの仕組みを理解して編集に携わることで情報リテラシーが向上するとした。「著作権」を強調することが多いくさかきゅうはちさんやMiya.mさんなどの講師とは一味違った説明だった。

 

 東海道における23番目の宿場である島田宿は現在の中心市街地にあった。中心市街地から東に約2km、大井川の東岸には「島田宿大井川川越遺跡」(かわごしいせき)がある。施設など約20か所と街道そのものが国の史跡として指定されている。島田宿は東海道を往来する旅行者のための宿や茶店が立ち並んでいたエリアであり、「川越遺跡」は旅行者を肩車して大井川を越させる川越人足のための待合所が立ち並んでいるエリア、ということらしい。

 現在の中心市街地に近世の島田宿を想起させるような建物はないが、「川越遺跡」は1966年に国の史跡に指定されているだけあって、川越制度全体の事務所である川会所(かわかいしょ)、10の組に分かれていた川越人足のための番宿(待合所)が当時のまま残されている・・・のかと思ったら、これらの番所は近世の建物ではなく明治以降に復元されたものらしい。なんだそれは。なお、番宿のうち数軒は現在も居住者がいる民家であるが、それ以外は見学可能な施設となっている。観光客でにぎわっているわけでもなく、「ひっそりと静まり返った街道」には奇妙な感覚を覚えた。

 川会所では常設のガイドさんが、川越遺跡では文化財課の方がガイドさんが大正について説明してくれた。何か疑問があったときにすぐ質問できるのはうれしい。なお、街道沿いの建物で使用する電柱はセットバックされており、街道の両脇には勢いよく水が流れる水路がある(写真だとこんな感じ)。趣がある屋敷林を持つ島田市博物館分館の前などはとても絵になるのだが、時代劇のロケ地として売り出したりはしないんだろか。

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(地図)まちあるきコース。島田市博物館から旧東海道に出て、口取宿までの道を往復した。

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 (左)島田市博物館の常設展示室にあるジオラマビジョン。(右)街道沿いにある「川会所」。

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(写真)「川会所」でガイドの説明を聞く参加者。

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(左)川越遺跡を歩く参加者。(右)川越遺跡の写真を撮る参加者。

 

午前中の最後には中心市街地にある悪口稲荷へ。この神社では2004年度から「愛するあなたへの悪口コンテスト」が開催されており、境内には歴代の受賞作品が展示されていた。過去5年分の大賞作は下の通り。大賞よりも入賞にニヤリとする作品が多い。公式サイトの歴代受賞作を見ると第1回と直近の回では入賞作の作風がかなり変化している。

2012年度 「空はこんなに青いのに、妻がいる」(31歳、石川県能美市

2013年度 「人参だけの 金平ごぼう」(16歳、静岡県藤枝市

2014年度 「妻は誰か分かるために化粧をする」(56歳、愛知県名古屋市

2015年度 「味噌汁の 味が音程はずれてる」(42歳、滋賀県高島市

2016年度 「不機嫌な 妻にまな板悲鳴あげ」(66歳、千葉県印西市

 

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(写真)今回の昼食はほぼ全員がサンドイッチ&たい焼き。

 

 編集ワークショップ

 午後は島田市立島田図書館でWikipediaの編集を行った。バックヤード部分にある小部屋3部屋を「島田宿大井川川越遺跡 - Wikipedia」「稲荷神社 (島田市柳町) - Wikipedia」「島田大祭 - Wikipedia」の3つの記事に割り当て、それぞれのグループにWikipediaの編集経験者が1人か2人入った。使用する文献は事前に運営側でリストアップし、あらかじめ取り置いてもらっていた。

 私は島田大祭を新規作成するグループに入った。川越遺跡と稲荷神社(悪口稲荷)は実際に現地を見学した。島田大祭については島田市博物館に展示があったが、祭礼の様子を見学したわけではないので、その特徴をつかみにくかった。さらに遺跡や神社とは異なり、祭礼については概してフワッとした内容の文献が多く、うまくまとめるのは難しかった。

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(写真)イベントのために用意された文献。

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(写真)編集ワークショップ中の参加者。

 

 

高校生とウィキペディアタウン

2016年度後半と2017年度後半には長野県立高遠高校で「ウィキペディアタウンスクール」が開催されている。2016年夏には京都府南陽高校で社会実習として「ウィキペディア・タウン by 京都府立南陽高等学校」が開催された。2017年2月の「オープンデータデイ2017 in 掛川 プレイベント」には島田商業高校の生徒が参加。2017年12月の「ブラアツミ」では地元の愛知県立福江高校の生徒が何人か参加していた。

 高校生が主体のウィキペディアタウンでは「地域情報の発信」をテーマとすることが多いが、大学生が主体にするときは「情報リテラシー」もテーマになりうる。今回(島田商業高校)の場合は情報ビジネス科があること、引率者の教員が2017年1月のウィキペディアタウンを経験しているということで、明確な意図を持って「情報リテラシー」をテーマにしたのだろう。一般を、特に図書館司書や教員や研究者が参加者の主体になるときは別のテーマを設定することもできる。

  講師による説明、まちあるき、編集ワークショップ、成果発表という順番は他地域のウィキペディアタウンと同じだったが、この日は編集ワークショップ後にも時間を設けてリテラシーについての説明を行った。Wikipediaに触る前と触った後では説明の受け取り方がかなり違ったはず。今回は図書館や図書館員が運営に深くかかわったイベントではなかったが、高校生に対しての、「編集ワークショップで使用した文献を用意してくれたのは誰なのか」、「調べものをしたいときに手助けしてくれるのは誰なのか」という問いかけは印象的だった。

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(写真)講師の説明を熱心に聞く高校生。

 

www.at-s.com

www.city.shimada.shizuoka.jp

 

「井手町ウィキペディア・タウン」に参加する

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(写真)井手町図書館が入っている井手町立山吹ふれあいセンター。塔屋は天文台

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

wikipediatownide01.peatix.com

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井手町を訪れる

 2018年2月4日(日)、京都府綴喜郡(つづきぐん)井手町(いでちょう)で開催された「井手町ウィキペディア・タウン」に参加した。

 井手町京都市奈良市を結ぶJR奈良線の沿線にある自治体。京都市よりもやや奈良市に近い。木津川の対岸には京田辺市がある。JR奈良線に“井手駅”はなく、今回の編集対象にもなった玉川に因む玉水駅で降りる。

 玉水駅の標高は27mであるが、井手町図書館の標高は90mであり、徒歩15分の間に63mもの高低差を上る。航空写真を見ると市街地は玉水駅周辺と上井手地区の2段からなっているのがよくわかる。玉水市街地から自転車や徒歩で図書館訪れるのは難しく、中高生の利用者は少ないかもしれない。2010年代だったらこんな場所に図書館を作らない。1994年らしい立地だと思う。

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(写真)井手町立山吹ふれあいセンターの入口。上の写真の裏側。

 

 

まちあるきする

09:30-12:30 趣旨説明、まちあるき
12:30-13:30 昼食
13:30-14:00 Wikipediaの概要説明
14:00-16:00 Wikipediaの編集
16:00-16:30 成果発表
16:30-16:45 閉会挨拶、写真撮影

 

 今回のイベントのスケジュールは上の通り。井手町立図書館の開館は10時であるため、9時30分の集合場所は図書館前の屋外。寒かったので晴れてよかった。なお、今回の参加者に隣接する城陽市在住者はいたものの井手町在住者はいなかった。

 まちあるきには3時間というゆったりした時間が取られている。地図上で計測した歩行距離はちょうど3kmだった。ただし、井手町図書館(標高90m)から、玉津岡神社(131m)、井手町町づくりセンター椿坂(67m)、玉川の桜並木(47m)、井堤寺の柱跡(66m)、井手町図書館(90m)というコースにはちょっとした高低差がある。特に図書館から玉津岡神社までの区間は急な坂もあるため、その旨をあらかじめ告知しておいたほうがよいと思った。

 OpenStreetMapにおいて井手町は、まだ道路すらも完全に書かれていない。あとからルートを確認するために、初めてイベントでOSM Trackerを使った。玉津岡神社に向かう際にはGoogle Mapにも書かれていない道を通ったため、OSM Trackerを起動させておいてよかった。

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(写真)Google Mapにも掲載されていない「山背古道」を歩く参加者。

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(左)玉津岡神社。(右)地蔵禅院のシダレザクラと眼下の市街地。

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(左)小町塚。(右)井手町まちづくりセンター椿坂。

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(写真)開花時期には桜並木がもっともきれいに見えるという橋の上。

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(地図)今回のまちあるきコース。

 

 橘諸兄によって橘一族の氏神として創建された玉津岡神社 - Wikipedia(郷社)は、井手町の玉水地区全体を見下ろしている。すぐ下には地蔵院 (京都府井手町) - Wikipediaがあり、参道の入口には小野小町塚 - Wikipediaがある。現在は玉水駅周辺が井手町の中心地であるものの、かつて(中世?)は玉津岡神社に近い「上井手」が中心地だったという。

 木津川支流には天井川が多い。「京都山背の天井川形成史と環境評価」によると、山城地域の木津川支流のうち、長谷川・青谷川・南谷川・玉川・渋川・天神川(ここまで右岸)・天津神川・防賀川・馬坂川・手原川(ここまで左岸)の10河川が天井川であり、その中でもっとも流域面積の大きな河川が玉川 (井手町) - Wikipediaだという。関西地方ではそれほど珍しくないイメージがある天井川だが、これだけ集まっている地域は珍しい。地形図ではこのように示される

 玉川がある木津川右岸は平地に出てから木津川に合流するまでの距離が短い。そのうえ天井川とあれば、頻繁に洪水が起こったことだろう。その極めつけが1953年の南山城水害 - Wikipediaだそうで、井手町だけで109人の死者が出たという。強固な堤防を作れない時代に「上井手」が中心地だったというのもうなづける。なお、南山城水害という記事は京都府南陽高校の授業外学習で作成された記事であり、今回も加筆された。

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(図)この地域の天井川の模式図。才田川以外はJR奈良線がトンネルで河川をくぐっている。

 

玉川 (井手町)を作成する

 今回のイベントはそれほど参加者が多くなかったため、午後の編集ワークショップではひとりまたはふたりでひとつの記事を新規作成し、主催者であるCode for 山城の青木さん、オープンデータ京都実践会のMiya.mさんとMiyaさんの3人が編集初心者のサポートにまわった。主催者が用意した編集対象には玉津岡神社、小町塚、地蔵院などがあったが、私は井手町の歴史に深くかかわる地理記事「玉川」をひとりで新規作成することにした。まちあるきの時間が長かったので、編集ワークショップ(2時間)の時間はそれほど長くない。

 

 まず『角川日本地名大辞典』『日本歴史地名大系』『京都大事典』という3つの事典を使い、水源や延長距離や流域面積などの基本的な情報を洗い出していく。できるだけ頭を使わないように淡々と作業し、この題材にとって重要な部分を漏らさないように骨格を作る。名称や灌漑用水の歴史なども事典から得られた。歴史的に重要な河川であることを示すために、この地で詠まれた歌を4首掲載した。

 次にまちあるき時にガイドから聞いた情報を思い出し、『井手町の自然と遺跡』『平成の名水百選』などで肉付けしていく。「桜祭りの期間中には約5万人の花見客が訪れる」こと、「日本でも代表的な天井川地帯」であることなどを追加した。そして新聞記事から“おもしろみ”のある記述を追加する。今回の場合は「馬の絵が彫られた重さ数百トンの駒岩」があり「南山城水害では駒岩でさえも流された」ことを書き加えた。

 最後にこまごまとした作業を行った。自身が撮った桜並木の写真を加え、すでにWikimedia Commonsに上げられていた大正池の写真を加えた。葛飾北斎の掛軸、歌川広重の浮世絵、『拾遺都名所図会』の絵図をウェブから探してきて掲載し、歴史的な重要性を視覚的に説明している。イベント終了時には約10,000バイトになった。

 

 参加者が協力してひとつの記事を作り上げることが魅力のイベントなのに、今回はひとりで作業した。そこで成果発表時には、この記事の課題として「桜が満開の時の写真が欲しい」「駒岩の写真も欲しい」という2点を挙げた。特に桜並木の写真については井手町在住者でないとなかなか撮影できないので、地元の方が写真を掲載してくれると嬉しい。

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(左)今回準備された文献。(右)成果発表。