振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

深谷市の映画館

(写真)深谷シネマ。

2023年(令和5年)1月、埼玉県深谷市を訪れました。現在の深谷市には映画館「深谷シネマ」があります。かつては「深谷ムサシノ館」、「深谷電気館」、「豊年座」がありました。

 

1. 深谷市を訪れる

1.1 深谷市立図書館

JR高崎線深谷駅から北に約1kmの深谷城址公園周辺には、深谷公民館、深谷市民文化会館、深谷小学校、深谷幼稚園などの公共施設が集まっています。その中央部に1990年(平成2年)に開館したのが深谷市立図書館であり、開架室が円形のワンフロアであるという特徴があります。

愛知県では東浦町中央図書館(※半円形、1991年開館)、関東地方では水戸市立西部図書館(1992年開館)などが円形の開架室を有していますが、三者の開館時期が近いのが偶然ではなく流行りだったのでしょう。開架室への出入口がひとつしかなく、また水戸や東浦と比べると円の直径が小さいため、館内で迷うようなことはありません。

(写真)深谷市立図書館。一般書。

 

郷土資料は円形の開架室ではなくカウンター脇の小部屋部分にありました。深谷市に関する文献よりも渋沢栄一に関する文献のほうが多い。深谷出身の郷土の偉人の文献を熱心に収集しているともいえますが、深谷市に関する文献が貧弱ともいえます。

(写真)深谷市立図書館。郷土資料。

 

2. 深谷市の映画館

戦前の深谷町には、1919年(大正8年)に開館した電気館(松竹館)と1929年(昭和4年)に開館した豊年座の2館の映画館がありました。電気館の初代社長は北西貫一ですが、やがて豊年座の経営者である伊沢仁太郎の経営に移ります。

戦後には深谷ムサシノ館も開館して3館体制となりますが、いずれも伊沢仁太郎(伊沢興業)による経営でした。伊沢仁太郎は大里郡妻沼町の妻沼映劇なども経営していました。

(写真)深谷町の映画館について言及している『深谷町誌』深谷町商工会、1937年。

 

日本の映画観客数は1958年(昭和33年)に、映画館数は1960年(昭和35年)にピークを迎えます。1960年(昭和35年)には豊年座が、1962年(昭和37年)末には深谷電気館が閉館。1970年代初頭には深谷ムサシノ館も閉館し、深谷市から映画館がなくなりました。コミュニティシネマの深谷シネマが開館するのは約50年後の2002年(平成14年)のことです。

1970年(昭和45年)頃の深谷市の人口は約10万人、2023年(令和5年)現在の人口は約14万人です。この規模の町としては映画館の消滅が早かったと言えます。この理由として、「拠点性の高い都市(熊谷市)に近いこと」、「近代と比べて戦後には経済が衰退傾向にあったこと」「主要な興行主(伊沢仁太郎)の映画産業への見切りが早かったこと」などが想像できますが、3番目の理由が見当はずれでないかどうかは検証してみたい。

(写真)1960年の深谷市街地にあった映画館。地図・空中写真閲覧サービス

 

1961年の映画館名簿

 

1969年の映画館名簿

 

深谷ムサシノ館、深谷電気館、豊年座はそれぞれ、ウェブ検索では跡地は判明しませんでした。そこでまずムサシノ館通り商店街を訪れ、駄菓子屋の成瀬商店で女性主人に話を聞きました。

深谷市にはムサシノ館、電気館、豊年座の3館の映画館があった。成瀬商店の正面にあるグループホームはムサシノ館の跡地である。閉館後にはローラースケート場などになり、やがて駐車場となった。建物は奇妙な形だが、ムサシノ館を模しているわけではないだろう。もっと屋根が高かった記憶がある

ムサシノ館が閉館したのはちょうど50年くらい前だった。ムサシノ館の写真を撮ったことはない。成瀬商店が面する通りはムサシノ館通りと呼ばれているが、若い人はムサシノ館のことを知らないだろう

電気館はもっと深谷駅に近かった。深谷駅と市役所を結ぶ新しい通り(市役所通り)ができたが、跡地は新しい通りにかかっているかもしれない。ムサシノ館通りを西に歩いて県道に出て、南に信号2つ分歩き、さらに西に歩いた場所にあった

 

1960年(昭和35年)の航空写真には電気館らしき巨大な建物が写っています。そこで電気館跡地に近い和菓子屋の栄寿堂を訪れました。

栄寿堂の東にある深谷メンタルクリニックの場所に電気館があった。電気館の前の通りを西に向かい、道路がカーブしている場所の右手に豊年座があった

 

2.1 豊年座(1929年6月-1960年)

所在地 : 埼玉県深谷市田所町1084(1960年)
開館年 : 1929年6月
閉館年 : 1960年
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1930年の映画館名簿には掲載されていない。1936年・1943年の映画館名簿では「豊年座」。1947年の映画館名簿では「深谷豊年座」。1950年の映画館名簿では「豊年座」。1953年・1955年の映画館名簿では「深谷豊年座」。1958年・1959年・1960年・1961年・1962年の映画館名簿では「豊年座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「呑龍院」南南東40mの民家数軒。最寄駅はJR高崎線深谷駅

栄寿堂の主人の話を参考にして1960年(昭和35年)の航空写真を見ると、豊年座の巨大な建物はすぐにわかりました。閉館後の1965年(昭和40年)には建物が鉄工所に転用され、少なくとも1980年代末まで建物が残っていたようです。現在は跡地に8軒分の民家が建っています。

(写真)豊年座跡地の民家。

 

2.2 深谷電気館(1919年8月-1962年12月)

所在地 : 埼玉県深谷市西島759(1963年)
開館年 : 1919年8月
閉館年 : 1962年12月
『全国映画館総覧 1955』には開館年が掲載されていない。1925年の映画館名簿では「電気館」。1927年の映画館名簿では「深谷電気館」。1930年の映画館名簿では「電気館」。1936年の映画館名簿には掲載されていない。1943年・1947年・1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「深谷電気館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「電気館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「深谷メンタルクリニック」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

(左・右)深谷電気館に言及している『深谷案内』深谷案内編纂会、1923年。

(左・右)深谷電気館の広告。『深谷案内』深谷案内編纂会、1923年。


1919年(大正8年)に深谷町初の映画館として開館したのが電気館です。1939年(昭和14年)には豊年座の伊沢仁太郎が電気館の経営者となり、以後の深谷町ではすべての映画館が伊沢仁太郎によって経営されました。なお、弟の伊沢惣二郎も映画興行主であり、大宮市の大宮東映東松山市の松山映画劇場などを経営していました。

(写真)伊沢仁太郎の弟である伊沢惣二郎。『埼玉県近代史研究 5』埼玉県近代史研究会、1998年。

 

深谷電気館の跡地には心療内科深谷メンタルクリニックがあります。周囲には薬局2軒、眼科、歯科専門学校などもあり、映画館跡地としては特異な環境に思えます。栄寿堂がある通りは古くからある通りであり、小林商店という近代建築もあります。

(写真)深谷電気館跡地の深谷メンタルクリニック

(写真)深谷電気館跡地周辺。

(写真)話を聞いた栄寿堂。大福。

 

2.3 深谷ムサシノ館(1955年-1970年代初頭)

所在地 : 埼玉県深谷市本住町355(1970年)
開館年 : 1955年、1961年7月13日(建て替え)
閉館年 : 1970年以後1973年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年の映画館名簿では「深谷武蔵野館」。1958年・1959年の映画館名簿では「武蔵野館」。1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「ムサシノ館」。1961年1月7日火災焼失。1961年7月13日営業再開。1966年・1969年・1970年の映画館名簿では「深谷ムサシノ館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「三高院」東60mの「障害者グループホーム穂の香」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

深谷市3番目の映画館として1955年(昭和30年)に開館し、1961年(昭和36年)の火災後に再建されたのが深谷ムサシノ館です。1970年代初頭に閉館し、2002年(平成14年)に深谷シネマが開館するまで約半世紀も深谷市に映画館は存在しませんでした。面する通りはムサシノ館通り商店街と呼ばれ、かろうじて街灯にだけ深谷ムサシノ館の痕跡を見つけることができます。

(写真)深谷ムサシノ館跡地の障害者グループホーム穂の香。

(左)深谷ムサシノ館跡地周辺。(右)ムサシノ館通り商店街の街灯。

(写真)話を聞いた成瀬商店。

 

2.5 深谷シネマ(2002年7月27日-営業中)

所在地 : 埼玉県深谷市深谷町9-12(2020年)
開館年 : 2002年7月27日、2010年4月16日(移転)
閉館年 : 営業中
Wikipedia深谷シネマ
2003年の映画館名簿には掲載されていない。2004年・2005年・2008年・2010年の映画館名簿では「深谷シネマ」。2010年4月16日移転。2012年・2015年・2020年の映画館名簿では「深谷シネマ」。最寄駅はJR高崎線深谷駅

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

(写真)深谷シネマ。

 

 

(写真)深谷シネマの旧館跡地周辺。

 

深谷市にあった映画館について調べたことは「埼玉県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(埼玉県版)」にマッピングしています。

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