『全国映画館総覧1955』
3. 関東地方
(1-2枚目)東京都多摩地方。(3-6枚目)神奈川県。
(7-8枚目)神奈川県。
(写真)伊勢河崎の街並み。右が伊勢河崎商人館。
2020年(令和2年)12月、三重県伊勢市河崎(伊勢河崎)の伊勢河崎商人館を訪れました。
伊勢市の河崎 - Wikipedia(伊勢河崎)は勢田川の河岸にある港町であり、伊勢神宮への参拝者や物資を揚げる地点として栄えた町です。1970年代以後には町屋や土蔵の保存運動が行われ、12棟が登録有形文化財となっている伊勢河崎商人館をはじめとする歴史的建造物が残っています。
(左)明治時代の1892年竣工の母屋。(右)大正時代の1924年竣工の商人倶楽部。
伊勢河崎商人館の母屋の一角には、河崎やまちづくりに関する書籍が置かれた文献コーナーがありました。1964年・1966年・1971年などの伊勢市の住宅地図は貴重です。伊勢市立伊勢図書館には1980年代以前の伊勢市の住宅地図は存在せず(最古が1996年)、三重県立図書館にも1960年代の伊勢市の住宅地図は存在しません(最古が1970年)。1964年の志摩郡の住宅地図も、公共図書館などではここにしかないものと思われます。
(写真)母屋の文献コーナー。
(写真)文献コーナーにある住宅地図など。
伊勢河崎には商店などに転用されている和風建築物が多数ありますが、登録有形文化財は伊勢河崎商人館だけなのが不思議。
(左)商人蔵カフェ。(中)伊勢春慶デザイン工房。(右)古本屋ぽらん。
(左)美容院 コワフュール千代河崎店。(中)茶房河崎蔵。(右)河崎川の駅。
(左)居酒屋 あじっこ。(中)和菓子屋 播田屋本店。(右)町屋バル。
(写真)伊勢市立伊勢図書館。
(写真)南平造船所。
2020年(令和2年)12月、三重県伊勢市大湊町を訪れました。
伊勢市の大湊 (伊勢市) - Wikipedia地区は伊勢湾に面した島であり、宮川と勢田川の河口に挟まれています。伊勢湾から約5kmの距離がある山田の外港として、伊勢河崎や鳥羽に役割が移る近世初期まで港町として栄えたようです。
近代には造船業の町となり、1896年(明治29年)には大湊工業補習学校(後の三重県立伊勢工業高校造船科)が開校。1910年(明治43年)には白瀬中尉が南極を目指した「開南丸」の元となった「第二報效丸」が大湊の造船所で建造されています。
(地図)伊勢市における大湊町の位置。©OpenStreetMap contributors
大湊町に明確な中心地は存在しませんが、島のメインストリート沿いには旅館津田屋と湯田旅館というビジネス旅館がありました。長期滞在のビジネス客が多いとのことで、ビジネス客とは造船業関係者でしょうか。
(左)旅館津田屋。(右)湯田旅館。
メインストリートから北に向かうと日保見山八幡宮(ひほみやまはちまんぐう)がありました。拝殿の手前に蕃塀があるので先を見通せない。参道の脇には弥栄の松(いやさかのまつ)という立派なクロマツがあり、神社の境内ですがきれいな庭木仕立てです。幹周3. 44m、樹高約9.5m、推定樹齢約400年とのことで、伊勢市天然記念物に指定されています。
(写真)境内。
(左)本殿。(右)弥栄の松。
島の西側には伊勢神宮外宮の末社である志宝屋神社 - Wikipediaもありますが、明治時代の地形図を見ると集落から離れて孤立しています。
(地図)明治時代の大湊町の地図。今昔マップ
大湊町には木造の和風建築が多数残っています。伊勢河崎と同様に基本的に切妻・妻入であり、より新しい(?)家が入母屋でしょうか。直線状の屋根が多いものの、伊勢河崎と同様にむくりのある屋根もちらほら。破風板や軒がんぎ板がある民家が印象に残りました。