振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

米原市立山東図書館を訪れる

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(写真)米原市立山東図書館の館内。

 

2019年1月初頭、滋賀県米原市米原市立山東図書館を訪れました。

 

1. 米原市山東地区を訪れる

滋賀県平成の大合併で大きな変化があった。坂田郡浅井郡伊香郡の3郡からなる湖北地域には、かつて1市12町の13自治体がありましたが、平成の大合併長浜市米原市の2市に再編されています。

2005年2月に米原町(まいらちょう)・山東町伊吹町が新設合併して米原市(まいらし)が発足すると、同年10月に近江町を編入して今日の米原市域が確定しています。愛知県から京都/大阪を訪れる際にいつも通過する米原市。聞きなれない「山東町」(さんとうちょう)という地名は、JRの駅で言うと近江長岡駅柏原駅がある場所です。

 

米原市の図書施設は2図書館2図書室。山東地域に米原市立山東図書館が、近江地域に米原市立近江図書館があります。自治体中心部の米原地域に図書館はありませんが、自治体東部(山東図書館)と自治体西部(近江図書館)に1館ずつというのはバランスが良いし、いずれも2000年頃の開館で新しく、当分は中央図書館の建設計画は浮上しなさそうです。蔵書数は山東図書館が約14万冊、近江図書館が約13万冊で同規模。

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 (地図)滋賀県米原市の位置。©OpenStreetMap contributor。

 

JR東海道本線近江長岡駅から北に歩くと、ゲンジボタルの発生地である天野川 (滋賀県) - Wikipediaを渡る際に、この地域を象徴する伊吹山 - Wikipediaがきれいに見えます。なお、米原市山東地区はその名に反して、伊吹山の東側ではなく西側にあります。「山の東の土地」という意味ではなく「山が東にある土地」という意味なのかな。

米原市立山東図書館は米原市民交流プラザ「ルッチプラザ」の2階にあります。ルッチとはイタリア語で「蛍」を意味するlucciole(ルッチオーレ)や「光 / 希望」を意味するluce(ルッチェ)が由来。ゲンジボタルの天然記念物となっている全国の11か所の中で、“特別” 天然記念物は天野川だけだそうです。 建物の設計は長浜市の豊建築設計事務所であり、豊建築設計事務所は市立長浜図書館も手掛けています。

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 (左)天野川伊吹山。(右)米原市民交流プラザ「ルッチプラザ」。右側の棟の2階が図書館。

 

2. 米原市立山東図書館を訪れる

2005年の合併時点で山東町の人口は13,000人。2018年時点で米原市の人口は38,000人。この人口規模からすると、米原市立山東図書館は人口に不釣り合いにも感じられる立派な図書館です。ワンフロアで天井が高く、入口以外の三方がほぼガラスなので開放感がある。冒頭の写真に見える観葉植物が雰囲気を落ち着かせているし、巨大なぬいぐるみを置く遊び心もある。元々の広さに加えて、インターネットコーナーや新聞雑誌コーナーを館外(の同一フロア内)に押し出しているおかげで、館内はとてもゆったりしています。図書館員の手が行き届いている感じがするのに、余計な張り紙などはありません。展示や小物のひとつひとつにセンスが感じられます。

山東町民以外の米原市民の中にはこの図書館を訪れたことがない方も多いはず。この図書館はすべての米原市民に知ってもらいたい。米原市立図書館公式サイトにも写真を載せるべきではないでしょうか。

『平成29年度版 図書館年報』によれば、米原市の住民1人あたり貸出数は10.5冊。滋賀県内の公共図書館の平均は東京都に次いで第2位の7.97冊だそうですが、10.5冊は全国的に見ても高い数字だと思われます。

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 (左)館内中心部。(右)巨大地球儀と展示。

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 (左)展示「2020年東京オリンピック」。イーゼルを使った新年の挨拶にセンスを感じます。後ろはお正月のラッキーナンバープレゼント。(右)展示「江戸時代小説」。

 

児童文学作家であり市立長浜図書館初代館長の中島千恵子 - Wikipediaは、開館準備中の山東町立図書館で顧問を務めたそうです。開館直前の1999年11月16日に死去し、死後には遺族から児童書など4,146冊が寄贈されました。2000年4月1日に山東町立図書館が開館した際には、開館記念展示として「中島千恵子展」を行ったそうです。

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 (左)図書館外同一フロアのおはなし室。(右)絵本。時計がかわいらしい。

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 (左)漫画本コーナー。(右)児童書。

 

最近までは入口脇の小部屋が郷土資料室だったみたい。現在は開架室に郷土資料があり、小部屋は視聴覚資料室となっています。郷土資料コーナーに展示されている写真は山東町域出身の郷土史家である中川泉三 - Wikipediaだそうです。

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 (左)郷土資料コーナー。中川泉三の写真がある。(右)据え付けの扇風機。

 

『平成29年度版 図書館年報』を読むと、山東図書館の購入雑誌数は49誌、スポンサー提供雑誌数は51誌、寄贈雑誌数は24誌であり、スポンサー提供雑誌数が購入雑誌数を上回っている。一般的に雑誌スポンサー制度の目的は「民間事業者の情報発信」と「図書館の新たな財源の確保や資料の充実」の2つだと思いますが、スポンサー提供雑誌数が山東図書館くらい多いと「民間事業者の情報発信」に役立っているような気がします。

読売新聞メディアデータ2018によると、滋賀県における朝刊の世帯普及率は『読売新聞』(23%)、『朝日新聞』(16%)、『京都新聞』(13%)の順だそうですが、滋賀県の中でも特に岐阜県に近い米原市ではどうなのでしょうか。図書館職員に聞けばよかった。新聞コーナーには全国紙5紙と『京都新聞』と『中日新聞』がありました。こちらのサイトによると米原市における朝刊のシェアは『京都新聞』3%、『中日新聞』62%とのことですが、『中日新聞』のシェアはそんなに高いのだろうか。行政資料をぱらぱらめくった限りでは、滋賀県長浜市/彦根市に加えて、岐阜県大垣市も主要な通勤先のようです。

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 (写真)図書館外同一フロアの新聞雑誌コーナー。

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 (左)図書館外同一フロアのAVコーナー。(中)視聴覚資料。館内。(右)図書館外同一フロアのインターネットコーナー。

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 (写真)同一フロアのカフェ。

 

3. 参考文献

伊藤尚典『みんなの図書館 山東町立図書館ができるまで』2004年

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堺市立中央図書館と大阪市立住之江図書館を訪れる

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(写真)堺市大阪市を隔てる大和川

2019年(平成31年)1月初頭、堺市立中央図書館と大阪市立住之江図書館を訪れました。

 

1. 堺市立中央図書館を訪れる

1.1 堺市立中央図書館堺市駅前分館

まず訪れたのは堺市立中央図書館堺市駅前分館。JR阪和線堺市駅前の商業施設「ベルマージュ堺」の3階にあります。開館は20年前の1999年4月1日ということで新しいわけではなく、駅前にある従来型の図書館といった感じです。なお、堺市立図書館は7図書館5分館2室の計14施設からなります。館内の写真撮影は不可と言われましたが、堺市立図書館の統一見解ではなく対応してくださった職員の判断かもしれません。

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1.2 堺東商店街・堺東映シネマ跡地

JR堺市駅から西に約1.5km歩き、南海高野線堺東駅前の堺東商店街へ。途中では2018年7月14日に「厄払い!オープンデータソン in さかい」でWikipedia & OpenStreetMapの編集対象となった方違神社を通っています。にぎわいのあるアーケード商店街の西側、「パーターさかもと第1ビル」には堺東映シネマ跡地があります。

東映シネマは2010年12月26日に閉館したそうですが、エレベーター前のフロア案内には「3階 堺東映シネマ」の文字がそのまま残っていました。試しにエレベーターで3階に上がってみると3階フロアに降りることができるのですが、真っ暗でこわい。

堺市立中央図書館では2000年の住宅地図を確認しましたが、堺東商店街の商業ビル「ヤングタウン103」4階に堺東宝が、「ヤングタウン103」2階に堺シネマ1・2が、商業ビル「パーターさかもと第2ビル」2階に堺東銀座ニューシネマが、同じく「パーターさかもと第2ビル」2階に堺東AVシネマがあったことが確認できました。これらは消えた映画館の記憶地図(大阪府版)マッピングしています。

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 (写真)2010年まで堺東映シネマがあったパーターさかもと第1ビル。

 

1.3 堺市立中央図書館

堺東商店街から南に約2km歩き、堺市立中央図書館へ。長方形の町割りに一条通から七条通りまで名付けられた街を通りました。戦後の町ではないと思いましたが、今昔マップで確認すると昭和初期にはもうこの町割りができているようです。

堺市立図書館は1916年に大阪府初の市立図書館として開館。現行館の堺市立中央図書館は1971年竣工であり、2階が重たい印象的な外観ですが、1階中央部の階段を上って2階の開架室に入る館内も印象的。1971年当時の図書館事情を考えると、都道府県立図書館に匹敵する立派さだったのではないかと思います。

愛知県では常滑市立図書館や瀬戸市立図書館とほぼ同時期の建物であり、大阪府でもかなり古い部類に入るのではないかと思います。建築系雑誌では『新建築』1971年12月号「堺市立図書館」や『建築文化』1971年12月号の「特集 図書館建築6題」などに掲載されているようですが、古すぎて愛知県図書館には所蔵されていません。

 

『みんなの図書館』2018年4月号の「市民とつくる地域資料サービスの可能性」(竹田芳則)に登場する「堺メモリー倶楽部」が気になります。写真のデジタル化などで堺市の歴史を保存・発信する活動を、図書館と市民が協力して行っているようです。このような団体がいてくれるのはありがたい。

堺市立中央図書館は2017年3月19日2018年2月11日に「ウィキペディアタウン in さかい」を開催しており、この論考ではウィキペディアタウンが “新しい市民参加による地域資料サービスの可能性” と表現されています。この論考によると「堺メモリー倶楽部」はウィキペディアタウンとは別にウィキペディア記事の作成も行っているのでしょうか。気になります。

 

2016年には図書館開館100周年を迎え、記念講演会、パネル展、シンポジウムなどの記念事業を実施したようです。『堺市立図書館100年史』を購入しようと思ったのですが忘れてしまいました。

堺市立中央図書館は全国紙5紙のデータベースをそろえていますが、利用者カードがないと使えないようでした。新聞データベースは利用者カードなしでも使用可能な図書館が多いという印象がありますが、全国的にはどうなんでしょう。

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 (左)堺市立中央図書館。(右)建物から離れた場所にある返却ポスト

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 (左)一般室と子ども室で分かれている建物入口。(右)1階から2階に上る階段。

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 (左)一般書の書架。(右)郷土資料。

 

1.4 堺市立青少年センター図書室

堺市立中央図書館からは宿院の堺山之口商店街を通り、約4km歩いて堺市立青少年センター図書室へ。昔はこのアーケード商店街が堺の筆頭の商店街だったらしい。おしゃれな公式サイトがありますが、“羽衣国際大学小川雅司研究室プロデュース” とあり納得。“第二次世界大戦後まで、大阪の心斎橋と並ぶ、第一級の繁華街として大変賑わっていました” とあります。

堺市立青少年センター図書室にはただ立ち寄っただけですが、堺市の環濠地区内唯一の図書施設のようです。

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(写真)堺市立青少年センター図書室。

 

1.5 綾之町東商店街

堺市立青少年センター図書室からは紀州街道などを歩き、約3.5km歩いて大阪市立住之江図書館へ。阪堺電車綾ノ町電停の東側には綾之町東商店街がありましたが、営業中だったのは数軒のみ。これでアーケードの維持費や電気代を捻出できるのか不安になります。

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 (左)商店街の中央を阪堺電車が通る綾之町東商店街。(右)玉子店なのか茶葉販売店なのかクリーニング店なのかわからない店。店名もニューファーストなのか西端ショップなのかわからない。

 

2. 大阪市立住之江図書館を訪れる

2.1 安立本通り商店街

大和川に架かる大和橋を渡ると大阪市紀州街道をそのまま北に向かうとアーケードの安立本通り商店街がありました。これだけにぎわっている商店街であれば、かつては映画館のひとつくらいあってもおかしくない。しかし私が『映画館名簿』で簡単に調べた限りでは、1974年の発足以後の住之江区に映画館が存在したことはなかったようです。

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(写真)安立本通り商店街。

 

安立本通り商店街の50m東に並行して安立東通り商店街がありますが、こちらはがらがらでした。

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(写真)安立東通り商店街。

 

安立本通り商店街と安立東通り商店街をつなぐ商店街として銀座通り商店街(商店会)がありますが、屋外部分も屋内部分も廃墟と化していました。

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(写真)銀座通り商店街。

 

2.2 大阪市立住之江図書館

堺市立中央図書館からだらだら歩きすぎたせいで、大阪市立住之江図書館にたどり着いたのは閉館9分前の16時51分。館内をじっくり見学することはできませんでした。
この図書館では「思い出のこし」事業を行っています。市民が提供する思い出を土台に、司書が文献調査や聞き取りを行って公開する取り組みです。

“ウリが多く栽培されていた” “南港でイワガキを獲って食べた” などといった思い出を文字化し、地域別・年代別に分けてファイルで保存。本ブログと同じくクリエイティブ・コモンズ・ライセンスで公開しています。図書館の特徴、司書の専門性を活かした素晴らしい取り組みだと思います。“利用者と図書館の間でコミュニケーションをとるきっかけを生み出してくれた” (『みんなの図書館』2018年4月号)という言葉が印象的です。

 

参考

地域情報発信のありかたについて−「思い出のこし」と「戦国時代を舞台にした歴史小説:calilリンクつき」の事例より− :第313回研究例会報告

公立図書館における住民との協働による地域資料サービスの構築 / 相宗大督 | カレントアウェアネス・ポータル

相宗大督「大阪市立図書館『思い出のこし』事業について 立案者としての立場から感じたことなど」『みんなの図書館』2018年4月号、pp.7-15

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(写真)大阪市立住之江図書館。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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東海市立横須賀図書館を訪れる

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(写真)街角サロンから図書館入口を見る。

 

2019年1月4日、愛知県東海市東海市立横須賀図書館が開館したので、開館当日の9時の開館に合わせて訪れました。東海市では中央図書館に次いで2番目の図書館。愛知県では2019年に開館する唯一の図書館だと思われます。

横須賀図書館/東海市

 

1. 東海市を訪れる

愛知県東海市名古屋市の南側に隣接する自治体。1960年代には臨海部に鉄鋼業企業(新日鉄住金名古屋製鉄所、大同特殊鋼知多工場など)を誘致して発展し、1960年代の10年間で人口が約35,000人から約85,000人に急増しています。1969年の市制施行後も人口は増え続けており、現在は知多半島5市5町の中で半田市に次ぐ約11万人となっています。

人口が9万人を超えていた1977年、前身自治体も含めて初の図書館である東海市立中央図書館 - Wikipediaが開館。東海市役所と同じく大池公園の脇にあり、2階からは公園の木々が見える図書館です。とはいえ2019年で開館43年目。愛知県の自治体の中央館としては、蒲郡市立図書館(1969年竣工)、常滑市立図書館(1970年)、瀬戸市立図書館(1970年)、江南市立図書館(1976年)についで古いと思われます。

開館20年目頃からは、つまりこの20年間は貸出冊数がほぼ横ばいであり、建物の古さが貸出冊数の伸びを阻害しているのは間違いないでしょう。中央館の建て替えを視野に入れるべき時期の分館開館ということになります。今後の中央図書館については2017年3月に策定された「東海市公共施設等総合管理計画」でわずかに触れられていますが、当面は建て替えや大規模改修などを行わないようです。

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東海市名鉄常滑線尾張横須賀駅前のJAあいち知多横須賀支店ビルを取得。この建物を「まなぶん横須賀」と名付け、1階と4階を東海市立横須賀図書館、2階を不登校支援施設のほっと東海、3階を東海市教員研修センターとしました。教員研修センターは図書館に先行して2018年11月から業務を開始しており、東海市立横須賀図書館は2か月遅れで開館しています。

私が横須賀図書館が開館することを知ったのは2018年8月ですが、それからこの2019年1月の開館直前まで、ウェブ上で横須賀図書館の開館を示す手がかりは東海市立中央図書館公式サイト上の1ページだけ。開館後の現在でも"まなぶん横須賀" というキーワードでの完全一致検索の結果は8件(2019年1月7日時点)であり、横須賀図書館が開館することについての周知が不足しているのではないかという気がします。

 

2. 東海市立横須賀図書館を訪れる

「まなぶん横須賀」は尾張横須賀駅に隣接しており、特急停車駅である尾張横須賀駅の利用者にとってはとても便利だと思われます。また、駅前型図書館でありながら55台分の駐車場があるらしく、これは中央図書館の60台分とほぼ同じです。

「まなぶん横須賀」の入口を入ると右手が街角サロンであり、左手が横須賀図書館です。街角サロンは図書館公式サイトで "地域の方の交流の場として利用できる、ガラス張りの開放的な雰囲気のスペース" と紹介されていますが、単なる飲食スペースとして使われそうです。
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 (左)尾張横須賀駅と「まなぶん横須賀」。(中)1月4日9時の開館を待つ利用者。(右)屋外から見た街角サロン。

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 (左)図書館入口手前の街角サロン。(右)図書館入口付近。

 

いわゆる郷土資料コーナーである「東海市のコーナー」は、細井平洲 - Wikipedia(現東海市域出身の儒学者)関連本、中村文則 - Wikipedia東海市出身の小説家)の著書、『東海市史』、その他、の4コーナー。

中央図書館と比べると別置された目的別のコーナーが多く、カウンター脇のいきいき元気コーナー、一般書エリアのビジネスコーナー、ICTコーナー、語学コーナーなどがあります。いきいき元気コーナーは名前からすると年配者向けのコーナーにも思えますが、健康・福祉などの本に加えてウォーキングやトレッキング、旅行ガイドや料理本までさまざまでした。

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 (左)閲覧席。図書館でこういう形の閲覧席は初めて見た。(右)蔵書検索機とインターネット用パソコン。

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 (左)東海市のコーナー。(右)新着図書。

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 (左)雑誌。(中)いきいき元気コーナー。(右)語学コーナー。

 

横須賀図書館の収蔵能力は4万冊、現在の蔵書数は2万2000冊とのことで、蔵書数自体は他自治体の公民館図書室と同程度です。ただ図書は総じて新しく、購入年が表示されたラベルを見ると2018年度と2019年度購入分で6割以上ある印象です。例えば「230」(ヨ-ロッパ史、西洋史)は全31冊中28冊が2019年度購入分でした。

児童書には分類に合わせたシールが貼られており、書架の上部には「ハイ(社会に関する本)」「ギン(言葉に関する本)」などとシールの色の説明が書かれているのですが、「ハイ=灰」「ギン=銀」であることに気づくまでに時間がかかりました。これで分類を覚えてもらえるのかな。

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 (写真)一般書。

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 (左)絵本。(中)児童書。(右)読み聞かせコーナー。

 

2階と3階は他組織ですが、4階の閲覧学習コーナーも横須賀図書館という位置づけになっており、1人用机と4人掛け机が計100席あります。このフロアに図書はいっさいなく、単なる学習スペースとして使用されそうです。なお、まなぶん横須賀1階の床面積は870.63m2、4階の床面積は942.51m2とのことで、横須賀図書館の延床面積は1,813.14m2と思われます。

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 (写真)4階の閲覧学習コーナー。

 

東海市立横須賀図書館の開館時間は「9時-21時」。愛知県で21時まで開館している図書館は珍しく、岡崎市立中央図書館、一宮市立中央図書館、豊橋市大清水図書館に次いで4館目と思われます。一般的な図書館の利用者に加えて、特に仕事・学校帰りにさっと立ち寄って本を借りる名鉄の通勤・通学者を利用者に想定しているのではないかと思います。

駅前にあって開館時間が長く、ブラウジングコーナーを重視している図書館としては、横須賀図書館が愛知県初といえるのでは。2021年度にはこの形態の本格的な図書館として豊橋市まちなか図書館が開館する予定ですが、豊橋市まちなか図書館が目指す方向性の一つである “滞在型図書館” を目指しているわけではないようです。

 

駅前にあり開館時間が長く、2万冊規模で新しい本が多い図書館。もし地元にこんな図書館があったら入り浸ると思います。いままで愛知県になかった図書館だけに興味深いのですがく、その特徴を周知しきれていなそうなのは残念です。2019年1月7日時点では、中日新聞等に開館を伝える記事は掲載されていません。

なお館内の写真については、職員同伴のもとで撮らせてもらいました。東海市立中央図書館で撮らせてもらった時と同じ対応です。開館当日ということで、一目で行政職員とわかるスーツ姿の男性が何人も館内を見守っており、またカメラをかついだ広報担当の職員もおりました。

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3. 横須賀地区をあるく

横須賀図書館がある横須賀地区にはかつて尾張藩代官所があり、知多半島西岸(西浦)の政治・経済・文化の中心となる町だったそうです愛宕神社を北端、玉林寺を南端とする横須賀地区を歩くと、愛宕神社尾張横須賀まつり - Wikipediaで曳き回される山車の蔵が4組分ありました。ただし、山車蔵以外にはその町並みは見る影もない。ウェブ検索でも横須賀地区の繁栄の歴史は見えてこないし、図書館の「東海市のコーナー」も細井平洲や中村文則といった個人を推すばかりで、まちの歴史は軽んじられているように感じました。

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(左)「大門組山車蔵」。(中)「公通組円通山車蔵」。(右)太田川駅前の日本福祉大学東海キャンパス。

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(写真)横須賀小学校南側の民家で見かけたねこ。「13歳のおばあちゃんねこ」だそう。

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下呂市立下呂図書館を訪れる

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(写真)下呂温泉街の入口に設置されているチャップリン像。

 

1. 下呂市を訪れる

2018年12月、下呂温泉で知られる岐阜県下呂市を訪れました。「下呂市下呂図書館を訪れる」と「下呂市立はぎわら図書館・下呂市立金山図書館を訪れる」の二部構成です。

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(地図)岐阜県における下呂市の3地域の位置。©OpenStreetMap contributor。

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(左)JR高山本線下呂駅。中央奥は「下呂富士」。(右)下呂温泉観光協会のレンタサイクル。

 

下呂地区の中央部には木曽川支流の飛騨川(益田川)が流れ、また飛騨川から阿多野谷が分岐しています。この飛騨川と阿多野谷を境に、下呂駅がある西岸、下呂温泉街がある東岸北部、市役所や図書館など下呂市街地がある東岸南部の3地域に分けられます。

現在は飛騨川西岸と東岸を結ぶ橋として下呂大橋がありますが、1923年から1964年までは南600mの六ツ見橋が唯一の橋だったようです。それ以前は渡し船しかなかったようですが、下呂駅の開業は1930年のことなので橋は必要なかったのかもしれません。

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(地図)下呂市下呂地区の地形図。国土地理院 地理院地図

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(左)六ツ見橋。(中)六ツ見橋から見た下呂市街地や「下呂富士」。(右)下呂市街地の奥田又右衛門膏本舗。

 

2. 下呂市下呂図書館を訪れる

2004年に益田郡(ましたぐん)下呂町、萩原町、金山町、小坂町、馬瀬村が合併して下呂市が発足。3町の図書館は下呂市下呂図書館、下呂市立はぎわら図書館、下呂市立金山図書館となりました。3館の規模には大差ないのですが、司書さんは「(下呂図書館ではなく)はぎわら図書館が中央館である」と言われました。中央館とその他の館には、下呂市以外の地域資料の量などに差があるそうです。

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(写真)下呂市下呂図書館の入口。

 

はじめて訪れる図書館では郷土資料コーナーに立ち寄って、その町の歴史や産業についてざっくり理解しようと務めています。下呂地区の産業といえばなんといっても下呂温泉 - Wikipedia(観光業)であり、3段のカラーボックスが「温泉資料」の棚になっているのですが、それだけ。それも、温泉に関する一般書、『草津温泉誌』、雑誌『温泉批評』、ムック本『 Discover Japan TRAVEL ニッポンの温泉』などであり、肝心の下呂温泉について短時間で要点を把握できそうな文献がありませんでした。これはなぜだろう、と思ったのですが、後に解決します。

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 (写真)児童書エリア。

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(左)温泉資料。(右)郷土資料。

 

「図書館について個人的な調べものをしている」と言って写真を撮らせてもらいました。テーマ展示について撮っていると「そんなところも撮るんですか(笑)」と笑われました。司書さんは何度も「見てもらえるものなどない」と口にされたのですが、謙遜するよりも館内のお勧めポイントを教えてくれる方がうれしいです。

新聞コーナーには『岐阜新聞』が置かれていましたが、「この地域では『中日新聞』の購読者がいちばん多い。予算がないので3館で購読紙を分けている。夕方になると、同一建物の公民館で購読している新聞数紙が “寄贈” という形で図書館に回ってくる」とのことでした。このため、下呂図書館には『日経新聞』や『読売新聞』の “前日分” が置かれています

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(写真)一般書の書架。

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 (写真)展示など。

 

さて下呂図書館では、下呂市域に最後まで存在した映画館「下呂劇場」についての文献を探しました。映画館名簿などで「1966年の映画館名簿には掲載されており、1969年の映画館名簿には掲載されていない。開館年や所在地は不明」ということを確認しています。自力では郷土資料コーナーから何も見つけられず。レファレンスという形で司書さんにも探してもらいましたが、やはり有益な情報はありませんでした。

下呂劇場についての情報は得られなかったのですが、『益田新聞』1960年4月10日号にストリップ劇場の記事を見つけました。読者と記者の対話という形を取っています。記事には “名古屋や京都では観られない” とあるので、この時代には温泉街など観光地の歓楽街にしかなかったのでしょうか。記事を以下に引用しました。

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「魅力はヌードショウ」『益田新聞』1960年4月10日付、第85号、p.4
読者
 モシモシ益田新聞に緊急おたづねするんですが、下呂温泉にはトテモすばらしいヌードショウがあるそうですね。名古屋や京都では絶対見られぬスバラシイ、ストリップを見せるって本当かね、実は僕の古い悪友どもが五、六人伴れで、下呂温泉に遊びに行くから、ヌード見学の案内を頼むと、くだらぬ手紙を寄こしたんです。バカバカシイけれ共折角の依頼を断りもならず、一つあなたにその方面の教を乞う訳ですが、本当にそんなところがあるのですか。

記者 その方面のことは私には判らんね、しかし私も新聞屋として後学のため、娯楽センターの見学をした範囲のことなら肉体芸術の説明もしますよ。

読者 頼みますよ。本当にエイところを見せるんですか、つまりそのスレスレまで。

記者 そりゃスレスレまで拝見できますよ、そこが肉体芸術の魅力ですからね。しかしワイセツと云う感じはしないね。第一あんなところで昂奮したってそれこそショウがないでしょうハハハ……女のキレイな肉体の曲線美の律動を見て、芸術と鑑賞するか、欲情を挑発するか、観る人間の精神レベルの程度によりけりですよ。

読者 エロ映画とか、アレの実演とか云ったものはないのですか。

記者 飛んでもない。そんなお下劣なものは、とっくの昔に下呂温泉から追放されてしまいましたよ。娯楽センターと云うのは、観光風景の映画と、肉体美の芸術以上には出ませんよ。場所は日の出旅館のチョッと南側に、オリオンと云う喫茶店があったでしょ、あそこを改造して、第一会場、第二会場と二つのステージを作り、ミラーボールが回転して、チラチラとボタン雪のような照明がまばゆくちらつき、天井は花もようの照明窓であり、一糸ぐらいは纏った美女が、七色の照明を浴びて伴奏でお出ましになる、面して肢態を柔軟にくねらして「ヌードショウ十四景」のポーズを御披露に及ぶ。お臍の横丁のホクロまではっきり拝見って訳ですがね。

(中略)

読者 それでその何ですか、踊子ははじめから素っ裸ですか、何か着て出てきて脱いで見せるんですか。

記者 第一会場の方は、はじめから全裸だが、第二会場の方は、肉体透明のウスものを纏って、ひらひらと靡かせながら出て来るのやキシンと帯をしめたキモノ姿もあるね、しかしみんな踊りながら脱げてしまう。お客さんに帯を解いてちよだい!てしぐさをするものもあるね。両足を左右一ぺんに水平にひらき、一直線にして両腕を伸ばし、頭をハイヒールまで倒してくっつける、あの弾力性というか、やわらかい曲線には驚くね。

読者 結局女の肉体にはまいりますか、時間はどの位みせるんですか。

記者 一時間二十分たっぷり満喫できる。どうぞ御遠慮なくお客さんの御案内をしてやって下さい。値段も思ったより安いにおいておやです。

※公表後50年を経過した団体名義の著作物であるためパブリックドメイン(PD)と判断した。

 

3. 下呂温泉街を歩く

12月ということで観光客は多かったです。この日は泊りではなく日帰りだったので、公衆浴場の白鷺の湯に入りました。

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 (写真)下呂温泉街。

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 (左)「山形屋の手湯」。温泉街の至る所に足湯がある。(中)公衆浴場の白鷺の湯。(右)温泉寺。

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(左)下呂温泉街と飛騨川。(右) 飛騨川河岸、下呂温泉噴泉池(露天風呂)。パンツ一丁のおじいさんが注目を集めてた。※12月です。寒いです。

 

下呂市街地には廃業したボウリング場の建物がある。1971年開館の下呂ボウリングセンターは2015年に閉館してしまったみたい。下呂ボウリングセンターについて検索すると、2013年度時点で全国最高齢ボウラーの吉野幸作さん(明治45年生まれ、当時101歳)が通ったボウリング場という。「85歳からボウリングを始め、90歳のときには最高スコア190、アベレージ150」だって。すごい。

もうひとつ気になったのはNude Theatre「オリオン会館」。下呂温泉街の中でも飛騨川沿いの目立つ場所にあります。こちらは2007年に閉館したようです。『益田新聞』記事に登場する「喫茶オリオンにあったストリップ劇場」と同一(後継施設?)だと思われますが、詳細は分かりません。

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 (左)下呂ボウリングセンター。(右)Nude Theatre「オリオン会館」

 

下呂温泉街の中心部には資料館の下呂発温泉博物館がありました。展示も興味深かったのですが、気になったのは「温泉博士の部屋」。下呂図書館にあまりなかった温泉関係資料はこちらの書架にありました。ただし多くの書架には鍵がかけられており、自由に閲覧することができません。司書のいる図書館に置くほうがいいのか、多くの入館者がある資料館に置くほうがいいのか、悩ましい。

下呂図書館では下呂劇場に言及した文献を一つも見つけられなかったのに、下呂発温泉博物館ではあっさりと一つ見つけました。1932年発行の絵図「下呂温泉旅館組合案内」には、 “下呂劇場” の文字が確認できます。現在の湯之島高札場付近にあったようです。下呂劇場周辺の温泉旅館はいずれも現存していない。おおまかな場所しか特定できませんでしたが大きな成果です。なお、この絵図で “下呂劇場” とは別にある “劇場” が何を指すのかは不明です。

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(写真)下呂発温泉博物館。

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(写真)下呂発温泉博物館にある「温泉博士の部屋」。

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 (図)1932年頃の下呂温泉街の絵図。中央部に「下呂劇場」が、右に「劇場」の文字が見える。まだ下呂駅と下呂温泉街を結ぶ下呂大橋はなく、右端の六ツ見橋のみ。この地域の象徴として御嶽山が描かれている。パブリックドメイン(PD)と判断した。

 

下呂市立はぎわら図書館・下呂市立金山図書館を訪れる - 振り返ればロバがいる に続きます。

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