振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

豊田市中央図書館と交流館図書室を訪れる

・某所の文章に小加筆してブログ記事にする実験。

2017年7月1日から7月4日まで3日間、Wikipediaのメインページに「豊田市中央図書館 - Wikipedia」が掲載された。この5月と6月に豊田市中央図書館と5つの交流館図書室を訪れてから書いた記事です。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。すべての写真はCategory:Toyota city library - Wikimedia Commonsにアップロードしています。

 

 

 

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(上)豊田市中央図書館が入っている参合館。名鉄豊田市駅ペデストリアンデッキで直結。 (下左)図書館入口。(下右)イタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテの作品『文化の種 ミューズ達』。かなりの金額で購入したらしい。

 

1998年から「豊田市中央図書館」が入る参合館の3階から7階に図書館がある。8・9階が能楽堂。10階から13階がコンサートホール。現在は参合館がある駅前通りの再開発が進行中で、11月には豊田市中心市街地初のシネコンが開館する。

豊田市の「図書館」は1館だが、その他に31館のネットワーク館(コミュニティセンター図書室/交流館図書室)、1館の分室(こども図書室)がある。豊田市中央図書館の蔵書115万冊に目を奪われるけど、31館あるネットワーク館で計60万冊を所蔵している。貸出数に至っては中央館160万冊、ネットワーク館計180万冊と逆転する。

激動の2016年を経て、2017年4月から中央館に指定管理者制度が導入された。開館時間は1時間延びた。職員数は100人から80人に減ったが、司書数は2人から44人に増えた。2016年度までの司書は奥にこもりきりだったが、今年度は司書のほうからトランシーバ片手に声をかけてくる。

2016年から2017年に何度か中央館を訪れているが、新聞データベースは「予算不足で契約を取りやめ」、目玉のひとつである2,000自治体分の自治体史は書庫にしまい込み、館内の写真は職員同伴で許可されるもののSNSへのアップロード不可。今や図書購入費は一宮市より少ない。いろいろ悩ましい点はあるものの、愛知県図書館にない本があったりする圧倒的な蔵書の多さは(ごく稀に)頼りになる。

豊田市こども図書室」と「豊田加茂広域市町村圏移動図書館」の存在はユニーク。31室のネットワーク館とは別にこども図書室が1館だけ分館扱いされている不自然さの理由は、新聞記事を読んで納得した。

 

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豊田市中央図書館と、豊田市の交流館図書室の写真を掲載した。上から順に若林交流館、崇化館交流館、梅坪台交流館、保見交流館、上郷交流館の5図書室。いずれもAsturio Cantabrioが撮影。この5館のほかには妹島和世建築設計事務所が設計を手掛けた逢妻交流館|豊田市生涯学習センター交流館のように建築面で評価の高い交流館もある。

 

若林交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市若林東町沖田124

アクセス : 名鉄三河線若林駅から徒歩2分

若林交流館は1999年開館で、建築年も床面積も蔵書数も交流館の中では平均的といえる。麦畑が広がるのどかな地域にある。キッズスペース、児童書の書架、一般書の書架が段々になっている。入口から入って正面にあり、受付にも近い。図書室と他の部分を遮る扉などはなく開放感がある。図書室部分の上部は吹き抜けとなっている。南西側に大きな窓があって明るい。2万冊弱の蔵書数なのに地域資料も充実している。『豊田市史』はすべての交流館図書室に置いてあるのかもしれない。

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崇化館交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市昭和町2-46

アクセス : 名鉄豊田市駅から徒歩8分

最寄駅が豊田市中央図書館と同じ豊田市駅となる、もっとも豊田市の中心市街地に近い交流館。マンションに見える裏側と、なんとも言えないデザインの表側の壁面のインパクトが強い。31館中3番目に古い1985年竣工だが古さは感じない。入口を入ってすぐ、1階の中央部が図書室になっている。

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梅坪台交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市梅坪町1-15

アクセス : 愛知環状鉄道梅坪駅から徒歩2分

1983年開館。31館ある交流館の中では若園交流館に次いで2番目に古い。豊田市の交流館は毎年のようにどこかの館が更新されており、31館中14館は移転新築を経ている。1980年代の建物をそのまま使用している館は梅坪台交流館を含めてわずかしかない。梅坪台を含めて、どの交流館でも勉強する中高生がいた。図書室と他の部分を区切る扉などはなく、開放感がある。オレンジ色で区切られた下段は児童書、水色で区切られた上段は一般書。児童書・一般書が同じ書架にある珍しい配架方法。

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保見交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市保見町四反田121-1

アクセス : 愛知環状鉄道保見駅から徒歩3分

1982年に開館、1984年に移転、2007年に現行館に移転した保見交流館。一見するとかなり大きな施設に見えるが、中庭や吹き抜けなどの部分が多いので床面積は2,000m2に満たない。図書室部分はわずか92m2であり、狭さを感じるどんづまりの空間。ポルトガル語中心の外国語書籍コーナーがある。保見地区は南米出身者が多い保見団地を抱えている。

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上郷交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市上郷町5-1-1

アクセス : 愛知環状鉄道三河上郷駅から徒歩10分

1975年に開館し、1988年に現行館が竣工した上郷交流館。旧上郷町のメインの交流館であり、45,000冊という蔵書数、256m2という床面積は31館あるネットワーク館の中でも有数の規模。閉館日に訪れたら図書館入口にシャッターがしてあった。建物の他の部分と図書室を隔てるものがあるという点で、5館の中で唯一「(旧来のイメージの)図書室」らしさを感じた。

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オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1に参加する

opendatakyoto.connpass.com

2017年6月18日(日)、京都府宇治市で開催された「オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1」に参加しました。

 

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(写真)イベント会場の宇治市川東集会所。

 

 この日のスケジュール

10:00-10:30 イベント開始・主催者挨拶

10:30-11:00 WikipediaOpenStreetMap、Strolyの説明

11:00-12:00 お昼ご飯

12:00-14:00 まち歩き

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業

16:00-16:30 成果発表

16:30-17:00 閉会挨拶・記念撮影・アンケート記入

17:00 撤収完了(懇親会)

 

宇治市中央図書館を訪れる

9時開館の宇治市中央図書館に寄ってからイベント会場の川東集会所をめざした。図書館は宇治市文化センターと呼ばれる文化ゾーンにある。京阪宇治駅から徒歩25分-30分、くわえて丘の上にあるため自動車以外では行きづらい。約70mの高低差と最大18度の坂に驚きながら図書館にたどり着いた。

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 (図)黒線は図書館までの往復コース。赤線と青線はイベントでの街歩きコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

宇治市中央図書館は1984年開館。1992年には東宇治図書館が、1997年には西宇治図書館が開館し、現在は3館体制となっている。開館当時から宇治市「中央」図書館だったということは、 東宇治図書館と西宇治図書館の設置も計画済だったんだろう。ただ人口19万人の都市としては、また広大な文化ゾーンにある施設にしては狭さを感じる。中央図書館の延床面積は1,786m2。西宇治図書館は596m2、東宇治図書館にいたっては325mしかない。1980年代の図書館計画ではこの狭さも仕方ない。

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この図書館の見どころは書籍の横積み。書架には書籍が隙間なく並べられている上に、一般書はもちろん、郷土資料だって、参考図書だって、宇治市史だって横に積まれている。特に一般開架室にあった宇治市史の平積みは斬新で、思わず手に取ってしまった。天井は高く、通路はゆったりしているし、中央部に低い書架が集められているので、書架の写真ほどの圧迫感はない。9時30分近くになって図書館を出て、10時のイベント開始には何とか間に合った。

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 (左)一般書。(中)郷土資料。お茶に関する資料。(右)宇治市史の平積み。

 

オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1

今回のイベントの会場は宇治市川東集会所。宇治市に約130か所ある「集会所」のひとつらしく、宇治市の観光スポットの起点となる京阪宇治駅から徒歩2分という好立地にある。ウィキペディアタウンは図書館でやるのが理想だとは思うけれど、ウィキペディアタウン丸亀城下町と今回とで公民館のありがたさを感じた。『宇治市史』のような厚い本から、『やさしい宇治の歴史』(役に立った)のような軽い本、パンフレットなどの薄い本まで、並べられていた文献は相変わらずバランスがよかった。

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 (写真)イベントのために是住さんが集めた文献。

 

今回のイベントは「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」の森田さんと京都府立図書館の是住さんが大学院で行っている研究も兼ねている。「-未来をつくる会」は、「源氏物語」「平等院」「宇治茶」という3大コンテンツを基盤におきながらも、これら以外の「ちはやぶる価値」(地理的背景や歴史的背景)でまちづくりをしようという団体。ふたりの挨拶のあと、Miya.mさんによるWikipediaの説明、坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明、高橋徹さんによるStrolyの説明と続いた。

Miya.mさんのスライドは毎回少しずつ変化している。今回であれば「博多祇園山笠の写真は曳き手の肖像権と山笠の著作権の関係でWikimedia Commonsにはアップロードできない」という話があった。「アメリカ合衆国著作権法が絡んでくるCommonsにはアップロードできないがウィキペディア日本語版にはアップロードできる写真がある」という理屈は、いつまで経っても理解できない。

坂ノ下さんは「なぜ私たちが地図を作る必要があるのか」という説明を強調する。「様々な主体が地図を提供すること」の重要性。「街のささやかな変化を記録して将来の投資にする」。OpenStreetMapの説明を聞くことでWikipediaの立ち位置を再認識させられる。最後は丸亀でも聞いた高橋徹さんの説明。丸亀でStrolyの説明を聞いてから、「場所の記憶を地図に表す」自由研究を進めている。この話は後日。

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(写真)是住さんと森田さん。30人以上入って熱気がある部屋。

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(写真)Miya.mさんによるWikipediaの説明のスライド。

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 (写真)坂ノ下さんの熱い説明。

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 (写真)高橋徹さんによるStrolyの説明。

 

宇治のまちあるき

3人の説明のあとはお昼ごはん。おにぎりなどで済ませた参加者が多かった。12時からは約2時間のまちあるき。川東集会所を起点として、宇治橋のたもとにある通圓、橋寺放生院、宇治神社宇治上神社、大吉山、朝日山、興聖寺、恵心院と歩いて川東集会所に戻る。

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(図)今回のまちあるきコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

まずは宇治橋の目前にある茶屋・通圓で、第24代当主通圓祐介さんに解説を聞く。通圓の創業は1160年。歴代当主はこの地で橋守として旅人に茶を提供してきたらしく、その時々の権力者からもひいきにされていたらしい。現在の建物は1672年に完成。今回作成したWikipedia記事「通圓」には昭和初期の写真を掲載したが、もちろんこの時から建物は変わっていない。

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 (左)昭和初期の通圓。(右)通圓の建物前で解説を聞く参加者。

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 (左)通圓前から見た宇治川。1996年以前は写真左側から奥に向かって架かっていた。(右)OpenStreetMapを元に作成。

 

通圓を後にして宇治神社方面に向かう。初夏の休日ということで観光客は多かったが、 「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」ののぼりのおかげで誰もはぐれずに済んだ。このあたりでもっとも知名度のあるスポットは宇治神社宇治上神社であり、それぞれの境内を通ったものの、両社は今回のイベントの執筆対象ではない。イベント前にはすでにWikipedia記事がある程度充実していたので執筆候補から外したらしい。宇治神社の氏子は旧宇治地域、宇治上神社の氏子は槇島地域の住民だと聞いたが、宇治市の旧市街地にある縣神社と宇治神社/宇治上神社の関係はどうなっているんだろう。

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(左)こんな道でも車の往来は多くて興ざめ。(左)宇治川の川辺。

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 (左)川に近いほうは宇治神社。(右)山側にあるのは宇治上神社

 

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(写真)宇治神社拝殿。ウィキペディアタウンに参加するとイベント風景を撮ることに意識が働くので、Wikipediaに掲載するための写真を撮り忘れる。右のように人が入らないタイミングで撮るのは難しいし、きれいな写真を撮ることに集中するとガイドの解説を聞き漏らしたりする。

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 (写真)世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産である宇治上神社平安時代後期の本殿は国宝。Wikipedia的には人が入らないように撮れ、という説明写真2枚。

 

標高20mほどの宇治市街地から、標高130mほどの大吉山と朝日山に登る。大吉山展望台からは、平等院のある宇治市街地、巨椋池干拓地、男山方面が見えた。宇治川巨椋池と宇治の町の関係を説明するのにこの展望台は都合のいい位置にある。琵琶湖南端部の瀬田から山間部を流れてきた宇治川は、宇治の街で平地に出る。宇治より下流には広大な巨椋池が広がっていた。宇治川を下ってきた木材が巨椋池を経由して、木津川を上って奈良まで運ばれていた時期もあったらしい。

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(写真)大吉山展望台。川向こうに平等院宇治市の旧市街地が見えた。

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(写真)大吉山と朝日山の中間にある四差路。奥が朝日山。

 

朝日山を下ると曹洞宗興聖寺。大吉山や朝日山から先のまちあるきはさすがにダレた。特に今回のまちあるきには寺社が5つも含まれていた。宇治神社宇治上神社の関連はともかく、橋寺放生院・興聖寺・恵心院の3寺も何かしらの関連があるのだろうけど、よくわからなかった。中近世の歴史は人物名など固有名詞の予備知識がないと解説が頭に入ってこない。もともとまちあるきは2時間の予定だったが、結果的には2時間45分かかった。

今回は宇治市周辺からの参加者が一定数いたし、歴史や寺社に造詣の深い参加者も多かったのだと思うが、ちょっと詰め込みすぎたのではないのかとも思った。

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 (写真)曹洞宗興聖寺。異国風? 黄檗宗風?の山門。

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(左)宇治十二景のひとつである琴坂。紅葉の名所。(右)宇治発電所から流れてくるたっぷりとした水量の水路。

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 (写真)あじさいの名所・恵心院。

 

ウィキペディアを編集する

当初の予定ではまちあるき2時間、編集作業2時間だったが、結果的にまちあるきが2時間45分程度かかったので、川東集会所での編集作業は1時間強に減った。ウィキペディアチームの4グループはそれぞれ「通圓」(新規作成)、「朝日山」(新規作成)、「興聖寺」(加筆)、「恵心院」(加筆)を担当し、事前に準備された文献で作業に取り掛かった。

私は4人で「通圓」を担当するグループに入った。今回の4記事の中ではいちばん「歴史」要素が薄い。まずは全員で15分程度文献を読み、Wikipediaに書けそうな部分を探して付箋に書き込む。付箋の内容を全員で共有して節構成などを決めた後、まずウィキペディア編集経験者の榎さんが記事の外枠を作る(通圓の初版)。その後、私は「歴代当主」の表を作成し、通圓公式サイトから昭和初期の建物の画像を探してきて追加(差分)。ウィキペディア初編集のMさんは通圓の「特色」と「沿革」を(差分)、同じくウィキペディア初編集のKさんは「登場する文芸作品」を加筆する(差分)役割分担を行った。編集時間は短かったが形にはなった。

通圓を説明する上でいちばんの特徴は、平安後期の1160年に創業している超長寿企業であるということ。 『雍州府志』(1686年)や『都名所図会』(1780年)にはもちろん掲載されており、これらは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(はず)。江戸時代より前の地誌や名所図会にも掲載されているはずで、その画像1枚だけで何行の文章よりも説得力のある記事になる。なお、現時点のWikipedia記事「通圓」にでは 『雍州府志』の画像も『都名所図会』の画像も掲載されていないので、どなたか通圓に興味のある方はデジタルコレクションを閲覧するなどして掲載してください。

 

ところで、宇治は「川霧が立ち冷涼で霜の少ない」ため茶の栽培に適しているらしい。今日の宇治茶の主産地は宇治市ではなく和束町南山城村・宇治田原町木津川市であるけれど、これらの自治体も中近世の宇治と同じ条件を備えているのだろうか。宇治川流域(宇治市・宇治田原町)と木津川流域(和束町笠置町)は30km近く離れているので気候などは大きく違いそうなものだけれど。

また、茶業統計を見ると玉露の多い宇治田原町碾茶の多い和束町、煎茶の多い南山城村かぶせ茶の多い木津川市と特徴が異なっているけれど、これは何を意味しているのだろう。そもそも玉露碾茶かぶせ茶の違いがよくわからない。通圓での祐介さんの説明はぼんやり聞いていたけれど、Wikipediaに書くために文献を調べるといろいろ疑問が出てくる。

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(写真)1863年刊行『宇治川両岸一覧』。このように通圓を主題として書かれた絵図が何枚もある。

 

 

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(上)机を4-5人で取り囲むウィキペディアチーム。(下)横一列に並ぶOSMチーム。

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 (写真)成果発表。

 

 さて、「オープンデータソン2017 in 宇治」は4回連続シリーズの第1回。1か月に1回のペースで9月まで行う。ぴちぴちの院生2人による大学院の研究の一環ということで、オープンデータ京都実践会のこれまでのイベントより計画と評価と改善に重みを置いているのだろう。4回目が終了してどんな研究結果が出るのか楽しみ。

 

7月08日(土) ウィキペディアタウンin豊中 とよ散歩

7月23日(日) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

7月29日(土) 伊丹市(募集開始前)

8月26日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

9月30日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

「多治見市図書館」を加筆する

昨今の厳寒季にありて何一つ暖房設備のない読書室に孜々として読書に余念のない青年の姿を眺める時日本はまだ亡びずの感を深くした

— 『週刊たぢみ』1947年2月22日

 

 

2017年5月30日・31日・6月1日の3日間、ウィキペディア記事「多治見市図書館 - Wikipedia」が強化記事としてメインページに掲載されました。その後6月上旬に投票が行われ、2017年5月期のWikipedia:月間強化記事賞 - Wikipediaを受賞しました(どちらも内輪の投票ごっこです)。本エントリーはFacebookからの転載・修正。

 

多治見市図書館を訪れる
2016年夏にはLibrary of the Year受賞館をいくつか訪れて、ウィキペディア記事を作成したり加筆しました。伊那市立図書館、静岡市御幸町図書館、鯖江市図書館。その一方で自宅からいちばん近い受賞館である多治見市図書館を避けていたのは、この図書館の受賞理由がよくわからなかったから。2016年8月に初めて訪れたのですが、3階にある陶磁器資料コレクションはすごいと思ったものの、図書館に関する文献を調べることなく写真だけ撮って帰りました。

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(写真)2016年8月のまなびパークたじみ。曇天。

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(写真)2016年8月の多治見市図書館の館内。2階と3階の写真だけ撮った。

 

多治見市図書館に気付く
この2017年4月には岐阜県立図書館に行く機会があり、たまたま、多治見市図書館の事業年報を初めて閲覧しました。多治見市図書館の事業年報は70ページものボリュームがありますが、図書館の沿革に関する部分はたった1ページしかなく、役に立ちません。しかし、郷土資料の収集に関する部分は図書館が収集にかけている熱意がよくわかります。また、事業年報に書かれている展示やイベントの数は目を疑うほどでした。展示やイベントについては写真も掲載されています。


5月には約1年ぶりに多治見市図書館を訪れました。実は前回の訪問時には4階の郷土資料室に入り損ねていました。多治見市図書館は2階と3階が開架。郷土資料室は開架とは別フロアの4階にあり、中の見えない扉を開けるのを躊躇していたのです。
この郷土資料室は半分が地域資料の書架として、半分が事務室として使われています。入口側半分の書架をびっしりと埋める地域資料からは、この図書館のキモは郷土資料室なのだということを悟りました。2015年のLibrary of the Year受賞については中日新聞岐阜新聞が記事を書いていますが、いずれも3階の陶磁器資料コレクション8000点に焦点を当てており、4階の郷土資料室のすごみは伝わってこないのです。
事務室はそのままレファレンスの窓口にもなっているようです。前月に岐阜県立図書館で多治見市図書館の文献を探した経験から、司書に「まなびパークたじみ移転前の歴史に関する文献が少ないですね」と言ったら、多治見市史刊行時に集めたらしい資料(蔵書扱いになっていない資料)を事務室の棚から出してくれました。その一部は『多治見市誌稿』を原典としていましたが、岐阜県立図書館ではこの文献を見落としていました。

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(写真)2017年5月のまなびパークたじみ。つつじは終わりかけだが快晴。

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(写真)多治見市図書館4階の郷土資料室。

 
多治見市図書館についてまとめる

5月中に少しずつ多治見市図書館の文献を文字にし、24日に既存のウィキペディア記事「多治見市図書館」に加筆しました。

多治見市図書館といえば陶磁器資料コレクションが注目され、2015年にLibrary of the Yearを受賞したことが特筆されますが、このウィキペディア記事の文章の中心はそこではありません。『岐阜県公共図書館の歩み』『岐阜県教育史』『図書館白書ぎふ』『多治見市の教育』などにわずかずつ書かれている、20世紀中の数少ない記述を寄せ集めて作った歴史節が記事の中心です。

多治見市図書館の陶磁器資料コレクションやLibrary of the Yearについてはググれば出てきますが、歴史的な記述は図書館の本の中に眠っています。ネット時代で見えにくくなっているそれらの文献について、濃い味付けをすることなく、バランスよくまとめて提示することを心掛けています。

 

多治見市は岐阜県で3番目に市制施行したという歴史があります。また、戦後すぐの時期に一市民の発案で図書館が設立されたというエピソードもあります。このような歴史の豊かさ・文化度の高さが陶磁器資料コレクションの根底にあると思ったため、「歴史」節は「特色」節よりも前に置いています。

本ブログの冒頭に置いた引用句は、1947年の開館当時に『週刊たぢみ』に掲載された文章です。資金や蔵書にかける時期にもかかわらず図書館を設置した郷土の自治体に対する誇りが伝わってきます。またこの記事には、建物の変遷を視覚的に理解できるような画像もいくつか掲載しています。

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(左上)煙突が林立する1950年の多治見市。(右上)昭和20年代に図書館が併設されていた消防会館。(左下)1960年の旧幼稚園舎時代(右下)1977年から図書館に使用された旧多治見市民病院。

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(左)英語多読コーナー。(右)陶磁器資料コレクション。


日本一暑い町で汗水たらして陶磁器資料を集めている司書の苦労までは調べきれていません。多治見市図書館に関心のある方は、ぜひこの図書館に関する情報提供をお願いします。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。オリジナルサイズの画像はすべてWikimedia Commonsの

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ウィキペディアタウンin鶴舞に参加する

2017年6月3日(土)、名古屋市鶴舞中央図書館で開催された「ウィキペディアタウンin鶴舞」に参加しました。

主催者によると、今回のイベントは「地域の文化や歴史について、フィールドワークと文献調査を行ってからウィキペディアを編集するワークショップ」であり、「参加者は調べる楽しさを体感し、図書館の活用方法や地域の歴史についての理解を深める狙い」があるとのこと。

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 OpenStreetMapから切り出した鶴舞公園の地図。左側中央に鶴舞中央図書館。右側中央の竜ヶ池まで行って帰って70分。

www.facebook.com

 

イベント準備(1)

このイベントはにんげん図書館(山本茜さん)と鶴舞中央図書館の共催。まちあるきガイドは昭和区案内人クラブに依頼し、鶴舞公園を管理する名古屋市みどりの協会も協力してくださっています。私はウィキペディアンとしての協力者という立場。全体のコーディネートはにんげん図書館、場所や資料の提供は鶴舞中央図書館、まちあるきガイドは案内慣れしている市民団体と、それぞれが得意な分野で役割を分担するイベントとなりました。

peoplelibrary.net名古屋市:昭和区案内人クラブ(昭和区)

 

午前中はフィールドワーク(鶴舞公園のまちあるき)、昼食をはさんで午後にはグループワーク(ウィキペディアの編集)という流れは他地域のウィキペディアタウンと一緒ですが、アイスブレイクや振り返りを重視するそのスケジュールにはにんげん図書館流の個性が出ていました。
また、フィールドワーク前には図書館の齋藤さんが「ウィキペディアタウンとは」、グループワーク前には私が「ウィキペディアの記述方法」について説明してはいるものの、その合計時間は30分弱。2週間前に参加した「ウィキペディアタウンin丸亀」では計70分だったので、鶴舞では説明時間をかなり抑え、参加者の負担を減らしています。


いわゆるウィキ記法を口頭で説明されても理解するのが容易ではありません。最近のイベントではウィキ記法を口頭で説明するだけでなく、紙に印刷して配布するケースも多いように思われます。編集方法の説明は簡単に済ませ、ウィキペディアの特徴とか役割について詳しく説明するのが主流になってきた感じです。

www.slideshare.netwww.youtube.com

 

イベント準備(2)

今回の題材は鶴舞中央図書館がある「鶴舞公園」。まずは主催者側で「八幡山古墳」「奏楽堂」「噴水塔」「普選壇」「名古屋市鶴舞公園附属動物園」「鶴々亭」「竜ヶ池・酒匂の滝」「胡蝶ヶ池」の8か所を編集候補(まちあるきガイド候補)に選び、この段階で鶴舞中央図書館が文献がどれだけあるか確認します。その後昭和区案内人クラブさんを交えたミーティングを行い、10か所が最終的なまちあるきガイドスポットとなりました。

5月1日にはFacebookのイベントページを中心として広報を開始。同日発行の『広報なごや』、鶴舞中央図書館でのチラシ配布、にんげん図書館ウェブサイト・SNSなどでの宣伝を行っています。申込時点でウィキペディアタウンへの参加経験と属性(職業)を聞いており、イベントまでに主催者側でグループ分けを行いました。

ウィキペディアタウンの参加経験者は円周率3パーセントさんなど6人が早くから参加を表明していたこともあり、5グループに1人ずつ編集経験者を配置できました。私は前日までに奏楽堂・噴水塔・普選壇などの写真を撮影してWikimedia Commonsにアップロードしたほか、当日用意される文献の中から著作権面で問題ない写真や絵葉書を何枚かアップロードしています。f:id:AyC:20170608091748j:plainf:id:AyC:20170608092718j:plainf:id:AyC:20170608091751j:plain

 (写真)事前にとっておいた写真の一部。奏楽堂、鶴々亭、噴水塔。

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(写真)事前にアップロードしておいた絵葉書類。上3枚は関西府県連合共進会(1910年)時、下3枚は1920年代-1930年代。下の左側2枚は当時珍しかった夜間の電飾。

 

 

鶴舞公園をあるく

イベント前々日と前日とは打って変わって、6月3日(土)のイベント当日は絶好のまちあるき日和でした。同日に開催された「Wikipedia Town 沼津 #2」より1時間遅く、10時にイベント開始。昭和区民は少なかったかもしれませんが、関西からやってきた3人を除けば、多くが名古屋市在住・在勤者だったように思えます。公共・大学の図書館員や名古屋スリバチ学会の方が目立っていました。

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(上)受付開始前の会場。中央の文献机の周囲に5グループを配置。

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(左)ウィキペディアタウンの説明を行う鶴舞中央図書館の齋藤さん。(右)グループごとのアイスブレイクをフィールドワーク前に行う。ウィキペディアタウンでは意外とみかけないパターンだった。

 

イベント参加者は5グループ×約6人で約30人。30人全員で鶴舞公園をフィールドワークして大丈夫だろうかという不安もありましたが、よく晴れた上に穏やかな気候だったこの日、思ったほど人はいません。ただ70分で10か所の説明はやや多かったようで、10分ほど予定時間をオーバーしています。このフィールドワークには毎日新聞の記者の方も同行し、翌日には地方版にイベントの記事が掲載されています。

日ごろから鶴舞公園をガイドしている昭和区案内人クラブの方々の説明はとてもおもしろい。今回のイベントに向けていくつもの文献をめくり、鶴舞公園についての予備知識を付けておいたのですが、それでも各スポットで新たな発見がありました。

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 (写真)図書館を出て鶴舞公園を歩く参加者。「かつて60本のヒマラヤスギが植えられたが、オリジナルの樹は数本しかない」という説明が昭和区案内人クラブから入る。右の大木がオリジナルの樹。

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 (写真)噴水塔前での昭和区案内人クラブの説明。口頭だけでなく古写真などの資料も使います。

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 (写真)昭和区案内人クラブはポイントごとに案内人が入れ替わる。庭園内に設置されている銅像や奏楽堂の説明。1枚目は9歳の少女像「ベアトリーチェ」、2枚目は「踊り子」。

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 (写真)胡蝶ヶ池の説明。北側部分の池の脇に植わっているアカメヤナギ(3枚目)は公園の造成以前から自生しているらしく、この地がかつて沼沢地だった時代の名残を残しているとか。

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 (写真)左は見ごろのハナショウブ園。右は鶴舞公園最高峰の吉田山。吉田山の地盤はJR鶴舞駅の高架と同じ高さだという説明があった。

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(写真)鶴舞中央図書館近くにある鶴々亭と百華庵。本来は有料施設だが緑化センターの好意で入らせてもらえた。名古屋市の制度である認定地域建造物資産となっている。歴史的建造物の位置づけは、上から指定文化財(国・県・市)、登録文化財(国)、認定地域建造物資産(経済的支援あり)、登録地域建造物資産(技術的支援あり)。

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 (写真)普通選挙法を記念した普選壇と、かつてこの地にあった市立名古屋動物園の正門。普選壇に書いてあるのは五ケ条の御誓文。普選壇前は屋外麻雀のメッカ。

 

 

今回の文献

この日に提供された文献は量と質が抜群でした。

『名古屋の公園100年のあゆみ』など、鶴舞公園について調べる際の基本的文献8冊は5グループそれぞれに1冊ずつ配布し、『御大典奉祝名古屋博覧会総覧』(1929年)など、より詳しく調べるための文献約10冊は中央の机に置かれました。5冊ずつ必要な文献はこのイベントのために分館から持ってています。

公共図書館が主催者であり、さらに大都市の図書館だからこそできる提供の仕方でした。雑誌記事から堅い文献や古い文献まで、さらには絵図や写真集まで揃った多彩な文献は、参加者を大きく刺激したようです。提示された文献以外に、イベント中にも図書館内からいくつもの文献が運び込まれました。

イベント中に新聞データベースを使ったグループはなかったと思いますが、「鶴舞公園」ではなく「奏楽堂」のように小さな題材を調べるときは新聞記事も役に立ちます。特に鶴舞中央図書館は中日・朝日・読売・毎日・日経の5紙が揃っていて(愛知県最多)印刷もしやすい、愛知県でもっとも新聞データベースが役に立つ図書館です。

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 (下)本日の文献をすべて集めるとこんな感じ。この量はウィキペディアタウン新記録なのでは。

 

 

ウィキペディアを編集する

配布された鶴舞中央図書館周辺のご飯どころマップを基に、12時から13時は各自で昼食。13時からはグループごとの作成記事を決めるドラフト会議を行い、それぞれ「竜ヶ池」「普選壇」「市立名古屋動物園」「吉田山」「鶴々亭」を担当することが決定しました。

鶴舞公園の目玉となる建物は名古屋市公会堂(改修工事中のため今回のイベントからは除外)。次に有名なスポットは「噴水塔」や「奏楽堂」などであり、文献の量からもこの2つは作成してほしいと思っていましたが、これらを選んだグループはありませんでした。昭和区案内人クラブはフィールドワークで各スポットをとても平等に案内していました。また、参加者の中に地形好きが多かったのも影響しているかもしれません。

 

文献はもとからかなりの量でしたが、イベント中にどんどん増えていくのは図書館開催ならではです。図書館で1929年の名古屋新聞を探して記事に反映させたグループがあり、また50年以上前の文献に掲載されている写真を記事に反映させたグループもありました。

昭和区案内人クラブの方は午後のグループワークにも何人か残ってくださいました。文献を読んでわからない点は案内人に聞くことができ、用意された文献(主)と案内人の知識(従)をバランス良く活かしていたように思えます。

奏楽堂や噴水塔は文化財指定されており、一定量の文献が見込めます。一方で池や丘などの地形は一般的に文献が少なく、「竜ヶ池」や「吉田山」や「動物園」というキーワード単独ではほとんど情報が得られません。竜ヶ池の水源の場所を突き止めようとしたり、吉田山にあった建物や貝塚を探ることで道を開いたり動物園の設立にかかわった今泉七五郎に興味を持ったりと、それぞれの方法で一つの記事を完成させています。

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(写真)各グループの作成記事を決めるドラフト会議。被ったらじゃんけん。

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(写真)各グループの担当記事。スクリーンでは編集作業の残り時間を秒単位でカウント。残り1時間43分。

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 (写真)5グループそれぞれの編集の様子。

 

成果発表後、山本茜さんから「今回のイベントは知るプロセスが目的」(知ること自体が目的ではない)というコメントがありました。ウィキペディアタウンというイベントをうまく表しているコメントですが、イベントに参加したことのないウィキペディアンにはイベントの主旨が理解されていないように思われます。ウィキペディアのコミュニティに対してどうPRしていくのかは悩ましいところです。

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 (写真)成果発表。

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 (写真)イベントは終了したはずなのに文献に群がる参加者。

 

ウィキペディアタウン 鶴舞の情報、世界に発信 市民ら記事作成 名古屋/愛知」2017年6月4日、毎日新聞地方版

https://mainichi.jp/articles/20170604/ddl/k23/040/076000c?ck=1

 

 

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