振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

下仁田町を訪れる(3)

(写真)下仁田ネギの畑。

2024年(令和6年)1月と10月、群馬県甘楽郡下仁田町を訪れました。「下仁田町を訪れる(1)」「下仁田町を訪れる(2)」からの続きです。「下仁田町の映画館」に続きます。

 

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1. 下仁田町の農業

1.1 下仁田ネギ

下仁田町といえば下仁田ネギです。一般的にネギは春に植えて秋に収穫する作物であり、栽培期間は7~8か月のようですが、下仁田ネギは秋に植えて翌年の秋に収穫する作物であり、12か月~15か月もかかるようです。

(写真)下仁田ネギの畑。

 

1.2 下仁田こんにゃく

下仁田町といえばネギのイメージがありましたが、実際には下仁田こんにゃくの畑を見かけることのほうが多かったです。こんにゃく芋もネギ同様に冬が旬の作物であり、訪れた時期には収穫前の茎や葉を見ることができました。こんにゃく芋サトイモ科の植物ではありますが、サトイモとは全く異なる形状の葉であり、地面から数十センチの場所に密生している独特の姿です。

(写真)下仁田こんにゃくの畑。

(写真)下仁田こんにゃくの畑。

 

下仁田町歴史館には下仁田こんにゃくに関する展示物は多数あり、下仁田ネギよりも推しが強い印象を受けました。国道254号沿いには下仁田こんにゃく観光センターがあり、乾燥中の下仁田こんにゃくが並べられていました。

(写真)佐藤式こんにゃく切り機。下仁田町歴史館の屋外展示物。

(写真)こんにゃく切り機。下仁田町歴史館の展示物。

(写真)乾燥中のこんにゃく。下仁田こんにゃく観光センター。

 

2. 諏訪神社

1. 諏訪神社

下仁田市街地の西端、鏑川の河岸には諏訪神社があります。下仁田町観光協会のウェブサイトでも言及されていますが、龍や獅子などが彫られた社殿・本殿の彫刻、屋根が連結した社殿・幣殿・本殿の様式などが特徴のようです。彫刻については『寺社の装飾彫刻 関東編上 東京・埼玉・群馬』(日貿出版社、2012年)でも紹介されています。

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

 

社殿は天保8年(1837年)に造営されたもの。霊獣や花鳥の彫刻がびっしり彫られ、人物としては四仙が彫られています。

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

(写真)諏訪神社

下仁田町を訪れる(2)

(写真)看板建築の生活雑貨店やまだや。

2024年(令和6年)1月、群馬県甘楽郡下仁田町を訪れました。「下仁田町を訪れる(1)」からの続きです。「下仁田町を訪れる(3)」「下仁田町の映画館」に続きます。

※本記事は2024年1月に投稿した「下仁田町を訪れる(1)」と「下仁田町の映画館」から分割したものです。

 

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2. 下仁田市街地の通り・路地

2.1 通り:上町通り

(写真)上町通り。

 

2.2 通り:仲町大通り

(写真)仲町大通り。

(写真)仲町大通り。

 

2.3 通り:仲町本通り

(写真)仲町本通り。

(写真)仲町本通り。

 

2.4 路地:下仁田駅前通り

(写真)下仁田駅前通り。

(写真)下仁田駅前通り。

 

2.5 路地:中央通り

下仁田駅前通りの先には車が入れない中央通りがあり、Googleストリートビューでもこの通り沿いは写真がありません。

(写真)中央通り。

(写真)中央通り。

(写真)中央通り。

(写真)中央通り。

 

中央通りのほぼ真ん中には「撞球場」があります。戦前から昭和40年代まで営業していたビリヤード場とのことで、2023年(令和5年)7月からユーロスペースなどで公開された短編映画『たまつきの夢』のロケ地となりました。

(写真)中央通り。

(写真)中央通り。

(写真)中央通り。

 

2.6 路地:コロムビア通り

中央通りのすぐ北にも路地があり、複数の飲食店が面しています。すき焼き店コロムビアが目立つので、便宜的にコロムビア通りとします。コロムビア通りが中央通りにつながる三叉路の手前には、映画館「下仁田劇場」の跡地があります。

(写真)コロムビア通り。

(写真)コロムビア通り。

神流町万場の映画館

(写真)万盛座の建物と十石街道。

2024年10月、群馬県甘楽郡神流町(かんなまち)万場を訪れました。かつて万場には映画館「万盛座」と「力春座」があり、万盛座の建物は自動車整備工場として現存しています。

 

1. 神流町万場を訪れる

1.1 万場の建物

万場は神流川に面した十石街道の宿場であり、十石街道は中山道の新町宿から佐久地方に至る脇往還です。十石街道の北15kmには同じく脇往還下仁田街道が並行しており、下仁田街道には近代になって上野鉄道(現・上信電鉄)が開業しますが、十石街道には鉄道が通ることもありませんでした。

商人宿の雰囲気を感じる今井屋旅館は350年以上前の創業とのことで、1891年(明治24年)の大火後に建てられた木造3階建の建物には詩人の尾崎喜八も泊まったそう。旧万盛座のはす向かいにも、廃業した旅館建築が残っています。

(写真)今井屋旅館。

(写真)万盛座はす向かいの旅館建築。

 

世界文化遺産富岡製糸場に象徴されるように、群馬県では養蚕や生糸の生産が盛んでしたが、万場でも明治時代に甘楽社万場組の蔵として建てられた蔵ギャラリー、1938年(昭和13年)に万場町役場土蔵として建てられたギャラリー万が目につきます。

(写真)蔵ギャラリー。

(写真)ギャラリー万(旧万場町役場土蔵)。登録有形文化財

 

2. 神流町万場の映画館

2.1 力春座(1957年頃-1964年頃)

所在地 : 群馬県多野郡万場町87(1964年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1964年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「力春劇場」。1960年の映画館名簿では「力春劇座」。1961年・1963年・1964年の映画館名簿では「力春座」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「群馬銀行万場支店」西南西50mの「神流町営本町団地」。

(写真)万場町に力春座と万盛座が掲載されている『映画便覧 1964』時事通信社、1964年。

(写真)町営本町団地(左)と神流町商工会館

 

2.2 万盛座(1910年以前-1965年頃)

所在地 : 群馬県多野郡万場町291(1965年)
開館年 : 1910年以前
閉館年 : 1965年頃
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1954年・1955年・1958年の映画館名簿では「万場映画劇場」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年の映画館名簿では「万場映画劇場」。1963年・1965年の映画館名簿では「万盛座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。映画館の建物は「石崎自動車整備工場」として現存。

(写真)万盛座に言及している『多野郡誌』多野郡教育会、1910年。

(写真)万盛座の建物(石崎自自動車整備工場)。

(写真)万盛座の建物(石崎自自動車整備工場)。

(写真)万盛座の建物に記された「座盛萬」の文字。

(写真)万盛座の入口だったと思われる部分。

(写真)万盛座の経営者だった大谷秋男。『群馬県菓子業界史』群馬県菓子業者大会本部、1970年。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)万盛座の建物内部。

(写真)案内図「万場宿まわり道」。

(写真)案内図「万場宿まわり道」。

(写真)観光マップ「ぶらり万場宿Guide Map」。

 

神流町万場の映画館について調べたことは「群馬県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(群馬県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

「Wikipediaタウン in 半田運河」に参加する

(写真)半田運河。2020年9月。

2024年(令和6年)10月27日(日)、愛知県半田市で開催された「Wikipediaタウン in 半田運河」に参加しました。

 

1. 小栗家住宅と_unga(スペースウンガ)

小栗家住宅は半田市中村町にある邸宅で、主屋など多数の建物が重要文化財に指定されています。周辺は下半田の中心部にあたり、半田運河の左岸に國盛 酒の文化館、旧中埜半六邸、小栗家住宅、ミツカンミュージアムなどの観光施設が並んでいます。

小栗家は半田における名家であり、14代目当主の小栗宏次さんは愛知県立大学で情報学の研究者でありながら愛知登文会の会長も務められています。小栗家は現役の民家ということで、これまで見学できるのは特別公開イベントの際に限られていました。

この2024年(令和6年)4月、小栗家住宅内に観光拠点施設「_unga(スペースウンガ)」がオープンしました。甘酒などのカフェ、酢などの物販コーナーがあるほか、イベントなどにも活用されています。

(写真)「萬三の白モッコウバラ」と小栗家。半田市天然記念物。

(写真)チラシ。

 

2. 「Wikipediaタウン in 半田運河」

2.1 Wikipediaの説明

会場は「_unga」の2階です。14時30分から16時30分までの編集イベントで、ウィキペディアタウンによくあるまちあるき等はなし。参加者は半田市観光協会半田市商工会議所の方などであり、半田運河をよく知っている方ばかりです。

まず伊達深雪さんからWikipediaに関する話を聞き、その後Wikipedia記事「半田運河」の新規作成を主とする編集を行いました。文献は事前に図書館で借りたりコピーして持ち込んでいます。

(写真)「_unga」2階の会場。

 

2.2 半田運河

身近に運河がない地域の方は、運河といったら船舶が通行する閘門式運河(スエズ運河パナマ運河)をイメージするかもしれません。しかし、日本における運河は単なる水路であることが多く、大部分は水上交通路としての役目を終えて産業遺産化しています。小樽運河のように観光スポットとしてとなっている場所もあり、近年の半田運河は「半田運河周辺の観光エリア」という定義が適当かもしれません。

これらの変遷を把握するのがややこしく、Wikipediaに記事を書くとなると厄介です。この点で躓いている方もいましたが、近年の半田運河周辺では多様な取り組みが行われており、調べるのが魅力的なテーマでもありました。

(写真)文献。

 

編集記事

半田運河 - Wikipedia - 新規作成。

旧中埜半六邸 - Wikipedia - 新規作成。