振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。東京ウィキメディアン会・関西ウィキメディアユーザ会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などを書きます。

「没年調査ソンin福井」に参加する

「福井ウィキペディアタウンin足羽山」前日の2018年5月26日(土)、福井県立図書館で「没年調査ソンin福井」に参加しました。主催はウィキペディアタウンと同じく「自主勉強会県庁アゴラ『チーム福井ウィキペディアタウン』」です。

 

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没年調査ソンVol.2を開催いたします! | ししょまろはんラボ - (参考)2017年11月に京都府立図書館ナレッジベースでししょまろはんが主催した没年調査ソン。

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(写真)この日の福井県立図書館。

 

会場は福井県立図書館の事務室。まずは国立国会図書館関西館佐藤久美子さんが作成した「国立国会図書館の没年調査について」という資料が配布され、チーム福井ウィキペディアタウンの鷲山さんたちから没年調査のやり方や意義についての説明を受ける。

佐藤さんの資料によると、「インターネット公開のためには権利処理が必要」とのこと。“権利処理にはいくつかの手順があるが、没年調査によって保護期間が満了した著作物についてはそのまま利用が可能となる。没年調査によって保護期間が満了していないことが判明した著作物や、没年調査でも没年がわからなかった著作物については、連絡先調査、文化庁長官裁定申請などを行う”とのこと。すこし説明を聞いただけでも作業の目的や意義は伝わってくる。鷲山さんたちの説明そっちのけで作業を開始してしまいました。

 

佐藤さんの資料のほかには、2種類の福井関連著作者リストが配布されました。片方は国立国会図書館が一通りの調査を行った上で没年が判然としなかった著作者のリスト、もう片方は国立国会図書館でも未調査の著作者のリスト。前者は難易度が高いとのことで、私は後者の調査を行っています。配布されたリストは下の図のような感じ。

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(図)著作者リストのイメージ。※本物のリストは取扱注意とのことなので見本です。

 

調査方法はいろいろあるらしい。国立国会図書館デジタルコレクションでの検索、『人物レファレンス事典』等の人物事典での検索、新聞記事データベースでの検索、新聞や雑誌の訃報欄や訃報記事、大学や団体の同窓会名簿など。なお福井新聞はデータベースを公表していないので一般人は利用できません。

 

今回の参加者は約10人。私以外はほぼ全員が図書館司書だったので、難しい調査は日頃から実践を重ねている本職にお任せしました。私は日外アソシエーツの『福井県人物・人材情報リスト』という人物事典を用いて、配布された著作者リストの250人分ほどの照合を行いました。

著作者リストと『福井県人物・人材情報リスト』を見比べ、『福井県人物・人材情報リスト』に「福井太郎」「富山三郎」「長野四郎」が掲載されていないか調べていきます。著作者リストに掲載されている人物のうち、15人に1人くらいは『福井県人物・人材情報リスト』にも掲載されており、最終的には16人の没年を判明させることができました。

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 (写真)没年を判明させられた人物。参加者全員分。

 

没年を判明させられた人物

佐久高士(1902-1980)…福井工業大学教授

寺岡竜含(1910-1994)…光教寺住職

杉原丈夫(1914-1999)…福井大学教授

八木源二郎(1915-1986)…福井山岳会会長

坂本政親(1917-2003)…福井大学名誉教授

池内啓(1920-2015)…福井大学教授

三上一夫(1921-2014)…清水町清水中学校長

原子光生(1922-2010)…時雨窯主宰

鳥海勲(1924-2000)…福井大学教授

瀬川洋(1924-2011)…福井大学教授

嶋田正(1925-2006)…福井大学教授

白崎昭一郎(1927-2014)…福井県武生保健所所長

坪口純朗(1932-2012)…福井リアーベ児童合唱団主宰

長谷川健二(1934-2011)…福井大学教授

稲沢俊一(1941-2003)…福井県教育長

本多義明(1942-2015)…福井大学教授

 

私は高校生などでもできる調査方法を取りましたが、特定の人物に着目して国立国会図書館デジタルコレクションや書籍にあたった参加者が多かったようです。文献調査能力が試されます。全参加者で32人の没年を判明させることができ、うち10人は没後50年経過などで保護期間が満了していたとのこと。この10人の著作物は今後、国立国会図書館がデジタル化資料をインターネット公開できるようになるとのことです。意義のある作業だし調べるのは楽しかった。次はより難易度の高い作業をしてみたいと思いました。

 

夜は福井県立図書館近くのそば屋「かくれ庵」で懇親会。翌日は朝から「福井ウィキペディアタウンin足羽山」です。

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「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」に参加する

ayc.hatenablog.com

海士町中央図書館を訪れる」からの続き。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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 「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」の主催者は西ノ島町教育委員会ですが、イベントの企画・運営は横浜にオフィスを構えるアカデミック・リソース・ガイド(ARG)の下吹越香菜さんと李明喜さんが担当しています。  4月14日(土)の伊丹空港隠岐空港便が欠航となり、講師のMiya.mさんは急遽不参加に。15日(日)の「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」に参加するウィキペディアンは私一人となりました。

 14日は海士町を刊行し、島前3島を巡廻している「内航船」で中ノ島(≒海士町)から西ノ島(≒西ノ島町)に渡って「民宿 福来朗」(ふくろう)に泊まりました。着いた時は暗くて見えませんでしたが、この宿から西ノ島町コミュニティ図書館は60mの近距離。泊まった部屋から建物が見えました。2018年夏に開館するこの図書館の建物はすでに完成しており、内装や駐車場の工事中でしょうか。西ノ島町の中心集落である浦郷地区までは300mの距離です。

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(写真)2018年夏に開館する西ノ島町コミュニティ図書館「いかあ屋」。

 

 「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」の会場は西ノ島町中央公民館。公民館はノア(noah)という名称の巨大な複合施設の2階にあり、2階の一部屋が公民館図書室となっていますが、書架は廊下にも並べられています。

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(左)複合施設のノア。(中・右)公民館図書室前の廊下。

 

 今回のスケジュールは以下の通り。本来ならMiya.mさんが「ウィキペディアの説明」や「講評」をする予定であり、私は編集サポートという立場でしたが、Miya.mさんが使うはずだったスライドをいただいて私がウィキペディアの説明をさせてもらいました。なお、「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」は4月と5月の2回連続のプログラムであり、今回はその第1回です。

スケジュール

10:00-10:30 オリエンテーションウィキペディアの説明

10:30-11:30 浦郷のまち歩き

11:30-12:30 昼食

12:30-15:30 調査・編集

15:30-15:50 成果発表・講評

15:50-16:00 クロージング、次回の開催案内

 

 今回のイベントには西ノ島町の住民、西ノ島町役場の職員、西ノ島町にある焼火神社 - Wikipedia(たくひじんじゃ)の宮司である松浦さん、海士町にある島根県立隠岐島前高等学校 - Wikipediaの生徒4人、など10人が参加。公民館図書室の職員、企画運営の香菜さんと李さんもこれに加わっているので実質的には15人くらいのイベントです。

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(左・中)編集ワークショップの会場。(右)準備された飲み物や菓子類。

 

 10時30分からは約1時間のまちあるき。前日はひどい雨であり、当日朝も曇っていましたが、どんどん天候が回復して青空の下を歩くことができました。目的地は「由良比女神社」(ゆらひめじんじゃ)と「浦郷のまちなみ」の2つ。明確なガイド役の方こそいませんでしたが、焼火神社の宮司である松浦さん、西ノ島町役場の職員や公民館図書室の職員などからはいろいろな話を聞くことができました。

 由良比女神社はイカにまつわる伝承が有名なようであり、鳥居の前の海の中に「手づかみでイカを取る島民」の看板があったり、境内の林に巨大なイカの人形が建っていたり、拝殿や石灯籠にイカの姿が彫られていたりします。立派な随身門や土俵もありました。浦郷地区のメインストリートを通って公民館に戻り、「あすか」で昼食。

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(地図)今回のまちあるきルート。出典 : OpenStreetMap。作者 : OpenStreetMap contributor。

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(左)浦郷湾に向かって建つ鳥居。(中)隠岐島前高校の島留学生と香菜さん。(右)初代浦郷村長である今崎半太郎の銅像

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(写真)由良比女神社。式内社隠岐国一宮。(中)拝殿の上部にイカの彫り物を見つけた親子。(右)境内にある土俵。

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(左)神社の石灯篭の基礎にもイカ。(右)マンホールの蓋に書かれたイカ

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(写真)お昼ごはんを食べた「あすか」。

 

 午後は公民館に戻って調査・編集作業。「由良比女神社」を加筆するグループ、「西ノ島町」を加筆するグループの2グループに分かれ、それぞれのグループに香菜さんと李さんが入りました。私はグループに入らずに室内を動き回っていました。

 香菜さんと李さんはこれまでに2回のウィキペディアタウンに参加して編集方法を理解しています。編集ワークショップ中の役割分担がうまくいかず混沌とした状況が生まれるウィキペディアタウンもありますが、今回はイベント全体の企画運営者である香菜さんと李さんが編集作業も主導することで、参加者が自分のやるべきことをスムースに見つけていたような気がします。

 大人の参加者にはほぼ自由に編集を行ってもらっていたようですが、高校生に対してはやるべきことを明確に指示し、慣れているペンとノートで作業を行ってもらったようです。高校生の参加者には自前のノートに文章の下書きを作成してもらい、それを香菜さんと李さんがノートパソコンで打ち込んでいきました。高校生の4人はとても集中して机に向かい、かつワークショップを楽しんでいたように見えます。

  

 3時間の調査・編集作業後には、成果発表と講評の時間。「由良比女神社」の記事には、主に神事や伝承についての記述が加筆されました。神社マニアは全国に多数おり、式内社かつ隠岐国一宮であるこの神社の歴史については、現地を訪れなくとも一定の言及を見つけられると思われます。その一方で、神事や伝承については地域資料をあたらなければ言及を見つけるのが苦しいかもしれません。現地では「神社とイカ」にまつわる話を聞いたこともあり、実際に神社を訪れた者ならではの視点で加筆ができたのではないかと思います。

「西ノ島」の記事には、離島ブーム、交通、名所・旧跡、食文化などについての記述が加筆されました。どれもこれも着眼点がおもしろい。イベント開始前の記事には味気ない歴史しか書かれていませんでしたが、離島ブームの文章でおもしろみの要素が加わりました。離島ブームのほかには「船引運河の開通」もこの島の近現代史のエポックメイキングな出来事だと思われるので、今後の加筆に期待したい。加筆された観光地や食文化の文章を読んでいると、その観光地や料理の写真を検索したくなります。西ノ島の料理を並べた表にはわざわざ写真の掲載欄を作ってあるところがにくらしい。

 

編集対象となった記事

由良比女神社 - Wikipedia - 加筆

西ノ島町 - Wikipedia - 加筆

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(写真)編集ワークショップ中の会場。

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(左)今回準備された文献。(右)高校生の参加者が作成した手書きの原稿。

 

 香菜さんや李さんは2年前から「縁側カフェ」の企画運営を担当しており、月1回の頻度で西ノ島に来ているのだそう。西ノ島の歴史にも詳しく、もはやこの島の住民のようです。イベント後には後醍醐天皇を祭神とする黒木御所に連れて行ってもらいました。丘の上にある黒木御所からは別府港が見える。ちょうど本土の境港港を14時25分に出たフェリーが入港するところでした。

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(左)本土から別府港にやってきたフェリー。(右)別府地区のねこ。

 

海士町中央図書館を訪れる

 2018年4月15日(日)、島根県隠岐西ノ島町で開催された「第14回縁側カフェ ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」に参加しました。

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このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。2枚の地図のみは出典がOpenStreetMap、作者がOpenStreetMap contributorです。

 

今回のイベントについて

 2018年夏に「西ノ島町コミュニティ図書館」が開館する島根県隠岐西ノ島町。現在は中央公民館内に図書室が設置されています。西ノ島町コミュニティ図書館が主催、アカデミック・リソース・ガイド(ARG)株式会社が企画運営を担当し、住民向けワークショップとして2017年3月から毎月1回の頻度で「縁側カフェ」が開催されているようです。今回は14回目の縁側カフェであり、まちあるきとウィキペディアの編集を行う「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」という副題が付けられています。

 隠岐ウィキペディアタウンに類似した企画を行いたいということは2017年内から聞いており、他地域とは明らかに異なる要素を採り入れることも聞いていました(これは5月の縁側カフェ)。あくまでも西ノ島の住民向けのワークショップではありますが、企画運営を行っているARGの下吹越香菜さんにアピールしていたおかげで、編集サポートという形で参加させてもらうことができました。

 

 

隠岐を訪れる

今回のスケジュールはこんな感じ。

4月14日(土)

本土の七類港から9時30分発12時40分着の便で海士町の菱浦港へ。海士町を観光後、18時台の便で西ノ島町に移動。西ノ島町民宿 福来朗(ふくろう)に宿泊。香菜さんに教えてもらった宿。電話予約。

4月15日(日)

西ノ島町で「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」。懇親会に参加後、21時台の便で海士町に移動。海士町お泊り処なかむらに宿泊。Booking.comで予約。

4月16日(月)

朝に海士町を散策後、海士町の菱浦港から9時50分発13時20分着の便で本土の境港港へ。

 

 本土から隠岐を訪れる際には空路(伊丹空港隠岐空港)と海路(松江/境港→島前/島後)があります。今回は海路を使いました。本土側の発着港は松江市七類港〔しちるいこう〕か境港市の境港港。隠岐側の発着港は隠岐の島町の西郷港、西ノ島町別府港海士町〔あまちょう〕の菱浦港、知夫村〔ちぶむら〕の来居港〔くりいこう〕です。

 新幹線・特急・バスを乗り継いで松江市七類港まで行き、七類港から隠岐汽船のフェリーで西ノ島に渡りました。松江市七類港から海士町の菱浦港まではフェリーで2時間50分。フェリーのほかに高速船も運行されていますが、いずれにしても一日数往復しかないため、今回のイベントに参加するために前日入りは必須でした。

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(左地図)隠岐諸島4島の位置関係。(右地図)愛知県から隠岐諸島の移動経路。

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(写真)島根県立図書館。菊竹清訓建築設計事務所。1968年竣工。

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(左)私設図書館曽田文庫。(中)松江市八束公民館図書コーナー。(右)境港市立図書館。

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(左)米子市公会堂。1958年竣工。(中)山陰歴史館。1930年竣工。(右)米子市立図書館。

 

海士町中央図書館を訪れる

 土曜日午前中の便で本土から隠岐へ。9時30分に七類港を出たフェリーは12時40分に菱浦港に着きましたが、海士町がある中ノ島に降り立つと雨が降っており、レンタサイクルで島をまわるというスケジュールがいきなり崩れてしまいます。菱浦港で海中展望船あまんぼうに乗船してから、路線バスで海士町中心部に移動し、海士町中央図書館でゆったりと過ごしました。

 

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(左)海中展望船あまんぼうの船内。(中)海中展望船で訪れた三郎岩。(右)本土行きのフェリー。

 

 どうせ屋外を歩けないので、図書館では「海士町中央図書館」そのものについて調べてみました。図書館内では海士町 Free Wi-Fiが使え、電源を使ってノートパソコンを開くこともできます。愛知県には54の自治体がありますが、Wi-Fiも電源も使える図書館(≒自治体)って両手で数えられるほどだと思います。海士町の方が進んでる。

 入口にいちばん近い書架には、海士町に関する本や雑誌や行政資料、海士町が紹介されている雑誌などが集められています。掲示板には海士町隠岐に関する新聞記事の切り抜きが貼ってありました。海士町中央図書館に関する資料を集めたファイルボックスもありました。気軽に本土に行くことができない海士町の住民にとって、海士町が外部からどう見られているか図書館で理解できる意味は大きいのではないかと思います。

 その他にも、コピー・レファレンスサービス・相互貸借などについての説明が目につく場所にあったり、「あまマーレ」やクラブ活動のチラシが貼ってある掲示板があったり、窓枠に本が表紙を見せて並べてあったり、ポットや紙コップやドリップパックが置いてあるセルフのカフェコーナーがあったりと、図書館が「生きている」「動いている」と感じさせられる館内でした。一つ一つの工夫はどこか別の図書館と同じかもしれないけれど、最低70kmも離れた本土の図書館を視察しに行くことは容易ではないはずです。ここはほんとうに離島の図書館なのでしょうか。

 より大きな部分では、児童書のエリアにはこたつがあるし、図書館部分は木造ということで温かみ(陳腐な表現)も感じます。海士町が推進している「島まるごと図書館構想」というプロジェクト名から、中央図書館の蔵書数や設備は貧弱なのだろうと想像していましたが、まったく見当違いでした。

"図書館のない島"というハンディキャップを逆に活かし、中央図書館と島の学校(保育園~高校)を中心に地区公民館や港、診療所などの人が集まる場所を「図書分館」と位置づけ、それらをネットワーク化することで、島全体を一つの『図書館』とする構想です。

「島まるごと」図書館構想 (注)2007年当時は"図書館のない島"だった。

 

 

 図書館からのお知らせの掲示には、写真撮影が可能であることも記されています。念のためにカウンターにいた司書のHさんに撮影の可否を聞いてから撮っていると、図書館系の雑誌などでよく名前を目にする磯谷さんに話しかけられました。2時間半も図書館内にいたうえに数十枚も写真を撮り、地域資料をひたすらめくってはパソコンに打ち込んでいたので怪しい人物に見えたのでしょう。図書館の事業年報をコピーしようとしたら、「視察者には差し上げている」ということで冊子のままもらえました。

 海士町中央図書館の写真については以下のURLにてCC BY-SA 4.0で提供。

Category:Ama Town Central Library - Wikimedia Commons

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(写真)海士町中央図書館の館内。

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(左)窓際の席。(右)寄贈本コーナー。

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(左)児童書エリアのこたつ。(右)公民館内のロビー。(右)衣類のリサイクルコーナー。

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(左)ゲームの貸出。(中)本の探し方・楽しみ方。(右)小説。

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(左)Wi-Fi & 電源使用可。(中)入口にもっとも近い書架。(右)海士町に関する資料。

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(左)セルフカフェコーナー。(中)雑誌や新着本。(右)掲示板。

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(左)図書館からのお知らせ。(右)入口から見た館内。

 

 

 海士町中央図書館を訪れた土曜日は外を歩くのがつらいほどの雨が降っていましたが、日曜日の「ウィキペディア・アイランド in 西ノ島」を挟んで、月曜日の朝はよい天気でした。海士町役場や中央公民館の北側には田んぼが広がっており、鉄筋コンクリート造2階建の中央公民館に木造平屋建の図書館が増築されていることがよくわかります。

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(左)海士町役場。(右)裏手に図書館が増築されている海士町中央公民館。

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(写真)中央左にある赤屋根の木造建築が図書館。

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(左)海士町後鳥羽院資料館。(中)隠岐神社。(右)海士町の菱浦港。

 

 

つづきます。

ayc.hatenablog.com

 

 

 

 

「桜ペディア」に参加する

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。一部を除き著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。桜の写真2枚に関しては作者の表示を参照のこと。地図の出典はOpenStreetMap、作者はOpenStreetMap contributor。

 

 宮澤さんの個人企画「桜ペディア」に参加するために、2018年4月7日(土)には飯田市を訪れました。名古屋からは意外と近い飯田市、高速バスで約2時間です。

 自宅を6時前に出て名鉄に乗り、7時に名鉄バスセンターを出る便に乗ると9時にはもう飯田駅。まずは宮澤さんの車で飯田市内の一本桜をいくつか案内してもらう。まずは元善光寺にある「麻績の里 舞台桜」(おみのさと ぶたいざくら)へ。前日の雨でだいぶ散ってしまったようですが、今回は桜の花ではなく幹や枝を見る楽しさを教えてもらいました。飯田市には樹齢200年を超える一本桜が100本以上あるそうで、これは全国的に見てもかなり珍しいそうです。

 隣には長野県指定文化財(長野県宝)の旧座光寺麻績学校校舎。学校校舎兼人形劇舞台という不思議な建物であり、1984年まで現役の学校校舎だったということに驚く。100m南西には石塚古墳の石室の上に桜が植わっている「麻績の里 石塚桜」があり、こちらもかなりインパクトがある一本桜です。

麻績の里舞台桜 - 飯田市ホームページ

旧座光寺麻績学校校舎 - 飯田市ホームページ

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(写真)「麻績の里 舞台桜」と「旧座光寺麻績学校校舎」。

 

 飯田市街地に戻り、橋北地区の正永寺(しょうえいじ)に。樹齢400年のシダレザクラがありますが、この数年でかなり弱ったとのこと。住職がカメラ好きなのか、公式サイトには桜の写真がたくさん。2017年7月の「ウィキペディアタウンin飯田」でも重要なキーワードとなった「橋北」(きょうほく)と「橋南」(きょうなん)ですが、範囲が漠然とした広域地名は地図やウェブに出てきづらい情報であり、地元の方が何らかの形で発信してほしいと思っています。

圜悟山 正永寺 – 長野県飯田市にある 圜悟山 正永寺 のホームページです

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(写真)正永寺のシダレザクラ。作者 : じゃ・いあん。Wikimedia Commonsより。撮影日は2018年3月29日。

 

 その後飯田市街地を横断して愛宕稲荷神社へ。深い谷を挟んだ対岸には飯田市動物園があります。ここの「清秀桜」(せいしゅうざくら)は飯田市で最も古い樹齢760年とのことですが、幹は正永寺のシダレザクラよりもかなり細い上に樹勢もよい。760年を経ている幹は花を咲かせている幹とは別だろうとのことです。

愛宕神社の清秀桜 - 飯田市ホームページ

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(写真)愛宕稲荷神社の「清秀桜」。作者 : Kzu06。Wikimedia Commonsより。撮影日は2018年4月3日。

 

 飯田市立中央図書館の開館時間である10時を過ぎたところで図書館に向かいます。裏手にはヒガンザクラとシダレザクラの2本が根元でつながった「桜丸の夫婦桜」があります。図書館入口近くでは桜に関連する本の展示が行われていました。図書館でモロタンとも合流し、2階の会議室でそれぞれがPCを開いて編集作業を開始しました。きょう使う文献は宮澤さんや司書のHさんが準備してくれており、司書のSさんも新たな文献を提供してくれました。

 おひるごはんは図書館から徒歩5分の上海楼へ。中華そば(並)と揚げ餃子。餃子がおいしい。中華そばは食べきれなかった。

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 上海楼を出るとその足で飯田市立上郷図書館へ。エプロン姿で働いていた小柄な司書・Iさんが白くまのぬいぐるみを見せびらかしてきました。それどこで買ったの、って聞いてあげればよかったかな。

 中央図書館でもそうですが、上郷図書館でも地域資料の書架に「文献リスト」のファイルが挟んであります。このリストは公式サイトの「いいだの情報・いいだの資料」でも公開されています。書架へのファイル設置、ウェブ上での公開、どちらもとてもいい取り組みだと思うのですが、真似する図書館が少ないのはなぜでしょう。知られてないだけならもったいない。

 上郷図書館を出ると、Iさんの情報をもとに飯田女子高校の裏手にある飯沼諏訪神社へ。モロタンは飯田女子高校に思い入れがあるそうです。上郷図書館ではぼんやりしていたのでこの神社を訪れた理由を覚えていないのですが、諏訪系とのことで太くて長い2本の御柱が立ててありました。Google Mapでは単に「飯沼神社」となっています。

 飯沼諏訪神社河岸段丘の上段と下段の境目にあり、下段からは300段もの石段を上る必要がある。宮澤さんは高校時代に体育の授業でこの石段を上っていたとのこと。単なる道路地図を見ても地形の変化がわかりづらいのですが、航空写真では森が一直線に連なっているのが見えて感動します。下のOpenstreetMapでも森の存在がわかります。

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(左)上郷図書館の地域資料の書架。(右)飯沼諏訪神社御柱

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(地図)この日訪れた一本桜と図書館。

 

 14時30分頃に中央図書館に戻り、宮澤さんが「いとうや」で買った桜餅を食べながら編集作業を行いました。私が編集したのは「愛宕稲荷神社」(新規作成)と「飯田市美術博物館」(加筆)です。神社による発行物として『愛宕稲荷神社 由来記』があり、この『由来記』を基に長野県神社庁ウェブページを作成してくれています。一見すると楽に思えたこの題材ですが、『由来記』・神社庁ウェブページの言及(1185年-1190年に神社が創始)と『名勝愛宕』の言及(1344年生の坂西由政が神社を創始)に約200年もの食い違いがあったことで、この神社の正しい歴史を把握するのに時間がかかりました。

愛宕稲荷神社 - Wikipedia

飯田市美術博物館 - Wikipedia

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(写真)いとうやの桜餅。上が道明寺(関西系)、下が長明寺(関東系)。

 

 図書館の閉館時間である18時まで編集作業をねばる3人。その後は鼎のコメダ珈琲に移動。コメダ珈琲がある国道153号飯田バイパスにはロードサイド店舗が集積しておりにぎやかですが、ひっそり静まり返った飯田市街地からは2kmしか離れていません。この道路は通称「アップルロード」というそうですが、道路の愛称も地図やウェブに出てきづらい情報のひとつだと感じています。

 名古屋までの高速バス最終便は19時30分に飯田商工会館を発車し、19時49分に伊賀良バス停を出ます。この便の時間まで宮澤さんやモロタンと雑談してから帰りました。

 

ふりかえり

 飯田市立中央図書館の司書・Sさんとは2017年1月の「第10回 ウィキペディアタウン×高遠ぶらり」で、上郷図書館の司書・Iさんや鼎図書館の司書・Tさんとは2017年3月の「WikipediaLIB@信州#01」でお会いし、それぞれその後も何度かお会いしています。

 初めて飯田を訪れたのは2017年7月の「ウィキペディアタウンin飯田」。11月には個人的に飯田市立中央図書館・鼎図書館・上郷図書館・喬木村椋鳩十記念図書館をめぐり、今年3月上旬には「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」の帰りに立ち寄って映画を見ました。

 一年前には飯田が名古屋からこれほど近いとは思っていませんでしたが、今では地理的にも心理的にも、長野県でもっとも近い町だと感じています。飯田には4月後半か5月前半にまた一度行く予定です。

「第3回ウィキペディアタウン in 東久留米」に参加する

 3月24日(土)、東京都東久留米市東久留米市立中央図書館で「第3回ウィキペディアタウン in 東久留米」に参加しました。 

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クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。空中写真3枚に関してはライセンス表示を参照のこと。

 

東久留米市を訪れる

 この図書館では2016年9月に第1回(ブログ記事)を、2017年3月に第2回を開催しています。私はこの3回のイベントにすべて参加しているのですが、運営側の人間(講師や主催者)を除けば皆勤賞は私だけではないでしょうか(自慢)。この日は朝から西東京市を徒歩で縦断・横断して集合場所の東久留米市郷土資料室に向かいました。

 

 東久留米市郷土資料室は閉校となった滝山小学校の校舎に設置されています。教室の趣を残す一室で主催者から説明を受けた後、同一階にある郷土資料室を見学し、そのあとまちあるきに出発しました。PCなど大きな荷物は、主催者が車で図書館まで運んでくれるサービスがありました。

 東久留米のウィキペディアタウンでは必ず岡野館長が開催意図などを説明してくださるのですが、岡野さんの説明はいつも深く伝わってきます。講師の顔を立てるためか図書館員が裏方に徹している地域もあり、「なぜこんなイベントを開催するのか」についての説明が主催者から一切ないこともありますが、東久留米では図書館員がうまい具合に前に出てきます。例えば東久留米で“まちあるきガイド”を務めるのは専門のガイドではなく図書館員。第1回イベントではこの点がやや物足りないと感じたのですが、地域資料担当の図書館員を鍛えることも目的なのでしょう。

 

スケジュール

09:30-10:30 主催者挨拶・郷土資料室見学

10:30-12:00 フィールドワーク(郷土資料室=滝山団地=御成橋=図書館)

12:00-12:45 昼食

12:45-14:00 講師による講義「ウィキペディアとは」

14:00-16:20 文献調査・記事作成

16:20-17:00 成果発表・まとめ

 17:00- 図書館内での懇親会

 

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(左)西東京市役所保谷庁舎。(右)西東京市中央図書館。

 

まちあるきする

 前週に参加したウィキペディアタウンin瑞穂と同じく、集合場所(東久留米市郷土資料館)と執筆会場(東久留米市立中央図書館)をまちあるきでつないでいます。GPSログをもとに距離を測ったら3.2kmであり、ウィキペディアタウンとしてはやや長め。

 まちあるきのメインは郷土資料館近くにある滝山団地です。1969年に完成したこの団地はもうすぐ50年。1960年に2万人弱だった人口が1975年には10万人を超えた東久留米市を象徴する団地ということです。すでに建て替えの途中であるひばりが丘団地とは異なり、滝山団地は建て替え前とのことですが、4階建の建物にはエレベーターが後付けされていました。滝山団地の南側には東京Deep案内でも紹介されている滝山中央名店街があり、昔ほどではないとはいえ多くの人でにぎわっていました。

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(地図)フィールドワークのルート。出典 : OpenStreetMap。作者 : OpenStreetMap contributor。

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(空中写真)左から滝山団地造成中の1966年、造成後の1974年、2008年。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。ライセンスは下記の通り。

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(左)東久留米市立滝山図書館と桜。(右)歩道橋から見た滝山団地。

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(写真)滝山団地を歩く参加者。

 

 団地そばの滝山公園から北上し、「かつてはこの辺りで唯一舗装されていた」所沢街道を越えると、前沢地区の村社だった八幡神社があり、そのそばには落合川 (東京都) - Wikipediaの源流とされる地点があります。落合川は第1回イベントで記事が作成された河川であり、湧水のために図書館の南側ではかなりの水量がありますが、源流がこんなに近いとは。そこからは主に落合川の脇を通って図書館に向かいました。落合川小金井街道の交差地点付近には地蔵がありました。

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(写真)落合川の川岸を歩く参加者。

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編集する

 図書館そばのセブンイレブンで買ったものでおひるごはん。午後は講師のくさかきゅうはちさんによるウィキペディアの説明を聞いてから、3グループに分かれて編集作業を行いました。他の参加者による参加報告でも触れられていましたが、くさかさんの説明は以前と比べて親しみやすい方向に変化しているというか、参加者の傾向に合わせて説明を変えるようになったのだろうと思いました。

 今回の参加者には地元の方に加えて、図書館系のサイトを運営されている方、都内の公共図書館員、遠方から来た図書館員、オーストリアから来たウィキペディアンのフィリップ・コペツキー(Philip Kopetzky)さん、東久留米市から派遣されてフィリップさんの通訳をしてくださった方、ベテランウィキペディアンのNさんやSさんなどがいました。フィリップさんはWikimedia Österreich - Metaウィキメディア財団オーストリア支部)の副代表をされている方です。

 一般参加者は「東久留米市」の日本語版英語版ドイツ語版を加筆するグループ、「滝山団地 - Wikipedia」を加筆するグループ、「八幡神社 (東久留米市八幡町) - Wikipedia」を新規作成するグループの3グループに分かれ、それぞれのグループにウィキペディアンが1人以上入りました。私は「八幡神社」のグループに入り、メイン写真の追加、絵馬に関する記述の追加、空中写真とOSM地図の追加などを行っています。

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(左)編集会場の東久留米市立中央図書館。(右)事前に準備された文献。

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(左)編集会場となる部屋。写真の一部を加工していますが気にしないでください。(右)どこかで見た動画

 

ふりかえり

 3年連続3回目の参加となったウィキペディアタウンin東久留米。毎回“そこにふじいさんがいるから”参加しているのですが、第1回も第2回も今回も当初は参加する予定ではなく、開催まで1週間を切ってから申し込みを行ったのでした。第1回ではできなかったメールでの申し込みが第2回で可能となり、第1回・第2回はなかったWi-Fiが今回は使用可能となるなど、運営方法は着実に進歩しています。1年に1度しか開催しないイベントなのにきちんとマニュアルがあるようで、電話を掛けた時の対応は毎回すばらしいです。内容についていえば今回は集合地点からまちあるきして図書館をめざすというアクセントがつけてありました。

 この日は最終の1本前の新幹線で帰りました。第1回イベントの際は品川駅から、第2回は始発の東京駅から最終の新幹線自由席に駆け込んだ記憶がありますが、今回は指定席を取っていたので東京駅で翌日渡すおみやげを買ってから悠々と帰ることができました。ロバの人もちょっとずつ成長しているようです。

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(写真)ロバ。

 

 

 

 

ウィキペディアタウンin瑞穂に参加する

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(写真)集合場所の瑞穂生涯学習センター。

 

名古屋市瑞穂区を訪れる

 2018年3月17日(土)、「ウィキペディアタウンin瑞穂」に参加しました。

 名古屋市図書館で開催されるウィキペディアタウンは今回で3度目。2017年6月には中央館である名古屋市鶴舞中央図書館、2017年12月には支所管内分館(区内で2番目の館)である名古屋市山田図書館で開催しており、今回は分館(区内で1番目の館)での開催です。

 名古屋市南東部に位置する瑞穂区は、三河地方に近い地域。名古屋市を訪れる際に名鉄本線を使う私にとっては、堀田駅を前に右側に見えるこんもりとした町(瑞穂区井戸田町)や大きな建物(瑞穂区生涯学習センター)は見慣れた風景でしたが、このイベントの準備段階までこの地域を歩いたことはありませんでした。

 今回の集合場所は瑞穂生涯学習センター。鶴舞中央図書館のムード歌謡歌手である齋藤森都さんによる「Wikipedia」や「ウィキペディアタウン」の説明の後、みずほ史跡ウォーカーのガイドを受けて山崎川河岸・井戸田町のまちあるきをおこないます。地下鉄妙音通駅でいったん解散し、参加者は自由に昼食をとった後、瑞穂図書館に集合して編集ワークショップを行いました。

 茜さんの説明では「瑞穂区について」の説明がありました。瑞穂区外・名古屋市外・愛知県外の方が多いことを把握したうえでの、ガイドによる詳しい説明に入る前の緩衝材となる説明でした。「自己紹介ワーク」や「ふりかえり」を重視しているのもこのイベントのポイントです。

 

スケジュール

10:00-10:30 主催者挨拶・斎藤さんによるWikipediaの説明(瑞穂生涯学習センター)

10:30-12:00 まちあるき

12:00-13:30 各自で昼食

13:30-14:00 主催者による作業の説明・私によるWikipediaの説明(瑞穂図書館)

14:00-16:00 編集ワークショップ(瑞穂図書館)

16:00-17:00 成果発表・ふりかえり(瑞穂図書館)

 

まちあるきする

 特に前半は交通量の多い道路を歩くということで、約25人の参加者は3グループに分かれ、各グループ2人のガイドの説明を聞いて歩きました。この辺りはさすが常設のガイド団体という気がします。まずはほぼ「郡道」に沿って南下。現在ある道路とはややずれているようで、道路の痕跡もないようですが、地域資料にはしばしば登場する道です。

 400mほど南下すると郡道は旧東海道と交差しています。旧東海道が山崎川を渡る場所には山崎橋が架かっており、河岸には秋葉社やかつての橋桁が。下見で歩いた際にはこの秋葉社の存在が気になっていましたが、ウェブ検索や図書館の地域資料からはまったく情報を見つけられない存在だったのです。橋桁については個人ブログなどがヒットしますが、「ここにある1基以外の3基も周辺に残されている」という説明は初耳でした。東海道に関しては今回歩いた瑞穂区内よりも、山崎川の南側の南区内に見どころがあります。

 山崎橋からは北上して藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと)へ。赤い鳥居が印象的な嶋川稲荷の一角に石碑が建てられていますが、実際には50m程離れた場所に居住していたようです。謫居跡から北上して妙音通を渡ると井戸田町龍泉寺で説明を聞いた後、上野街道(鎌倉街道)の一部を歩いてから井戸田コミュニティセンターに入り、再び龍泉寺に戻ってからいったん解散となりました。

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(図)まちあるきコース。

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(図)井戸田町の拡大図。

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(左)山崎川の河岸にある秋葉社。(右)河岸の公園にある旧東海道の古い橋桁。

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 (写真)黄色いベストを着たみずほ史跡ウォーカーの方の説明を聞く参加者。

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(写真)井戸田町龍泉寺。右はかつての井戸「亀井水」。

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 (写真)龍泉寺に隣接する、鳥居がある最経寺。

 

 主催者からはランチマップが配布されましたが、掲載されていなかった「新瑞フレンチ」に。内部はおしゃれだけど名前や看板がださい。キッシュがでかすぎて食べきれませんでした。午後の会場は名古屋市瑞穂図書館。解散地点からは徒歩で約15分です。1969年開館の瑞穂図書館は2015年に移転しています。名古屋市でいちばん新しい図書館のはずなのですが、まったく新しさを感じさせない不思議な館内が魅力です。

 

編集する

 私も10分ほど時間をいただき、午前中の森都さんとはやや異なる視点から「Wikipediaとは何か」という説明をしました。らっこさんが「WikipediaLIB@信州」で初めて使った「ウィキペディア:#事実が重要」という動画も鑑賞しています。「ウィキペディアタウン in 安曇野松川村」におけるさかおりさんの説明が印象的だったため、「私はなぜWikipediaを書いているのか」という説明も添えました。

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(左)名古屋市瑞穂図書館。作者: KAMUI。Wikimedia Commonsより。(右)瑞穂図書館が準備した文献の一部。もうひとつブックトラックがある。

www.youtube.com

 

 地元在住の市民、図書館員、ウィキペディアの編集経験者、リーダーシップをとれる方をバランスよく配置するため、名古屋市ウィキペディアタウンでは「WikipediaLIB@信州」などと同じように、事前にグループ分けを行っています。主催者が事前に選定した編集記事候補の中から、グループごとに編集記事を決めました。

 今回は鶴舞中央図書館や山田図書館で開催した際よりも小規模な会議室でしたが、前回までにはなかったホワイトボードが各グループに用意されました。常に情報を共有しながら作業するためには重要なアイテムであり、下の写真のように節構成などを視覚的に確認して作業しています。

 

今回の編集対象記事

上野街道 (名古屋市瑞穂区) - Wikipedia(新規作成)

藤原師長謫居跡 - Wikipedia(新規作成)

藤原師長 - Wikipedia(加筆)

井戸田町 (名古屋市) - Wikipedia(加筆)

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(左)コーディネーターの山本茜さんと、図書館側の責任者である畑中さん。(右)ホワイトボードで節構成を確認する。

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(写真)編集ワークショップ中の参加者。

 

ふりかえり

 さて、私がウィキペディアタウンに参加するときは「講師/編集サポート」という役目がある回と「一般参加者」である回があります。編集ワークショップ中には「講師/編集サポートとして会場全体に目を配る」回と「どこかのグループに入ってファシリテーター的な役割をしながら編集作業する」回があります。今回は「協力者」(編集サポート)という立場で、上野街道を新規作成するグループに入って編集作業を行いました。

 ウィキペディアタウンに参加するウィキペディアンには、①講師として全体に目を配るのがうまい方(例:くさかきゅうはちさんやらっこさん)、②ファシリテーターとしての動きに長けた方(例:AraiSyoheiさん)、③文章作成を指揮するのに専念する方(例:のりまきさんやSwaneeさん)がいます。苦手なファシリテーターとしての役割が重要であることは認めつつ、自分の強みは①でも②でも③でもないことを感じています。他の方が書いてくれた文章を引き立たせるような編集を心がけており、また「ウィキペディアを書くこと“の先”が重要である」という主催者の意図をうまく伝えようともがいています。

 

 

大阪ウィキペディアエディタソンに参加する

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(写真)開館前の図書館。この写真は「大阪市立中央図書館 - Wikipedia」にも使用した。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。ただし絵図はパブリックドメイン。空中写真の著作権者は国土交通省Wikipediaスクリーンショットが数枚ある。

 

 2018年3月11日(日)、大阪市立中央図書館で開催された「大阪ウィキペディアエディタソン」に参加しました。

 

www.oml.city.osaka.lg.jp

www.oml.city.osaka.lg.jp

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イベントの開催意図

・やってみる編「ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」

・みる編「大阪ウィキペディアエディタソン」

 

 今回のイベントは、参加者自らがウィキペディアを編集する“やってみる編”と、ウィキペディアンによる編集作業を見学する“みる編”の同時開催でした。私は“みる編”の「編集者」として参加したので、“やってみる編”の様子はほとんどわかりません。

 

 Library of the Year 2017(LoY2017)では「瀬戸内市民図書館」、「大阪市立中央図書館」、「ウィキペディアタウン」が優秀賞を受賞しています。Library of the Year 2016で優秀賞を受賞した4機関は岩手県紫波町で受賞記念サミットを開催しており、それが好評だったことから、LoY2017の優秀賞受賞機関も類似のイベントを企画したのだそうです。

 主催者側の責任者は、LoY2017最終選考会で大阪市立中央図書館のプレゼンを担当した澤谷さん。この選考会でウィキペディアタウンのプレゼンを担当した宮澤さんがイベントの司会。特別ゲストとして、LoY2017選考委員長の山崎さん、瀬戸内市民図書館の館長である嶋田さんも参加してくださいました。

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(写真)開会挨拶を行う澤谷さん。

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(左)司会の宮澤さん。(中)LoY2017選考委員長の山崎さん。(右)瀬戸内市民図書館館長の嶋田さん。

 

ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」

ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」の様子は以下のような感じ。午前中はガイドと一緒にまちあるきを行い、各自で昼食。午後には25人の参加者が4つのグループに分かれ、オープンデータ京都実践会のサポートを受けて、「土佐稲荷神社」「和光寺」「白髪橋」「間重富」「大阪市立中央図書館」の5記事を編集したようです。

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「大阪ウィキペディアエディタソン」

 「ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」と同時進行で行われた「大阪ウィキペディアエディタソン」では、5人のウィキペディアンが共同で「北の大火 - Wikipedia」を新規作成しました。災害の記事を選んだのは開催日が3月11日だったことも理由だそう。編集作業の参加者はのりまきさん、さかおりさん、Swaneeさん、アリオトさん、私(Asturio Cantabrio)。エディタソン会場の見学は自由となっており、宮澤さんが司会、くさかさんが解説役を担当しています。中の人がまとめてくださったtogetterがあります。

 

 2017年7月の「甲州事編 百科涼覧 2017甲府ウィキペディア エディタソン」では2グループに分かれて2つの記事を新規作成していますが、今回は1グループで1記事。「北の大火」を編集対象とすることはイベントの1週間ほど前に正式決定しました。5人のうち4人は関東在住、私は愛知県在住ということで、大阪の地理や歴史には不慣れです。のりまきさんとSwaneeさんは国立国会図書館などで事前に文献を入手して参加していますが、さかおりさん・アリオトさん・私はイベント序盤に大火の概要を理解するところから始めています。

 のりまきさんがリーダーとなり、まずは節構成や役割分担などを確認します。編集初心者が多いウィキペディアタウンでは文献をざっと読んだうえで何を書くべきか決めるように誘導することが多いのですが、今回は「質の高い記事を作成すること」がひとつの目標であるため、効率を重視して節構成を先に決めました。

 Wikipedia:良質な記事 - Wikipediaでお手本となる記事(大火もしくは災害の記事)を探し、Category:日本の火災 - Wikipediaも確認。鳥取大火 - Wikipediaどんどん焼け - Wikipediaの内容を参考にして、「経過」「原因」「被害」「影響」の4つを盛り込むことにしました。もっとも重要な「経過」節は予備知識があるのりまきさんとSwaneeさんが、「被害」節はアリオトさんが、「影響」節はさかおりさんが担当しています。この段階では「経過」節の中に「原因」を含めることになりましたが、「原因」は編集作業の終盤になって単独の節に昇格しています。私は文章作成の担当からは外れ、大火後に出版された絵図『驚天動地古今絶無大阪大火災実況図』と国土地理院カラー空中写真を用いて、画像編集ソフトで焼失範囲を示す画像(File:Kita Osaka's great fire of 1909 burned down area.png - Wikimedia Commons)を作成しました。カラー空中写真は二次利用が許可されており、Wikipediaでは水尻池 - Wikipediaなどの地理記事を中心に使用されています。

 

このファイルの著作権国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省は、あらゆる人があらゆる目的でこのファイルを使用することを許可しています。ただし著作権者の名義が適切に表示されることを条件とします。再頒布、二次的著作物の製作、商用利用等のあらゆる使用が許可されています。
帰属: Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

(図)カラー空中写真のライセンス表示。

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(図)私は左の絵図を参考に右の図を作成し、両者を並べて比較できるようにした。赤線は二次利用にあたって必ず必要な表示。

 

 大阪市立中央図書館がLoY2017で優秀賞を受賞したのは、 大阪市立図書館デジタルアーカイブが評価されたため。そんなわけで今回のイベントではデジタルアーカイブを積極的に記事に用いています。AraiSyoheiさんが関連する画像Category:Kita Osaka's great fire of 1909 - Wikimedia Commonsにアップロードし、私はその中から6枚を記事中に掲載しました。

 焼失範囲の画像作成のほかに、私は画像の掲載やリンクの追加を行っています。中身の薄さを文章でごまかす(みんなの森 ぎふメディアコスモス - Wikipediaなどが典型例)のは私の得意分野です。画像以外では、北の大火に言及しているWikipediaの全記事(例えば桜橋 (大阪市北区) - Wikipedia)に対してリンクを貼る、という作業も行ったため、イベント中の編集回数は私が33回、のりまきさん11回、Swaneeさん10回、アリオトさん1回、さかおりさん1回となりました。

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 (1枚目)Template:multiple imageによる画像の掲載方法。(2枚目)オーソドックスな画像の掲載方法。(3枚目)Template:Galleryによる画像の掲載方法。(4枚目)Commons Categoryへのリンク。(5枚目)左右交互に配置して視線を誘導する画像の掲載方法。

 

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(写真)エディタソンの会場。左は見学席。

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 (左)「北の大火」の為の準備された文献。(右)エディタソン専用のデータベース用PC。

 

成果発表

 16時頃からは「ウィキペディアタウン」と「エディタソン」のグループが共同で成果発表を行いました。白髪橋・土佐稲荷神社・和光寺の3記事には大阪市立図書館デジタルアーカイブの画像が使われ、大阪市立中央図書館の記事にはデジタルアーカイブについての言及などが追加されました。

 

白髪橋 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで新規作成。約2,700バイト。

土佐稲荷神社 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

和光寺 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

間重富 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

大阪市立中央図書館 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

北の大火 - Wikipedia - エディタソンで新規作成。約25,000バイト。

 

 イベント終了後にはバックヤードツアーが行われ、300万冊収蔵可能という地下6階・地上6階建(計12階層!)の図書館内を巡りました。

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(写真)成果発表の様子。

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(写真)貴重書庫で収蔵品の説明を行う澤谷さん。

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(写真)大阪市立中央図書館の書庫の中。

 

ふりかえり

※「ウィキペディアタウン」の内容はほとんどわからないので「エディタソン」のみの振り返りです 。大阪市立中央図書館のイベント運営ははすばらしかったです。

 2017年7月の「甲州事編 百科涼覧 2017甲府ウィキペディア エディタソン」は「ベテラン編集者の編集作業を見てみたい」という意見がイベントの開催につながったと記憶しています。甲府のイベントではfacebookにイベントページが設けられ、イベントの主催者・編集者・見学者の垣根が低く、全員が何かしら運営にかかわっているイベントだったのではないかと思っています。

 今回はどうだったでしょうか。私は「ウィキペディアタウンの参加者」でも「エディタソンの参加者(見学者)」でもなく「エディタソンの編集者」として参加したのですが、なかなか情報が出てこないことに戸惑いました。告知ページには「Library of the Year 2017優秀賞受賞機関が大阪に集まり…」と書いてあるけれど、瀬戸内市民図書館はどのように関わるのか、せっかく嶋田さんが大阪までくるのに何の役割もない、ということが気になっていました。ウィキペディアタウンだけでなくエディタソンを開催するのは何のためだったのでしょう。

 私は途中からfacebookの運営グループに入れてもらい、また当日には運営側の方に開催意図などの話を聞くことができました。クローズドな運営グループでしか話せない情報もあるでしょうが、情報を広く公開して今後につなげてほしいとも思います。