振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。2017年7月25日から試験的にデザインを変更。

おおぶ文化交流の杜図書館

2017年5月、愛知県大府市の「おおぶ文化交流の杜図書館」の貸出数が全国の同規模(人口6-10万人)自治体180自治体中1位になったという新聞記事が出た。貸出数ランキングというものは首都圏の自治体が上位を独占しているイメージがあるので、そして前年までランク外だった大府市が突然1位となったのに驚いた方も多いかもしれないけれど、近くの自治体に住んでいる者にとっては驚きではないのでした。

 

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 (写真)図書館が入っているおおぶ文化交流の杜。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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www.trc.co.jp

https://mainichi.jp/articles/20170524/k00/00e/040/205000c?ck=1

「おおぶ文化交流の杜図書館 貸し出し図書の冊子数日本一に」毎日新聞、2017年5月24日

www.asahi.com

 

大府市の図書館の歴史

知多半島の付け根にある大府市は人口約9万人の自治体。名古屋市中心部とは約20km離れているが、日中でも毎時4本の快速系統が約15分でJR東海道線大府駅と名古屋駅を結んでいるうえに、刈谷市安城市岡崎市などの西三河地方へのアクセスも良い。

1970年に約5万人だった人口は、1990年に約7万人となり、2016年に9万人を超えた。知多半島の多地域とは違って醸造業は栄えなかった。他県の方にとってはそれほど知られていない自治体かもしれない。

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(画像)愛知県における大府市の位置。作者 : Lincun

 

おおぶ文化交流の杜図書館 - Wikipedia

図書館の歴史についてはもうウィキペディア「おおぶ文化交流の杜図書館」に書いた。大府市には長らく図書館法における「図書館」がなかったが、1980年に大倉会館内に大府市中央図書館が開館。貸出数は1978年度の13,969冊が1980年度には96,038冊(約7倍)に増えた。新築時の大倉会館はいくつかの建築系雑誌にも掲載されており、中部建築賞を受賞している。

1980年の人口は約6万人だった。床面積1,137m2の大府市中央図書館は人口の増加とともに狭隘化が進み、末期には「近隣の大府市立大府小学校の空き教室を書庫代わりに使用」していたらしい。2008年のリーマン・ショックでは愛知県の他自治体同様に法人税収入が激減し、2012年に開館予定だった新館の建設は約2年間遅れた。

建設・運営にはPFI方式を採用し、2014年におおぶ文化交流の杜が開館。その中に入るおおぶ文化交流の杜図書館の指定管理者には図書館流通センターが選ばれた。2013年度に514,154冊だった貸出数は2015年度に1,356,446冊(約2.6倍)まで増え、全国の同規模自治体(人口6万人-10万人)180自治体の中で総貸出数・1人あたり貸出数ともに最多となった。 

 

立地や施設

旧館の大倉会館は大府駅から徒歩10分の好立地にあり、市役所や中心商業地にも近かった。一方でおおぶ文化交流の杜は大府駅・共和駅それぞれから約2.5kmの距離があり、駅から歩くと30分程度かかる。大府駅・共和駅のどちらから赴いても、図書館の手前で約15mの高低差がある坂を上る必要があり、自転車などでも行きづらい。公共交通機関では1時間1本の間隔でコミュニティバスが走っているが、基本的なアクセス手段は自動車しかないといっていい。

施設内は1階に図書館やホールや多目的スタジオが、2階に会議室や学習室がある。図書館内は和やかな雰囲気を感じる。そもそも立地が災いして中高生の図書館利用者は少なく見えるし、勉強する学生は上階に隔離されている。他自治体の図書館よりは(車を持たない)高齢者も少ないのだろう。この結果、自家用車で来るファミリー層にとってとても居心地の良い図書館になっている。貸出冊数が日本一になった背景には自家用車で来るファミリー層が20冊の制限いっぱいまで借りていくことも大きいのだろう。

近隣自治体の中では唯一導入している自動貸出機は、2015年時点ですでに貸出の96%を担っていた。即座に返却処理がされる自動返却機は子どもに好評らしい。ICタグによる自動貸出や自動返却のおかげで図書館員が本来の業務に力を注げているのがわかる。よく考えられた書架の配置や展示、つねに入館者に目を配っている総合受付の職員、声をかけやすいレファレンスカウンターの司書。この図書館はもっと注目されてほしい。

 

 施設全体のロビー

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(写真)おおぶ文化交流の杜のロビー。文化の発信拠点という雰囲気がうらやましい。

 

図書館の中央部

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(写真)総合カウンター前。「祝 貸出図書数 全国一位」の幕が見える。

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 (写真)新刊コーナー。帯で内容を紹介。

 

ICT関連

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(左)4台並んだ自動貸出機。(右)図書館入口にある自動返却機。

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(左)インターネット用PCは9台。(右)存在感のある予約本コーナー。

 

郷土資料コーナー

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 (写真)テーマ展示。

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  (左)レファレンスカウンター。(右)大府市関連の図書の棚。棚の上では新聞記事のスクラップ。

 

グループ学習室

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 (写真)この図書館のウリになるはずだっただろう、図書館のフロア中央部で存在感を放つグループ学習室。左は通常時。右は学習室としての使用時。大府市民と図書館がこの部屋を使いこなせているようには見えない。

 

児童書エリア

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 (写真)児童書エリア。児童書は見るべきポイントがわからない全体の様子でごまかす。天井のアールが醸し出してる近未来っぽさが好き。

 

カフェスペース

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(写真)2017年4月から営業している「健康カフェ」。

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(写真)2017年4月で閉店したイタリアンレストラン「エルベッタ」。

Wikipedia Town in 飯田に参加する(2)

ayc.hatenablog.com

2017年7月8日(土)に開催された「Wikipedia Town in 飯田」。(1)の続き。長い。

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「草の根を分けても探し出す」

昼食後には少しだけ館内を歩いた。事前に入手しておいた資料によると、飯田市の図書館は1901年に飯田小学校内にできた飯田文庫にさかのぼる。1915年に飯田町に移管されて公立化し、1931年に現在地の陸軍連隊区司令部の建物に移転した。2015年には100周年記念イベントを行ったのだろうか。1980年まではこの建物を使用していたが、1981年に現行館が開館。長らく市立飯田図書館という名称だったが、1993年の自治体合併時に飯田市立中央図書館に改称した。すでに現行館の開館から36年がたっており、2,500m2という延床面積は2017年基準では広いとは言えないものの、古さや狭さは全く感じない。

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(写真)この日用意された文献。

 

午後の最初は図書館の井原さんによる公式サイトの説明。説明が堂々としていて羨ましい。飯田市立図書館公式サイトは7月1日にリニューアルし、新しいページがいくつも追加されたとか。飯田市の地域資料に関するページには、ゆかりの人物や飯田市の名所旧跡に関するブックリストが閲覧でき、裏界線に関するブックリストもまとめられている。広域検索システム「さーちしまいか」では、飯田市立図書館を含めた近隣7館と国立国会図書館デジタルコレクションの資料が一発で検索できるらしい。デジコレも一緒に検索できるのは便利そう。

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 (写真)飯田市立図書館ウェブサイトの説明。

 

続いて講師であるくさか先生のおはなし。この日、図書館の代田さんはくさか先生のことを何度も先生と呼んだ。先生はウィキペディア記事「飯田市」を例に出し、ウィキペディアとは何であるかを説明する。この記事はウィキペディア的には質の高い記事とは言えないが、外部の人間が飯田市のことをざっくりと把握したい時にウィキペディアは役に立つ、という話だった。

飯田市」という項目は英語版を含む20言語版にあり、英語話者やフランス語話者はもちろん、アラビア語話者やアルメニア語話者やセブアノ語話者だって、飯田市についての簡単な情報を母語で読むことができる。流れで編集方法の説明も。リンクの付け方や出典の付け方などは、各グループに2枚ずつプリントアウトして配布された。

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※くさか先生の画像はありません。

 

 

 この日の編集項目

飯田市立図書館のイベント告知ページでは、あらかじめ当日の編集項目が提示されていた。参加者は5項目の中から第2希望まで選んで参加申込を行い、イベント当日にはあらかじめ5つのグループにグループ分けがなされていた。

まちあるき時には5グループが2コースに分かれた。飯田城下橋北グループと喜久水酒造グループの2グループは橋北コース、田中芳男グループと喜久水酒造グループは橋南コース。裏界線は橋北地区にも橋南地区にも存在するため、裏界線グループの6人は2つのコースに分散した。

あらかじめ編集項目が決まっていたことで、まちあるきで見るべきポイントがわかりやすかった。前日までに編集項目について調べておくこともでき、実際に私は豊川市立図書館と豊橋市立図書館で南信関連資料をパラパラとめくった。この方法を取らないウィキペディアタウンもある。オープンデータ京都実践会が行うウィキペディアタウンでは、当日のまちあるきで興味を引いたポイントから編集項目を選んでもらうべく、各参加者の編集項目を事前に決めることを避ける場合がある。

 

午後の編集作業では5つのグループに分かれたが、イベント中に編集された項目は5記事ではなく7記事だった。喜久水酒造グループ・田中芳男グループ・裏界線グループは編集する項目が明確だったが、飯田城下橋北グループと飯田城下橋南グループは編集項目を決めるところから始めたらしい。参加者の興味次第で柔軟に編集項目を決定できるように、主催者はあえて曖昧なグループ名にしたのかもしれない。

近世の歴史(飯田城・普門院跡・長姫神社)、近現代の歴史(追手町小学校)、地理(裏界線)、人物(田中芳男)、文化(喜久水酒造)と、今回の編集項目はジャンルも変化に富んでいた。一般論としてはジャンルは絞った方がいい。説明するまちあるきガイドも文献を集める司書も楽だし、参加者にとっても内容を理解するのが楽だし、イベントの主題がぼやけない。

今回の5グループが編集した7記事のうち、飯田城や田中芳男はイベント時点ですでにボリュームのある記事で、文章を加筆するのは難しかった。「ウィキペディアに記事があるかどうか」「ウィキペディアの記事が充実しているかどうか」という点を考慮して編集項目を選ぶほうが無難ではあり、くさかさん以外の講師はそうすることが多いが、今回は飯田での初開催なので、主催者が参加者に書いてもらいたい項目を優先したのだろう。

 

コース  グループ      実際の編集項目

橋北・・・飯田城下橋北・・・・飯田城(加筆)、普門院跡(新規)

橋北・・・喜久水酒造・・・・・喜久水酒造(新規)

橋南・・・飯田城下橋南・・・・追手町小学校(加筆)、長姫神社(新規)

橋南・・・田中芳男・・・・・・田中芳男(加筆)

両方・・・裏界線・・・・・・・裏界線(新規)

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ウィキペディア記事「裏界線」を作成する

裏界線グループは6人。各グループには運営側から図書館員または宮澤さん/諸田さんが入ってサポートしており、裏界線グループでは関口さんが情報収集をアシストしてくださった。まずは全員で裏界線に関する文献に目を通し、裏界線について文献でどんな言及がなされているかを確認する。学芸出版社が刊行している書籍、大火後の復興計画書、裏界線を取り上げた卒業論文、裏界線についての自費出版のイラスト集などの記載事項を共有し、その後セクションの構成を考えた。

裏界線の定義は難しいが、ざっくり言うと「飯田市に存在する複数の路地を総称する固有名詞」だと考えた。寺社仏閣や施設であれば似たような記事の構成を真似すればいいが、裏界線の場合はそれができない。文献に目を通した印象から、「歴史」と「特徴」というセクションを作成することにした。

ウィキペディアの編集が初めての4人は、「歴史」セクションの担当、「特徴」セクションの担当に2人ずつ分かれ、セクションごとに1台のパソコンで文章を打ち込んだ。まずはテキストエディタ(Word)で下書きを作成し、ある程度文章が出来上がったらウィキペディア記事「裏界線」に組み込む形を取った。私は「歴史」セクションにも「特徴」セクションにも入らず、次の3つの作業を行った。百科事典で重要なのはなんといっても文章だが、写真や地図を掲載することで文章を引き立たせたい。

①枠組みの作成

記事の核となる文章は4人に任せて、インフォボックス、テンプレート、セクション見出し、Wikimedia Commonsへのリンク、カテゴリなど、文章以外の細々とした作業を担当した。裏界線の編集履歴の初版に相当する編集。

②図の追加

地理に関する項目には必ず地図を入れたい。飯田市公式サイトに掲載されている図を参考に、OpenStreetMapを基に裏界線の所在地図を作成して右上に掲載した。飯田市公式サイトには橋南地区の裏界線しか掲載されていないが、実際には橋北地区にも裏界線があり、この所在地図は改訂が必要。欲を言えば、掲載した裏界線の写真から所在地図にリンクを飛ばしたい。

③写真の追加

橋南地区で撮影した裏界線の写真を3枚掲載した。イベント開始前に撮った写真が2枚、橋南コースで歩いた際の写真が1枚。1枚5MBくらいのオリジナルサイズだとアップロード完了までに1時間以上かかりそうだったので、1枚500KBまで縮小してからアップロードし、後日オリジナルサイズの画像をアップロードしなおしている。イベント終了後には宮澤さんが橋北コースにある裏界線の写真を掲載してくれた。

裏界線の写真だけでなく、飯田大火の写真、りんご並木の写真も掲載した。飯田大火の写真は『飯田・下伊那の100年』(郷土出版社、1992年)に掲載されていたもの。もともと飯田大火の写真はWikimedia Commonsに1枚もなかったが、現代の飯田におけるターニングポイントとなった出来事ということで、郷土系の写真集には数多く掲載されている。紙の写真集の中に埋もれさせておくのはもったいない。飯田大火は1947年の出来事なので、日本国の著作権法においてはすでに著作権が切れている。

りんご並木の写真はWikimedia Commonsに1枚しかなかった。飯田を象徴する場所なのに1枚しかないのは寂しいので、記事に使用した写真以外にも何枚かWikimedia Commonsにアップロードしている。いろんな方がいろんな場所でいろんな時期に撮った写真をWikimedia Commonsに集めたい。

 

できあがった記事「裏界線 - Wikipedia」を見てみる。特徴節はやや雑多な内容なので文章をこまめに区切り、歴史節は時系列に沿った文章を中心にして箇条書きを組み合わせている。そこに大火時の写真や現代のりんご並木の写真、裏界線の写真集などが加わって、メリハリのある記事になっていると思う。

大火時には路地がなかったことでどのような問題があったのか、設置された裏界線は実際に防火帯や生活道路として役に立っているのか、裏界線の土地の権利者はどうなっているのかなど、まだまだ書き足せることはありそう。都市計画の作成時にはすでに「裏界線」という言葉が使われていたが、裏界線が何年に完成したのかは結局わからず、また完成後の歩みもわからずじまいだった。

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(写真)裏界線グループの作業風景。

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(写真)ウィキペディア記事「裏界線」のスクリーンショット

 

 

ウィキペディアタウンをウィキペディアンの立場から考える

ウィキペディアの利用者ページにまとめている記録によると、私がこれまでに参加したウィキペディアタウンは10回を超えているようだ。オープンデータ京都実践会が主催したイベントへの参加がもっとも多く、それ以外には図書館/博物館(瀬戸内・高遠・東工大・東久留米・県立長野・鶴舞)、市民団体(精華町・街道・豊橋/田原・和歌山・大原・丸亀)、行政(掛川)が主催したイベントに参加してきた。とはいえ、図書館がメインで市民団体がフォロー、もしくは市民団体がメインで図書館がフォローというように、いくつかの団体が絡み合っていたほうが充実したイベントになるし、どれか一つだけで開催された例は多くない。

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(写真)飯田でいちばん有名な焼肉店らしい「徳山」。楽しい懇親会だった。

 

ウィキペディアタウンをMLAの立場から考える « マガジン航[kɔː]
イベント後の7月11日、京都府立図書館の福島さんがマガジン航に「ウィキペディアタウンをMLAの立場から考える」という文章を寄稿された。「資料がどのように利用されるかを目撃し、また利用のシーンにも直接介入する」「著作者の権利に配慮しつつも、著作権法をどのように理解・運用すれば社会の発展に寄与することが可能か、自らの問題として考える深刻なきっかけが与えられる」とのことで、MLA関係者はウィキペディアタウンに参加して学びましょうと締めくくっている。

ウィキペディアタウンに参加するようになって、ウィキペディアは「百科事典を作るプロジェクト」であるという思いが強くなっている。ウィキペディアタウンに参加したことのあるMLAの方にとっては何を言っているのかわからないかもしれないが、「プロジェクト」であるということを理解しているウィキペディアンは多くないように感じる。

ウィキペディアタウンに参加するようになって、「プロジェクトの中で自分は何ができるか」という視点を持つようになった。MLA関係者と日々交流してウィキペディアタウンで講師まで務めるくさかさんやらっこさんと同じことはできない。地方病や高尾山古墳のように優れた記事で読んだ方に影響を与えるさかおりさんやのりまきさんと同じこともできない。さて、私はいったい何ができるのだろう。

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カタルーニャ地方の象徴であり誇りであるカタラン・ロバ - Wikipedia

 

 

Wikipedia Town in 飯田に参加する(1)

「Wikipedia Town in 飯田」開催のお知らせ | 飯田市立図書館

2017年7月8日(土)、長野県飯田市飯田市立中央図書館で開催されたWikipedia Town in 飯田」に参加した。

 

飯田市を訪れる

 愛知県の尾張地方と長野県の伊那地方は中央道で結ばれている。愛知県の東三河地方と伊那地方はJR飯田線で結ばれている。一方で愛知県の西三河地方と伊那地方の間には奥三河高原と呼ばれる未知の土地が広がっており、西三河地方に住む私は伊那谷に対して距離を感じていた。

2016年3月にはWikipedia TOWN × 高遠ぶらりに参加したが、イベント開催日の前後には松本に泊まった。2017年1月にも第10回 Wikipedia Town × 高遠ぶらりに参加する - 振り返ればロバがいるに参加。当日朝に名古屋駅を出る高速バスではイベント開始に間に合わないため、この日が初対面の宮澤優子さんに飯田から高遠まで運んでもらった。やはり高遠は遠いと思ったものの、飯田までの高速バスは毎時1本あり、わずか2時間でたどり着けることがわかった。

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 (写真)飯田駅飯田駅から電車に乗ったことはあるが降りたことはない。

 

飯田市を歩く

名古屋=飯田便の第1便は7時ちょうどに名鉄バスセンターを出て、8時54分にJR飯田駅に着く。終点の飯田商工会館まで乗りとおす中村さんを横目に飯田駅でバスを降り、ぶらぶらと歩いて図書館に向かった。

お目当ては飯田センゲキシネマズ - Wikipedia飯田トキワ劇場 - Wikipedia。いずれも映画黄金期から60年以上営業を続けている映画館だ。センゲキシネマズがある中央通りには商業ビルが隙間なく並んでおり、映画館周辺には飲食店が密集している。街の反対側にあるトキワ劇場の周辺はやや活気がないように感じる。八十二銀行飯田支店や橋南公民館の存在から、銀座や知久町と呼ばれるこの地区がかつて賑わっていたことはわかるのだが。ただし中央通り沿いも、よく晴れた土曜日の午前9時台にしては車も歩行者も少なかった。

飯田といえばりんご並木と人形劇も欠かせない。飯田市川本喜八郎人形美術館周辺は近年に再開発が行われたらしく、小ぎれいな道路、小ぎれいなマンション、小ぎれいな商業施設、小ぎれいな横丁があった。今回のイベントで編集対象となる裏界線(りかいせん)もチェックしておく。飯田市公式サイトに全体のマップと各地の写真が掲載されているこの路地群、観光客向けに小ぎれいに整備されているかと思いきや、観光客などが歩いていると地元の方に怪訝な顔をされそうな生活道路だった。

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(図)イベント前に歩いたコース。地図はOpenStreetMapより。

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 (左)飯田市川本喜八郎人形美術館。(中央・右)りんご並木。

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 (写真)三者三様の裏界線。防火帯や避難路の役割を持つ路地。

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 (左)中央通りと飯田センゲキシネマズ。(右)飯田トキワ劇場。3スクリーンあるとは思えない間口の狭さ。

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 (写真)飯田トキワ劇場近くから川向うの鼎地区を見下ろす。これだけ飯田市中心市街地から近いのに、飯田市と鼎町の合併は1984年まで遅れた。

 

飯田市立中央図書館

今回は図書館内をゆっくり過ごす暇がなく、またコーナーごとに写真を撮る暇もなかった。雰囲気をつかむための写真だけ撮った。西側と東側それぞれから1階部分を見下して写真を取れる場所がある。東側の中2階は伊那谷河岸段丘をイメージしているのだろうか。

郷土資料室は圧巻の蔵書数。空襲を受けていない城下町という点では私が住んでいる某市と飯田市はよく似ているのに、こうもレベル差があるとは。最下段が斜めになっている書架は久々に見た。バリアフリー面でとやかく言われそうなレイアウトではあるけれど、本がぎっしり詰まった迷路のような空間はとても印象に残った。

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 Wikipedia Town in 飯田

今回のイベントのスケジュールは以下の通り。

10:00-10:15 館長挨拶・講師紹介・参加者全員自己紹介

10:15-11:00 ウィキペディアタウンの説明

11:00-12:30 「飯田おさんぽ」

12:30-13:15 昼食

13:15-13:40 図書館サイト説明・編集の注意事項説明

13:40-15:25 編集作業

15:25-16:00 成果発表・まとめ

17:00-19:00 懇親会

 

Wikipedia TOWN × 高遠ぶらり風に参加者全員が自己紹介。まちあるきで他の参加者に話しかけやすくなるかも。まちあるき時間は標準的なウィキペディアタウンの90分。この日は特に暑く、これ以上長いとつらかった。昼食は弁当を注文した方が多数。図書館の近くには昼食を取れる店があまりなく、主催者はできる限り弁当に誘導していたみたい。午後のはじまりは図書館の公式サイトの説明。図書館のPRを入れるのは今後につながってよいと思った。編集時間自体は105分。ウィキペディアタウンの平均よりやや短めかも。他のウィキペディアタウンよりやや早く、16時に終了した。1時間後の17時からは焼肉店「徳山」で懇親会。

 

飯田おさんぽ

参加者名簿によると今回の参加者数は24人で、これに講師などが加わった約30人が橋北コースと橋南コースに分かれる。ガイド役は飯田市歴史研究所や飯田市美術博物館の方が務めてくださった。

今回は飯田城城下町の痕跡をたどるまちあるき。1/2500都市計画基本図をベースに、かつて存在した堀・出丸・門の位置が書かれた地図が配布される。これによると図書館は本丸と堀の中間地点にある。裏界線を通って堀跡をめざし、Uターンして反対側の本丸跡まで歩いてから図書館に戻った。

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(図)橋南コースはだいたいこんなルート。図はOpenStreetMapより。

 

 

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(写真)図書館の脇にある飯田城桜丸御門。

 

桜丸御門(赤門)から西側に伸びている裏界線は、今回のルート上でもっとも華やかな裏界線だった。脇にはアジサイが咲き、鉢植えが置かれていた。驚いたのは駐車場の中に「歩行者通路」として裏界線が残されていた場所。裏界線とは市道扱いなのか私道扱いなのかということは聞き忘れた。

飯田城の外堀は全国的にみて早く埋められたという。遺構など残っていないと思いきや、銀座4丁目の柴田薬品横の地下駐車場は南堀の形をそのまま残しているらしい。追手町小学校の南西にも欅堀の形を残す坂と橋があった。飯田城におけるそのポイントの役割を想像し、裏界線や堀などの地形をたどるまちあるきは、寺社などのポイント数か所を訪れるまちあるきよりもずっと楽しい(※個人差があります)。図中に歩くルートも書き込まれているとよいのではないかと思った。

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(写真)裏界線を歩く。

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ブラタモリっぽい要素3連発。(左)歩行者用通路として残る裏界線。(中)外堀の形を伝える地下駐車場。(右)欅堀の形が残る坂。

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 (写真)現役で使用中の飯田市立追手町小学校 - Wikipedia。校舎と講堂は登録有形文化財。校舎は昭和初期(1929年)竣工のRC造で黒田好造設計。

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(左)飯田大火の痕跡を示すなまこ壁を撮影中の参加者。(右)柳田國男館の内部を撮影中の参加者。

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(写真)長姫神社。

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 (写真)長姫のエドヒガン。飯田市でもっとも大きな桜。

「高梁市立図書館」の記事を書く

ayc.hatenablog.com

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 高梁市の図書館について調べる

岡山県瀬戸内市瀬戸内市立図書館 - Wikipedia(もみわ広場)を訪れる前日、2017年2月24日に高梁市の図書館を訪れた。高梁市図書館が開館したのは2月4日。4館目のTSUTAYA図書館であり、その動向を伝える記事は全国紙にも掲載されている。

高梁市街地は中山間地域吉備高原にある盆地に広がっている。人口は約3万人であり、ピーク時と比べると半分以下となっている。駅前のアーケード商店街には人の気配がなく、昼ごはんを食べる店は見つからず、駅に直結した高梁市図書館だけが賑わっている印象だった。CCCがなぜこの町に目を付けたのか気になった。
新館が開館する前の高梁市の図書館は1人当たり貸出冊数で岡山県最下位を争っていた。高梁市の近くには大都市がなく、市街地は人家が密集する盆地にあり、市内には大学がある。潜在力は低くないように思える。さらに言えば備中松山城の城下町であり、山田方谷の出身地である。歴史と文化がある町には古くから図書館もあったのではないかと思った。
一般論として、図書館の新館開館後にウェブ検索して旧館の情報を得るのは難しい。高梁市の図書館の場合も同様であり、ウェブ検索ではほとんど何も得ることはできない。高梁市の場合はTSUTAYA図書館のインパクトの大きさも理由ではあるが、旧館が情報発信を怠っていたことも理由ではないかと思った。


2月24日に高梁市図書館を訪れた際には15の文献を閲覧してコピーを取った。これらの文献をまとめた上で岡山県立図書館にメールレファレンスを行い、その結果から成羽図書館の記述などを補完した。6月上旬にウィキペディアに作成したのが「高梁市立図書館」である。

やはりこの町には古くから優れた図書館があった。高梁中学校有終図書館は「岡山県下で2番目に設置された図書館」だという。「岡山県内の市立図書館としては岡山市立図書館に次いで蔵書数が多かった」時期もあり、1959年には「図書館の敷地と施設が岡山の女子教育発祥の地として岡山県の史跡に指定され」ている。


Wikipediaの記事の名前は「高梁市図書館」ではなく「
高梁市立図書館 - Wikipedia」だ。中身の約2/3は「歴史」についての記述であり、新館の記述はわずか1/6程度。かなり下までスクロールしないと新館の情報は出てこない。TSUTAYA図書館をキーワードにこの記事にたどり着く人にとっては期待した情報が得られない記事かもしれないが、歴史という視点で図書館を見てみるのは意外と面白い。

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 (写真)高梁市図書館が入っている建物。JR備中高梁駅直結。1階はバスセンター。

 

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 (写真)建物2階のスターバックスと観光案内所。奥は蔦屋書店と図書館部分だが境目は曖昧。

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 (写真)図書館部分で唯一撮影が許される4階の屋外展望テラス。児童書フロアが見えている。

 

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(写真)親切にも中身が取り出しやすいブックポスト。

 

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 (写真)高梁市郷土資料館と2016年閉館の高梁市立高梁中央図書館。明治時代の建築で文化財指定されている郷土資料館が隣にあることを図書館サービスに活かしていただろうか。

 

 

豊田市中央図書館と交流館図書室を訪れる

・某所の文章に小加筆してブログ記事にする実験。

2017年7月1日から7月4日まで3日間、Wikipediaのメインページに「豊田市中央図書館 - Wikipedia」が掲載された。この5月と6月に豊田市中央図書館と5つの交流館図書室を訪れてから書いた記事です。

 

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(上)豊田市中央図書館が入っている参合館。名鉄豊田市駅ペデストリアンデッキで直結。 (下左)図書館入口。(下右)イタリアの彫刻家チェッコ・ボナノッテの作品『文化の種 ミューズ達』。かなりの金額で購入したらしい。

 

1998年から「豊田市中央図書館」が入る参合館の3階から7階に図書館がある。8・9階が能楽堂。10階から13階がコンサートホール。現在は参合館がある駅前通りの再開発が進行中で、11月には豊田市中心市街地初のシネコンが開館する。

豊田市の「図書館」は1館だが、その他に31館のネットワーク館(コミュニティセンター図書室/交流館図書室)、1館の分室(こども図書室)がある。豊田市中央図書館の蔵書115万冊に目を奪われるけど、31館あるネットワーク館で計60万冊を所蔵している。貸出数に至っては中央館160万冊、ネットワーク館計180万冊と逆転する。

激動の2016年を経て、2017年4月から中央館に指定管理者制度が導入された。開館時間は1時間延びた。職員数は100人から80人に減ったが、司書数は2人から44人に増えた。2016年度までの司書は奥にこもりきりだったが、今年度は司書のほうからトランシーバ片手に声をかけてくる。

2016年から2017年に何度か中央館を訪れているが、新聞データベースは「予算不足で契約を取りやめ」、目玉のひとつである2,000自治体分の自治体史は書庫にしまい込み、館内の写真は職員同伴で許可されるもののSNSへのアップロード不可。今や図書購入費は一宮市より少ない。いろいろ悩ましい点はあるものの、愛知県図書館にない本があったりする圧倒的な蔵書の多さは(ごく稀に)頼りになる。

豊田市こども図書室」と「豊田加茂広域市町村圏移動図書館」の存在はユニーク。31室のネットワーク館とは別にこども図書室が1館だけ分館扱いされている不自然さの理由は、新聞記事を読んで納得した。

 

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豊田市中央図書館と、豊田市の交流館図書室の写真を掲載した。上から順に若林交流館、崇化館交流館、梅坪台交流館、保見交流館、上郷交流館の5図書室。いずれもAsturio Cantabrioが撮影。この5館のほかには妹島和世建築設計事務所が設計を手掛けた逢妻交流館|豊田市生涯学習センター交流館のように建築面で評価の高い交流館もある。

 

若林交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市若林東町沖田124

アクセス : 名鉄三河線若林駅から徒歩2分

若林交流館は1999年開館で、建築年も床面積も蔵書数も交流館の中では平均的といえる。麦畑が広がるのどかな地域にある。キッズスペース、児童書の書架、一般書の書架が段々になっている。入口から入って正面にあり、受付にも近い。図書室と他の部分を遮る扉などはなく開放感がある。図書室部分の上部は吹き抜けとなっている。南西側に大きな窓があって明るい。2万冊弱の蔵書数なのに地域資料も充実している。『豊田市史』はすべての交流館図書室に置いてあるのかもしれない。

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崇化館交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市昭和町2-46

アクセス : 名鉄豊田市駅から徒歩8分

最寄駅が豊田市中央図書館と同じ豊田市駅となる、もっとも豊田市の中心市街地に近い交流館。マンションに見える裏側と、なんとも言えないデザインの表側の壁面のインパクトが強い。31館中3番目に古い1985年竣工だが古さは感じない。入口を入ってすぐ、1階の中央部が図書室になっている。

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梅坪台交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市梅坪町1-15

アクセス : 愛知環状鉄道梅坪駅から徒歩2分

1983年開館。31館ある交流館の中では若園交流館に次いで2番目に古い。豊田市の交流館は毎年のようにどこかの館が更新されており、31館中14館は移転新築を経ている。1980年代の建物をそのまま使用している館は梅坪台交流館を含めてわずかしかない。梅坪台を含めて、どの交流館でも勉強する中高生がいた。図書室と他の部分を区切る扉などはなく、開放感がある。オレンジ色で区切られた下段は児童書、水色で区切られた上段は一般書。児童書・一般書が同じ書架にある珍しい配架方法。

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保見交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市保見町四反田121-1

アクセス : 愛知環状鉄道保見駅から徒歩3分

1982年に開館、1984年に移転、2007年に現行館に移転した保見交流館。一見するとかなり大きな施設に見えるが、中庭や吹き抜けなどの部分が多いので床面積は2,000m2に満たない。図書室部分はわずか92m2であり、狭さを感じるどんづまりの空間。ポルトガル語中心の外国語書籍コーナーがある。保見地区は南米出身者が多い保見団地を抱えている。

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上郷交流館図書室

所在地 : 愛知県豊田市上郷町5-1-1

アクセス : 愛知環状鉄道三河上郷駅から徒歩10分

1975年に開館し、1988年に現行館が竣工した上郷交流館。旧上郷町のメインの交流館であり、45,000冊という蔵書数、256m2という床面積は31館あるネットワーク館の中でも有数の規模。閉館日に訪れたら図書館入口にシャッターがしてあった。建物の他の部分と図書室を隔てるものがあるという点で、5館の中で唯一「(旧来のイメージの)図書室」らしさを感じた。

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オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1に参加する

2017年6月18日(日)、京都府宇治市で開催された「オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1」に参加しました。

 

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(写真)イベント会場の宇治市川東集会所。

 

 この日のスケジュール

10:00-10:30 イベント開始・主催者挨拶

10:30-11:00 WikipediaOpenStreetMap、Strolyの説明

11:00-12:00 お昼ご飯

12:00-14:00 まち歩き

14:00-16:00 Wikipedia & OpenStreetMapの編集作業

16:00-16:30 成果発表

16:30-17:00 閉会挨拶・記念撮影・アンケート記入

17:00 撤収完了(懇親会)

 

宇治市中央図書館を訪れる

9時開館の宇治市中央図書館に寄ってからイベント会場の川東集会所をめざした。図書館は宇治市文化センターと呼ばれる文化ゾーンにある。京阪宇治駅から徒歩25分-30分、くわえて丘の上にあるため自動車以外では行きづらい。約70mの高低差と最大18度の坂に驚きながら図書館にたどり着いた。

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 (図)黒線は図書館までの往復コース。赤線と青線はイベントでの街歩きコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

宇治市中央図書館は1984年開館。1992年には東宇治図書館が、1997年には西宇治図書館が開館し、現在は3館体制となっている。開館当時から宇治市「中央」図書館だったということは、 東宇治図書館と西宇治図書館の設置も計画済だったんだろう。ただ人口19万人の都市としては、また広大な文化ゾーンにある施設にしては狭さを感じる。中央図書館の延床面積は1,786m2。西宇治図書館は596m2、東宇治図書館にいたっては325mしかない。1980年代の図書館計画ではこの狭さも仕方ない。

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この図書館の見どころは書籍の横積み。書架には書籍が隙間なく並べられている上に、一般書はもちろん、郷土資料だって、参考図書だって、宇治市史だって横に積まれている。特に一般開架室にあった宇治市史の平積みは斬新で、思わず手に取ってしまった。天井は高く、通路はゆったりしているし、中央部に低い書架が集められているので、書架の写真ほどの圧迫感はない。9時30分近くになって図書館を出て、10時のイベント開始には何とか間に合った。

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 (左)一般書。(中)郷土資料。お茶に関する資料。(右)宇治市史の平積み。

 

オープンデータソン2017 in 宇治 vol.1

今回のイベントの会場は宇治市川東集会所。宇治市に約130か所ある「集会所」のひとつらしく、宇治市の観光スポットの起点となる京阪宇治駅から徒歩2分という好立地にある。ウィキペディアタウンは図書館でやるのが理想だとは思うけれど、ウィキペディアタウン丸亀城下町と今回とで公民館のありがたさを感じた。『宇治市史』のような厚い本から、『やさしい宇治の歴史』(役に立った)のような軽い本、パンフレットなどの薄い本まで、並べられていた文献は相変わらずバランスがよかった。

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 (写真)イベントのために是住さんが集めた文献。

 

今回のイベントは「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」の森田さんと京都府立図書館の是住さんが大学院で行っている研究も兼ねている。「-未来をつくる会」は、「源氏物語」「平等院」「宇治茶」という3大コンテンツを基盤におきながらも、これら以外の「ちはやぶる価値」(地理的背景や歴史的背景)でまちづくりをしようという団体。ふたりの挨拶のあと、Miya.mさんによるWikipediaの説明、坂ノ下さんによるOpenStreetMapの説明、高橋徹さんによるStrolyの説明と続いた。

Miya.mさんのスライドは毎回少しずつ変化している。今回であれば「博多祇園山笠の写真は曳き手の肖像権と山笠の著作権の関係でWikimedia Commonsにはアップロードできない」という話があった。「アメリカ合衆国著作権法が絡んでくるCommonsにはアップロードできないがウィキペディア日本語版にはアップロードできる写真がある」という理屈は、いつまで経っても理解できない。

坂ノ下さんは「なぜ私たちが地図を作る必要があるのか」という説明を強調する。「様々な主体が地図を提供すること」の重要性。「街のささやかな変化を記録して将来の投資にする」。OpenStreetMapの説明を聞くことでWikipediaの立ち位置を再認識させられる。最後は丸亀でも聞いた高橋徹さんの説明。丸亀でStrolyの説明を聞いてから、「場所の記憶を地図に表す」自由研究を進めている。この話は後日。

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(写真)是住さんと森田さん。30人以上入って熱気がある部屋。

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(写真)Miya.mさんによるWikipediaの説明のスライド。

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 (写真)坂ノ下さんの熱い説明。

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 (写真)高橋徹さんによるStrolyの説明。

 

宇治のまちあるき

3人の説明のあとはお昼ごはん。おにぎりなどで済ませた参加者が多かった。12時からは約2時間のまちあるき。川東集会所を起点として、宇治橋のたもとにある通圓、橋寺放生院、宇治神社宇治上神社、大吉山、朝日山、興聖寺、恵心院と歩いて川東集会所に戻る。

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(図)今回のまちあるきコース。OpenStreetMapを元に作成。

 

まずは宇治橋の目前にある茶屋・通圓で、第24代当主通圓祐介さんに解説を聞く。通圓の創業は1160年。歴代当主はこの地で橋守として旅人に茶を提供してきたらしく、その時々の権力者からもひいきにされていたらしい。現在の建物は1672年に完成。今回作成したWikipedia記事「通圓」には昭和初期の写真を掲載したが、もちろんこの時から建物は変わっていない。

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 (左)昭和初期の通圓。(右)通圓の建物前で解説を聞く参加者。

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 (左)通圓前から見た宇治川。1996年以前は写真左側から奥に向かって架かっていた。(右)OpenStreetMapを元に作成。

 

通圓を後にして宇治神社方面に向かう。初夏の休日ということで観光客は多かったが、 「ちはやぶる宇治の未来をつくる会」ののぼりのおかげで誰もはぐれずに済んだ。このあたりでもっとも知名度のあるスポットは宇治神社宇治上神社であり、それぞれの境内を通ったものの、両社は今回のイベントの執筆対象ではない。イベント前にはすでにWikipedia記事がある程度充実していたので執筆候補から外したらしい。宇治神社の氏子は旧宇治地域、宇治上神社の氏子は槇島地域の住民だと聞いたが、宇治市の旧市街地にある縣神社と宇治神社/宇治上神社の関係はどうなっているんだろう。

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(左)こんな道でも車の往来は多くて興ざめ。(左)宇治川の川辺。

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 (左)川に近いほうは宇治神社。(右)山側にあるのは宇治上神社

 

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(写真)宇治神社拝殿。ウィキペディアタウンに参加するとイベント風景を撮ることに意識が働くので、Wikipediaに掲載するための写真を撮り忘れる。右のように人が入らないタイミングで撮るのは難しいし、きれいな写真を撮ることに集中するとガイドの解説を聞き漏らしたりする。

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 (写真)世界遺産古都京都の文化財」の構成遺産である宇治上神社平安時代後期の本殿は国宝。Wikipedia的には人が入らないように撮れ、という説明写真2枚。

 

標高20mほどの宇治市街地から、標高130mほどの大吉山と朝日山に登る。大吉山展望台からは、平等院のある宇治市街地、巨椋池干拓地、男山方面が見えた。宇治川巨椋池と宇治の町の関係を説明するのにこの展望台は都合のいい位置にある。琵琶湖南端部の瀬田から山間部を流れてきた宇治川は、宇治の街で平地に出る。宇治より下流には広大な巨椋池が広がっていた。宇治川を下ってきた木材が巨椋池を経由して、木津川を上って奈良まで運ばれていた時期もあったらしい。

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(写真)大吉山展望台。川向こうに平等院宇治市の旧市街地が見えた。

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(写真)大吉山と朝日山の中間にある四差路。奥が朝日山。

 

朝日山を下ると曹洞宗興聖寺。大吉山や朝日山から先のまちあるきはさすがにダレた。特に今回のまちあるきには寺社が5つも含まれていた。宇治神社宇治上神社の関連はともかく、橋寺放生院・興聖寺・恵心院の3寺も何かしらの関連があるのだろうけど、よくわからなかった。中近世の歴史は人物名など固有名詞の予備知識がないと解説が頭に入ってこない。もともとまちあるきは2時間の予定だったが、結果的には2時間45分かかった。

今回は宇治市周辺からの参加者が一定数いたし、歴史や寺社に造詣の深い参加者も多かったのだと思うが、ちょっと詰め込みすぎたのではないのかとも思った。

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 (写真)曹洞宗興聖寺。異国風? 黄檗宗風?の山門。

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(左)宇治十二景のひとつである琴坂。紅葉の名所。(右)宇治発電所から流れてくるたっぷりとした水量の水路。

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 (写真)あじさいの名所・恵心院。

 

ウィキペディアを編集する

当初の予定ではまちあるき2時間、編集作業2時間だったが、結果的にまちあるきが2時間45分程度かかったので、川東集会所での編集作業は1時間強に減った。ウィキペディアチームの4グループはそれぞれ「通圓」(新規作成)、「朝日山」(新規作成)、「興聖寺」(加筆)、「恵心院」(加筆)を担当し、事前に準備された文献で作業に取り掛かった。

私は4人で「通圓」を担当するグループに入った。今回の4記事の中ではいちばん「歴史」要素が薄い。まずは全員で15分程度文献を読み、Wikipediaに書けそうな部分を探して付箋に書き込む。付箋の内容を全員で共有して節構成などを決めた後、まずウィキペディア編集経験者の榎さんが記事の外枠を作る(通圓の初版)。その後、私は「歴代当主」の表を作成し、通圓公式サイトから昭和初期の建物の画像を探してきて追加(差分)。ウィキペディア初編集のMさんは通圓の「特色」と「沿革」を(差分)、同じくウィキペディア初編集のKさんは「登場する文芸作品」を加筆する(差分)役割分担を行った。編集時間は短かったが形にはなった。

通圓を説明する上でいちばんの特徴は、平安後期の1160年に創業している超長寿企業であるということ。 『雍州府志』(1686年)や『都名所図会』(1780年)にはもちろん掲載されており、これらは国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できる(はず)。江戸時代より前の地誌や名所図会にも掲載されているはずで、その画像1枚だけで何行の文章よりも説得力のある記事になる。なお、現時点のWikipedia記事「通圓」にでは 『雍州府志』の画像も『都名所図会』の画像も掲載されていないので、どなたか通圓に興味のある方はデジタルコレクションを閲覧するなどして掲載してください。

 

ところで、宇治は「川霧が立ち冷涼で霜の少ない」ため茶の栽培に適しているらしい。今日の宇治茶の主産地は宇治市ではなく和束町南山城村・宇治田原町木津川市であるけれど、これらの自治体も中近世の宇治と同じ条件を備えているのだろうか。宇治川流域(宇治市・宇治田原町)と木津川流域(和束町笠置町)は30km近く離れているので気候などは大きく違いそうなものだけれど。

また、茶業統計を見ると玉露の多い宇治田原町碾茶の多い和束町、煎茶の多い南山城村、かぶせ茶の多い木津川市と特徴が異なっているけれど、これは何を意味しているのだろう。そもそも玉露碾茶とかぶせ茶の違いがよくわからない。通圓での祐介さんの説明はぼんやり聞いていたけれど、Wikipediaに書くために文献を調べるといろいろ疑問が出てくる。

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(写真)1863年刊行『宇治川両岸一覧』。このように通圓を主題として書かれた絵図が何枚もある。

 

 

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(上)机を4-5人で取り囲むウィキペディアチーム。(下)横一列に並ぶOSMチーム。

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 (写真)成果発表。

 

 さて、「オープンデータソン2017 in 宇治」は4回連続シリーズの第1回。1か月に1回のペースで9月まで行う。ぴちぴちの院生2人による大学院の研究の一環ということで、オープンデータ京都実践会のこれまでのイベントより計画と評価と改善に重みを置いているのだろう。4回目が終了してどんな研究結果が出るのか楽しみ。

 

7月08日(土) ウィキペディアタウンin豊中 とよ散歩

7月23日(日) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

7月29日(土) 伊丹市(募集開始前)

8月26日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

9月30日(土) オープンデータソン2017 in 宇治 vol.2

「多治見市図書館」を加筆する

昨今の厳寒季にありて何一つ暖房設備のない読書室に孜々として読書に余念のない青年の姿を眺める時日本はまだ亡びずの感を深くした

— 『週刊たぢみ』1947年2月22日

 

 

2017年5月30日・31日・6月1日の3日間、ウィキペディア記事「多治見市図書館 - Wikipedia」が強化記事としてメインページに掲載されました。その後6月上旬に投票が行われ、2017年5月期のWikipedia:月間強化記事賞 - Wikipediaを受賞しました(どちらも内輪の投票ごっこです)。本エントリーはFacebookからの転載・修正。

 

多治見市図書館を訪れる
2016年夏にはLibrary of the Year受賞館をいくつか訪れて、ウィキペディア記事を作成したり加筆しました。伊那市立図書館、静岡市御幸町図書館、鯖江市図書館。その一方で自宅からいちばん近い受賞館である多治見市図書館を避けていたのは、この図書館の受賞理由がよくわからなかったから。2016年8月に初めて訪れたのですが、3階にある陶磁器資料コレクションはすごいと思ったものの、図書館に関する文献を調べることなく写真だけ撮って帰りました。

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(写真)2016年8月のまなびパークたじみ。曇天。

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(写真)2016年8月の多治見市図書館の館内。2階と3階の写真だけ撮った。

 

多治見市図書館に気付く
この2017年4月には岐阜県立図書館に行く機会があり、たまたま、多治見市図書館の事業年報を初めて閲覧しました。多治見市図書館の事業年報は70ページものボリュームがありますが、図書館の沿革に関する部分はたった1ページしかなく、役に立ちません。しかし、郷土資料の収集に関する部分は図書館が収集にかけている熱意がよくわかります。また、事業年報に書かれている展示やイベントの数は目を疑うほどでした。展示やイベントについては写真も掲載されています。


5月には約1年ぶりに多治見市図書館を訪れました。実は前回の訪問時には4階の郷土資料室に入り損ねていました。多治見市図書館は2階と3階が開架。郷土資料室は開架とは別フロアの4階にあり、中の見えない扉を開けるのを躊躇していたのです。
この郷土資料室は半分が地域資料の書架として、半分が事務室として使われています。入口側半分の書架をびっしりと埋める地域資料からは、この図書館のキモは郷土資料室なのだということを悟りました。2015年のLibrary of the Year受賞については中日新聞岐阜新聞が記事を書いていますが、いずれも3階の陶磁器資料コレクション8000点に焦点を当てており、4階の郷土資料室のすごみは伝わってこないのです。
事務室はそのままレファレンスの窓口にもなっているようです。前月に岐阜県立図書館で多治見市図書館の文献を探した経験から、司書に「まなびパークたじみ移転前の歴史に関する文献が少ないですね」と言ったら、多治見市史刊行時に集めたらしい資料(蔵書扱いになっていない資料)を事務室の棚から出してくれました。その一部は『多治見市誌稿』を原典としていましたが、岐阜県立図書館ではこの文献を見落としていました。

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(写真)2017年5月のまなびパークたじみ。つつじは終わりかけだが快晴。

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(写真)多治見市図書館4階の郷土資料室。

 
多治見市図書館についてまとめる

5月中に少しずつ多治見市図書館の文献を文字にし、24日に既存のウィキペディア記事「多治見市図書館」に加筆しました。

多治見市図書館といえば陶磁器資料コレクションが注目され、2015年にLibrary of the Yearを受賞したことが特筆されますが、このウィキペディア記事の文章の中心はそこではありません。『岐阜県公共図書館の歩み』『岐阜県教育史』『図書館白書ぎふ』『多治見市の教育』などにわずかずつ書かれている、20世紀中の数少ない記述を寄せ集めて作った歴史節が記事の中心です。

多治見市図書館の陶磁器資料コレクションやLibrary of the Yearについてはググれば出てきますが、歴史的な記述は図書館の本の中に眠っています。ネット時代で見えにくくなっているそれらの文献について、濃い味付けをすることなく、バランスよくまとめて提示することを心掛けています。

 

多治見市は岐阜県で3番目に市制施行したという歴史があります。また、戦後すぐの時期に一市民の発案で図書館が設立されたというエピソードもあります。このような歴史の豊かさ・文化度の高さが陶磁器資料コレクションの根底にあると思ったため、「歴史」節は「特色」節よりも前に置いています。

本ブログの冒頭に置いた引用句は、1947年の開館当時に『週刊たぢみ』に掲載された文章です。資金や蔵書にかける時期にもかかわらず図書館を設置した郷土の自治体に対する誇りが伝わってきます。またこの記事には、建物の変遷を視覚的に理解できるような画像もいくつか掲載しています。

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(左上)煙突が林立する1950年の多治見市。(右上)昭和20年代に図書館が併設されていた消防会館。(左下)1960年の旧幼稚園舎時代(右下)1977年から図書館に使用された旧多治見市民病院。

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(左)英語多読コーナー。(右)陶磁器資料コレクション。


日本一暑い町で汗水たらして陶磁器資料を集めている司書の苦労までは調べきれていません。多治見市図書館に関心のある方は、ぜひこの図書館に関する情報提供をお願いします。

 

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