振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。東京ウィキメディアン会・関西ウィキメディアユーザ会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などを書きます。

「桜ペディア」に参加する

f:id:AyC:20180411014534j:plain

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。一部を除き著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。桜の写真2枚に関しては作者の表示を参照のこと。地図の出典はOpenStreetMap、作者はOpenStreetMap contributor。

 

 宮澤さんの個人企画「桜ペディア」に参加するために、2018年4月7日(土)には飯田市を訪れました。名古屋からは意外と近い飯田市、高速バスで約2時間です。

 自宅を6時前に出て名鉄に乗り、7時に名鉄バスセンターを出る便に乗ると9時にはもう飯田駅。まずは宮澤さんの車で飯田市内の一本桜をいくつか案内してもらう。まずは元善光寺にある「麻績の里 舞台桜」(おみのさと ぶたいざくら)へ。前日の雨でだいぶ散ってしまったようですが、今回は桜の花ではなく幹や枝を見る楽しさを教えてもらいました。飯田市には樹齢200年を超える一本桜が100本以上あるそうで、これは全国的に見てもかなり珍しいそうです。

 隣には長野県指定文化財(長野県宝)の旧座光寺麻績学校校舎。学校校舎兼人形劇舞台という不思議な建物であり、1984年まで現役の学校校舎だったということに驚く。100m南西には石塚古墳の石室の上に桜が植わっている「麻績の里 石塚桜」があり、こちらもかなりインパクトがある一本桜です。

麻績の里舞台桜 - 飯田市ホームページ

旧座光寺麻績学校校舎 - 飯田市ホームページ

f:id:AyC:20180411014825j:plainf:id:AyC:20180411014614j:plain

(写真)「麻績の里 舞台桜」と「旧座光寺麻績学校校舎」。

 

 飯田市街地に戻り、橋北地区の正永寺(しょうえいじ)に。樹齢400年のシダレザクラがありますが、この数年でかなり弱ったとのこと。住職がカメラ好きなのか、公式サイトには桜の写真がたくさん。2017年7月の「ウィキペディアタウンin飯田」でも重要なキーワードとなった「橋北」(きょうほく)と「橋南」(きょうなん)ですが、範囲が漠然とした広域地名は地図やウェブに出てきづらい情報であり、地元の方が何らかの形で発信してほしいと思っています。

圜悟山 正永寺 – 長野県飯田市にある 圜悟山 正永寺 のホームページです

f:id:AyC:20180411021405j:plain

(写真)正永寺のシダレザクラ。作者 : じゃ・いあん。Wikimedia Commonsより。撮影日は2018年3月29日。

 

 その後飯田市街地を横断して愛宕稲荷神社へ。深い谷を挟んだ対岸には飯田市動物園があります。ここの「清秀桜」(せいしゅうざくら)は飯田市で最も古い樹齢760年とのことですが、幹は正永寺のシダレザクラよりもかなり細い上に樹勢もよい。760年を経ている幹は花を咲かせている幹とは別だろうとのことです。

愛宕神社の清秀桜 - 飯田市ホームページ

f:id:AyC:20180411021710j:plain

(写真)愛宕稲荷神社の「清秀桜」。作者 : Kzu06。Wikimedia Commonsより。撮影日は2018年4月3日。

 

 飯田市立中央図書館の開館時間である10時を過ぎたところで図書館に向かいます。裏手にはヒガンザクラとシダレザクラの2本が根元でつながった「桜丸の夫婦桜」があります。図書館入口近くでは桜に関連する本の展示が行われていました。図書館でモロタンとも合流し、2階の会議室でそれぞれがPCを開いて編集作業を開始しました。きょう使う文献は宮澤さんや司書のHさんが準備してくれており、司書のSさんも新たな文献を提供してくれました。

 おひるごはんは図書館から徒歩5分の上海楼へ。中華そば(並)と揚げ餃子。餃子がおいしい。中華そばは食べきれなかった。

f:id:AyC:20180411014636j:plainf:id:AyC:20180411014642j:plain

 

 上海楼を出るとその足で飯田市立上郷図書館へ。エプロン姿で働いていた小柄な司書・Iさんが白くまのぬいぐるみを見せびらかしてきました。それどこで買ったの、って聞いてあげればよかったかな。

 中央図書館でもそうですが、上郷図書館でも地域資料の書架に「文献リスト」のファイルが挟んであります。このリストは公式サイトの「いいだの情報・いいだの資料」でも公開されています。書架へのファイル設置、ウェブ上での公開、どちらもとてもいい取り組みだと思うのですが、真似する図書館が少ないのはなぜでしょう。知られてないだけならもったいない。

 上郷図書館を出ると、Iさんの情報をもとに飯田女子高校の裏手にある飯沼諏訪神社へ。モロタンは飯田女子高校に思い入れがあるそうです。上郷図書館ではぼんやりしていたのでこの神社を訪れた理由を覚えていないのですが、諏訪系とのことで太くて長い2本の御柱が立ててありました。Google Mapでは単に「飯沼神社」となっています。

 飯沼諏訪神社河岸段丘の上段と下段の境目にあり、下段からは300段もの石段を上る必要がある。宮澤さんは高校時代に体育の授業でこの石段を上っていたとのこと。単なる道路地図を見ても地形の変化がわかりづらいのですが、航空写真では森が一直線に連なっているのが見えて感動します。下のOpenstreetMapでも森の存在がわかります。

f:id:AyC:20180411014645j:plainf:id:AyC:20180411014648j:plain

(左)上郷図書館の地域資料の書架。(右)飯沼諏訪神社御柱

f:id:AyC:20180411032135p:plain

(地図)この日訪れた一本桜と図書館。

 

 14時30分頃に中央図書館に戻り、宮澤さんが「いとうや」で買った桜餅を食べながら編集作業を行いました。私が編集したのは「愛宕稲荷神社」(新規作成)と「飯田市美術博物館」(加筆)です。神社による発行物として『愛宕稲荷神社 由来記』があり、この『由来記』を基に長野県神社庁ウェブページを作成してくれています。一見すると楽に思えたこの題材ですが、『由来記』・神社庁ウェブページの言及(1185年-1190年に神社が創始)と『名勝愛宕』の言及(1344年生の坂西由政が神社を創始)に約200年もの食い違いがあったことで、この神社の正しい歴史を把握するのに時間がかかりました。

愛宕稲荷神社 - Wikipedia

飯田市美術博物館 - Wikipedia

f:id:AyC:20180411015033j:plain

(写真)いとうやの桜餅。上が道明寺(関西系)、下が長明寺(関東系)。

 

 図書館の閉館時間である18時まで編集作業をねばる3人。その後は鼎のコメダ珈琲に移動。コメダ珈琲がある国道153号飯田バイパスにはロードサイド店舗が集積しておりにぎやかですが、ひっそり静まり返った飯田市街地からは2kmしか離れていません。この道路は通称「アップルロード」というそうですが、道路の愛称も地図やウェブに出てきづらい情報のひとつだと感じています。

 名古屋までの高速バス最終便は19時30分に飯田商工会館を発車し、19時49分に伊賀良バス停を出ます。この便の時間まで宮澤さんやモロタンと雑談してから帰りました。

 

ふりかえり

 飯田市立中央図書館の司書・Sさんとは2017年1月の「第10回 ウィキペディアタウン×高遠ぶらり」で、上郷図書館の司書・Iさんや鼎図書館の司書・Tさんとは2017年3月の「WikipediaLIB@信州#01」でお会いし、それぞれその後も何度かお会いしています。

 初めて飯田を訪れたのは2017年7月の「ウィキペディアタウンin飯田」。11月には個人的に飯田市立中央図書館・鼎図書館・上郷図書館・喬木村椋鳩十記念図書館をめぐり、今年3月上旬には「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」の帰りに立ち寄って映画を見ました。

 一年前には飯田が名古屋からこれほど近いとは思っていませんでしたが、今では地理的にも心理的にも、長野県でもっとも近い町だと感じています。飯田には4月後半か5月前半にまた一度行く予定です。

「第3回ウィキペディアタウン in 東久留米」に参加する

 3月24日(土)、東京都東久留米市東久留米市立中央図書館で「第3回ウィキペディアタウン in 東久留米」に参加しました。 

f:id:AyC:20180328224423j:plain

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。空中写真3枚に関してはライセンス表示を参照のこと。

 

東久留米市を訪れる

 この図書館では2016年9月に第1回(ブログ記事)を、2017年3月に第2回を開催しています。私はこの3回のイベントにすべて参加しているのですが、運営側の人間(講師や主催者)を除けば皆勤賞は私だけではないでしょうか(自慢)。この日は朝から西東京市を徒歩で縦断・横断して集合場所の東久留米市郷土資料室に向かいました。

 

 東久留米市郷土資料室は閉校となった滝山小学校の校舎に設置されています。教室の趣を残す一室で主催者から説明を受けた後、同一階にある郷土資料室を見学し、そのあとまちあるきに出発しました。PCなど大きな荷物は、主催者が車で図書館まで運んでくれるサービスがありました。

 東久留米のウィキペディアタウンでは必ず岡野館長が開催意図などを説明してくださるのですが、岡野さんの説明はいつも深く伝わってきます。講師の顔を立てるためか図書館員が裏方に徹している地域もあり、「なぜこんなイベントを開催するのか」についての説明が主催者から一切ないこともありますが、東久留米では図書館員がうまい具合に前に出てきます。例えば東久留米で“まちあるきガイド”を務めるのは専門のガイドではなく図書館員。第1回イベントではこの点がやや物足りないと感じたのですが、地域資料担当の図書館員を鍛えることも目的なのでしょう。

 

スケジュール

09:30-10:30 主催者挨拶・郷土資料室見学

10:30-12:00 フィールドワーク(郷土資料室=滝山団地=御成橋=図書館)

12:00-12:45 昼食

12:45-14:00 講師による講義「ウィキペディアとは」

14:00-16:20 文献調査・記事作成

16:20-17:00 成果発表・まとめ

 17:00- 図書館内での懇親会

 

f:id:AyC:20180328223636j:plainf:id:AyC:20180328223639j:plain

(左)西東京市役所保谷庁舎。(右)西東京市中央図書館。

 

まちあるきする

 前週に参加したウィキペディアタウンin瑞穂と同じく、集合場所(東久留米市郷土資料館)と執筆会場(東久留米市立中央図書館)をまちあるきでつないでいます。GPSログをもとに距離を測ったら3.2kmであり、ウィキペディアタウンとしてはやや長め。

 まちあるきのメインは郷土資料館近くにある滝山団地です。1969年に完成したこの団地はもうすぐ50年。1960年に2万人弱だった人口が1975年には10万人を超えた東久留米市を象徴する団地ということです。すでに建て替えの途中であるひばりが丘団地とは異なり、滝山団地は建て替え前とのことですが、4階建の建物にはエレベーターが後付けされていました。滝山団地の南側には東京Deep案内でも紹介されている滝山中央名店街があり、昔ほどではないとはいえ多くの人でにぎわっていました。

f:id:AyC:20180327011002p:plain

(地図)フィールドワークのルート。出典 : OpenStreetMap。作者 : OpenStreetMap contributor。

f:id:AyC:20180328222842j:plainf:id:AyC:20180328222904j:plainf:id:AyC:20180328222908j:plain

(空中写真)左から滝山団地造成中の1966年、造成後の1974年、2008年。国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。ライセンスは下記の通り。

f:id:AyC:20180328223526p:plain

f:id:AyC:20180328223849j:plainf:id:AyC:20180328223855j:plain

(左)東久留米市立滝山図書館と桜。(右)歩道橋から見た滝山団地。

f:id:AyC:20180328223951j:plainf:id:AyC:20180328223953j:plain

(写真)滝山団地を歩く参加者。

 

 団地そばの滝山公園から北上し、「かつてはこの辺りで唯一舗装されていた」所沢街道を越えると、前沢地区の村社だった八幡神社があり、そのそばには落合川 (東京都) - Wikipediaの源流とされる地点があります。落合川は第1回イベントで記事が作成された河川であり、湧水のために図書館の南側ではかなりの水量がありますが、源流がこんなに近いとは。そこからは主に落合川の脇を通って図書館に向かいました。落合川小金井街道の交差地点付近には地蔵がありました。

f:id:AyC:20180328224233j:plainf:id:AyC:20180328224236j:plain

(写真)落合川の川岸を歩く参加者。

f:id:AyC:20180328224157j:plain

 

編集する

 図書館そばのセブンイレブンで買ったものでおひるごはん。午後は講師のくさかきゅうはちさんによるウィキペディアの説明を聞いてから、3グループに分かれて編集作業を行いました。他の参加者による参加報告でも触れられていましたが、くさかさんの説明は以前と比べて親しみやすい方向に変化しているというか、参加者の傾向に合わせて説明を変えるようになったのだろうと思いました。

 今回の参加者には地元の方に加えて、図書館系のサイトを運営されている方、都内の公共図書館員、遠方から来た図書館員、オーストリアから来たウィキペディアンのフィリップ・コペツキー(Philip Kopetzky)さん、東久留米市から派遣されてフィリップさんの通訳をしてくださった方、ベテランウィキペディアンのNさんやSさんなどがいました。フィリップさんはWikimedia Österreich - Metaウィキメディア財団オーストリア支部)の副代表をされている方です。

 一般参加者は「東久留米市」の日本語版英語版ドイツ語版を加筆するグループ、「滝山団地 - Wikipedia」を加筆するグループ、「八幡神社 (東久留米市八幡町) - Wikipedia」を新規作成するグループの3グループに分かれ、それぞれのグループにウィキペディアンが1人以上入りました。私は「八幡神社」のグループに入り、メイン写真の追加、絵馬に関する記述の追加、空中写真とOSM地図の追加などを行っています。

f:id:AyC:20180328224411j:plainf:id:AyC:20180328224420j:plain

(左)編集会場の東久留米市立中央図書館。(右)事前に準備された文献。

f:id:AyC:20180328224417j:plainf:id:AyC:20180328224414j:plain

(左)編集会場となる部屋。写真の一部を加工していますが気にしないでください。(右)どこかで見た動画

 

ふりかえり

 3年連続3回目の参加となったウィキペディアタウンin東久留米。毎回“そこにふじいさんがいるから”参加しているのですが、第1回も第2回も今回も当初は参加する予定ではなく、開催まで1週間を切ってから申し込みを行ったのでした。第1回ではできなかったメールでの申し込みが第2回で可能となり、第1回・第2回はなかったWi-Fiが今回は使用可能となるなど、運営方法は着実に進歩しています。1年に1度しか開催しないイベントなのにきちんとマニュアルがあるようで、電話を掛けた時の対応は毎回すばらしいです。内容についていえば今回は集合地点からまちあるきして図書館をめざすというアクセントがつけてありました。

 この日は最終の1本前の新幹線で帰りました。第1回イベントの際は品川駅から、第2回は始発の東京駅から最終の新幹線自由席に駆け込んだ記憶がありますが、今回は指定席を取っていたので東京駅で翌日渡すおみやげを買ってから悠々と帰ることができました。ロバの人もちょっとずつ成長しているようです。

f:id:AyC:20180328195014p:plain

(写真)ロバ。

 

 

 

 

ウィキペディアタウンin瑞穂に参加する

f:id:AyC:20180321180854j:plain

(写真)集合場所の瑞穂生涯学習センター。

 

名古屋市瑞穂区を訪れる

 2018年3月17日(土)、「ウィキペディアタウンin瑞穂」に参加しました。

 名古屋市図書館で開催されるウィキペディアタウンは今回で3度目。2017年6月には中央館である名古屋市鶴舞中央図書館、2017年12月には支所管内分館(区内で2番目の館)である名古屋市山田図書館で開催しており、今回は分館(区内で1番目の館)での開催です。

 名古屋市南東部に位置する瑞穂区は、三河地方に近い地域。名古屋市を訪れる際に名鉄本線を使う私にとっては、堀田駅を前に右側に見えるこんもりとした町(瑞穂区井戸田町)や大きな建物(瑞穂区生涯学習センター)は見慣れた風景でしたが、このイベントの準備段階までこの地域を歩いたことはありませんでした。

 今回の集合場所は瑞穂生涯学習センター。鶴舞中央図書館のムード歌謡歌手である齋藤森都さんによる「Wikipedia」や「ウィキペディアタウン」の説明の後、みずほ史跡ウォーカーのガイドを受けて山崎川河岸・井戸田町のまちあるきをおこないます。地下鉄妙音通駅でいったん解散し、参加者は自由に昼食をとった後、瑞穂図書館に集合して編集ワークショップを行いました。

 茜さんの説明では「瑞穂区について」の説明がありました。瑞穂区外・名古屋市外・愛知県外の方が多いことを把握したうえでの、ガイドによる詳しい説明に入る前の緩衝材となる説明でした。「自己紹介ワーク」や「ふりかえり」を重視しているのもこのイベントのポイントです。

 

スケジュール

10:00-10:30 主催者挨拶・斎藤さんによるWikipediaの説明(瑞穂生涯学習センター)

10:30-12:00 まちあるき

12:00-13:30 各自で昼食

13:30-14:00 主催者による作業の説明・私によるWikipediaの説明(瑞穂図書館)

14:00-16:00 編集ワークショップ(瑞穂図書館)

16:00-17:00 成果発表・ふりかえり(瑞穂図書館)

 

まちあるきする

 特に前半は交通量の多い道路を歩くということで、約25人の参加者は3グループに分かれ、各グループ2人のガイドの説明を聞いて歩きました。この辺りはさすが常設のガイド団体という気がします。まずはほぼ「郡道」に沿って南下。現在ある道路とはややずれているようで、道路の痕跡もないようですが、地域資料にはしばしば登場する道です。

 400mほど南下すると郡道は旧東海道と交差しています。旧東海道が山崎川を渡る場所には山崎橋が架かっており、河岸には秋葉社やかつての橋桁が。下見で歩いた際にはこの秋葉社の存在が気になっていましたが、ウェブ検索や図書館の地域資料からはまったく情報を見つけられない存在だったのです。橋桁については個人ブログなどがヒットしますが、「ここにある1基以外の3基も周辺に残されている」という説明は初耳でした。東海道に関しては今回歩いた瑞穂区内よりも、山崎川の南側の南区内に見どころがあります。

 山崎橋からは北上して藤原師長謫居跡(ふじわらもろながたっきょあと)へ。赤い鳥居が印象的な嶋川稲荷の一角に石碑が建てられていますが、実際には50m程離れた場所に居住していたようです。謫居跡から北上して妙音通を渡ると井戸田町龍泉寺で説明を聞いた後、上野街道(鎌倉街道)の一部を歩いてから井戸田コミュニティセンターに入り、再び龍泉寺に戻ってからいったん解散となりました。

f:id:AyC:20180321190156p:plain

(図)まちあるきコース。

f:id:AyC:20180321190159p:plain

(図)井戸田町の拡大図。

f:id:AyC:20180321180909j:plainf:id:AyC:20180321180911j:plain

(左)山崎川の河岸にある秋葉社。(右)河岸の公園にある旧東海道の古い橋桁。

f:id:AyC:20180321180915j:plainf:id:AyC:20180321181039j:plainf:id:AyC:20180321181359j:plain

 (写真)黄色いベストを着たみずほ史跡ウォーカーの方の説明を聞く参加者。

f:id:AyC:20180321181511j:plainf:id:AyC:20180321181515j:plain

(写真)井戸田町龍泉寺。右はかつての井戸「亀井水」。

f:id:AyC:20180321181750j:plain

 (写真)龍泉寺に隣接する、鳥居がある最経寺。

 

 主催者からはランチマップが配布されましたが、掲載されていなかった「新瑞フレンチ」に。内部はおしゃれだけど名前や看板がださい。キッシュがでかすぎて食べきれませんでした。午後の会場は名古屋市瑞穂図書館。解散地点からは徒歩で約15分です。1969年開館の瑞穂図書館は2015年に移転しています。名古屋市でいちばん新しい図書館のはずなのですが、まったく新しさを感じさせない不思議な館内が魅力です。

 

編集する

 私も10分ほど時間をいただき、午前中の森都さんとはやや異なる視点から「Wikipediaとは何か」という説明をしました。らっこさんが「WikipediaLIB@信州」で初めて使った「ウィキペディア:#事実が重要」という動画も鑑賞しています。「ウィキペディアタウン in 安曇野松川村」におけるさかおりさんの説明が印象的だったため、「私はなぜWikipediaを書いているのか」という説明も添えました。

f:id:AyC:20180321180801j:plainf:id:AyC:20180321182154j:plain

(左)名古屋市瑞穂図書館。作者: KAMUI。Wikimedia Commonsより。(右)瑞穂図書館が準備した文献の一部。もうひとつブックトラックがある。

www.youtube.com

 

 地元在住の市民、図書館員、ウィキペディアの編集経験者、リーダーシップをとれる方をバランスよく配置するため、名古屋市ウィキペディアタウンでは「WikipediaLIB@信州」などと同じように、事前にグループ分けを行っています。主催者が事前に選定した編集記事候補の中から、グループごとに編集記事を決めました。

 今回は鶴舞中央図書館や山田図書館で開催した際よりも小規模な会議室でしたが、前回までにはなかったホワイトボードが各グループに用意されました。常に情報を共有しながら作業するためには重要なアイテムであり、下の写真のように節構成などを視覚的に確認して作業しています。

 

今回の編集対象記事

上野街道 (名古屋市瑞穂区) - Wikipedia(新規作成)

藤原師長謫居跡 - Wikipedia(新規作成)

藤原師長 - Wikipedia(加筆)

井戸田町 (名古屋市) - Wikipedia(加筆)

f:id:AyC:20180321181844j:plainf:id:AyC:20180321181848j:plain

(左)コーディネーターの山本茜さんと、図書館側の責任者である畑中さん。(右)ホワイトボードで節構成を確認する。

f:id:AyC:20180321181857j:plainf:id:AyC:20180321181852j:plain

(写真)編集ワークショップ中の参加者。

 

ふりかえり

 さて、私がウィキペディアタウンに参加するときは「講師/編集サポート」という役目がある回と「一般参加者」である回があります。編集ワークショップ中には「講師/編集サポートとして会場全体に目を配る」回と「どこかのグループに入ってファシリテーター的な役割をしながら編集作業する」回があります。今回は「協力者」(編集サポート)という立場で、上野街道を新規作成するグループに入って編集作業を行いました。

 ウィキペディアタウンに参加するウィキペディアンには、①講師として全体に目を配るのがうまい方(例:くさかきゅうはちさんやらっこさん)、②ファシリテーターとしての動きに長けた方(例:AraiSyoheiさん)、③文章作成を指揮するのに専念する方(例:のりまきさんやSwaneeさん)がいます。苦手なファシリテーターとしての役割が重要であることは認めつつ、自分の強みは①でも②でも③でもないことを感じています。他の方が書いてくれた文章を引き立たせるような編集を心がけており、また「ウィキペディアを書くこと“の先”が重要である」という主催者の意図をうまく伝えようともがいています。

 

 

大阪ウィキペディアエディタソンに参加する

f:id:AyC:20180312171838j:plain

(写真)開館前の図書館。この写真は「大阪市立中央図書館 - Wikipedia」にも使用した。

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。ただし絵図はパブリックドメイン。空中写真の著作権者は国土交通省Wikipediaスクリーンショットが数枚ある。

 

 2018年3月11日(日)、大阪市立中央図書館で開催された「大阪ウィキペディアエディタソン」に参加しました。

 

www.oml.city.osaka.lg.jp

www.oml.city.osaka.lg.jp

f:id:AyC:20180312171847j:plain

 

イベントの開催意図

・やってみる編「ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」

・みる編「大阪ウィキペディアエディタソン」

 

 今回のイベントは、参加者自らがウィキペディアを編集する“やってみる編”と、ウィキペディアンによる編集作業を見学する“みる編”の同時開催でした。私は“みる編”の「編集者」として参加したので、“やってみる編”の様子はほとんどわかりません。

 

 Library of the Year 2017(LoY2017)では「瀬戸内市民図書館」、「大阪市立中央図書館」、「ウィキペディアタウン」が優秀賞を受賞しています。Library of the Year 2016で優秀賞を受賞した4機関は岩手県紫波町で受賞記念サミットを開催しており、それが好評だったことから、LoY2017の優秀賞受賞機関も類似のイベントを企画したのだそうです。

 主催者側の責任者は、LoY2017最終選考会で大阪市立中央図書館のプレゼンを担当した澤谷さん。この選考会でウィキペディアタウンのプレゼンを担当した宮澤さんがイベントの司会。特別ゲストとして、LoY2017選考委員長の山崎さん、瀬戸内市民図書館の館長である嶋田さんも参加してくださいました。

f:id:AyC:20180314154926j:plain

(写真)開会挨拶を行う澤谷さん。

f:id:AyC:20180312172901j:plainf:id:AyC:20180314154951j:plainf:id:AyC:20180312172906j:plain

(左)司会の宮澤さん。(中)LoY2017選考委員長の山崎さん。(右)瀬戸内市民図書館館長の嶋田さん。

 

ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」

ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」の様子は以下のような感じ。午前中はガイドと一緒にまちあるきを行い、各自で昼食。午後には25人の参加者が4つのグループに分かれ、オープンデータ京都実践会のサポートを受けて、「土佐稲荷神社」「和光寺」「白髪橋」「間重富」「大阪市立中央図書館」の5記事を編集したようです。

f:id:AyC:20180312172936j:plainf:id:AyC:20180312172938j:plainf:id:AyC:20180312172941j:plain

f:id:AyC:20180312172944j:plain

 

「大阪ウィキペディアエディタソン」

 「ウィキペディアタウン in 大阪市立中央図書館」と同時進行で行われた「大阪ウィキペディアエディタソン」では、5人のウィキペディアンが共同で「北の大火 - Wikipedia」を新規作成しました。災害の記事を選んだのは開催日が3月11日だったことも理由だそう。編集作業の参加者はのりまきさん、さかおりさん、Swaneeさん、アリオトさん、私(Asturio Cantabrio)。エディタソン会場の見学は自由となっており、宮澤さんが司会、くさかさんが解説役を担当しています。中の人がまとめてくださったtogetterがあります。

 

 2017年7月の「甲州事編 百科涼覧 2017甲府ウィキペディア エディタソン」では2グループに分かれて2つの記事を新規作成していますが、今回は1グループで1記事。「北の大火」を編集対象とすることはイベントの1週間ほど前に正式決定しました。5人のうち4人は関東在住、私は愛知県在住ということで、大阪の地理や歴史には不慣れです。のりまきさんとSwaneeさんは国立国会図書館などで事前に文献を入手して参加していますが、さかおりさん・アリオトさん・私はイベント序盤に大火の概要を理解するところから始めています。

 のりまきさんがリーダーとなり、まずは節構成や役割分担などを確認します。編集初心者が多いウィキペディアタウンでは文献をざっと読んだうえで何を書くべきか決めるように誘導することが多いのですが、今回は「質の高い記事を作成すること」がひとつの目標であるため、効率を重視して節構成を先に決めました。

 Wikipedia:良質な記事 - Wikipediaでお手本となる記事(大火もしくは災害の記事)を探し、Category:日本の火災 - Wikipediaも確認。鳥取大火 - Wikipediaどんどん焼け - Wikipediaの内容を参考にして、「経過」「原因」「被害」「影響」の4つを盛り込むことにしました。もっとも重要な「経過」節は予備知識があるのりまきさんとSwaneeさんが、「被害」節はアリオトさんが、「影響」節はさかおりさんが担当しています。この段階では「経過」節の中に「原因」を含めることになりましたが、「原因」は編集作業の終盤になって単独の節に昇格しています。私は文章作成の担当からは外れ、大火後に出版された絵図『驚天動地古今絶無大阪大火災実況図』と国土地理院カラー空中写真を用いて、画像編集ソフトで焼失範囲を示す画像(File:Kita Osaka's great fire of 1909 burned down area.png - Wikimedia Commons)を作成しました。カラー空中写真は二次利用が許可されており、Wikipediaでは水尻池 - Wikipediaなどの地理記事を中心に使用されています。

 

このファイルの著作権国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省は、あらゆる人があらゆる目的でこのファイルを使用することを許可しています。ただし著作権者の名義が適切に表示されることを条件とします。再頒布、二次的著作物の製作、商用利用等のあらゆる使用が許可されています。
帰属: Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省

(図)カラー空中写真のライセンス表示。

f:id:AyC:20180314162606p:plain

(図)私は左の絵図を参考に右の図を作成し、両者を並べて比較できるようにした。赤線は二次利用にあたって必ず必要な表示。

 

 大阪市立中央図書館がLoY2017で優秀賞を受賞したのは、 大阪市立図書館デジタルアーカイブが評価されたため。そんなわけで今回のイベントではデジタルアーカイブを積極的に記事に用いています。AraiSyoheiさんが関連する画像Category:Kita Osaka's great fire of 1909 - Wikimedia Commonsにアップロードし、私はその中から6枚を記事中に掲載しました。

 焼失範囲の画像作成のほかに、私は画像の掲載やリンクの追加を行っています。中身の薄さを文章でごまかす(みんなの森 ぎふメディアコスモス - Wikipediaなどが典型例)のは私の得意分野です。画像以外では、北の大火に言及しているWikipediaの全記事(例えば桜橋 (大阪市北区) - Wikipedia)に対してリンクを貼る、という作業も行ったため、イベント中の編集回数は私が33回、のりまきさん11回、Swaneeさん10回、アリオトさん1回、さかおりさん1回となりました。

f:id:AyC:20180314163415p:plainf:id:AyC:20180314163614p:plain

f:id:AyC:20180314164137p:plainf:id:AyC:20180314163617p:plain

f:id:AyC:20180314164106p:plain

 (1枚目)Template:multiple imageによる画像の掲載方法。(2枚目)オーソドックスな画像の掲載方法。(3枚目)Template:Galleryによる画像の掲載方法。(4枚目)Commons Categoryへのリンク。(5枚目)左右交互に配置して視線を誘導する画像の掲載方法。

 

f:id:AyC:20180312172921j:plain

(写真)エディタソンの会場。左は見学席。

f:id:AyC:20180312172924j:plainf:id:AyC:20180312172928j:plain

 (左)「北の大火」の為の準備された文献。(右)エディタソン専用のデータベース用PC。

 

成果発表

 16時頃からは「ウィキペディアタウン」と「エディタソン」のグループが共同で成果発表を行いました。白髪橋・土佐稲荷神社・和光寺の3記事には大阪市立図書館デジタルアーカイブの画像が使われ、大阪市立中央図書館の記事にはデジタルアーカイブについての言及などが追加されました。

 

白髪橋 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで新規作成。約2,700バイト。

土佐稲荷神社 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

和光寺 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

間重富 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

大阪市立中央図書館 - Wikipedia - ウィキペディアタウンで加筆。

北の大火 - Wikipedia - エディタソンで新規作成。約25,000バイト。

 

 イベント終了後にはバックヤードツアーが行われ、300万冊収蔵可能という地下6階・地上6階建(計12階層!)の図書館内を巡りました。

f:id:AyC:20180312172959j:plainf:id:AyC:20180312173005j:plain

(写真)成果発表の様子。

f:id:AyC:20180312173011j:plain

(写真)貴重書庫で収蔵品の説明を行う澤谷さん。

f:id:AyC:20180312173019j:plainf:id:AyC:20180312173024j:plain

(写真)大阪市立中央図書館の書庫の中。

 

ふりかえり

※「ウィキペディアタウン」の内容はほとんどわからないので「エディタソン」のみの振り返りです 。大阪市立中央図書館のイベント運営ははすばらしかったです。

 2017年7月の「甲州事編 百科涼覧 2017甲府ウィキペディア エディタソン」は「ベテラン編集者の編集作業を見てみたい」という意見がイベントの開催につながったと記憶しています。甲府のイベントではfacebookにイベントページが設けられ、イベントの主催者・編集者・見学者の垣根が低く、全員が何かしら運営にかかわっているイベントだったのではないかと思っています。

 今回はどうだったでしょうか。私は「ウィキペディアタウンの参加者」でも「エディタソンの参加者(見学者)」でもなく「エディタソンの編集者」として参加したのですが、なかなか情報が出てこないことに戸惑いました。告知ページには「Library of the Year 2017優秀賞受賞機関が大阪に集まり…」と書いてあるけれど、瀬戸内市民図書館はどのように関わるのか、せっかく嶋田さんが大阪までくるのに何の役割もない、ということが気になっていました。ウィキペディアタウンだけでなくエディタソンを開催するのは何のためだったのでしょう。

 私は途中からfacebookの運営グループに入れてもらい、また当日には運営側の方に開催意図などの話を聞くことができました。クローズドな運営グループでしか話せない情報もあるでしょうが、情報を広く公開して今後につなげてほしいとも思います。 

「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」に参加する

 

f:id:AyC:20180306014531j:plain

(写真)すずの音ホール内から見た松川中央公園と北アルプス

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

 

インターナショナルオープンデータデイ(IODD)の2018年3月3日(土)、長野県北安曇郡松川村で開催された「ウィキペディアタウンin安曇野松川村」に参加した。

 「WikipediaLIB@信州#02【小諸編】」の前日、2017年8月末には個人的に松川村図書館を訪れている。この際は信濃松川駅と松川村図書館を往復しただけで、有名な安曇野ちひろ美術館などには行かなかったため、今回のイベントに参加するのを楽しみにしていた。

ayc.hatenablog.com

 

松川村を訪れる

 愛知県から長野県のイベントに参加する際、JR中央西線で行くと前泊が必要となることが多い。2017年3月のWikipediaLIB@信州 #01の際には長野市で、8月のWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】の際には上田市で前泊したが、今回も松本市で前泊した。

 昨年8月と同じように、松本駅から大糸線松川村に向かう。大糸線飯田線と同じように私鉄として建設されたため、駅間距離が短い。松本市街地で見えていた乗鞍岳はすぐに見えなくなり、安曇野市の豊科や穂高市街地では常念岳大天井岳が正面に来るが、松川村に入るとゴツゴツした有明山がひときわ目立ち、信仰の対象となっているというのもうなずける。8時過ぎ、県立長野図書館の平賀館長・小澤さん・AraiSyoheiさんが車で到着するのと同時に松川村図書館に着いた。

f:id:AyC:20180306014239j:plainf:id:AyC:20180306014242j:plain

(左)駅前の安曇節会館。(右)駅前の喫茶ロバ。

f:id:AyC:20180306014833j:plain

(写真)松川村図書館が入っているすずの音ホール。

 

 今回の参加者は地元の大北地域の方が多く、松川村会議長や松川村会議員の方、地元の自治体の行政職員、県内の公共図書館員などがいた。参加者一覧によると、講師を除区参加者は28人、うち長野県内25人、県外3人。長野県内25人のうち一般が21人で、図書館関係者は4人ということだった。主催者による積極的な広報活動の結果、開催日が近くなって参加者がぐっと増えた。図書館員やウィキペディアンではない一般参加者の比率がこれだけ高いウィキペディアタウンは珍しい。

 ウィキペディアンは私のほかに、講師のさかおりさん、のりまきさん、AraiSyoheiさんがいた。のりまきさんだけは執筆グループに入ったが、私、さかおりさん、AraiSyoheiさんは4つの机を回って各班をフォローする形をとった。今回の講師はさかおりさんであるが、イベントの準備途中にはなぜだか私も講師扱いとなった。

f:id:AyC:20180306015022j:plain

f:id:AyC:20180306015025j:plainf:id:AyC:20180306015028j:plain

(写真)今回用意された資料。ブックトラックの資料だけでもかなり充実しているけれど、ほんとにすごいのは机に置かれた新聞スクラップ。

 

今回のスケジュール

09:15-09:35 開会

09:40-10:20 講師によるウィキペディアの説明

10:20-10:40 松川村の紹介DVDの鑑賞

10:50-12:00 まちあるき(バスツアー)

12:00-13:15 おひるごはん

13:15-15:45 編集作業

15:50-16:40 成果発表・講評

16:40-17:00 写真撮影・閉会

 

さかおりさんによる講義

 さかおりさんがウィキペディアタウンで講師を務めるのは初めてだとのこと。他地域で講師を務めることの多いくさかさん・らっこさん・Miya.mさんはどちらかというと“管理系”のウィキペディアンであるが、さかおりさんは“執筆系”のウィキペディアン。さかおりさんがウィキペディアに参加したきっかけ、のめりこむようになったきっかけ、有名になったきっかけはウィキペディア15周年イベントなどでも聞いたことがあったが、参加者にとってウィキペディアを身近に感じさせるような講義だった。

「地元の神社の記事がないことが気になっていた」さかおりさんは、「近くにある小学校の記事を書いたらダメだしされ」、「悔しかったから徹底的に調べて書いた」。この小学校の記事、2009年11月にの初版はでは2,300バイトだったが、現在は40,000バイトを超えている。「間違ってもいいから気軽に書いてみよう」「出典がなかったら加えてみよう。今回はそのきっかけ」。との言葉があった。

f:id:AyC:20180306015249j:plainf:id:AyC:20180306015252j:plain

(写真)さかおりさんによる「地域情報の発信はウィキペディアから」。地方病の記事も使って説明。

f:id:AyC:20180306015338j:plain

(写真)松川村の紹介映像。

 

まちあるき(バスツアー)

 イベント前々日には雪が降り、前日には強風が吹いていたというが、この日はよく晴れて風もないうえに暖かかった。図書館のすぐ脇にある松川中央公園で正調安曇節の説明を聞いた後、20数人乗りのマイクロバスと6人乗りのワンボックスカーに分かれて、大和田神社、すずむし公園、安曇野ちひろ公園の3つの目的地に向かった。今回はまちあるきではなくバスで目的地を回り、松川村エコツアーガイド倶楽部の久保田さん(体育会系)と吉澤さん(文化系)がガイドを務めた。バスの走行距離は10km弱。

f:id:AyC:20180306015524j:plainf:id:AyC:20180306015526j:plainf:id:AyC:20180306015529j:plain

(左)イベントの企画者である北アルプス地域振興局の坂田さん。(中)歌碑の前でガイドする吉澤さんと説明を聞く参加者。(右)移動に使ったマイクロバスとワンボックスカー。

 

地域について学び、愛着を高めることで、地域で生まれ育った若者や管内に在住している方の地域への定着に繋げるため、地域に存在する文化財や歴史的建造物等についての記事を作成し、インターネット上の百科事典である「ウィキペディア」に投稿する「ウィキペディアタウン」を開催します。

ーイベントの開催趣旨を公式サイトから引用

 今回は北アルプス“地域振興局”が主導したイベントであり、地域への定着のに繋げる試みのひとつだった。村民なら誰でも知っている神社や公園、村民以外にとっては知らないけれど興味を引かれる目的地、という絶妙な選定だった。

f:id:AyC:20180306015751j:plainf:id:AyC:20180306015754j:plainf:id:AyC:20180306015756j:plain

(写真)巨大な神楽殿や土俵がある大和田神社。

f:id:AyC:20180306015805j:plainf:id:AyC:20180306015802j:plain

(左)神戸原扇状地の写真を撮る平賀さんを撮る小澤さん。(右)すずむし公園から見た有明山。

f:id:AyC:20180306015817j:plainf:id:AyC:20180306015821j:plainf:id:AyC:20180306015823j:plain

(左)安曇野ちひろ公園。(中)青空が気持ちよすぎて木登りする参加者。(右)とっとチャン広場に設置されている「モハとデハニ」。

 

  12時過ぎには図書館に戻り、主催者に斡旋された地元の店のお弁当、もしくは信濃松川駅周辺の店でおひるごはん。時間にゆとりがあったので図書館内も見学した。一般書と児童書の混配がこの図書館の特色であるが、他館の公共図書館の方に「作家別に分けられた9類の棚に全集も並べられている」という点を指摘された。なるほど。表紙を隠して帯の内容だけを見せる展示もおもしろい。

f:id:AyC:20180306020346j:plain

f:id:AyC:20180306034911j:plainf:id:AyC:20180306034912j:plain

(写真)松川村図書館の書架や展示。

 

Wikipediaの編集作業

 午後は県立長野図書館の小澤さんによる「Wikipedia Townを楽しむために」から。毎回思っているのですが小澤さんと篠田さんはただものではないですよ。さかおりさんがWikipediaに書く記事は「読ませる記事」だそうだけど、小澤さんと篠田さんは「聞かせる説明」で、こちらがはっとするような言葉が何度も出てくる。

f:id:AyC:20180306020532j:plainf:id:AyC:20180306020535j:plain

(写真)小澤さんによる編集作業の説明。

 

 さて。今回は私、さかおりさん、のりまきさん、AraiSyoheiさんの4人のウィキペディアンが参加していた。メイン講師であり30分強の講義を行ったさかおりさんとともに、なぜか私も講師という扱いになっていた。のりまきさんは文献を調べてウィキペディアの記事を書くことに絶対の強みがあり、AraiSyoheiさんはファシリテーターとしての能力に秀でている。私がすべきことはなんだろう。

 午後には「大和田神社 (松川村) - Wikipedia」(新規作成)、「松川村図書館 - Wikipedia」(新規作成)、「安曇野ちひろ公園 - Wikipedia」(新規作成)、「安曇節 - Wikipedia」(加筆)の4つの班に分かれて編集作業を行った。 ウィキペディアンの中でのりまきさんだけは班に入ったが、その他の3人は自由に動きながら編集作業をサポートする形をとった。今回は参加者の約2/3がウィキペディアの編集未経験者であり、ウィキペディアタウンの参加経験者も4-5人に過ぎなかった。

 ウィキペディア編集の熟練者がいるとその方が仕切る立場になることが多い。全員が未経験者もしくは初心者であれば、全員が対等な立場でワークショップを進められるかもしれない。参加者の主体性に期待しているこの方法に対しては、「講師が講師としての役割を放棄した」と感じる方もいたかもしれない。

 

私は「安曇野ちひろ公園」の班の状況を気にかけながら、自分でもこまごまとした編集作業を行った。編集対象となった記事に「Template:工事中」を貼ったりノートページにイベントの編集対象となった旨を書いたりした。記事リンクの整備Wikimedia Commonsへのリンク地図や写真ギャラリーの挿入なども。やはり自分には編集サポートという役割がいちばん合う。

f:id:AyC:20180306020604j:plainf:id:AyC:20180306020742j:plainf:id:AyC:20180306020745j:plain

 (写真)編集作業中の参加者。みんな真剣。

 

編集対象となった記事

※成果発表後の講評で述べたことの要約です。

安曇節 - Wikipedia - 加筆

 2014年にMizuhara gumiさんによって作成された記事。Mizuharaさんは安曇野の方ではないはずだが、地域外で入手できる文献で安曇節の概要を手堅く知れるようになっていた。今回のイベントでは『唄え、安曇節』や新聞記事「愛され歌い継がれ安曇節」など、地元でないと入手が難しい文献を使って、既存のきちんとした骨格に肉が付いた。「おもしろみ」の要素が加わった。写真があればなおよいと思い、イベント後には安曇節会館と歌碑の写真を追加した。

 

松川村図書館 - Wikipedia - 新規作成

 昨年8月に個人的に訪れた図書館であり、自分で記事を作成しようかとも思ったけれど、できれば地元の方に作成してもらいたいと思い、またWikipediaLIBでも作成対象にできると思い、作成するのを控えていた。単なる利用案内にとどまっている図書館記事(例えばこれ)も多いが、この記事は特色節が設けられているのがいい。入口のランドセル置き場の存在、顔写真が添えられた作家紹介など、細かいけれど他地域ではなかなか見られない特色についても追記してほしい。

 

安曇野ちひろ公園 - Wikipedia - 新規作成

 高校生や大学生が参加者の中心であれば、編集ワークショップでやるべきことは個別に指示を出してしまうほうがうまくいくかもしれない。参加者が大人であるからこそ、編集ワークショップの2時間半をどう使うかも自分たちで考えてもらうやり方がある。この班は鄭さん以外にウィキペディアタウンの参加者がいなかったが、「何を書くか」について他の班よりじっくり考えたことが記事から見て取れる。公園内にある安曇野ちひろ美術館は有名だけれども、公園そのものについては検索してわかる情報が少ない。公式パンフレットの要約にとどまらない、百科事典とは何かについてよく考えた内容になっている。

 

大和田神社 (松川村) - Wikipedia - 新規作成

 イベントの準備段階で編集対象とする記事を聞き、ひとつひとつぐぐって簡単に調べたが、大和田神社だけはほとんど情報が見つからなかった。イベントの対象にするほどの神社なのか疑問を持っていたが、実際に訪れてみると巨大な神楽殿があったり土俵があったりして興味深い神社だった。この神社の情報をウェブに残せるのはこの地域の人だけだと思ったし、この題材を今回のイベントで取り上げた主催者はイベントの本質を理解していると思った。

 

 イベント後には信濃松川駅前の割烹料理店「いろは亭」で懇親会。松川村の紹介映像にも登場した田鯉のすずめ焼きなどが出てきた。

 

ふりかえり

 今回のイベントの企画者は北アルプス地域振興局。松川村松川村図書館が会場となり、ウィキペディアイベントの開催実績がある県立長野図書館が運営面で協力している。北アルプス地域振興局の中でも特に坂田さんが中心となったが、2017年8月のWikipediaLIB #02【小諸編】で坂田さんとさかおりさんが一緒のグループになったことが開催のきっかけだったらしい。

 2017年7月のウィキペディアタウンin飯田、8月のWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】、11月のウィキペディアタウンin福井市東郷も、WikipediaLIB@信州 #01の参加者が自身の所属館で開催を実現したイベントだった。ウィキペディアタウンを長野県各地に広めるというWikipediaLIBの意図は確実に成果を出している。

 

 知り合いが少なくて緊張していたことで中身が今一つだったWikipediaLIB@信州 #01、少しゆとりができて話の内容にもあそびを入れられたWikipediaLIB@信州 #02【小諸編】に続いて、県立長野図書館からは今回も一般参加者と違う役割が与えられた。私は人前で何かしゃべるのが苦手だし、ほぼ即興でしゃべらなければいけない“講評”のような役割を与えられるとどきどきする。もともとのレベルが低いので、1回ごとに目に見える成長がないといけないと思っている。今回はどうだったかな。個人的には、この3回のイベントにいつもいてくれた諸田さんや井原さんの存在が心強かった。

f:id:AyC:20180306035124j:plain

-----

イベント中や懇親会の最中にはある方といろいろ話す機会があり、また後日にもfacebookのメッセージでやりとりした。初めてお会いした時からこの方にはちょっと苦手意識を持っていたのだけど(ごめんなさい)、やはりすてきな方だと思うようになりました。まだまだこの方に対する距離感はぎこちないのだけれど。

 

 

「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加する

f:id:AyC:20180301163010j:plain

(写真)#2月24日のスカイツリー

 2018年2月25日(日)、横浜市神奈川近代文学館で開催された「Wikipediaブンガク in 神奈川近代文学館」に参加しました。

 

首都圏を訪れる

 この週は木曜日から日曜日までずっと首都圏におり、日曜日のイベントに参加してから帰りました。

 木曜日は横浜の某オフィスで作業。金曜日と土曜日は首都圏を観光し、日野市立図書館、逗子市立図書館(外観だけ)、鎌倉市中央図書館、墨田区立ひきふね図書館、墨田区立立花図書館を訪問。その合間に立川シネマシティと藤沢市鵠沼海岸のシネコヤで映画を観ています。金曜日の夜には「神奈川の県立図書館を考える会」の定例会にも参加。この日の議題は「県立川崎図書館リニューアルオープンを勝手にお祝いする会」についてでしたが、「-考える会」のスケールの大きさに驚きました。

f:id:AyC:20180301163807j:plainf:id:AyC:20180301163812j:plainf:id:AyC:20180301163814j:plain

 (左)日野市立図書館。(中)鎌倉市川喜多映画記念館。(右)鎌倉市図書館旧館。

 

神奈川近代文学館を訪れる

 神奈川近代文学館港の見える丘公園の最奥部にあります。JR桜木町駅で降り、横浜公園山下公園をふらふらしながら目的地を目指しました。文学館という施設になじみがないのですが、愛知県では半田市新美南吉記念館が近いのでしょうか。近代文学に限らなければ名古屋市蓬左文庫西尾市岩瀬文庫があるし、館内に文学者の展示コーナーが設置されている図書館は豊田市中央・田原市渥美・東浦町中央などいくつかありますが、単独施設の近代文学館はどこも集客に苦戦しているという話を聞きます。

 参加者は約15人。県内の公共図書館の方、県内の学校図書館の方、図書館業界の方などがおり、ウィキペディアンとしてはTさん、Sさん、Aさん、AraiSyoheiさんと私の5人。この日は基本的に文学館内の図書室(閲覧室)の資料を用いて編集を行いましたが、『神奈川近代文学館30年史』、『新訂 作家・小説家人名辞典』、『文豪ストレイドッグス』各巻など持ち込みの資料もありました。神奈川近代文学館では文豪ストレイドッグスとのコラボ企画を行っており、1階ロビーには絶えず若い女性がいました。

f:id:AyC:20180301163426p:plain

(地図)横浜市中心市街地における神奈川近代文学館の位置。港の見える丘公園の中。

f:id:AyC:20180301162830j:plain

(写真)神奈川近代文学館の展示館。

 

f:id:AyC:20180301162836j:plainf:id:AyC:20180301162840j:plain

(写真)イベント開始前の会場。持ち込まれた文献。

f:id:AyC:20180301163531j:plain

(写真)講師のくさかきゅうはち氏。

 

日本初開催のWikipedia“ブンガク”

スケジュール

10:15-10:20 開会あいさつ

10:20-11:00 講師による説明「ウィキペディアとは」

11:00-12:15 「山川方夫と『三田文学』展」鑑賞

12:15-13:15 おひるごはん

13:15-16:00 文献調査・執筆作業

16:00-16:30 成果発表・ふりかえり

 

 この日のスケジュールは上の通り。午前中には講師による講義と文学展の鑑賞、午後に文献調査と執筆作業です。展示を観る前には文学館の方による解説を聞くことができました。

 今回はウィキペディア“タウン”ではなくWikipeida“ブンガク”という名前であり、“まち”ではなく“文学”をテーマとしているため、まちあるきではなく文学展の鑑賞を行います。“まち”ではない何かをテーマとしたウィキペディアタウン系イベントには、これまでにWikipedia ARTS(芸術がテーマ)、酒ペディア(日本酒がテーマ)、WikipediaLIB(図書館がテーマ)などがありましたが、文学をテーマとするウィキペディアタウン系イベントは日本初とのことです。

 私はARTSにも酒ペディアにもLIBにも参加したことがありますが、芸術や日本酒など文献に残りにくいテーマはWikipediaに記事を作成するのが難しいです。難しいことで取り組む人自体が少なく、イベントなどでやる価値があるとも言えますが。文学というテーマはWikipediaとの親和性が高く、梶井基次郎 - Wikipedia青空 (雑誌) - Wikipedia宮沢賢治 - Wikipedia、など充実した記事も多数あります。今回は「山川方夫と『三田文学』展」という明確なテーマがあり、Wikipediaの編集対象を展覧会の内容に絞ったことで、参加者はすんなりと文献調査・編集作業に取り組めたのではないかと思います。

 

 文献は別棟である本館の図書室(閲覧室)で閲覧します。ふつうのウィキペディアタウンでは主催者や図書館員が事前に文献を集めるか、イベントの参加者がその場で文献を探す必要がありますが、今回は「山川方夫と『三田文学』展」に関する記事が編集対象ということで、展覧会の期間開始前に文学館が展示用の書架に集めた文献を使うことができました。主催者側は負担が減り、参加者側は効率よく調査ができ、文学館側は展示した文献の有効活用の機会になる、うまい方法だと思いました。

 

記事「山川方夫」に写真を掲載する

 私は「山川方夫 - Wikipedia」や「三田文学」を加筆するグループに入りました。編集方法や役割分担などについてはAraiSyoheiさんが仕切ってくれたので、他の方がやらない編集をしようと思い、特に山川の写真の追加を試みました。

 山川は1950年から文筆活動を行い、1965年に亡くなった人物です。まずは図書室で1956年までに撮影された山川の写真を探しました。1956年末までに発行された写真の著作物の著作権は、旧著作権法の規定により消滅しているためです。しかし1956年までに撮影された山川の写真が見つからなかったため、次に1967年までに撮影された写真を探しました。1967年末(50年前)までに公表された団体名義の著作物は著作権が消滅していることから、これらの写真はサイズの制約を受けながらも、ウィキペディア日本語版にアップロードすることが可能であると考えられます。Wikimedia Commonsにはアップロードできません。

 『朝日ジャーナル』1964年10月4日号には以下の写真が掲載されていたため、この写真をウィキペディア日本語版にアップロードしました。ライセンス欄には「米国著作権の保護期間にある著作物」である旨を記載し、420 × 600 ピクセルで90キロバイトという小さなサイズに修正してからアップロードしています。サイズは小さくとも、顔写真は記事の質をぐっと高めます。

「米国著作権の保護期間にある著作物」

このメディア上の著作物は、日本国著作権法に基づく著作権の保護期間は満了していますが、アメリカ合衆国著作権法では著作権の保護期間にあるため、日米両国の著作権法に抵触しない方針をとっているウィキペディア日本語版では、米国法フェアユースの法理に基づき利用しなければなりません。

f:id:AyC:20180301175332j:plain

(写真)山川方夫。1964年。

 

記事「二宮町」で山川に言及する

 山川は戦時中の一時期に神奈川県二宮町疎開し、また1964年の結婚後には二宮町に住みましたが、国鉄二宮駅前で交通事故に遭って亡くなりました。このように二宮町とは縁が深いにもかかわらず記事「二宮町 - Wikipedia」には山川に関する言及がなかったため、追記することにしました。

 「出身者・在住者」節に山川を加え、「二宮町を舞台にした作品」節に『夏の葬列』と『最初の秋』の2作品を加えました。死後50年が経過しており山川の作品の著作権が消滅していることから、二宮町の風景が目に浮かんでくるような両作品の冒頭部分を掲載しました(この分量なら引用の範囲内でもあります)。

秋の朝だ。私はいま二宮の町を歩いている。私は、まず郵便物を局に持って行き、それから妻の好きな無花果をいくつか八百屋で買い、ついでに薬屋で、ほとんど中毒しかけているアンプル入りの風邪薬を買い、その帰りに、じつはこれはまだ妻の許可を得てはいないが、本屋で『鉄腕アトム』の最新号を買ってくるつもりでいる。…

— 『最初の秋』冒頭部分

 

ふりかえり

 今回の参加者は図書館関係者が多く、調査・編集のスキルが高い方ばかりでした。ウィキペディアタウンに類似したイベントの開催を検討している方も参加しており、彼らがこのイベントにどんな印象を持つのか興味がありました。講師、主催者、一般参加者、ウィキペディアン。イベント中に机からちょっと離れた場所からこの4者の動きを見ていると、いつも大きな発見があります。運営側と一般参加者の間でふわふわしていることの多い私にとっては、特に講師のくさかさんのイベント中の動きから学ぶものは多いです。

f:id:AyC:20180301162800j:plainf:id:AyC:20180301162806j:plain

(写真)「山川方夫」「三田文学」を加筆するグループ。私も含めて7人。「愛のごとく」も新規作成されました。

f:id:AyC:20180303044820j:plain

(写真)「桂芳久」を新規作成中の参加者。

岡崎市立額田図書館の新館を訪れる

f:id:AyC:20180214173554j:plain

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける文章・写真は クリエイティブ・コモンズ・ライセンス(CC BY-SA 4.0)の下に提供されています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。写真についてはCategory:Okazaki City Nukata Center - Wikimedia Commonsにアップロード済です。地図の出典はOpenStreetMapであり、その作者はOpenStreetMap contributorです。

 

岡崎市額田地区を訪れる

 岡崎市立額田図書館の旧館は2017年12月19日(火)をもって閉館。移転準備期間を経て、2018年2月13日(火)に岡崎市額田センターの中に新館が開館しました。さっそく額田センターを訪れました。

 岡崎市額田地区の鉄道最寄駅は名鉄名古屋本線本宿駅本宿駅から額田地区に向けて10便/日のバスが運行されています。朝と夕方を除けば1本/1時間以下であり、予定を立てるのが難しい。今回は本宿駅から額田地区までの5.8kmを徒歩で往復しました。片道約1時間とはいえ、本宿駅と額田地区中心部の標高差はほとんどない(起伏はある)ため、暖かい日であれば気持ちよく歩けます。

f:id:AyC:20180214184501p:plain

f:id:AyC:20180214184505p:plain

(地図)愛知県における岡崎市の位置。岡崎市中心部と額田地区の位置関係。

 

2017年10月の訪問時

f:id:AyC:20180214173757j:plainf:id:AyC:20180214173614j:plain

(左)額田図書館の旧館。(右)工事中の額田センター行政棟。

 

今回の訪問時

f:id:AyC:20180214173626j:plainf:id:AyC:20180214173629j:plain

(左)岡崎市役所額田支所などが入る行政棟。(右)額田図書館などが入る市民交流棟。

f:id:AyC:20180214174142j:plainf:id:AyC:20180214174145j:plain

(左)建物入口。(右)市民交流棟の通路。図書館入口前。地元産木材が強調されている。

f:id:AyC:20180214174155j:plainf:id:AyC:20180214174158j:plain

(左)市民交流棟の集会室。(右)市民交流棟の研修室。

f:id:AyC:20180214174203j:plainf:id:AyC:20180214174208j:plain

 (左)市民交流棟の和室。(右)市民交流棟の「森の駅情報コーナー」。

 

岡崎市立額田図書館に入る

 額田町は2006年に岡崎市に編入された自治体です。合併前の岡崎市の人口は約37万人、額田町の人口は約1万人でした。合併後には額田町立図書館が岡崎市立額田図書館に改称し、岡崎市の図書館は中央図書館と額田図書館の2館体制となりました。岡崎市には図書館2館のほかに、7の地域図書室があります。

 2館体制になったとはいえ、中央図書館が693,402冊(2014年度)の蔵書を持つのに対して、額田図書館の蔵書数は48,791冊にすぎませんでした。地域図書室の中で最も規模の大きな南部市民センター図書室の蔵書数は49,568冊であり、図書館と図書室の間で蔵書数の逆転現象が起こっていました。

 さらに、単独館だった額田図書館旧館の床面積は562m2でしたが、複合施設の一角にある新館の床面積は203.35m2。新館の蔵書冊数は「約20,000冊」であり、床面積も蔵書冊数も旧館の半分以下となりました。南部市民センター図書室との差は大きく広がっています。

 

 額田図書館新館の館内は13m×16mくらいでしょうか。ざっくり言えばフロアの半分が一般書、もう半分がそれ以外(児童書・新聞雑誌)です。最奥部の閲覧席に座っていても、館内にいる他の利用者の気配が伝わってきます。カウンターからの視線も感じ取れると思われます。一方で旧館は閲覧席とカウンターにかなり距離があり、自分の居場所を作ることができました。

 2017年10月には初めて額田地区を訪れ、旧館を見学した後に地区の中心部を歩きました。中心部には商店や飲食店がほとんどなく、地図を見ても郊外にぽつぽつとある程度。中心部を歩きながらお昼ご飯を食べるところを探しましたが、結局見つからなかったのでコンビニで済ませました。わずか11年前までは単独自治体だったことが信じられず、若者がここから離れずにいるのは難しい地区だと感じました。

 新館にはティーンズ向けのコーナーはないようでした。また学習用の席は少なく、最近の新館には設置されていることの多い電源もありません。対象とする利用者層を明確にしたうえで、中高生向けの設備はあきらめたのだろうと思います。財政的には比較的恵まれた西三河地方に住んでいるので、公共施設の統廃合・ダウンサイジングはまだ感覚的に理解できず、図書館が減るなどということは他人事のように思えてしまうのですが、これからは額田図書館のような例も増えるのでしょうね。

 

 さて、肝心の額田図書館の写真は掲載できません。岡崎市立中央図書館や旧館時代の額田図書館でもそうでしたが、岡崎市立図書館は「職員の同伴のもと撮影を認めるが、SNS等へのアップロードは禁止」という対応を撮っているからです。なお、図書館以外の部分を撮影した上記の写真については、額田センターの事務室などで許可を得ていません

 新館にはいつでも行くことができますが、旧館の中にはもう入ることができません。岡崎市はきちんと写真に記録して残しているかな。残してないでしょうね。