振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。東京ウィキメディアン会・関西ウィキメディアユーザ会所属。

「沼津市立図書館」を加筆する

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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沼津市立図書館を訪れる

 Code for Numazuが主催するWikipedia Town 沼津にはなかなか参加できていないものの、この7月には静岡県東部の沼津市立図書館を訪れた。地上4階・地下1階建、延床面積11,440m2という圧倒的なボリュームに驚いた。静岡県では唯一10,000m2を超えている図書館だそうで、愛知県で言うと豊田市立中央図書館(12,500m2)や名古屋市鶴舞中央図書館(11,300m2)に近い。静岡県の延床面積のランキングは静岡県立中央図書館(8,800m2)、富士市立中央図書館(8,800m2)、静岡市立南部図書館(7,200m2)、浜松市城北図書館(6,500m2)とつづく。静岡市浜松市も、中央館がいちばんではないのですね。沼津市立図書館の中身についてはそれほど魅力を感じなかったものの、広い郷土資料室から図書館の歴史の古さを感じた。

 8月12日には別の方によってWikipediaに「沼津市立図書館 - Wikipedia」という記事が作成された。宣伝のためにメインページに掲載すべく、まずは8月15日、次に9月2日をめどに加筆を行うことにした。初版作成者のYaritsusozaiさんやその後加筆している SigureUさんはWikipedia Town 沼津の運営側の方でしょうか。

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 (写真)知恵の象徴であるフクロウをモチーフにしている外観。

 

 

沼津市立図書館の歴史

 沼津市の図書館サービスは、1888年明治21年)に小学校長の間宮喜十郎が中心となって設置された沼津尋常小学校付属沼津文庫に始まる。沼津市は沼津文庫が「静岡県で初めて設立された公立図書館」であると主張している。沼津文庫は太平洋戦争の沼津空襲で焼失し、1952年には沼津市が図書室「沼津文庫」を設立。1962年には図書館「沼津市駿河図書館」が開館した。「駿河」という名称は建設費を寄付した岡野喜太郎駿河銀行会長、現在のスルガ銀行)に因むもの。1993年には現行館「沼津市立図書館」が開館した。

 

 なお、静岡県では1915年(大正4年)に設立された熱海市立図書館 - Wikipediaが「静岡県に現存する最古の図書館」を自称している。熱海市の図書館は戦後に空白期間がない(戦中に休館していた時期はある)。熱海市は「戦後の7年間は沼津市に図書館が存在しなかった」ととらえているんだろう。沼津市熱海市も歴史が古いことには違いない。熱海市立図書館を訪れたことはないが、沼津と同じく歴史の古さは伝える価値があると思ったので、愛知県図書館から熱海市立図書館に何冊か相互貸借した上で、2016年9月に記事を作成した。 

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(写真)3階から吹き抜けを通して見た2階・1階。

 

 

加筆前の記事

 私が加筆する前の記事は、公式サイトの「図書館の概要・沿革」をほぼそのままWikipediaにコピーしている。事実の羅列にすぎないので著作物たりえないという判断なのだろう。著作権のことはよくしらない。この方法だと文章は図書館が提示した情報だけなので、面白みに欠けるものの、重要な歴史をもらさないので手堅い。

 

 記事の範囲や記事名をどうするかは悩ましい。公式サイトを見ると「沼津市立図書館」という組織があるように見える。沼津市には「沼津市立図書館」と「沼津市立戸田図書館」の2館があるので、組織としての沼津市立図書館と館名としての沼津市立図書館がややこしい。

 一方で、図書館条例の名称は「沼津市図書館条例」であり、かつて「沼津市立図書館条例」だったものを現行館開館時にわざわざ改称している。正確な組織名は「沼津市図書館」なのだろう。とすれば、Wikipediaの記事名は「沼津市図書館」とすべきなのかもしれない。

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(写真)沼津市名誉市民コーナー。5人。新しい順に大岡信長倉三郎井上靖芹沢光治良岡野喜太郎

 

 

加筆する

 沼津市立図書館公式サイトの「図書館の概要・沿革」では起点が1952年になっているし、私が加筆する前の記事でもそうなっていたが、郷土資料室で調べた限りでは歴史を1888年からはじめている文献が多い。そんなわけでWikipediaでも1888年から1945年までをざっくり「前史」という節とした。「沼津文庫」は単独記事が成立する分量が書けるので、いずれ分割したほうがよいかもしれない。

 歴史節や基礎情報などの骨格がしっかりしているので、この骨格に『沼津市新図書館建設基本構想』や新聞記事でバランスよく肉を付けていくことを心掛けた。沼津市立図書館を訪れた時には静岡新聞データベースを使う時間がなかったので、のちに磐田市立図書館を訪れた時にデータベースを使わせてもらった。余談だが、磐田市立図書館のコピー機は10円玉にしか対応していない。350円分の文献をコピーする際に1000円札を10円玉100枚に両替してもらったものの、コピー終了後に650円分65枚もの10円玉が残ってしまって困った。

 全国的に知られた図書館でない限り、図書館で探せる文献は『沼津市図書館網に関する基本調査』『沼津の教育 平成28年度』などの固い文献に限られる。おもしろいエピソードはたいてい新聞記事にあり、その地域の大きな図書館には必ずある静岡新聞岐阜新聞信濃毎日新聞山梨日日新聞などのデータベースはとても役に立つ。京都新聞神戸新聞などは図書館で使えるデータベースがないようなのが残念。

 1993年7月の開館から1か月間の「貸出・返却図書総数」は浦安市立図書館を上回って日本一だったらしい。「貸出・返却図書総数」なる基準は初めて聞いたが、開館すぐということで貸出数と返却数に大きな差があったらしい。新聞記事にありがちなうさん臭い記述だとは思ったけれどWikipediaに書き加えた。1998年2月には公式サイトを開設するとともにOPACも開始。貸出や返却がリアルタイムに反映されるOPACは当時としては珍しかったらしい。2018年度からは指定管理者制度が導入される予定だったが、2016年に市長が交代して白紙になったいう。

 

 沼津文庫の設立にかかわった間宮喜十郎 - Wikipedia駿河図書館の建設費を寄付した岡野喜太郎 - Wikipedia沼津市立図書館にとって重要な人物だと思い、単独記事を作成した。沼津市名誉市民第1号でもある岡野についてはコトバンク(日本人名大辞典)に記述があり、沼津市ウェブサイトでも顕彰されている。間宮についてのまとまった情報は、ウェブ上ではWikipediaが初めてだ。

 

「沼津文庫」の蔵書は一部が沼津市立図書館に引き継がれている。図書室「沼津文庫」の建物がまだ残っているのかどうかはウェブでは判然とせず、沼津市立図書館にレファレンスしてみたい。TRCほんわかだよりや建築系雑誌はまだ確認していない。写真のアップロードも含めてまだまだ加筆中。

 しかし沼津市立図書館の公式サイトに掲載されている館内の写真にはエプロンを着たいかにも図書館員という感じの女性職員しかいないし、懐かしい髪型だし重そうなパソコンを使ってる。公式サイトのデザインは変化していても、写真は1998年に公式サイトを立ち上げた時のものを使いまわしているんだろうな。

 

館内の写真集

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(写真)1階。一般書、児童書。1階東側には低い書架が並んでおり「1階東低」。

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(写真)1階の新刊コーナー、2階の特集コーナー。

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(写真)2階。姉妹都市/友好都市コーナーと研究室。1993年に研究室は先駆的だったのでは。

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(写真)2階。一般書・参考書。途中で厚みが変わる書架。

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(写真)2階。郷土資料室。コピー機はA2対応。

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(写真)3階。AVコーナーは圧巻の量。

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(写真)4階。ホールや学習室などがある階。

福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れる(2)

ayc.hatenablog.com

 8月10日には福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れました。(その1)のつづき。ようやく1階から2階に上がります。館内については広報ふくちのフロアガイドも参照してください。

http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/kouhou/170401/p02_09.pdf

 

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 (写真)2階から見た1階中央部と吹き抜け。

 

 

炭鉱に関する展示

 2階への階段を上がると、両側と正面には炭鉱に関する展示物が置かれていました。 ガラスケース入りの石炭もありましたが、直接さわれるむき出しの石炭もあります。隣にはおてふきが置かれていたものの、本を汚される可能性を考えると勇気がある展示。私にとって筑豊地方は社会の授業で習った「筑豊炭田」のイメージしかないのですが、筑豊の子どもたちにとって炭鉱とはどんな存在なんだろう。福智町にあった炭鉱では旧方城町の方城炭鉱の閉山年は1964年、旧赤池町の赤池炭鉱の閉山年は1970年ということで、炭鉱が稼働していたのは半世紀も前のことです。

 「炭鉱の小道」の裏はグループ学習室。座席は8席で両側がガラス張り。この町の規模を考えると中高生よりも大人の利用が多いかもしれません。

 

 公式サイトの「ふくちのちができるまで」によると、ふくちのちに近い赤池ニュータウンはかつてボタ山だったらしい。Google Earthでふくちのち周辺を見た時には赤池駅南西側のソーラーパネル群に気を取られましたが、このメガソーラーが立地している丘もボタ山だということには気づきませんでした。「ふくちのちができるまで」のまちあるきシリーズには赤池マーケットヤダレという何やら興味深い単語が登場する、ことに気付いたのは愛知に帰ってきてからです。

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 (左・右)「炭鉱の小道」。2階に上がってきた利用者が必ず目にする展示。展示の裏はグループ学習室。

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(写真)展示物。中央は手に取ってさわれる石炭。

 

2階南側の開架

 炭鉱に関する展示を中心にして、2階南側の回廊には文学以外の一般書が置かれています。各書架の中央通路側の側面には、それぞれの分類にあった漫画が置かれていました。ふくちのちの開館時の蔵書数は約5万冊で、ほぼすべて開架にあるようですが、6類の棚などは蔵書数の少なさを感じてしまいます。

 2類の236(スペイン)は計5冊。スペインに関する本が3冊、ポルトガルに関する本が2冊ありました。『ハプスブルク・スペイン 黒い伝説』(筑摩書房)と『喜望峰が拓いた世界史』(中央公論新社)は昨年から今年にかけて出た新刊ですが、5冊のうち2冊がこれなのか。各国の歴史については河出書房新社の「ふくろうの本」シリーズ、スペインやフランスなどの主要国の歴史は明石書店の「世界の教科書」シリーズが置かれています。

  ふくちのちの建物は福智町役場赤池支所(元の赤池町役場)をリノベーションしたとのことですが、言われなければ役場だったとは気づかないほど手が加えられている様子。赤池町役場はいつ竣工したのか気になりました。特に2階は役場だった時の様子が想像できなかったのですが、改修工事の写真が掲載されている館長日記を見ると劇的に変化しているのがよくわかります。

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(写真)2階南側の開架。(中)こち亀が置いてある3類の書架の側面。

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 (左)0類の棚。(右)236 - スペインの棚。

 

 

サイレントルーム

 2階南側の開架から時計回りに進むと、「サイレントルーム」という名称の読書室があります。ここはかつて福智町議会議場だった部屋で、椅子や机はもちろん「教育長」などの札もそのまま残されています。堅苦しい雰囲気で落ち着かないという方もいそうですが、ふかふかの椅子で鑑賞できる映画上映会は他館ではまねできない。公式サイトによると大人向け/子ども向け/乳幼児向けが毎月各1回ずつあり、7月からの2か月間の上映作品は以下のとおり。図書館による映画上映会としてはかなりの頻度です。

 筑豊地方にある常設の映画館はTOHOシネマズ直方だけのようです。『君に届け』(2010年公開)と『信さん 炭鉱町のセレナーデ』(2010年公開)は劇場公開時にも上映されたと思いますが、『きっと、うまくいく』(日本での劇場公開は2013年)は筑豊地方初上陸なのでは。素晴らしい映画です。

君に届け』(7/8、大人向け)

トムとジェリー 花火はすごいぞ』(7/15、子ども向け)

『かわいいミッフィー』(7/22、子ども向け)

『きっと、うまくいく』(8/12、大人向け)

『銀河がマロを呼んでいる』(8/19、子ども向け)

『ルルロロいろ』(8/26、乳幼児向け)

『信さん 炭鉱町のセレナーデ』(9/9、大人向け)

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(左)議長席からの視点。(中)教育長席。(右)議員席。

 

 

2階の歴史資料館ゾーン

 サイレントルームからさらに時計回りに進むと、1階にもあった歴史資料館ゾーンが2階にもあります。上野村(現・福智町)出身の音楽家である河村光陽、この地方の伝統工芸である上野焼(あがのやき)の展示がありました。Wikipedia記事「上野焼」は2016年11月24日に開催されたミニウィキペディアタウンで加筆された記事です。その時には文章だけの記事だったのですが、今年3月にはロシア人(?)利用者によってロサンゼルス・カウンティ美術館所蔵の徳利の写真が追加されて見栄えがよくなりました。

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 (左)河村光陽の展示。(右)上野焼の展示。

 

 

和室

 2階の歴史資料館ゾーンのそばには開放的な和室があります。ふくちのちではエリアごとに形の違う照明器具を使っていますが、ここでは丸い照明でほのぼのした雰囲気です。他館の畳コーナーは奥まった場所にあって学生の勉強場所になっていることも多いですが、ふくちのちでは畳コーナーに来るとのんびりとした気分になる。後で訪れた時にはお昼寝中の方がいました。

 フロアガイドを見るとわかるように、この建物にはかなり大きな吹き抜けがあり、1階で子どもが遊ぶ声は2階にも聞こえてきます。しかし、この和室部分も含めた2階の四隅に来ると雑音がぴたりと止みます。北東側の角では和室の壁、南西側の角ではグループ学習室、南西側の角では書架が音を遮る役割を果たしているようです。※隣接県の某TSUTAYA図書館では設計だけで外部からの音を聞こえなくしたスペースがあると宣伝していますね。

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2階北側の開架

 和室から更に時計回りに進むと、2階北側は9類の開架。スタッフのおすすめ本のコーナーや特集展示などもありました。

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(写真)2階のふくちのちカウンター。左側は自動貸出機。1階と2階に1台ずつ(だと思う)。

 

 

ふくトラ広場(YAコーナー)

 2階南東側の角はふくトラ広場(YAコーナー)。ヤングアダルト用の本や座席があるほかに、階段状の台とその正面の黒板が目に付きます。2016年夏には中高生が一週間も合宿して図書館の使い方を考えたとかで、他館のとってつけたようなヤングアダルトコーナーとは本気度が違う感じです。大学のラーニングコモンズに似た雰囲気がありますが、ホワイトボードではなく黒板なのが公共図書館的です。階段状の台でうまい具合に死角をつくっていますが、2階南側の書架からの一体感もあります。

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(左)黒板。椅子がかわいい。手前は台。(右)黒板の向かいにある階段状の台。

 

 

まとめ

 ふくちのちの館内をぐるりと回って各コーナーを紹介してきましたが、絶対的な蔵書数が少ないこともあって書架以外の部分に目が行きます。いちばん印象に残ったのは1階のものづくりラボです(ただし写真を撮るのを忘れました。あ~)。

 私の地元の愛知県でも、この6月1日に開館した安城市図書情報館が3Dプリンターを導入しました。塩尻市立図書館や山中湖情報創造館でどう使われているのかは知らないのですが、奥まった作業室に設置されている安城市図書情報館の3Dプリンターは限られた利用者のためのものに見えます。

 ふくちのちでは3Dプリンターが開放的な「ものづくりラボ」にあり、安城市図書情報館とはものづくり系機器を設置している意味合いがまったく違うように感じました。8月には11回も「工作チャレンジ」という子ども向けのものづくり教室が開かれており、(実際には使わなかったとしても)手の届く場所にこれらの機器が置かれている部屋でやるものづくり教室はこどもの想像力に大きな影響を与えているのではないかと思います。

 

 本ブログに掲載した写真にはほとんど利用者の姿が写っていませんが、実際には巨大ダンボール迷路の周りを走って遊ぶ子ども、床に直接座って本を読むやんちゃな風貌の少年、カフェで友達とおしゃべりする女子中学生、畳コーナーでいねむりするおじさん、サイレントルームで長時間読書するおじさんなどがいました。ふくちのちの淡い色合いの什器、裾が色鮮やかなカーテンなどからは、家にいるような安心感を感じます。

 ふくちのちは全国から注目を浴びている図書館ではありますが、TSUTAYA図書館のように全国的な知名度を持つ図書館には感じられない、「町民のための図書館」の雰囲気を感じました。ふくちのちができるまでの過程は今後生まれる町立図書館には大いに参考になるのだろうともいます。

福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れる(1)

台風5号が去った2017年8月9日と8月10日には九州北部を小旅行。8月9日には長崎市立図書館、諫早市諫早図書館、武雄市図書館を訪れ、8月10日には福智町図書館・歴史資料館「ふくちのち」を訪れました。館内については広報ふくちのフロアガイドも参照してください。

http://www.town.fukuchi.lg.jp/pdf/kouhou/170401/p02_09.pdf

 

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福智町の概要

福岡県を4地域に分けると筑豊地方に含まれる田川郡福智町は、平成の大合併で3町が合併して発足した町。田川市直方市の中間付近に位置し、都市圏では田川都市圏または北九州都市圏に含まれるようです。

福智町の人口は約22,000人。旧赤池町(合併時9,500人)、旧金田町(合併時8,000人)、旧方城町(合併時8,000人)は規模が似通っており、郡名を冠する自治体(田川市)がすでにあったため、町の北西端に位置する福智山から福智町という名称が採用されたようです。地形図を見ると旧金田町と旧方城町にはベタ塗りの集落がありますが、旧赤池町にはベタ塗り部分がなく、ふくちのちの西方にある赤池ニュータウンが人口を押し上げていたようです。福智町役場は旧金田町に置かれています。

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 (写真)これが福智山らしい。平成筑豊鉄道の車窓からはもっと優美な姿が見えた。

 

 

ふくちのちを訪れる

 福智町は福岡市からも北九州市からもほどほどに遠い。この日の朝は鳥栖駅から博多駅を経由し、直方駅平成筑豊鉄道に乗り換えるルートで福智町に向かいました。平成筑豊鉄道では前々日に通った長崎本線との快適さの違いを感じます。単行の気動車ではありますが、全線複線で線形がよく、1時間に2本走っています。直方駅から赤池駅までわずか8.5kmの距離に7駅があり、多くは第3セクター転換後に設置された駅だそうです。

 旧赤池町域では堀割の中を進み、ふくちのちからほぼ同じくらいの距離にふれあい生力駅赤池駅があります。行きは赤池駅で降りて図書館まで歩き、帰りはふれあい生力駅から乗りました。

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(左)平成筑豊鉄道気動車直方駅。(右)ふくちのち最寄駅のふれあい生力駅。直方方面は森の中に突っ込んでいく、雰囲気のある駅。

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(写真)ふくちのち。

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 (写真)入口から奥を見渡す。

 

 

カフェ「としょパン」、キオスク

 まず気になるのは入って左側にあるカフェ「としょパン」。図書館部分とのあいだにはこれといった仕切りがない。これだけ開放的な図書館カフェははじめてです。蓋つきの飲み物は館内の持ち歩き自由。パンなどの食べ物はカフェ部分で食べる必要があります。

 このカフェのメニューは通常料金でも良心的な価格設定ですが、図書カードを持っているとジュースが200円、ソフトクリームが150円。これは安い。焼き直ししてもらったベーグルとアイスコーヒーを注文しました。ひととおり館内を歩いた後にはこのカフェで鳥越館長を見つけました。

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 カフェの手前にある「キオスク」(オリジナルグッズなどの売店)、逆サイドにある大型モニターも目につきます。キオスクではふくちのちオリジナルのトートバッグやクリアファイルやてぬぐい、地元産のジャムなどが販売されていましたが、備前焼のカップを販売している瀬戸内市民図書館「もみわ広場」とは違って、福智町名産の上野焼はみつけられなかった。図書館で本を売っているのは珍しいです。大型モニターでは館長の姿がちらりと写りました。

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 (左)「キオスク」。(右)大型モニター。

 

 

写真撮影に対する対応

 ふくちのちは写真撮影可能な図書館です。「無許可撮影禁止」(≠許可を得れば撮影できる)という表示をしている館は珍しい。1階奥にあるカウンターで名前と所属を書くと、シール式の撮影許可証がもらえます。これまで140館弱で写真撮影の可否を尋ねましたが、シールを渡された館は記憶がありません。「撮影許可申請書への記入&ネックストラップor腕章」な館よりも敷居が低く、「(撮影許可申請書などがなく)自由に撮影可能」な館よりも敷居が高いのですが、許可を得てからでないと撮影させないところには好感が持てます。個人的な好みかもしれませんが、なんの許可もなく自由に写真撮影させる館には不安を覚えます。

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 (右)シール式の撮影許可証。

 

 

新聞・雑誌コーナー

 カフェの隣は新聞・雑誌コーナー。新聞は1週間分が並べて置かれています。なかなか見ない形態。雑誌の中には雑誌スポンサーが提供しているものもあり、鳥越館長がスポンサーになっている雑誌もありました。もしかして個人でもスポンサーになれるのかな。新聞・雑誌コーナーは南面にあり、建物南側にある芝生の広場が見えます。

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歴史資料館部分

  図書館部分と歴史資料館部分の境界を感じさせないフロアの構造は瀬戸内市民図書館「もみわ広場」に似ている。どちらが先ということはないと思うけれど。瀬戸内市福智町は名産として焼き物があるのも似ています。館内に入って正面の壁には旧赤池町役場時代から上野焼が飾られています。

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 実は建物入口とカフェの間には影の薄い企画展示室があります。この時は「福智町と戦争」に関する展示を行っていました。

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こどもひろば(児童書)

 1階の左手奥は児童書です。奥側の書架や机・椅子はカラフルで楽しげ。手前側は死角が多く取られていて隠れ家的な雰囲気があります。

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(写真)手前側の書架。円形部分は「おはなしのへや」。

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(写真)奥側の書架。

 

各種ラボ

 ふくちのちの1階には「ものづくりラボ」と「クッキングラボ」が、2階には音ラボが、計3つのラボがあります。この中では特に「ものづくりラボ」が印象に残りました(※ただし写真は撮り忘れた)。3Dプリンターレーザー加工機、ミリングマシンなどが置いてあるこのラボは入口からすぐの場所にあり、ガラス張りのため中がよく見えます。一般的な図書館利用者が気付かないような奥まった場所にある安城市図書情報館とはまったく考え方が異なるのでしょう。

 3Dプリンターにしてもレーザー加工機にしても、専門知識がないと使いこなせない設備です。この町の規模や特性を考えると過剰な設備、ほとんど使われないままホコリを被ってしまう設備ではないかと思っていたのですが、実際に図書館を訪れてみるとまったく違う印象に変わりました。ものづくりラボは子ども向けのイベントで頻繁に利用されており、容易にこれらの設備を眺めたり触ったりできます。子どもだけでは使いこなせないけれど、身近な場所にでーんと置いてあるだけで想像力を育めそうな気がしてきます。勉強して知識を付ければ使えるようになる、ということに気付く道具にもなります。館内の一等地にこのようなラボを設置するのは勇気がいりますが、このふくちのちから他館に真似されていくような設備である気がします。

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(写真)クッキングラボ。

 

 

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その2につづきます。

ayc.hatenablog.com

「オープンデータソン in 伊丹『有岡城惣構え』」に参加する

2017年7月29日(土)、兵庫県伊丹市で開催された「オープンデータソン in 伊丹『有岡城惣構え』」に参加しました。イベントのタイトルの『有岡城惣構え』は、Wikipediaではそれぞれ伊丹城 - Wikipedia総構え - Wikipediaとして作成されている語句です。なにやらこだわりを感じます。

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 初めて伊丹市立図書館を訪れたのは2016年8月のこと。1階にいたガイドさん(?)と一緒に館内を回り、何十枚か撮って帰った写真の一部は「Category:Itami City Library - Wikimedia Commons」に上げています。11月の図書館総合展ではLibrary of the Year 2016を受賞。私が訪れた時には図書館内を見て帰っただけですが、LoYでは「市民と図書館員が一緒につくりあげる」という部分が評価されたわけなので、いつかこの図書館のイベントに参加してみたかったのでした。

 

伊丹市で開催された過去のウィキペディアタウン

 2015年8月に大阪市立中央図書館で開催された「Wikipedia ARTS 大阪新美術館コレクション」の際に、初めて三皷(みつづみ)由希子さんにお会いしました。2015年11月8日にはみつづみさんらが中心となって「ウィキペディアタウン in 伊丹 ~伊丹のまちを編集しよう~」を、2016年11月27日・12月4日にも「ウィキペディアタウン in 伊丹」を開催しています。2015年11月のイベントでは發音寺 - Wikipedia伊丹台地 - Wikipediaを新規作成し、岡田利兵衞 - Wikipedia金剛院 (伊丹市) - Wikipedia猪名野神社 - Wikipediaを加筆しています。2016年11月・12月のイベントでは須佐男神社 (伊丹市) - Wikipediaを新規作成、御願塚 - Wikipedia御願塚古墳 - Wikipediaを加筆しています。

 私はどちらのイベントにも参加していませんが、2015年に新規作成した「伊丹台地」は当時から気になっていました。伊丹市立図書館の脇でも台地と低地で10m程度の高低差があり、さらに北の加茂遺跡のあたりでは20mもの高低差があるといいます。リンクした大阪高低差学会のブログではカシミール3Dや地形図を使ってこの段丘崖のようすを視覚化していますが、「伊丹台地」の記事にも伊丹台地の範囲図や模式図があれば、せめて段丘崖の写真があれば、もっとわかりやすい記事になると思っていました。

 2016年11月・12月に開催されたウィキペディアタウンでは、2週にわけるという画期的な方式を取ったようです。第1週の週末には「図書館とウィキペディアタウン」の講演・Wikipedia文化財のレクチャー・次週に行うことについてのミーティングを、第2週の週末にはまちあるきと編集作業を行っています。WikipediaのレクチャーとWikipediaの編集作業の日が分かれていることで、はじめてWikipediaを編集する方にとっては負担が大きく軽減されるのではないかと思います。普段のウィキペディアタウンでは「何を書きたいか」「何を書くか」「どう書くか」についてじっくり考える時間がないのですが、2週に分かれているとこのあたりのことを整理する時間も生まれるのではないかと思います。

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(左)カエボン棚。(中)伊丹作家コーナー。(右)テーマ展示。

www.city.itami.lg.jp

 

伊丹市立図書館を訪れる

 今回のイベントは10時開始。阪神地区や京都の他には、岡山県津山市から参加された方もおり、最年少参加者は小学5年生の女の子でした。まずは11時までの1時間で各種説明。是住さんによるオープンデータの説明、Miya.mさんによるWikipediaの説明、仲野さんによるOSMの説明と続きます。今回は坂ノ下さんによる「どのような生き方をしたいか」という熱い説明がなかったのが残念。

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(写真)この日の文献。迷いがあるのがわかる文献の選び方。

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(写真)各種説明。中央は仲野さん、右はみつづみさん。

 

伊丹をまちあるきする

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 今回のまちあるきコース。OpenStreetMapより作成。

 

 11時10分から13時までの110分間がまちあるき時間。まちあるきガイドの池田利男さん(伊丹市文化財ボランティアの会会長)は昭和7年生まれの85歳だそうですが、歯切れのよい話しぶりに明快な説明がきもちよい。まちあるきコースでカギとなるポイントは猪名野神社、有岡城跡、墨染寺の3か所でしたが、猪名野神社の説明でやや時間が押したため、墨染寺は省略されました。110分のまちあるき時間でスケジュールが組まれていましたが、夏場・冬場に2時間弱のまちあるきはけっこう大変。もっと短くてもよいと思います。

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 (写真)まちあるきガイドの池田利男さん。

 

 猪名野神社は伊丹市立図書館のすぐ北にあります。ここは伊丹郷町の北端部にあたり、有岡城惣構えの遺構が残っています。伊丹に24、西国街道以南に10ある神社のひとつであり、郷社なのに「97もの石灯篭があること」、「本殿と拝殿の間に幣殿があること」、「注連柱があること」などが珍しいらしい。境内には伊丹市立相撲場の土俵があり、ここに設置された理由も話してくださった気がしますが(忘れた)、ネットで検索してもでてこない。これは文献で調べて書くべきですね。

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(左)猪名野神社拝殿。注連柱がある。奥には幣殿と本殿が。(右)猪名野神社に97(+1)ある石灯籠。

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 (写真)猪名野神社の各ポイントで説明を聞く参加者。

 

 下の図左が現在の伊丹市街地における伊丹郷町の範囲を示したもの。どことなく琵琶湖に似ています。伊丹郷町のうち、町の部分は南北約1,700m、東西約800m。現在のJR伊丹駅に近い東端部に100m×140m程度の有岡城がありました。近江塩津付近、北端のとがった部分が猪名野神社。郷町の外と中を隔てて神社から南西に道路が伸びていますが、かつてはここに小さな川が流れていたらしい。神社には砦の痕跡の石垣がありました。

  猪名野神社からは伊丹市立図書館を横目に南下。中間地点にある旧岡田家住宅・酒蔵で休憩を取り、彦根付近にある有岡城跡まで歩きました。JR伊丹駅のすぐ近くですが静かな有岡城跡からは琵琶湖を横断し、三軒寺前広場を抜けて対岸に向かいます。広場と阪急伊丹駅の間には地図で見ても怪しげな曲線を描く路地がわかりますが、こんな場所にも小規模な崖と石垣が残っているのでした。

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 (左)伊丹郷町の範囲。OpenStreetMapより作成。(右)16世紀末の伊丹郷町。

 

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 (写真)休憩ポイントの旧岡田家住宅・酒蔵。

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(左)有岡城跡の石垣。(右)怪しげな路地にある高低差と石垣。

 

 池田さんの説明にもガイドマップにも、しきりに「伊丹郷町」(いたみごうちょう)という語句が出てきます。ググってもこの語句をうまく説明しているページはないのですが、街中には下の写真のように立派な案内図があり、まちあるきした範囲だけでも「伊丹郷町」を冠したマンションが何軒もありました。休憩した旧岡田家住宅・酒蔵は「伊丹郷町館」の一部。

 飯田市における「橋北 / 橋南」なんかと同じです。全国的に知られた寺社なら他地域在住者がネット検索しただけでもWikipedia記事は作成できますが、「伊丹郷町」や「橋北 / 橋南」のような広域地名はそうはいかない。こんな語句こそ、現地在住の方がWikipediaに書いて発信すべき。大きな範囲なので簡単に調べただけでは書けませんが、いつかいたみアーカイ部でチャレンジしてほしいな。
 まちあるきの解散場所は飲食店の多い三軒寺前広場付近。昼食を取ってから各自で図書館に戻るように促されます。私は三軒寺前広場にある韓国料理店「尚州(サンジュ)本店」で冷麺を食べました。

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 (左)この日の重要キーワードのひとつである「伊丹郷町」。(右)おひるごはんの冷麺。

 

Wikipedia / OSMを編集する

 午後のスタートは伊丹市立図書館の司書さんによる図書館の使い方講座。資料の探し方とレファレンスについて教えていただきました。イベントによってはイベントの専属司書的な立場の方がいることもありますが、司書がどうやって文献を探しているのかが見えにくい。今回のようにレファレンスの仕方を説明してくださると、自分でレファレンスカウンターまで行って尋ねてみようかという気になります。

 ウィキペディアチームは約11人が3グループに分かれ、「伊丹城」(有岡城)、「総構え」、「猪名野神社」の3記事を加筆します。「伊丹城」には主に是住さんが総構えに関する記述を加筆。私がいた「総構え」グループも伊丹城の総構えについての記述を加筆していきました。

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 (写真)図書館司書による図書館の使い方の説明。

 

 みつづみさんがこだわったのは「日本最古の総構えが有岡城である」という記述の真偽。2006年8月19日に記事「総構え」が作成された時からこの記述があるのですが、10年以上出典がないままでした。事前に準備されていた文献には総構えに関する記述が見当たらなかったため、3階の郷土資料コーナーに探しにいったのですが、やはり「日本最古」であると明確に言及している文献は見つからず。レファレンスカウンターで聞いてみようかとも思ったのですが、別のグループのレファレンスで忙しそうだったのでやめました。

 そうこうしているうちに、是住さんが「日本最古」と書かれた神戸新聞の記事をみつけます。伊丹市立図書館の新聞データベースはヨミダスのみのはずなので、個人契約のG-Searchを使ったのかな。研究報告書などではなく単なる新聞記事であることについては参加者の間で多少のやり取りがありましたが、「伊丹城」と「総構え」の記事それぞれに神戸新聞の記事を出典として加えました。「総構え」の記事には現地で撮った石垣の写真や、現代の地図における総構えの位置を示す図を掲載しました。

 「猪名野神社」の記事も加筆されています。境内が広く摂社・末社が数多くある猪名野神社のような題材には、下のような図が掲載されていてもいいのではないかと思いました。

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(図)OpenStreetMapから作成した猪名野神社周辺の図。OSMチームの今回の成果も兼ねて。

 

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 (写真)Wikipedia & OSMの編集作業中の室内。おおざっぱに分けると四角い机を囲んで作業しているのがWikipediaチーム、壁に沿って一列に並んで作業しているのがOSMチーム。

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(左)Wikipediaチームの成果発表。(右)OSMチームの成果発表。

「相模原市立図書館」の加筆をみる

相模女子大学附属図書館

相模女子大学附属図書館・・・新図書館は女子大学附属図書館として、前面の広場とともに、キャンパス全体の核となるよう計画された。内部は、2つのまとまった開架閲覧室と、他の事務・閉架書庫部門を各階のホールがつなぐ。それぞれの場所で、光の採り入れ方の工夫をすることで、内部空間をより豊かにしている。閲覧室は制御された間接光で満たし、ホール吹抜は直接光の落ちる光井戸となる。さらに図書館の日時計は、閲覧席からも時間が読めるだけでなく、広場を活気づける装置となっている。
                 『建築設計資料 43 図書館2』p.176

『建築設計資料 43 図書館2』(建築思潮研究所/1993年)に相模女子大学の附属図書館が掲載されている。日時計の記述や写真が印象的で、3,300人(1995年)の学生数でこんなに堂々と立派な図書館をつくるのか、と思った。

 

この2017年6月初頭から7月末にかけて、相模女子大学の司書課程の授業でWikipediaの「相模原市立図書館 - Wikipedia」が加筆された。6月上旬以降の6回の授業が「相模原市立図書館」の加筆に充てられ、珍獣ウィキペディアンであるらっこさんがゲストとしてサポートしていたらしい。司書課程3年生の12人が3グループに分かれて、相模原市立図書館(本館)、相模大野図書館、橋本図書館を1館ずつ担当していたそうだ。

 

記事「相模原市立図書館」の加筆をみる

私が神奈川県・東京都で訪れたことのある図書館は6館(海老名・大和・町田・都立多摩・武蔵野プレイス・東久留米)。相模原市立図書館のことは何も知らないし、そもそも相模原市内の鉄道駅で降りたことがない。ようするに土地勘がない。

授業前・・・5月25日の版

授業後・・・7月19日の版

授業開始前の5月25日、「相模原市立図書館」の分量は3,400バイトだった。授業後の7月19日には35,000バイトと、数回の授業を経て10倍にもなった。目次にはかっちりした節タイトルが並んでいて、一見すると充実した記事になったようにみえる。ただ授業前の5月25日の版と授業後の7月19日の版を読み比べていて気になった部分も多い。

 

・記事の要点をつかみにくい

図書館の概要について知りたい人にとっては、授業後の35,000バイトの記事よりも授業前の3,400バイトの記事のほうが役に立つかもしれない。授業後の記事では総体としての相模原市立図書館についての説明が少なく、特に歴史をざっくりと知りたい人にとって授業後の版は厄介だ。一般的な自治体では本館と分館には規模に差があるものだが、相模原市立図書館はそうでない。それは相模原市の発展過程に由来するものなのだろうけれど、土地勘がないものにとっては3館の歴史や位置づけを読み取るのが困難だ。開館時間や休館日などの利用案内、他機関との連携については各館で共通のはずなのに、それぞれの館の小節で重複して説明されているのもわかりづらい。
相模原市立図書館全体の歴史をざっくりと振り返る歴史節や利用案内節を設けてもいいかもしれない。それぞれの館の性格の違いを確認するために、各館の蔵書数や貸出数を表にしてみるのもいいかもしれない。『図書館建築発展史』(丸善プラネット/2010年)には1970年代前半の公共図書館建築の代表例として相模原市立図書館が登場し、「1,000m強の(当時としては)思い切った開架室」が特徴だったらしい。このような魅力的なエピソードを盛り込みたい。

 

・出典の提示の仕方がやや雑

大学の授業やウィキペディアタウンなどで記事を作成/加筆する場合、単純な誤字脱字やウィキ記法の誤りはまったく問題ではない。例えば授業後時点のこの記事では数字が全角になっていたり、秦野市が秦野氏になっていたり(これは直し忘れたので誰か直して!)、Template:Sfnがうまく機能していなかったりしていたが、こんなミスは誰かが直してくれる。

しかし出典の提示についてのミスが多いのは気になった。例えば授業後の版にあった“日本図書館協会が発行した「神奈川の図書館」という文献”は存在しない。この文献の発行者は神奈川県図書館協会だ。“日本図書館協会が発行した「図書館図集′79」という文献”も存在しない。文献名は正確には「図書館建築図集′79」だ。“キハラの『LIBRARY and LIBRARY』”がどの文献を指しているのかもよくわからなかった。さらに言えば、出版年が書かれていなかったり、著者が書名や出版社名より後にあったり、書籍と雑誌の区別がつかないといった出典の書き方が多かった。出典の書き方は分野ごとに異なるとはいえ、相模女子大学学芸学部が定めている標準的な書き方に統一してほしい。

 

・出典を探す際に視野を広げたい

出典には図書館の事業年報やパンフレットなどを中心として、図書館建築について書かれた書籍や郷土史家のエッセイ集を使っている。記事主題の関係者による情報源が多いし、相模原市の規模ならもっと多くの文献があるはず。『日本の図書館 統計と名簿』や『近代日本図書館の歩み』のような文献が使われていないし、『神奈川の図書館』は使われているがうまく活用されていないように見える。これらの文献を使うことで、「神奈川県/日本の図書館界における相模原市立図書館の立ち位置」について書けるのではないかと思う。

 

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さんざんディスってしまった。上で挙げた改善してほしい点の大部分は、今回の授業の形態ではどうしようもできない点であり、授業の到達目標をはるかに超えていると思われる。90分×6回の授業ということで、どういう文献を探せばよいか考える時間や、どんな文章をかけばよいか考える時間や、加筆した後に内容を見返して修正する時間はそれほど取れなかったのだろう。Wikipediaを編集したことがなかった学生たちが、わずか6回の授業でWikipediaの理念から編集方法まで完全に理解し、なおかつ全体のバランスや出典の明記方法にまで細心の注意を払って編集しろというのは無理だ。

ただ、今後この記事を読む方の大多数はこの記事が大学の授業で加筆された記事だということを知らない。著作権侵害などのまずい編集があった時には、教員のメールアドレスではなく、北極ペンギンさんやちくわぶくんさんやぺんすけさんのノートページにコメントが書かれる。記事の読み手はらっこさんと違ってルエミーさんがどんな方なのか知らないので、司書課程の女子学生ではなく50代くらいのおっさんだと思われて辛辣な文句が飛んでくることもある。

 

ここでもう一度授業前の5月25日の版を読んでみた。要点はまとまっているものの、これといった感想が浮かんでこない、あまりおもしろくない記事だ。あれこれとあら捜しができたのは今回の授業で加筆してくれたからだ。

相模原市立図書館や神奈川県図書館協会は『相模原市の図書館 や『神奈川の図書館』(それぞれ事業年報)をPDFでウェブ上に上げているが、その内容をWikipediaにテキストで書いたことで情報に到達しやすくなった。神奈川近辺の図書館にしかないであろう『わがまちの変遷』の内容や、ウェブ検索だけではなかなか出てこない『図書館建築図集 '79』の内容にも手が届くようになった。

ひとつひとつの情報はすでに誰かが提示している情報であるけれども、図書館の奥深くにしまい込まれていた情報が、時代に即した形でもう一度表に出された。それがどんなにすごいことかはらっこさんや宮原先生が伝えているはずだけれど、ほんとにすごいことだ。Wikipedia記事「相模原市立図書館」についての授業は終わったそうだけど、自分の興味のある分野でたまにでもWikipediaの編集をしてくれる学生がいるといいな。

 

おおぶ文化交流の杜図書館

2017年5月、愛知県大府市の「おおぶ文化交流の杜図書館」の貸出数が全国の同規模(人口6-10万人)自治体180自治体中1位になったという新聞記事が出た。貸出数ランキングというものは首都圏の自治体が上位を独占しているイメージがあるので、そして前年までランク外だった大府市が突然1位となったのに驚いた方も多いかもしれないけれど、近くの自治体に住んでいる者にとっては驚きではないのでした。

 

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 (写真)図書館が入っているおおぶ文化交流の杜。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
このブログにおける写真は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 3.0 非移植 ライセンスの下に提供されています。写真の一部はObu culture communication library - Wikimedia Commonsにアップロードしています。

 

www.trc.co.jp

https://mainichi.jp/articles/20170524/k00/00e/040/205000c?ck=1

「おおぶ文化交流の杜図書館 貸し出し図書の冊子数日本一に」毎日新聞、2017年5月24日

www.asahi.com

 

大府市の図書館の歴史

知多半島の付け根にある大府市は人口約9万人の自治体。名古屋市中心部とは約20km離れているが、日中でも毎時4本の快速系統が約15分でJR東海道線大府駅と名古屋駅を結んでいるうえに、刈谷市安城市岡崎市などの西三河地方へのアクセスも良い。

1970年に約5万人だった人口は、1990年に約7万人となり、2016年に9万人を超えた。知多半島の多地域とは違って醸造業は栄えなかった。他県の方にとってはそれほど知られていない自治体かもしれない。

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(画像)愛知県における大府市の位置。作者 : Lincun

 

おおぶ文化交流の杜図書館 - Wikipedia

図書館の歴史についてはもうウィキペディア「おおぶ文化交流の杜図書館」に書いた。大府市には長らく図書館法における「図書館」がなかったが、1980年に大倉会館内に大府市中央図書館が開館。貸出数は1978年度の13,969冊が1980年度には96,038冊(約7倍)に増えた。新築時の大倉会館はいくつかの建築系雑誌にも掲載されており、中部建築賞を受賞している。

1980年の人口は約6万人だった。床面積1,137m2の大府市中央図書館は人口の増加とともに狭隘化が進み、末期には「近隣の大府市立大府小学校の空き教室を書庫代わりに使用」していたらしい。2008年のリーマン・ショックでは愛知県の他自治体同様に法人税収入が激減し、2012年に開館予定だった新館の建設は約2年間遅れた。

建設・運営にはPFI方式を採用し、2014年におおぶ文化交流の杜が開館。その中に入るおおぶ文化交流の杜図書館の指定管理者には図書館流通センターが選ばれた。2013年度に514,154冊だった貸出数は2015年度に1,356,446冊(約2.6倍)まで増え、全国の同規模自治体(人口6万人-10万人)180自治体の中で総貸出数・1人あたり貸出数ともに最多となった。 

 

立地や施設

旧館の大倉会館は大府駅から徒歩10分の好立地にあり、市役所や中心商業地にも近かった。一方でおおぶ文化交流の杜は大府駅・共和駅それぞれから約2.5kmの距離があり、駅から歩くと30分程度かかる。大府駅・共和駅のどちらから赴いても、図書館の手前で約15mの高低差がある坂を上る必要があり、自転車などでも行きづらい。公共交通機関では1時間1本の間隔でコミュニティバスが走っているが、基本的なアクセス手段は自動車しかないといっていい。

施設内は1階に図書館やホールや多目的スタジオが、2階に会議室や学習室がある。図書館内は和やかな雰囲気を感じる。そもそも立地が災いして中高生の図書館利用者は少なく見えるし、勉強する学生は上階に隔離されている。他自治体の図書館よりは(車を持たない)高齢者も少ないのだろう。この結果、自家用車で来るファミリー層にとってとても居心地の良い図書館になっている。貸出冊数が日本一になった背景には自家用車で来るファミリー層が20冊の制限いっぱいまで借りていくことも大きいのだろう。

近隣自治体の中では唯一導入している自動貸出機は、2015年時点ですでに貸出の96%を担っていた。即座に返却処理がされる自動返却機は子どもに好評らしい。ICタグによる自動貸出や自動返却のおかげで図書館員が本来の業務に力を注げているのがわかる。よく考えられた書架の配置や展示、つねに入館者に目を配っている総合受付の職員、声をかけやすいレファレンスカウンターの司書。この図書館はもっと注目されてほしい。

 

 施設全体のロビー

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(写真)おおぶ文化交流の杜のロビー。文化の発信拠点という雰囲気がうらやましい。

 

図書館の中央部

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(写真)総合カウンター前。「祝 貸出図書数 全国一位」の幕が見える。

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 (写真)新刊コーナー。帯で内容を紹介。

 

ICT関連

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(左)4台並んだ自動貸出機。(右)図書館入口にある自動返却機。

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(左)インターネット用PCは9台。(右)存在感のある予約本コーナー。

 

郷土資料コーナー

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 (写真)テーマ展示。

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  (左)レファレンスカウンター。(右)大府市関連の図書の棚。棚の上では新聞記事のスクラップ。

 

グループ学習室

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 (写真)この図書館のウリになるはずだっただろう、図書館のフロア中央部で存在感を放つグループ学習室。左は通常時。右は学習室としての使用時。大府市民と図書館がこの部屋を使いこなせているようには見えない。

 

児童書エリア

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 (写真)児童書エリア。児童書は見るべきポイントがわからない全体の様子でごまかす。天井のアールが醸し出してる近未来っぽさが好き。

 

カフェスペース

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(写真)2017年4月から営業している「健康カフェ」。

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(写真)2017年4月で閉店したイタリアンレストラン「エルベッタ」。

Wikipedia Town in 飯田に参加する(2)

ayc.hatenablog.com

2017年7月8日(土)に開催された「Wikipedia Town in 飯田」。(1)の続き。長い。

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「草の根を分けても探し出す」

昼食後には少しだけ館内を歩いた。事前に入手しておいた資料によると、飯田市の図書館は1901年に飯田小学校内にできた飯田文庫にさかのぼる。1915年に飯田町に移管されて公立化し、1931年に現在地の陸軍連隊区司令部の建物に移転した。2015年には100周年記念イベントを行ったのだろうか。1980年まではこの建物を使用していたが、1981年に現行館が開館。長らく市立飯田図書館という名称だったが、1993年の自治体合併時に飯田市立中央図書館に改称した。すでに現行館の開館から36年がたっており、2,500m2という延床面積は2017年基準では広いとは言えないものの、古さや狭さは全く感じない。

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(写真)この日用意された文献。

 

午後の最初は図書館の井原さんによる公式サイトの説明。説明が堂々としていて羨ましい。飯田市立図書館公式サイトは7月1日にリニューアルし、新しいページがいくつも追加されたとか。飯田市の地域資料に関するページには、ゆかりの人物や飯田市の名所旧跡に関するブックリストが閲覧でき、裏界線に関するブックリストもまとめられている。広域検索システム「さーちしまいか」では、飯田市立図書館を含めた近隣7館と国立国会図書館デジタルコレクションの資料が一発で検索できるらしい。デジコレも一緒に検索できるのは便利そう。

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 (写真)飯田市立図書館ウェブサイトの説明。

 

続いて講師であるくさか先生のおはなし。この日、図書館の代田さんはくさか先生のことを何度も先生と呼んだ。先生はウィキペディア記事「飯田市」を例に出し、ウィキペディアとは何であるかを説明する。この記事はウィキペディア的には質の高い記事とは言えないが、外部の人間が飯田市のことをざっくりと把握したい時にウィキペディアは役に立つ、という話だった。

飯田市」という項目は英語版を含む20言語版にあり、英語話者やフランス語話者はもちろん、アラビア語話者やアルメニア語話者やセブアノ語話者だって、飯田市についての簡単な情報を母語で読むことができる。流れで編集方法の説明も。リンクの付け方や出典の付け方などは、各グループに2枚ずつプリントアウトして配布された。

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※くさか先生の画像はありません。

 

 

 この日の編集項目

飯田市立図書館のイベント告知ページでは、あらかじめ当日の編集項目が提示されていた。参加者は5項目の中から第2希望まで選んで参加申込を行い、イベント当日にはあらかじめ5つのグループにグループ分けがなされていた。

まちあるき時には5グループが2コースに分かれた。飯田城下橋北グループと喜久水酒造グループの2グループは橋北コース、田中芳男グループと喜久水酒造グループは橋南コース。裏界線は橋北地区にも橋南地区にも存在するため、裏界線グループの6人は2つのコースに分散した。

あらかじめ編集項目が決まっていたことで、まちあるきで見るべきポイントがわかりやすかった。前日までに編集項目について調べておくこともでき、実際に私は豊川市立図書館と豊橋市立図書館で南信関連資料をパラパラとめくった。この方法を取らないウィキペディアタウンもある。オープンデータ京都実践会が行うウィキペディアタウンでは、当日のまちあるきで興味を引いたポイントから編集項目を選んでもらうべく、各参加者の編集項目を事前に決めることを避ける場合がある。

 

午後の編集作業では5つのグループに分かれたが、イベント中に編集された項目は5記事ではなく7記事だった。喜久水酒造グループ・田中芳男グループ・裏界線グループは編集する項目が明確だったが、飯田城下橋北グループと飯田城下橋南グループは編集項目を決めるところから始めたらしい。参加者の興味次第で柔軟に編集項目を決定できるように、主催者はあえて曖昧なグループ名にしたのかもしれない。

近世の歴史(飯田城・普門院跡・長姫神社)、近現代の歴史(追手町小学校)、地理(裏界線)、人物(田中芳男)、文化(喜久水酒造)と、今回の編集項目はジャンルも変化に富んでいた。一般論としてはジャンルは絞った方がいい。説明するまちあるきガイドも文献を集める司書も楽だし、参加者にとっても内容を理解するのが楽だし、イベントの主題がぼやけない。

今回の5グループが編集した7記事のうち、飯田城や田中芳男はイベント時点ですでにボリュームのある記事で、文章を加筆するのは難しかった。「ウィキペディアに記事があるかどうか」「ウィキペディアの記事が充実しているかどうか」という点を考慮して編集項目を選ぶほうが無難ではあり、くさかさん以外の講師はそうすることが多いが、今回は飯田での初開催なので、主催者が参加者に書いてもらいたい項目を優先したのだろう。

 

コース  グループ      実際の編集項目

橋北・・・飯田城下橋北・・・・飯田城(加筆)、普門院跡(新規)

橋北・・・喜久水酒造・・・・・喜久水酒造(新規)

橋南・・・飯田城下橋南・・・・追手町小学校(加筆)、長姫神社(新規)

橋南・・・田中芳男・・・・・・田中芳男(加筆)

両方・・・裏界線・・・・・・・裏界線(新規)

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ウィキペディア記事「裏界線」を作成する

裏界線グループは6人。各グループには運営側から図書館員または宮澤さん/諸田さんが入ってサポートしており、裏界線グループでは関口さんが情報収集をアシストしてくださった。まずは全員で裏界線に関する文献に目を通し、裏界線について文献でどんな言及がなされているかを確認する。学芸出版社が刊行している書籍、大火後の復興計画書、裏界線を取り上げた卒業論文、裏界線についての自費出版のイラスト集などの記載事項を共有し、その後セクションの構成を考えた。

裏界線の定義は難しいが、ざっくり言うと「飯田市に存在する複数の路地を総称する固有名詞」だと考えた。寺社仏閣や施設であれば似たような記事の構成を真似すればいいが、裏界線の場合はそれができない。文献に目を通した印象から、「歴史」と「特徴」というセクションを作成することにした。

ウィキペディアの編集が初めての4人は、「歴史」セクションの担当、「特徴」セクションの担当に2人ずつ分かれ、セクションごとに1台のパソコンで文章を打ち込んだ。まずはテキストエディタ(Word)で下書きを作成し、ある程度文章が出来上がったらウィキペディア記事「裏界線」に組み込む形を取った。私は「歴史」セクションにも「特徴」セクションにも入らず、次の3つの作業を行った。百科事典で重要なのはなんといっても文章だが、写真や地図を掲載することで文章を引き立たせたい。

①枠組みの作成

記事の核となる文章は4人に任せて、インフォボックス、テンプレート、セクション見出し、Wikimedia Commonsへのリンク、カテゴリなど、文章以外の細々とした作業を担当した。裏界線の編集履歴の初版に相当する編集。

②図の追加

地理に関する項目には必ず地図を入れたい。飯田市公式サイトに掲載されている図を参考に、OpenStreetMapを基に裏界線の所在地図を作成して右上に掲載した。飯田市公式サイトには橋南地区の裏界線しか掲載されていないが、実際には橋北地区にも裏界線があり、この所在地図は改訂が必要。欲を言えば、掲載した裏界線の写真から所在地図にリンクを飛ばしたい。

③写真の追加

橋南地区で撮影した裏界線の写真を3枚掲載した。イベント開始前に撮った写真が2枚、橋南コースで歩いた際の写真が1枚。1枚5MBくらいのオリジナルサイズだとアップロード完了までに1時間以上かかりそうだったので、1枚500KBまで縮小してからアップロードし、後日オリジナルサイズの画像をアップロードしなおしている。イベント終了後には宮澤さんが橋北コースにある裏界線の写真を掲載してくれた。

裏界線の写真だけでなく、飯田大火の写真、りんご並木の写真も掲載した。飯田大火の写真は『飯田・下伊那の100年』(郷土出版社、1992年)に掲載されていたもの。もともと飯田大火の写真はWikimedia Commonsに1枚もなかったが、現代の飯田におけるターニングポイントとなった出来事ということで、郷土系の写真集には数多く掲載されている。紙の写真集の中に埋もれさせておくのはもったいない。飯田大火は1947年の出来事なので、日本国の著作権法においてはすでに著作権が切れている。

りんご並木の写真はWikimedia Commonsに1枚しかなかった。飯田を象徴する場所なのに1枚しかないのは寂しいので、記事に使用した写真以外にも何枚かWikimedia Commonsにアップロードしている。いろんな方がいろんな場所でいろんな時期に撮った写真をWikimedia Commonsに集めたい。

 

できあがった記事「裏界線 - Wikipedia」を見てみる。特徴節はやや雑多な内容なので文章をこまめに区切り、歴史節は時系列に沿った文章を中心にして箇条書きを組み合わせている。そこに大火時の写真や現代のりんご並木の写真、裏界線の写真集などが加わって、メリハリのある記事になっていると思う。

大火時には路地がなかったことでどのような問題があったのか、設置された裏界線は実際に防火帯や生活道路として役に立っているのか、裏界線の土地の権利者はどうなっているのかなど、まだまだ書き足せることはありそう。都市計画の作成時にはすでに「裏界線」という言葉が使われていたが、裏界線が何年に完成したのかは結局わからず、また完成後の歩みもわからずじまいだった。

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(写真)裏界線グループの作業風景。

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(写真)ウィキペディア記事「裏界線」のスクリーンショット

 

 

ウィキペディアタウンをウィキペディアンの立場から考える

ウィキペディアの利用者ページにまとめている記録によると、私がこれまでに参加したウィキペディアタウンは10回を超えているようだ。オープンデータ京都実践会が主催したイベントへの参加がもっとも多く、それ以外には図書館/博物館(瀬戸内・高遠・東工大・東久留米・県立長野・鶴舞)、市民団体(精華町・街道・豊橋/田原・和歌山・大原・丸亀)、行政(掛川)が主催したイベントに参加してきた。とはいえ、図書館がメインで市民団体がフォロー、もしくは市民団体がメインで図書館がフォローというように、いくつかの団体が絡み合っていたほうが充実したイベントになるし、どれか一つだけで開催された例は多くない。

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(写真)飯田でいちばん有名な焼肉店らしい「徳山」。楽しい懇親会だった。

 

ウィキペディアタウンをMLAの立場から考える « マガジン航[kɔː]
イベント後の7月11日、京都府立図書館の福島さんがマガジン航に「ウィキペディアタウンをMLAの立場から考える」という文章を寄稿された。「資料がどのように利用されるかを目撃し、また利用のシーンにも直接介入する」「著作者の権利に配慮しつつも、著作権法をどのように理解・運用すれば社会の発展に寄与することが可能か、自らの問題として考える深刻なきっかけが与えられる」とのことで、MLA関係者はウィキペディアタウンに参加して学びましょうと締めくくっている。

ウィキペディアタウンに参加するようになって、ウィキペディアは「百科事典を作るプロジェクト」であるという思いが強くなっている。ウィキペディアタウンに参加したことのあるMLAの方にとっては何を言っているのかわからないかもしれないが、「プロジェクト」であるということを理解しているウィキペディアンは多くないように感じる。

ウィキペディアタウンに参加するようになって、「プロジェクトの中で自分は何ができるか」という視点を持つようになった。MLA関係者と日々交流してウィキペディアタウンで講師まで務めるくさかさんやらっこさんと同じことはできない。地方病や高尾山古墳のように優れた記事で読んだ方に影響を与えるさかおりさんやのりまきさんと同じこともできない。さて、私はいったい何ができるのだろう。

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カタルーニャ地方の象徴であり誇りであるカタラン・ロバ - Wikipedia