読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。

ウィキペディアタウン丸亀城下町に参加する(2)

ayc.hatenablog.com(1)の続き。このブログ(1)(2)に使われている写真はCC BY-SAライセンスです。もしブログに掲載するのが好ましくない写真があればこっそり教えてください。


丸亀市立中央図書館でばしゃばしゃする

丸亀市猪熊源一郎現代美術館内のカフェで昼食を取ると、美術館に入ろうとする参加者と別行動を取り、建物1階の丸亀市立中央図書館に入って館内撮影の可否を聞いた。ここは写真撮影には寛容なようで、午後の部開始までの15分でできるだけいろんなコーナーの写真を撮った。この中から23枚の写真をWikimedia Commonsにアップロードしている。実質10分間でだーっと写真を撮ってさっと出た。適度なざわめきがあったのでシャッター音はそれほど気にならなかった。

Category:Marugame City Library - Wikimedia Commons

 f:id:AyC:20170528234343j:plainf:id:AyC:20170528234339j:plainf:id:AyC:20170528234341j:plain

 

 

 ウィキペディアの編集を行う

f:id:AyC:20170525011727j:plain

(写真)本日の文献の一部。市史や地名事典から旅行ガイドまであれこれ。

 

午後の部ではまずMiya.mさんから編集方法の説明を聞き、その後3班に分かれて作業に入る。3月のWikipediaLIB@信州では編集作業の時間を3-4つのスパンに区切る方法を取ったが、今回も緩やかに「どんな節を作るか考える時間」「文献で調べる時間」「文章を作成する時間」などに分けるためのワークシートが用意されていた。本日の対象記事は「玄要寺」、「寿覚院」、「南条町 (丸亀市)」の3つで、私は「南条町 (丸亀市)」の作成グループに入った。

f:id:AyC:20170525011656j:plainf:id:AyC:20170527032427p:plain

 

ステップ1では「歴史」「地理」「交通」などの意見が挙がり、ステップ2ではそれぞれについて2人ずつくらいで文献で調べ、ステップ3では2人が協力してどちらかのPCで文章を打ち込む、という流れを期待していた。グループ内ではっきり役割分担して、ウィキペディア的に見栄えのする文章量の多い記事にするにはこんな流れが必要になる。そのためにワークシートは効果的だと思う。

とはいえ今回の「南条町 (丸亀市)」グループでは、こちらの想定していた流れにはならなかった。まちあるき時にガイドを務めてくださった遠藤さんがおり、ステップ1からかなり細かい部分まで説明してくださるので、ステップ1の段階でなかなかまとまらなかった。

 

寺院記事と比べて、町丁記事は視野の広さが重要になる。『角川日本地名大辞典』や『日本歴史地名大系』で大局をつかみ、「南条町」であれば町の範囲や各寺院の名前を抑えてから、自治体史で詳しく書いてある部分を探し、文献では判然としなかった部分や語句を遠藤さんら地元の方に聞く、というのが効率の良い(かつ、つまらない)方法だと思っている。
ただし、今回は遠藤さんに様々な点の詳しい説明を聞いたことで、その説明の出典を『丸亀市史』で探す、という流れが自然と生まれた。そんな流れもまた良しと思って、ステップ2以降はそれぞれが行っていることを見ているだけだったが、手持無沙汰な方が出てしまったのはこちらが工夫できたかもしれない。
イベント終了時には以下のような記事ができた(2017-05-21T16:19:51の版)。

南条町 (丸亀市) - Wikipedia

f:id:AyC:20170525011649j:plainf:id:AyC:20170525011650j:plain

f:id:AyC:20170525011633j:plainf:id:AyC:20170525011606j:plain

 (写真)3つの机、3グループに分かれて作業した。

f:id:AyC:20170525011749j:plainf:id:AyC:20170525011748j:plain

 (写真)成果発表。

 

 

南条町を加筆する

ウィキペディアタウンin瀬戸内市(2016年2月)

イベント対象となった「佐竹徳 - Wikipedia」をイベント後に小加筆。イベント開催場所の「瀬戸内市立図書館 - Wikipedia」を作成。

ウィキペディアタウン新丸子/武蔵小杉(2016年2月)

プレイベントに参加。プレイベント前に個人的に歩いて興味を持った「小杉御殿 - Wikipedia」を加筆。

Wikipedia TOWN × 高遠ぶらり(2016年3月・2017年1月)

イベント開催場所の「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成。2度目の参加前に「伊那旭座 - Wikipedia」や「信州高遠美術館 - Wikipedia」を作成。

ブラトヨハシ/ブラタハラ(2016年9月・11月・2017年1月)

執筆対象記事を検討する中で映画館関連文献の多さに気づき、「豊橋市の映画館 - Wikipedia」を作成した上で個別館記事を8記事作成。ブラトヨハシ/ブラタハラの準備段階では「田原市図書館 - Wikipedia」を加筆

 

その地域への興味がイベントだけで終わってしまってはつまらない。これまでもウィキペディアタウン後には気になっている記事を作成したり加筆したりしている。今回はイベントがやや消化不良だったこともあり、家に帰ってから簡単に「南条町 (丸亀市) - Wikipedia」の加筆を試みた。
愛知県内で『丸亀市史』を所蔵している公立図書館は豊田市中央図書館と春日井市図書館の2館だけ(愛知県図書館は所蔵なし)だったため、名古屋大学附属図書館に赴いた。イベントで使った『角川日本地名大辞典』と『丸亀市史』を再確認し、イベントで使わなかった『日本歴史地名大系』を確認。何枚かの写真を加え、地図を作成している。
角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』を核として歴史節を加筆した。近世の町である「下南条町・上南条町」の説明と、近代以降の町である「南条町」の説明を分けた。イベント中には南条町の範囲がわからず困ったため、OpenStreetMapから丸亀市中心部を抜き出して範囲を示す地図を作成した。寿覚院と玄要寺だけでなく、本照寺と法音寺の写真も加えた。まちあるきで前を通った「戎座」は、『丸亀市史』にあった初演者の説明を加えた。右上にインフォボックスを加えて、現代の町丁であることを明確にした。以下のようになった。

南条町 (丸亀市) - Wikipedia

 

南条町の課題

・やっつけ仕事感のある地図の改訂

Microsoft ペイントで適当に作った地図などではなく、Illustratorなどのきちんとした画像作成ソフトで作った地図が望ましい(誰か作って)。今後のウィキペディアタウンで丸亀城下町の他の町丁も作成するのであれば、城下町全体の地図もほしい。

・写真の改訂

宗泉寺以外の4寺院は1枚以上の写真が掲載されていてが、よりよい写真があれば差し替えてほしい。特に法音寺。

・航空写真の掲載

どこかの時代で外堀と水路が埋め立てられた。外堀と水路があった時代を示すために、「水尻池」などのように航空写真を掲載すると効果的ではないか。

・絵図(古地図)の掲載

高橋徹さんの説明では1802年丸亀城下町の絵図が使われた。南条町の寺院はこの絵図にも掲載されているため、ぜひ歴史節に載せたい。

・歴史以外の節の加筆

香川県外では『角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』と『丸亀市史』を閲覧するので手一杯だった。外堀や水路が埋め立てられた時のこと、明治期に設置された学校のこと、県道のこと、現在ある幼稚園やコミュセンのことなどももっと詳しく説明したい。

f:id:AyC:20170529005608j:plain

例えば「オープンデータソンin和歌山市」では、是住さんが国立国会図書館デジタルコレクションから『紀伊国名所図会』のこんな絵図を探してきて「和歌山城」に加えた。南条町にもこんな絵図があるとぐっと質が高まる。

 

 

ウィキペディアタウン丸亀城下町をふりかえる

・今回のイベントは執筆対象に「南条町」という町丁記事が含まれていたこともあって、実際に南条町を一周していくつかのポイントを巡った。一つか二つの目的地に行って帰って来るだけのイベントでなく、ひとつの「まち」を歩くイベントだった。水路跡や街道など、単なるポイントではない説明も多かった。こんなウィキペディアタウンはなかなかない。

・イベント中に「南条町+丸亀市」でインターネット検索してみた。南条町は丸亀城下ではかなり早い段階に設置された町で、今でも石碑や寺院や道路舗装や水路の地形的な痕跡が残っているというのに、驚くほど情報が出てこない。ただ、ネット検索では出てこないのに地名事典や自治体史にはきちんと記述があるし、地元の歴史愛好家に聞けば話が止まらない。こんな町だからこそウィキペディアタウンで作成する意義があった。今後のイベントでも町丁記事は作成対象の候補に入れてほしい。
・前日と当日にあった懇親会の席では、主催者側からも参加者側からも「ウィキペディアをまちづくりに活かしたい」という意見があった。私はいまでもウィキペディアが何かの役に立つのかどうか懐疑的な気持ちがあるし、ウィキペディアタウンは「オープンデータへの理解を深める」「地域文化への関心を強める」ためのイベントくらいにしか思っていない。まちづくりというキーワードを聞くとちょっとひるむが、丸亀では継続的にウィキペディアタウンを開催するとのことなので、今後に期待が膨らむ。


終わりに
丸亀市/丸亀高校出身の友人がいる。私が前回丸亀を訪れたのは、その友人が亡くなる前だった。

ウィキペディアタウン丸亀城下町に参加する(1)

2017年5月21日(土)、「ウィキペディアタウン丸亀城下町」に参加した。

www.facebook.com

 

丸亀平野を見渡す

前日の土曜日は高松市をうろついた後に男木島に渡り、16時を過ぎてからイベントの主催者陣と合流して少しばかりまちあるきした。

当日の日曜日は朝の7時50分にJR丸亀駅に集合し、主催者である中俣さん(香川短期大学)や大西さん(シロタラボ)らに「よしや」に連れて行ってもらう。飯野山(讃岐富士)の麓にある「よしや」に入ると、飯野山登山に向かうと思しき団体客で行列ができた。道路を挟んでローソンがあることで、この場所は登山の拠点になっているらしい。後から地図を見返すと、「よしや」のすぐそばには丸亀市立飯山図書館があり、飯山図書館の近くには条里制の痕跡のようなものも見えてくる。

讃岐平野という言葉はよく聞くけれど、Google Earthを見ると讃岐平野が3つの平野の集合体であることがよくわかる。高松平野(&大川平野)、丸亀平野、観音寺市を中心とする三豊平野は、それぞれ同じくらいの面積で広がっている。丸亀平野には丸亀市のほかに坂出市善通寺市があり、四国4県と岡山県を結ぶ交通の要衝になっている。今日の丸亀市讃岐国/香川県の中心地とならなかったのは、ほんとにささいなことが理由なのだろう。
Google Earthでは丸亀平野を南から北に流れる土器川扇状地形状がはっきり見える。丸亀平野には無数のため池が穴ぼこのように開いているが、地図で見る限りでは3平野の中でもっともため池が多い。金倉川を上流にたどっていくと1300年も前に築かれた満濃池に至る。

f:id:AyC:20170527023205j:plainf:id:AyC:20170527023326j:plain

 (左)「よしや」のうどん。(右)丸亀平野と飯野山。撮影:663highland。

 

説明を聞く

イベント自体は城乾コミュニティセンターで9時30分に開始された。本日のまちあるき対象地の南条町にあり、立地面は文句なしだった。Wi-Fiなどの設備がないのは仕方ない。今回の参加者の中では、Strolyの高橋徹さんとは(前日に)初めてお会いした。高橋さんは関西在住とのこと。これまでもどこかでお会いするだろうと思っていたが、なぜだか会う機会がなかった。お会いしたことのある方では玉野市の小郷原さんがいた。

第一部(午前)は座学とまちあるき。まずは東京ウィキメディアン会の海獺さんによるウィキペディアウィキペディアタウンの説明。スライドは見るたびに改良されている。その地域で初めて行われるウィキペディアタウンでは、くさかさんとかではなく海獺さんの説明/スライドが効果的だと思う。海獺さんやくさかさんが所属している謎の団体「東京ウィキメディアン会」には私も加えてもらっているが、いったい何をやっている団体なのでしょうか。

高橋徹さんによるStroly(古地図と現代の地図を連動させるアプリ)の説明がこの日のハイライトだった。Wikipedia Town ×高遠ぶらりでもちずぶらりを使ったが、その時には自治体ごとの分断感を感じていた。Strolyはいろんな都市のいろんな古地図を集めているうえに、方角や距離が正確でない絵地図と現代の地図を瞬時に切り替えることができるというのが衝撃だった。また紙製の地図が日の目を見る時代になるとは。

jp.techcrunch.com

ascii.jp

 

まちあるきする

城乾コミュセンを出てまちあるきを開始すると、さっそく説明が入る。建物前のこの道はかつて水路で、丸亀城の外堀と瀬戸内海の湊を結んでいたらしい。確かに東側より何メートルか低くなっている。そしてこの水路が丸亀城下と那珂郡地方村を隔てていたという。水路が外堀に達する地点まではいかずに、玄要寺の境内にある京極高朗墓所に向かう。年一回開かれるという墓所を見学させてもらう。かつて玄要寺はかなり大きな敷地を有していたらしい。
高朗墓所を出ると金毘羅街道を北上する。下に掲載した「丸亀城郭及び城下町古絵図」にも描かれている街道であり、舗装に変化が付けてある。すぐ東側を県道が通っているので歩行者は多くなく、まちあるきには都合がいい。

f:id:AyC:20170527032427p:plain

この日歩いたコース。城乾コミュセン前の道路がかつての水路。作成:OpenStreetMap contributors。

f:id:AyC:20170527032516p:plain

Strolyのサイト内の「丸亀城郭及び城下町古絵図」(享和2年=1802)より。右下には内堀が見えている。赤丸が今回のまちあるき範囲。ピンはウィキペディアの記事に飛ぶ。これは楽しい。

f:id:AyC:20170527032356p:plain

 

南条町は明治11年まで上南条町と下南条町に分かれていた。丸亀城に近いのが上南条町(南側)で、湊に近いのが下南条町(北側)。今日の南条町を二分している県道を超え、かつての下南条町に入る。玄要寺とともに記事作成予定の寿覚院に入ると、丸亀市指定文化財の観音堂があった。

金毘羅街道をさらに北上すると、法音寺の脇に劇場「戎座」跡の碑があった。高松にあった劇場を明治17年に移築したらしい。余談ながら、『丸亀市史』によると昭和13年時点における丸亀市の映画館は丸亀劇場、新町座、地球館、蓬莱館、帝国館の5館があった。高松とは違って丸亀は空襲を受けず、戦後の一時期には香川県下での洋画上映をリードしたのは丸亀だったという。『全国映画館総覧 1953年版』によると1953年には日本劇場、銀映劇場、蓬莱館、地球館の4館。同時期の高松市には10館、坂出市にも4館の映画館があった。『キネマ旬報1957年1月1日号によると、映画最盛期の1957年には蓬莱館、日本劇場、丸亀東宝、丸亀文化劇場、地球館、丸亀東映、有楽座の7館に増えている。その後映画館は減少に転じ、1999年には丸亀市最後の映画館である丸亀東映が閉館した。
※余談部分はまちあるき時に説明されたことではないです。独自研究です。

いったん本町に入った後、幸町の消防団分団屯所まで来てまちあるきを終える。丸亀市立図書館は1965年までこの地にあったらしい。ウィキペディアの「丸亀市立図書館」は所在地の変遷がわかりにくいため、年配者の丸亀市民でなくとも変遷がわかる地図を加えたい。文字情報だけで地図を作成するのは苦しく、今回のイベントでガイドを務めてくださった方々の知識が欠かせない。

f:id:AyC:20170525011328j:plainf:id:AyC:20170525011420j:plain

 (左)スタート地点の城乾コミュセン。(右)最初の目的地の京極高朗墓所

f:id:AyC:20170525011409j:plainf:id:AyC:20170525011422j:plain

f:id:AyC:20170525011413j:plainf:id:AyC:20170525011421j:plain

 (左)丸亀城外堀跡の碑。(右)金毘羅街道の存在を示す碑。

f:id:AyC:20170525011459j:plain

f:id:AyC:20170525020439j:plainf:id:AyC:20170525020414j:plain

f:id:AyC:20170525011457j:plainf:id:AyC:20170525011519j:plain

(左)寿覚院の観音堂。丸亀市指定文化財。(右)1965年以前に丸亀市立図書館があった場所。現在は消防団分団屯所。

芦屋市立図書館本館と打出分室を訪れる

2016年8月に芦屋市立図書館を訪れた。本日(2017年5月8日)、JP-28207-3さんという方が芦屋市立図書館 - Wikipediaという記事を作成してくださったこともあり、この図書館を訪れた時のことを記録に残しておく。

 

f:id:AyC:20170508222105j:plain

(写真)芦屋市立図書館本館。OSM以外の写真はいずれもAsturio Cantabrioが撮影。

 

 

芦屋市と芦屋市立図書館の概要

西宮市と神戸市東灘区に挟まれた縦に長い自治体が芦屋市。鉄道では北から順に阪急神戸線JR神戸線阪神本線が、道路では国道2号線阪神高速神戸線が市域を横切っている。市街地北部と市街地南部の標高差は激しく、六甲山地から芦屋川や宮川が滝のように落ちてくる。3本の鉄道路線を境にして街の雰囲気が違うのを感じ取ることができる。

f:id:AyC:20170508222244p:plain

f:id:AyC:20170508222247p:plain

 2枚の地図はOpenStreetMapを基に作成。

 

1949年に開館した初代芦屋市立図書館は、JR芦屋駅の西側にある芦屋仏教会館の一角を間借りしていたらしい。道路を挟んで芦屋川が迫っており、一見すると水害に遭いやすそうな場所にあるものの、目でも足でもはっきりとわかる自然堤防上にあり、1938年の阪神大水害でもこの場所は浸水しなかったらしい。

1954年から1987年までは阪神打出駅の北にある建物が第2代芦屋市立図書館となり、1987年からは市街地南端部に第3代芦屋市立図書館(現行館)を新築した。

 

 

芦屋市立図書館打出分室(第2代芦屋市立図書館、旧松山家住宅松濤館)

第2代芦屋市立図書館は明治期の建築物。大阪市逸見銀行として使われていたものを、1930年に芦屋市に移築した。その後は民間人(松山さん)の住宅として使用されていたとも、美術品収蔵庫の「松濤館」として使用されていたとも。まあ結局松山さんの私有地だったことには変わりないんだろう。

1954年に第2代芦屋市立図書館となった。村上春樹はこの図書館に足しげく通っていたらしく、図書館は『風の歌を聴け』にも登場する。1987年には現行の第3代芦屋市立図書館が開館したため、第2代の建物は取り壊される予定だったものの、建築研究会や市民団体からの声で解体を免れ、1990年には芦屋市立図書館打出分室として再開館した。1995年の阪神・淡路大震災では門が倒壊したらしい。2009年には国の登録有形文化財となった。

今では観光スポットのひとつにもなっているほど。明治期の銀行建築ということで、この打出分室だけでウィキペディアの単独記事になりうる。JP-28207-3さんによる芦屋市立図書館 - Wikipediaの現行版では打出分室がかつて本館だったことすらわかりづらいので、少しばかり加筆したい。

 

f:id:AyC:20170508222111j:plain

(写真)ツタで覆われた打出分室。これでも現役の図書館。

f:id:AyC:20170508222113j:plainf:id:AyC:20170508222115j:plain

 (左)かつての正面玄関。現在は封鎖中。(右)建物側面にある登録有形文化財のプレート。

 

 

芦屋市立図書館本館(第3代芦屋市立図書館)

芦屋市立図書館の現行館は芦屋中央公園などがある埋立地に隣接している。1960年代にはまだこの埋立地は存在しておらず、ちょっとした砂浜が広がっていたらしい。現在は落ち着いた雰囲気の一角に図書館・芦屋市立美術博物館・谷崎潤一郎記念館が集まっている。

図書館に入る。弧を描く壁面と吊り下げられた照明が合わさって、とても1987年竣工とは思えない洗練された雰囲気を感じる。延床面積は約3,000m2で、若い頃の村上春樹みたいな少年が多そうな(※イメージです)この街の特性を考えると狭い。他都市より財政に余裕があったから1987年時点でこんな図書館がつくれたんだろうけど。

参考調査室だけは静かで人も少なかったが、それ以外の部分は平日でもかなり利用者が多く、圧迫感を感じる。館内の写真撮影はNG。もし許可されていても撮れる場所はかなり限られていた、とはいえ、1987年当時の豪華な図書館の例として人に伝えたいと思ったので残念。なお、芦屋市立図書館公式サイトは一見の価値があります。

 

f:id:AyC:20170508222105j:plain

改めて現行館(本館)の建物を見ると、建物とつながっていない不思議な壁がある。現在基準ではそれほど広くない閲覧室を考えると、壁の向こうに見える中庭部分も閲覧室にしていたら、と思う。

宮津市立図書館とその周辺を訪れる

4月28日の金曜日には「オープンデータ宇治の歴史・文化」プロジェクトのキックオフミーティングにおじゃまさせてもらい、是住さんと森田さんが大学院の授業の一環として取り組んでいるおもしろいプロジェクトの話を聞いた。翌日には丹後地方にでかけるという話をしたら、是住さんから「2017年中に宮津市立図書館が移転する」という話を聞いたので、図書館の訪問を急きょ予定に組み込んで移転前の姿を確認しに行った。

f:id:AyC:20170505055615j:plain

(写真)宮津市役所。本エントリーの写真撮影者はすべてAsturio Cantabrio。

宮津市立図書館を訪れる
宮津市立図書館単独のウェブサイトはなく、自治体ウェブサイト内の1ページが図書館に充てられている(本当に1ページ分しかない)。GW中ということでこの日に開館しているかどうか不安だったが、ウェブサイト内にカレンダーは見当たらない。電話しないとわからないらしい。
土曜日の朝に京都市を出て、JR山陰線で丹後地方に向かう。福知山駅で京都丹後鉄道の特急に乗り換えると車内には中国人観光客が多かった。天橋立駅まで行かずに宮津駅で降りる。10分ほど歩くともう図書館が見えてくる。何度となく来ている宮津市街地は歩きなれている。
 
図書館はやはり休館していた。外観の写真を撮っていたら、車でやってきた方がいた。この方も休館中なのを知らずに来たらしく、休館中の張り紙をみて嘆いていた。入口横にはウェブサイトになかった開館カレンダーが貼ってあった。
カレンダーだけではない。ウェブサイトになかった移動図書館のステーションや運行日の情報も、図書館の入口横に貼りだしてあった。この街では図書館サービスに占める移動図書館のウェートは大きいはず。ウェブサイトでわかる情報は増やしてほしい。移動図書館の利用者はウェブサイトなんて見ないのかもしれないけれ。(なおウェブOPACもない)

f:id:AyC:20170505060158j:plain

 (上)休館日の宮津市立図書館。図書館としては“府内で3番目に古い”建物らしい。
(下2枚)裏側に回ると味のある「としょかん」の文字が。脇の大手川にはボートが係留されてる。

f:id:AyC:20170505055400j:plainf:id:AyC:20170505055402j:plain

 
京都新聞毎日新聞の記事を読むと、2017年7月末には中心市街地にある複合商業施設「ミップル」3階・4階部分のテナントが撤退。その4階部分に図書館を移転させて、2017年中には業務を開始するらしい。となると10月末くらいには現図書館は閉館となるはずだけど、ウェブサイト上では移転や長期休館に関する情報は確認できなかった。
「ミップル」の隣には2015年にできたばかりの観光交流センター(観光案内所)もある。付近は道の駅に登録されていて、すぐ裏手は観光船のりばになっている。ひっそりとしていた図書館前と比べるとかなり人の流れがある。
しんぶnミップル
新聞記事によると、4階フロア3,500m2の大部分が図書館に充てられるらしい。現行館が557m2なので、5-6倍程度に増える。2016年9月に移転が報じられてから実際に移転するまで1年しかないけれど、どれだけ練られた図書館ができるだろう。

f:id:AyC:20170505062158p:plain

OpenStreetMapから作成した図。施設の位置関係。

f:id:AyC:20170505055348j:plainf:id:AyC:20170505055350j:plain

(左)9月の移転先の複合商業施設「ミップル」。(右)「ミップル」の裏側はすぐ日本海

(下)「ミップル」4階フロア。売り尽くしセール中。

f:id:AyC:20170505055355j:plain

 

 

宮津市立前尾記念文庫を訪れる

宮津市立図書館の隣には「宮津市立前尾記念文庫」なる建物があった。宮津市出身の政治家(元衆院議長)である前尾繁三郎から蔵書35,000冊と建設費の寄贈を受けて、宮津市立図書館の11年後の1981年に開館したらしい。
この文庫だけで図書館として成り立つんじゃないかと思うくらい、いろんな分野の本がある。公共図書館だと書庫にも置いてなさそうな本が多い。1981年に亡くなった方なので古いのは確かだけれど、使い方次第では役に立ちそう。ただウェブOPACはないらしい。
通常時でも金・土・日の週3日しか空いていないが、GW中も通常通り開館しているということだった。つまりこの日は開館していた。市民が開けててほしいのは前尾記念文庫ではなく図書館だろうに、なんだかちぐはぐしている。
 
内部は下のような感じ。開館時から蔵書数は変わってないはずなのに、通路脇にまで本がはみ出していて窮屈そう。ただ宮津市立図書館より建物は新しく、床面積も広い。1階部分は改装中なのかまっさらな状態だった。

f:id:AyC:20170505055404j:plainf:id:AyC:20170505055408j:plain

f:id:AyC:20170505055406j:plainf:id:AyC:20170505055410j:plain

f:id:AyC:20170505055414j:plainf:id:AyC:20170505055418j:plainf:id:AyC:20170505055420j:plain

f:id:AyC:20170505055422j:plainf:id:AyC:20170505055425j:plainf:id:AyC:20170505055429j:plain

 

 

 

 

 

記事「柳窪」について その1

f:id:AyC:20170428074118j:plain

Copyright © 「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」。カラー航空写真を使用する場合は、Wikimedia Commonsだけでなくウィキペディアの本文中にも「国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。」と入れなくてはならない謎仕様。

 

 

記事「柳窪」の歩み

2017年2月25日、ウィキペディア柳窪 (東久留米市) - Wikipediaという記事が作成されました。作成者はこの柳窪が初編集の方(Harwell1212さん)。とても完成度の高い記事を初心者が作成したということで、2ちゃんねるではこの方は別アカウントの生まれ変わりではないかと疑われていたそうです。

2月27日夜にはWikipedia:メインページ新着投票所 - Wikipediaに推薦されました。約24時間で7票を集め、2月28日夜から3月1日夜まではメインページに掲載されました。24時間での選考通過は「とても早い」部類。この記事の通常時の閲覧回数は10-15/日ですが、2月28日は281回、3月1日には637回に跳ね上がっています。3月2日から3月10日にはWikipedia:月間新記事賞 - Wikipediaの選考にかけられ、5票を得て月間新記事賞を受賞しました。月間新記事賞を受賞したことでWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考 - Wikipediaに自動推薦され、最終的に選出には至りませんでしたが、その過程で他者の編集も入って記事の質が大きく向上しています。

 

なぜ記事「柳窪」がすばらしいか

ウィキペディアには新しく作成された記事が一覧できるページがあります。2月27日に柳窪が作成されて半日後くらいにはこの記事の存在に気づき、「第1回ウィキペディアタウンin東久留米」の参加者の誰かであることを確信しました。

第1回で一緒のグループにいたNさん、もしくはふじいさん本人がHarwell1212さんなのではないかと推測しましたが、ごにょごにょしたメッセージで別の方だということが判明しました。第1回ウィキペディアタウンの際の懇親会で私の正面に座っていた方(仮に「ハーウェルさん」らとします)でした。

私がこの記事に引き込まれたのは主に2点、「初版から完成度が高かった点」、「『柳窪』でググってもほとんど情報が出てこない点」です。

f:id:AyC:20170428074703j:plainf:id:AyC:20170428074705j:plain

 ・東京から川を越え林を抜けるとそこには東久留米の町が!

 

完成度が高い初版

いわゆるウィキ記法を使いこなすのには慣れが必要です。各地のウィキペディアタウンではウィキペディアを初めて編集する方を何人も見てきましたが、初編集からマークアップを自在に使いこなせる人はいません。

この記事は初版から、出典の付け方、箇条書き、数字の半角化、外部リンクやカテゴリなどが整っていました。いくつか修正したい点はあったものの、大多数の初心者との違いは歴然としていました。

 

それぞれの節には文章を解説するのに効果的な写真が添えられています。1枚目の写真がアップロードされたのは2016年12月30日であり、記事が作成されたのは2017年2月25日です。何か月もかけて1つの記事を作成していたのだということがよくわかります。いずれもきちんとした構図で撮られており、説明写真として申し分ないものばかりです。(ただし写真のサイズが小さい点とメタデータが失われている点は気になり、ハーウェルさんが撮影者ではないのではないかと思いました)

この記事の初版のバイト数は19,000バイト。能力のある方ならこのくらいの文章を書くのは難しくないです。ちらっと聞いたハーウェルさんの現在の肩書や過去の経歴を考えると、このくらいは余裕だったでしょう。とはいえ、「簡潔に短く書かれているのが百科事典」「箇条書き主体、どうでもいい部分だけは冗長に書かれているのがウィキペディアの地誌」(例:東久留米市 - Wikipedia)という思い込みを外すのは容易ではありません。どんな記事をお手本にしたのかが気になりました。

 

ウェブ検索しても出てこない情報

「有志が市街化調整区域への逆線引きを申請」した出来事など、この柳窪という記事には興味深い歴史が書かれています。Googleマップ地理院地図と見比べながら記事を読み進めました。空中写真を眺めると「緑の島」がはっきりと見えます。「ウィキペディアタウンin東久留米」で南沢湧水群を訪れ、東京にも自然豊かな地域があることは理解していたのですが、柳窪の歴史と現代の保護活動まで合わせて、東久留米にはこんな地域があるのかと驚きました。

他の情報を得ようとウェブ検索してみたものの、単に「柳窪」と検索するだけではほとんど情報は得られません。これほど特色がある地域であれば、市民団体なり個人ブログなりで情報発信されていてもおかしくありません。所在地が東京都ということで埋もれてしまっているのでしょうか。ハーウェルさんはいままでウェブ上に出てこなかった紙の文献の存在を示してくださいました。

 

良質な記事の選考

新着投票所(メインページへの掲載)、月間新記事賞、良質な記事というのはウィキペディアコミュニティが内輪で行っている選考ごっこにすぎないのですが、メインページに掲載されることで閲覧数が跳ね上がったり、選考で隅から隅まで読んで的確なコメントを付けてくださる方がいたりと、記事を書く動機付けになります。

4月11日に始まった良質な記事の選考でも、質の向上の助けとなるコメントが付けられています。選考開始時点ではいくつか改善すべき点が残っており、おそらく選出されないだろうと思っていました。4月22日には三重県の地誌記事(志摩町和具 - Wikipediaはいつも私のお手本)を書いているMiyuki Meinakaさんが歴史節を加筆し、地理節や交通節を付け加える大幅加筆を行いました。さかおりさんは航空写真を貼付し、完成度の高い記事となりました。……

その2につづくかも。

 

ayc.hatenablog.comhttp://ayc.hatenablog.com/entry/2016/09/27/0832

 

 

 

 

 

 

 

小布施町立図書館まちとしょテラソを眺める

Library of the Yearを受賞した図書館

2016年3月にWikimedia TOWN×INA Valleyに参加する前、伊那市立図書館について検索してみた。2013年に「Library of the Year」という賞を受賞しているすごい図書館らしい。どうすごいのかはググってもよくわからなかった。

実際に高遠町図書館と伊那図書館を訪れてみると、いろいろな点に目を見張った(ただしそれは「Library of the Year」の受賞理由とは違う部分だと思う)。コピーして持ち帰った文献からは深い歴史が見えてきた(それも受賞理由とは違う部分だと思う)。自分の目で伊那市立図書館を見て、伊那市立図書館についての文献を読むことで、確かにこの図書館はいい図書館だと思った。

 

2016年8月には、前年に「Library of the Year」を受賞している多治見市図書館を訪れた。まとまった量の陶磁器資料コーナー以外で分かりやすい「ウリ」はないように見えた。「Library of the Year」でどんな点が高く評価されたのはわからなかったけれど、家に帰ってから小嶋智美さんによるプレゼンのPDFを読んで、少しだけ納得した。

同じく8月には、2011年に「Library of the Year」を受賞している小布施町立図書館まちとしょテラソ - Wikipediaを訪れた。中も外も印象的な建物で、居心地の良さを感じたが、やはり「Library of the Year」の受賞理由はわからない。「まちづくり」とのかかわりが評価されているようなので、図書館に入って2時間過ごしただけでわかるものではないのかもしれない。

f:id:AyC:20170424233308j:plain

 

まちとしょテラソを訪れる

8月に現地を訪れる前から、ウィキペディアのまちとしょテラソの記事を加筆しようと考えていた。初夏には文献を集め始めており、まずは地元の愛知県図書館で『はなぼん』や『明日をひらく図書館』などの書籍を、『新建築』や『図書館雑誌』などの雑誌記事を確認した。そして8月には現地で建物と館内の写真を撮影し、その日の午後に県立長野図書館を訪れて『小布施町立図書館 図書館のあゆみ』をコピーした。

ただ、長野県には『愛知県図書館史年表資料考察: 愛知県における図書館のあゆみ』のような文献がないらしい。頼みの綱の『近代日本図書館のあゆみ 地方編』にも言及がない。『-図書館のあゆみ』はOPACで検索するとヒットする唯一の文献だったが、ただのパンフレットだったのでがっかりした。核となる文献がみつからないので加筆を取りやめていた。

f:id:AyC:20170424233348j:plain

 

まちとしょテラソが加筆される

2017年3月20日には県立長野図書館でウィキペディアタウン「WikipediaLIB@信州」が行われた。平賀館長の推薦でまちとしょテラソも加筆対象となった。イベントに参加していたAncorone3さんはイベント終了後にも加筆を続け、「WikipediaLIB@信州」までとはまったく別の記事になった。

書籍、雑誌記事、新聞記事、町史、町報、ウェブサイトと、いろんな種類の文献が使われている。私は町報や町史などを手に取る前に文献集めをやめていた。『月刊社会教育』、ビッグイシュー 、『関東地区公共図書館協議会研究集会報告書』などにはそもそもたどり着けなかったと思う。

 まちとしょテラソ以前には小布施町に図書館がなかったのではないかという先入観があった。WikipediaLIB開催前のページには2006年以前の歴史が一行も書かれていない。ところが、Ancorone3さんの加筆で長い歴史が見えてきた。小布施町の図書館サービスは1923年からずっと続いているらしい。2006年まで図書館があった場所や、まちとしょテラソが建つ前にあった施設のこともわかるようになった。沿革節の小節タイトルは悩んだのではないかと思う。「小布施町立図書館まちとしょテラソ」という記事名なのに、まちとしょテラソができる前の歴史のほうがずっと長い。

Library of the Year受賞の要因となる「取り組み」節も充実した。「まちじゅう図書館」、「デジタルアーカイブ」、「花の童話大賞」の三本立てになっている。

f:id:AyC:20170424233627j:plain

 

まちとしょテラソを読む

加筆された文章を読むと、現地を訪れた時のことを思い出す。

サクラの老木を避けるようにして作られた光庭がある

敷地には何本かのサクラの老木が植わっており、建物に向けて張り出している。この老木の枝を避けて壁が窪んでいる一角はとても印象的だった。外に出て写真を撮ろうと思っていたが、どうやら撮り忘れたらしい。

 

室内の気配を感じ取れる

小布施町の人口は2万人に過ぎない。まちとしょテラソの延床面積はわずか1,000m2。ワンフロアのうえにバックヤード部分が少ない。館内の人の動きを感じ取れるような雰囲気がある。

 

まちじゅう図書館

「主な取り組み」節にはまちじゅう図書館のイメージ画像が使われているが、この画像は図書館内の展示を撮っただけであって、実際のまちじゅう図書館ではないのが申し訳ない。いつか本物のまちじゅう図書館の写真を撮りに行きたい。

 

外壁の薄黄色は小布施町の名産である栗や土壁などから選ばれた

Infobox内のメイン画像はプロの写真家が撮ったものらしく、この場所の雰囲気をよく表しているけれど、外壁の色はわからない。「主な取り組み」節には昼間の外観の画像が使われていて、この薄黄色にもきちんと理由があったことは初めて知った。

 

布施正倉・小布施人百選・花の童話大賞

デジタルアーカイブ事業や花の童話大賞については、図書館を訪れただけではわからない。その意義が伝わりにくい事業にも思えるので、公式サイトの紹介ページ以外でネット上に残すのは重要なことだと思う。

 

 

昨秋にMiyuki Meinakaさんが飛騨市図書館 - Wikipediaを加筆された時には、現地を訪れて撮ってきた写真を追加した。まちとしょテラソでも何か援護射撃したい。

『長野県史』、『長野県教育史』、『長野県社会教育史』には何か言及があるだろうか。東京や愛知の図書館から相互貸借することは可能とはいっても、書棚から手に取って調べたい。

OPACで検索しても、小布施町立図書館単体での事業年報はみつからない。ということは町の社会教育施設全体の事業年報があるのだろうか。これは小布施町立図書館に対してレファレンスを行ってみないとわからない。

信濃毎日新聞データベースで検索するとどんな記事が見つかるだろう。全国紙にも取り組みが取り上げられるような図書館なので、何も見つからないことはないと思う。新聞記事データベースは現地在住でないと利用が難しい。

f:id:AyC:20170424233554j:plain

 

※写真の撮影者はいずれもAsturio Cantabrio。Category:Machi tosho terrasow - Wikimedia Commonsにオリジナルサイズの画像があります。

瀬戸市立図書館を訪れる

瀬戸市立図書館はよい図書館です。
公式サイトでは統計情報を閲覧でき、貴重資料をウェブ上で閲覧できるデジタルアーカイブサービスを行っています。周辺自治体の5大学と相互利用協定を結んでるし、活発な友の会があるようです。
図書館史の刊行が盛んな愛知県の中でも立派な50年史を1996年に刊行しています。県内で2番目に定期休館日をなくした図書館でもあります。北川民次が原画を描いた壁画にはインパクトがあります。
先日訪れた名古屋市守山図書館(1972年竣工)には、1階の奥に積層書架がありました。1970年竣工の瀬戸市立図書館も同時代の建築物。建物の中央部に積層書架があり、守山図書館より大規模です。一般書が積層書架に詰め込まれている一方で、雑誌コーナー、地域資料室、児童書エリア、AV&インターネットコーナーはゆったりとしており、建物の古さを感じさせないような努力がなされています。
 
2016年には「瀬戸市立図書館整備基本構想」が策定されました。
管理運営体制(直営 / 一部業務委託 / 指定管理)や施設(増築 / 新築 / 移転)についていくつかの案が出され、それに対してパブリックコメントも行われたようです。新築や移転を行わずに現行館を増築するとしても、現行館がいまの状態で見られるのはあと数年でしょうか。
 

f:id:AyC:20170416235150j:plain

(写真)満開のサクラと瀬戸市立図書館。ナンバープレートは修正済。
 
サクラが満開の日に瀬戸市立図書館を訪れ、カウンターで写真撮影の可否を尋ねました。まず嘱託の方が「人が映らなければ撮影してもよいのではないか」と言い、別の嘱託の方が「念のため別室にいる職員に聞いてみる」とのことで、最終的には「ルールなので撮影は不可」(別室の人)ということになりました。
残念。もし嘱託の方の判断で撮影許可を出してしまったら後で別室の人に怒られてたのかな。明確なルールがあるのであれば撮影できないのは仕方ないですが、館内の様子は誰かに記録しておいてもらいたいものです。
 

f:id:AyC:20170416235214j:plainf:id:AyC:20170416235217j:plain

(上左)建物の先端部分の壁画が「妄想におびえる人間が本で知識を付けて妄想を拭い去る」というやつか。瀬戸市立図書館は北川民次最後の壁画。

(下)駐車場はすごい傾斜。

f:id:AyC:20170416235420j:plain