振り返ればロバがいる

Wikipediaの「利用者:Asturio Cantabrio」によるブログです。ロバです。

「多治見市図書館」を加筆する

昨今の厳寒季にありて何一つ暖房設備のない読書室に孜々として読書に余念のない青年の姿を眺める時日本はまだ亡びずの感を深くした

— 『週刊たぢみ』1947年2月22日

 

 

2017年5月30日・31日・6月1日の3日間、ウィキペディア記事「多治見市図書館 - Wikipedia」が強化記事としてメインページに掲載されました。その後6月上旬に投票が行われ、2017年5月期のWikipedia:月間強化記事賞 - Wikipediaを受賞しました(どちらも内輪の投票ごっこです)。本エントリーはFacebookからの転載・修正。

 

多治見市図書館を訪れる
2016年夏にはLibrary of the Year受賞館をいくつか訪れて、ウィキペディア記事を作成したり加筆しました。伊那市立図書館、静岡市御幸町図書館、鯖江市図書館。その一方で自宅からいちばん近い受賞館である多治見市図書館を避けていたのは、この図書館の受賞理由がよくわからなかったから。2016年8月に初めて訪れたのですが、3階にある陶磁器資料コレクションはすごいと思ったものの、図書館に関する文献を調べることなく写真だけ撮って帰りました。

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(写真)2016年8月のまなびパークたじみ。曇天。

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(写真)2016年8月の多治見市図書館の館内。2階と3階の写真だけ撮った。

 

多治見市図書館に気付く
この2017年4月には岐阜県立図書館に行く機会があり、たまたま、多治見市図書館の事業年報を初めて閲覧しました。多治見市図書館の事業年報は70ページものボリュームがありますが、図書館の沿革に関する部分はたった1ページしかなく、役に立ちません。しかし、郷土資料の収集に関する部分は図書館が収集にかけている熱意がよくわかります。また、事業年報に書かれている展示やイベントの数は目を疑うほどでした。展示やイベントについては写真も掲載されています。


5月には約1年ぶりに多治見市図書館を訪れました。実は前回の訪問時には4階の郷土資料室に入り損ねていました。多治見市図書館は2階と3階が開架。郷土資料室は開架とは別フロアの4階にあり、中の見えない扉を開けるのを躊躇していたのです。
この郷土資料室は半分が地域資料の書架として、半分が事務室として使われています。入口側半分の書架をびっしりと埋める地域資料からは、この図書館のキモは郷土資料室なのだということを悟りました。2015年のLibrary of the Year受賞については中日新聞岐阜新聞が記事を書いていますが、いずれも3階の陶磁器資料コレクション8000点に焦点を当てており、4階の郷土資料室のすごみは伝わってこないのです。
事務室はそのままレファレンスの窓口にもなっているようです。前月に岐阜県立図書館で多治見市図書館の文献を探した経験から、司書に「まなびパークたじみ移転前の歴史に関する文献が少ないですね」と言ったら、多治見市史刊行時に集めたらしい資料(蔵書扱いになっていない資料)を事務室の棚から出してくれました。その一部は『多治見市誌稿』を原典としていましたが、岐阜県立図書館ではこの文献を見落としていました。

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(写真)2017年5月のまなびパークたじみ。つつじは終わりかけだが快晴。

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(写真)多治見市図書館4階の郷土資料室。

 
多治見市図書館についてまとめる

5月中に少しずつ多治見市図書館の文献を文字にし、24日に既存のウィキペディア記事「多治見市図書館」に加筆しました。

多治見市図書館といえば陶磁器資料コレクションが注目され、2015年にLibrary of the Yearを受賞したことが特筆されますが、このウィキペディア記事の文章の中心はそこではありません。『岐阜県公共図書館の歩み』『岐阜県教育史』『図書館白書ぎふ』『多治見市の教育』などにわずかずつ書かれている、20世紀中の数少ない記述を寄せ集めて作った歴史節が記事の中心です。

多治見市図書館の陶磁器資料コレクションやLibrary of the Yearについてはググれば出てきますが、歴史的な記述は図書館の本の中に眠っています。ネット時代で見えにくくなっているそれらの文献について、濃い味付けをすることなく、バランスよくまとめて提示することを心掛けています。

 

多治見市は岐阜県で3番目に市制施行したという歴史があります。また、戦後すぐの時期に一市民の発案で図書館が設立されたというエピソードもあります。このような歴史の豊かさ・文化度の高さが陶磁器資料コレクションの根底にあると思ったため、「歴史」節は「特色」節よりも前に置いています。

本ブログの冒頭に置いた引用句は、1947年の開館当時に『週刊たぢみ』に掲載された文章です。資金や蔵書にかける時期にもかかわらず図書館を設置した郷土の自治体に対する誇りが伝わってきます。またこの記事には、建物の変遷を視覚的に理解できるような画像もいくつか掲載しています。

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(左上)煙突が林立する1950年の多治見市。(右上)昭和20年代に図書館が併設されていた消防会館。(左下)1960年の旧幼稚園舎時代(右下)1977年から図書館に使用された旧多治見市民病院。

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(左)英語多読コーナー。(右)陶磁器資料コレクション。


日本一暑い町で汗水たらして陶磁器資料を集めている司書の苦労までは調べきれていません。多治見市図書館に関心のある方は、ぜひこの図書館に関する情報提供をお願いします。

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス
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ウィキペディアタウンin鶴舞に参加する

2017年6月3日(土)、名古屋市鶴舞中央図書館で開催された「ウィキペディアタウンin鶴舞」に参加しました。

主催者によると、今回のイベントは「地域の文化や歴史について、フィールドワークと文献調査を行ってからウィキペディアを編集するワークショップ」であり、「参加者は調べる楽しさを体感し、図書館の活用方法や地域の歴史についての理解を深める狙い」があるとのこと。

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 OpenStreetMapから切り出した鶴舞公園の地図。左側中央に鶴舞中央図書館。右側中央の竜ヶ池まで行って帰って70分。

www.facebook.com

 

イベント準備(1)

このイベントはにんげん図書館(山本茜さん)と鶴舞中央図書館の共催。まちあるきガイドは昭和区案内人クラブに依頼し、鶴舞公園を管理する名古屋市みどりの協会も協力してくださっています。私はウィキペディアンとしての協力者という立場。全体のコーディネートはにんげん図書館、場所や資料の提供は鶴舞中央図書館、まちあるきガイドは案内慣れしている市民団体と、それぞれが得意な分野で役割を分担するイベントとなりました。

peoplelibrary.net名古屋市:昭和区案内人クラブ(昭和区)

 

午前中はフィールドワーク(鶴舞公園のまちあるき)、昼食をはさんで午後にはグループワーク(ウィキペディアの編集)という流れは他地域のウィキペディアタウンと一緒ですが、アイスブレイクや振り返りを重視するそのスケジュールにはにんげん図書館流の個性が出ていました。
また、フィールドワーク前には図書館の齋藤さんが「ウィキペディアタウンとは」、グループワーク前には私が「ウィキペディアの記述方法」について説明してはいるものの、その合計時間は30分弱。2週間前に参加した「ウィキペディアタウンin丸亀」では計70分だったので、鶴舞では説明時間をかなり抑え、参加者の負担を減らしています。


いわゆるウィキ記法を口頭で説明されても理解するのが容易ではありません。最近のイベントではウィキ記法を口頭で説明するだけでなく、紙に印刷して配布するケースも多いように思われます。編集方法の説明は簡単に済ませ、ウィキペディアの特徴とか役割について詳しく説明するのが主流になってきた感じです。

www.slideshare.netwww.youtube.com

 

イベント準備(2)

今回の題材は鶴舞中央図書館がある「鶴舞公園」。まずは主催者側で「八幡山古墳」「奏楽堂」「噴水塔」「普選壇」「名古屋市鶴舞公園附属動物園」「鶴々亭」「竜ヶ池・酒匂の滝」「胡蝶ヶ池」の8か所を編集候補(まちあるきガイド候補)に選び、この段階で鶴舞中央図書館が文献がどれだけあるか確認します。その後昭和区案内人クラブさんを交えたミーティングを行い、10か所が最終的なまちあるきガイドスポットとなりました。

5月1日にはFacebookのイベントページを中心として広報を開始。同日発行の『広報なごや』、鶴舞中央図書館でのチラシ配布、にんげん図書館ウェブサイト・SNSなどでの宣伝を行っています。申込時点でウィキペディアタウンへの参加経験と属性(職業)を聞いており、イベントまでに主催者側でグループ分けを行いました。

ウィキペディアタウンの参加経験者は円周率3パーセントさんなど6人が早くから参加を表明していたこともあり、5グループに1人ずつ編集経験者を配置できました。私は前日までに奏楽堂・噴水塔・普選壇などの写真を撮影してWikimedia Commonsにアップロードしたほか、当日用意される文献の中から著作権面で問題ない写真や絵葉書を何枚かアップロードしています。f:id:AyC:20170608091748j:plainf:id:AyC:20170608092718j:plainf:id:AyC:20170608091751j:plain

 (写真)事前にとっておいた写真の一部。奏楽堂、鶴々亭、噴水塔。

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(写真)事前にアップロードしておいた絵葉書類。上3枚は関西府県連合共進会(1910年)時、下3枚は1920年代-1930年代。下の左側2枚は当時珍しかった夜間の電飾。

 

 

鶴舞公園をあるく

イベント前々日と前日とは打って変わって、6月3日(土)のイベント当日は絶好のまちあるき日和でした。同日に開催された「Wikipedia Town 沼津 #2」より1時間遅く、10時にイベント開始。昭和区民は少なかったかもしれませんが、関西からやってきた3人を除けば、多くが名古屋市在住・在勤者だったように思えます。公共・大学の図書館員や名古屋スリバチ学会の方が目立っていました。

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(上)受付開始前の会場。中央の文献机の周囲に5グループを配置。

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(左)ウィキペディアタウンの説明を行う鶴舞中央図書館の齋藤さん。(右)グループごとのアイスブレイクをフィールドワーク前に行う。ウィキペディアタウンでは意外とみかけないパターンだった。

 

イベント参加者は5グループ×約6人で約30人。30人全員で鶴舞公園をフィールドワークして大丈夫だろうかという不安もありましたが、よく晴れた上に穏やかな気候だったこの日、思ったほど人はいません。ただ70分で10か所の説明はやや多かったようで、10分ほど予定時間をオーバーしています。このフィールドワークには毎日新聞の記者の方も同行し、翌日には地方版にイベントの記事が掲載されています。

日ごろから鶴舞公園をガイドしている昭和区案内人クラブの方々の説明はとてもおもしろい。今回のイベントに向けていくつもの文献をめくり、鶴舞公園についての予備知識を付けておいたのですが、それでも各スポットで新たな発見がありました。

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 (写真)図書館を出て鶴舞公園を歩く参加者。「かつて60本のヒマラヤスギが植えられたが、オリジナルの樹は数本しかない」という説明が昭和区案内人クラブから入る。右の大木がオリジナルの樹。

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 (写真)噴水塔前での昭和区案内人クラブの説明。口頭だけでなく古写真などの資料も使います。

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 (写真)昭和区案内人クラブはポイントごとに案内人が入れ替わる。庭園内に設置されている銅像や奏楽堂の説明。1枚目は9歳の少女像「ベアトリーチェ」、2枚目は「踊り子」。

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 (写真)胡蝶ヶ池の説明。北側部分の池の脇に植わっているアカメヤナギ(3枚目)は公園の造成以前から自生しているらしく、この地がかつて沼沢地だった時代の名残を残しているとか。

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 (写真)左は見ごろのハナショウブ園。右は鶴舞公園最高峰の吉田山。吉田山の地盤はJR鶴舞駅の高架と同じ高さだという説明があった。

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(写真)鶴舞中央図書館近くにある鶴々亭と百華庵。本来は有料施設だが緑化センターの好意で入らせてもらえた。名古屋市の制度である認定地域建造物資産となっている。歴史的建造物の位置づけは、上から指定文化財(国・県・市)、登録文化財(国)、認定地域建造物資産(経済的支援あり)、登録地域建造物資産(技術的支援あり)。

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 (写真)普通選挙法を記念した普選壇と、かつてこの地にあった市立名古屋動物園の正門。普選壇に書いてあるのは五ケ条の御誓文。普選壇前は屋外麻雀のメッカ。

 

 

今回の文献

この日に提供された文献は量と質が抜群でした。

『名古屋の公園100年のあゆみ』など、鶴舞公園について調べる際の基本的文献8冊は5グループそれぞれに1冊ずつ配布し、『御大典奉祝名古屋博覧会総覧』(1929年)など、より詳しく調べるための文献約10冊は中央の机に置かれました。5冊ずつ必要な文献はこのイベントのために分館から持ってています。

公共図書館が主催者であり、さらに大都市の図書館だからこそできる提供の仕方でした。雑誌記事から堅い文献や古い文献まで、さらには絵図や写真集まで揃った多彩な文献は、参加者を大きく刺激したようです。提示された文献以外に、イベント中にも図書館内からいくつもの文献が運び込まれました。

イベント中に新聞データベースを使ったグループはなかったと思いますが、「鶴舞公園」ではなく「奏楽堂」のように小さな題材を調べるときは新聞記事も役に立ちます。特に鶴舞中央図書館は中日・朝日・読売・毎日・日経の5紙が揃っていて(愛知県最多)印刷もしやすい、愛知県でもっとも新聞データベースが役に立つ図書館です。

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 (下)本日の文献をすべて集めるとこんな感じ。この量はウィキペディアタウン新記録なのでは。

 

 

ウィキペディアを編集する

配布された鶴舞中央図書館周辺のご飯どころマップを基に、12時から13時は各自で昼食。13時からはグループごとの作成記事を決めるドラフト会議を行い、それぞれ「竜ヶ池」「普選壇」「市立名古屋動物園」「吉田山」「鶴々亭」を担当することが決定しました。

鶴舞公園の目玉となる建物は名古屋市公会堂(改修工事中のため今回のイベントからは除外)。次に有名なスポットは「噴水塔」や「奏楽堂」などであり、文献の量からもこの2つは作成してほしいと思っていましたが、これらを選んだグループはありませんでした。昭和区案内人クラブはフィールドワークで各スポットをとても平等に案内していました。また、参加者の中に地形好きが多かったのも影響しているかもしれません。

 

文献はもとからかなりの量でしたが、イベント中にどんどん増えていくのは図書館開催ならではです。図書館で1929年の名古屋新聞を探して記事に反映させたグループがあり、また50年以上前の文献に掲載されている写真を記事に反映させたグループもありました。

昭和区案内人クラブの方は午後のグループワークにも何人か残ってくださいました。文献を読んでわからない点は案内人に聞くことができ、用意された文献(主)と案内人の知識(従)をバランス良く活かしていたように思えます。

奏楽堂や噴水塔は文化財指定されており、一定量の文献が見込めます。一方で池や丘などの地形は一般的に文献が少なく、「竜ヶ池」や「吉田山」や「動物園」というキーワード単独ではほとんど情報が得られません。竜ヶ池の水源の場所を突き止めようとしたり、吉田山にあった建物や貝塚を探ることで道を開いたり動物園の設立にかかわった今泉七五郎に興味を持ったりと、それぞれの方法で一つの記事を完成させています。

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(写真)各グループの作成記事を決めるドラフト会議。被ったらじゃんけん。

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(写真)各グループの担当記事。スクリーンでは編集作業の残り時間を秒単位でカウント。残り1時間43分。

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 (写真)5グループそれぞれの編集の様子。

 

成果発表後、山本茜さんから「今回のイベントは知るプロセスが目的」(知ること自体が目的ではない)というコメントがありました。ウィキペディアタウンというイベントをうまく表しているコメントですが、イベントに参加したことのないウィキペディアンにはイベントの主旨が理解されていないように思われます。ウィキペディアのコミュニティに対してどうPRしていくのかは悩ましいところです。

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 (写真)成果発表。

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 (写真)イベントは終了したはずなのに文献に群がる参加者。

 

ウィキペディアタウン 鶴舞の情報、世界に発信 市民ら記事作成 名古屋/愛知」2017年6月4日、毎日新聞地方版

https://mainichi.jp/articles/20170604/ddl/k23/040/076000c?ck=1

 

 

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ウィキペディアタウン丸亀城下町に参加する(2)

ayc.hatenablog.com(1)の続き。このブログ(1)(2)に使われている写真はCC BY-SAライセンスです。もしブログに掲載するのが好ましくない写真があればこっそり教えてください。


丸亀市立中央図書館でばしゃばしゃする

丸亀市猪熊源一郎現代美術館内のカフェで昼食を取ると、美術館に入ろうとする参加者と別行動を取り、建物1階の丸亀市立中央図書館に入って館内撮影の可否を聞いた。ここは写真撮影には寛容なようで、午後の部開始までの15分でできるだけいろんなコーナーの写真を撮った。この中から23枚の写真をWikimedia Commonsにアップロードしている。実質10分間でだーっと写真を撮ってさっと出た。適度なざわめきがあったのでシャッター音はそれほど気にならなかった。

Category:Marugame City Library - Wikimedia Commons

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 ウィキペディアの編集を行う

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(写真)本日の文献の一部。市史や地名事典から旅行ガイドまであれこれ。

 

午後の部ではまずMiya.mさんから編集方法の説明を聞き、その後3班に分かれて作業に入る。3月のWikipediaLIB@信州では編集作業の時間を3-4つのスパンに区切る方法を取ったが、今回も緩やかに「どんな節を作るか考える時間」「文献で調べる時間」「文章を作成する時間」などに分けるためのワークシートが用意されていた。本日の対象記事は「玄要寺」、「寿覚院」、「南条町 (丸亀市)」の3つで、私は「南条町 (丸亀市)」の作成グループに入った。

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ステップ1では「歴史」「地理」「交通」などの意見が挙がり、ステップ2ではそれぞれについて2人ずつくらいで文献で調べ、ステップ3では2人が協力してどちらかのPCで文章を打ち込む、という流れを期待していた。グループ内ではっきり役割分担して、ウィキペディア的に見栄えのする文章量の多い記事にするにはこんな流れが必要になる。そのためにワークシートは効果的だと思う。

とはいえ今回の「南条町 (丸亀市)」グループでは、こちらの想定していた流れにはならなかった。まちあるき時にガイドを務めてくださった遠藤さんがおり、ステップ1からかなり細かい部分まで説明してくださるので、ステップ1の段階でなかなかまとまらなかった。

 

寺院記事と比べて、町丁記事は視野の広さが重要になる。『角川日本地名大辞典』や『日本歴史地名大系』で大局をつかみ、「南条町」であれば町の範囲や各寺院の名前を抑えてから、自治体史で詳しく書いてある部分を探し、文献では判然としなかった部分や語句を遠藤さんら地元の方に聞く、というのが効率の良い(かつ、つまらない)方法だと思っている。
ただし、今回は遠藤さんに様々な点の詳しい説明を聞いたことで、その説明の出典を『丸亀市史』で探す、という流れが自然と生まれた。そんな流れもまた良しと思って、ステップ2以降はそれぞれが行っていることを見ているだけだったが、手持無沙汰な方が出てしまったのはこちらが工夫できたかもしれない。
イベント終了時には以下のような記事ができた(2017-05-21T16:19:51の版)。

南条町 (丸亀市) - Wikipedia

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 (写真)3つの机、3グループに分かれて作業した。

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 (写真)成果発表。

 

 

南条町を加筆する

ウィキペディアタウンin瀬戸内市(2016年2月)

イベント対象となった「佐竹徳 - Wikipedia」をイベント後に小加筆。イベント開催場所の「瀬戸内市立図書館 - Wikipedia」を作成。

ウィキペディアタウン新丸子/武蔵小杉(2016年2月)

プレイベントに参加。プレイベント前に個人的に歩いて興味を持った「小杉御殿 - Wikipedia」を加筆。

Wikipedia TOWN × 高遠ぶらり(2016年3月・2017年1月)

イベント開催場所の「伊那市立図書館 - Wikipedia」を作成。2度目の参加前に「伊那旭座 - Wikipedia」や「信州高遠美術館 - Wikipedia」を作成。

ブラトヨハシ/ブラタハラ(2016年9月・11月・2017年1月)

執筆対象記事を検討する中で映画館関連文献の多さに気づき、「豊橋市の映画館 - Wikipedia」を作成した上で個別館記事を8記事作成。ブラトヨハシ/ブラタハラの準備段階では「田原市図書館 - Wikipedia」を加筆

 

その地域への興味がイベントだけで終わってしまってはつまらない。これまでもウィキペディアタウン後には気になっている記事を作成したり加筆したりしている。今回はイベントがやや消化不良だったこともあり、家に帰ってから簡単に「南条町 (丸亀市) - Wikipedia」の加筆を試みた。
愛知県内で『丸亀市史』を所蔵している公立図書館は豊田市中央図書館と春日井市図書館の2館だけ(愛知県図書館は所蔵なし)だったため、名古屋大学附属図書館に赴いた。イベントで使った『角川日本地名大辞典』と『丸亀市史』を再確認し、イベントで使わなかった『日本歴史地名大系』を確認。何枚かの写真を加え、地図を作成している。
角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』を核として歴史節を加筆した。近世の町である「下南条町・上南条町」の説明と、近代以降の町である「南条町」の説明を分けた。イベント中には南条町の範囲がわからず困ったため、OpenStreetMapから丸亀市中心部を抜き出して範囲を示す地図を作成した。寿覚院と玄要寺だけでなく、本照寺と法音寺の写真も加えた。まちあるきで前を通った「戎座」は、『丸亀市史』にあった初演者の説明を加えた。右上にインフォボックスを加えて、現代の町丁であることを明確にした。以下のようになった。

南条町 (丸亀市) - Wikipedia

 

南条町の課題

・やっつけ仕事感のある地図の改訂

Microsoft ペイントで適当に作った地図などではなく、Illustratorなどのきちんとした画像作成ソフトで作った地図が望ましい(誰か作って)。今後のウィキペディアタウンで丸亀城下町の他の町丁も作成するのであれば、城下町全体の地図もほしい。

・写真の改訂

宗泉寺以外の4寺院は1枚以上の写真が掲載されていてが、よりよい写真があれば差し替えてほしい。特に法音寺。

・航空写真の掲載

どこかの時代で外堀と水路が埋め立てられた。外堀と水路があった時代を示すために、「水尻池」などのように航空写真を掲載すると効果的ではないか。

・絵図(古地図)の掲載

高橋徹さんの説明では1802年丸亀城下町の絵図が使われた。南条町の寺院はこの絵図にも掲載されているため、ぜひ歴史節に載せたい。

・歴史以外の節の加筆

香川県外では『角川日本地名大辞典』と『日本歴史地名大系』と『丸亀市史』を閲覧するので手一杯だった。外堀や水路が埋め立てられた時のこと、明治期に設置された学校のこと、県道のこと、現在ある幼稚園やコミュセンのことなどももっと詳しく説明したい。

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例えば「オープンデータソンin和歌山市」では、是住さんが国立国会図書館デジタルコレクションから『紀伊国名所図会』のこんな絵図を探してきて「和歌山城」に加えた。南条町にもこんな絵図があるとぐっと質が高まる。

 

 

ウィキペディアタウン丸亀城下町をふりかえる

・今回のイベントは執筆対象に「南条町」という町丁記事が含まれていたこともあって、実際に南条町を一周していくつかのポイントを巡った。一つか二つの目的地に行って帰って来るだけのイベントでなく、ひとつの「まち」を歩くイベントだった。水路跡や街道など、単なるポイントではない説明も多かった。こんなウィキペディアタウンはなかなかない。

・イベント中に「南条町+丸亀市」でインターネット検索してみた。南条町は丸亀城下ではかなり早い段階に設置された町で、今でも石碑や寺院や道路舗装や水路の地形的な痕跡が残っているというのに、驚くほど情報が出てこない。ただ、ネット検索では出てこないのに地名事典や自治体史にはきちんと記述があるし、地元の歴史愛好家に聞けば話が止まらない。こんな町だからこそウィキペディアタウンで作成する意義があった。今後のイベントでも町丁記事は作成対象の候補に入れてほしい。
・前日と当日にあった懇親会の席では、主催者側からも参加者側からも「ウィキペディアをまちづくりに活かしたい」という意見があった。私はいまでもウィキペディアが何かの役に立つのかどうか懐疑的な気持ちがあるし、ウィキペディアタウンは「オープンデータへの理解を深める」「地域文化への関心を強める」ためのイベントくらいにしか思っていない。まちづくりというキーワードを聞くとちょっとひるむが、丸亀では継続的にウィキペディアタウンを開催するとのことなので、今後に期待が膨らむ。


終わりに
丸亀市/丸亀高校出身の友人がいる。私が前回丸亀を訪れたのは、その友人が亡くなる前だった。

ウィキペディアタウン丸亀城下町に参加する(1)

2017年5月21日(土)、「ウィキペディアタウン丸亀城下町」に参加した。

www.facebook.com

 

丸亀平野を見渡す

前日の土曜日は高松市をうろついた後に男木島に渡り、16時を過ぎてからイベントの主催者陣と合流して少しばかりまちあるきした。

当日の日曜日は朝の7時50分にJR丸亀駅に集合し、主催者である中俣さん(香川短期大学)や大西さん(シロタラボ)らに「よしや」に連れて行ってもらう。飯野山(讃岐富士)の麓にある「よしや」に入ると、飯野山登山に向かうと思しき団体客で行列ができた。道路を挟んでローソンがあることで、この場所は登山の拠点になっているらしい。後から地図を見返すと、「よしや」のすぐそばには丸亀市立飯山図書館があり、飯山図書館の近くには条里制の痕跡のようなものも見えてくる。

讃岐平野という言葉はよく聞くけれど、Google Earthを見ると讃岐平野が3つの平野の集合体であることがよくわかる。高松平野(&大川平野)、丸亀平野、観音寺市を中心とする三豊平野は、それぞれ同じくらいの面積で広がっている。丸亀平野には丸亀市のほかに坂出市善通寺市があり、四国4県と岡山県を結ぶ交通の要衝になっている。今日の丸亀市讃岐国/香川県の中心地とならなかったのは、ほんとにささいなことが理由なのだろう。
Google Earthでは丸亀平野を南から北に流れる土器川扇状地形状がはっきり見える。丸亀平野には無数のため池が穴ぼこのように開いているが、地図で見る限りでは3平野の中でもっともため池が多い。金倉川を上流にたどっていくと1300年も前に築かれた満濃池に至る。

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 (左)「よしや」のうどん。(右)丸亀平野と飯野山。撮影:663highland。

 

説明を聞く

イベント自体は城乾コミュニティセンターで9時30分に開始された。本日のまちあるき対象地の南条町にあり、立地面は文句なしだった。Wi-Fiなどの設備がないのは仕方ない。今回の参加者の中では、Strolyの高橋徹さんとは(前日に)初めてお会いした。高橋さんは関西在住とのこと。これまでもどこかでお会いするだろうと思っていたが、なぜだか会う機会がなかった。お会いしたことのある方では玉野市の小郷原さんがいた。

第一部(午前)は座学とまちあるき。まずは東京ウィキメディアン会の海獺さんによるウィキペディアウィキペディアタウンの説明。スライドは見るたびに改良されている。その地域で初めて行われるウィキペディアタウンでは、くさかさんとかではなく海獺さんの説明/スライドが効果的だと思う。海獺さんやくさかさんが所属している謎の団体「東京ウィキメディアン会」には私も加えてもらっているが、いったい何をやっている団体なのでしょうか。

高橋徹さんによるStroly(古地図と現代の地図を連動させるアプリ)の説明がこの日のハイライトだった。Wikipedia Town ×高遠ぶらりでもちずぶらりを使ったが、その時には自治体ごとの分断感を感じていた。Strolyはいろんな都市のいろんな古地図を集めているうえに、方角や距離が正確でない絵地図と現代の地図を瞬時に切り替えることができるというのが衝撃だった。また紙製の地図が日の目を見る時代になるとは。

jp.techcrunch.com

ascii.jp

 

まちあるきする

城乾コミュセンを出てまちあるきを開始すると、さっそく説明が入る。建物前のこの道はかつて水路で、丸亀城の外堀と瀬戸内海の湊を結んでいたらしい。確かに東側より何メートルか低くなっている。そしてこの水路が丸亀城下と那珂郡地方村を隔てていたという。水路が外堀に達する地点まではいかずに、玄要寺の境内にある京極高朗墓所に向かう。年一回開かれるという墓所を見学させてもらう。かつて玄要寺はかなり大きな敷地を有していたらしい。
高朗墓所を出ると金毘羅街道を北上する。下に掲載した「丸亀城郭及び城下町古絵図」にも描かれている街道であり、舗装に変化が付けてある。すぐ東側を県道が通っているので歩行者は多くなく、まちあるきには都合がいい。

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この日歩いたコース。城乾コミュセン前の道路がかつての水路。作成:OpenStreetMap contributors。

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Strolyのサイト内の「丸亀城郭及び城下町古絵図」(享和2年=1802)より。右下には内堀が見えている。赤丸が今回のまちあるき範囲。ピンはウィキペディアの記事に飛ぶ。これは楽しい。

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南条町は明治11年まで上南条町と下南条町に分かれていた。丸亀城に近いのが上南条町(南側)で、湊に近いのが下南条町(北側)。今日の南条町を二分している県道を超え、かつての下南条町に入る。玄要寺とともに記事作成予定の寿覚院に入ると、丸亀市指定文化財の観音堂があった。

金毘羅街道をさらに北上すると、法音寺の脇に劇場「戎座」跡の碑があった。高松にあった劇場を明治17年に移築したらしい。余談ながら、『丸亀市史』によると昭和13年時点における丸亀市の映画館は丸亀劇場、新町座、地球館、蓬莱館、帝国館の5館があった。高松とは違って丸亀は空襲を受けず、戦後の一時期には香川県下での洋画上映をリードしたのは丸亀だったという。『全国映画館総覧 1953年版』によると1953年には日本劇場、銀映劇場、蓬莱館、地球館の4館。同時期の高松市には10館、坂出市にも4館の映画館があった。『キネマ旬報1957年1月1日号によると、映画最盛期の1957年には蓬莱館、日本劇場、丸亀東宝、丸亀文化劇場、地球館、丸亀東映、有楽座の7館に増えている。その後映画館は減少に転じ、1999年には丸亀市最後の映画館である丸亀東映が閉館した。
※余談部分はまちあるき時に説明されたことではないです。独自研究です。

いったん本町に入った後、幸町の消防団分団屯所まで来てまちあるきを終える。丸亀市立図書館は1965年までこの地にあったらしい。ウィキペディアの「丸亀市立図書館」は所在地の変遷がわかりにくいため、年配者の丸亀市民でなくとも変遷がわかる地図を加えたい。文字情報だけで地図を作成するのは苦しく、今回のイベントでガイドを務めてくださった方々の知識が欠かせない。

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 (左)スタート地点の城乾コミュセン。(右)最初の目的地の京極高朗墓所

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 (左)丸亀城外堀跡の碑。(右)金毘羅街道の存在を示す碑。

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(左)寿覚院の観音堂。丸亀市指定文化財。(右)1965年以前に丸亀市立図書館があった場所。現在は消防団分団屯所。

芦屋市立図書館本館と打出分室を訪れる

2016年8月に芦屋市立図書館を訪れた。本日(2017年5月8日)、JP-28207-3さんという方が芦屋市立図書館 - Wikipediaという記事を作成してくださったこともあり、この図書館を訪れた時のことを記録に残しておく。

 

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(写真)芦屋市立図書館本館。OSM以外の写真はいずれもAsturio Cantabrioが撮影。

 

 

芦屋市と芦屋市立図書館の概要

西宮市と神戸市東灘区に挟まれた縦に長い自治体が芦屋市。鉄道では北から順に阪急神戸線JR神戸線阪神本線が、道路では国道2号線阪神高速神戸線が市域を横切っている。市街地北部と市街地南部の標高差は激しく、六甲山地から芦屋川や宮川が滝のように落ちてくる。3本の鉄道路線を境にして街の雰囲気が違うのを感じ取ることができる。

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 2枚の地図はOpenStreetMapを基に作成。

 

1949年に開館した初代芦屋市立図書館は、JR芦屋駅の西側にある芦屋仏教会館の一角を間借りしていたらしい。道路を挟んで芦屋川が迫っており、一見すると水害に遭いやすそうな場所にあるものの、目でも足でもはっきりとわかる自然堤防上にあり、1938年の阪神大水害でもこの場所は浸水しなかったらしい。

1954年から1987年までは阪神打出駅の北にある建物が第2代芦屋市立図書館となり、1987年からは市街地南端部に第3代芦屋市立図書館(現行館)を新築した。

 

 

芦屋市立図書館打出分室(第2代芦屋市立図書館、旧松山家住宅松濤館)

第2代芦屋市立図書館は明治期の建築物。大阪市逸見銀行として使われていたものを、1930年に芦屋市に移築した。その後は民間人(松山さん)の住宅として使用されていたとも、美術品収蔵庫の「松濤館」として使用されていたとも。まあ結局松山さんの私有地だったことには変わりないんだろう。

1954年に第2代芦屋市立図書館となった。村上春樹はこの図書館に足しげく通っていたらしく、図書館は『風の歌を聴け』にも登場する。1987年には現行の第3代芦屋市立図書館が開館したため、第2代の建物は取り壊される予定だったものの、建築研究会や市民団体からの声で解体を免れ、1990年には芦屋市立図書館打出分室として再開館した。1995年の阪神・淡路大震災では門が倒壊したらしい。2009年には国の登録有形文化財となった。

今では観光スポットのひとつにもなっているほど。明治期の銀行建築ということで、この打出分室だけでウィキペディアの単独記事になりうる。JP-28207-3さんによる芦屋市立図書館 - Wikipediaの現行版では打出分室がかつて本館だったことすらわかりづらいので、少しばかり加筆したい。

 

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(写真)ツタで覆われた打出分室。これでも現役の図書館。

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 (左)かつての正面玄関。現在は封鎖中。(右)建物側面にある登録有形文化財のプレート。

 

 

芦屋市立図書館本館(第3代芦屋市立図書館)

芦屋市立図書館の現行館は芦屋中央公園などがある埋立地に隣接している。1960年代にはまだこの埋立地は存在しておらず、ちょっとした砂浜が広がっていたらしい。現在は落ち着いた雰囲気の一角に図書館・芦屋市立美術博物館・谷崎潤一郎記念館が集まっている。

図書館に入る。弧を描く壁面と吊り下げられた照明が合わさって、とても1987年竣工とは思えない洗練された雰囲気を感じる。延床面積は約3,000m2で、若い頃の村上春樹みたいな少年が多そうな(※イメージです)この街の特性を考えると狭い。他都市より財政に余裕があったから1987年時点でこんな図書館がつくれたんだろうけど。

参考調査室だけは静かで人も少なかったが、それ以外の部分は平日でもかなり利用者が多く、圧迫感を感じる。館内の写真撮影はNG。もし許可されていても撮れる場所はかなり限られていた、とはいえ、1987年当時の豪華な図書館の例として人に伝えたいと思ったので残念。なお、芦屋市立図書館公式サイトは一見の価値があります。

 

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改めて現行館(本館)の建物を見ると、建物とつながっていない不思議な壁がある。現在基準ではそれほど広くない閲覧室を考えると、壁の向こうに見える中庭部分も閲覧室にしていたら、と思う。

宮津市立図書館とその周辺を訪れる

4月28日の金曜日には「オープンデータ宇治の歴史・文化」プロジェクトのキックオフミーティングにおじゃまさせてもらい、是住さんと森田さんが大学院の授業の一環として取り組んでいるおもしろいプロジェクトの話を聞いた。翌日には丹後地方にでかけるという話をしたら、是住さんから「2017年中に宮津市立図書館が移転する」という話を聞いたので、図書館の訪問を急きょ予定に組み込んで移転前の姿を確認しに行った。

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(写真)宮津市役所。本エントリーの写真撮影者はすべてAsturio Cantabrio。

宮津市立図書館を訪れる
宮津市立図書館単独のウェブサイトはなく、自治体ウェブサイト内の1ページが図書館に充てられている(本当に1ページ分しかない)。GW中ということでこの日に開館しているかどうか不安だったが、ウェブサイト内にカレンダーは見当たらない。電話しないとわからないらしい。
土曜日の朝に京都市を出て、JR山陰線で丹後地方に向かう。福知山駅で京都丹後鉄道の特急に乗り換えると車内には中国人観光客が多かった。天橋立駅まで行かずに宮津駅で降りる。10分ほど歩くともう図書館が見えてくる。何度となく来ている宮津市街地は歩きなれている。
 
図書館はやはり休館していた。外観の写真を撮っていたら、車でやってきた方がいた。この方も休館中なのを知らずに来たらしく、休館中の張り紙をみて嘆いていた。入口横にはウェブサイトになかった開館カレンダーが貼ってあった。
カレンダーだけではない。ウェブサイトになかった移動図書館のステーションや運行日の情報も、図書館の入口横に貼りだしてあった。この街では図書館サービスに占める移動図書館のウェートは大きいはず。ウェブサイトでわかる情報は増やしてほしい。移動図書館の利用者はウェブサイトなんて見ないのかもしれないけれ。(なおウェブOPACもない)

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 (上)休館日の宮津市立図書館。図書館としては“府内で3番目に古い”建物らしい。
(下2枚)裏側に回ると味のある「としょかん」の文字が。脇の大手川にはボートが係留されてる。

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京都新聞毎日新聞の記事を読むと、2017年7月末には中心市街地にある複合商業施設「ミップル」3階・4階部分のテナントが撤退。その4階部分に図書館を移転させて、2017年中には業務を開始するらしい。となると10月末くらいには現図書館は閉館となるはずだけど、ウェブサイト上では移転や長期休館に関する情報は確認できなかった。
「ミップル」の隣には2015年にできたばかりの観光交流センター(観光案内所)もある。付近は道の駅に登録されていて、すぐ裏手は観光船のりばになっている。ひっそりとしていた図書館前と比べるとかなり人の流れがある。
しんぶnミップル
新聞記事によると、4階フロア3,500m2の大部分が図書館に充てられるらしい。現行館が557m2なので、5-6倍程度に増える。2016年9月に移転が報じられてから実際に移転するまで1年しかないけれど、どれだけ練られた図書館ができるだろう。

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OpenStreetMapから作成した図。施設の位置関係。

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(左)9月の移転先の複合商業施設「ミップル」。(右)「ミップル」の裏側はすぐ日本海

(下)「ミップル」4階フロア。売り尽くしセール中。

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宮津市立前尾記念文庫を訪れる

宮津市立図書館の隣には「宮津市立前尾記念文庫」なる建物があった。宮津市出身の政治家(元衆院議長)である前尾繁三郎から蔵書35,000冊と建設費の寄贈を受けて、宮津市立図書館の11年後の1981年に開館したらしい。
この文庫だけで図書館として成り立つんじゃないかと思うくらい、いろんな分野の本がある。公共図書館だと書庫にも置いてなさそうな本が多い。1981年に亡くなった方なので古いのは確かだけれど、使い方次第では役に立ちそう。ただウェブOPACはないらしい。
通常時でも金・土・日の週3日しか空いていないが、GW中も通常通り開館しているということだった。つまりこの日は開館していた。市民が開けててほしいのは前尾記念文庫ではなく図書館だろうに、なんだかちぐはぐしている。
 
内部は下のような感じ。開館時から蔵書数は変わってないはずなのに、通路脇にまで本がはみ出していて窮屈そう。ただ宮津市立図書館より建物は新しく、床面積も広い。1階部分は改装中なのかまっさらな状態だった。

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記事「柳窪」について その1

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Copyright © 「国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省」。カラー航空写真を使用する場合は、Wikimedia Commonsだけでなくウィキペディアの本文中にも「国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。」と入れなくてはならない謎仕様。

 

 

記事「柳窪」の歩み

2017年2月25日、ウィキペディア柳窪 (東久留米市) - Wikipediaという記事が作成されました。作成者はこの柳窪が初編集の方(Harwell1212さん)。とても完成度の高い記事を初心者が作成したということで、2ちゃんねるではこの方は別アカウントの生まれ変わりではないかと疑われていたそうです。

2月27日夜にはWikipedia:メインページ新着投票所 - Wikipediaに推薦されました。約24時間で7票を集め、2月28日夜から3月1日夜まではメインページに掲載されました。24時間での選考通過は「とても早い」部類。この記事の通常時の閲覧回数は10-15/日ですが、2月28日は281回、3月1日には637回に跳ね上がっています。3月2日から3月10日にはWikipedia:月間新記事賞 - Wikipediaの選考にかけられ、5票を得て月間新記事賞を受賞しました。月間新記事賞を受賞したことでWikipedia:良質な記事/良質な記事の選考 - Wikipediaに自動推薦され、最終的に選出には至りませんでしたが、その過程で他者の編集も入って記事の質が大きく向上しています。

 

なぜ記事「柳窪」がすばらしいか

ウィキペディアには新しく作成された記事が一覧できるページがあります。2月27日に柳窪が作成されて半日後くらいにはこの記事の存在に気づき、「第1回ウィキペディアタウンin東久留米」の参加者の誰かであることを確信しました。

第1回で一緒のグループにいたNさん、もしくはふじいさん本人がHarwell1212さんなのではないかと推測しましたが、ごにょごにょしたメッセージで別の方だということが判明しました。第1回ウィキペディアタウンの際の懇親会で私の正面に座っていた方(仮に「ハーウェルさん」らとします)でした。

私がこの記事に引き込まれたのは主に2点、「初版から完成度が高かった点」、「『柳窪』でググってもほとんど情報が出てこない点」です。

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 ・東京から川を越え林を抜けるとそこには東久留米の町が!

 

完成度が高い初版

いわゆるウィキ記法を使いこなすのには慣れが必要です。各地のウィキペディアタウンではウィキペディアを初めて編集する方を何人も見てきましたが、初編集からマークアップを自在に使いこなせる人はいません。

この記事は初版から、出典の付け方、箇条書き、数字の半角化、外部リンクやカテゴリなどが整っていました。いくつか修正したい点はあったものの、大多数の初心者との違いは歴然としていました。

 

それぞれの節には文章を解説するのに効果的な写真が添えられています。1枚目の写真がアップロードされたのは2016年12月30日であり、記事が作成されたのは2017年2月25日です。何か月もかけて1つの記事を作成していたのだということがよくわかります。いずれもきちんとした構図で撮られており、説明写真として申し分ないものばかりです。(ただし写真のサイズが小さい点とメタデータが失われている点は気になり、ハーウェルさんが撮影者ではないのではないかと思いました)

この記事の初版のバイト数は19,000バイト。能力のある方ならこのくらいの文章を書くのは難しくないです。ちらっと聞いたハーウェルさんの現在の肩書や過去の経歴を考えると、このくらいは余裕だったでしょう。とはいえ、「簡潔に短く書かれているのが百科事典」「箇条書き主体、どうでもいい部分だけは冗長に書かれているのがウィキペディアの地誌」(例:東久留米市 - Wikipedia)という思い込みを外すのは容易ではありません。どんな記事をお手本にしたのかが気になりました。

 

ウェブ検索しても出てこない情報

「有志が市街化調整区域への逆線引きを申請」した出来事など、この柳窪という記事には興味深い歴史が書かれています。Googleマップ地理院地図と見比べながら記事を読み進めました。空中写真を眺めると「緑の島」がはっきりと見えます。「ウィキペディアタウンin東久留米」で南沢湧水群を訪れ、東京にも自然豊かな地域があることは理解していたのですが、柳窪の歴史と現代の保護活動まで合わせて、東久留米にはこんな地域があるのかと驚きました。

他の情報を得ようとウェブ検索してみたものの、単に「柳窪」と検索するだけではほとんど情報は得られません。これほど特色がある地域であれば、市民団体なり個人ブログなりで情報発信されていてもおかしくありません。所在地が東京都ということで埋もれてしまっているのでしょうか。ハーウェルさんはいままでウェブ上に出てこなかった紙の文献の存在を示してくださいました。

 

良質な記事の選考

新着投票所(メインページへの掲載)、月間新記事賞、良質な記事というのはウィキペディアコミュニティが内輪で行っている選考ごっこにすぎないのですが、メインページに掲載されることで閲覧数が跳ね上がったり、選考で隅から隅まで読んで的確なコメントを付けてくださる方がいたりと、記事を書く動機付けになります。

4月11日に始まった良質な記事の選考でも、質の向上の助けとなるコメントが付けられています。選考開始時点ではいくつか改善すべき点が残っており、おそらく選出されないだろうと思っていました。4月22日には三重県の地誌記事(志摩町和具 - Wikipediaはいつも私のお手本)を書いているMiyuki Meinakaさんが歴史節を加筆し、地理節や交通節を付け加える大幅加筆を行いました。さかおりさんは航空写真を貼付し、完成度の高い記事となりました。……

その2につづくかも。

 

ayc.hatenablog.comhttp://ayc.hatenablog.com/entry/2016/09/27/0832