振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

東加茂郡旭町の映画館

 2019年9月、愛知県豊田市の旧東加茂郡域(旧足助町・旧稲武町・旧旭町)を訪れました。3町とも2005年(平成17年)に豊田市編入された自治体であり、3町それぞれにかつて映画館がありました。

これらの映画館について調べたことは「豊田県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の所在地については「消えた映画館の記憶地図 - Google My Maps」にマッピングしています。

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 (地図)愛知県における旧足助町・旧稲武町・旧旭町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

 

1. 旭町を訪れる

名鉄豊田市駅からおいでんバス(コミュニティバス)に乗り、矢作川に沿った県道を北東に向かうと、旧旭町の中心部である小渡(おど)地区に到着します。豊田市役所旭支所の標高は170mであり、標高こそ旧稲武町の中心部(約500m)より低いものの、山が迫っているせいで山間部のしゅうらくという雰囲気です。 

豊田市編入する前の旭町の人口は約3,500人であり、下山村(約5,500人)と小原村(約4,300人)を下回っていました。稲武町(約3,000人)よりも多かったとはいえ、中心地区の規模は稲武町よりも小さく、豊田市編入された6自治体の中でもっとも小さい印象を受けました。

 

旧旭町は旧足助町や旧稲武町と比べると規模の小さな町ですが、1970年代初頭まで営業していた小渡劇場は東加茂郡最後の映画館だったようです。前身の宝源座は1916年(大正5年)の劇場であり、1950年代初頭の『旭村公民館報』には宝源座の映画上映案内も掲載されていますが、愛知県図書館や豊田市中央図書館の郷土資料では正確な場所がわかりませんでした。

文献からは「宝源座の跡地は昭和40年代時点ではパチンコ店だった」ことがわかりました。1973年(昭和48年)の住宅地図には「御菓子処ひだや」の南側にパチンコ店が掲載されているため、ここではないかと推定して旭町を訪れました。

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(左)豊田市役所旭支所。(右)豊田市旭交流館。
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(写真)御菓子処ひだや。

2. 旭町の映画館

2.1 宝源座/小渡劇場(1916年-1970年代初頭)

所在地 : 愛知県東加茂郡旭村小渡(1955年)、愛知県東加茂郡旭町小渡(1969年)
開館年 : 1916年? 1920年?
閉館年 : 1969年以後1973年以前
1950年の映画館名簿では「宝源座」。1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「小渡劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「御菓子処ひだや駐車場」。「ファミリーマート小渡店」のすぐ東側、「御菓子処ひだや」から風鈴通りを挟んで北側。

 

御菓子処ひだやで40代-50代くらいの女性店員の方に話を聞くと、小渡劇場の跡地は御菓子処ひだやの南側ではなく、「風鈴通りを挟んで北側にある、やや高くなっている駐車場」だそうです。「24年から25年ほど前までは建物が残っていた」とのことで、「平成になってしばらくしてから取り壊された」そうです。店を出てから目の前の映画館跡地を訪れてみると、ただの月極駐車場ではなく御菓子処ひだやの専用駐車場でした。店員さんが取り壊された年代を正確に知っていたのも納得です。

1916年(大正5年)に宝源座として開館したのが小渡劇場です。東加茂郡では1871年明治4年)に開館した足助町の西盛座に次いで古い劇場かもしれません。1950年(昭和25年)の『旭村公民館報』には宝源座の映画上映案内が掲載されていますが、11月5日は松竹の『婚約指環』、11月6日は新東宝の『鳴くな小鳩よ』、11月8日は東映の『にっぽんGメン』と『三本指の男』、11月11日は東映の『紅 二挺拳銃』と『脱獄』、11月13日と14日は『山のかなたに 前編』と『ウキウキ道中』、11月17日は東映の『ジルバの鉄』、11月18日は松竹の『新妻の性典』、11月21日と22日は新東宝の『山のかなたに 後編』、11月26日と27日は新東宝の『宗方姉妹』、11月28日は『てんやわんや 新装五人男』を上映しています。これだけ上映作品がころころ変わると経営者も観客も大忙しでしょう。

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(写真)御菓子処ひだや駐車場。小渡劇場跡地。

 

小渡劇場跡地の南西は小渡地区の中心といえる「小渡」交差点です。この交差点の東側と南側に商店街が伸びているわけですが、交差点から北西方向に斜めに伸びる家屋の列が気になります。この家屋の列の先に橋が架かっていたのだろうかと思いましたが、下記の航空写真に見える2代目両国橋の架橋は1940年(昭和15年)のこと、初代両国橋の架橋は1919年(大正8年)のことで、それ以前はここに渡船場があったようです。おそらく小渡という地名もこの渡船場に由来する、ということに気づいたのは帰ってからのことであり、この旧渡船場付近をよく観察しておけばよかったと思ったのでした。

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(写真)1970年代の旭町中心部の航空写真。

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(地図)現在の豊田市旭地区中心部の地図。

東加茂郡稲武町の映画館

 

2019年9月、愛知県豊田市の旧東加茂郡域(旧足助町・旧稲武町・旧旭町)を訪れました。3町とも2005年(平成17年)に豊田市編入された自治体であり、3町それぞれにかつて映画館がありました。なお、稲武町は2003年(平成15年)まで東加茂郡ではなく北設楽郡に属していました。

これらの映画館について調べたことは「豊田県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の所在地については「消えた映画館の記憶地図 - Google My Maps」にマッピングしています。

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 (地図)愛知県における旧足助町・旧稲武町・旧旭町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

 

1. 東加茂郡稲武町

1.1 稲武町を訪れる

稲武町(稲武地区)は豊田市の北東端にある地区で、2003年(平成15年)に東加茂郡に転籍するまでは設楽町などと同じ北設楽郡に属していました。名鉄豊田市駅から稲武地区中心部までの距離は43km、車では国道153号を使って約1時間かかります。豊田市駅の標高は約35m、豊田市役所稲武支所の標高は約500m。稲武地区中心部は開けた盆地にあり、道の駅どんぐりの里には観光客がたくさんいるので、奥三河の寒村のイメージはありません。

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(写真)愛知県立田口高校稲武校舎付近から見た稲武市街地。

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(写真)稲武市街地を通る国道153号。長野県の根羽まで16km、飯田まで60km、塩尻まで143km。

 

1.2 稲武町を歩く(稲橋地区)

稲武町は1940年(昭和15年)に"稲"橋村と"武"節村が合併して発足した自治体。名倉川の東側が稲橋村、西側が武節村です。稲武町役場、稲武郵便局、稲武町立稲武小学校、愛知県立田口高校稲武校舎、稲橋神明神社瑞龍寺など、公共施設や寺社が集まっているのが稲橋地区、商家や劇場などを含めてにぎわう稲武商店街があるのが武節地区です。

おいでんバスの終着点であり、稲武町のまちあるきの起点となるのが豊田市役所稲武支所や豊田市稲武交流館。靴を脱いで上がる稲武交流館の館内には開放的な図書室があります。かつてこの場所には稲武町立稲橋小学校がありましたが、1982年(昭和57年)に稲橋小学校など3校1分校が統合され、250m北西に稲武町立稲武小学校が開校しています。

稲武支所や稲武交流館の南側にあるのは、本堂の前のシダレザクラが有名な瑞龍寺。今回は見かけませんでしたが、前回訪れた際には本堂の屋根にサルがいました。

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(左)豊田市役所稲武支所。(右)図書室がある豊田市稲武交流館。

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(写真)シダレザクラが愛知県指定天然記念物である瑞龍寺

 

稲武支所の北東側にある高台には、かつて愛知県立田口高等学校稲武校舎 - Wikipediaがありました。2007年度(平成19年度)末をもって閉校しましたが、現在も校舎・体育館・武道場の建物は残されており、雑草の奥には閉校記念碑が建っていました。

稲武町には大正時代に架けられたアーチ橋が5本も残っているそうで、稲橋地区と武節地区を隔てる旧稲武大橋は1926年(大正15年)竣工です。他の4本が鉄筋コンクリート造であるのに対して、旧稲武大橋は鉄骨造であり、赤い鉄骨を見るために河岸に下りたくなります。

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(写真)愛知県立田口高校稲武校舎跡地。

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(写真)旧稲武大橋。1926年竣工のアーチ橋。

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(写真)資料館の古橋懐古館。

 

1.3 稲武町を歩く(武節地区)

国道が交わる町だけあって、稲武商店街は現在でもそれなりの規模です。市指定文化財登録有形文化財の建物はありませんが、商店街が緩やかにカーブする部分にある「大和屋」という商家には目を見張ります。

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(写真)稲武商店街にある旧家「大和屋」。

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(左)稲武商店街。右の路地の先が稲武劇場跡地。(中)稲武商店街にある尾形誠意堂。(右)稲武商店街。右はつたや。

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(写真)道の駅にある稲武温泉どんぐりの湯。

2. 稲武町の映画館
2.1 大門座/稲武劇場(-1960年代初頭)

所在地 : 愛知県東加茂郡稲武町(1960年)
開館年 : 1959年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
「大門座」から「稲武劇場」に改称。1959年・1960年の映画館名簿では「稲武劇場」。1961年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1983年・1986年のゼンリン住宅地図では跡地に「駐車場」。現在の跡地は駐車場。稲武商店街にある「三江美容室」東側の路地を北に160m歩いた突き当り。

 

『映画年鑑 別冊 映画便覧 1960』には「稲武劇場」が掲載されていますが、愛知県図書館や豊田市中央図書館の郷土資料ではこの劇場の名前をいっさい確認できませんでした。『目で見る 稲武の歴史と文化』には「大門座」という劇場が登場します。稲武交流館図書室や稲武観光案内所を訪れ、大門座はどこにあったのか、稲武劇場と大門座が同一施設であるのかどうかを調べました。

 

まずは稲武交流館図書室で40代くらいの女性職員に聞いてみると、この方は稲武町にあった劇場/映画館のことを知りませんでしたが、『目で見る 稲武の歴史と文化』の著者である安藤泰さんに電話してくれました。在野の郷土史家である安藤泰さんは交流館で歴史講座を担当しているそうです。「稲武商店街にある『寿司と和食の店 つたや』の西側から北に延びる路地に入り、突き当たった場所にある駐車場」が大門座の跡地だそうです。安藤泰さんの話で大門座の場所はわかりましたが、大門座と稲武劇場の関係については判明しませんでした。

次に「 道の駅 どんぐりの里いなぶ」にあるいなぶ観光協会観光案内所を訪れ、30代-40代くらいの男性職員に聞いてみると、この方は「稲武町に映画館があったことは聞いたことがある」とのことでした。そこで大門座という名前を出してみると、"大モン" という小字の範囲を教えてくれました。

最後に稲武商店街を訪れ、大門座に近かったと思われるよろずや「尾形誠意堂」で70代くらいの主人に話を聞いてみました。「(尾形誠意堂の)すぐ東側から路地を北に入った突き当たり」が大門座の跡地だそうで、安藤泰さんの話とも一致します。さらに、「大門座はいつしか稲武劇場に改称した」とも話してくれ、稲武劇場と大門座が同一施設であることがわかりました。稲武劇場は1960年代初頭に閉館していますが、1970年代の航空写真にもまだ建物が写っていました。

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(写真)1970年代の稲武町中心部の航空写真。まだ稲武劇場の建物があったことがわかる。地理院地図に加筆

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(地図)現在の豊田市稲武地区中心部の地図。地理院地図に加筆


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(写真)稲武劇場跡地にある駐車場。

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(写真)大門地区の説明看板。

東加茂郡足助町の映画館

2019年9月、愛知県豊田市の旧東加茂郡域(旧足助町・旧稲武町・旧旭町)を訪れました。3町とも2005年(平成17年)に豊田市編入された自治体であり、かつては3町それぞれに映画館がありました。

これらの映画館について調べたことは「豊田県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の所在地については「消えた映画館の記憶地図 - Google My Maps」にマッピングしています。

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 (地図)愛知県における旧足助町・旧稲武町・旧旭町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

 

1. 足助町を訪れる

近世の足助は奥三河の拠点となる町であり、三河国平野部と信濃国を結ぶ三州街道/中馬街道(塩の道)の宿場町として栄えました。近代には東加茂郡役所が置かれ、現代には香嵐渓が愛知県有数の観光地となりました。現在でも重厚な印象を与える塗籠の町家が多く残っており、2011年(平成23年)には愛知県で初めて重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

このように近世から経済力のある町であり、また最寄りの都市(挙母豊田市)から地理的に離れていることもあって、明治初期には芝居小屋の西盛座が開館。戦後には西盛座が映画館に転換した上に、映画専門館として足助劇場も開館し、2映画館が共存していたようです。また、足助町北東端の明川地区には明川映画劇場があったようです。

 

豊田市名鉄豊田市駅岡崎市名鉄東岡崎駅から名鉄バスが、豊田市の猿投駅からおいでんバス(コミュニティバス)が、足助町に向けて運行されています。足助町は愛知県有数の観光地ではありますが、公共交通機関は便利とはいえず、自動車で訪れる観光客が多いと思われます。

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(写真)1970年代の足助町中心部の航空写真。

 

2. 足助町を歩く

足助市街地は建物が密集していて広い土地がありませんが、西町の北側にある足助病院跡地には巨大な豊田市足助交流館が建っており、足助交流館図書室もあります。

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(写真)豊田市足助交流館。

 

重要伝統的建造物群保存地区の中心は新町と本町。西町のマンリン書店は書店とギャラリーと喫茶店を兼ね備えた店舗であり、江戸時代に建てられた建物を使用して1930年(昭和5年)に開店した歴史ある書店です。マンリン書店の東側から足助劇場跡地方面に伸びる路地がマンリン小路。本町にも書店の白久商店がありますが、こちらも築200年の建物を使用しています。若い経営者が古い建物でカフェや雑貨屋を営むのではなく、昔から同じ経営者が同じ建物で営む店舗が多い印象です。

映画館の話を聞いた足助両口屋の正面には、2013年(平成25年)に重要文化財に指定された旧鈴木家住宅があります。旧鈴木家住宅は2014年度(平成26年度)から2022年度(令和4年度)までの予定で改修工事を行っています。街並みの中に観光客が滞留出来る拠点施設がないのが足助の欠点なので、旧鈴木家住宅がどのような役割を持った施設として公開されるのか楽しみです。

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(左)新町にある書店兼喫茶店「マンリン書店」。右端はマンリン小路。(右)マンリン小路。

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(左)本町にある書店「白久商店」。(右)本町にある和菓子舗「足助両口屋」。

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(左)田町にある「莨屋 塩座」(たばこや しおざ)。豊田市指定有形文化財。(右)田町にある「足助中馬館」。登録有形文化財

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(写真)新田町。左は山城屋旅館。

 

3. 足助町の映画館

3.1 足助劇場(1952年頃-1960年代末)

1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「足助劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の全航空住宅地図帳では跡地に「ガレージ」。1979年のアイゼン住宅地図では跡地に「平野建材店倉庫」。跡地は居酒屋「たんぽぽ」の北向かいにある駐車場。

 

1952年(昭和27年)頃には地元住民による出資で足助劇場が開館しました。1960年代末、『伊豆の踊子』の上映を最後に閉館しましたが、建物はその後も所有者である平野建材の倉庫として使用されていました。

2017年には2018年4月には朝日新聞足助劇場が映写機の譲渡先を探しているとする記事が掲載されました。5月には譲渡先が決定して建物の取り壊しが行われているとする記事も掲載され、取り壊し後の足助劇場跡地は月極駐車場となっています。2018年7月にはWikipediaに記事「足助劇場 - Wikipedia」を作成しました。

 

ja.wikipedia.org

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(地図)現在の豊田市足助地区(本町)の地図。

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(写真)取り壊される前の足助劇場。2017年9月。

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(写真)足助劇場跡地。2019年9月。


 

3.2 西盛座(1871年-1960年代中頃)

所在地 : 愛知県東加茂郡足助町足助西町(1955年・1960年・1963年)
開館年 : 1871年
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1950年・1953年・1955年・1960年・1963年の映画館名簿では「西盛座」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1973年の全航空住宅地図帳では跡地に「八木輝」邸。1979年のアイゼン住宅地図では跡地に「ギョーザ・ラーメン チュン」。跡地は国道153号のすぐ北側にある「中野歯科」とその西側一帯。

 

西盛座は1871年明治4年)に開館した芝居小屋であり、1階中央部は椅子席、1階の両側と2階は畳敷き席だったようです。当初は芝居・歌舞伎・浪曲などが主であり、戦後に映画上映が主となったようです。1958年(昭和33年)には楽屋から出火して全焼しましたが、建物を再建して映画専門館として営業を再開したようです。

足助両口屋のおかみによると、西盛座の跡地は「中野歯科の建物や駐車場を含む周辺一帯」だそうです。足助両口屋の主人は西盛座が火災後に再建されたことを覚えており、「足助劇場は日活、西盛座は東映」と記憶していました。

 

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(地図)現在の豊田市足助地区(西町)の地図。

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(写真)西盛座の跡地にある中野歯科。手前は国道153号。

 

3.3 明川映画劇場(1955年頃-1957年頃)

所在地 : 愛知県東加茂郡足助町明川(1956年・1957年)
開館年 : 1955年
閉館年 : 1957年
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年の映画館名簿では「明川映画劇場」。1958年・1960年の映画館名簿には掲載されていない。

 

国道153号で足助市街地から稲武市街地に向かう際には、ちょうど中間付近で足助町明川(あすがわ)を通ります。1950年代後半の映画館名簿には明川映画劇場が登場するものの、正確な場所などの詳細は不明です。

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(地図)足助町明川の位置。©OpenStreetMap contributors

美濃白鳥の映画館

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(写真)郡上市図書館が入る白鳥ふれあい創造館。

 

2019年夏、岐阜県郡上市の美濃白鳥(旧郡上郡白鳥町)を訪れました。美濃白鳥には郡上市図書館本館があり、かつては「白鳥劇場」「スワン劇場」「大島座」という3館の映画館がありました。

美濃白鳥の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、また映画館の所在地については「消えた映画館の記憶地図(全国版) - Google My Maps」にマッピングしています。

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私は美濃加茂市美濃太田駅から長良川鉄道郡上市を訪れましたが、鉄道で郡上市を訪れる観光客はそれほど多くないと思われます。東海地方と北陸地方を結ぶルートとして東海北陸自動車道があり、白鳥インターチェンジを降りればすぐ美濃白鳥市街地だからです。長良川鉄道で美濃白鳥に向かう列車はわずか11-12往復/日であり、1-2時間に1本という運行頻度はスケジュールの制約が大きいです。

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(左)長良川鉄道越美南線美濃白鳥駅。(右)美濃白鳥駅前広場にある白鳥おどりの像。

 

1. 郡上市図書館(本館)

1.1 郡上市の図書館

郡上市図書館は美濃白鳥駅の北東にある白鳥ふれあい創造館にあります。郡上市図書館は郡上市発足前の1994年(平成6年)に開館した図書館であり、当時は白鳥町立図書館という名称でした。緑色の屋根とピンク色/ベージュ色の壁は1990年代の図書館によくみられる色彩。人口1万5000人弱の町としては大きな施設であり、この時代だからこそ建設できた施設であるとも感じました。

組織としての郡上市図書館は、施設としての郡上市図書館(本館)を含む7施設(1本館1分館5分室)からなります。総称としての組織名と単独の施設名は分けてほしい。本館の蔵書数は約11万冊、はちまん分館の蔵書数は約6万冊。延床面積でも本館のほうが広いと思われますが、規模にそれほど大きな差があるわけではありません。「郡上市しろとり図書館」と「郡上市はちまん図書館」の並列ではダメだったのか気になりました。

 

郡上市図書館(組織)を構成する7施設

本館 郡上市図書館・・・・・・・・旧白鳥町(郡上市第2の町)

分館 郡上市図書館はちまん分館・・旧八幡町(郡上市最大の町、郡上市役所所在地)

分室 郡上市図書館やまと分室・・・旧大和町

分室 郡上市図書館たかす分室・・・旧高鷲村

分室 郡上市図書館みなみ分室・・・旧美並村

分室 郡上市図書館めいほう分室・・旧明宝村

分室 郡上市図書館わら分室・・・・旧和良村

 

1.2 福井県境に近い図書館

私が乗車した長良川鉄道越美南線は、岐阜県福井県を結ぶ越美線の一部として建設された路線です。美濃白鳥市街地から岐阜県福井県境までの距離はわずか3km。長良川鉄道の終着点である北濃駅はさらに福井県に近く、岐阜県庁までの距離と福井県庁までの距離がほぼ等しい(約60km)。結局越美線は全通せずに終わりましたが、郡上市図書館は福井県奥越地方の『大野市史』や『勝山市史』などを所蔵しており、私が訪れた際にも司書と一緒に福井県に関する文献を探している方がいました。

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(左)郡上市図書館が入る白鳥ふれあい創造館。(右)郡上市図書館の入口。

 

2. 美濃白鳥を歩く

2.1 美濃白鳥市街地の現況

図書館を訪れた後には美濃白鳥市街地を歩きました。長良川鉄道の西200mに閉校する上本町商店街と栄町商店街が美濃白鳥のメインストリートであり、メインストリートに並行する形で新栄町商店街が、メインストリートに直行する形で駅前通りや橋本町商店街があります。これらの旧市街地には古い町屋や商店が残っており、メインストリートながら車はほとんど通りません。市街地の西側には長良川が流れ、その西側には国道156号があります。車はメインストリートを迂回して国道156号を通ってしまうようであり、国道156号沿いにはいくつもロードサイド店舗が並んでいるようです。

長良川鉄道の東側には岐阜県立郡上北高校がありますが、定員は3クラス120人と少なく、岐阜県によって高校再編統合の検討対象になっています。郡上北高校は郡上市以外からの入学者がほぼいない高校だそうで、2019年度には進学コース、観光・ビジネスコース、福祉・介護コース、地域産業コースという多様なコースを設置して、高校生の市外への流出を食い止めようとしているようです。

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(地図)国土地理院 地理院地図に加筆

 

2.2 橋本町通り・駅前通

旧市街地北端の橋本町通りには料理旅館「浅野屋」が健在です。推理小説作家の内田康夫は浅野屋で執筆したことがあり、浅見光彦シリーズの『白鳥殺人事件』(1989年)には浅野屋も登場するようです。

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(写真)橋本町通り。右は浅野屋旅館。

 

美濃白鳥の旧市街地でいちばん店舗密度が濃いと思われるのが駅前通り。駅前通りには寺田書店がありますが、訪れたのが日曜日だったせいか閉店していました。土産物店「とおやま」には数多くの人形が展示された別棟がありま、館長の遠山一男が収集した日本各地の郷土玩具・土人形・土鈴を展示している日本土鈴館 - Wikipediaと関連があるのかもしれません。なお、橋本町通りも駅前通りも歩いている観光客などはいません。

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(左)美濃白鳥駅から見た駅前通り。(右)駅前通りから見た美濃白鳥駅。

 

2.3 上本町通り

メインストリートの北側半分が上本町通りであり、南側半分が栄町通りです。メインストリートには袖壁のある木造の民家が多く、郡上八幡ほどではありませんが見ごたえがありました。

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(写真)上本町通り。(左)南を向いて撮影。(右)北を向いて撮影。正面奥は来通寺。

 

上本町通りにある布屋 原酒造場は元文5年(1740年)創業の酒蔵。公式サイトでは「布屋」という屋号の由来について長々と説明しており、要するに "源平時代に伊東左近衛権藤原勝が白布を買い求めた逸話に因んでいる" ということだと思います。もっとざっくり言えば、元文5年の創業時の当主がこの昔話に共感したから名づけただけのようです。

上本町通理に面した主屋は1923年(大正12年)竣工ですが、文化財指定・登録はされていません。原酒造場の40m北には1907年(明治40年)竣工の原邸があり、原酒造場に関連した邸宅だと思われますが、やはり文化財指定・登録はされていません。

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 (写真)上本町通り。(左)北を向いて撮影。左は布屋 原酒造場。正面奥は来通寺。(右)原邸。

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(写真)布屋 原酒造場。

 

2.4 栄町通り

メインストリートの南側半分は栄町通り。目立つ建物として3階建ての角忠旅館があります。"ひるがの高原" と "郡上八幡" という観光地に挟まれているせいか、美濃白鳥に宿泊施設は多くありません。

栄町通りの道路上には白鳥おどり - Wikipediaの横断幕がかかっていました。郡上おどり - Wikipedia(32夜)と同じように夏の間ずっと続けられる盆踊りであり、各町が持ち回りで会場となります。この日の夜は浅野屋がある橋本町が会場になるようです。

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(写真)栄町通り。(左)右は角忠旅館。(右)鉢植えの緑が目に優しい、袖壁のある民家。

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(写真)栄町通り。(左)白鳥おどりの横断幕。(右)右はそば屋「更科」。

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(写真)郡上市役所白鳥庁舎。

 

3. 美濃白鳥の映画館

映画館名簿によると、郡上郡白鳥町にはかつて3館の映画館があり、うち2館が美濃白鳥市街地にありました。旧市街地で50年以上営業していそうな店舗を探しましたが、メインストリートには気軽に入れる店舗が見あたらなかったため、新栄町商店街にある「白鳥まんじゅう」(店名)に入り、70歳になるという店主に話を聞きました。

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(写真)新栄町通り。中央左が「白鳥まんじゅう」(店名)。

 

3.1 白鳥劇場(-1960年代後半)

所在地 : 岐阜県郡上郡白鳥町1055
開館年 : 1950年以前
閉館年 : 1966年以後1969年以前
1950年の映画館名簿では「白鳥劇場」。1953年・1955年の映画館名簿には掲載されていない。1960年・1963年・1966年の映画館名簿では「白鳥劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

 

1966年の映画館名簿には白鳥劇場の所在地として、「郡上郡白鳥町1055」と番地まで掲載されています。Google mapsでこの番地が指し示す地点は角忠旅館の裏手であり、現在はサンテック株式会社の敷地や道路(私道?)用地になっているようです。白鳥まんじゅうの店主によるとこの地点で間違いないとのことで、店主は白鳥劇場のことを「ハクゲキ」(白劇)と呼びました。

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(左)手前が白鳥劇場跡地と思われる地点。中央奥に角忠旅館。(右)白鳥劇場の東側を流れる水路。

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(写真)西側奥に白鳥劇場があった角忠旅館。

 

3.2 スワン劇場(-1960年代前半)

所在地 : 岐阜県郡上郡白鳥町大字白鳥
開館年 : 1955年以後1958年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「スワン劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

 

映画館名簿ではスワン劇場の所在地は「白鳥町大字白鳥」としかわかりませんでしたが、郡上市図書館での文献調査では「美濃白鳥駅前」にまで範囲を絞ることができました。白鳥まんじゅうの店主は「スワン」と呼び、新栄町商店街の山田薬局の位置にあったようです。白鳥まんじゅうのおかみさんは美濃白鳥出身ではないそうですがスワン劇場の所在地を知っており、道路に出て場所を説明してくださいました。白鳥まんじゅうからの距離はわずか70mであり、白鳥まんじゅうからも山田薬局の緑色の看板が見えます。

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3.3 大島座(-1960年代初頭)

所在地 : 岐阜県郡上郡白鳥町大島
開館年 : 1958年以後1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
1955年・1958年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「大島座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。

 

美濃白鳥市街地から2km南の大島地区には大島座があったようですが、白鳥町にあった3館の中ではもっともはやく閉館しています。今回は大島地区を訪れていません。

 

 

4. 長良川鉄道「川風号」

午後には長良川鉄道郡上八幡市街地に移動しましたが、乗車した普通列車の2両目は観光列車「ながら」の第2弾「川風号」でした。2018年(平成30年)4月に運行開始した車両で、デザインは例のごとく水戸岡鋭治です。ただし乗客は1両目に集中しており、「川風号」はまったく人気がなかったのが印象的でした。

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(写真)長良川鉄道「川風号」。

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(写真)長良川鉄道「川風号」。