振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。図書館におけるウィキペディアタウンの開催を推進しています。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

東伊豆町の映画館

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(写真)伊豆急行線の8000系電車。

 

2019年6月10日(日)、静岡県賀茂郡東伊豆町を訪れました。

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(地図)静岡県における東伊豆町の位置。©OpenStreetMap contributors

 

この日は「第4回伊豆稲取キンメマラソン」があったそうで、私と同じ電車に乗っていた方はほとんど伊豆稲取駅で降りました。伊豆半島東部には江戸城の築城に用いられた石丁場が多数あったそうで、伊豆稲取駅前には切り出された石が置かれた築城石広場があります。

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(左)伊豆稲取駅で降りるキンメマラソンの参加者。(右)伊豆稲取駅前の築城石広場。

 

東伊豆町稲取を歩く

稲取地区は賀茂郡東伊豆町の町役場がある町。東伊豆町の総人口は約12,000人であり、稲取地区と熱川地区がそれぞれ約6,000人を有しているようです。民家が広範囲に広がる熱川地区とは異なり、稲取地区は東伊豆町稲取小学校を中心とする南北1km・東西1.5kmの範囲にはっきりとした市街地が形成されています。

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(写真)伊豆稲取駅東伊豆町役場を結ぶ商店街。

 

いったん伊豆稲取駅で降りたとはいえ、45分後の電車に乗って伊豆急下田駅に向かいます。稲取港の朝市などはスルーして、目的地である映画館跡地2軒を目指しました。

オリオン座があった東西通りは1車線道路ではあるものの、静岡銀行静岡中央銀行の支店があり、呉服店・酒屋・米屋・食堂などが生き残っており、かつてメインストリートだった雰囲気を漂わせていました。

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(写真)東西通りの西側。静岡銀行稲取支店。

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(写真)東西通りの東側。左がオリオン座跡地?

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(写真)稲取漁港。中央の茶色い建物が東伊豆町役場。

 

ミニミニ図書館

1992年開館の東伊豆町立図書館は稲取地区ではなく熱川地区にあり、稲取地区には2009年10月開館の図書室「ミニミニ図書館」があります。1986年開館の東伊豆町立体育センターは稲取地区に置かれており、人口規模の等しい両地区に社会教育施設を分散させたのだと思われます。

東伊豆町の人口は約12,000人。愛知県では豊山町(約15,000人)や南知多町(約18,000人)と同規模ですが、豊山町南知多町には公共図書館がありません。東伊豆町の規模の自治体で1990年代初頭に単独施設の図書館を開館させたことには興味があります。東伊豆町における図書館運動については『ならいの風吹く町に 東伊豆町住民の図書館づくり』という書籍がありますが未確認。

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(左)東伊豆町稲取小学校。(右)「ミニミニ図書館」がある稲取小学校体育館。

 

「ミニミニ図書館」は稲取地区の中心部にある東伊豆町稲取小学校の体育館の一室を用いています。開館時間は「10時-17時(12時-13時は閉館)」、休館日は「土曜日・日曜日・祝祭日」ですが、東伊豆町立図書館公式サイトにこれらの利用案内は書かれておらず、土日が休館日であることはわかりません。稲取地区唯一の図書施設ということで、年間4,000人程度の利用者はいるようなので、利用案内くらいは公式サイトに書いてほしい。学校の敷地内ではありますが、「ミニミニ図書館」の入口は公道から5mの距離にあるため、敷居の高さは感じませんでした。なお、私が訪れたのは日曜日の朝8時過ぎでした。

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(写真)「ミニミニ図書館」。

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 (写真)「ミニミニ図書館」。

 

 

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(写真)稲取温泉街の入口。

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(写真)稲取温泉街。

 


東伊豆町の映画館

各年版の映画館名簿や『東伊豆町誌』(東伊豆町、1989年)などによると、東伊豆町稲取地区には、オリオン座と稲取中央劇場という2館の映画館がありました。東伊豆町の城東地区には白田劇場と熱川劇場があり、東伊豆町には計4館の映画館がありました。4館の中で最後まで残ったのは稲取中央劇場であり、跡地を確定させられたのも稲取中央劇場のみです。

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(地図2枚)稲取地区における映画館跡地。国土地理院 地理院地図


 

オリオン劇場/オリオン座(1970年代初頭)

所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取801(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

オリオン劇場/オリオン座については文献での言及を確認できていない。Google mapsで「東伊豆町稲取801」を検索すると「宿」という用途不明の建物の場所に飛び、またGoogleで「東伊豆町稲取801」を検索すると不動産売買の鈴木商会という企業が出てくるが、詳細は不明。

事前にGoogle ストリートビューを見た限りでは、映画館時代の建物を魔改造したものに見えました。現地を訪れて建物を観察すると、奥のガレージとなっている部分が映画館のホールだったとしてもおかしくないものの、映画館の建物ではないだろうと思いました。

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(写真)オリオン座跡地?にある「宿」。

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(写真)オリオン座跡地?にある「宿」。

 

稲取中央劇場(-1978年)

所在地 : 静岡県賀茂郡東伊豆町稲取415(1969年)
開館年 : 1952年以前
閉館年 : 1978年

大正時代には喜遊座という芝居小屋であり、のちに映画館に転換して稲取中央劇場に改称。『目で見る 三島・伊豆の100年』(郷土出版社、1991年)には1951年(昭和26年)頃の写真あり。1978年(昭和53年)に閉館した後、中央プラザとしてヤオハンの衣料部がテナントに入っていたが、2006年(平成18年)現在は福祉関係の事務所が一部を利用していた。

中央プラザの正面口が面している県道の標高は16m、裏口が面している道路の標高は10m。約2階分の高低差があり、映画館時代にどのような建物が建っていたのか気になります。

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(写真)稲取中央劇場跡地にある中央プラザ。

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(写真)稲取中央劇場跡地にある中央プラザ。

下田市立図書館を訪れる

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(写真)下田市立図書館。

 

2019年6月、静岡県下田市下田市立図書館を訪れました。

 

下田市伊豆半島の南部にある自治体。熱海市からJR伊東線伊豆急行線で訪れました。伊豆半島に足を踏み入れるのは初めてです。

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(地図)静岡県における下田市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

首都圏における伊豆の立ち位置をよく知らないのですが、京阪神における丹後地方のようなイメージでしょうか。距離は約150km、所要時間は3-4時間。下田市の観光交流客数は現在でも250万-300万人いるとのことですが、下田市がこれほどはっきりした観光都市だとは知りませんでした。

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 (写真)伊豆急下田駅

 

1. 下田市立図書館を訪れる

1-1. 下田市立図書館の規模

下田市立図書館の現行館は1976年(昭和51年)開館。延床面積は762.88m2とのことですが、書架が置かれているのは1階部分だけであり、1階の床面積は300m2以下だと思われます。下田市立図書館 - Wikipediaによると、伊豆急下田駅の北東にある下田総合庁舎に移転する計画があるらしい。なお、このWikipedia記事は2017年11月3日に開催された「WikipediaTown in 下田小学校 & 白浜小学校」で作成されたものです。

2019年6月1日時点の下田市の人口は2万1459人であり、静岡県でもっとも人口が少ない市らしい。ちなみに愛知県では豊山町(1万6000人)、南知多町(1万800人)、美浜町(2万2000人)、大口町(2万4000人)などと同規模であり、この4自治体のうち2自治体(豊山町南知多町)には公共図書館がありません。

 

1-2. 雑誌『黒船』

蔵書数は約10万冊であり、伊東市立伊東図書館の60%、熱海市立図書館の50%程度ですが、『静岡県の図書館 平成30年度』を見ると他館と比べて郷土資料の比率が高いようです。郷土資料は「幕末開港関係」「下田関係」「賀茂郡関係」「静岡県関係」に分かれており、特に1924年大正13年)から1944年(昭和19年)まで発行されていた雑誌『黒船』に興味を持ちました。

利用者カードに描かれているイラストは『黒船』の表紙だそうで、この雑誌については公式サイト内でも詳しく紹介されています。「静岡県関係」コーナーには『黒船』が置かれており、また「『黒船』執筆陣人物帖」と題したファイルも置かれていました。図書館の一般利用者は気づかない目立たない場所にありますが、置き場所を変えてもっとアピールしてもいいのでは。利用者カードにゆるキャラ漫☆画太郎などが描かれている自治体も多いですが、その町の文化創造を象徴するイラストを用いていることには好感を持ちました。

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 (左)下田市立図書館の外観。(右)図書返却ポスト

 

2. 下田市を歩く

2-1. なまこ壁の街並み

なまこ壁は下田を象徴する景観だそうで、土蔵などではなく民家にも当たり前のように取り入れられているのが新鮮でした。幕末に国際港として開港した際に、明確な意図をもってなまこ壁の街並みを作り上げたとのことです。現在では景観創出の手段としてなまこ壁の意匠が用いられるようになっていて、なまこ壁の意匠が氾濫気味だとも感じるのですが。

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 (写真)ペリーロード。

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(左)下田開国博物館。(右)黒船ミュージアム

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(左)銭湯「昭和湯」。(右)カラオケボックス「メモリー」。

 

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 (左)下田市旧澤村邸。(右)安直楼。

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 (左)鈴木邸。(右)雑忠。

 

3. 下田市の映画館

下田市立図書館にある蔵書検索機によると、下田市立図書館が所蔵している『ゼンリン住宅地図』は1990年代が最新なので映画館は掲載されていない……と思い込んでいたのですが、帰宅してからOPACで検索すると1975年版を所蔵していたらしい。なんで気づかなかったんだろう。

静岡県立中央図書館は1971年版や1973年版や1976年版や1980年版の『ゼンリン住宅地図』を所蔵しているので、1970年代後半まであった黒船センターと三幸館は住宅地図に掲載されていそうです。下田湊座と白浜座については掲載されていない可能性が高いです。5月にはいちど静岡県立中央図書館を訪れて、住宅地図から映画館の一斉捜索を行いましたが、次に訪れる際は伊豆半島自治体の映画館について調べます。

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3-1. 下田湊座(-1969年)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町黒船通(1969年)
開館年 : 1884年4月19日
閉館年 : 1969年8月26日

開館年と閉館年はいずれも、土橋一徳『下田年表 平成16年版』土橋一徳、2004年。この『下田年表 平成16年版』では白浜座や黒船センターや三幸館の言及はない。「黒船通」がどの通りのことなのかは不明だが「銀座通」のことかも。

 

3-2. 白浜座(-1970年代初頭)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜1778(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

下田市街地ではなく白浜海岸にあったと思われる。現在の「下田市白浜1778」には民家らしき建物が建っている。

 

3-3. 下田黒船センター(-1970年代後半)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町白浜黒船通(1969年)、静岡県下田市3-1-4(1976年)
開館年 : 1963年以後1966年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前

下田黒船センターの正確な跡地は不明。ただし「マックスバリュエクスプレス下田銀座店」があるブロックが「下田市3丁目1番」であり、マックスバリュの所在地は「下田市3丁目1番4号」であることから、黒船センターはマックスバリュの敷地にあった可能性が高い。

 

3-4. 三幸館(-1970年代後半)

所在地 : 静岡県賀茂郡下田町銀座通(1969年)、静岡県下田市2-11-20(1976年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1976年以後1980年以前

三幸館の正確な跡地は不明。ただし「下田市中央商店街駐車場」があるブロックが「下田市2丁目11番」である。このブロックの中で映画館跡地である可能性がいちばん高い施設は下田市商店街駐車場。

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(写真)映画館跡地の可能性がある下田市中央商店街駐車場。

hekikaicinema.memo.wiki

www.google.com

 

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(左)往路で使った8000系電車。(中・右)復路で使った特急スーパービュー踊り子号。

 

各務原市川島ほんの家を訪れる

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 (写真)川島ほんの家が入っている川島会館。

 2019年6月、岐阜県各務原市にある各務原市川島ほんの家を訪れました。

 

 

1. 旧川島町を訪れる

岐阜県各務原市(かかみがはらし)は岐阜市の東側に位置する自治体。2004年に羽島郡川島町を編入合併しています。

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(地図)愛知県から見た各務原市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1-1. 全域が川に囲まれている町

羽島郡川島町は木曽川に囲まれた自治体でした。この地域で木曽川は本流、北派川(ほっぱがわ)、南派川(なんぱがわ)の3派に分かれており、北派川で岐阜県各務原市岐阜県羽島郡笠松町と、南派川で愛知県一宮市や愛知県江南市と接していました。町域は木曽川本流で分断されており、町役場などがある南側と北側の笠田地区の間には、川島大橋と平成川島大橋が架けられていました。

川島町が各務原市編入された2006年時点で愛知県の自治体との間に架かっていた橋梁は河田橋、渡橋、思いやり橋の3本。岐阜県自治体との間に架かっていた橋梁はもぐり橋の1本でした。合併時点で各務原市と川島町を直接結ぶ橋梁はなく、各務原大橋が架けられたのは2013年になってからです。

近世以後のこの地域はずっと美濃国/岐阜県に含まれているものの、地理的には愛知県の一部のようなものであり、愛知県一宮市名鉄一宮駅からは1時間に2本のバスが運行されています。2018年に名鉄バスで旧川島町を訪れたこともありますが、今回は名鉄一宮駅から約9kmを自転車で走りました。

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 (地図)旧川島町に架かっている橋梁。©OpenStreetMap contributors

 

1-2. 旧川島町の渡船 

旧川島町の中央部には「V」字型に県道が通っており、各務原市役所川島支所、各務原市立川島小学校、各務原市立川島中学校などの公共施設の多くは「V」字の内側にあります。東側の県道を北端まで進むと木曽川松倉渡船場跡(松倉の渡し)がありました。木曽川本流を渡船で渡ってからまっすぐ北に進むと、1963年(昭和38年)に各務原市となった那加町の市街地があります。

1962年(昭和37年)には木曽川本流に川島大橋が架けられ、松倉の渡しは下流側の笠田の渡しとともに廃止されたとのこと。川島大橋の架橋からまだ57年。わずか2世代前まで渡船が唯一の交通手段だったなんて信じられません。 

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(左)木曽川本流。松倉の渡しがあった地点。(右)松倉の渡しの説明看板。

 

「V」字の北東端には木曽川松倉渡船場跡がありますが、北西端にあるのが川島会館です。堤防道路のすぐ南側に4階建ての建物が建っており、木曽川の河川敷は川島会館の駐車場としても使用されています。建物近くには「三斗山島の跡」碑がありますが、三斗山とは木曽川本流の中州にあった地区のことで、大正時代の河道改修で全戸移転となったようです。1891年(明治24年)の地形図には「松原嶋三斗山」という集落が掲載されていますが、木曽川の河道は現在とは異なりすぎていて当時の姿が想像できず、郷愁を感じることはできませんでした。

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(左)河川敷にある川島会館駐車場。右は川島会館。(右)「三斗山島の跡」と川島会館。

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(地図)明治24年のこの地域の地図に現在の木曽川の河道・県道・高速道路を追加。今昔マップ on the webを加工。

 

 

2. 川島会館を訪れる

2-1. 川島ほんの家

川島会館の3階に公共図書館各務原市川島ほんの家」があります。川島ほんの家は羽島郡川島町時代の1983年(昭和58年)4月21日開館。ワンフロア型で床面積は670m2です。岐阜県の町立図書館としては比較的早かったのではないかと思われ、開館を報じる中日新聞の記事には「県下でも指折りの立派な図書館」と書かれていますが、この言葉に誇張はないでしょう。当時の川島町の人口は約7900人。1983年時点ですでに書店がない自治体だったそうで、図書館の開館当初は大盛況だったとのことです。

開館当時は一般書1万冊、児童書7000冊、計1万7000冊。現在は一般書5万2000冊、児童書3万1000冊、その他も含めて計9万6000冊。書架の数は開館時のままのように思われ、現在も1983年の写真と変わらずゆったり並んでいます。3階にある図書室の北西方向は大きな窓になっており、本を読みながら木曽川の景色を眺めることができますが、本の退色は気になりました。

雑誌書架は図書室に入る前のロビー部分にありますが、開館当初からこのような配置だったそうです。1983年以前の「文芸書の貸し借りを行うだけの場所」とは異なる、「くつろいで雑誌や新聞を読める場所」であることをアピールするために工夫したのでしょう。

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(写真)図書室の入口外にあるロビー。左は雑誌書架。

 

2-2. 木曽川文化史料館・各務原市空襲資料室・民俗資料室

川島会館の4階には、旧川島町の歴史や経済について学べる木曽川文化史料館があります。気になったのは岡田式渡船の展示。両岸の堤防にワイヤロープを張り、船に結び付けた針金とワイヤロープを滑車で結ぶことで、水流を利用して動力なしに渡河できるという方式です。この地域でも明治末期からは岡田式が用いられていたとのこと。理屈はなんとなくわかりますが、本当に櫂なしに渡河できるのだろうかと思いました。

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(写真)木曽川文化史料館。右は渡船ではなく川漁に用いられていた帆掛船。

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(写真)岡田式渡船の模型。

 

木曽川文化史料館と同一階には各務原空襲資料室と民俗資料室があります。いずれも2018年7月21日に開館したばかりとのこと。各務原市は陸軍各務原飛行場があった関係で、何度も大規模な空襲を受けています。旧川島町も空襲を受けたそうですが、なぜ各務原市本土の各務原市歴史民俗資料館ではなく旧川島町に資料室を作ったのでしょう。

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(左)各務原空襲資料室。(右)民俗資料室。

 

 

3. 旧川島町の映画館

3-1. 川島劇場(-1970年代初頭)

所在地 : 岐阜県羽島郡川島町阿田島(1969年)
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前

羽島郡川島町には川島劇場という映画館があったようですが、映画館名簿以外の文献では言及を確認できていません。1969年の映画館名簿では所在地が川島町阿田島となっています。現在の川島市街地南部は河田町という地名であり、「阿田島」は「河田島」の誤りかもしれません。

 

 

4. 旧川島町を歩く

4-1. ごんぼ積み地区

旧川島町の西部では家屋の基礎としてごんぼ積みと呼ばれる石積みが多用されており、各務原市は旧川島町の「ごんぼ積み地区」を重要な景観資源としています。各務原市によるサイトをみてもごんぼ積みの定義はよくわからないのですが、水害に備えて丸石を高く積んだ石垣のことをごんぼ積みと称しているようです。

民家のそれとはだいぶ異なりますが、旧川島町でいちばん印象的だったのは八幡神社 (各務原市川島渡町) - Wikipediaのごんぼ積み。木曽川南派川の堤防のすぐ内側ということもあって、約3mの高さで大きな丸石の石垣が築かれていました。

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(写真)八幡神社

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 (写真)八幡神社のごんぼ積みの石垣。

 

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(写真4枚)川島渡町にあるごんぼ積みの街並み。

 

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(写真)木曽川南派川に架かる渡橋。旧川島町と愛知県一宮市を結ぶ。左は一宮市にあるツインアーチ138

 

「WikipediaTown沼津#14」に参加する

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(写真)沼津市明治史料館。

 

2019年6月8日(土)、静岡県沼津市沼津市明治史料館で開催された「WikipediaTown沼津#14」に参加しました。

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1. 沼津市明治史料館を訪れる

1. 明治史料館と歴史民俗資料館

1984年に開館した沼津市明治史料館は、沼津市街地から北にやや離れた場所にある博物館。江原素六記念館という愛称を持ち、「江原素六に関する展示」と「沼津市の(近代以降の)歴史に関する展示」の2本立てです。沼津市には1974年に開館した沼津市歴史民俗資料館もあり、こちらは「沼津市の(近世以前の)歴史」を対象としています。

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(左)沼津市明治史料館の入口脇にある江原素六の胸像。(右)江原素六Wikimedia Commonsより。アメリカ議会図書館所蔵。パブリック・ドメイン(PD)。

 

2. 明治史料館がある金岡地区

沼津ICで降りてからは直線距離3kmで標高差100mを下ります。国道1号沼津バイパスに沿ってそびえる洋風建築が明治史料館であり、近くには道路整備と古墳の保存をめぐって揉めている高尾山古墳 - Wikipediaもありました。

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 (左)国道1号沼津バイパス。中央奥に沼津市明治史料館(右)高尾山古墳。

 

沼津市明治史料館の北側には東海道新幹線も通っています。6車線の国道1号沼津バイパスは交通量が多く、ロードサイド店舗も集積していて活気がある地域に見えます。江原素六(1842年-1922年)が生きていた時代はどうだったか。江原素六が沼津を訪れたのは1868年(明治元年)だそうで、その後は死去する1922年(大正11年)まで沼津と東京を行き来していたとのこと。1899年(明治32年)の地形図を見ると、江原素六邸のある場所は駿東郡金岡村の中心部であり、沼津市街地と金岡村の間には水田が広がっていたようです。

1959年(昭和34年)には江原素六邸の土地と建物が沼津市に寄付されました。1964年(昭和39年)には東海道新幹線が開業、1970年(昭和45年)には国道1号沼津バイパスが開通。周辺地域が激変する時代を経ても大正時代の建物が残っていたようですが、その跡地に1984年(昭和59年)に開館したのが沼津市明治史料館です。現代であれば江原素六邸の保存運動などが展開されてもおかしくないですが、1980年代のことなので仕方ないですね。

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(地図)現在の沼津市街地と沼津市明治史料館。©OpenStreetMap contributors

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(地図)明治32年沼津市街地と江原素六邸。今昔マップ on the webより作成

 

2. Code for ふじのくに/Numazuの活動

この日の会場は沼津市明治史料館の2階にある講座室。Code for ふじのくに/Numazuのこれまでの活動報告を聞いた後、Wikipediaウィキペディアタウンの説明を聞きました。沼津市の方に加えて、静岡県内の公共図書館員や行政職員、Code for NerimaやCode for Niigataの方、ウィキペディアンのハロワンドさん、新潟県内の元学校司書の方など約11人が参加されていました。

 

Code for ふじのくに/Numazuはこれまで13回開催したウィキペディアタウンで沼津市内の古墳記事などを編集しており、近年の沼津市でにわかに注目を集めている高尾山古墳 - Wikipediaなどが加筆されています。Code for ふじのくに/NumazuはWikipediaを効果的な情報発信手段であるとして行政に働きかけ、2019年3月以降には沼津市の史跡にQRコードを設置するプロジェクトを進めています。また2019年5月29日には、隣接する裾野市との間でも「Wikipediaを活用した情報発信の推進に係る覚書」を調印し、裾野市でもQRコードなどを用いてWikipedia記事を活用する取り組みを行っています。

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 (左)会場の講座室。(右)沼津市文化財に関するQRコード

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 (写真)Code for ふじのくに/Numazuの活動報告。

www.at-s.com

スマホで名所・旧跡の情報 沼津・神明塚古墳看板に専用コード」『静岡新聞』2019年3月22日

www.city.susono.shizuoka.jp

Wikipediaを活用した情報発信の推進に係る覚書」裾野市、2019年5月29日

 

Wikipediaウィキペディアタウンの説明用スライドには、"広告コスト" や "Wikipedia記事の閲覧数" などの具体的な数字が出てきます。Wikipediaの有用性についてとても説得力のあるスライドです。

わたしは2017年夏に沼津市立図書館を初めて訪れ、沼津尋常小学校の校長を務めた間宮喜十郎 - Wikipediaを新規作成したり、沼津市立図書館 - Wikipediaを加筆したりしました。2018年1月には沼津市立図書館で開催された「WikipediaTown沼津#7」に参加し、天神洞古墳群 - Wikipediaを見学してWikipedia記事を編集しました。WikipediaTown沼津に参加するのは2回目ですが、市民や司書や学芸員や行政を巻き込みながら新しいことを行っているCode for ふじのくに/Numazuにはいつも刺激を受けます。

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(写真)ウィキペディアタウンを開催する意義などのスライド。

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 (写真)ウィキペディアタウンを開催する意義などのスライド。

 

 

3. 明治史料館の見学

Wikipediaウィキペディアタウンの説明の後は、木口学芸員の解説を聞きながら明治史料館の展示を見学しました。木口さんの名前で検索すると、親子で戦争史跡を巡るツアーなどが出てきます。楽しそう。

3階の江原素六コーナーには江原素六邸が復元・移築されています。明治史料館は "鹿鳴館を意図したデザイン" とのことですが、4階建てかつ正方形に近い外観なので、それこそファサードにしか明治っぽさを感じない。

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(写真)3階の展示室。江原素六コーナー。

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 (写真)復元・移築された江原素六邸。

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 (写真)江原素六コーナー。(右)キリスト者である江原素六が愛用していた聖書。

 

江原素六は様々な事業を行ったそうですが、特に製茶の国外輸出や、愛鷹山官有地の払い下げ運動などで功績があるようです。明治30年代の地形図を見ると、金岡村のすぐ北側の傾斜地には茶畑の地図記号が多数あります。江原素六沼津市街地ではなく金岡村に居を構えたのは、愛鷹山官有地の行く末を見届けたかったからでしょうか。

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(地図)明治32年愛鷹山御料地と江原素六邸。今昔マップ on the webより作成

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(地図)現在の沼津茶の産地と沼津市明治史料館。国土地理院 地理院地図

 

この日は江原素六がメインだったため、沼津市の歴史コーナーはさらっと見学。1951年(昭和26年)の沼津市街地にあった商店・会社が掲載された地図がありましたが、この年の沼津市に映画館は6館(沼津第一劇場・セントラル劇場・沼津映画劇場・東海劇場・銀星座・沼津文化劇場)しかなかったようです。映画館名簿によれば、日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)には10館となり、24館の静岡市と浜松市、11館の清水市に次ぐ規模となります。住宅地図などで場所を確定させた映画館については「消えた映画館の記憶地図(全国版) - Google My Maps」に掲載しています。

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 (写真)沼津市の歴史コーナー。(右)1951年の「沼津市中心地商店会社案内図」。沼津文化劇場と沼津第一劇場の文字が見える。

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(参考写真)沼津文化劇場の跡地にある沼津信用金庫本店。

www.google.com

 

 

4. 文献調査とWikipedia編集

近くにあるロイヤルホストで昼食を取り、午後は明治史料館1階にある図書室で文献調査を行ってからWikipediaを編集しました。編集対象記事は江原素六 - Wikipedia(加筆)と沼津市明治史料館 - Wikipedia(新規作成)。沼津市明治史料館の図書室では蔵書検索ができないのが不便でしたが、江原素六に関する文献は沼津市立図書館よりも多いのだろうと思います。

沼津市明治史料館に関する言及を書籍から探すのは難しかった。開館当時の『広報ぬまづ』や教育要覧、静岡新聞記事データベースなどを閲覧すれば、より広い視野で沼津市明治史料館を説明できるかもしれません。

敷地内には沼津兵学校の門柱があったり、よくわからない歌碑があったり、日露戦争の戦役記念碑があったり、沼津城の石垣の一部があったりします。これらについても何かしらの説明を行いたいところです。

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 (左)沼津明治史料館の受付。(右)図書室。

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(左)沼津兵学校の門柱。(中)よくわからない歌碑。(右)「明治三十七八年戦役記念」碑。

 

WikipediaTown沼津の特徴のひとつに、主催者と参加者の境界があいまいなことがある。イベントを企画する側の方はいるけれど、文献調査やWikipedia編集の時間には主催者も参加者に交じって作業を行う。Wikipedia編集が得意なウィキペディアン、文献調査が得意な図書館司書はいるけれど、それらを指導する先生、指導される生徒というほどの立場の差はない。私はウィキペディアンとして他者の編集をサポートしたり、参加者の前で何かを話すこともあるけれど、沼津ではいち参加者として参加できるのが居心地がいいです。2015年5月から2018年12月まで20回開催されたウィキペディア街道プロジェクトも似たような雰囲気でしたね。

 

成果発表後に記念撮影を行って解散。私は沼津市街地に足を運び、沼津文化劇場跡地や沼津シネマ10を見に行きました。

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(写真)成果発表。沼津市明治史料館 - Wikipedia