振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

宇美町の映画館

(写真)宇美町立歴史民俗資料館における勝田線の展示。

2024年(令和6年)9月、福岡県糟屋郡宇美町を訪れました。かつて宇美町には映画館「千日座」「相知会館」「子安座」がありました。「宇美町を訪れる」からの続きです。

 

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1. 宇美町の映画館

1930年の映画館名簿

1930年(昭和5年)の『日本映画事業総覧 昭和5年版』には福岡県の映画館として67館が掲載されています。糟屋郡には宇美町の第三永楽館のみであり、戦前の宇美町糟屋郡の中でも特に栄えていた町だったことが分かります。

同時期の宇美町には宇美駅近くに映画専門館の第三永楽館(→永楽館→千日座)があり、宇美八幡宮近くに芝居小屋の子安座がありました。戦前から映画専門館と芝居小屋の双方を有していた(市ではない)町は珍しいと思われます。

 

1955年の映画館名簿

戦後には多くの町に映画館が開館しました。『全国映画館総覧 1955』は各映画館の設立年が掲載されている点で貴重な映画館名簿ですが、子安座の設立年(1917年6月)や千日座の設立年(1920年10月)は福岡県郡部ではかなり早くて目立ちます。

日本の映画館数がピークを迎えた1960年(昭和35年)の糟屋郡には計14館もの映画館があり、うち宇美町志免町篠栗町、古賀町には複数の映画館がありました。

 

1.1 子安座(1917年6月-1957年)

所在地 : 福岡県糟屋郡宇美町大字宇美(1959年)
開館年 : 1917年6月
閉館年 : 1959年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1917年6月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1959年の映画館名簿では「子安座」。1960年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「宇美八幡宮保育園」。

1897年(明治30年)には福岡市の東中洲に芝居小屋の明治座が建てられ、「九州一の規模の芝居小屋」と謳われました。1917年(大正6年)には宇美町に移築されて子安座となり、芝居の他には活動写真の興行も行っていたようです。

子安座は1957年(昭和32年)に解体され、部材は宇美八幡宮保育園に転用されています。子安座の正確な場所について言及している文献がないのですが、1956年(昭和31年)の航空写真には現在の宇美八幡宮保育園の場所に巨大な建物が写っており、この場所にあったと考えて間違いないようです。子の航空写真を見ると、宇美町宇美八幡宮を中心として発展した町であることが一目瞭然です。

(写真)1956年の航空写真における宇美町の映画館。地図・空中写真閲覧サービス

 

宇美八幡宮保育園は北側と南側の2棟からなり、いずれも1960年代以後に建った木造平屋建に見えますが、子安座の部材が転用された建物が残っているのかどうかはわかりません。

(写真)子安座の跡地にある宇美八幡宮保育園。

 

1.2 相知会館(1955年頃-1963年頃)

所在地 : 福岡県糟屋郡宇美町(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年の映画館名簿では「宇美映劇」。1960年・1963年の映画館名簿では「相知会館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。

 

1.3 千日座(1920年10月-1965年5月)

所在地 : 福岡県糟屋郡宇美町(1963年)
開館年 : 1920年10月
閉館年 : 1965年5月
『全国映画館総覧 1955』によると1920年10月開館。1930年の映画館名簿では「第三永楽館」。1934年の映画館名簿では「永楽館」。1936年・1943年・1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「千日座」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「にしてつストア宇美店」建物南東部。

子安座の写真は文献では確認できませんが、千日座の写真は『新修宇美町誌』などに掲載されています。子安座と千日座の経営者は宇美町議会議員や宇美町助役を務めた吉原源吾でしたが、息子の吉原雅一郎は志免町や古賀町などにも進出し、経営する映画館を7館にまで拡大させています。

(写真)1941年の千日座。

(写真)1939年頃に千日座で『駅馬車』と『水戸黄門廻国記』が上映された際のポスター。

 

千日座が最後に掲載されている映画館名簿は1963年(昭和38年)版ですが、『宇美町誌』や『新修宇美町誌』によると千日座の廃館は1965年(昭和40年)5月とのことです。

千日座の建物は宇美ストアに転用された後、1982年(昭和57年)5月には大型商業施設に建て替えられて寿屋宇美店が開店し、2002年(平成14年)7月には後継店舗のにしてつストア宇美店が開店しています。

(写真)千日座の跡地にあるにしてつストア宇美店。

 

宇美町の映画館について調べたことは「福岡県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(福岡県版)」にマッピングしています。

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