振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

須玉町の映画館

(写真)北杜市すたま森の図書館。

2024年(令和6年)10月、山梨県北杜市須玉町を訪れました。北杜市須玉町を訪れるからの続きです。「ウィキペディアタウン@北杜 須玉町編」に参加するに続きます。

 

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1. 須玉町の映画館

1.1 栄館(営業年不明)

所在地 : 山梨県北巨摩郡若神子村
開館年 : 不明
閉館年 : 不明
各年版の映画館名簿には掲載されていない。

各年版の映画館名簿からは、須玉町若神子(旧・若神子村)に映画館があったことは確認できません。

しかし、ウィキペディアタウンの際には「かつて若神子に映画館があり、建物が現存している」という情報を得ました。『須玉町史 民俗編』は若神子にあった栄館という施設に言及しており、若神子にあった映画館というのは栄館のことなのでしょう。なお、栄館が存続した時期については全く記述がありません。

(写真)栄館に言及している『須玉町史 民俗編』須玉町、2002年。

 

なお、『若神子村誌』には娯楽施設として須玉会館なる施設が掲載されています。栄館と須玉会館が同一施設かどうかは定かでありません。

(写真)須玉会館に言及している『若神子村誌』若神子村、1955年。

 

情報をくれた方によると、栄館があったのは平賀源信の墓があるブロックの南端部であり、佐久往還から路地を東に3軒分入った場所にあります。2007年(平成19年)の航空写真にも巨大な建物が写っています。

(写真)栄館が写る2007年の航空写真。地理院地図

 

情報をくれた方と栄館の建物を観に行きましたが、残念ながら更地になっていました。航空写真やGoogleストリートビューによると、2007年(平成19年)から2012年(平成24年)の間に取り壊されてしまったようです。栄館があったのは南北に長い不整形の土地であり、路地に南面していました。

(写真)栄館跡地の更地。

 

1.2 穂足商工会館(戦後)

所在地 : 山梨県北巨摩郡穂足村(1958年)
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1958年頃
1957年の映画館名簿には掲載されていない。1958年の映画館名簿では「穂足商工会館」。1959年の映画館名簿には掲載されていない。

日本の映画観客数がピークを迎えたのは1958年(昭和33年)です。『映画便覧 1958』には北巨摩郡に穂足商工会館なる映画館が掲載されています。

自治体名については記載漏れしていますが、須玉町穂足地区(旧・穂足村)と考えてよさそうです。穂足商工会館はこの年度版にしか掲載されていないため、基本的には穂足地区の商工会が建設した商工会館であり、映画人気が最も高かった1958年(昭和33年)頃の一時期のみ、常時映画上映を行う施設に転換していたと考えられます。

『映画便覧 1958』から似たような名称の映画館を探すと、大月市の七保農協劇場、東八代郡富村の豊富文化会館、西八代郡下部町の常葉公会堂と古関公会堂、南巨摩郡身延町の下山会館や身延会館や身延商工会館中巨摩郡竜王町竜王文化会館と、山梨県内だけでも多数見つかります。

(写真)穂足商工会館が掲載されている『映画便覧 1958』時事通信社、1958年。

 

北杜市須玉町の映画館について調べたことは「山梨県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(山梨県版)」にマッピングしています。

hekikaicinema.memo.wiki

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