(写真)久野為和邸。
2022年(令和4年)11月20日(日)、愛知県東海市加木屋町にある久野邸(くのてい、久野為和邸)を訪れました。愛知淑徳大学 永柳ゼミが一般公開見学会を主催しています。
1. 久野邸を訪れる
1925年(大正14年)に久野淗之助(くのきくのすけ)が建築したのが久野邸。久野淗之助は早稲田大学哲学科で学び、明倫中学(現・愛知県立明和高校)で教鞭を執った教育者でした。もとは同じ加木屋の早川家の生まれであり、久野家には養子に入っています。
(写真)『知多宝鑑』春秋新報社、1926年。愛知県図書館所蔵。
久野邸の設計は教育者の西村伊作 - Wikipedia。和歌山県新宮市で西村の自邸や旧チャップマン邸を見てから、建築家ではないこの人物が設計した邸宅が気になっていました。
(写真)久野邸の場所。地理院地図
(写真)久野邸の間取り図。『愛知県の近代化遺産』愛知県教育委員会、2005年。
1.1 和室(1階)
1930年(昭和5年)に愛知県で陸軍大演習が行われた際には、久野邸が東久邇宮稔彦王少々の御座所として用いられたとのこと。1階が和室、2階が洋室になっています。
(写真)1階。
(写真)1階。
1.2 洋室(2階)
2階の洋室では久野邸や西村伊作に関するパネル展示が行われていました。
(写真)2階。
(写真)2階。
(写真)2階。
(写真)2階。
(左)階段。(右)玄関。
(写真)照明。
1.3 庭園
正門(哲学の門)は丸石を積み上げて作ったもの。久野淗之助は早稲田大学文学部で西洋哲学を学んでおり、「丸と思っていたものが実は四角であり、四角であるものが実は丸であるというのが哲学である」との思いから丸石で四角い門を作ったようです。久野淗之助は1970年(昭和45年)頃にギリシャを旅行しています。
(写真)外観。
玄関から芝生の庭に出る場所には擬木の門があり、名古屋市の揚輝荘にある擬木と同じくらい古いようです。
(写真)入口。(写真)擬木の門。
(写真)芝生の庭。
邸宅の正面には芝生の庭があり、その西側には心字池を持つ日本庭園があります。寛文4年(1664年)頃に作庭されたそうで、初代久野善右衛門が植えたと伝わるクスの大木もあります。
(写真)日本庭園。クスの大木。
日本庭園の中央部、奥座敷に向かう場所には淗之助の門があります。
(左)淗之助の門。(右)日本庭園と奥座敷。