(写真)すみだ北斎美術館。
2022年6月18日(土)、東京都墨田区のすみだ北斎美術館で開催された「第1回ウィキペディアタウンすみだ」に参加しました。
1. イベント概要
主催はWikipediaTownすみだ実行委員会(仮)、協力としてすみだすみすみほりおこし隊(すみほり隊)、有志のウィキペディアン。すみほり隊とはすみだガバナンスリーダー養成講座が基になった有志の集まりだそうです。会場はすみだ北斎美術館にある講座室であり、ガラス張りの開放的な空間でした。
スケジュール
10:00~10:10 主催者挨拶(すみだ北斎美術館)
10:10~11:00 まちあるき(江島杉山神社)
11:00~12:00 ウィキペディア説明 or ウィキペディア編集(すみだ北斎美術館)
12:00~13:00 昼食
13:00~15:00 ウィキペディア編集(すみだ北斎美術館)
15:00~15:30 成果発表(すみだ北斎美術館)
セミクローズドなイベントだったため参加者は図書館界隈の方が多く、墨田区立図書館の方、都内や京都府の学校図書館の方、都内の専門図書館の方、図書館活動をしている方、ウィキペディアン、ウィキペディアサークルの方などがいました。私はウィキペディアンとして参加しています。運営スタッフは講師2人を含めて6人、参加者は13人、取材1人、計20人が参加したようです。
(写真)主催者挨拶。
2. まちあるき
まちあるきの目的地は江島杉山神社。Googleマップによるとすみだ北斎美術館からの距離は1.3km、徒歩17分の場所です。参加者の年齢層が若かったのでさくさく歩いて到着。神社に関する説明を受けた後、5~10分程度設けられた自由時間に境内を散策しました。2021年(令和3年)11月にはやはり江島杉山神社を対象とするプレイベントが開催されており、プレイベントから連続での参加者が多かったせいか、神社に関する説明や自由時間はだいぶあっさりしていた印象。
私は事前にWikimedia Commonsにおける江島杉山神社のカテゴリー(Category:Ejima-Sugiyama Shrine - Wikimedia Commons)をチェックし、誰もアップロードしていなかった玉垣の写真や洞窟内の写真を撮りました。江戸時代に活躍した鍼灸師の杉山和一を祀る神社だけあって、国際鍼灸専門学校同窓会、文京鍼研究会、東洋はり医学会、鍼光会、漢方鍼医会など鍼灸に関する組織の名が刻まれた玉垣が多数ありました。
ガイドの方に聞いてみると、江島杉山神社は氏子がいる神社ではなく、千歳地域には別に氏神があるとのこと。東京都神社庁における墨田区の神社の一覧を見ても、墨田区千歳の神社として初音森神社の名前がありますが、江島杉山神社の名前はありません。玉垣に刻まれた組織の分布を地図に起こし、氏神である初音森神社の信仰範囲と比較すれば、江島杉山神社の特徴が可視化できて面白そう。
(左)ガイドの説明を聞く参加者。(右)鍼灸関係の組織の名が刻まれた玉垣。
3. ウィキペディア説明
講師という立場でウィキペディアに関する説明を行ったのは、ウィキペディア日本語版の管理者でもある利用者:Araisyohei - Wikipedia(あらいしょうへい)さん。ウィキペディアの基本的なルールや、ウィキペディアタウンというイベントの意義について説明を受けました。
(写真)Araisyoheiさんによるウィキペディアの説明。
(写真)Araisyoheiさんによるウィキペディアの説明。
Araisyoheiさんから説明を聞いた後、ウィキペディア編集初心者は2グループに分かれて軽いワークショップを行い、出典に基づいたウィキペディアの文章の書き方を教わっています。
(写真)ワークショップ中の参加者。
(左・右)ワークショップ中の参加者。
昼食は参加者が各自で。主催者によって作成されたランチマップが配布されたので、すみだ北斎美術館から徒歩5分のイタリア料理店 オステリアデコに行きました。
(写真)オステリアデコ。
4. 常設展見学・墨田区講座
午後のイベントはやや複雑な構成。講座室の後方では参加者が興味の対象に応じて「江島杉山神社」「すみだ北斎美術館」「すみだトリフォニーホール」「その他」の4グループに分かれ、グループごとにウィキペディア記事の編集を行いました。
講座室の前方では五味和之さん(すみだ北斎美術館元学芸員)によるミニ講座「北斎とすみだ」が開催され、すみだ北斎美術館の常設展を見学した後、北斎が生まれ育った墨田区に関する講義を聞きました。
(写真)すみだ北斎美術館の常設展示室。
(左・右)すみだ北斎美術館。
五味さんによる墨田区の歴史の講義はとても面白かった。午後のメインはウィキペディアの編集でしたが、つい五味さんの話に聞き耳を立ててしまいました。
(写真)五味さんによるミニ講座。
5. ウィキペディア編集
今回の参加者は図書館界隈の方が多く、また一般参加者のウィキペディアンも複数いたことで、講師であるAraisyoheiさんは手持無沙汰そうでした。
他の方の編集記事
弥勒寺 (墨田区) - Wikipedia(加筆) - 杉山和一の菩提寺。
隅田川両岸景色図巻 - Wikipedia(新規作成) - すみだ北斎美術館の所蔵物。
立花大正民家園 旧小山家住宅 - Wikipedia(新規作成)
隅田川 - Wikipedia(加筆)
準備された文献には『東京人』や『散歩の達人』や『芸術新潮』などが並んでいましたが、書籍よりも雑誌が多かったのが新鮮。ウィキペディアタウンでは自治体史など厚くて重い文献が並ぶことが多いのですが、"美術館" や "音楽ホール"という今回の題材ならではの、さらに運営側に図書館司書がいるイベントならではの文献準備だと思います。一般的な蔵書検索ではなかなか引っかからない文献ばかりだと思いましたが、どういう検索をするとこれらの文献を発見できるんだろうか。
文献の一覧はGoogleスプレッドシートで参加者に配布されています。これがあるとイベント後に文献情報の統合などを行うのが楽です。
(写真)事前に準備された文献。
(左・右)事前に準備された文献。
(写真)事前に準備された文献の一覧(※一部)。
(写真)ウィキペディア編集中の参加者。
私は1980年代まで錦糸町にあった娯楽街「江東楽天地」に興味を持っていたため、自宅である程度完成させた記事を持参してイベント中に投稿しました。題材としてはひとつですが、結果的には5記事を新規作成して2記事を加筆しています。
私の編集記事
江東楽天地 - Wikipedia(新規作成)
東京楽天地 - Wikipedia(加筆) - 江東楽天地を運営していた企業。
江東劇場 - Wikipedia(新規作成) - 江東楽天地にあった映画館。
本所映画館 - Wikipedia(新規作成) - 江東楽天地にあった映画館。
キネカ錦糸町 - Wikipedia(加筆) - 楽天地ビルにあった映画館。
吉岡重三郎 - Wikipedia(新規作成) - 東京楽天地社長。
那波光正 - Wikipedia(新規作成) - 東京楽天地社長。
「江東楽天地」や「東京楽天地」の軸となる文献は愛知県図書館が所蔵している『東京楽天地80年史』(東京楽天地、2017年)。この文献で記事の骨格を作成し、他の文献で肉付けしていきました。
(写真)『東京楽天地80年史』。
もうひとつ重宝した文献が『江東楽天地二十年史』(江東楽天地、1957年)。2018年時点で公表後50年が経過した団体名義の著作物であるため、日本の著作権法では著作権が切れています。このため国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービス資料となっており、自宅のパソコンからも閲覧することができました。とはいえ、大部分は事前に墨田区立緑図書館でコピー済でした。
(写真)1938年の開業時の江東楽天地。『江東楽天地二十年史』。
2022年(令和4年)春には朝日新聞のデータベースである聞蔵Ⅱビジュアルがリニューアルされて朝日新聞クロスサーチとなりました。朝日新聞クロスサーチは昭和時代の朝日聞記事も検索/閲覧できるようになったため、1938年(昭和13年)に江東楽天地が開業した際の広告なども発見できました。江東楽天地の歴史の古さを示すための説得力が増す文献だと思います。
(写真)1938年の開業時の江東楽天地の新聞広告。『東京朝日新聞』1937年12月3日夕刊。
1953年(昭和28年)5月上旬号から1959年(昭和34年)4月下旬号までの約6年間、映画雑誌『キネマ旬報』には全国各地域の映画館事情を取り上げた連載「新・盛り場風土記」が掲載されました。1954年(昭和29年)8月上旬号では江東楽天地が取り上げられており、当時の娯楽街の匂いを感じることができます。
(写真)「新・盛り場風土記 江東楽天地」『キネマ旬報』1954年8月上旬号。
2022年(令和4年)5月には国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスが開始されました。江東楽天地は1950年代~60年代にピークを迎えた娯楽街であるため、国立国会図書館デジタルコレクションとは親和性が高い。大宅壮一『僕の日本発見』(中央公論社、1957年)などいくつもの文献を見つけることができました。大宅壮一による評論の一部は江東楽天地の記事に引用しています。
(写真)大宅壮一『僕の日本発見』中央公論社、1957年。国立国会図書館デジタルコレクション。
(写真)『コンサイス東京区分地図帖』日地出版、1960年。国立国会図書館デジタルコレクション。
主催者には事前に「江東楽天地について書く」と伝えていました。基本的には自宅で記事を完成させていましたが、「特集小林一三って」が掲載されている『東京人』(1998年5月号)など、自力では入手できなかった文献も準備してくださっていました。ありがたい。
(写真)「特集小林一三って」『東京人』1998年5月号。
ウィキペディアンとしてアウトリーチ活動に参加するようになって、ウィキペディアの限界も感じるようになりました。例えばウィキペディアに用いる画像は日本だけでなくアメリカの著作権法の制約も受けるため、日本の著作権法でパブリック・ドメインになっている画像でもウィキペディアに掲載できない場合があるのです。
ウィキペディアにこだわらずに情報を後世に伝えるため、2022年(令和4年)5月には江東楽天地の映画館について個人ブログ「墨田区の映画館(楽天地) - 振り返ればロバがいる」にまとめました。また、個人ブログに取り込みづらい情報も含めて、江東楽天地に関するあらゆる情報は個人サイト「墨田区の映画館 - 消えた映画館の記憶」に貯めこんでいます。
江東楽天地は40年前に姿を消した娯楽街ですが、運営スタッフや参加者の中でも年配の方と話せば、確実に想い出を聞くことができる娯楽街です。しかし、図書館からウェブへの情報の移行がうまくいっていない題材でもあり、誰かが伝えていかないと失われてしまう情報だとも思っています。
ウィキペディアの編集にしても、個人ブログの投稿にしても、個人サイトの作成にしても、私は個人での活動が主軸であり、アウトリーチ活動を行う他のウィキペディアンとはやや性格が異なるかもしれません。他者からの評価にとらわれることなく、この先も自分が大事だと思った活動に取り組みたいと思います。
(写真)現在の楽天地ビル。
6. 成果発表
ウィキペディアの編集時間は13時から15時までの2時間。自分の編集やミニ講座の参加で忙しかったため、他の方の編集過程は追っていませんが、全員が何かしらの成果を上げたようです。
成果発表に対する講評がほとんどなかったのは気になりました。墨田区ではプレイベントに次いで2回目のウィキペディアタウンであり、3回目も予定されているようです。また、江島杉山神社についてはプレイベントでも編集している記事でもあります。今回の参加者は地域の方ではなく図書館界隈の参加者が軸でした。"楽しさ" や "達成感" を目的にしつつも、異なる目標を設定してもよいのではないかと感じました。
主催者の方々が控えめだったのもやや気になりました。例えば今回のイベントでまちあるき場所となったのは江島杉山神社ですが、なぜこの神社を見学するのか、なぜこの神社をウィキペディアに書くのか。たまたま選んだわけではないのは主催者の方々と話していてわかりましたが、(ウィキペディア講師ではなく)主催者の側からもこの題材を選んだ意図の説明があるとよいと思いました。
(写真)成果発表。