振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

刈谷市郷土資料館を訪れる

(写真)刈谷市郷土資料館。

2022年(令和4年)4月、愛知県刈谷市刈谷市郷土資料館を訪れました。

 

1. 屋外展示

刈谷市郷土資料館は屋外にも様々な展示物があります。ひときわ目立つのは下町の常夜灯。もとの所在地は八幡町交差点の南であり、刈谷市教育委員会による「下町常夜灯跡」という説明版があります。

(写真)道標と下町の常夜灯。

 

敷地西側の庭園には高須先生遺徳碑と黒田先生遺徳碑が建立されています。

高須鉈吉(たかすなたきち、元治元年〈1864年〉4月23日 - 大正15年〈1926年〉8月1日)は、三河国碧海郡刈谷出身の教育者。1882年(明治15年)、愛知県師範学校の卒業後に刈谷尋常小学校に訓導として赴任した。1901年(明治34年)には富山県礪波郡視学に栄転し、1904年(明治37年)には山口県豊浦郡視学となった。1912年(明治45年)には初代校長の黒田定衛の後任として、刈谷町立亀城尋常小学校の校長に就任した。1923年(大正12年)に退任し、1926年(大正15年)に死去した際には町葬が行われた。---刈谷町誌編纂会『刈谷町誌』刈谷町、1932年から抜粋

(左)石灯籠。(右)高須先生遺徳碑と黒田先生遺徳碑。

 

刈谷市郷土資料館の敷地と道路の間には、1928年(昭和3年)に亀城尋常小学校本館が建設された際のものだというレンガ塀が残されています。刈谷市郷土資料館は鉄筋コンクリート造であり、当時としては異質な建物と道路のバランスを取るためにレンガ塀なのでしょうか。

(写真)レンガ塀。

 

入口右側には刈谷市で最後まで残っていた丸型ポストが展示用に移設されています。元の場所に設置されたのは1967年(昭和42年)6月であり、刈谷市郷土資料館に移設されたのは2018年(平成30年)10月。箱型ポスト(角型)が登場したのは1970年(昭和45年)のことであり、丸型ポストとしては遅い設置だったのが最後まで残った要因だろうか。

もとの設置場所は富士見町交差点の北東であり、現在は後継の箱型ポストが設置されています。すぐ近くの高校に通ってたのに丸型ポストの存在には気づいてなかった。

(写真)丸型ポスト。

 

建物の設計者は刈谷町に事務所を置いていた大中肇 - Wikipediaであり、大中は鉄筋コンクリート造を得意として建築家です。愛知県における同時代の鉄筋コンクリート造建築としては、鈴木禎次の旧名古屋銀行一宮支店(1924年)、旧名古屋銀行本店(1926年)などが現存していますが、冷たく無機質な雰囲気を感じさせる鈴木禎次の建物とはかなり印象が異なります。

(写真)廊下。

(左)階段室の天井。(右)階段。

 

 

2. 常設展示

2.1 第1展示室(教育)

(写真)第1展示室。

(写真)第1展示室。

(写真)第1展示室。

 

2.2 第2・3展示室(農業)

(写真)第2・3展示室。

 

2.3 第4展示室(商業)

(写真)第4展示室。

(写真)第4展示室。

(写真)第4展示室。

 

映画館跡地

現在も営業している刈谷日劇は、1954年(昭和29年)から1970年(昭和45年)まで150m北にありました。刈谷市駅前商店街の途中から東に入った路地の途中、現在の京極歯科の場所にありました。

(写真)第4展示室。

 

1918年(大正7年)に芝居小屋として開館した大黒座は、戦後に映画専門館となって2012年(平成24年)まで営業していました。元中根交差点から西南西に160m。下の地図の範囲は様相が一変していますが、大黒座の北東の藤村歯科は同一地点で存続しているようです。

(写真)第4展示室。

 

1941年(昭和16年)には刈谷町初の映画専門館として刈谷映劇が開館。2000年(平成12年)に刈谷市の3映画館の中で最初に閉館し、2002年(平成14年)には跡地にマンションのユーハウス第5刈谷が建ちました。

(写真)第4展示室。

 

商店街

新栄町周辺。

(写真)第4展示室。

 

銀座周辺。

(写真)第4展示室。

 

広小路周辺。

(写真)第4展示室。

 

名鉄三河線の高架化工事中、1979年(昭和54年)の刈谷市駅を写した写真が展示されていました。背後には刈谷日劇が入る愛三ビルも写っています。愛三ビルの開業は1970年(昭和45年)、刈谷市駅の高架化完了は1980年(昭和55年)であり、この10年間に写された貴重な写真だと思われます。

(写真)第4展示室。高架化前の刈谷市駅と愛三ビルを写した写真。

(写真)第4展示室。

 

2.4 第6展示室(教室)

(写真)第6展示室。

 

2.5 第7展示室(おもちゃコレクション)

第7展示室は元刈谷市副市長の川口孝嗣さんが収集したおもちゃに関するコレクションと映画ポスターです。

(写真)第7展示室。

 

刈谷市に存在した3映画館、「東宝」(刈谷映劇)、「日劇」(刈谷日劇)、「大黒座」にも触れられています。

(左・右)第7展示室。

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。

 

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。

(左・右)第7展示室。

(左・右)第7展示室。

(左・中・右)第7展示室。

 

2.6 第8展示室(昭和30年代)

(写真)第7展示室。

(写真)第7展示室。