2022年(令和4年)4月、岐阜県海津市南濃町の石津地区を訪れました。かつて石津地区には映画館「石津劇場」がありました。「海津市平田町野寺の映画館」「海津市海津町高須の映画館」に続きます。
1. 石津地区を訪れる
1.1 石津地区の街並み
石津駅や石津小学校という施設はありますが、海津市に石津町という町名はありません。石津駅があるのは海津市南濃町太田であり、南濃町太田、南濃町安江、南濃町吉田などが石津地区を形成しています。1954年(昭和29年)に合併で廃止された際の自治体名は石津町ではなく石津村でした。
『角川日本地名大辞典』で石津村を引くと、岐阜県最大の柑橘産地と書かれています。殖産家の伊藤東太夫は1872年(明治5年)にミカンの栽培を開始し、現在も生産されている南濃みかんの礎を築いたようです。
石津御嶽の麓にはきれいな扇状地が形成されており、この扇状地を中心とする山麓でミカンが栽培されています。ミカン産地としては北に位置するために酸味が強く、和歌山県で行われている「蔵出しみかん」(低温熟成して酸味を抜く保存方法)にも取り組んでいるようです。
養老鉄道養老線石津駅付近から揖斐川を越える海津橋の西詰まで、約700mに渡って商店が点在する石津商店街が形成されています。南側ではまず太田稲荷神社の鳥居が目につきます。複数ある鳥居が塗りなおされたのは2020年(令和2年)以降のようです。
(写真)石津地区の街並み。右は太田稲荷神社の鳥居。
和菓子屋ひさごやがある角はこの商店街の中心という雰囲気があります。ひさごやの前で商店街がカーブしていて見通しが悪い。かつてひさごやの数軒北には映画館「石津劇場」もありました。
(写真)石津地区の街並み。左は和菓子屋ひさごや。
(写真)石津地区の街並み。
(写真)石津地区の街並み。右は真野商店。
(写真)石津地区の街並み。左はみのや南濃石津店。
中央部には石津御嶽登山道と書かれた碑がありました。ここから西に向かうと標高629メートルの石津御嶽に登ることができ、南にある多度山を経由して下る縦走ルートもあるようです。
(写真)石津地区の街並み。右は石津御嶽登山道の碑。
1.2 石津地区の建物
太田稲荷神社の参道入口の鳥居の脇には、スーパーマツザワの廃店舗があります。現在も石津商店街に食料雑貨店はありますが、生鮮品がメインの店舗はありません。
(写真)石津稲荷神社の鳥居とスーパーマツザワの廃商店。
(写真)円成寺の南東にある立派な蔵を持つ民家。
和菓子屋ひさごやのすぐ東には、多数の二階縁を持つ民家があります。(下の写真では見えていない)東側ファサードも変わっていますが何かの店舗だったのでしょうか。その北にある理容寺村は和風建築の一部を洋風に改装してますがバランスがよい。
(写真)ひさごやの東にある民家。
(写真)理容寺村。
尾張屋は建物正面の中央部にたばこガラスケースがある生活用品店。
(写真)書店でもある生活用品店の尾張屋。
(写真)石津駅舎のすぐ北にある民家。
(写真)1932年の海津橋竣工と同年に創業した海津橋饅頭本舗。
1.3 石津地区の寺社
石津駅の南西には旧郷社の杉生神社があります。Google検索では「すぎおい」という読み方も出てきますが、海津市に問い合わせたら「すぎお」と読むのだそう。石津商店街から西に向かって参道が伸びており、参道の途中を養老鉄道の線路が横切っています。「杉生神社のヒトツバタゴ」は海津市指定天然記念物、「杉生神社のケヤキ」は岐阜県指定天然記念物です。
(写真)杉生神社。参道を養老鉄道の線路が横切る。
(左)杉生神社の社殿。(右)杉生神社のケヤキ。岐阜県指定天然記念物。
杉生神社より石津商店街の中心に近い神社として太田稲荷神社があります。塗りなおされたばかりの鳥居や赤白ののぼりが目立ち、ひっそりした杉生神社とは雰囲気が異なります。
(写真)太田稲荷神社。
(左)太田稲荷神社の境内。(右)太田稲荷神社の参道入口。
太田稲荷神社の東隣には曹洞宗の円成寺。願海寺と比べると規模は小さいのですが無住ではないようで、宝暦治水工事に携わった薩摩藩士の墓(石津薩摩工事義歿者の墓)があります。
(写真)円成寺。右は「石津薩摩工事義歿者の墓」碑。
石津商店街の中央より北には梁間7間の立派な本堂を持つ真宗大谷派の願海寺があります。
(左・右)願海寺。
2. 石津地区の映画館
2.1 石津劇場(1955年頃-1963年頃)
所在地 : 岐阜県海津郡南濃町石津(1963年)
開館年 : 1955年頃
閉館年 : 1963年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1956年・1957年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「石津劇場」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は和菓子屋「ひさごや」北北西50mにある民家。
映画館名簿には1955年版から1963年版まで石津劇場が掲載されています。映画館名簿で掲載が確認できる最終年の『映画便覧 1963』によると、経営者は佐藤浜吉、支配人は佐藤新吉。映画館名簿では建物の構造が一貫して鉄筋造&定員600となっていますが、当時の農村部で鉄筋造の映画館は珍しく、掲載された内容の正確性には疑問が残ります。
(写真)『映画便覧 1963』時事通信社、1963年。
映画館名簿では所在地について南濃町石津としかわかりません。和菓子屋 ひさごやの主人(1946年生まれ)に話を聞いたところ、
「私の子どもの頃、昭和20年代の石津にはすでに映画館があった。名前は石津劇場である。ひさごやの2軒北には広場のような空間があり、この広場の奥まった場所にあった。映画館の閉館後には自動車整備工場に転用され、つい数年前までは建物が残っていた」とのこと。
確かに映画館が営業していた1959年(昭和34年)と半世紀後の2009年(平成21年)の航空写真には同一と思われる建物が写っています。
「ある程度大きな町にはどこにでも映画館があった。駒野(海津市南濃町駒野)にも千代乃食堂のあたりにあったし、高須(海津市海津町高須)にもあった」とのことです。跡地には住宅やガレージが建っています。
(写真)石津劇場跡地。左のガレージや中央奥の住宅。
(写真)2009年の航空写真における石津劇場の建物。地図・空中写真閲覧サービス
(左)話を聞いた和菓子屋 ひさごや。売りは栗菓子。(右)ひさごやの銘菓「いしづ野」、「いしづ栗」、「南美濃」。
海津市石津地区にあった映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。