(絵図)吉田初三郎『ぬま津』沼津市、1931年。
2022年(令和4年)1月、静岡県沼津市を訪れました。写真は主に2020年(令和2年)3月に撮影したものです。「沼津市の映画館(1)」、「沼津市の映画館(2)」、「沼津市の映画館(3)」に続きます。
1. 沼津市を訪れる
1.1 沼津仲見世商店街
沼津市には全蓋式アーケード商店街として沼津仲見世商店街があります。太平洋戦争中には沼津大空襲に遭った沼津市において、特に戦後に発展した全長250メートルの商店街です。全蓋式アーケードが設置されたのは1961年(昭和36年)、アーケードがリニューアルされたのは1982年(昭和57年)です。2020年(令和2年)には旧国一通り(静岡県道380号)以南の90メートルのアーケードが撤去されています。
(写真)アーケード北端部。イーラde南。2020年3月。
(写真)アーケード内部。2020年3月。
(写真)旧国一通りに面するアーケード南端部。2020年3月。
1.2 沼津アーケード名店街
空襲に遭わなかった三島市とは異なり、沼津市では大規模な戦災復興土地区画整理事業が行われました。1954年(昭和29年)に沼津本通防火建築帯として建設されたのが沼津アーケード名店街です。公式サイトでは「日本で初めてのアーケード建築」とあり、「有階アーケード」という表記も用いられています。
(写真)沼津アーケード名店街の北端部。2020年3月。
(写真)沼津アーケード名店街の中央部。2020年3月。
建物の1階部分道路側が歩道用地となっており、歩道上に2階・3階部分がせり出した個性的な建築物が連続。築70年近くなった建物は老朽化が進行しており、かなりの店舗がシャッターを閉じたままとなっています。一部の建物はすでに取り壊されてマンションなどになっており、その他の部分も再開発に向けた検討が行われているとのことですが、竣工時の建物がまとまって残っているのが美しい。
設計は建設工学研究会の池辺陽や今泉善一ら。モダニズム建築としての価値が高く評価され、2018年(平成30年)には「DOCOMOMO JAPAN選定 日本におけるモダン・ムーブメントの建築」に選定されています。
(写真)沼津アーケード名店街の中央部。2020年3月。
(左)沼津アーケード名店街の東側。2020年3月。(右)沼津アーケード名店街の西側。2020年3月。
(写真)沼津アーケード名店街。2020年3月。
(写真)沼津アーケード名店街。2020年3月。
(左・右)沼津アーケード名店街。2020年3月。
2. 沼津市の鳥観図
2.1 吉田初三郎『ぬま津』1931年
吉田初三郎『ぬま津』沼津市、1931年
1931年(昭和6年)には吉田初三郎によって鳥観図『ぬま津』が描かれています。中央を狩野川が流れており、画面左側に沼津市街地が、画面右奥に三島市街地が見えます。後述する『沼津』と比べると構図も道路や建物の表現も洗練されている印象で、『ぬま津』のほうが早い時期に製作されたとは思えないほどです。
沼津市立図書館は『ぬま津』を所蔵していますが、残念ながら白黒印刷の複製でした。
(絵図)沼津市立図書館が所蔵する『ぬま津』。部分。
2.2 吉田初三郎『沼津』
吉田初三郎『沼津』沼津市役所、年不明
吉田初三郎式鳥観図データベースには、『ぬま津』のほかに『沼津』も登録されており、こちらは刊行年不明とされています。1931年(昭和6年)刊行の『ぬま津』と刊行年不明の『沼津』を比較すると、御成橋の形状、沼津港の有無、農学校の表記などに違いがありました。
沼津港が現在の内港の位置にあることから「1933年以後」、御成橋が3連アーチ橋ではない新橋であることから「1937年以後」、香貫山南麓に工業学校があることから「1939年以後」、現在の沼津東高校がまだ旧制中学校であることから「1948年以前」、東京電燈という会社があることから「1942年以前」などと範囲を絞り込んでいくことができます。
参考:『ぬま津』と『沼津』の御成橋の違い