振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

玉城町の映画館

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(写真)玉城町立図書館が入る村山龍平記念館。

2021年(令和3年)11月、三重県度会郡玉城町田丸を訪れました。かつて田丸には映画館「田丸劇場」がありました。

 

1. 田丸を訪れる

1.1 伊勢本街道

伊勢神宮参詣の主要ルートである伊勢街道は松阪-斎宮-山田(伊勢)と通り、斎宮の南5kmにある田丸はルートから外れています。しかし、初瀬街道と熊野街道が合流する場所にある宿場町ではあり、田丸から東に向かう伊勢本街道は小俣で伊勢街道に合流していました。

田丸の街道沿いには何軒かの古い民家が残っており、ひときわ目立つ2軒の建物の軒先には「旅籠扇屋跡」「小林政太郎の生家」という石碑が建っています。小林政太郎は薬屋の家に生まれて柔軟オブラートを発明した人物であり、1923年(大正12年)に川喜田半泥子らとともに「三重県人初の世界一周旅行」をした人物でもあるようです。

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(写真)旅籠扇屋跡。

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(写真)旅籠扇屋跡の石碑。

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(写真)小林政太郎生家。

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(写真)田丸市街地の民家。

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(写真)1924年の地形図における田丸市街地。今昔マップ

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(写真)1963年の航空写真における映画館跡地や勝田町の位置。地図・空中写真閲覧サービス

 

1.2 歓楽街だった勝田町

田丸市街地の南西のはずれには、かつて田丸町遊廓があった勝田町があり、錦花という名称の遊廓建築が現存しています。1930年(昭和5年)の『全国遊廓案内』には「貸座敷には山一楼、いろは楼、錦花楼、金波楼がある」などと書かれています。玉城町出身の作家である外城田川忍は『勝田街山壱楼』(伊勢新聞社、2019年)を著しており、錦花など玉城町や勝田町に実在した建物なども登場します。

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(写真)擬革紙の会。かつての遊廓「錦花」の建物。

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(左・右)擬革紙の会。かつての遊廓「錦花」の建物。

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(左・右)擬革紙の会。かつての遊廓「錦花」の建物。

 

ウェブ上では存在感の薄い遊廓のようですが、玉城町教育委員会が発行した「玉城町屋号マップ」には往時の繁栄の様子や勝田町の街並みが紹介されており、『玉城町史 下巻』には「玉城町屋号マップ」の元となったと思われる地図が掲載されています。

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(写真)勝田町の紹介。「玉城町屋号マップ」玉城町教育委員会。発行年不明。

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(地図)時期不明の勝田町の町並み。「玉城町屋号マップ」玉城町教育委員会。発行年不明。

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(地図)大正末期から昭和初期の勝田町。『玉城町史 下巻』玉城町、2005年。※著作権は切れていません。

 

1.3 村山龍平記念館

玉城町郷土資料館と玉城町図書館を併せ持つ施設として村山龍平記念館があり、主に1階が図書館、2階が郷土資料館となっています。2020年度末の蔵書数は13,174冊、2020年度の入館者数は3,907人、貸出点数は8,869点であり、三重県内の公共図書館の中央館としては最小クラスです。

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(写真)カウンター。

 

郷土資料は窓際の狭い場所に押し込められてしまっていますが、玉城町に関する資料だけは手に取りやすい場所に置かれています。書架の前の面展示、書架側面に貼られた新刊案内など、小さいながらも図書室内はにぎやかな印象でした。

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(写真)書架。

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(左)玉城町に関する郷土資料。三重県の郷土資料は右端の通路。(右)新刊本の案内。

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(写真)村山龍平の銅像

 

 

2. 田丸の映画館

玉城町指定文化財となっている茶室「玄甲舎」の男性に話を聞いたところ、

私は伊勢市出身であり玉城町出身ではないが、(スマホGoogle航空写真を見て)田丸駅のロータリー北東、居酒屋 奈々の背後にある駐車場の辺りに映画館があったようだ」とのことでした。

 

街道沿いにある食料雑貨店「ニュージョイス丸玉」の女性に話を聞いたところ、

私は78歳になるが、17歳から18歳頃の田丸には2館の映画館があった。もう60年も前のことだ。田丸駅からは3方向に道路が延びているが、昔は駅前のロータリーがなく、北東角の場所に『田丸劇場』があった

北西角の食堂(食堂としては廃業している富士屋のことか)の場所にも映画館があり、名前ははっきり覚えていないが『玉城劇場』だっただろうか。この映画館の場所から西に向かう通りが栄えていた。『田丸劇場』とこの映画館の2館はすぐ近くにあった」とのことでした。

 

2.1 大手座(戦前)

玉城町史 下巻』によると、昭和初期の大手町に大手座が開館したとあります。「玉城町屋号マップ」には大手座も描かれているのですが、現在のどの地点に相当するのかは判然としません。戦後には伊勢市の駅裏に移築されたとのことですが、移築後の名称もわかりません。

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(写真)時期不明だが大手座が掲載されている「玉城町屋号マップ」玉城町教育委員会。発行年不明。

 

2.2 名称不明の映画館(戦後)

ニュージョイス丸玉の女性によると田丸劇場とは別に映画館があったようですが、映画館名簿には掲載されていないようで正確な名称はわかりません。田丸駅からまっすぐ西に勝田町に向かう道路の角にあったようです。

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(写真)映画館跡地と思われる建物。

 

2.3 田丸劇場(1958年-1968年頃)

所在地 : 三重県度会郡玉城町田丸(1968年)
開館年 : 1958年
閉館年 : 1968年頃
1958年の映画館名簿には掲載されていない。1959年の映画館名簿では「田丸東映劇場」。1960年・1961年・1962年・1963年・1964年・1965年の映画館名簿では「田丸東映」。1966年・1967年・1968年の映画館名簿では「田丸劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

映画館名簿に登場する玉城町唯一の映画館が田丸劇場です。1960年代前半までの映画館名簿には田丸東映として掲載されていますが東映の直営館ではなく、経営者は藤村武司、定員200の映画館でした。1960年代前半は東映東宝・日活の上映館でしたが、晩年は日活作品のみを上映していたようです。

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(写真)田丸劇場が掲載されている『映画便覧 1967年版』時事通信社、1967年。

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(写真)田丸劇場跡地と思われる月極駐車場。

 

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