(写真)紀伊勝浦駅の駅前。
2021年(令和3年)10月、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の紀伊勝浦を訪れました。「那智勝浦町立図書館を訪れる」「紀伊勝浦の映画館」に続きます。
1. 紀伊勝浦を歩く
1.1 紀伊勝浦駅前
那智勝浦町は和歌山県南部の東牟婁地域にある人口約1万4000人の自治体。紀伊半島の先端よりやや東側にあり、和歌山県の中でも三重県との県境に近い。公共交通機関では紀勢本線で名古屋方面から特急南紀で、同じく紀勢本線で大阪方面から特急くろしおでアクセスできますが、所要時間の点でも本数の点でも不便な地域です。
(写真)和歌山県における那智勝浦町の位置。©OpenStreetMap contributors
駅前本通り
JR紀勢本線紀伊勝浦駅から勝浦漁港に向けて、片側式アーケードがある駅前本通りが延びています。1960年代の航空写真を見ると、漁港側のワンブロック分の場所には建物があり、紀伊勝浦駅から漁港を見通すことはできなかったようです。
(写真)駅前本通り。奥は紀伊勝浦漁港。
いざかた通りアーケード
駅前本通りに平行して全蓋式アーケードのいざかた通りがあり、往時の繁栄を感じさせます。約200mの短い商店街ですが営業している店は多く、目立つ業種としては喫茶店があります。駅前大通りと同じくらいの活気があるように思えました。
(写真)全蓋式のいざかた通りアーケード(駅前いざかた通り)。
(写真)全蓋式のいざかた通りアーケード(駅前いざかた通り)。
(写真)全蓋式のいざかた通りアーケード(駅前いざかた通り)。那智黒の看板。
いざかた通り
観光ガイドマップによると、アーケード南端部から東に延びる通りもいざかた通りという名称であり、アーケードがない通りがいざかた通り、全蓋式アーケードの通りが駅前いざかた通りと表記されています。"いざかた" の漢字表記は"去来潟" であり、かつて干潟だった土地を埋めたてて作った市街地であることに由来するそうです。
(写真)いざかた通り。いざかた通りアーケード南端から東に向かう通り。
(写真)いざかた通りの街路灯。
1.2 紀伊勝浦の産業
勝浦漁港は日本有数のマグロ延縄の漁業基地とされ、生鮮まぐろの水揚げ量では日本一だそうです。なお、遠洋漁業による冷凍まぐろの水揚げは静岡県の清水港が日本一を謳っています。勝浦の漁業を主題とする書籍には『海と紀州勝浦 さんま漁業からマグロ漁業への変遷』南紀勝浦脇仲倶楽部がありますが、和歌山県立図書館などは所蔵していないみたい。
(写真)1929年頃の勝浦漁港におけるマグロの水揚げ。『紀南の昭和』樹林舎、2017年。
(写真)1955年頃の勝浦漁港におけるビンチョウマグロの水揚げ。『紀南の昭和』樹林舎、2017年。
1899年(明治32年)には大阪商船が紀州航路の運航を開始。紀州航路の中で勝浦は和歌浦(和歌山)や田辺と並ぶ主要港だったようです。1927年(昭和2年)には牟婁丸と那智丸が投入され、勝浦漁港には1600トンのディーゼル船が入港しました。写真を見ると桟橋に不釣り合いなほど大きな船が写っています。
長らく海路が勝浦-和歌山間の主要な交通手段だったようであり、勝浦町と和歌山市が国鉄紀勢本線で結ばれたのは1940年(昭和15年)のことです。
(写真)昭和初期の勝浦漁港に停泊する大阪商船の那智丸 。
(写真)昭和初期の勝浦漁港に停泊する大阪商船の那智丸 。
1.3 まちなか資料館 入船館
よみがえれ脇仲倶楽部という市民団体によって、八百屋の空き店舗を利用した資料館・休憩所が開設されています。よみがえれ脇仲倶楽部が脇仲地区のシンボルとしているビン玉(漁業で用いられていたガラス製の浮き球)や、脇仲地区を中心とする紀伊勝浦の古写真が展示されていました。入口脇には郷土資料を集めた書棚もあり、古写真のアルバムが多数ありました。
(写真)まちなか資料館 入船館。
(写真)まちなか資料館 入船館。
(写真)まちなか資料館 入船館。
(写真)まちなか資料館 入船館。
(写真)まちなか資料館 入船館。
2. 紀伊勝浦の地形図・航空写真
1933年(昭和8年)の地形図を見ると、新宮鉄道勝浦駅(現・JR紀勢本線紀伊勝浦駅)は終着駅であり、南の下里に向かって計画線が描かれています。築地地区と脇仲地区の間には現存しない入り江があります。
(地図)1/50000地形図「那智」1933年要部修正測図、1947年発行。部分。ひなたGIS
1960年代の航空写真
1960年代の航空写真を見てみると、駅前大通やいざかた通りアーケードがある築地地区は道路が縦横に規則正しく走っており、人工的に造成された地区であることがわかります。築地地区と脇仲地区の間の入り江は1933年(昭和8年)の地形図から半分程度に縮小しています。
築地地区の北東側には脇仲地区(脇入地区と仲ノ町地区の総称)がありますが、こちらは海岸線に沿って通りが形成されており、かつては公共施設や商店が立ち並んで紀伊勝浦の中心となっていた地区です。
現在の航空写真
現在の航空写真を見ると、築地地区と脇仲地区の間にあった入り江は完全に消滅しています。この入江は1950年(昭和25年)から1966年(昭和41年)に埋め立てられ、1968年(昭和43年)6月にはバスターミナルとなりました。
現在は西武観光バスと三重交通によって東京方面(勝浦-横浜-新宿-池袋-大宮)行の夜行バスが1日1便運行されているようです。京阪神だけでなく首都圏からの観光需要があることに驚きました。
(写真)現在の紀伊勝浦市街地。茶線は全蓋式のいざかた通りアーケード。Google マップ
3. 紀伊勝浦の地図・絵図
『実測 新宮三輪崎勝浦 三町市街図』1911年
(絵図)『実測 新宮三輪崎勝浦 三町市街図』木川貞治、1911年。部分。中央に「宝来ザ」(寿座)。新宮市立図書館所蔵。
『国立公園吉野熊野勝浦温泉』1933年
(絵図)吉田初三郎『国立公園吉野熊野勝浦温泉』勝浦保勝会、1933年。部分。中央に「劇場」(寿座)。吉田初三郎指揮鳥観図データベース
(絵図)吉田初三郎『国立公園吉野熊野勝浦温泉』勝浦保勝会、1933年。全体。吉田初三郎指揮鳥観図データベース
『勝浦町図』1954年
(地図)『勝浦町図』1954年。部分。中央下に「寿座」。入船館所蔵。
(地図)『勝浦町図』1954年。部分。入船館所蔵。