振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

知立市を訪れる

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(写真)知立神社の拝殿。登録有形文化財

2020年(令和2年)、愛知県知立市を訪れました。「知立市の映画館」から分割した記事です。

ayc.hatenablog.com

 

1. 知立市を訪れる

知立市は愛知県の西三河地方にある人口約7万人の自治体。三河国の二宮である知立神社があり、近世には東海道の池鯉鮒宿(ちりゅうしゅく)の宿場町として栄えました。近代以降には東海道に沿って国道1号が建設され、名鉄の2路線が交差する交通の要衝でもありますが、自動車産業の盛んな西三河地方の中では工業化から取り残され、財源に余裕がない自治体でもあります。

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(地図)愛知県における知立市。©OpenStreetMap contributors

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(地図)戦前の知立市街地。『日本職業別明細図』1932年。

 

2. 知立市を歩く

2.1 知立神社

中心市街地の北西端には知立神社 - Wikipediaがあります。式内社三河国の二宮であり、旧社格は県社です。「東海道三大社」(他の2社は三嶋大社熱田神宮)を自称していまが、他の2社と比べると知名度が低いように思われます。

境内には室町時代の永正6年(1509)竣工の多宝塔があり、神宮寺の名残とされています。神社における多宝塔は全国で3棟しかないようで、重要文化財に指定されています。多宝塔の脇にある千人燈は戦前(戦時中?)に建てられた常夜燈のようですが情報が少ない。他地域でも戦時中に常夜燈を建てる文化があるのでしょうか。

境内の西側には近代建築の養生館があります。1885年(明治18年)に知立城址に建てられ、明治用水土功会事務所、愛知工芸学校、知立裁縫女学校として使われた後、1935年(昭和10年)に境内に移築された洋館です。2013年(平成25年)には本殿や拝殿など6の建物が登録有形文化財に登録されましたが、養生館は文化財に登録されることもなく、物置のような状態で今日に至っています。大々的に活用されることはないと思われ、いつかひっそり取り壊されそう。

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(左)知立神社の多宝塔。重要文化財。(右)知立神社の養生館。文化財指定なし。

 

境内の神池には錦鯉が泳いでおり、神池に架かる石橋は知立市指定有形文化財です。知立市 - Wikipediaには鯉や鮒がいた神池が「池鯉鮒」という当て字の由来と書かれていますが、知立市教育委員会御手洗公園付近にあった御手洗池が池鯉鮒という当て字の由来とする説を挙げており、御手洗公園には御手洗池跡の石碑と説明看板がありました。

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(左)知立神社の神池。石橋は知立市指定有形文化財。(右)御手洗池跡。

 

毎年5月2日・3日には知立まつり - Wikipediaが開催されます。「知立山車・文楽」は国指定重要無形民俗文化財であり、ユネスコ無形文化遺産「山・鉾・屋台行事」を構成する33件のひとつでもあります。2020年(令和2年)はコロナ禍の影響で、一部の神事を除いて中止になってしまいました。

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(写真)2019年の知立まつり。(左)知立神社の境内。(右)山車の曳き回し。

 

2.2 旧池鯉鮒宿周辺

知立神社から旧池鯉鮒宿方面に向かうと、知立まつりで山車を披露する5町の山車蔵がありました。旧池鯉鮒宿周辺には古い街並みが残されているわけではないものの、開発から取り残された路地が張り巡らされており、期待せずに歩くと思わぬ拾い物ができるかもしれません。旧東海道を中心としたルートは「新日本歩く道紀行100選」に選定されており、要所に史跡などが記されたルート図が設置されています。

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(写真)知立まつりの山車蔵。本町。東海道に面している。

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(写真)知立まつりの山車蔵。(左)中新町。(中)西町。(右)山町。

 

味のある街並みがもっとも残っているのは、かつて碧海郡役所が置かれていた西町の知立城址周辺です。下の写真には近代の明治天皇駐蹕址、近世以前の了運寺、昭和戦後のカネ幸商店と、3つの異なる時代の建造物が1枚に写っており、この町の豊かな歴史や文化が感じられます。市民の町への愛着を深めるために、知立神社や旧池鯉鮒宿周辺の街並みが持つ有形・無形の文化遺産はもっと活かせるのではないかと思いました。

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(写真)知立城址周辺。左は明治天皇駐蹕址、奥は了運寺、右はカネ幸商店。

 

2.3 知立市の商店街

昭和戦後の知立の町の中心は、名鉄知立駅の北側にある知立駅前交差点周辺です。この交差点の東は知立中央通りであり、ピンク色がアクセントになった街路灯が印象的です。

かつて知立駅前立体駐車場の場所には知立町役場や知立町公会堂があり、知立中央通りに面した南端部には「公會堂」と書かれた門柱が残されていました。

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(写真)知立中央通り。(左)知立駅前交差点。

 

知立中央通りからは新駅通りが分岐しており、新駅通りは飲食店が連なっています。知立中央通りや新駅通りの終点からは南北に新地通りが伸びていますが、新地通りは近世以前からあった吉良道(西尾街道)の北端にあたり、中町交差点周辺には古い民家も残されています。

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(写真)新駅通りと知立中央通りの分岐点。

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(写真)1965年頃の新駅通りと知立中央通りの分岐点。上の写真と同じ構図。『写真でたどる知立 知立市制40周年記念企画展』知立市歴史民俗資料館、2010年。

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(左)新駅通り。(右)新地通り。

 

2.4 知立っぽい写真

歌川広重は『東海道五十三次 池鯉鮒』で馬市を描いています。毎年4月から5月には池鯉鮒宿の東方にある原野で馬市が開かれていたようで、明治時代に馬市が移った慈眼寺には馬市の跡の石碑がありました。慈眼寺からさらに東に行くと、旧東海道に沿って松並木があります。さらに東にはカキツバタで知られる無量寿寺があり、平安時代在原業平が詠んだ八橋はこの付近とされています。

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(写真)歌川広重東海道五十三次 池鯉鮒』。

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(左)慈眼寺にある馬市の跡の石碑。(中)無量寿カキツバタ。(右)旧東海道知立松並木。