振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

岐阜県池田町の映画館

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(写真)池田町図書館。

2019年(令和元年)11月、岐阜県揖斐郡池田町を訪れました。かつて池田町には映画館「池野劇場」がありました。

 

1. 池田町図書館

1.1 図書館の建物

池田町図書館は1996年(平成8年)開館。延床面積は2,041m2であり、開館時には岐阜県の町立図書館としては最大だったようです。

外観の特徴としては、青緑色と茶色による配色、ガラスを多用した円形の躯体、とんがり屋根の塔屋などがあります。愛知県にある2つの図書館、1992年(平成4年)開館の長久手町中央図書館(現・長久手市中央図書館)、1995年(平成7年)開館の佐屋町立図書館(現・愛西市中央図書館)とよく似ている。これらの特徴は1990年代中頃の町立図書館の流行だったのでしょうか。

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(左)池田町図書館。(中)長久手市中央図書館。(右)愛西市中央図書館。

 

1.2 図書館の郷土資料

円形の建物の中央部は2層分の吹き抜けになっており、その周囲に書架が配置されています。1階の山形書架は新着郷土資料の棚であり、博物館の展覧会図録、伊吹山文化圏のタウン誌である『ふもと』の最新号、地域に関するエッセイ本などがありました。館内中央部の吹き抜けが情報探索の起点になっている印象を強く受けました。

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(写真)カウンター。

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(右)中央部の吹き抜け。

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(写真)もっとも入口に近い展示用書架。新着図書・新着郷土資料・図書館からの案内など。

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(左)テーマ展示「秋の本」。(右)1階の文芸書の書架。

 

2階の郷土資料コーナーには西濃地方のタウン誌である『西美濃わが街』の製本済バックナンバーがすべてありました。『西美濃わが街』は2011年(平成23年)に廃刊となりましたが、郷土の歴史や文化に関する濃い内容の記事が多く、記録的な価値の高いタウン誌です。西濃地方の中心都市である大垣市立図書館では、残念ながら開架ではなく閉架(準備室)に保管されています。

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(写真)『西美濃わが街』などの郷土雑誌。

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(左)1階の書架と閲覧席。(右)2階の一般書の書架と吹き抜け。

 

池田町周辺の4自治体は人口規模が似通っているので比較したくなります。『日本の図書館 統計と名簿 2019』(日本図書館協会、2020年)で統計を見てみると、蔵書数・年間貸出数・年間資料費のいずれの数値でも池田町図書館は抜きんでていることがわかりました。貸出密度が約10冊/人というのは全国的に見ても高く、岐阜県内でも安八郡安八町(ハートピア安八図書館)に次ぐ数字だと思われます。

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2. 池田町の映画館

2.1 池野劇場(1948年-1961年頃)

所在地 : 岐阜県揖斐郡池田町(1960年)
開館年 : 1948年6月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧1955』によると1948年6月開館。1955年・1958年の映画館名簿では「池野映画劇場」。1960年の映画館名簿では「池野劇場」。1963年の映画館名簿では「池野映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「池野東映」。1980年の住宅地図では跡地に「樋口敬之丞 縫製業」。跡地は池田町役場南100mの寿司屋「一休さん」南の民家。

1924年大正13年)に池野天満宮がある天神町に建設されたのが劇場「池野劇場」であり、芝居の興行や活動写真の上映が行われています。

戦後の1948年(昭和23年)には、別地点の上町に映画館「池野劇場」が開館。1961年(昭和36年)頃の閉館後もしばらくは建物が残っていたようであり、1960年代前半の住宅地図には池野東映として掲載され、1970年代の航空写真にも池野劇場らしき建物が見えます。

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(左)戦前の天神町にあった池野劇場が描かれた地図。

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(写真)戦後の上町にあった池野劇場が描かれた1960年代前半の住宅地図。

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(写真)1970年代の航空写真における池田町の映画館。池野劇場らしき巨大な建物が見える。地理院地図


池田町にあった映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。

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