2020年(令和2年)8月、茨城県ひたちなか市那珂湊地区(旧・那珂湊市)を訪れました。かつて那珂湊には「大漁館」と「那珂湊松竹館」の2館の映画館がありました。
(地図)茨城県における那珂湊の位置。©OpenStreetMap contributors
1. 那珂湊を歩く
1.1 那珂湊漁港周辺や商店街
那珂湊は那珂川の河口部にあり、太平洋に面しています。奥州と江戸の中間地点にあることから、近世には水戸藩の外港として発展し、近代にも那珂湊漁港を中心とした水産都市として栄えます。周辺には国営ひたち海浜公園やアクアワールド茨城県大洗水族館もあり、那珂湊漁港にある那珂湊おさかな市場は首都圏からの日帰りバスツアーの立ち寄りスポットになっているようです。
この町の中心商店街は海岸線と並行する那珂湊本町通り商店街(茨城県道108号)であり、本町通り商店街が茨城県道6号と交わる湊本町交差点がこの町のヘソです。湊本町交差点の西500mには那珂湊天満宮があり、湊本町交差点と那珂湊天満宮の間には本町通商店街より古い商店街が残っています。
青春18きっぷでミニトリップ―プラスαで湊線(後) 水戸城外港の那珂湊を歩く 旅のはなし
(写真)湊中央2丁目(旧町名は明神町)の商店街。(左)益子写真館と安藤肉店。(右)個性的なビルと中華料理店 角六。
1.2 ひたちなか市立那珂湊図書館
ひたちなか市立那珂湊図書館は標高15mを超える那珂台地の上にありました。図書館・体育館・総合福祉センターという公共施設群の南側、那珂台地の縁には名平洞(なへいどう)という農業用ため池があり、その成立過程が気になります。
ひたちなか市立図書館 - Wikipediaによると、那珂湊市立図書館の歴史は1943年(昭和18年)に宮崎慶一郎が開館させた私立の報恩会図書館にさかのぼり、1967年(昭和42年)に那珂湊市に移管されて那珂湊市立図書館となったようです。Wikipediaに書かれている「慶一郎はこの時、那珂湊の観光資料などの貴重資料も寄贈したが、これらは現場職員の無理解により後に処分されてしまったという」という文章が気になります。
1978年(昭和53年)には現行館が開館。Wikipediaによると「海や漁業といった地域特性を生かした蔵書を特徴とする」とのことです。
2. 那珂湊の映画館
各年版の『映画館名簿』などによると、那珂湊には「大漁館」と「那珂湊松竹館」という2館の映画館がありました。『映画館名簿』以外の文献では言及を確認できておらず、また(茨城県立図書館が長期休館中で)住宅地図も閲覧できなかったため、現地での聞き込みで場所を特定しました。
(写真)『映画年鑑 1960年版 別冊 映画便覧 1960』時事通信社、1960年。
2.1 那珂湊松竹館(1950年9月-1963年頃)
所在地 : 茨城県那珂湊市泉町5335(1963年)
開館年 : 1950年9月
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1950年9月開館。1953年の映画館名簿では「那珂湊松竹映画劇場」。1955年の映画館名簿では「那珂湊松竹館」。1958年の映画館名簿では「那珂湊松竹」。1960年の映画館名簿では「那珂湊松竹映画劇場」。1963年の映画館名簿では「松竹館」。1964年の映画館名簿には掲載されていない。
那珂湊に2館あった映画館のうち、早く閉館した小規模な映画館が「那珂湊松竹館」です。『映画館名簿』には「那珂湊松竹映画劇場」という長ったらしい名称でも登場しますが、話を聞いた2人の方はいずれも「松竹館」と呼んでいました。2人の話は松竹館の場所がやや食い違っており、1960年代の航空写真を見ても映画館らしい建物は映っていませんが、大文字屋商店そばにあるY字路の近くにあったのは間違いないようです。1960年(昭和35年)の『映画館名簿』には松竹・新東宝・洋画を上映する300席の映画館として、1963年(昭和38年)の『映画館名簿』には松竹・洋画を上映する210席の映画館として掲載されています。経営者・支配人はいずれも坂場義雄です。
(写真)那珂湊松竹館があったとされるY字路。左手前は大文字屋商店。
仙台屋食料品店
1960年(昭和35年)の映画館名簿には那珂湊松竹映画劇場の所在地が「泉町5335」として掲載されています。「湊泉町」という町名が現存するため、まずは湊泉町で目についた仙台屋食料品店で女性(80代?)に話を聞きました。「仙台屋から北西100mほどの場所にY字路がある。松竹館という映画館の場所はY字路の北西角ではなかったかと思う。大漁館よりも小さな映画館だった。床屋の近くだった」とのことでした。
升屋酒店
同じく湊泉町にある升屋酒店でも女性(70代?)に話を聞くと、「泉町には松竹館という映画館があった。升屋酒店の北にY字路があるが、Y字路の東側だったと思う。床屋が近くにあった。23歳の時に那珂湊に嫁いできたが、松竹館にはあまり入ったことがなく、大漁館に足を運んでいた。」
(左)映画館の話を聞いた仙台屋食料品店。(右)映画館の話を聞いた升屋酒店。
2.2 大漁館(1921年4月-1971年頃)
所在地 : 茨城県那珂湊市元町5817(1971年)
開館年 : 1921年4月
閉館年 : 1971年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1921年4月開館。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「大漁館」。1966年・1969年・1970年・1971年の映画館名簿では「那珂湊大漁館」。1972年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパン屋「カノウヤ」。
那珂湊に2館あった映画館のうち、遅くまで営業していたほうの映画館が「大漁館」です。映画館名簿によると1921年(大正10年)4月開館。1924年(大正13年)には漁業と海洋に関する講演会が行われており、また大正後期の映画館名簿にも掲載されている古い映画館です。1960年(昭和35年)の『映画館名簿』では邦画も洋画も上映する464席の映画館として、1963年(昭和38年)の『映画館名簿』では邦画を上映する390席の映画館として掲載されています。
1969年(昭和44年)の映画館名簿では所在地が「元町5817」となっていますが、元町という町名は現存しません。ぐぐっても元町の位置は判然としませんが、那珂湊には幸いにも各所に旧町名碑が設置されており、茨城県道6号の2本南にある通りが元町通りであることがわかりました。
飛田時計店の主人に聞いた大漁館の跡地には巨大な建物があり、1階ではパン屋のカノウヤが営業しています。
なお、新潟市にあった映画館「沼垂港座」の旧称は「大漁座」(館ではなく座)であり、鳥羽市神島にも「大漁座」という舞台(映画館ではなく舞台)がありました。
(地図)1975年の住宅地図。中央下に大漁館。
(写真)映画館「大漁館」跡地にあるパン屋「モンシェリ カノウヤ」。
飛田時計店
元町通りにある飛田時計店の主人(60代?)に映画館について聞くと、
「飛田時計店から50mほど東のパン屋『カノウヤ』の位置に映画館の大漁館があった。泉町にも映画館があったというが、名前や場所は覚えていない。(泉町の映画館の名前は那珂湊松竹ではないかと聞くと)どうだったか」とのことでした。
かつて那珂湊はサンマ漁で栄えて「西の大阪、東の湊」と呼ばれたこと、普通選挙法の施行以前は水戸よりも那珂湊の方が選挙権保持者が多かったこと、新道(現在の茨城県道6号)が開通すると元町通りからにぎわいが消えていったこと、戦後には年間350万人の観光客が那珂湊に訪れた時代もあったことなども話してくださいました。
(左)元町通り。左の白いビルが映画館の話を聞いた飛田時計店。(右)「元町」旧町名碑。
みなとパン
本町通り商店街にはパン屋のみなとパンがあり、店内には「思い出のみなとまち」と題した古写真コーナーがありました。創業は1930年(昭和5年)、戦時中は配給所だったという歴史あるパン屋です。
1947年(昭和22年)4月29日の那珂湊大火では那珂湊市街地の中心部が焼失し、みなとパンも大火後の建物だそうです。同じ本町通りでも、みなとパンより西側は道路が狭く歩道もないのですが、みなとパン付近が大火後の拡幅工事の境目だったからこうなったのだそう。
83歳になる主人に映画館の写真を持っていないか聞くと「残念ながら大漁館の写真は持っていない」とのことでした。
(左)本町通り商店街にあるみなとパン。(右)店内にある「思い出のみなとまち」コーナー。(右)みなとパンが紹介された新聞記事。「変わらぬ製法、素朴な味 みなとパン ひたちなか市」『茨城新聞』2015年8月16日
後日閲覧した1966年(昭和41年)の「那珂湊詳図」には大漁館の位置が記されていました。
(地図)1966の那珂湊市街地の地図。『茨城県市街地図集』人文社編集部、1966年。
那珂湊にあった映画館について調べたことは「茨城県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(茨城県版)」にマッピングしています。