振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

関市立図書館を訪れる

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(写真)関市立図書館が入るわかくさ・プラザ。2018年6月。

2020年(令和2年)6月、岐阜県関市を訪れました。「関市の映画館」に続きます。

 

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1. 関市を訪れる

岐阜県関市は中濃地域にある人口8.5万人の町。刃物の町として知られ、貝印やフェザーは関市発祥の企業だそうです。関市街地は濃尾平野の北部に位置しますが、安桜山(あさくらやま)を筆頭とするいくつかの独立丘に囲まれているため、市街地のどこにいても近くに山がある印象を受けました。

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(地図)愛知県名古屋市から見た岐阜県関市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(写真)関市街地を取り囲むように独立丘が点在する景観。地理院地図

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(写真)関市の中心市街地。地理院地図

 

1.1 本町通り

本町通り中心部

関市の主要な商店街は、安桜山(あさくらやま)の南側を東西に延びる本町通りです。本町4丁目と5丁目には約150mに渡って片持ち式アーケードが設置されていますが、2018年(平成30年)まではさらに西に約150mのアーケードがあり、6丁目と7丁目もアーケード商店街だったようです。また、2008年(平成20年)までは東側もアーケードが伸びており、本町3丁目から7丁目まで約450mのアーケードが続いていたようです。アーケードのせいで商店街が暗く見える場合もあり、現存する150mのアーケードを撤去すべきかどうかは悩ましいところです。

なお、本町6丁目では本町BASE(にぎわい横丁)の建設工事が進行中でした。関市による社会実験としての交流施設であり、2020年(令和2年)10月に開業予定だそうです。

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(写真)本町通りの中心部。本町4丁目・5丁目。

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(左)本町通りの中心部。本町5丁目。(右)うなぎ屋 辻屋。開店前から並ぶ客の行列。

 

本町通り西端部(栄町)

本町通りを西進して長良川鉄道の線路や関川を越えると、関市栄町にも本町同様のデザインの片持ち式アーケードがあります。アーケードの西端、大衆食堂 栄屋の角からは北に向かって路地が伸びていますが、この道が2005年(平成17年)に廃止された名鉄美濃町線新関駅へのアプローチ道のようです。この付近の商店街としての活気のなさは深刻であり、名鉄美濃町線の廃止以後に急速に衰退したことが想像できます。大衆食堂 栄屋の角にはフリーマガジンぶうめらんを発行するなどして市街地活性化に取り組むせき・まちづくりNPOぶうめらんがありました。

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(写真)本町通りの西端部。栄町1丁目。左は大衆食堂 栄屋。

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(左)本町通りの西端部。栄町1丁目。(右)名鉄美濃町線廃線跡新関駅-関駅間。

 

1.2 新町通り

本町通りの140m南に並行しているのが新町通りです。建物は新しいけど1887年(明治20年)創業の安田屋旅館、1887年(明治20年)創業で1915年(大正4年)竣工の銭湯 錦湯(2011年廃業)、1921年(大正10年)創業(?)の須田写真館などがありました。安田屋旅館と錦湯の創業年が同じなのは偶然か、それともこの年に新町通りが町として成立したのでしょうか。須田写真館は関市にあった映画館の写真を持ってたりしないかな。

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(左)新町通りの西側。丸新呉服店付近。(右)新町通りにある銭湯 錦湯。

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(左)須田写真館。1921年(大正10年)竣工。(右)須田写真館と新町通り

 

錦湯の壁には関市商工案内図が掲示されていました。国鉄美濃関駅という表記(1986年に関駅に改称)、名古屋相互銀行や中央相互銀行という表記(1989年にそれぞれ名古屋銀行愛知銀行に改称)などから、1986年(昭和61年)以前の地図であることがわかります。関東映劇場(1981年に閉館)や関千年会館(1970年代初頭に閉館)は描かれていませんが、"商店" ではないから省いただけなのか、1981年以後1986年以前に製作された地図だから描かれていないのかはわかりません。

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(右)錦湯の壁に掲示されている関市商工案内図。なぜ名鉄美濃町線新関駅以北が描かれていないのだろう。

 

2. 関市立図書館

今回は訪れていませんが、2018年(平成30年)6月には関市立図書館を訪れました。

 

2.1 図書館の歴史

1947年(昭和22年)に関尋常高等小学校の積徳文庫を引き継いで関町公民館図書室が開館。1978年(昭和53年)に国鉄越美南線美濃関駅(現・長良川鉄道関駅)前に関市文化会館が開館すると、関市公民館図書室は関市文化会館隣接地の公民館に移転し、この年に図書館条例を制定しています。

1994年(平成6年)に関市役所が郊外の水田地帯に移転すると、1999年(平成11年)に市役所隣接地に開館したのが現行の関市立図書館です。2018年(平成30年)2月には岐阜県で初めて電子図書館サービスを導入したそうです。2018年度末の蔵書冊数は426,782冊、2018年度の貸出冊数は506,408冊であり、市民1人あたり貸出冊数は5.9冊でした。

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(写真)関市立図書館が入るわかくさ・プラザ。2018年6月。

 

2.2 図書館の指定管理者

関市立図書館は2009年(平成21年)に指定管理者制度を導入し、中部学院大学(関市・各務原市)や済美高等学校岐阜市)を運営する岐阜済美学院が3期目の指定管理者を務めています。学校法人が公共図書館の指定管理者というのは珍しい気がします。中部学院大学は「人間福祉学部」「教育学部」「看護リハビリテーション学部」「経営学部」「スポーツ健康科学部」の5学部からなる大学です。

直近の事業年報である『図書館要覧 令和元年度(平成30年度報告)』を読むと、2018年度(平成30年度)には中部学院大学の教授らによる講座「中部学院大学シリーズ」を14回も開催しているようです。講座のタイトルを見ると、「私にもできる傾聴ボランティア」「認知症支援のヒント」「心理的支援を考える カウンセラーの視点」「岐阜を見直そう! 山国の食文化」「経済学の産業組織論モデルで考えるイノベーション型の企業経営」「信長の天下布武と美濃の真宗門徒」などがありました。学校法人が指定管理者である強みを活かしているように感じます。

関市立図書館では「中部学院大学シリーズ」以外にも多数の講座が開催されているようです。公式サイトで2019年度後半以後の開催イベントを確認したところ、豊田高等専門学校教授、岐阜大学副学長、元名古屋市立保育園保育士、京都府立大学文学部准教授、岐阜県立高等学校教頭と、講師の顔ぶれが多彩であり、直近の講座の講師は岐阜県立関高校地域研究部の高校生でした。

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 (写真)関市立図書館公式サイトにおけるイベント情報ページ。

 

2.2 図書館の郷土資料

館内の郷土資料室は「せき・わかくさ文庫」と名づけられており、関市や中濃地域の歴史や文化に関する資料のほかに、「刀剣」、「刃物」、「円空」、「惟然」、「仙厓」の5つは重点的に収集しているようです。

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(写真)関市立図書館公式サイトにおける「せき・わかくさ文庫」の紹介ページ。

 

関市立図書館は1978年(昭和53年)分から関市に関係する新聞記事の見出しを収集し、ウェブサイト上で「関市関係新聞記事索引」としてPDFを公開しています。中日新聞岐阜新聞はもちろん、朝日新聞・読売新聞・毎日新聞の各全国紙の記事も収録している点で価値が高い。1978年(昭和53年)は関市立図書館旧館が開館して図書館条例を制定した年なので、当時から作成していたスクラップブックか何かのデータを文字化したのでしょう。

関市最後の映画館である関東映劇場が閉館したのは1981年(昭和56年)9月23日です。試しに関市関係新聞記事索引の1981年版PDFを閲覧すると、10月7日付の中部読売新聞に「幕下ろした『関東映』三十余年、関に娯楽文化の灯 上映運動に市民の期待」という記事が掲載されていることがわかりました。

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(写真)「関市関係新聞記事索引」の1981年版PDF(抜粋)。