振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

大府市の映画館

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(写真)JR東海道本線大府駅

2020年(令和2年)4月と2021年(令和3年)5月、愛知県大府市を訪れました。かつて大府市には「大府映画劇場」(大劇)、「大府東映劇場」、「大府東劇」の3館の映画館があり、1980年頃には仮設館として「トロピカホール」もありました。

 

1. 大府市を訪れる

大府市知多半島の北部にある人口約9万人の自治体。1887年(明治20年)には現在のJR武豊線の駅として大府駅が開業し、1888年明治21年)には現在の東海道本線武豊線の分岐駅となります。大府は鉄道駅の開業とともに発展した町のようであり、明治中期の地形図に描かれている知多郡大府村は、碧海郡刈谷町(現・刈谷市)はもちろんのこと、知多郡森岡村や知多郡緒川村(いずれも現・知多郡東浦町)よりも規模の小さい村に見えます。

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(地図)愛知県における大府市の位置。©OpenStreetMap contributors

 

1.1 大府市街地

JR大府駅の乗降客数は約30,000人/日もありますが、商店や飲食店の数が少なくて活気がなく、最盛期には3館も映画館があったことが信じられません。なお、近隣自治体では刈谷市知立市中心市街地も映画館は3館です。

駅前通りと交差する市役所前発展会には1964年(昭和39年)竣工の大府センターがあり、5階建てのビルがランドマークになっていましたが、2020年(令和2年)4月には取り壊し工事が始まっています。

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(写真)大府駅前通り。

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(写真)市役所前発展会。左奥は大府センター。

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(左)大府センター。2019年10月。(右)大府センター。2020年4月。

 

1.2 大府市歴史民俗資料館

大府市歴史民俗資料館には昭和の暮らしをテーマとする常設展示室があります。かつて大府市立図書館は歴史民俗資料館と同じく大倉会館にありましたが、2014年(平成26年)に移転しておおぶ文化交流の杜図書館となっています。

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(写真)常設展示。

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(写真)常設展示。

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(写真)常設展示。

 

2. 大府市の映画館

大府市歴史民俗資料館に映画館について問い合わせてみました。かつて作成したチラシ「大府にあった映画館」は1968年の住宅地図を立体的に表現したものであり、地元の方への聞き取りの結果も反映されています。大府映画劇場については「この映画館の二階は畳敷きで 客が少ないと寝っころがって見ました」、大府東映については「若大将シリーズゴジラ映画を見ました 非常口に近い席は便所の臭いが」と書かれています。

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(写真)チラシ「大府にあった映画館」大府市歴史民俗資料館。

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(写真)1961年の大府市街地。上の赤丸が大府映画劇場、下の赤丸が大府東映地図・空中写真閲覧サービス

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(写真)大府映画劇場、大府東劇、大府東映の3館が掲載されている『映画便覧 1962』時事通信社、1962年。


2.1 大府東劇(1960年頃-1962年頃)

所在地 : 愛知県知多郡大府町向畑6-1(1962年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1962年頃
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年・1962年の映画館名簿では「大府東劇」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。1963年の全商工住宅案内図帳には掲載されていない。

1960年頃に相次いで開館した2館のうちの片方が大府東劇であり、『映画館名簿』では1961年版と1962年版のみに掲載されています。経営者は大府映画劇場と同じ鷹羽竹一、支配人も大府映画劇場と同じ長谷部桂であり、電話も大府映画劇場との共用、洋画専門館でした。

大府映画劇場に近い加古玩具店の男性店主(70代?)に聞くと、「現在はマンションが建っている場所に映画館の『大劇』があった。大劇の隣には『東劇』もあり、どちら側の隣だったかはっきり覚えていないが、左側ではなかったか」とのこと。

『大府町史』(大府町、1966年)には大府町史刊行時点の跡地はパチンコ店だったとのこと。『映画館名簿』、加古玩具店店主の話、『大府町史』の記述を踏まえると、のちにパチンコ店「タカラ会館」が建つ場所が東劇跡地である可能性が高そう。タカラ会館は東劇の建物を転用していたのではないかと思われます。

 

2.2 トロピカホール(1980年頃の短期間のみ存在)

所在地 : 愛知県大府市中根19(1980年)
開館年 : 1978年以後1980年以前
閉館年 : 1980年頃
1975年・1978年の映画館名簿には掲載されていない。1980年の映画館名簿では「トロピカホール」。1981年・1985年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「ライオンズシティ大府駅前」があるブロックの北西角の駐車場。

1980年の『映画館名簿』のみに掲載されている映画館として「トロピカホール」があります。『映画館名簿』によると建物は2階建て、50席の仮設館ということで、1980年前後の住宅地図に確認できる喫茶 トロピカーナ内にあったと思われます。住宅地図によると、2階に喫茶 トロピカーナがある建物の1階にはクスリの清水やサカエ堂書店がありました。

トロピカホールがあった建物の跡地は名鉄協商大府駅前駐車場です。1970年代前半に現在の駅前通りが開通するまでは、トロピカホール前の通りが駅前通りでした。とはいえ1970年代以前の建物は残っていないようであり、居酒屋などの飲食店街になっています。

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(左)旧大府駅前通。右の駐車場がトロピカホール跡地。(右)旧大府駅前通。

 

2.3 大府東映劇場(1960年頃-1980年代初頭)

所在地 : 愛知県大府市字スクモ94(1980年)
開館年 : 1960年頃
閉館年 : 1980年以後1982年以前
1960年の映画館名簿には掲載されていない。1961年・1963年の映画館名簿では「大府東映」。1963年の映画館名簿では「大府東映」。1966年・1969年・1976年・1980年の映画館名簿では「大府東映劇場」。1963年・1976年・1979年の住宅地図では「大府東映」。1968年のデラックス住宅地図では「大府東映 門瀬」。1982年の映画館名簿には掲載されていない。1986年・1989年のゼンリン住宅地図では跡地に「大府市公民館」。跡地は「大府公民館」。最寄駅はJR東海道本線武豊線大府駅

1959年(昭和34年)頃には煙草収納所に大府東映が仮設されて営業を開始し、1960年(昭和35年)頃には半田保健所大府支部に建物を新築。東映・松竹・日活・洋画などを上映し、1980年代初頭まで営業していました。跡地は大府公民館となっています。

大府公民館の東側にはパークビジョン大府サニー駐車場がありますが、この場所には2018年に取り壊されるまで大府商協センターサニーがありました。1964年(昭和39年)に開店した大府で最初期のスーパーマーケットであり、市街地北側の大府センターと対をなす存在だったと思われます。

大府東映跡地のすぐ南にある浅田手芸店の男性店主(70代?)に聞くと、「大府公民館の場所に映画館の『東映』があった。通りを西に向かうと『大劇』もあり、大劇の両側はパチンコ店だった。(東劇について聞くと)『大劇』と『東映』以外にも映画館があったのかどうかはよく知らない」とのことでした。

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(写真)チラシ「大府にあった映画館」大府市歴史民俗資料館。1968年頃。大府東映周辺。

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(写真)大府東映周辺の住宅地図。1970年代か。大府市歴史民俗資料館の常設展示。

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(写真)パークビジョン大府サニー駐車場。正面の白い建物が大府東映劇場跡地の大府公民館。

 

2.4 大府映画劇場(1952年-1980年代後半)

所在地 : 愛知県大府市向畑86-1(1980年)
開館年 : 1952年
閉館年 : 1986年以後1988年以前
1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年・1960年・1963年・1966年・1969年・1976年・1980年・1985年の映画館名簿では「大府映画劇場」。1963年の住宅地図では「大府映劇」。1968年のデラックス住宅地図では「大劇」。1976年の住宅地図では「大府映画劇場」。1979年の住宅地図では「大劇」。1986年のゼンリン住宅地図では「大劇」。1988年の映画館名簿には掲載されていない。1989年のゼンリン住宅地図では跡地に空白の建物。跡地は2002年竣工のマンション「フレストステージ大府中央町」。最寄駅はJR東海道本線武豊線大府駅

1952年(昭和27年)12月6日に知多郡大府町初の映画館として開館したのが大府映画劇場であり、東宝大映・洋画などを上映していました。住宅地図には大劇と略されて掲載されています。跡地にはマンション フレストステージ大府中央町があり、13階建てのマンションは大府駅周辺ではとても目立ちます。

大府映画劇場の写真は発見できていませんが、大府市歴史民俗資料館は大府映画劇場の開館時の図面を所蔵しています。1952年2月吉日計画、3月1日設計、6月1日発足、9月1日工事、10月1日創立、12月6日開館と書かれています。

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(写真)大府映画劇場の開館時の図面。大府市歴史民俗資料館所蔵。

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(写真)チラシ「大府にあった映画館」大府市歴史民俗資料館。1968年頃。大府映画劇場周辺。

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(写真)大府映画劇場周辺の住宅地図。1970年代か。大府市歴史民俗資料館の常設展示。

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(左)左のマンションが大府映画劇場跡地。右は早川皮フ科。(右)地蔵院。背後は大府映画跡地のマンション。

 

大府市の映画館について調べたことは「知多半島の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図」にマッピングしています。

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