振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

蒲郡市の映画館(1)

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(写真)映画館「三海館」の建物を利用した「レストラン三海」。

 

2020年(令和2年)3月、愛知県蒲郡市形原町西浦町を訪れ、映画館「形原劇場」「三海館」「西浦会館」の跡地などをめぐりました。

 

1. 蒲郡市形原町西浦町を訪れる

愛知県蒲郡市東三河地方に含まれる人口約8万人の自治体。三河湾に面しており、ラグーナテンボス竹島水族館などの娯楽施設、西浦温泉や形原温泉などの温泉地で知られる観光地です。

1954年(昭和29年)に宝飯郡蒲郡町・三谷町・塩津村が合併して、愛知県下15番目の市として蒲郡市が発足しました。蒲郡市は1955年(昭和30年)に大塚村を編入、1962年(昭和37年)に形原町編入、1963年(昭和38年)に西浦町編入して現在の市域となっています。昭和の大合併以前の4町2村のうち、蒲郡町に4館、三谷町に2館、形原町に2館、西浦町に1館、計9館の映画館がありました。

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(地図)愛知県における蒲郡市の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)蒲郡市における9館の映画館の位置。©OpenStreetMap contributors

 

 

2. 形原町西浦町を歩く

2.1 形原町を歩く

形原町の中心部は名鉄蒲郡線形原駅周辺ですが、1960年代の航空写真を見るとすでに広範囲が市街地化されており、明確な中心地がどこだったのかは判然としません。形原商店街の地図を見ても、形原小学校を中心として商店がまんべんなく分布しているように見えます。

形原駅の西側には愛知県道322号が通っており、形原町を南北に貫いています。この県道は北の形原温泉と南の西浦温泉をつないでおり、温泉街道という通称があります。

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(写真)形原町の中心部。愛知県道322号「東中畑」交差点付近。

 

名鉄蒲郡線より西の山際には、式内社かつ県社の形原神社があります。温泉街道に面して一の鳥居が建っていますが、一の鳥居から二の鳥居までの距離は630m、二の鳥居から社殿までの距離は200mと長い参道を有しています。

温泉街道の北端には形原温泉があります。標高55m地点にバスターミナルを持つロータリーがあり、ロータリー周辺に4-5軒のホテル/旅館があるようです。

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(写真)形原神社。2019年5月。(左)二の鳥居。(右)社殿。

 

名鉄蒲郡線より東の三河湾岸には形原漁港があり、北端部はヨットハーバーになっています。形原漁港周辺には造船会社の形原造船や足立造船所、食品加工会社のカネキ水産などもあります。

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(写真)形原漁港北部のヨットハーバー。

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(地図)『観光と産業の形原』愛知県形原町観光協会形原町商工会、刊行年不明。

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(地図)(地図)『観光と産業の形原』愛知県形原町観光協会形原町商工会、刊行年不明。形原温泉部分。
 

2.2 西浦町を歩く

西浦町もやはり中心部がはっきりしない町ですが、愛知県道321号(幡豆街道)と愛知県道322号(温泉街道)が交わる「馬相」交差点付近に公民館・農協・信用金庫・商店などが集まっています。温泉街道を南下すると "東海の熱海" と呼ばれる西浦温泉があります。

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(左)西浦町を南北に走る愛知県道322号:温泉街道。右端は海鮮料理店「魚丈本館」。(右)東西に走る県道321号:幡豆街道。左端は西浦会館の跡地にある「居酒屋いいじゃん」。

 

 

3. 形原町西浦町の映画館

3.1 西浦会館(1955年8月13日-1964年3月)

所在地 : 愛知県宝飯郡西浦町西馬相13(1963年)
開館年 : 1955年8月13日
閉館年 : 1964年3月
1955年・1956年の映画館名簿には掲載されていない。1957年の映画館名簿では「西浦会館」。1960年の映画館名簿では「西浦映画館」。1961年・1962年の映画館名簿では「西浦映画劇場」。1962年の西宝地区住宅明細地図では「西浦会館」。1963年の映画館名簿では「西浦会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1969年のアイゼン住宅地図では跡地に「アキヤ」。跡地は「守屋タバコ店」はす向かいの「居酒屋いいじゃん」。最寄駅は名鉄蒲郡線西浦駅

1955年(昭和30年)8月13日、西浦町に映画専門館として西浦会館が開館しました。「〇〇会館」という名称の映画館は公民館から発展した映画館が多いと思われ、西浦会館は珍しい例かもしれません。東宝・日活・洋画を上映し、1964年(昭和39年)3月に閉館しています。なお、戦前には別地点に西浦劇場という施設がありました。

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(写真)1962年頃の音羽交差点に貼られていた三海東映と西映(西浦会館)のポスター。蒲郡市博物館の常設展示。2021年12月。

 

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(写真)西浦会館の跡地にある「居酒屋いいじゃん」。

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(写真)1970年代の航空写真における映画館の位置。国土地理院 地理院地図

 

3.2 三海館(1933年頃-1971年春)

所在地 : 愛知県蒲郡市形原町三浦町17(1969年)
開館年 : 1933年頃
閉館年 : 1971年春
1936年・1943年の映画館名簿では「三昭館」。1947年の映画館名簿には掲載されていない。1949年・1950年・1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「三海館」。1960年・1963年の映画館名簿では「三海東映」。1962年の西宝地区住宅明細地図では「三海館」。1966年・1969年の映画館名簿では「形原三海館」。1969年のアイゼン住宅地図では「三海館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は映画館の建物を転用した「レストラン三海」。最寄駅は名鉄蒲郡線形原駅。

戦前の形原漁港近くには船主らが共同で経営する三昭館がありました。1955年(昭和30年)にはパチンコ店の経営者である岩瀬隆祐が引き継ぎ、スクリーン、映写機、音響設備の更新などを行って三海東映に改称しました。

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(写真)1956年頃の三海東映蒲郡市博物館の常設展示。2021年12月。

 

1960年(昭和35年)頃には増築して3階建てのビルとし、名称を三海(三海館)に変更。この際に2階と3階は喫茶店とレストランとしていますが、当時の地方都市としてはかなり珍しい形態の建物だと思われます。

三海館は1971年(昭和46年)春に閉館。1977年(昭和52年)には映画館の建物を転用し、同一経営者によるレストラン三海が開店。2020年代になっても客でにぎわうファミリーレストランです。

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(写真)映画館「三海館」の建物を利用した「レストラン三海」。

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(左)「レストラン三海」と西側の道路。(右)「レストラン三海」の入口。

 

建物入口は道路に面した北西側。スクリーンは建物東側にあったと思われ、レストランの客席部分が映画館のホール、レストランのレジ部分が映画館のロビー、レストランの厨房部分が映画館の廊下だったと思われますが、結局のところよくわかりません。部分的に2階までの吹き抜けになっているのも怪しいのですが、2階に登る階段は荷物置き場になっていました。

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(写真)レストラン三海の内部。(右)三海定食。

 

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(地図)1965年の住宅地図における三海館。中央。

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(写真)1970年代の航空写真における映画館の位置。国土地理院 地理院地図

 

3.3 形原劇場(1925年10月-1972年8月12日)

所在地 : 愛知県蒲郡市形原町東中端(1969年)
開館年 : 1925年10月、1932年11月、1948年12月28日
閉館年 : 1972年8月12日
『全国映画館総覧 1955』によると1918年10月設立。1930年・1936年の映画館名簿では「形原劇場」。1943年・1947年の映画館名簿には掲載されていない。1950年・1953年・1955年・1960年・1963年・1966年・1969年の映画館名簿では「形原劇場」。1962年の西宝地区住宅明細地図では「形原劇場」。1965年のゼンリン住宅地図では「形原劇場」。1969年のアイゼン住宅地図では「形原劇場」。1971年の住宅地図では「形原劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「近藤鉄工所」の南東20mの駐車場。最寄駅は名鉄蒲郡線形原駅。

明治末期には形原町の渡船場に芝居小屋の音羽座が開館。1924年大正13年)頃の焼失後、1925年(大正14年)10月には加藤政次郎と息子の加藤寅治によって、江川に芝居小屋の形原劇場が開館。チャップリンハロルド・ロイドバスター・キートンなどの喜劇洋画、阪東妻三郎などのチャンバラ時代劇も上映しています。

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(写真)1925年に開館する初代形原劇場の建設の様子。『形原』蒲郡郷土史研究会、1974年。

 

1930年(昭和5年)12月に初代形原劇場が焼失したため、1932年(昭和7年)11月には形原町東中畑に2代目の形原劇場が開館。全席畳敷きで約650人を収容する劇場でした。1933年(昭和8年)には三浦万太郎が形原町の海岸部を埋め立てて土地を造成したため、加藤寅治は活動写真専門の三昭館(後の三海館)を建てています。

戦後に映画が斜陽産業となると、1964年(昭和39年)5月には建物の一部に形原百貨センターを開店させ、パン屋、下駄屋、肉屋、衣料品店が入ります。この際に形映小劇場に改称しますが、1972年(昭和47年)8月12日の火災で焼失した後には再建されませんでした。3度も火災で焼失する不運な劇場でした。

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(地図)1965年の住宅地図における形原劇場。中央左。

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(地図)『観光と産業の形原』愛知県形原町観光協会形原町商工会、刊行年不明。中央上に形原映画劇場。中央下に三海映画劇場。

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(左)中央奥と右奥が形原劇場跡地の駐車場。左奥が近藤鉄工所。

 

蒲郡市の映画館(2)」(三谷町)、「蒲郡市の映画館(3)」(蒲郡市中心部)に続きます。

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蒲郡市の映画館について調べたことは「東三河地方の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図」にマッピングしています。

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