振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

網野町の映画館

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(写真)京丹後市立あみの図書館。

2020年(令和2年)2月、京都府京丹後市網野町を訪れました。網野町にあった映画館について調べましたが、映画館があった場所はよくわかりませんでした。

 

1. 京丹後市網野町を訪れる

2004年(平成16年)に6町が合併して発足した京丹後市の中でも、市役所本庁舎がある峰山町と並んで中心的な町なのが網野町。2018年(平成30年)11月には網野町網野区にある京丹後市立あみの図書館や野村克也ベースボールギャラリーなどを訪れており、2019年(令和元年)5月にはウィキペディアタウン「3Qタウン Wikipedia town in 琴引浜」に参加しています。網野市街地を訪れるのは2018年(平成30年)11月以来ですが、網野町浅茂川区を訪れるのは今回が初めてです。

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(地図)京都府における京丹後市の位置。

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(地図)丹後半島における網野市街地の位置。

 

 

2. 網野町浅茂川区を歩く

網野町では1918年(大正7年)創業の守源旅館に宿泊し、翌朝に浅茂川区の街並みを歩きました。守源旅館は網野町の別地点で創業した後、1927年(昭和2年)の北丹後地震後にこの場所に移ったそうです。私が宿泊した別棟は築50年程度だそうですが、竣工当時の網野町にある鉄筋コンクリート造建築物はこの別棟と網野町役場の2棟だけだったそうです。

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(写真)守源旅館。1927年以後に建てられた本館。

 

公共施設・銀行・大型スーパーなどが並ぶ網野町網野区とは異なり、網野町浅茂川区には木造建築の民家が並んでいます。1927年(昭和2年)の北丹後地震から太平洋戦争までに建てられた民家がかなり残っているようであり、古い木造建築がこれだけの密度で残っている街並みは歩いていて新鮮でした。焼杉板の板壁が特徴です。

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(写真7枚)網野町浅茂川区を横断する京都府道665号沿いの街並み。

 

取り壊されて駐車場や洋風住宅に代わった建物は少なく、新しい住宅も古い町並みに溶け込むデザインでした。丹後ちりめんの産地の中でも浅茂川区には特に機織場が多いようであり、廃業した機織場の建物をリノベしているコワーキングスペースアサモノヤカタ」などもありました。

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 (写真7枚)網野町浅茂川区の路地の街並み。

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網野町浅茂川区を紹介する新聞コラム。「旬の見どころ 浅茂川地区 歴史感じる焼杉板壁群」『京都新聞』2012年9月7日

 

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(左・中)網野町浅茂川区の民家。(右)三浦五郎兵衛醸造元。

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(左)福田川の最下流部。左上は正徳院。(右)福田川の河口。奥は日本海

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(写真)藤原鮮魚店uRashiMaの店先に干されていた魚。

 

3. 映画館調査

3.1 映画館の歴史

1950年代後半から1960年代の映画館名簿には、網野町の映画館として「網野第一映劇」「公楽会館」「日勝館」の3館の映画館が掲載されています。網野第一映劇と日勝館は網野町網野区に、公楽会館は網野町浜詰にありました。

 

網野町誌 下巻』には「網野劇場(日勝館)」という映画館が登場します。また、2016年(平成28年)に琴引浜鳴き砂文化館で開催された写真展『郷愁・丹後の今昔』には、「在りし日の日勝館」(網野映画館)の写真が展示されたようです。

1933年(昭和8年)に網野町立網野小学校が発行した『我が郷土』によると、当時の網野町には劇場「日勝館」と映画館「網野劇場」の2館があり、いずれも1927年(昭和2年)の北丹後地震後に竣工した建物だったようです。1936年(昭和11年)には網野劇場が焼失し、再建はなされませんでした。網野劇場の経営者は日勝館を支援し、日勝館は実演に加えて活動写真も上映する劇場となったようです。

これらの情報を総合すると、「日勝館」と「網野劇場」は同一の映画館であり、「網映」とも呼ばれていた可能性が高いです。ややこしい。

 

3.2 映画館の場所

「網野第一映劇/公楽会館」と「日勝館」は1970年代初頭までに閉館しています。京都府立図書館や京丹後市立図書館が所蔵している竹野郡網野町の住宅地図は1994年(平成6年)版が最古であり、映画館が営業していた時代の住宅地図はありません。郷土資料でもこれらの映画館の位置は判明しません。そこで網野町在住の2人の方に話を聞き、また航空写真などでも映画館を探してみました。

 

【関連するビル?】以下の航空写真で「日勝館ビル」と書いた位置には複数の飲食店が入居するビルがあります。現地を訪れると怪しげな形状のビルがあり、特に2階が大きな窓になっている北側のファサードが怪しい。2階はホールのような大空間にも見えます。建物壁面に「網野ショッピングセンター」と書かれていましたが、Yahoo! 地図では「日勝館ビル」という名前が付いています。

1960年代の航空写真を見ると「日勝館ビル」周辺は不自然な空き地となっていますが、区画整理の最中なのかもしれません。1918年創業の守源旅館の主人(3代目)に聞いたところ、日勝館の経営者が映画館とは別に所有していたビルではないかとのことでした。

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(写真)日勝館ビル。


【映画館A ?】
他県出身ではあるが網野町に住んで長い方に聞いたところ、以下の航空写真の「駐車場」と書いた位置に映画館があったのではないかとのことでした。1960年代の航空写真でこの場所を見たところ、近くの民家と比べて巨大で屋根が黒い建物が写っています。周囲と比べて明らかに異質な建物であり、この建物が映画館だった可能性は高いと思われます。航空写真には駐車場しか映っていませんが、2018年6月には敷地の一角にパン屋「PLUS BAKERY RYO」(プラスベーカリー リョウ)が開店しています。

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(写真)駐車場とパン屋「PLUS BAKERY RYO」。

 

【映画館B ?】網野町に生まれ育った守源旅館の主人に聞いたところ、以下の航空写真の「謎の倉庫」と書いた位置に映画館があったのではないかとのことでした。現地を訪れたところ、巨大な3階建ての倉庫が建っていました。周囲と比べて異質な建物ではありますが、この建物が映画館だったかどうかはわかりません。立地の良さを考えると、この建物が建つ前のこの場所に映画館があってもおかしくはないと思いました。

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(写真)謎の倉庫。


 結局のところ、網野町にあった映画館の位置は1館も判明しませんでした

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(写真)2010年代の網野町中心市街地。

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(写真)1960年代の網野町中心市街地。

 

4. 網野町の映画館

4.1 網野第一映劇(1959年頃-1965年頃)

所在地 : 京都府竹野郡網野町住吉(1965年)
開館年 : 1959年頃
閉館年 : 1965年頃
1959年の映画館名簿には掲載されていない。1960年の映画館名簿では「網野第一映劇」。1961年・1962年・1963年の映画館名簿には掲載されていない。1964年・1965年の映画館名簿では「網野第一映劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。

 

4.2 網野公楽会館(1953年頃-1965年頃)

所在地 : 京都府竹野郡網野町浜詰(1965年)
開館年 : 1953年頃
閉館年 : 1965年頃
1961年の映画館名簿には掲載されていない。1962年・1963年の映画館名簿では「公楽会館」。1964年・1965年の映画館名簿では「網野公楽会館」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「北都信用金庫浜詰支店」職員駐車場。

 

4.3 網野劇場/日勝館(1930年-1972年頃)

所在地 : 京都府竹野郡網野町888(1972年)
開館年 : 1930年
閉館年 : 1972年頃
『全国映画館総覧 1955』によると1930年設立。1934年の映画館名簿では「網野劇場」。1936年の映画館名簿では「網野映画館」。1941年の映画館名簿では「網野劇場」。1943年・1947年・1949年・1950年・1953年の映画館名簿では「日勝館」。1955年の映画館名簿では「網野日勝館」。1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「網映日勝館」。1964年・1965年・1966年・1969年・1970年・1971年・1972年の映画館名簿では「網野日勝館」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はパン屋「PLUS BAKERY RYO」とその西側の駐車場。

 

京丹後市網野町の映画館について調べたことは「京都府の映画館 - 消えた映画館の記憶」にまとめており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(京都府版)」にマッピングしています。

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