振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

吉田町の映画館

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(写真)吉田町立図書館。2017年4月。

 

大井川の河口部に位置する町、静岡県榛原郡吉田町を訪れました。1889年(明治22年)に町村制を施行してから町域が変化していない珍しい自治体です。大正時代からうなぎの産地として知られ、かつては大井川の近くに多数の養鰻場がありました。東名高速道路の吉田インターチェンジがあることから、近年には町内に物流企業が多数進出しています。

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 (地図)静岡県における吉田町の位置。©OpenStreetMap contributors

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(地図)吉田町における各大字の位置。©OpenStreetMap contributors

 

吉田町の映画館一覧

かつて吉田町には4館の映画館がありました。

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(写真)『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』。榛原郡の欄には住吉劇場と神戸映画劇場の2館が掲載されている。

 

吉田座(-1960年代前半)

所在地 : 静岡県榛原郡吉田町片岡
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1960年以後1963年以前
『映画年鑑 1960年 別冊 全国映画館総覧』では「吉田座」。『映画年鑑 1963年 別冊 全国映画館総覧』には掲載されていない。なお、『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』には掲載されていない。映画館名簿以外の文献では言及を確認できず。

 

吉田中央劇場(-1960年代前半)

所在地 : 静岡県榛原郡吉田町片岡
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1963年以後1966年以前
『映画年鑑 1960年 別冊 全国映画館総覧』では「吉田中央」。『映画年鑑 1963年 別冊 全国映画館総覧』では「吉田中央劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。なお、『映画年鑑 戦後編 別冊 全国映画館録 1960』には掲載されていない。映画館名簿以外の文献では言及を確認できず。

 

神戸劇場 (1957年頃-1967年頃)

所在地 : 静岡県榛原郡吉田町神戸
開館年 : 1957年頃
閉館年 : 1967年頃
『映画年鑑 1960年 別冊 全国映画館総覧』や『映画年鑑 1963年 別冊 全国映画館総覧』では「神戸映画劇場」。『映画年鑑 1966年 別冊 全国映画館総覧』には掲載されていない。

『島田・牧之原・榛原今昔写真帖』(郷土出版社、2006年)には、1959年の神戸劇場(かんどげきじょう)の写真が掲載されている。1957年頃に建設され、1967年頃まで営業していた。静岡県道79号吉田大東線と静岡県道34号島田吉田線が交わる「神戸」の交差点近くにあった。跡地には民家が建っており、近くにはJAハイナン神戸支店や吉田町立自彊小学校がある。映画館前の静岡県道79号吉田大東線は交通量の増加により拡幅整備された。

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(写真)異なる角度から撮った神戸劇場跡地。現在は民家。2019年5月。

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(左)1960年代の神戸劇場周辺の航空写真。(右)2000年代の神戸劇場跡地周辺の航空写真。いずれも地理院地図 空中写真



住吉劇場(-1970年代前半)

所在地 : 静岡県榛原郡吉田町住吉2469
開館年 : 1960年以前
閉館年 : 1969年以後1973年以前
『映画年鑑 1960年 別冊 全国映画館総覧』や『映画年鑑 1963年 別冊 全国映画館総覧』や『映画年鑑 1966年 別冊 全国映画館総覧』や『映画年鑑 1969年 別冊 全国映画館総覧』では「住吉劇場」。『映画年鑑 1973年 別冊 全国映画館総覧』には掲載されていない。映画館名簿以外の文献では言及を確認できず。

 

住吉劇場はどこにあったのか

住吉はもっとも遠州灘に近い大字であり、吉田町役場がある大字です。吉田町に最後まで残っていた映画館が住吉劇場であることはわかりましたが、この映画館は住吉のどこにあったのでしょうか。

 

考察1:住所

1969年の『映画館名簿』によると住吉劇場の所在地は「吉田町住吉2469」。現在のこの住所の場所には民家があり、この民家のすぐ北側には大きな建物があります。映画館時代の建物がそのまま残っている可能性があると考えましたが、Googleストリートビューでは建物の一部分しか見えません。この建物の場所を【住吉劇場跡地候補地】としました。

なお、吉田町立図書館が所蔵しているもっとも古い住宅地図は2005年のものであり、静岡県立中央図書館が所蔵しているもっとも古い住宅地図は1977年のものであるため、住宅地図に住吉劇場は掲載されていません。

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(地図)ブロック中央の巨大な建物が【住吉劇場跡地候補地】。周辺の建物の番地。地理院地図

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(写真)Google ストリートビューで南側の道路から見た【住吉劇場跡地候補地】。©Google

考察2:立地

1960年代の吉田町大字住吉には、はっきりとした市街地/商店街が形成されていました。住吉神社や吉田町立住吉小学校前の交差点を市街地/商店街の中心とすると、【住吉劇場跡地候補地】は中心から250mと近く、映画館の立地としては絶好の場所に思えます。また、【住吉劇場跡地候補地】は商店街通りから2軒分奥まった場所にありますが、これは商店街型映画館にありがちな立地です。

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(写真)1960年代の航空写真における住吉市街地。地理院地図 空中写真 1961-1969

 

考察3:航空写真

1960年代の航空写真を見ると、【住吉劇場跡地候補地】は周囲の民家と比べて明らかに大きく、高い(≒影が大きい)ように見えます。また、シンプルな切妻屋根であることや、建物の辺長比(長辺と短辺の比率)が大きすぎないことも、映画館らしく見えます。これはこの時代の映画館全般に言えることでもあります。さらに、1960年代、1970年代、1980年代、2000年代の航空写真を見比べると、この建物は建て替えられていないようにも見えます。

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(左)1960年代の航空写真。地理院地図 空中写真 1961-1969(右)1970年代の航空写真。地理院地図 空中写真 1974-1978

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(左)1980年代の航空写真。地理院地図 空中写真 1988-1990(右)2000年代の航空写真。 地理院地図 空中写真 2007-

 

現地訪問結果

今回は以上の考察をふまえて現地を訪れたのですが、この建物の場所が住吉劇場跡地であるかどうか、またこの建物が映画館時代の建物そのままであるかどうかは、よくわかりませんでした。この建物は2000年代竣工ではないかと思えるほど新しいし、映画館特有のチケット売り場や扉も残されていませんでした。ただ、考察1から、この場所に住吉劇場があった可能性が高いと考えており、今後の調査で確定させられることを期待します。吉田町の田村典彦町長は1944年生まれ、吉田町出身で現在は吉田町住吉在住とのことなので、町長なら住吉劇場のことを知っているかもしれません。