振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

南知多町民会館図書室を訪れる

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(写真)名鉄内海駅の改札前にある喫茶店

 

愛知県で図書館未設置の自治体は6。尾張地方の大治町豊山町、知多の南知多町、奥三河設楽町東栄町豊根村。2017年晩秋に南知多町の内海地区にある南知多町民会館図書室を訪れた。

 

知多半島名古屋市に近く、名鉄によって観光地開発が行われている。三河湾日間賀島篠島には河和港や師崎港から高速船が出ているし、伊勢湾側には水族館の南知多ビーチランドやいくつかの海水浴場がある。知多半島の先端にある南知多町美浜町は性格がよく似ており、平成の大合併時には合併協議会が設置されたが、「南セントレア市」という新市名への反発感情から合併そのものが流れた残念な経緯がある。

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(地図)南知多町の位置。OpenStreetMapに加筆。作者 : OpenStreetMap contributor。

 

名鉄内海駅のねこたち

冬場にはフグ(夏場はタコ)で名古屋からの観光客を釣っているとはいえ、寒い時期の名鉄河和線の乗客は少ない。日本福祉大学がある知多奥田駅で若者がどっと降り、終点の内海駅までの数区間は空気を運ぶ。内海市街地からやや距離がある内海駅には冷たい風が吹きつけてくるが、異様に多いねこの存在で空気が和らいでいた。

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(写真)店番するねこ

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 (写真)店番するねこ

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(写真)おしりを隠しきれてないねこ

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(写真)散歩するねこ

 

内海駅から東にすぐの場所には哲学者の梅原猛が幼少期に暮らした「梅原邸」があった。梅原は仙台市に生まれ、伯父の梅原家に養子に入ったらしい。内海駅から南に1kmほど歩くと伊勢湾に面した千鳥ヶ浜海水浴場に出る。白い砂浜に青い空、ただし12月なので誰も歩いていない。

内海市街地の東側には内海川が流れている。江戸時代後期の内海地区は内海船による廻船業で繁栄し、内海川の周辺には廻船主や水主や船大工が多数住んでいたらしい。明治初期の邸宅が残る「尾州廻船内海船船主 内田家 - Wikipedia」は2017年7月に国の重要文化財に指定された。

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(写真)内海地区の千鳥ヶ浜海水浴場。

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(左)梅原邸。(右)「尾張廻船内海船船主 内田家」。

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(写真)かつて廻船業で栄えた内海川周辺。

 

南知多町民会館図書室

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(左)廃墟のような南知多町郷土資料館。(右)南知多町民会館図書室。

 

内海市街地の西端にある南知多町民会館(組織/敷地の名称であって建物の名称ではない)には、南知多町郷土資料館、南知多町民会館図書室、南知多町防災センター、グラウンドの4施設がある。1974年に内陸部に移転するまではこの場所に愛知県立内海高校があったらしく、南知多町郷土資料館は内海高校の校舎を転用している。とても開館しているようには見えなかったけれど、申し出れば建物の鍵を開けてくれるらしい。本当かな。この建物は晴れていても怪しい雰囲気を漂わせている。

図書室についてウェブ検索して得られる情報は少ない。訪れるまでは南知多町民会館という複合施設に図書室が設置されているのかと思っていたが、実際は平屋建ての単独施設だった。南知多町でISILコードが与えられている施設はここのみ。各地区の公共施設に図書コーナーが設置されているということだったが、南知多町公式サイトを閲覧しても、その存在はわからない。

 

この図書室にいた2時間ほどの間に他の利用者は来なかった。南知多町の地図を見るとわかるように、内海地区は南知多町にあるひとつの地区に過ぎない。旧内海町、旧豊浜町、旧師崎町、旧篠島村、旧日間賀島村の生活圏は分かれていると思われ、町域の西端に位置する内海地区まで図書室を利用しに来る住民はほとんどいないのではないかと思った。職員に聞いてみたところ、隣接する美浜町美浜町図書館 - Wikipediaには南知多町からかなりの住民が流れているらしく、さらに北側の武豊町にある武豊町立図書館 - Wikipediaまで足を運ぶ住民もいるらしい。

名古屋市に近い知多半島には人口が現在も増え続けている自治体が多い。ただし、隣接する美浜町は2000年代になって人口が減り始めた。名古屋市からもっとも離れた南知多町は1970年から一貫して減少している。美浜町のように図書館を建設する計画もなければ、新たな公共施設を建設することすら難しいということで、「図書館未設置」の状態は今後も続くのだろう。

 

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(写真)閲覧席と書架の様子。

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(写真)紙芝居・絵本・児童書。

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(左)新着図書。(右)愛知県図書館貸出文庫。

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(左)地域資料。 (右)林文庫。町民の林さんによる寄贈本。寄贈は現在進行形。

 

 

梅原文庫

この図書室の目玉はなんといっても「梅原文庫」。哲学者の梅原猛から寄贈された図書がまとめられている。梅原は仙台市に生まれ、南知多町の伯父の家に養子に入った。京都市に住む梅原のもとには、全国の著作家からその作家の著書が送られてくるらしく、すぐに何百冊とたまってしまう。そこで梅原は、1989年(平成元年)から年に1回ずつ、それらの本を南知多町に寄贈している。南知多町はそれらの本を「梅原文庫」として別置している。

南知多町が購入した新着図書」の裏側の書架が「梅原文庫の新着図書」。聞いた限りではどちらも1年分を新着図書の書架に置いているそうで、明らかに後者のほうが量が多い。梅原は哲学者・思想家であるだけに、9類の、特に随筆や詩集が多い印象。

梅原の著書をまとめた書架もあり、0類から9類まで分けて置かれている。ないのは5類(技術)と8類(言語)のみ。1類(哲学)と9類(文学)が多いのはいうまでもないが、0類(総記)が19冊、2類(歴史)が32冊、3類(社会科学)が15冊、4類(自然科学)が1冊、6類(産業)が3冊、7類(芸術)が14冊と、どの分野にも著書があるのには驚く。

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 (写真)梅原文庫。

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(写真)梅原文庫の新着図書。

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(写真)梅原猛の著書。