『全国映画館総覧1955』
4. 北陸甲信越地方
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(7)新潟県(8)新潟県(9)新潟県(10)新潟県(11)新潟県(12)新潟県
(写真)会場となった宇川アクティブライフハウス。
2021年(令和3年)2月13日(土)、京都府京丹後市丹後町の宇川地区で開催された「ウィキペディアタウン宇川・プレ」に参加しました。丹後地方でウィキペディアタウンなどを行っているedit Tangoと、edit Tangoに宇川地区の有志なども加わるウィキペディアタウン宇川実行委員会(仮)が主催です。
スケジュールは以下の通り。編集に用いる文献はedit Tangoメンバー・京丹後市立図書館・京都府立図書館が事前に準備しており、京都市にある京都府立図書館からは前日までに相互貸借用運搬箱が送られてきています。当日には10時から京丹後市立丹後図書館で文献を探し、また依頼していた文献を運搬箱ごと貸出しています。
午後までに会場の宇川アクティブライフハウスに移動し、13時には宇川地区の参加者と合流してイベントを開始。まずはWikipediaに関する説明を聞き(約1時間)、その後2グループに分かれて文献の閲覧やWikipediaの編集を行いました(約2時間30分)。
午前 文献集め(京丹後市立丹後図書室 ※一部の参加者)
10:00~11:20 文献集め
午後 イベント(宇川アクティブライフハウス)
13:05~14:15 ウィキペディアの説明
14:15~16:45 題材分析・文献調査・編集
京丹後市は6町の合併で発足した自治体であり、組織としての京丹後市立図書館は6町それぞれにあった2館4室からなります。丹後町にあった丹後町中央公民館図書室は合併後に京丹後市丹後図書室に改称。2019年(平成31年)に京丹後市丹後庁舎1階に仮移転し、2020年(令和2年)10月30日に丹後庁舎3階に移転開館しました。「海のみえる図書室」をキャッチフレーズとしており、閲覧席からは日本海や立岩などを見渡せます。
(左)丹後図書室がある京丹後市丹後支所。(右)丹後図書室の閲覧席。
移転にともなって床面積(510m2)は5倍以上となりました。内装は規文堂が手掛けたそうで、隙間を空けてたくさんの木箱型書架を置いた空間は児童書コーナーにぴったりです。児童書コーナーとカウンターの間にあるガラス窓にはポスカでお絵描きすることができ、利用者が描いた絵の他には図書館からの案内も書かれていました。
(左・中)絵本などのコーナー。(右)お絵描きができるガラス。
「間人ガニ」(たいざがに)などで知られる間人漁港は京丹後市屈指の漁港であり、郷土資料の書架には「海の本」を集めた常設コーナーがありました。藤原勘治(元毎日新聞西部本社代表)からの寄贈や寄付に基づく豊淑文庫のラベルもありましたが、京丹後市立図書館 - Wikipediaによると2010年に購入した書籍でしょうか。豊淑文庫の赤いラベルは文庫本や文芸書に多い印象です。
(左)郷土資料。右は「海の本」の書架。(中)豊淑文庫のラベルが混じる書架。(右)図書館トピックス。
宇川アクティブライフハウスは宇川地区の地域活動の拠点となる施設であり、施設の開設以前から活動している宇川加工所などが拠点としています。かつて下宇川保育所だった建物には多数の教室や講堂があり、今回は講堂に複数の机を設置して編集場所としています。
(写真)会場の講堂。
(左)宇川加工所が販売する商品。(右)宇川加工所に関する記事。
参加者はedit Tangoのメンバーに加えて、上宇川区・下宇川区の区長を務めている方、高校の社会科教員だった方、京丹後市で観光業に携わっている方などがいました。各年版の『映画館名簿』に久僧の映画館は登場しませんが、映画館について聞くと「久僧にも映画館があった」とのことで『丹後町史』を閲覧しました。1950年(昭和25年)から1958年(昭和33年)まで、現在の久僧公民館の北西すぐの場所に "久僧映画館" があったようです。
(左)1961年の久僧の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス(右)現在の久僧の航空写真。地理院地図
準備された文献は相互貸借箱5箱分。『丹後町史』や『京丹後市史』や『角川日本地名大事典』などの厚めの文献から、『宇川の未来づくり』や『宇川加工所のおいしいもん』などのパンフレット類、京丹後市立峰山図書館が所蔵する新聞切抜帳(新聞記事スクラップ)まで様々な種類の文献が準備されています。とはいえ限られた編集時間中にすべての文献を読み込むことはできないので、どれだけの範囲で文献を集めればいいのかは悩ましい。
(左・中・右)準備された文献。
(左・右)準備された文献。
漱石のねこさんによるWikipediaの説明の中では、edit Tangoのイベントで作成されたWikipedia記事が及ぼした影響の話が印象的でした。私も参加した2020年9月27日の「海と湖のウィキペディアタウン」では記事「樋越川」が作成されましたが、"川崎市議会議員が議会中にこの記事を読んでいたことがテレビに取り上げられて京丹後市観光公社に問い合わせがあった" とのこと。"商店街が公式サイトの改善をコンサルタントに依頼したときにWikipedia記事の構成が参考になると言われた" こと、"大学の教員がWikipedia記事を読んで商店に電話してきた" ことなどの話もありました。
(写真)Wikipedia記事の影響に関する説明。
編集した記事
宇川 (地名) - Wikipedia - 新規作成
宇川加工所 - Wikipedia - 新規作成
Wikipediaの説明の後、参加者は2グループに分かれて「宇川 (地名)」と「宇川加工所」の記事を新規作成しました。
私は宇川地区の地名記事を担当。宇川地区は14の大字からなる広域地名であり、かつての竹野郡上宇川村と下宇川村の範囲と定義できるものの、Wikipedia記事には何を書くべきか悩ましい。各大字の歴史や寺社などを細かく書いていけばいくらでも文章量が増えますが、宇川地区の概要を簡潔に把握できなくなってしまいます。(自分が編集に携わっておいてアレですが)将来的には内容の大幅な見直しが必要かもしれません。
(写真)土岐市立図書館。
2021年(令和3年)2月、岐阜県土岐市を訪れました。現在の土岐市域には計8館の映画館がありました。
1955年(昭和30年)、土岐郡駄知町・土岐津町・下石町・妻木町・泉町・肥田村・鶴里村・曽木村の8町村が合併して土岐市が発足しました。現在のJR中央本線土岐市駅があるのは土岐川の北側にある旧泉町であり、土岐市役所や土岐市立図書館があるのは土岐川の南側にある旧土岐津町です。
昭和30年代の映画全盛期、土岐市には計8館の映画館がありました。土岐市中心部(泉町と土岐津町)に「トキツ大映劇場」と「泉館」と「土岐津座」の3館、駄知町に「陶宝会館」と「陶栄座」の2館、下石町に「陶盛座」と「中映劇場」の2館、妻木町に「妻木劇場」の1館です。駄知町の2館と下石町の2館についてはすでに紹介していています。
(写真)土岐津座、中映劇場、日活陶劇、妻木劇場、陶宝会館、陶栄座、トキツ東映泉館の7館が掲載されている『土岐市商工名鑑 1961』土岐市商工会、1961年。
(地図)土岐市街地の映画館。Google My Maps
所在地 : 岐阜県土岐市土岐津町(1960年)
開館年 : 1922年2月18日
閉館年 : 1962年頃
1955年の映画館名簿には掲載されていない。1958年・1960年の映画館名簿では「土岐津座」。1963年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「上田町公民館」東100mで仕出し屋「玉屋」西の空き地。
『土岐津町誌』(土岐市土岐口財産区、1999年)によると土岐津座の所在地は土岐津町の上田地区。1960年頃の上田地区の航空写真を眺めていると気になる建物がありました。土岐市立図書館にあった『航空写真図 多治見市・土岐市・瑞浪市・笠原町・可児市・御嵩町』(東濃新報出版部、1964年)にはより鮮明に巨大な建物が映っており、この建物が土岐津座ではないかと推測して現地を訪れました。
(写真)1961年の土岐津座周辺の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス
(写真)現在の土岐津座跡地周辺の航空写真。地理院地図
土岐津座跡地推定場所の200mほど北を歩いていた女性(90歳)に聞いてみると、
「玉屋の裏手には劇場があった。敷地は広くなく、小さめの劇場だった」と言って土岐津座跡地まで案内してくださいました。この女性は土岐口の地主の家の出身で、ずっと土岐口に住んでいるそう。シルバーカーを押していましたがしっかりした足取りであり、話にもあやふやな感じがありませんでした。
女性には「そこの八百屋でも聞いてみるといい」と言われました。玉屋のはす向かいにある八百安商店はGoogleマップに掲載されておらず、また店先に看板などがないため見落としていました。八百保商店の店主の男性(60代?)によると、
「玉屋の裏手には劇場があったと聞いた事がある。弁士が活躍する無声映画を上映していたらしい」とのこと。「この一帯は土岐市土岐津町の一部ではあるが、一般的には土岐口と呼ばれる地域である。昔は南西に東濃鉄道駄知線土岐口駅があり、ここから駅に向かって肉屋や電器屋など様々な商店が立ち並んでいた」とのことです。
店主は劇場の名前は知らない様子でしたが、客の女性(70代?)は土岐津座という名前に反応しました。
(写真)土岐津座跡地にある空き地。
(左)土岐津座への入口脇にある玉屋。(右)話を聞いた八百保商店。
(地図)1934年の地図における土岐津座。小さな文字で「劇場」とある。「岐阜県土岐郡土岐津町全図」『土岐津』土岐津町、1934年。
(地図)1962年の住宅地図における土岐津座(中央)。『土岐市 全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(地図)1964年の住宅地図。すでに土岐津座は閉館しており掲載されていない。『陶都明細図帳 1964』住宅地図協会、1964年。名古屋市鶴舞中央図書館所蔵。
所在地 : 岐阜県土岐市泉町久尻468(1964年)
開館年 : 1935年12月1日
閉館年 : 1964年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が記載されていない。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年の映画館名簿では「泉館」。1963年の映画館名簿では「トキワ泉館」。1964年の映画館名簿では「泉館」。1965年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はアパート「コスモハイツ泉」。
「泉館」は国鉄中央本線土岐市駅の南西500mにあった映画館であり、跡地にはアパートが建っています。泉館は1960年代中頃に閉館しましたが、1970年代中頃の航空写真には1961年と同じと思われる建物が映っており、また1969年や1976年の住宅地図には跡地に泉館アパートという名前が記されているため、映画館だった建物の内部を区切るなどしてアパートに転用していたと思われます。
(写真)泉館跡地にあるコスモハイツ泉。右奥はJR中央本線の線路。Google maps
(地図)1962年の住宅地図における泉館(中央左)。『土岐市 全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
所在地 : 岐阜県土岐市泉町久尻542(1973年)
開館年 : 1946年10月
閉館年 : 1970年6月
『全国映画館総覧1955』によると1946年10月開館。1950年の映画館名簿では「土岐津大映劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「大映劇場」。1960年の映画館名簿では「トキツ東映」。1963年の映画館名簿では「トキワ東映」。1966年の映画館名簿では「トキツ東映劇場」。1969年の映画館名簿では「トキツ大映劇場」。跡地は土岐駅前郵便局南南西100mにある「株式会社アヅマ管理月極駐車場」西側。
国鉄中央本線土岐市駅に最も近かった映画館がトキツ大映劇場であり、映画館跡地を含めた複数の敷地が広い駐車場となっています。かつてはブロック北東に岐阜銀行土岐支店があったようですが、2012年(平成24年)の十六銀行への吸収合併後に取り壊されたようです。
(写真)トキツ大映劇場跡地にある月極駐車場。左奥にJR中央本線土岐市駅。
(写真)1961年の土岐津駅前の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス
(地図)1962年の住宅地図におけるトキツ大映(地図中では東映、中央左)。『土岐市 全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(地図)1964年の住宅地図におけるトキツ大映(地図中では東映)。『陶都明細図帳 1964』住宅地図協会、1964年。名古屋市鶴舞中央図書館所蔵。
所在地 : 岐阜県土岐市妻木町1404-1(1966年)
開館年 : 1931年(劇場)、1942年(映画館化)
閉館年 : 1968年
『全国映画館総覧1955』によると1942年開館。1950年・1953年・1955年・1958年・1960年・1963年・1966年・1969年・1973年の映画館名簿では「妻木劇場」。1976年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「土岐市立妻木公民館」(しろやま公民館)北140mにある空き地。
住宅地図には妻劇として記載されている妻木劇場の跡地は空き地になっており、敷地内にはガレージなども建っています。
(左)妻木劇場跡地にある空き地。
(写真)『土岐市商工名鑑 1961』土岐市・土岐市商工会、1961年。岐阜県図書館所蔵。
妻木劇場跡地の南のブロックには、妻木城をモチーフとする妻木公民館があります。妻木公民館の東側は妻木城に関する資料館になっており、「妻木八幡神社の絵馬」(岐阜県指定文化財)、「上郷庚申堂の香炉」(土岐市指定文化財)など複数の指定文化財が展示されていました。
公民館内には「地域文庫」という書棚がありました。土岐市立図書館の蔵書が30-50冊/月の頻度で配本されるようであり、データ上は公民館に対して団体貸出の手続きを行っているようです。
(左)妻木公民館。(右)土岐市立図書館の地域文庫。
(地図)1962年の住宅地図における妻木劇場(地図中では妻劇、中央上)。『土岐市 全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
(地図)1964年の妻木町の住宅地図。まだ妻木劇場が営業していたと思われる年だが掲載されていない。『陶都明細図帳 1964』住宅地図協会、1964年。名古屋市鶴舞中央図書館所蔵。
駄知町・下石町の映画館については個別にブログ記事を投稿しています。
土岐市の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。
(写真)倉庫として現存している中映劇場の建物。
2021年(令和3年)2月、岐阜県土岐市下石町(おろしちょう)を訪れました。
かつて下石町には映画館「下石劇場」がありました。土岐市全体の映画館については「土岐市の映画館」にまとめています。
土岐市は焼き物(陶磁器)の生産量が日本一の自治体であり、特に市南部の下石町はとっくりの生産で知られています。下石町の裏山地区には小規模な窯が点在し、2軒の窯には煉瓦煙突も残っています。
どんぶりの生産で知られる土岐市駄知町と比べると煉瓦煙突の密度は低いものの、ゆるキャラ「とっくりとっくん」を探す街歩きが楽しめます。町内の有志が製作しているという「とっくりとっくん」は町内の至る所に設置され、煙突を登っている者、本を読んでいる者、碁を打っている者、祠を拝んでいる者など様々なバリエーションがありました。
(写真)荒神窯にある2本の煉瓦煙突。左下には煙突を登るとっくりとっくん。
(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。
(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。
(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。
(写真)裏山地区に多数設置されているとっくりとっくん。
各年版の映画館名簿には下石町の映画館として「中映劇場」と「陶盛座」の2館が掲載されています。明治時代からある陶盛座については『郷土下石 資料編1』(桃井勝、1969年)と『ろくろの里 下石町誌』(下石陶磁器工業協同組合、1984年)に言及がありますが、中映劇場に言及している文献は映画館名簿以外には見当たらず。また、郷土資料や住宅地図などの文献では両館の正確な場所が判明しませんでした。
1940年代後半から1960年代の下石町の航空写真を見ると、中映劇場の跡地ではないかと気になる建物があり、1969年(昭和44年)の住宅地図ではその場所がマルケイパチンコとなっています。現在の航空写真を見ても同一地点に巨大な建物があるため、映画館時代の建物が残っているのではないかと推測して現地で聞き込みを行いました。
以下ではこの映画館を便宜的に "中映劇場" と表記していますが、話を聞いた4人の方はいずれも単に "映画館" と呼んでいました。
(写真)中映劇場と日活陶劇が掲載されている『土岐市商工名鑑 1961』土岐市商工会、1961年。
所在地 : 岐阜県土岐市下石町(1964年)
開館年 : 1953年4月
閉館年 : 1965年頃
『全国映画館総覧1955』によると1953年4月開館。1953年の映画館名簿には掲載されていない。1955年の映画館名簿では「中央劇場」。1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿では「中映劇場」。1965年の映画館名簿では「下石日活劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。「株式会社マルクニ・イトウ」東に映画館の建物が現存。
まずは、1969年の住宅地図にも掲載されている金物屋の美濃津屋で話を聞きました。店主の女性(70代後半?)によると、
「鶏肉屋の奥にはパチンコ店があり、さらに昔は映画館だった。名前は覚えていない。映画館だった建物がそのまま残っているか、建て替えているかはわからない」とのこと。中映劇場や中央劇場という名前ではなかったかと聞きましたが反応しませんでした。
中映劇場ではないかと推測した建物のすぐ北にある鳥春精肉店の店主の男性(70代?)によると、
「鳥春の奥の建物は映画館だった。パチンコ店だった時期もある。映画館だった建物がそのまま残っているが、外壁の修理や塗装なども行われている」とのこと。
鳥春精肉店の東隣にはうなぎ屋の明月があり、鳥春精肉店から仕入れた鶏肉をうなぎの代わりに用いた鳥ひつまぶしも提供しています。鳥ひつまぶしを食べながら店主の女性(70代?)に話を聞くと、
「明月の南西にある建物は映画館だった建物である。かつて道路から建物の入口までの両脇には長屋があり、靴屋などが入っていた。現在の建物は茶碗屋の倉庫になっている」。「下石町にはこの映画館のほかに陶盛座もあった。私が53年前に住みはじめたときにはもう両館とも閉館していた」とのことです。
中映劇場や中央劇場や下石日活劇場という名前ではなかったかと聞きましたが、美濃津屋の女性と同じく反応しませんでした。
(写真)中映劇場だった建物の裏側。左奥はマルクニ・イトウの工場。手前は東濃鉄道駄知線の廃線跡。
(左)中映劇場だった建物の西側面。(右)中映劇場だった建物の東側面。
(写真)現在の中映劇場周辺の航空写真。地理院地図
所在地 : 岐阜県土岐市下石町(1967年)
開館年 : 1882年5月
閉館年 : 1967年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1950年・1953年・1955年の映画館名簿では「陶盛座」。1956年・1958年・1960年・1963年・1964年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1967年の映画館名簿では「下石陶盛劇場」。1968年・1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はうなぎ屋「ほうねんや」北北東70mにある空き地。
美濃津屋の女性によると、
「陶盛座は清水にあった。美濃津屋から北に向かい、三叉路を右に、続いて左に曲がった先にあった」とのこと。
うなぎ屋の明月では、「明月は90年前から営業している。現在は息子が3代目を継いでいる」と聞きました。3代目でもある板長にはGoogle マップを見ながら陶盛座の場所を教えてもらいました。
「うなぎ屋のほうねんやの角を上っていった先にある。(Google マップの航空写真を見ながら)この空地の場所である」とのことです。中映劇場と陶盛座の両館とも近くにうなぎ屋があるのは偶然でしょうか。
(写真)陶盛座跡地にある空き地。
現地には巨大な敷地の空き地があり、その東側には1951年(昭和26年)に下石町が設置した「吉見先生住宅之跡」という石碑が建っていました。下石小学校で教員を務めた吉見門也先生のことらしく、下石小学校には銅像も建っているようです。
(写真)陶盛座跡地の空き地と「吉見先生住宅之跡」。
(写真)陶盛座。中央には「吉見先生住宅之跡」と思われる石碑も見える。 下石町誌編纂委員会『ろくろの里 下石町誌』(下石陶磁器工業協同組合、1984年)。
(写真)現在の陶盛座周辺の航空写真。地理院地図
(写真)話を聞いたうなぎ屋 明月の「鳥ひつまぶし」。
(写真)話を聞いたうなぎ屋 明月。
(左)話を聞いた鳥春精肉店の工場。奥にちらりと見えているのが中映劇場だった建物。(右)話を聞いた美濃津屋。
(写真)1961年の下石町の航空写真。地図・空中写真閲覧サービス
後日、中映劇場や陶盛座が掲載されている住宅地図を発見しました。
1962年の地図
(地図)1962年の住宅地図における陶盛座(地図中では陶生座、中央上)。この地図には中映劇場は掲載されていなかった。『土岐市 全商工住宅案内図帳』住宅協会、1962年。愛知県図書館所蔵。
1964年の地図
(地図)1964年の住宅地図における中映劇場(地図中では中央劇場、中央下)と陶盛座(地図中では陶劇、中央上)。『陶都明細図帳 1964』住宅地図協会、1964年。名古屋市立鶴舞中央図書館所蔵。
下石町の映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、跡地については「消えた映画館の記憶地図(岐阜県版)」にマッピングしています。