振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

桑名市の映画館

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(写真)桑名市立中央図書館が入るくわなメディアライブ。2020年10月。

2020年(令和2年)10月、三重県の北勢地域にある桑名市を訪れました。かつて桑名市には「桑名キネマ」「楽天地劇場」「セントラル劇場」「桑名東映劇場」「三重大劇」の5館の映画館がありました。現在は8スクリーンのシネコンイオンシネマ桑名」があります。

 

 

1. 桑名市を歩く

1.1 六華苑

揖斐川の河岸にはジョサイア・コンドルが設計した六華苑があります。1913年(大正2年)建築の重要文化財建造物であり、洋館と和風建築が繋がっている不思議な邸宅でした。

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(写真)邸宅と庭園。邸宅の右側は洋館、左側は和風建築。2020年6月。

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(左)洋館部分。2020年6月。(右)和風建築部分。2020年6月。

 

1.2 桑名市立中央図書館

図書館の歴史

1947年(昭和22年)には桑名市立図書館が設立され、2004年(平成16年)にはくわなメディアライブの中に現行の桑名市立中央図書館 - Wikipediaが開館しました。桑名市立中央図書館は「日本で初めてPFI方式によって建設・運営されている図書館」であり、図書館雑誌などで言及されることも多い。

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(写真)桑名市立中央図書館が入るくわなメディアライブ。2016年6月。

 

図書館の郷土資料

郷土資料室への入館に申請が必要なのは鬱陶しいのですが、市民から郷土に関する情報を広く収集する「昭和の記憶」事業など、郷土資料の収集に力を入れているのには好感を持ちます。データベース類が乏しい四日市市立図書館や津市津図書館と比べるとオンラインデータベースが充実しており、特に新聞データベースは中日新聞朝日新聞(聞蔵Ⅱビジュアル)、読売新聞(ヨミダス歴史館)、日本経済新聞日経テレコン)と4種類あります。

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(左)一般書の書架。2016年6月。(中)自動貸出機。2016年6月。(右)テーマ展示「連鶴再考」。「桑名の千羽鶴」は桑名市無形文化財。2016年6月。

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(左)学習席。2016年6月。(中)自動化書架。2020年10月。(右)くわなメディアライブ1階のタリーズコーヒー。2020年10月。

 

2. 桑名市の映画館

かつて桑名市には「桑名キネマ」(1962年-1995年9月)、「楽天地劇場」(1951年-1971年)、「セントラル劇場」(1946年-1966年)、「桑名東映劇場」(1951年-1965年)、「三重大劇」(1951年-1962年)の5館の映画館がありました。現在は8スクリーンのシネコンイオンシネマ桑名」(1995年3月-)があります。

 

2.0 映画館の歴史

1925年(大正14年)には桑名駅中心市街地を結ぶ八間通りが開通し、1927年(昭和2年)9月には八間通りに路面電車の桑名電軌も開業。1927年(昭和2年)夏には八間通り沿いに旭ビルという象徴的な近代建築が竣工し、旭ビルにあった映画館「旭劇場」では名古屋と同時に作品がロードショー公開されました。戦後の1951年(昭和26年)、旭ビルの跡地に開館したのが「三重大劇」です。

1951年(昭和26年)4月には「三重大劇」、5月には「桑名東映劇場」、12月には「楽天地劇場」が相次いで開館していますが、いずれも経営者は三重興行株式会社を設立した松谷清です。1958年(昭和33年)には経営者が大野久吉に交代。1960年(昭和35年)にピークを迎えた映画観客数が減少すると、1962年(昭和37年)には「三重大劇」、1965年(昭和40年)には「桑名東映劇場」、1971年(昭和46年)には「楽天地劇場」と、ひとつづつ閉館させていきました。

1962年(昭和37年)には桑名駅北の畷町に「桑名キネマ」が開館。1971年(昭和46年)には桑名市唯一の映画館となり、1975年(昭和50年)の火災後には2スクリーンを持つ建物に建て替えます。1995年(平成7年)3月に三重県初のシネコンとして「ワーナー・マイカル・シネマズ桑名」(現・イオンシネマ桑名)が開館すると、「桑名キネマ」は同年9月に閉館しています。

 

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(地図)かつて桑名市にあった映画館。Google My Maps

 

5館の映画館があった自治体としては「桑名キネマ」以外の閉館時期が早く、また郷土資料における言及が少ない。三重県の各都市の映画館を紹介する久保仁『ローカル映画館史』(三重県興行環境衛生同業組合、1989年)以外の書籍での言及はほとんどないです。

三重県立図書館における桑名市の住宅地図の最古は1973年版、桑名市立中央図書館における桑名市の住宅地図の最古は1990年版であり、桑名市立中央図書館に「4ページ分だけある1967年版住宅地図の複製」や「1958年や1967年の都市計画図」がなかったら、5館中3館は跡地すら判明しませんでした。

 

2.1 三重大劇(1951年-1962年)

所在地 : 三重県桑名市相生町(1963年)
開館年 : 1951年4月
閉館年 : 1962年12月
『全国映画館総覧1955』によると1951年4月開館。1950年の映画館名簿では「桑名旭劇場」。1953年・1955年の映画館名簿では「三重大劇」。1958年の映画館名簿では「三重大劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「三重大劇」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「寺町通り商店街」アーケード北端部の広場。

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(写真)寺町通り商店街アーケード北端部と三重大劇跡地の広場。

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(左)寺町通り商店街アーケード南端部。(右)三重大劇跡地の広場。

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(地図)1958年の桑名市都市計画図。寺町通り商店街周辺。中央上に三重大劇を表す「映」。

 

2.2 桑名東映劇場(1951年-1965年)

所在地 : 三重県桑名市寿町(1963年)
開館年 : 1951年5月
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧1955』によると1951年5月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年の映画館名簿では「桑名劇場」。1960年・1963年の映画館名簿では「桑名東映劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「桑名市総合医療センター」立体駐車場。

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(左)桑名東映劇場跡地の桑名市総合医療センター立体駐車場。(右)桑名東映劇場が面していた寿町通り。

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(地図)1958年の桑名市都市計画図。国鉄近鉄名駅前。右下に桑名東映劇場を表す「映」。中央左に楽天地劇場を表す「映」。

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(地図)1967年のゼンリン住宅地図。中央左に桑名東映劇場跡地を表す「アキヤ 元映画館」。

 

2.3 セントラル劇場(1946年-1965年)

所在地 : 三重県桑名市大字矢田崩(1966年)
開館年 : 1946年7月
閉館年 : 1965年
『全国映画館総覧1955』によると1946年7月開館。1950年・1953年の映画館名簿では「セントラル・シアター」。1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「セントラル劇場」。1966年の映画館名簿では「桑名セントラル劇場」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンマンションアトレ益生駅前」。

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(地図)1958年の桑名市都市計画図。国鉄関西本線益生駅周辺。中央左にセントラル劇場を表す「映」。

 

2.4 楽天地劇場(1951年-1971年)

所在地 : 三重県桑名市寿町楽天地21(1969年)
開館年 : 1951年12月
閉館年 : 1971年3月
『全国映画館総覧1955』によると1951年12月開館。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「楽天地劇場」。1966年・1969年の映画館名簿では「桑名楽天地劇場」。1973年の映画館名簿には掲載されていない。跡地はマンション「サンファーレ北館」(サンマンションアトレ桑名)建物北側。

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(左)楽天地劇場跡地にあるサンファーレ北館。(右)1955年開設の桑名一番街。楽天地劇場があった時代の名残を残す。

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(地図)1967年のゼンリン住宅地図。1枚目の南が2枚目。「楽天地劇場」。

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(地図)1958年の桑名市都市計画図。国鉄近鉄名駅前。中央左に楽天地劇場を表す「映」。右下に桑名東映劇場を表す「映」。

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(地図)1967年の桑名市都市計画事業 桑名駅市街地再開発事業平面図。右下に「楽天地劇場」。

 

2.5 桑名キネマ(1962年-1995年)

所在地 : 三重県桑名市畷町301(1995年)
開館年 : 1962年7月1日
閉館年 : 1995年9月25日
1963年の映画館名簿には掲載されていない。1966年・1969年・1973年・1976年の映画館名簿では「桑名キネマ」。1980年の映画館名簿では「桑名キネマ・キネマ2」(2館)。1985年・1990年・1995年の映画館名簿では「桑名キネマ・桑名キネマ2」(2館)。2000年の映画館名簿には掲載されていない。跡地は「桑名市子ども・子育て応援センターキラキラ」。最寄駅は近鉄名古屋線・JR関西本線名駅

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(写真)桑名キネマ跡地にある桑名市子ども・子育て応援センターキラキラ。

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(地図)1967年のゼンリン住宅地図。中央上に「桑名キネマ」。

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(地図)1980年代のゼンリン住宅地図。中央右に「1F桑名キネマ 2Fキネマ2」。

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(地図)1969年の昭文社桑名市全図。桑名駅東に「桑名キネマ」。

 

2.6 イオンシネマ桑名(1995年-)

所在地 : 三重県桑名市新西方1丁目35 イオンモール桑名3番街4階(2020年)
開館年 : 1995年3月24日
閉館年 : 営業中
イオンシネマ桑名は1995年(平成7年)に開館した8スクリーンのシネコンです。東海3県初・三重県初という記念すべきシネコンであり、開館当初の名称はワーナー・マイカル・シネマズ桑名でした。

JR・近鉄名駅から西に約2km、丘陵に開発された住宅地のイオンモール桑名にあり、公共交通機関で訪れる場合はバスの乗車が必須。2013年(平成25年)にはわずか7kmの距離に、イオンシネマ桑名より多い10スクリーンのイオンシネマ東員が開館しています。同じイオンシネマで観客の奪い合いは起こっていないのでしょうか。

2020年(令和2年)の新型コロナウイルスの流行時、緊急事態宣言の発令中にはイオンシネマ桑名も長期休館していました。5月18日には全国のイオンシネマが一斉に営業を再開し、再開初週にイオンシネマ桑名を訪れました。

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(写真)イオンシネマ桑名。(左)エスカレーター。2020年5月。(右)ロビー。2020年5月。

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(写真)イオンシネマ桑名。(左)ロビーの入口。2020年5月。(中)ホールの入口。2020年5月。(右)ホール。2020年5月。

 

桑名市にあった映画館について調べたことは「三重県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(中部版)」にマッピングしています。

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赤坂町の映画館

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(写真)金生山の中腹から見た濃尾平野。中央右奥が大垣市街地。

 

2020年(令和2年)11月、岐阜県大垣市赤坂町(旧・不破郡赤坂町)を訪れました。かつて赤坂町には映画館「赤坂劇場」がありました。

 

 

1. 赤坂町を歩く

近世の赤坂は中山道の赤坂宿として栄えた町。近代には金生山 - Wikipedia(きんしょうざん、かなぶやま)における石灰石の産出が本格化し、金生山は「日本一の石灰石産地」だそうです。

 

赤坂町は観光地というほどではありませんが、宿場町としての歴史を伝えるいくつかのスポットがありました。川船が行き来した赤坂湊跡には1875年(明治8年)建築の警察屯所を復元した赤坂港会館が。中山道と谷汲街道の分岐点には享保15年(1730年)または安永4年(1775年)建築の旧清水家住宅が。旧清水家住宅は大垣市有形文化財に指定されており、赤坂の街並み景観の核となっています。

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(左)赤坂港会館。街並み散策の拠点。(右)赤坂湊跡。

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(写真)中山道と谷汲街道の分岐点。(左)右は旧清水家住宅。(右)左奥は十六銀行赤坂支店。

 

金生山は山体の大部分が削り取られており、JR東海道本線などからも異様な景観を見ることができます。金生山の中腹にある金生山化石館の開館は1964年(昭和39年)と古く、文字通り掘り出し物の展示物もありそうでした。

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(写真)現在の赤坂町。地理院地図

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(左)金生山神社。(右)金生山化石館。

 

2. 赤坂町の映画館

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(地図)赤坂町における赤坂劇場。Google My Maps

 

2.1 赤坂劇場(戦前-1963年頃)

所在地 : 岐阜県不破郡赤坂町(1963年)
開館年 : 戦前
閉館年 : 1963年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「赤坂劇場」。1964年・1966年の映画館名簿には掲載されていない。

西濃地域の中心都市である大垣市に近いこともあり、「赤坂劇場」は1963年(昭和38年)頃という早い時期に閉館しています。劇場が掲載された住宅地図は存在せず、書籍での言及も確認できていません。各年版映画館名簿のほかに「赤坂劇場」の存在が確認できる資料は、戦中の1941年(昭和16年)に発行された下記の地図のみです。

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(地図)1941年の赤坂町の地図。

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(左)1941年の赤坂町の地図。拡大。(右)1941年の大垣市周辺の劇場・映画館の広告。

 

上記の地図を頼りに現地を訪れ、赤坂地区センターと和洋菓子司 金生堂で話を聞きました。赤坂地区センターの男性職員(60代?)は「赤坂劇場について詳しくは知らないが、赤坂地区センターから路地を少し南に下った場所、赤い車が停車しているアパート付近にあったのではないか」とのことで、話の内容は1941年(昭和16年)の地図とも合致します。

金生堂の主人(70歳前後?)は「赤坂劇場」に入った経験がありました。「和田電気商会の角の路地を北に入り、三叉路を右に進んだ先のアパートの場所に赤坂劇場があった。役者が来て公演することもあれば、1か月に1回の頻度で移動映画を上映することもあった。その後は映画館となり、自分が小学生の頃までは営業していた。2階席がある木造の古い建物だった。床は板張りで固定座席はなく、観客は家から座布団を持参した。閉館してからは館主の住居となったが、30年~40年前、昭和の終わり頃に取り壊され、跡地にアパートが建った」とのことです。

 

跡地のアパート「ハイツ暖」はやや奇妙な形状で、竣工当時は斬新なアパートだったと思われます。中山道から北に約150m、標高差10mの坂を上った場所にあります。周囲には寺院や神社が集まっていて静かであり、劇場の立地としては珍しいように感じました。

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(写真)赤坂劇場跡地のハイツ暖。

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(写真)話を聞いた和菓子司 金生堂。中山道沿い。

 

赤坂町にあった映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(中部版)」にマッピングしています。

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墨俣町の映画館

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(写真)墨俣町にあるアーチ。

2020年(令和2年)11月、岐阜県大垣市墨俣町(旧・安八郡墨俣町) を訪れました。かつて墨俣町には映画館「盛栄座」がありました。

 

 

1. 墨俣町を歩く

1.1 美濃路・夜城園跡

墨俣町といえば木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が築いた墨俣一夜城で知られ、城跡には天守のある奇怪な歴史資料館が建っていますが、近世には東海道中山道を結ぶ美濃路の宿場町でもありました。墨俣宿脇本陣の跡地には1891年(明治24年)の濃尾地震後に建てられた安藤家があり、街並み散策の起点となっています。

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(左)安藤家(墨俣宿脇本陣跡)。大垣市景観遺産。(右)安藤家が面する通り。

 

近年の墨俣市街地では多くの和風建築が取り壊されたようであり、単独の建築物ではない "街並み" としてはやや魅力に欠けるかもしれません。2018年(平成30年)頃には安藤家と並んで大垣市近代化遺産に認定されていたさくら湯も取り壊され、跡地には真新しい民家が建っています。夜城園という赤線跡が言及されることも多いのですが、目を見張る建築物は数軒ある程度でした。

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(写真)夜城園跡にある建物。

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(左)夜城園跡にある民家。(右)夜城園跡が面する通り。

 

1.2 寺町界隈

美濃路の南側には式内社の墨俣神社があり、また6軒の寺院が集まる寺町があります。旧・安八郡墨俣町は市街地も自治体域もとてもコンパクトであり、大垣市への編入前には「日本一面積の小さい自治体」だったようです。

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(左)式内社の墨俣神社。(右)6の寺院がある寺町界隈の案内看板。

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(左)広専寺含めて3寺院の本堂が見える地点。(中)満福寺。(右)等覚寺。

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(左)光受寺。(中)本正寺。(右)明台寺。

 

2. 墨俣町の映画館

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(地図)墨俣市街地における盛栄座。Google My Maps

 

2.1 盛栄座(戦前-1968年頃)

所在地 : 岐阜県安八郡墨俣町(1968年)
開館年 : 戦前
閉館年 : 1968年頃
『全国映画館総覧1955』には開館年が掲載されていない。1950年の映画館名簿には掲載されていない。1953年・1955年・1958年・1960年・1963年の映画館名簿では「盛栄座」。1966年・1968年の映画館名簿では「墨俣盛栄座」。1969年の映画館名簿には掲載されていない。

盛栄座について言及している書籍は『写真で見る 明日のすのまた』(墨俣町、1994年)のみであり、『写真で見る 明日のすのまた』以外には各年版の映画館名簿でしかその存在がわかりません。文献では正確な場所、開館年や閉館年が把握できず、建物の外観の写真も見あたりません。読みは「せいえいざ」だと思われますが、それすら判然としません。

『全国映画館総覧 1955』によると「盛栄座」の開館年は不明であり、座席数は600席、安八郡大藪町の「大藪劇場」同様に田中義夫が経営者です。名前を確認できる最後の映画館名簿である『映画便覧 1968』によると、座席数は不明であり、上映作品は大映東映です。経営者は大垣土地興業に代わっていますが、大垣土地興業が経営していたのは盛栄座のみのようであり、大垣市内では映画館を経営していません。

『写真アルバム 大垣市の昭和』(樹林舎、2018年)によると、墨俣町には飲食店や芸妓置屋などで結成された組合の盛栄社があったとのことです。盛栄社は『大垣市 大日本職業明細図』(東京交通社、1941年、附 墨俣町)に掲載されていました。盛栄社は現在の墨俣東コミュニティーセンター付近にあったようです。

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(地図)『大垣市 大日本職業明細図』(東京交通社、1941年、附 墨俣町)。右上に組合の盛栄社。

 

ここまで調べた段階で現地を訪れました。

茶店 とお山の軒先で新聞を読んでいた男性(70代?)によると、「盛栄座」はやはり墨俣東コミュニティーセンターの場所にあったとのことです。美濃路と夜城園跡に挟まれた場所にあり、前回訪れた際には見落としていた路地でした。

墨俣東コミュニティーセンターは約30年前の1988年(昭和63年)竣工。当時は墨俣宿の街並みの中で異質な洋風建築だったと思われますが、和風にも見える三角形の屋根の形状が気になりました。戦前(?)の建築である「盛栄座」へのオマージュの可能性があると思いましたが、墨俣東コミュニティーセンターは閉館していたため話を聞くことはできませんでした。

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(写真)盛栄座跡地にある墨俣東コミュニティーセンター。 

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(左)墨俣東コミュニティーセンター。 (右)墨俣東コミュニティーセンターが面している路地。

 

墨俣町にあった映画館について調べたことは「岐阜県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(中部版)」にマッピングしています。

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岐阜県池田町の映画館

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(写真)池田町図書館。

2019年(令和元年)11月、岐阜県揖斐郡池田町を訪れました。かつて池田町には映画館「池野劇場」がありました。

 

1. 池田町図書館

1.1 図書館の建物

池田町図書館は1996年(平成8年)開館。延床面積は2,041m2であり、開館時には岐阜県の町立図書館としては最大だったようです。

外観の特徴としては、青緑色と茶色による配色、ガラスを多用した円形の躯体、とんがり屋根の塔屋などがあります。愛知県にある2つの図書館、1992年(平成4年)開館の長久手町中央図書館(現・長久手市中央図書館)、1995年(平成7年)開館の佐屋町立図書館(現・愛西市中央図書館)とよく似ている。これらの特徴は1990年代中頃の町立図書館の流行だったのでしょうか。

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(左)池田町図書館。(中)長久手市中央図書館。(右)愛西市中央図書館。

 

1.2 図書館の郷土資料

円形の建物の中央部は2層分の吹き抜けになっており、その周囲に書架が配置されています。1階の山形書架は新着郷土資料の棚であり、博物館の展覧会図録、伊吹山文化圏のタウン誌である『ふもと』の最新号、地域に関するエッセイ本などがありました。館内中央部の吹き抜けが情報探索の起点になっている印象を強く受けました。

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(左)カウンター。(右)中央部の吹き抜け。

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(左)もっとも入口に近い展示用書架。新着図書・新着郷土資料・図書館からの案内など。(中)テーマ展示。「秋の本」。(右)1階の書架。

 

2階の郷土資料コーナーには西濃地方のタウン誌である『西美濃わが街』の製本済バックナンバーがすべてありました。『西美濃わが街』は2011年(平成23年)に廃刊となりましたが、郷土の歴史や文化に関する濃い内容の記事が多く、記録的な価値の高いタウン誌です。西濃地方の中心都市である大垣市立図書館では、残念ながら開架ではなく閉架(準備室)に保管されています。

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(左)1階の書架。(中)2階の吹き抜け。(右)『西美濃わが街』などの郷土雑誌。

 

池田町周辺の4自治体は人口規模が似通っているので比較したくなります。『日本の図書館 統計と名簿 2019』(日本図書館協会、2020年)で統計を見てみると、蔵書数・年間貸出数・年間資料費のいずれの数値でも池田町図書館は抜きんでていることがわかりました。貸出密度が約10冊/人というのは全国的に見ても高く、岐阜県内でも安八郡安八町(ハートピア安八図書館)に次ぐ数字だと思われます。

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2. 池田町の映画館

2.1 池野劇場(1948年-1961年頃)

所在地 : 岐阜県揖斐郡池田町(1960年)
開館年 : 1948年6月
閉館年 : 1961年頃
『全国映画館総覧1955』によると1948年6月開館。1955年・1958年の映画館名簿では「池野映画劇場」。1960年の映画館名簿では「池野劇場」。1963年の映画館名簿では「池野映画劇場」。1966年の映画館名簿には掲載されていない。1968年の住宅地図では「池野東映」。1980年の住宅地図では跡地に「樋口敬之丞 縫製業」。跡地は池田町役場南100mの寿司屋「一休さん」南の民家。

1924年大正13年)に池野天満宮がある天神町に建設されたのが劇場「池野劇場」であり、芝居の興行や活動写真の上映が行われています。

戦後の1948年(昭和23年)には、別地点の上町に映画館「池野劇場」が開館。1961年(昭和36年)頃の閉館後もしばらくは建物が残っていたようであり、1960年代前半の住宅地図には池野東映として掲載され、1970年代の航空写真にも池野劇場らしき建物が見えます。

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(左)戦前の天神町にあった池野劇場が描かれた地図。(右)戦後の上町にあった池野劇場(池野東映)が描かれた1960年代前半の住宅地図。

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(写真)1970年代の航空写真における池田町の映画館。池野劇場らしき巨大な建物が見える。地理院地図