振り返ればロバがいる

Wikipediaの利用者であるAsturio Cantabrioによるブログです。「かんた」「ロバの人」などとも呼ばれます。愛知県在住。東京ウィキメディアン会所属。ウィキペディアタウンの参加記録、図書館の訪問記録、映画館跡地の探索記録などが中心です。文章・写真ともに注記がない限りはクリエイティブ・コモンズ ライセンス(CC BY-SA 4.0)で提供しています。著者・撮影者は「Asturio Cantabrio」です。

河守会館の椅子

(写真)河守会館の椅子。

2024年(令和6年)10月、京都府福知山市大江町にある京都丹後鉄道宮福線大江駅を訪れました。

 

1. 大江町を訪れる

1.1 鬼伝説と町おこし

京都府福知山市大江町には鬼伝説があります。"鬼退治" で知られる源頼光を現代に転生させ、"鬼大使" に任命して観光スポットを巡らせる町おこしを行っています。

www.city.fukuchiyama.lg.jp

 

1.2 河守会館の椅子

かつて大江町には京都府最大の鉱山である河守鉱山があり、福利厚生施設として映画館の「河守会館」(こうもりかいかん)がありました。

最盛期には人口1000人もの鉱山町があったことで、近隣の年配の方は河守鉱山に少なからず思い出があるようです。2022年(令和4年)7月の「第2回毛原ウィキペディア勉強会」では、毛原地区の方と一緒に 河守鉱山 - Wikipedia を作成しました。

(写真)2022年7月の旧河守会館。photo : Miya.m

 

河守鉱山は1973年(昭和48年)に閉山しましたが、河守会館の建物は半世紀後の2023年(令和5年)まで体育館などとして存続。その後老朽化した建物が解体されましたが、2024年(令和6年)6月には4脚1セットの椅子が大江駅に設置されています。5月18日には河守会館跡地で屋外上映会も開催されています。

参考:「大江駅に昔の映画館の椅子 レトロな雰囲気ぴったり」『両丹日日新聞』2024年6月4日

www.ryoutan.co.jp

(写真)河守会館の椅子。

(写真)河守会館の椅子の説明。

 

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福知山市立図書館大江分館には河守鉱山の模型があり、河守会館も「映画館」として言及されています。

(写真)河守鉱山の模型。

(写真)大江駅の入口。

「ウィキペディアタウンin栗山」に参加する

(写真)北の錦記念館。登録有形文化財

2024年(令和6年)10月6日(日)、北海道夕張郡栗山町で開催された「ウィキペディアタウンin栗山」に参加しました。「栗山町の映画館」からの続きです。

 

kuriyama-town.note.jp

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1. 栗山町を訪れる

栗山町は石狩平野の東端にある自治体であり、札幌市までの距離は約30kmです。札幌駅まで高速バスの定期路線が運行されていますが、鉄道でのアクセスはやや不便です。

北海道の町について予習すると「誰かが開拓したからそこに町がある」ということに気づかされます。1888年明治21年)に仙台藩角田出身の泉鱗太郎がこの地に入植して角田村が形成され、名称が栗山町になったのは戦後の1949年(昭和24年)のことです。北海道の他地域と同様に、栗山町の市街地も縦横1.5km程度の碁盤の目状に広がっていますが、北海道以外ではほぼ起こりえない都市計画が行われた歴史に身震いします。

 

近代から戦後の空知地域には多数の炭鉱があり、栗山町の歴史を語る上でも炭鉱業は外せません。空知地域と胆振地域にまたがる日本遺産として「炭鉄港」(たんてつこう)があり、今回の題材となった小林酒造/小林家も日本遺産の構成文化財のひとつとなっています。

炭鉱業が衰退した後、栗山町の人口は1970年代から一貫して減少しています。居住人口の減少はこれからも続くでしょうが、栗山町ブランド推進課は関係人口を増やすための取り組みに力を入れており、「ウィキペディアタウンin栗山」もその取り組みのひとつに位置づけられています。

2023年(令和5年)12月に『ウィキペディアまちおこし』を著した伊達深雪さんがイベントのメイン講師であり、私(かんた)ももう一人の講師として参加させてもらいました。

 

2. 施設見学

2.1 小林家

今回のイベントは小林酒造への現地集合でした。小林酒造の敷地内には蔵など多数の登録有形文化財があり、主屋にあたる小林家が見学施設となっています。3代目当主の長女である小林千栄子さんの案内で建物内を見学しました。

「男が酒を造り、女は家を守った。」というテーマ通り、小林酒造における女性史が語られます。玄関には巨大なタペストリーが飾られていますが、これは2代目当主の妻であるチノさんが集めた端切れを3代目当主の妻である榮子さんが縫ったものです。

(写真)玄関のタペストリーの解説。

(写真)玄関のタペストリー。

 

小林家には23もの部屋がありますが、最も大きな部屋は2階の広間です。広間には酒器や膳が並べられた状態で展示されており、可杯(べくはい、盃洗(はいせん)、酒燗器、うぐいす徳利など面白い酒器の解説もありました。

(写真)2階の広間。

(写真)甘酒と干菓子。

 

2.2 小林酒造

後半は小林酒造の蔵見学です。小林酒造では13もの建物が登録有形文化財に登録されていますが、一番蔵と六番蔵に入って蔵人から解説を聴きました。現在の小林酒造は北海道産米にこだわった酒造りをしていますが、かつては近隣の鉱山で働く炭鉱夫向けの安酒を大量生産していたという歴史が興味深いです。

(写真)小林酒造の中庭。

(写真)「北の錦」の酒屋看板。

(写真)蔵見学。

(写真)六番蔵の解説。

(写真)一番蔵の解説。

 

小林酒造では建物によって多様な構造や外壁が興味深い。13棟のうち木造なのは小林家など2棟のみであり、一番蔵など6棟は煉瓦造、北の錦記念館は鉄筋コンクリート造、六番蔵など4棟は木骨石造という聞きなれない構造です。敷地の北側に回ると煉瓦造の蔵と石造の蔵が6棟連続で並んでおり、北海道における歴史ある酒蔵を象徴する景観です。

北の錦記念館は鉄筋コンクリート造ですが、外壁には色むらのある黒タイル(焼過煉瓦)が貼られています。愛知県豊橋市二川町にある黒煉瓦蔵にも似た印象であり、唯一無二の近代建築に見えます。

木骨石造は北海道に多い建築構造であり、木造の骨組みの外側に札幌軟石などを積んだ建物です。札幌軟石は本州における大谷石に似た性質の石材であり、札幌市や小樽市の景観を印象付けている建築材料です。

(左)北の錦記念館の黒タイル。(右)六番蔵の札幌軟石。

(写真)試飲コーナー。

 

3. Wikipedia編集

3.1 Wikipediaの説明

午後の会場は栗山町図書館です。各自で昼食を取りつつ図書館に移動し、まずは伊達深雪さんによるWikipediaウィキペディアタウンの説明を聴きました。

(写真)伊達深雪さんによるWikipediaの説明。

 

3.2 文献

今回のイベントには栗山町図書館の協力も得ています。準備された文献は栗山町図書館の蔵書に加えて、北海道大学附属図書館の蔵書、小林千栄子さんの私物の文献、主催者の私物の文献などがありました。

『栗山町史』や『北海道の近代和風建築』などの手堅い書籍に加えて、『カイ』や『HO』などの郷土雑誌における小林家/小林酒造の特集記事、どうしん記事データベースによる北海道新聞の記事などが多数用意されており、他地域のウィキペディアタウンと比べても文献の多様さと量は別格レベルでした。

(写真)準備された文献。厚いもの。

(写真)準備された文献。薄いもの。

 

3.3 編集記事

「小林家」と「小林酒造」の2グループに分かれて編集を行いました。2人の講師のうち私は「小林家」グループに入り、伊達深雪さんは2グループの双方をサポートするという体制を取っています。

小林家は喫茶が附属する見学施設であり、公式サイトには喫茶の案内や建物の説明などが掲載されています。Wikipediaは百科事典であるため、邸宅が見学施設となった背景などを主軸とした記事構成としています。Wikipedia記事を作成したからと言って観光客が激増するわけではありませんが、公式サイトとは異なる役割を持つページとして閲覧者の役に立つことを期待しています。

 

この2記事に加えて、参加者のひとりが栗山町出身の切り絵作家である「小林ちほ」を新規作成し、私が「小林米三郎」を加筆しており、計4記事が編集されました。

小林家 (栗山町) - Wikipedia - 新規作成。

小林酒造 (北海道) - Wikipedia - 加筆。

小林ちほ - Wikipedia - 新規作成。

小林米三郎 - Wikipedia - 新規作成。

(写真)編集中の参加者。

 

主催者によるまとめ:栗山の百科事典を作ろう|ウィキペディアタウンin栗山

www.town.kuriyama.hokkaido.jp

Wikipedia ARTSとAOAA

(写真)アントニ・タピエスコンポジション』1977年。

愛知県美術館などが入る愛知芸術文化センターで「Wikipedia ARTS(ウィキペディア アーツ)in AOAA」の打ち合わせをしました。2024年11月2日(土)に開催されるWikipedia ARTS in AOAAは参加者を募集しています。

note.com

 

1. AOAA(Aichi Open Art Atelier)

愛知県名古屋市栄にある愛知芸術文化センター愛知県美術館を核とする文化施設であり、多目的ホール愛知県芸術劇場専門図書館アートライブラリー - Wikipediaなども入っています。

2023年度と2024年度、愛知芸術文化センターでは施設全体の活性化に向けた運営の実証実験が行われており、地下2階にはアートスペース「AOAA」(Aichi Open Art Atelier)が設置されています。

(写真)アートライブラリー。

 

2. 一般社団法人学びの文庫

2024年度には株式会社オープンエーが受託事業者、一般社団法人学びの文庫などが共同事業者となっており、AOAAには常設のワークスペースや「一箱かきましギャラリー」(一箱本棚のアート版)があるほか、ワークショップとしてWikipedia ARTSやあいち芸文ZINEの市などが開催されます。

一般社団法人学びの文庫は一駅離れた新栄で新刊・古書店 henn booksを運営しています。henn booksは変格(変格ミステリ)の専門書店であり、基本的には無人という営業形態もおもしろいです。

hennbooks.store


愛知芸術文化センターの活性化に向けパイロット事業、アートスペース「AOAA」を実施中」新・公民連携最前線、2024年10月16日

project.nikkeibp.co.jp

「ウィキペディアタウン@北杜 須玉町編」に参加する

(写真)正覚寺の杉戸を眺める参加者。

2024年(令和6年)10月12日(土)、山梨県北杜市北杜市すたま森の図書館で開催された「ウィキペディアタウン@北杜 須玉町編」に参加しました。北杜市須玉町を訪れる須玉町の映画館からの続きです。

 

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1. イベント概要

1.1 北杜市立図書館

北杜市山梨県の北西端にある自治体であり、北巨摩郡5町3村が合併して現在の市域が形成されています。8地域すべてに公共図書館があり、いずれも立派な図書館であるという特徴がありますが、人口4万3000人に公共図書館8館というのは全国的に見てもかなり多いのではないかと思います。

2023年(令和5年)には8館を3館程度に集約するという計画が浮上しましたが、集約に反対する市民団体が署名運動を行い、2024年(令和6年)には集約に関する条例が市議会の反対多数で否決されています。

(写真)北杜市すたま森の図書館。

 

1.2 「ウィキペディアタウン@北杜」

北杜市立図書館では2019年(令和元年)から「ウィキペディアタウン@北杜」と題したウィキペディアタウンが開催されています。

2019年(令和元年)10月には金田一春彦記念図書館で、2020年(令和2年)11月には小淵沢図書館で、2021年(令和3年)5月にはながさか図書館というように、1年に1館ずつ8館を巡回するように開催されており、すたま森の図書館で6館目となりました。

講師はWikipedia日本語版管理者のさかおりさんであり、さかおりさんはWikipedia地方病 (日本住血吸虫症) - Wikipedia という記事を書いたことで知られています。また、都留文科大学図書館情報学を教える日向良和教授、山梨県立図書館で司書を務める丸山直也さんなどが協力者として参加し、グループファシリテーターなどを務めています。私は小淵沢図書館やながさか図書館で開催された際などに一般参加しています。

(写真)告知チラシ

 

2. 若神子のまちあるき

2.1 正覚寺

すたま森の図書館に集合した後、午前中は徒歩で正覚寺諏訪神社、三輪神社をめぐりました。

正覚寺は若神子北部の山裾にある曹洞宗の寺院であり、山門、本堂、鐘楼、庫裏、経蔵などの建物があります。甲斐源氏の祖である新羅三郎義光との関わりで知られている寺であり、新羅三郎義光の位牌が置かれています。

本堂の鬼瓦などに武田菱紋が使われていますが、庫裏の内部にも巨大な武田菱紋が置かれていました。本堂入口近くに吊るされている駕籠は、歴代の住職が葬儀の際などに用いたそうです。

(写真)正覚寺

(写真)武田菱紋。

(左)住職が用いた駕籠。

 

興味深いのは三枝雲岱(うんたい)が杉戸に描いた作品です。三枝雲岱は巨摩郡浅尾新田(現・北杜市明野地区)出身であり、甲斐国でも有数の南宋画家だったようです。丹頂鶴、梅、老松の絵が残されていますが、圧倒的に見栄えがいいのが丹頂鶴です。

(写真)杉戸に描かれた三枝雲岱の丹頂鶴。

(写真)杉戸に描かれた三枝雲岱の梅。

(写真)味噌なめ地蔵。

 

2.2 諏訪神社

正覚寺から南下した場所の山裾には諏訪神社があります。

長野県の諏訪大社と同様に、7年に一度(6年に一度)の頻度で御柱祭を開催する神社であり、向かって右側に一之御柱、向かって左側に二之御柱が屹立しています。2016年(平成28年)に御柱祭が開催された後、2022年(令和4年)の御柱祭はコロナ禍のために中止となっています。

拝殿の左側には能舞台のような舞殿があるのも諏訪神社の特徴です。

(写真)諏訪神社御柱

(写真)諏訪神社で解説を聞く参加者。

 

2.3 三輪神社

北杜市すたま森の図書館から南に下ると、田んぼの中に三輪神社があり、上部に地蔵が彫られた六地蔵幢(ろくじぞうどう)が山梨県指定文化財となっています。六地蔵幢は地蔵信仰に関連する供養塔であり、室町時代の永享6年(1434年)頃に建立されたもの。三輪神社で最も古い石造物です。

近くの長泉寺には文安3年(1446年)の名号板碑があり、こちらも供養塔として山梨県指定文化財となっています。ほぼ同時代の同一集落に役割は同じながらも全く異なる形状の供養塔が建立されたことに興味をそそられます。

(写真)三輪神社の六地蔵幢。

(写真)三輪神社。

 

拝殿の左側奥には「金色蚕養神」と書かれた石碑があり、背面を見ると1916年(大正5年)に建立されたことが分かります。近代の山梨県は養蚕王国と呼ばれ、藤村紫朗県令によって県内に製糸工場も多数建てられていますが、須玉町で生産された繭は長野県諏訪地方や群馬県富岡製糸場などに送られていたとのことです。

(写真)石碑「金色蚕養神」。

 

3. ウィキペディア編集

3.1 文献

各自で昼食を取った後、午後にはすたま森の図書館でWikipediaの編集作業を行いました。同一集落にある寺院と神社が編集題材ということで、『須玉町史』など複数の題材に関わる文献については複本も準備されていました。

(写真)文献リスト。

 

書籍だけでなく、山梨日日新聞データベースから題材に言及している記事を印刷したもの、国立国会図書館デジタルコレクションから題材に言及している文献を印刷したものなども準備されていました。

書籍だけでも十分な文章量の記事になりますが、古い画像を追加したいときなどにデジコレが役に立ち、近年のトピックなどを反映させるためには新聞記事が役に立ちます。

(写真)準備された新聞記事。

 

3.2 編集記事

正覚寺 (北杜市須玉町若神子) - Wikipedia - 加筆。

諏訪神社 (北杜市須玉町若神子) - Wikipedia - 新規作成。

三輪神社 (北杜市) - Wikipedia - 新規作成。

(写真)編集中の参加者。